2020年04月21日

真夜中の幾何学

仕事の関係で、物差しも分度器も何もない時に、この三角形の高さを求めねばならなくなった。


直角三角形ABCの斜辺ABの長さがXmm
角Aが24°
角Cが90°
の場合のBCの長さYmm


三角形の斜辺ABの部分に関しては物理的なモノがあり、推測3センチから4センチの間。
多分BCは1センチ程度。
しかしそれを測る物差しも何もない。分度器もない。
証明する公式?そんなジュラ紀あたりの記憶が私にあるわけがない。(記憶に一度も刻まれていないというのが正しいかも)


ということで、
ある方法でABの長さを測って。
計算サイトをググって角度とABの長さを入れ、ことなきを得たのだが。


普通に一辺と角度二つがわかる時の計算式をみると、Sinとか√とか出てきて全然わからん。もう呪文の世界。


ありがとうITの時代。私に検索ツールを与えてくれて。



  

Posted by P at 10:59Comments(3)ひとりごと

2020年04月19日

外出と帰宅後の新習慣

この1週間でまた日本のコロナに対する意識も変わり、開いてる商店での対応も変わってきた。
近所のホームセンターとその二階のテナントでは、レジの客との間に透明シートの壁ができて飛沫感染を緩和する仕掛けができていた。
食料品店では全てのカートのハンドル、カゴのハンドルを社員が三人がかりで消毒している。ご苦労なことである。
2週間前にはなかったレジの並ぶ客の距離を取るための印もどこの店舗でも当たり前のことになっている。





さて。
最近のお出かけは、財布を持たない。クレカ一枚と携帯電話、ポケWifiと鍵をポケットに突っ込んで出かける。
今や外に出ると90%以上の人はマスクをしているので、してないほうが裸で歩いているようで人目がきになる。入り口に引っ掛けてある不織布マスクと布マスクを二重にする。いずれも毎回石鹸で洗って使う。人生の半分近くアメリカでいることもあり、この年までマスクをしたのは給食係の時ぐらいなのに、今は毎日のようにマスクをする。

晴れた日には朝、川辺を早足散歩する。これで早足で歩くと高地トレーニングのようにむちゃくちゃ息苦しい。死にそうになるがしないよりはマシ。。。と。

週末か、週日は夜時間がある時に、買い物に出かける。

大きなトートバッグいっぱいの食料品と水と、本を持って帰って、入口入ったところで荷物を下ろす。
そのままバスルームへ直行。
ポケットの中身を全て洗面台の上に出し、服は全て洗濯機に放り込み、自分をバスルームに放り込んでそのままシャワー。シャワーしながらマスクも洗う。

シャワーから出ると、買ってきたものの仕分け。
食料品のパックものや水のボトルは石鹸泡立てて洗面台で洗う。
最近の野菜はビニールに入ってるから洗いやすい。
丸ごとのキャベツとかも石鹸つけて洗う。
紙パックのものは中身を出して紙パックは捨てるか、外からアルコールワイプで拭く。
本はアルコールスプレーふりかけて廊下に一つ一つ立てて放置、万一ついてるかもしれないものが死滅すると言われてる時間。
日本人の知り合いにいうと「ええーそこまでする〜?」と言われるけど
やらないで後で後悔するより良いでしょう。スーパー混んでるし誰がどんな状態で手にとってるかわからないから何がついてるかわからないし。
 
最後にクレカとかぎをあらって干し、電子ものはアルコールワイプで拭いて、あたりをワイプで吹き上げて、終了。
最初は要領が悪くて時間がかかってたけど、だんだんサクッとできるようになってきた。
アルコールスプレーもワイプも限りがあるから、できるだけ使いたくないし。


このいい加減な私がこんなことをする日が来るとは。
世の中変われば自分も変わるもんである。



雨上がりの夕方の雲が荘厳な土曜の夕暮れ。

紫陽花とか



りんごとか



八重桜とか



コロナなんて関係ねーって、元気に生きている。
仰ぎ見ながら、かがんで見ながら、強さをもらってる。


 
  
Posted by P at 02:25Comments(0)日本にて

2020年04月12日

一月往ぬ、二月逃げる、三月去る

そして、4月。日本におります。去年8月以来の投稿だわー。最近あまりSNSもしておらずご無沙汰しています。書きかけてはほったらかしのものは、ゆるゆると遡って行きたいと思っています。。。


さて12月の中国から始まったコロナ騒ぎ。
 
世界中にじわじわと、しかしあっという間に広がり、各所で大きな爆発を起こしている。


前回1月中旬までの出張の後、Dさん、Kさん、Aさんを経て、自分の出張の番は4月半ばからだったのだが、3月の大きなリリースに関わりたく、また、日本に奥さんがいるまだ若いAさんを奥さんのそばにできるだけ早く日本に送り、いつも一番大変なときに送られているKさんをリリース後に回したい、という理由で、希望してAさん、私、Kさんの順番にしてもらった。


もちろん、それが決まった時にはいまのようになるとはおもわずだったが。。。


2月末の出張出発までに、ひたひたと押し寄せるコロナの波。 それでもアメリカでは、特に東部中東部の州にいるアメリカーンな上司たちには、完全に対岸の火事。ヨーロッパで火柱が上がっているのにウクライナへトレーニングで3月中旬から人を派遣するとか、今だにそんなこと言ってんのか。実際に派遣される予定の同僚たちとともに、頼むから考え直してくれと頼み込むも、いやいやアメリカもウクライナも全然大丈夫、と。あほちゃうか?(と実際にいってやったが冗談だろ〜と流していたよ)

出かける前の週にはアメリカも(特にWAは)かなり危なくなってきて、これはもう、絶対に予定の4月の2週目には帰れないと考えた。すでに行ってるAさんはそこで帰れなくても良いとして、私の次のKさんも、私と重なる形でくるKeさんも、家族持ちで小さい子もいたりして、家を離れることはできないだろうしさせたくない。また、その頃には、動かないことが最上の選択となってるだろう。。。ただ、ここで私がいかないと、その週から始まるリリースは多分うまく回らないし、客先に対しても「約束」が果たせない。幸いうちの子たちはすでに成人、猫もいるし、私がいなくても大丈夫だろう。

どもたちには「おかーさんはいってくる。ただ状況が今よりよくなると思えないから、おかーさんはきっと4月には帰れないけど、君たちは元気で生きていてくれたまえ。現状をよく見ながら、気をつけて。」 とつげ、後ろ髪を引かれながらも3月1日、日本へ出発。

到着した日本は拍子抜けするほど危機感なし。
検疫も素通りで検査する気ないだろうって、感じ。
ただ、まだ午後5時なのにいつもは人でいっぱいのロビーも閑散としていて、今回のコロナの影響を肌で感じる。リムジンバスも貸切。3月1週目の週末、都内の中心部、銀座や日本橋は、午後6時がまるで午後11時のような雰囲気。不気味であるが。
 
とりあえず1時間かけて通勤してきているAさんについては、「うちの社員の安全は、客先の安全!」と上司を説得して「出勤自粛(リモートワーク)」の手配をする。彼は前回の出張時にも、通っててインフルエンザで寝込んだのだ(そのあと客先で勃発していたインフルが彼のせいかどうかは知らない)。出勤道中で万一コロナゲットして客先に持ち込んだりしたらたまったものではない。


3月2週目。ガソリンぶちまけて火をつけたようにアメリカのあちこちで爆発的に感染が確認され、ようやく大統領も重い腰をあげる。ヨーロッパの火の手が東海岸に飛び火し、それを封鎖すべくEUにいるアメリカ人に戻ってこいと言ったらたくさんの人がお持ち帰りしてくる始末。

こうなってようやくうちの上司も本気で危ないということに気づく。当事者の社員の話は信じずに、大統領令でようやく聞くのねーと、当事者の私たちはヒソヒソ話す。ウクライナトレーニングは取りやめ、ウクライナ>日本への出張の人も取りやめ。私と前半重なる形できていたTさんは、ご家族の希望により出張切り上げてUSへ帰ることにした。
客先も正式に「リモートワーク強力推奨」指示が出た。でもまだリリース終わってないのでほとんどの関係者は出勤。


それから3週間。桜満開の季節を過ぎ、卒業式入学式が終わったこの段階でようやく、日本政府はゆる〜い緊急事態宣言を発出。その間も毎日感染者は各地で増加。過去3週間の野放しがここに数となって現れてる。
今日の人の動きの結果が出るのは2週間後だけど、どうしてもそのとき数字が下がっているとは思えない。これだけ長く準備期間があったのに他国を見ていて何を学習していたのか。FB上でも私の友人は基本的に意識が高い人が多いのだが、彼らの投稿には日本への絶望と怒りがないまぜになっている。


