2006年01月17日

仇討ち No5

水戸の伝承では、犯人は 上州佐野藩 郷士 某であるという。

佐野藩は、水戸の支藩である。
佐野藩は小藩であるし、郷士というものは少ないはずである。

してみれば、佐野藩の郷士という以上、何村の何兵衛であるということは
すぐにわかるはずである。

徳川の時代に、御三家筆頭の水戸藩の力を以ってすれば
そういう吟味は忽ち出来るはずである。

しかるに貞義は逃げたのであるが、真に誰が犯人であったかは
今日でも水戸ではわからないのである。

水戸藩では、あらゆる操作をして邸内に入った者を吟味したであろう。

庭師の親方も調べられたであろう。

そして、配下の人夫の一人が行方不明になったことが
すぐにわかったであろう。

この人夫は、水戸邸に出入りするにあたって、その身分を
親方に告げなければならない。

その際に、水戸の近くの佐野藩の郷士だと偽ったのであろう。

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2006年01月16日

仇討ち No4

また、犯人を捕らえたという説もある。

しかし、捕らえたのであれば処刑したであろうが
その記録も残っていない。

また、この仇討ちをした者の名前、生まれた国、出身の藩の名前も
まったくない。

当時、貞義と則経の家にはすでに両親はなく、貧乏のどん底にあった。
足軽では、水戸への旅費にも事欠いたであろうに
当時、舶来で高価な短筒が買えるわけがない。

当時の短筒は、一発必殺の武器でもなかった。

足軽風情で殿の仇を討とおうと、他の藩の殿様を命を貰う
悲願をかけた程の青年、貞義であれば、自らの剣に運命を託すのが
自然の成り行きだと思う。


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2006年01月15日

仇討ち No3

やがて時刻が移り
一同、歓を盃して散会し、御殿医も居間に引き取った。
斉昭は寝所に入る前、縁側に出て便所に入った。

やがて、済ませて手水鉢に手を出そうとしたところを

貞義は、突如陰から飛び出して斉昭の脇腹を刺した、
斉昭は、御殿医の名を呼び、宿直(とのい)の士も縁側に飛び出して来た。

斉昭は、左の手で縁の柱をつかみ右手で脇腹を押さえており
そのまま声もなく縁側に崩れ落ちた。
斉昭は61歳。皆が慌てて寝所に抱き戻したが
「遂にお開き遊されず」と、家中の士の手記に残されており
その手記は、いまも国会図書館にある。

図書館の諸本によれば、公式の藩の記録には
「酒宴が終わり、急に病 重なり遂にお開き遊されず」となっている。

又、他の藩士の手記には
「殿様の死因につき、家中、城下 諸説あれど」となっている

 今日、水戸での伝承では
犯人は、短筒(ピストル)を撃った後、逃げて庭の逝けに落ち
水中で自決したとある。

 続く






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2006年01月14日

仇討ち No2

そこで、剣の一番たつ、長兄 貞義は当時二十歳前後になっていたので
脱藩して、単身密かに水戸へ出奔した。

彼は、水戸邸内出入りの庭師の手伝い人として
その邸内に入り、斉昭の屋敷内外の形状を探った。

又、旧暦8月15日(新暦9月29日)は、例年 中秋の名月の宴が
奥殿で開かれるのを知った。

すなわち、酒宴の前後は烈公斉昭も宿直(とのい)の士も
酔うて警戒が手薄になるであろうと察し

その時期をねらうべく、奥殿の床下に隠れること、4日3晩だった。

後に記す、水戸の記録によれば