かくしてアメリカに行くことも日本に誰かが来ることも安全ではなくなっている今。
自分は日本に滞在延長&借り上げ住居で自己隔離リモートワーク、うちの(どちらかというとインドア派の)大きな子どもたちもそれぞれ自宅で上手に自己隔離しており、とりあえず5月の真ん中まではこの状態で粛々と生きて行くことに。
学校はオンライン授業にて6月中旬まで。ずっと学校に行くことなく今年度が終わるということだ。
予定されていた大学の一斉試験SATもキャンセル。ほぼ半年学校がない中で、うちの高校生の学力がどうなっていくのか見ものかな。。。


一重の桜ももう終わり。


八重の桜とツツジが咲く季節になりました。




もう何年も日本でツツジを見ていなかったので、その美しさにちょっと感動。



シアトルの家では裏庭のモクレンがそろそろ終わって、赤いシャクナゲの大きな花が咲いているはず。
隣の家の八重桜も終わった頃か。


 
  
Posted by P at 03:45Comments(6)日本にて

2020年02月29日

りお、空手2段昇段

2月28日、りおの昇段試験があった。
前回の初段の試験からちょうど2年。
初段>2段の受験者は6名。
初段の時にはカーテンが閉まってて見えなかったんだけど、今回は試験場のカーテンが開いていて、仲が見える。駐車場に車を止めて邪魔しないようにそーっと影から見守る。気分は月子姉ちゃん。

今回の受験者は粒よりのようだ。技にもキレがあるし、気合いも入っているし。
りおもまったく引けを取ることなく、こなしている。
初段>2段は厳しいと聞いてるけど、大丈夫では!?

そして、試技がすべて終わり、




試験管の会議を経て、





おお。なんか拍手が聞こえて来る。

大丈夫。。。だったのか?みんな笑ってるからもしかしたら全員合格?

ということで、翌日認定式があった。

Untitled

堂々と認定証を受け取り、祝福されるりお。なんと誇らしい。





この二段は、彼女が自分で掴み取ったもの。
空手を自分で選んで始めてから約6年半。おめでとう!




**そうしてそれから2週間で、コロナのために緊急事態宣言がなされ、空手の道場も他のいろんな習い事などと同じくして一時閉鎖。間一髪というか。。。次に受ける人たちは1年後とかでなければ準備ができないだろうから。今回受けて、受かってよかった。
そうして娘は。。。これからも精進すると言っていたのはどこへ行ったのか。やってる気配が見えないんだけど。型を1日に一通りやるとかしてれば、メディテーションにもなっていいと思うんだけどなあ。


(試験中の写真は、カメラマンさんがとったものを同時王で流していたのを写真でとったもの)

  

2020年02月19日

久々に、ハリソンホットスプリングスへ

日本から帰って1週間。
そろそろ休みとりたいよなー、と、候補を並べる。
行き先は。。。


LAとカナダの2本立てで考えた。
しばらくLAに行ってないまーと二人で2月の最初にLAに行って、それから三人で2月中旬にカナダの温泉行ったらどうかな。

まーに予定を聞いてみる。何と言ってもやつは週休5日なのだ。
しかし本人は行く気があるだかないだかよくわからない。
ようやくいく気になった時には、飛行機の運賃が倍以上になっていた。。。のでボツ。せっかく直通RT197ドルだったのに。。。

温泉は2月のりおのMid Winter Breakに合わせていくことに。
日曜>火曜で行きたかったのだが、あいにくその日程では取れず、月曜>水曜で行くことにする。
そこでまーがいう。「水曜日仕事なんだけど。。。」
うーん、戻ろうと思えば向こうを朝1に出て、10時に間に合うように帰ってこられるが。。。
その週は先に同僚の子が休みを申請していた、ということで、万一のことがあって帰れなかったら困るまーは猫と一緒にお留守番。
りおは私と二人ではつまらないだろうと、りおの友人Rちゃんを誘っていくことになった。

今回の部屋はベランダはないけど、2階で、窓から湖が大きく見える。温泉プールにも1分でいけるし。



部屋も新しくないけど広くて清潔でよし。ガールズは隣にいるのにそれぞれのデバイスでチャット。。。中?永遠に寝ない2人をほおっておいて、午前3時に眠りについた。


翌朝一仕事してから、朝風呂、



シアトルが2℃で雨、というのを見て、なんか勝った気分に。。。ああ、きてよかった。


ご飯の後寝こけているガールズを部屋に残し、も一度さっさとお風呂。このためにきたんだし。

IMG_20200218_131331

温泉プールはぬるめでいつまでも入っていられる感じ。極楽。。。。。

部屋に戻るとガールズまだ寝てるので、一人で散歩に出かける。
街はとっても小さくて、しかも火曜日は色々休業日のようで、ほとんど開いてない。。。でもいいのだ。
心洗われる小川のせせらぎ、鳥のさえずり、遠くの山々の連なり。。。









ホテルに帰ってロビーでいると、「今街に出てまーす」とガールズから連絡が入る。午後4時半。。。ようやく起きたらしいな。


そうこうしているうちにあっという間に日が翳り、ジャケットも着ないで出て行っていたガールズは震えながら戻ってきた。夕飯どうする〜、とか話をしていると、中国系の若い男の子と女の子のカップルから話しかけられた。
「あの。。すみません。英語は喋れますか。助けていただくことできますでしょうか。」
焦っているようだが礼儀正しい男の子だ。
聞いてみると、DくんとTさんはバンクーバーの大学1年生で、彼らのミッドウィンターブレイクを利用して初めて旅行に出たんだという。貧乏旅行でバスを乗り継ぎここハリソンホットスプリングスまで6時間半。
予約していた部屋にチェックインしようとすると、二人とも成人年齢に達しない、ということで、宿泊はできない、と断られたらしい。そう、アメリカや日本だと、ホテルのチェックインができるのは18歳。なんと国境超えたカナダは19歳なんだそうだ。
Tさんは後1ヶ月で19歳の誕生日を迎えるとこだったらしいんだけど、それでもダメと言われ、予約は強制キャンセルされて、ほぼ追い返される形になったらしいのだ。

どこかへ出るバスはもうすでにない時間で。
どこへ出たとしても18歳ということで宿泊は断られるだろうし、ロビーでこのままいるわけにもいかない。外気温は零下だし、シェルターもなく、もちろん車もなく。。。


これを聞いた私は彼らが泊まれるようにするのに一役買うことにした。
というのも、先日りおがドイツに行ったとき、友人M夫妻から私の知らぬところで同じようにりおが助けてもらっていたのだ。(彼女の場合は別の手法だったが)
これはきっと、恩返しならぬ恩送りの機会を神様にもらったのだろう。


P「君たちは最適な人に声かけたと思うよ、Dくん。」
私は言って、フロントへ2人と一緒に向かう。
P「私は彼らの保護者で、シアトルから1日前に来たんだけど、この子らとここで会う約束してたのよ。19歳以上じゃないと泊まれないなんて聞いてなかったから予約させたんだけど。私が全責任を持つと大丈夫よね?」
フ「は、はい。」
P「部屋の予約私らの近くになってるよね。見てくれる?」<マッタクの偶然
フ「はい、D.L様ですね、1Fのお部屋です。」
P「じゃあよかった、これ私のCC、手続きよろしくお願いします。」
フ「あの、どのようなご関係で。。。」
P「友人。」


フロントの人は謎に包まれた顔をしながらも手続きは完了し、無事彼らは部屋の鍵を手に入れた。
そのまま2人を連れてロビーで待ってるガールズのところに戻る。
「ほら、新しい友達だよー。」

しばらくロビーで歓談し、FBで「友達」となる。年が近いりおやRちゃんは、Dくんが北京から、Tさんはラオスから来たなどという話や、大学の話、どうやってここまで来たのかなど聞きながらワクワクし、私はDくんとTさんになぜ彼らを助けようと思ったかなどを説明し、また明日チェックアウト時に会いましょう!ということでその夜はお開きとした。

そして最後の晩餐は、ガールズとともに彼らが選んだギリシャ風レストランミロスへ。
量もお味もいわゆる地中海風。私は豆のスープとサラダ。彼らは肉のコンビネーション。美味しかったが、ガールズ2人ともがこの独特のクセのある普段絶対食卓に出てこない味を美味しいと完食したのを見て、あー、本人もきっと気づかぬうちに味覚とかも大人になって来てるんだなあーとちょっと感慨深かったりする。
 






水曜、早起きして朝風呂ならぬ朝プール。3日間で合計7時間ぐらいつかってたことになる。
りおが起きて来て合流。彼女は大人用露天風呂には入れないので、一緒にインドアプールの方へ。
9時半、。朝ごはんを食べに近隣のカフェに。




ホテルへ戻り11時、チェックアウト。
Dくんたちの宿泊料は彼らへのプレゼント。
「いやこんなにしてもらっても。。。」と固辞されても、もう払っちゃったからね。
「私も若い頃(これを言うと途端に年寄り)、世界のあちこちでいろんな人に恩を受けてる。自分たちが大人になって、困ってる若い人がいたら助けてあげれば、いいんじゃないかな。これからも1人でも一緒でも、いっぱい旅行してね。」と、納得してもらい、その後6人で湖の周りを散策して、夕方のバスを待つ2人を残し、ハリソンホットスプリングスを後にした。



新しい友達と、お別れの直前に。


シアトルまで1人で250キロの運転は。。。長く眠く死にそうだった。。。。orz


レッドモンドでBoba買って、午後4時過ぎ自宅着。



 



 
  

2019年08月16日

みんながアクティブな夏

どちらかというと引きこもり系の我が家は3人がそれぞれの用事で同時期に家を空ける事は本当にないんだけど、

今年の8月の2週目は、

私が出張
りおが日本
まーが釣り

と、三人三様の理由で5日もシアトルにいなかったのだ。
もちろんみんなで一緒に日本行くとか、どこかに旅行とかはあるんだけどバラバラって本当になくて。

こういうのいいなあー。
巣立ちの準備準備。

  
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2019年08月10日

フロリダの週末

怒涛のような5日間が終わった後、ウクライナの開発チームからきている同僚の女子2人と何するのーって話をしていて。
彼女らはUSOに行きたいと。ユニバーサルスタジオオランドー。しかし車を運転しないから、バスかタクシーで行こうと思ってるんだけどどうやっていくのが一番いいのかわからないと言うことだ。

調べてみたら。オランドーまでは車で約2時間、Uberで140ドルぐらい/片道。
往復で300かー。
バスは論外。5時間もかかる。
しかもチケット代がシャレになってない。USO、この日は一人135ドル+TAXから。

そこまでかけていく必要はないのでは。。。と懸命な日本人は思うのだが、一生に何度もこられない!と、EさんとVさんが言うので。。。


チームの二人は週末は引きこもると言うので、うちのチームが借りているレンタカー使って
いくことにしました。 もう一人のKさんも一緒に。

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朝7時半出発。
所要時間約2時間、9時過ぎに到着。




気温32度湿度いっぱいもなんのその。ガンガン行きます。




各エリアで必ず一つはライドに乗る!と決めていた彼女達。
一番面白かったライドはやっぱりハリポタかなー。後3Dものがすごく面白いそうだ。


真夏の太陽に白い雪の屋根が似合わない〜。暑いよホグワース。。。。。


最後のライドは思いっきり滝から落ちて水かぶるやつでびしょびしょのままゲラゲラ笑いながらUSOを後にした。

でその後どこ行きたい?と聞いて彼女達答えて曰く。

「ユニク○がいい!」


えええええええ。ユ○クロー!?
と言うことで、10分ぐらい離れたディズニースプリングにあるユニ○ロへ。

駐車場から出ると真ん前にそびえるユニク○の店。
とても真剣に選ぶ彼女達を放牧して1時間。




とっても嬉しそうに歩く彼女達をみて本当に微笑ましいったら。
日本においでよー。こんなのいっぱいあるよーー。



軽く食事の後、家路につく。
午後10時半過ぎに二人を送って、合宿所到着。
旅の疲れはあれど軽い興奮状態なので眠れない。
起きてた同僚と3人で軽く飲んで午前2時就寝。


追伸:
フロリダ、なんでこんなにガソリンやすいの。。。オランドー往復でせいぜい18ドルぐらいでした。













  

2019年08月09日

そしてフロリダ

ウクライナ&日本の出張日記を書きかけのまま はや8月も半ば。

6月19日から27日までウクライナ
そのまま28日から7月26日まで日本出張で主に東京東側で生息していた。
途中徳島へ一泊三日の日帰り。

東京の出張は客先で朝7時ごろから夕方最低でも7時まで、時々夜勤に出勤前の準備もありという強行軍。
某A社やV社の時の出張ににて、大変なのを楽しんじゃう私はあーなんか自分やっぱりワカホリックかもと。初めて会う客先担当初めて会う自分の同僚と上司。何やってるんかもわからないまま数日が過ぎ、ようやくわかりかけて来た頃に最終週だった。
梅雨の日本は、私のいた4週間最後の2日を除いて連続太陽が1日3時間以上ささない日が続き、思いがけず肌寒い夏の出張に。ジメッとしてたけど。


ということでごくごく一部の友人とここを見ている友人だけが知っている一時帰国なのであった。

日本に26日に戻り28日から通常勤務開始、上司たちから連絡。
「8月の5日から2週間本社でトレーニングが決まったから」

がーん。今週末ってことですか?
日曜はりお送ってバンクーバーまで行くのに。
2週間後はLAなのに。

他の人は余裕を持って週末出発週末帰宅なのだが、どうにも動かせない私事もあるのだー!と無理を言って
日曜の深夜便で行き、
金曜の朝までに戻れる便をとってもらう事に。

そして8月になり、2日になってようやく飛行機の案内がくる。
希望していたユナイテッドは無視されて、デルタの往復デトロイト経由。
まあいいやデトロイト行った事ないし。

土曜の深夜、仕事終わりのまーを迎えに行く。
りおの日本行きの準備はもちろんできていない。
りおの出発は午前9時40分、隣国カナダのバンクーバーより。
「2時過ぎには出るからね、かーさんは寝るよ!」と宣言し仮眠をとる。

日曜午前2時40分過ぎようやくりおの準備が整い、SAABで一路北へ。
無事にたどり着けるようにと祈りながら。 
国境の待ち時間もなく、午前5時過ぎYVR到着。
しばらく仮眠ののち夜も明けて、



手続きしてからスタバでお茶。



搭乗口へ向かうりおを送って




家路に着く。

最高の天気の夏のノースウェスト、






国境で30分ほど待ったが想定内で、そのまま南へ。
まーは後部座席で没しており一人運転だけど今の所はまだ眠気もなく大丈夫。

そのままほぼ渋滞もなく、途中休憩しながらエベレット郊外のレストエリアまでひた走り、
そこでまーに運転を代わってもらって難なく自宅に到着。
今回のりおのフライトはYVR>SEA>NRTという、一旦アメリカ戻る便。
運転している間にさっくり追い越され、私たちの自宅到着のすぐ後にシアトルを出発するという。
シアトルから乗れていたら楽だったのに。。。

それから自宅を片付けて洗い物して洗濯物して掃除して、自分の出発準備して。
ブルーエンジェルスの曲芸飛行を裏庭から眺め








まーが作ってくれたご飯と炒め物を食べてたらあっという間に私の出発時間となる。

午後10時、Uberで空港へ。
荷物を預けて搭乗口へ。



ああ長い1日だったと思いながら搭乗を待ち、乗ったらいつものように、出発する前に寝ていた。。。

デトロイト到着現地時間7時過ぎ。
ゲートA34番到着、次のゲートは。。。と探すと。。。A74番!?
通路はどこまでも真っ直ぐに伸びる。。。どっちを見ても端が見えない。




はー、予備知識なしで来たから仕方ない。。。と歩きはじめると、何やら目の端を赤いものがかすめて行った。

。。。上をトラムが走っている。。。まるでFAOシュルツの店内をめぐるおもちゃの電車のように。



ちょっとこれは乗るしかないでしょう!

見回すと2ー3ゲート先にエスカレーターがありそこから上に上がるらしい。(ちなみにそこまでの間に、ウェスティンホテルから直接ゲートに入れる入り口が。。。まるでリフト乗り場に直結しているホテルのような)





意外と普通の大きさの電車である。


コンコースが見下ろせて

あっという間に60番ゲートあたりに到着。。。

電車は間も無く元きた方へと戻って行った。

Untitled


さて、8時過ぎの飛行機に乗り、目的地のフロリダ、タンパ空港に11時到着。




ゲート直前のillyでダブルショットマキアートをあおり、ゲートから外へ向かう。
知らないところなので、ワクワク。タンパって、野球チームの名前でしか聞いたことない。




荷物を受け取り、外へ出ると。。。ムッとする日本ともまた違う南国特有の熱気に包まれる。




会社のアドミさんが迎えに来てくれこれから2週間を過ごす「家」へ。
そう、家。プールのついた、4ベットルームの家。



このAirB&Bの家で、私と同僚男性3人(皆既婚)で、文字通りの合宿生活なのだ。(これも8月2日に初めて知る)
もうみんななんでもこいである。作る人、食べる人、飲みながら仕事するひと、ジョギングに出かけてスコールにやられる人。。。毎日面白すぎる。
 

予定は午後の4時間がトレーニングに当てられ、夜は2人が21時から4時間、2人が午前4時ぐらいから4時間交代で通常業務。
かなり無理めなスケジュールなのだが、とりあえずこなしていまはや5日目。



あと1週間生き延びねば。。。









 
  

2019年07月13日

徳島なう

弟の家に立ち寄っている。
窓の外からよしこのが聞こえる。
季節だなあ。

>きっとここをご覧になってるシライコウジさん 
相変わらず突撃で連絡せんととごめん〜。次回秋の予定。  
Posted by P at 09:48Comments(4)日本にて

2019年06月23日

週末を過ごして見る

ウクライナ、ハリコフ。

木曜着、金曜仕事で、あっという間に週末が来た。
もちろん、荷物はこない。荷物に関する連絡もこない。
着た切り雀もなんなので、また服をいくつか買う金曜の夜。
ほとんどの店は夜9時まで開いてるので、ムッチャ嬉しい。

そのまま思い立って、 ホテルのそばのメトロの駅にゆく。





ちなみにこのあたりの地下鉄の優美さは有名らしい。駅によって全く違う。とても清潔で使いやすい。



路線はこんな感じ。




ユニバーシティという名のその駅は、文字通り学生街の真ん中にある。ハリコフには、140万人ぐらい住んでるというが、その中に38の大小の大学があるそうだ。
東京の御茶ノ水みたいなものか。

人口のほとんどは、月収が500ドルとか600ドルなんだそうだ。
ここで月収2000ドルもあるのはITな人達だけだと社長のDはいう。
医者ですら600ドル700ドルの収入の世界らしい。 
だから若者はこぞってIT、特にプログラマになろうとする。
プログラミングと英語。これはもう、高収入を得るためには必須アイテムだそうだ。
よって英語のレベルはかなり高い。
大小の企業はこぞって青田刈りを行い、うちの会社でも70%は地元の大学からインターンで入ってそのまま残っている若者らしい。

話がずれたわ。

メトロまで行くも、何をどうしていいかわからない。人の真似してチケット販売機に行き、10ルーブル(と書いてあるように読める)と書いてあるところにお金を入れるとチケットが出る。
ふーん、と思ってそれを改札に通すとがっちゃんとゲートがあいて中に入れた。

時間は午後9時ごろ、結構な人出だ。
行き先の看板はあれど、知識なしで来たのでどれがどっちに行ってどこまで行くのかなんてわからない。ただ、全部で駅は1路線に20もないから、とりあえず来たものに乗る。
5つぐらい先の駅まで行って折り返したり。地上に上がって見たり。

地下街、があります。午後5時まで。

アカデミアなんたら、という駅で大量に人が降りたので、好奇心から自分も降りてついて行って見る。
地上にがーーっと上がった人達は、そこに待っていた数々のバスに次々と乗り込み出発して行く。
なるほど、ここはバスの起点となる駅で、街で働いた後バスで地方にちってゆくのか。

人波はあっという間になくなり、人通りのない商店街的な路地に取り残される。夏至だし、危なさは感じないけど、かなり心細い。夜9時半だか、気温26度だと。

 


どうやらテントやシャッター、かまぼこ型の屋根の建物の感じから、ここは市場らしい。 
市場、いいじゃん。明日こよう。

バスも全くいなくなり(いてもどう使っていいかわからないが)、とりあえず元きた駅に帰ることに。

 帰りに24時間開いてるスーパーで買い出しし、ホテルへ戻る。


関係ないけどロシア語も楽しい。わけわからなくても、併記されている英字発音と合わせて見ていると、だんだんパターンが読めてくる。

例えば英語のハルキフは

Kharkiv で 最初のKはKというよりHに入るための導入のような発音になる。ので、クッハルキフ みたいな。(入り路言い方ありますマジで)。

これに会うロシア語を英字で書くと
XAPKIB となる。

XにHを当て、
PにRを当て
BをFとかVにすれば

読めるのだ。

このように読み替えながらいると、まるで暗号でも解いているようで非常に愉快。
問題は、読み方わかっても意味不明という、韓国語のような脱力が。。。

米印みたいなのはS、
ギリシャ文字のファイφみたいなのはF
みたいな感じでお楽しみください。


 
  

2019年06月20日

ウクライナ・ハリコフにて

ウクライナでは海外からのお客さんは、会社の人が迎えに行くのが普通なんだそうだ。
迎えに来たのはウクライナ社の社長に当たる人。「ほかのみんなは忙しいから」

空港から出ると。。。。。暑い。気温35度以上が1週間以上続いていると。
いつもこんなんですか?「いや、ここの住人にも暑すぎるよこれは。いつもは25度ぐらいまで、クーラーなんて持ってないからみんな。」
ですよねえ。。。

   ちょっと時間戻ってーーー

飛行機降りて、だーれもいないパスコン通って 、入国完了。
かなり拍子抜け。 荷物はきてないのわかってたからそのまま荷物問題受付係にいく。
ベルトコンベヤー動くまで待ってと言われいや絶対にないからと押し切ろうとするも、相手の英語はひどく私はロシア語わからない。でもとてもいい人たちで、一生懸命書類に記入してくれる。お互いに身振り手振り。久々この感覚。

アメリカとかになれてたから、荷物はどこにあるかをコンピュータで見るんだと思ったら、手書きの紙でおしまい。ええー、入力とかしないの?
「これをもとに探します〜。あ、2日はかかると思うから。」

orz...


ーーーーーということで小さな機内用のカバンとニャンコ先生のトートバッグだけ



持ってまるで徳島の阿波おどり空港ぐらいの大きさの国際空港を出るとそこは灼熱の国だったということだ。


そのまま拉致され、立派なレクサスでついたのはウクライナレストラン。
「今からみんなでお昼だから」ええええー。
日本からのお客さんとその開発パートナーさん、今回の開発のチーフに社長。
男はいい。適当な格好してるから。でも女性は。ジーンズなんて履いてないこの国。


食事はめっちゃ美味しかった。特にボルシチは私の知ってるボルシチと全然違うことが判明。





私の作ってるものはなんなんだ?ビーツスープか?
反省しながらいただく。
サロ(塩漬けの豚肉)、ズッキーニのひき肉詰、チキンキエフと呼ばれる鶏胸肉のカツ(ナイフを入れると肉汁が溢れてくる)、小さな茹でぎょうざのような  、などが次々と出てくる。それぞれに添えられた野菜もとても元気で美味しい。
ウクライナは黒海にも面していて夏の間は温暖な気候のこともあり、平野が広がってることもあり、穀物や野菜がふんだんに作れる。ウクライナ料理は安くてうまい。8人でお腹いっぱい食べて、「これで大体60ドルぐらいかな。全部で。」。

そのままオフィスに直行、夕方7時過ぎまでおこなわれたいくつかのミーティングで少しだけお役に立たせてもらい、その後またDがホテルまで日本からの客人とともに送ってくれる。
「タクシーとか使えますよ」と言っても「いやいやこれはウクライナでは普通のことだから。私がダメなときは他の社員が送るんだよ。」
そうなのか。だから先日日本にウクライナの人が行った時も、誰かが成田まで迎えに行ったのね。
日本なら一度来て交通システムわかるとどこにでもいけるようになるけど、ウクライナはやっぱい後進国だから「すべてを信じてはいけない」ということらしい。
そうなのかーとホテルへの道のり通りを見ていると。。。







女性がきれい。しかも服もとても洗練されていて、なんと、ジーンズを履いている女性がいない!
基本ワンピかノースリーブにスカート、小顔で背が高く足が細くてきれいで背筋がピンと伸びていて。。。
自分の格好は移動の定番ジーンズにTシャツ。
私費旅行のようにボロボロじゃなかったものの、あまりにも。。。恥。
いやヨーロッパだし日本の客先もジーンズの人はいないと聞いていたのでまともな服は持って来たのだ。問題はそれがすべて、届いてないカバンに入っているということで。。。
ジーンズにTシャツ。変えのTシャツと下着類しか服がない。せっかくこの出張のために色々とまともそうな服を買ったのに(スリフトショップでだけど)。私の苦労はどうなるの〜〜。 

ホテルについてチェックイン、フロントの人の何かできることはありますか?の問いに、
「服が買えるところを教えてください」

教えてくれたショッピングセンターはシアトルのパシフィックセンターが6分の1ぐらいになったところ。
あまりチョイスもなかったのだがとりあえず、あまり恥ずかしくない服を一揃い買った。


ラッキーだったのは、
- 出かける直前に乾燥した下着を3日分は手荷物に入れてあったこと
- すべての仕事に必要なもの、コンセントにつなぐ延長コードも含めすべて手荷物に入れてあったこと
- 出かける直前に旅行保険に入ったこと。これで買った服の代金戻ってくるー。

 
 そんなこんなで初日が終了。
  
Posted by P at 21:33Comments(1)Kitten な日々

出張です

ということで入社1ヶ月。 出張の番が回ってきましたよ。
まだ必要なツールへのアクセスもないからどやって仕事するんだ状態なのに。

6月27日から日本、と言われていたのだが、20日からに変更して!と言われる。
まあ仕方ないけどいいか、と腹くくった翌々日、上司がスカイプしてきて「えーと、ウクライナに行ってみない?」

へ?ウクライナ?

ウクライナにはうちの会社の開発部門があるのだ。 サポートは基本開発部門との連携はないんだけど。。。

「顧客の開発担当がウクライナに行くんだけど、もしかしたら通訳が必要かもしれないから」

通訳〜!? なんのですか?

「開発中の機能のAPIのパラメタがどーたらこーたら。。。ということでうちの開発チームとの意思の疎通をはっきりさせるため」

API?パラメタ?新機能?

なんでも、そのために行くはずだった日本語喋れる人がいるらしいのだが間違ったか何かで2週間後に行くらしい。で、急遽誰かを派遣せねば、ということで白羽の矢が立ったらしい。私以外にもう一人多分もっと頼りになる人がいるけどとりあえず今回は私でよいだろうということで。。。

いいですよいつですか?との問いに、「18日から」 えええーーーー。もう10日もないやん。


そこからもまた二転三転した後、最終的なチケットが決まったのが3日前で19日出発となった。

日本行く前に一回シアトル戻っていいんですよね?
「いやそのまま日本に行ってもらうから。ちなみに出発前の数日はウクライナ時間のミーティングに出てオンラインで通訳してね。」

すっごい無茶振りやわー。

もらった資料を読み、猿でもわかるAPIとネットワークと機能に関連する資料を検索し、迎えた17日と18日。 待てど暮らせど、会議のリクエスト来ない。。。
プロマネが「Pがオンラインでいつでも通訳できるから会議リクエスト送って(をい!)」とDev担当にメッセージして返ってきたのが 「あ、全然意思の疎通に問題ないよ」


。。。 私ウクライナ行く理由ありますか。。。? キャンセルする方がいいのでは。。。?(そしたら私は元々の予定通り直で日本に飛べますが。。。)

これからキャンセルしても種々の費用が発生するから行ってこーい、ということで、19日予定通り出発しましたよ。 

SEA>ORDはユナイテッドで、ORD>WAW>HRK はポーランド航空で。
SEAの荷物検査に引っかかる。

がま口に詰めた日本の硬貨が、弾薬に見えたそうで。。。

SEA>ORDが1時間近く遅れて、WAW行きのLO便まで30分しかなくしかもターミナルが別ターミナル(1から5)への移動が必要で。。。
旅する人ならご存知の通りオヘア空港は世界で3本の指に入るでかい空港でしかもわけわからない
しかもターミナル5はバスで行くですと?

走りに走り、バスの中で足踏みして、出発2分前ゲートが閉まる直前(ヒコーキの扉は閉まりかけてた)にゲート到着。急かされて搭乗直後に背中でバフっと扉が閉まる。 「荷物はこの機に乗ってませんから、最終目的地についてから遅延の届けだしてくださいね」 と言われる。

多分、12年ぶりの大西洋横断便の机上の人となりました。 ありがたかったのは会社がとってくれたのがプレミアクラスで、座席が広く飯がうまいこと。 


エンジン、ロールス・ロイスなんですか?


前日徹夜だったため、ワイン一杯飲んで速攻で爆睡し気づいたときにはワルシャワ到着30分前だった。

ワルシャワ。ショパン空港。


初、東欧。
空港は思ったより小さい。



さて、機器の充電でも。。。と思ったが、なんとチャージングステーションが一つもない!

まるで成田の15年前のような。。。で、みんなのどかだ。

オヘアで生き馬の目を抜くようなステーション争奪戦を見てきた後なので余計にそう思うのかも。


ハリコフ行き。
ハリコフ、ハルキウ 、カルキウ、カリコフなど人によって全然呼び方が違う。

小さな飛行機に乗り換えて



たった2時間弱のフライトでもご飯が出ます。これがかなり美味しい。さすがヨーロッパ。




快適なフライトを終え、出発から17時間ののち




無事に、元ロシアの大地に足をおろしました。


この後遅れた荷物のせいでめっちゃ大変になるとも知らずに。。。

続きはまた。





 
  

2019年05月06日

怒涛の転職劇

ここにはあまり書かなかったが、2015年の5月から、それまでとはいろんな意味でまったく違った職種につき、まったく一からやってきた。働く場所はM社の社屋だったが、いわゆる契約社員という立場の世界。周りからは今までのキャリアを捨てるのかバカじゃないかと言われ、その時給では生きていけないと言われ(まじで毎月赤字)ていたが、とりあえず貯金を切り崩しながらも 4年間頑張ってきた。
今の世界の基本がわかりお陰様で英語もマシになり、度胸もついて、部署では実質#1の成績を挙げていると言われ、そろそろもう少しましな仕事を探そうと思っていた3月末日。

一通のメッセージが入った。
「バイリンガルで仕事できる人探してます」

さらっと読むと人材採用会社から、仕事内容は面白そうだけど契約社員的な仕事に思えたし業界もまったく違うし、多分自分じゃないけど短期なら興味ある友人がいるかも〜、と、返信してみる。
即座に返信があり、「いえこれはその会社による直接採用の仕事で、うちの会社はお手伝いしているだけなんです。ぜひお話だけでも」。

じゃあ、ということでお話を聞くことにする。

フロリダにあるその会社は小さいのでHR部門は外注しているらしい。
リモート(自宅から)の仕事80%、あとは四半期に一度日本への長期出張で、自社システムの日本の顧客のサポートをするという仕事。同僚もすべて日本語とのバイリンガルかつテクニカルレベルの高い人たちでここ半年の間に雇われアメリカやカナダからリモートで働いているとのこと。日本の顧客サポートの増強の必要があり、

ホームページの情報だとまともな会社らしい。話進めていいかと言われていいよというと、早速面接したいということ。
それから4月の10日まで、電話のみの面接が6件。
フロリダまで行かないのか?と聞くと行く必要ないと。
流石にそんな会わずに雇う会社聞いたことないので面接こなしながらもめちゃめちゃ不安がつのる。

初めの面接は営業のVP。「なかなかいいねえ次の面接社へ回すよ」。。まだ15分も話してないですよー?
直属上司は当時日本にいて、つながりの悪い電話で明らかにイラついてる声での面接。「君は打たれ強い方かね?」
プロジェクトマネジャの女性はカナダから働いてる私と同年代の洗練された女性に聞こえる。一言
「このプロジェクトかなりめちゃくちゃなのよ。グループで女性はあなただけだけど大丈夫?」
ラスボスのCEOはチーフプロダクトマネジャとCTOを兼ねている感じで社長だけど第一線で働いている。コンピュータの黎明期からその業界でのデジタル化をになってきたらしい。「長いことM社で生き残ってたんだねえ。じゃあ次の20年はうちでどう?」と言われて、もちろんと言いつつも、(社長。。。20年後まで働くんすか。。。)。
そして4月12日、採用内定の連絡がきた。

アメリカでは「内定もらってもオファーレターにサインするまで決まったともうな」と言われる。オファーレターこなーい。1週間後に「とりあえずメッセージで送っとくわ」と人材会社通じて届いたオファーレターテンプレートにはサインがない。「これにとりあえずサインして送り返して。メールでいいから。」いいのか???
バックグラウンドチェックに時間がかかってるらしくそこから連絡がまったくこない。リファレンス頼んでいる人にも連絡がこないらしい。不安極限までつのる。

オファーがあった2日後、当時の勤務先のグループミーティングがあった。
M社の方向転換にて、その職務の拠点をもっと人的資源を安くあげられるところに変えるということになり、5月中旬で今までの仕事はなくなるというアナウンスだった。みんなレイオフ。
なんというタイミング。ということは、この仕事が決まらなければ、またもや一から転職やり直しになるわけだ。

採用予定日の5日前になって初めて会社から連絡が入る。
「あの、流石に今日言われて明日というわけにいかないんで。。。」と入社を1週間弱ずらしてもらい、今までの会社に連絡種々段取りをつけ、5月3日を最終出社日、5月6日から新しい会社へ移ることになった。


5月6日朝6時、玄関先にUPSがコンピュータその他が入った荷物をどさっと投げていき、
朝8時から電話会議。
私のリモートお仕事生活が始まりました。。。


この大きな転換期を一緒に迎えてくれ今や支えてもくれている、まーとりおに感謝。
暖かい目で見守ってくれている友人諸氏にも感謝。



   
Posted by P at 14:58Comments(7)ひとりごと

2019年04月21日

LAへ


4月20日の週末、春休みどこにもいけなかったりおと一緒に一泊でLAへ。

3月末、スーザンの父のアーヴィング@96歳が、緩和ケアに入ってご飯を食べなくなったので、いつどうなるかわからないから一度会いに来てはどうかという連絡が入った。

アーヴィングはとても気さくなじいちゃんで私が留学していた時にもばあちゃんのモリーとともにとても気にかけてくれた。スーザンが私を留学生として選んだ理由の一つが、アーヴがアマチュア無線やってたからというのだったりする。
盛大な90歳の誕生日を迎えた後も、元気に猫と一緒に一人暮らししていたのが、今年に入ってから体調を崩し施設のお世話になることになり、その後胆石の術後があまりよくなく、寝たきりになってしまったらしい。

土曜日6時発の飛行機でLAS経由のLAX行き。今回は初めての格安スピリット航空。航空運賃は安いが、他のすべてのサービスに費用がかかるという航空会社である。

LASーラスベガスの空港では機材交代のために降機するとそこには大人のゲームセンターが。


うろつく間も無く再度機上の人となり、LAXまではたったの47分。はやーい。砂漠の東側から山を越えると洗濯機から溢れ出た泡がたまったような雲海。

 アラスカ航空の飛行機が小さく見える。どれぐらい離れてるんだろう。

10時過ぎ到着したLAは厚い雲に覆われ肌寒い。シアトルと変わらんやーん。
元同僚のEtsukoさんと久々の再会。ベニスビーチ、サンタモニカまでドライブの後、家の近くのMaple Blockでごはん。
その後家まで送ってもらい、スーザンと再会。スーザンは相変わらずの美魔女である。

午後遅く、アーヴを訪ねる。
意識もはっきりして、とても元気そうだけど、食欲は全くないそうだ。何も食べてない、飲んでないと。そのため体重も30キロ近く落ち、使わない手足は文字通り骨と皮のみになっている。ただ、もう、食べられないことへの焦燥や、命を失うことへの恐怖は全くないように見える。私たちが来たことをものすごく喜んでくれ、よく笑い、よく喋り(なかなか言ってることが聞き取れないんだけど、娘のスーザンにはわかるらしい)、楽しい再会の時間を過ごした。
「何も食べないで腎臓がよく持ってることねえ」とスーザンが言う。そう、アーヴの体はとても頑丈なのだ。心臓は数年前に入れたペースメーカーが入っていて、すべての機能が止まっても心臓は最後まで動き続けるらしい。

2月に緩和ケアに入って4ヶ月。医者の見立てでは当時余命6ヶ月と言うことでその道を選んだのだが、このままだと余命を過ぎても大丈夫なのかも、と、このままの状態が続いて欲しいような、でも莫大な費用がかかるので続いて欲しくないような、と、娘としては葛藤の日々だと言う。
また、自分の父が亡くなると言うことは、4人姉弟内での遺産の分配などの采配の必要が出てくるということで、「私が管財人でなんだけど、ぜーんぶ第3者に任せて当分よ〜!」といっていた。

複雑なその心持ち、分かるような気がする。
うちが違うのは、分けるものがないということだな、うん。

夜はマリナデルレイのほうにある、フィッシュタコスの店に。
ファストフードなのに、新鮮で美味しい。
お昼ご飯がいい加減遅かったのに、結局残さず全部食べちゃって。
隣のケーキ屋さんでブルーベリーパイを買ってこれもまた食べてしまって。。。食べてばっかりやん。



 
  
Posted by P at 07:26Comments(3)

2019年04月14日

怒涛の(りおの)春休み

昨年はカリフォルニアまで走った4月2週目。りおの春休み。
今年はステイケーション。。。だが、怒涛のスケジュールが。。

とにかくりお関係の病院&歯医者の予約をこの週に詰め込んだ。
その上、私の方でも先週までまったく予定になかったミーティングなどを入れなければいけなくなったため、朝は5時起き、病院行って仕事にいってまた戻ってというわけのわからないことに。


りお歯医者関係メモ。

火曜日、口腔外科に行き、親知らず抜歯の相談。
まーの歯は14歳の時にもうかなり大きくて、しかも斜め上に向かっていたのでこのままでほっとけずにその時に抜いたんだけど、りおは14歳ではまだ抜く必要なく、今回最新の画像でようやく出てくるかこないかであることを確認。
ちょうどいい時期だということなので、今回抜歯することに。春休み中の予定がまだ空いているということで、今週金曜日でお願いする。

水曜日矯正外科、最後の通院となった。
3歳の時から通い、上顎広げて噛み合わせを変える2回にわたる矯正期間を経て、こんなにきれいな歯並びになった。
これをキープするために、これからずっとリテーナーとよばれるものを寝る時に装着。


お世話になったDr.Soperと。それぞれ13年分、歳をとりました。





そして金曜、抜歯に行く。

麻酔のかけ方には部分麻酔、笑気ガス、全身麻酔とあるのだが、りお躊躇なく全身麻酔を選択。
しかし全身麻酔は点滴が必要ということで、点滴の針を刺されるのが耐えられないりおはさらに睡眠導入剤を希望。

睡眠導入剤をにこやかに飲み干しても



眠くならない。。(緊張により)

ちょっと眠くなってきたかなーというところで、オペ室へ移動。


窓から見える桜が満開。



ここで私は失礼して、ロビーで待つこと40分。

「終わりましたよー。全て順調です。」

と、待合室で出会った娘は麻酔が覚めておらずがたがた震えていた。

。。。順調なんですか?


普通はあっという間に目が覚めて、速攻歩いて帰れるのだが、りお1時間経っても目覚めず。。。

しかたなく、車椅子での退院とあいなりました。。。

<全く意識なし

ちなみにここから4時間半、麻酔から覚めることなく眠り続けておりました。
まいりました。

二日目の今日は、元気だけど、おたふくと化しております。
しかしまーの時とこれほど予後も違うとは。。。


なにはともあれ、抜歯が無事済んでよかった。これでおかーさんの子育ての必須要項もほとんど終わったような気がするよ。


かくしてさむいさむーいりおの春休みは終わった。

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Posted by P at 12:45Comments(3)ひとりごと

2019年03月29日

3月最後の金曜日の夕刻、ふと外をみるとぶっとい虹の端っこが立ち上がってる。雨が降った形跡もないのに、なんでやろ〜と思いながらみてると電話がなる。



LAのスーザンのお父さん@96歳が、胆石除去手術の予後があまり良くないらしい。
じゃあできれば4月中旬にLA行くから、と電話を切って外に出ると、わたあめのような夕日に照らされた雲がぽっかりと浮いている。空気は澄みきって、春の花の香り、新緑の香りがぶわーっと押し寄せてくる。あまりに美しく、そしてなぜか物寂しい夕暮れ。空のしんやさんに元気かーと声をかけ、家路につく。




翌日、前の部署の上司の上司がなくなったことを知る。

彼はまだ56歳、やりたいことがあってM社から退職した3日後に末期ガンが見つかり、治療しながらやりたいことに必要なトレーニングを受け、認定証をとった。
彼の部屋のドアはいつも誰に対してでも開いていた。問題があったときに駆け込むと、拙い英語でのわたしの説明を一生懸命聞いてくれ、必要な行動に移してくれた。
3年前、しんやさんがなくなったときも、こころからのお悔やみと、しんやさんの素晴らしさについて綴ったメッセージをくれ、驚いたものだった。

素晴らしすぎる夕焼けの空、虹をわたってアイルランドからシアトルに来てたのかもねえ。
RIPジェームス。空の上でしんやさんと一献傾けててください。 またお会いしましょう。

 
  
Posted by P at 20:00Comments(2)

2019年03月27日

まー日本から帰米

病気だのなんだかんだあった2週間はあっという間に過ぎ、まーが戻ってきた。持ち込みの手荷物は2つだっつーに3つ持ち込もうとしたらしく、一つは強制チェックインとされ、200ドルも取られたと。ああーなんというもったいないことを。荷物まとめ(て二つにみせ)るために持たせてあった軽くてでかい袋も日本においてきたようで、まあ、今回は痛い出費だったな息子よ。

持ち物の半分は、米とお菓子とつまみ類だった。友人ファミセうからの調味料などの宝の山と、まー父からの獺祭島耕作バージョン&湯沢ご近所からの八海山も。

後の半分は、うちの母が弟夫妻のところへ引っ越すので、ダウンサイジングで持っていけないものを私が引き取る形でもってきてもらった。玉石混合の大きなトランクにはいっていた、写真だの母の書いた絵だのををみて思わず懐かしく。
自分の小さい頃のスナップ写真とか、重箱とか、柳行李とか(流石に持って来られなかったが)、興味あるのって兄弟のうちで私だけらしい。 まあなー、誰か子孫が有名になってファミリーヒストリーにでも出ることにならなければたしかにだれもいるもんじゃないかもだけど〜、やっぱり、形あるものはそのまま捨てる気にならないなあー。今度行くまでとっといてくれないかな。

母が住んでいた安宅のアパートはとても日当たりが良くて気持ちのいい場所だった。おせわになりました。
できれば母の希望通り、便利な場所にあるワンルームの部屋を一つかりて、自分の好きなように住んでほしかった、というのが私といもーとの意見。まだ歩けるし料理もできるし掃除もできるんだから、ひとんちで部屋住みするには若すぎる。
でも、母本人が言い出さないのであれば、部外者の私やいもーとからいえることはない。母が一気に老けこまなければいいけど。
素敵な義妹のさっちゃんも、仕事も子育ても忙しい上に母に気を使わなければいけないし、彼女の人生も本当にこれでよいのだろうか。

 
ということで母の書いた藤の絵の色紙を逆さに飾ったのはりおである。
藤の花はねー、下がるんだよー。




   

2019年03月18日

3月も半ばを過ぎ

いやー今年は寒い冬だった。

自宅のサーモスタットの 2月の昨年同月の平均気温を見ていると、華氏6度違うらしい。
しかも2月の中旬には雪が降り終日誰彼かが家にいたりしたことで、暖房の利用時間がうなぎのぼり。

Screen Shot 2019-03-17 at 08.59.31

1月はまだまし、10℃超えの日もあったけど、
Screen Shot 2019-03-17 at 09.13.19

2月2週目に入るなりがんっと落ちる。
Screen Shot 2019-03-17 at 09.13.44


そして雪。



我が家で2日で40センチぐらい、東の方の友人宅では60センチに達したらしい。

3月半ば過ぎ、ようやく春の兆しが見えたと思ったらあっちこっちで花便り。来週は22℃まで上がるんですって。

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雪降る時に正月の黒豆と栗の残りで作ったおこわ。うまー。







 

   
Posted by P at 01:26Comments(2)シアトル生活

2019年03月13日

母娘でインフル

3月2週目の木曜、空手後のりおが寒気を訴え飯も食わずに寝た。
翌日、いきなり39℃の熱。

聞くと、まわりの友人数人が、その数日前から 発熱で休んでいるとか。
ああーこれはインフルエンザだわー。でもだれも確定診断受けていないと。

本人病院へ行くのを拒否のため、とりあえずおいて仕事へ。
夕方には熱下がったと、何やら起きてきてやっていた。

土曜日、朝4時半から友人こあもぐさんに頼まれていたボランティアのおかしづくり。前日ほとんど寝てないのでつらい。よせばいいのにこっちゃって、時間かかりまくり。




ひと段落ついたのでりおの様子を見に行くと、熱ぶり返しているらしい。38℃後半をいったりきたり。またもや登院を拒否るのでおいておいて、まーの一時帰国のための買い出しに出かける。
夕方りおのボイスメールが情けない声で入ってる。「おかあひゃん、40℃までいったけどどうする〜?」とりあえず買い出しも終わったので一旦戻り、再度病院へ行きたいかどうかを聞くとようやく同意。

お菓子は車の中に入れて取りに来てもらう手配をして、近くのアージェントケアのクリニックへ。
待っているうちに私の方がなんか調子が悪くなってくる。。。いや前日寝てないしなあ。。。

りおはインフルAの確定診断をいただき、タミフルを処方してもらって、帰途についた。

帰宅後自分の熱を測ると、いきなり39℃。なんつー感染力の強さだ。
日曜日はまーの出発のための準備をふらふらになりながらやって、空港までなんとか運転していき、無事に戻ってきてりおのタミフルを分けてもらい、そのままボツ。
月曜朝もまだ39℃の熱が続き、仕事を休み、なんとか動けるようになったところで病院へ。「子供がインフルエンザA確定もらいました。娘のタミフル分けてもらって飲んでます」というと私のは調べる必要ないからと、そのままタミフル処方。

翌日すっかり熱は下がったので、昼から仕事に行く。
水曜日には起きた途端に、「あ、なおった」という不思議な感覚があり、通常運行となる。


職場で、私が復帰してから2人ぐらい休んでる人がいるらしいけど(私は話をしていないひと)、私のインフルじゃありませんように。。。


追伸:タミフルのせいか、それとも別の理由なのか、副鼻腔炎が軽快している。味と匂いのわかる生活、幸せ〜。
追追伸:体重4キロ減、しかも先週の土曜からほとんど炭水化物を摂取せず、なんか体が軽い。ここで筋肉つけるとも少し脂肪がもえるかな。

   
Posted by P at 10:11Comments(7)シアトル生活

2019年02月25日

スキースクールのボランティア2019

今年の六花スキースクールのボランティアはまーといっしょに。
りおは今年はやらないと決めたらしい。一旦決めたら動かないので諦める。これが唯一三人一緒にできるボランティアだから、一緒にいきたかったんだけどねえ母さんは。

 で、日曜日6回のスクールは、なんとすべて、晴れ!
雪も申し分なく、気温もほどほどに高く、昨年のすべて雨だったスクールと比べると天国であった。




下界が雨が降ってても、終日霧でも、スノコルミーパスは快晴。こんなシーズンもあるんだねえ。

今年はこのスキー場のリフト券がだだ上がりして、なんと1日券が90ドル。ウィスラーでもクリスタルでもないのに九十ドル!町からも近くリピーターもおおいだろうからとシーズン券にシフトしたいスキー場側の気持ちもわかるけど、ちょっときてちょっと滑りたい人に、この仕打ちはないだろうと。私が個人なら絶対いいかない。

そのせいもあってか、最高のスキー日和なのに人は少なく、本当に来年やっていけるのだろうかと少々心配である。


  
Posted by P at 02:45Comments(4)シアトル生活

2019年02月24日

Miyabiでごはん

雪のまだ残る2月最終日曜日、まーの希望によりサウスセンターモールのMiyabiへご飯を食べに行く。ここのオーナーが六花のスキーのインストラクターもしているので、今日行くかも、という話をしたのだと。

りお友人のRちゃんも連れて遅めの夕食。寿司付き鮭塩焼き天ぷら弁当。





 デザートのアイスクリームの天ぷらは店のご厚意により。




お代はまーと二人で半分ずつで、ひとりあたま40ドル。やっぱり高いね、外食。
薄味で、ふつうに美味しかった。 

今年はどこにもいってないからなあ。プチ贅沢で、よし、ということで。



   
Posted by P at 02:34Comments(0)シアトル生活

2019年02月08日

大雪前のスーパーで

ネットでうっとうしいほど「明日から雪です!!!」情報が流れていた木曜日、りおをむかえにいつものQFCに行くと。。。

パンの棚が。。。




卵の棚が。。。




肉の棚も。。。


うちの島ですらこんな状態だったので、普通の大きな市のスーパーシャレにならない混雑だったと聞いた。流通業界の友人によると、この日の売り上げは平日の600倍のだったとか。

いやー、これで大山鳴動して鼠一匹だったらどうするんだろうねえ〜、と笑いながら家に帰り、翌日午後いきなり降り始めたゆきはみるみるつもって30センチの積雪に。
スキーには使わなかったチェーン平地で大活躍の2月であった。










   
Posted by P at 09:31Comments(0)シアトル生活

2019年01月12日

おっきくなった。。。

菊が来て、1年2ヶ月。



若造となりました。

じゅんはじいちゃん道まっしぐらなんだけどね。
   
Posted by P at 02:50Comments(2)Kitten な日々

2019年01月06日

はぴば自分!

自分の歳数え間違えていて、一つ多めに数えていたのに気づき、ちょっと嬉しくなった誕生日。




りおからは茶さじを、まーからはフォームローラーをもらった。


 
さて、また一年がんばるぞ、っと。


   
Posted by P at 02:54Comments(0)ひとりごと

2019年01月01日

2019おせちの会

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
今年も友人各位のおかげで暖かい新年を迎えることができました。
初めて伊達巻作りました。










   
Posted by P at 14:20Comments(0)本日のお料理

2018年12月16日

久々のまー語録

お久しぶりです。
家族で会話。
りおが高校の英語の授業で選択して読まなきゃいけない本があるらしい。

Great Expectations, Charles Dickens The Color Purple, Alice Walker The Chosen, Chaim Potok The Joy Luck Club, Amy Tan Their Eyes Were Watching God, Zora Neale Hurston Purple Hibiscus, Chimamanda Ngozi Adichie A Separate Peace, John Knowles Things Fall Apart, Chinua Achebe

うわー。ディケンズとアリスウォーカーしか分からない。。。

でも他のも探してみると結構面白そう。
個人的には A Separate Peace と The Chosenが面白そう。。。


しかし悲劇ものとか貧困問題とか差別問題とか殺し合いとか多いよねーと、そんなこんなの話をしていたら、まー曰く、

「でも、ブラックベリーフィンの話とかあるじゃん。あれはそんなに貧しくないよね。」

は???????????

「あれー?ブラックベリー、違ったっけ?あ。ハックルベリーだ!ハックルベリーフィンwww」

母:。。。orz

そこで質問。「じゃあ、ハックルベリーフィンの親友は誰?」

「あーあれは、トムクルーズ。。。」

りお&母:。。。。。orz



   
Posted by P at 19:32Comments(0)シアトル生活

2018年10月15日

いつのまにか10月も半ば

あっというまに日が暮れる。
木々が一斉に紅葉し、赤と黄色の絨毯がまぶしい。
空手帰りのりおと一緒に近所の公園で撮影会。





先々週は雨がちだったが、今週はずっと晴れ。気温は15度あたりだけどお日様が出るとうれしい。

さて、あと2ヶ月したら、また日が長くなるので、それを楽しみにしながら冬に突入していくのだった。

 


 
  
Posted by P at 03:26Comments(4)シアトル生活

2018年10月14日

ラーメン暖暮(だんぼ)

FB友人がお気に入りで、彼の投稿にいくつも出てくるラーメン屋さんに行って見た。



豚骨系の博多ラーメン風。
日本や他の諸外国にも展開しているらしい。
日曜の夜、りおまー誘って行ってみることに。

キャピタルヒルにあるこのお店。午後7時、満員。名前記入して、待つ。
お客にあまりアジア系はいず、大半が白人さんばかり。
麺やつゆの種類などがいちいち選べるせいもあるのだとおもうが、回転わるし。

ラーメンは基本が約10ドルから。現金支払いなし。



遠慮のないこどもふたりはチャーシューメン、私はネギゴマで行ってみる。替え玉付きで。



味ははっきりしていて、おいしいとおもう。麺の茹で方もOK。でも、とびきり美味しいかと言われるとどうだろう。
食べてる時はあまり気にならないけどあとで実感するのだが、とてもしょっぱい。3人で税さ込み57ドル。財布には優しくないです。

子どもらに聞いて見たら、10点中6.5ぐらいという評価である。
豚骨も好きだけど彼らの好みは醤油と味噌だからかな。(そして私は塩が好き)
kanabonラーメンが食べたくなった。食べたことないけどきっと美味しいに違いない。





   
Posted by P at 03:04Comments(8)シアトル生活

2018年10月07日

初ホームカミングパーティ参加


アメリカの高校では、秋にホームカミングウィークというのがある。その週は学内のいろんな行事があり、金曜日にはホームカミングゲームという特別なフットボールのゲームとそれに引き続くパーティがある。

まーもりおもぜーんぜんアメフト興味ないし、ダンパも興味ないし、母としてこれまでつまらない秋だったんだけど。。。

今年はりおが女友達に誘われ、パーティに行くって!!

ということで、9月の中旬の日曜日、ドレスを買いに行くことに。
あーでも無い、こーでも無いと言いながら選んだのは、肩の出るタイプのボディコンミニドレス。
毎日のバイトへの往復で鍛えた足がきれいに見えるどれすでなかなかよろしい。
でも、色は黒。。。もう少し違う色のものをワードローブに持つ気はないのか娘よ?

ドレスは買ったが、それ以外は何もせず。
当日午後、「おかーさーんストッキングは?」え?「何か金色のネックレスっぽいの無い?」は?「上何来ていけばいい?このコート(ピーコート)でいいかな」いや。。。
あんたいままで2週間なんもせんとなぜいまいう〜!?

ストッキングをためし、私のアンゴラのロングコートを出し、バレエの発表会以来何年振りかできるワンピースを身につけ、チャックを閉めろだのハイヒールで足が痛いだのさむいだのいうのをききながら。

楽しい〜。

口紅が赤いのしか無いとか何とかぶーぶーたれてたけど、友人宅で集まって、それから繰り出すと行ってたので、きっと化粧のほうは友人がほっとかないだろう。

私はさんちゃとがららと会うため出かけちゃったのでお出かけ時にはあえなかったのだが、現地からたのしそうな写真がいくつも送られて来た。

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青春だなー。

パーティ自体には1時間ほどの滞在で、あとは友人のばあちゃん宅に引き上げ、15人ぐらいで映画ざんまいの夜を過ごしたらしかった。


りお友人よ連れ出してくれてどうもありがとう!
さて、来年も行くのか?




   
Posted by P at 02:48Comments(0)シアトル生活

2018年10月06日

友人夫妻シアトル来訪

6月初め、友人さんちゃからメッセ。
「ちょっと先だけど奥さんと一緒にアメリカにいこうかと。。。ご都合はいかが?」
おおー。さんちゃと最後にあったのは 2012年の秋、彼が出張で来た時だぁ。奥さんのがららとは、お互いに子どもができてからあった記憶がない。(子どもたちは日本でいた時にあってたらしい)
シアトルにいるよー、とお伝えする。「じゃあシアトルで週末引っ掛けて組んでみますね」とのこと。

そうして8月、シアトルは10月5日と6日に決まったという連絡が入る。
9月中旬、 連絡してみると、両日午前中は市内観光やボーイング、航空博物館などの予定を入れたということ。
雨降らないようにと祈りながら、土曜はWoodinvilleのワイナリーとスノコルミーの滝なぞまわり、日曜は午後おそくまで予定が入ってるということだったので晩御飯でも、ということになった。


10月5日土曜日午後2時過ぎ、市内のホテルにお迎えに。ガララもちーともかわってないー。
そのまま、Woodinvilleのシャトーサンミシェルへ。


なんか、しばらく来ないうちに大変モダンになってらして。。。土曜日なのですごい人。


とりあえず試飲。。。二人とも強いのです。
しかし5種類で15ドル。。。高くなったなあ。



中庭のリスを追いかけたり



ぶどう(多分リースリング?)をつまんでみたりして



次に隣のJanuykに付き合っていただく。またまた定期購入のワインが10本ほど溜まっていて。。。1年以上来なかったことに気づく。1年って本当に早い。



陽があったので中庭で試飲。
さんちゃがお土産に持って来てくれた栗きんとんをつまみに。
すごく上品な栗きんとんで、ワインとも思いがけないマッチング。


お取り寄せしたい。
そしてスノコルミーの滝を見に、I-90を東へ。季節柄、そんなに水量は多くない。



案内板にも、水量の変化の写真が載っており



夏の終わりの今頃はいちばん上。
2014年の4月に来た時にはこんな感じだったからなあ。今年は雨も少ないし。

ガララと話ししながら歩いていたら、「もしかしてツインピークスって近いのかしら」と。
ええー、そっちに興味ありですか!?じゃあ、行かなきゃ〜〜!
と、さらに東へ15分、Mt.Siのお膝元、NorthBendの街へ。
ツインピークスで有名になった、ダブルRダイナーことTweedie Cafeは外せないでしょう。

ここは何の変哲も無い、昔からのアメリカンダイナー。ゆーこさんとかなり昔に来た記憶があるけどそれ以来通り過ぎるだけだったわ。
夕食前にも関わらず、チェリーパイを注文。ガララ完食!



帰りにベルスクに立ち寄り、ちょっと買い物のつもりでいたらいつの間にか9時半過ぎており、いきなり夕食難民に。
頼みのインターナショナルディストリクトで麺&粥活することになってしまった。
何年振りかに来たこの店は、値段以外は全く変わらず。

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せっかくのアメリカなのにこれでいいのかと思いつつ、1日目終了。

二日目は午後4時過ぎ、ボーイング&航空博物館の見学を終えたと連絡が入る。
「ご飯はさておいて、牡蠣を食べたい、マーケットでその場で食べられるようなのでもいいから〜」とのことで、前にkanabonさんに教えてもらった Seattle Fish Guysに行ってみることに。



ここは魚屋さんで、イートインコーナーがあり、その場で食べられるのだ。

牡蠣とうに。






ついでにアヒ、サーモン、タコのポキ。ご飯とスープはついてくる。



エチゴビールで。というか、かなりの日本のビールが揃ってるんだけど。
他にも大漁旗やのぼりなど、日本のものがここそこに。。。日本人経営か?ハワイアンか?



わたしはあまり牡蠣のことはわからないのだが、サーモンとタコのポキ、おいしかった。リピートあり。
まーが翌日、レストランの同僚にここに行った話をしたら、ここはこのあたりでは一番のお勧めだと言ってたとのこと。

自宅待機のりおをピックアップして、夕食は。。。ディンタイフィン。またまた中華でいいのでしょうか!?
40分ほど並んで、その間に注文表を埋め、席に着いたら


次々に積み上げられるせいろと、運ばれてくる料理。
こんなにたくさん食べられるのか!?
という懸念はすぐになくなり、お腹いっぱいになったところでデザートのかき氷。。。やまもり。



おいしかった。でも大きいの頼まなくてよかった。さんちゃ、ご馳走になってしまって申し訳ない!



もう夜もふけ小雨が降っていたのだが、軽くアルカイにたちより、夜景をおさめて、ホテルまでお送りした。

二日間、楽しかったよー。来てくれてどうもありがとう。
ガララ、遠慮なく一人でもおいでよー。うちでよければ遠慮なく泊まって行ってー。
近いうちにまたあいましょう〜!










 
  
Posted by P at 01:03Comments(2)シアトル生活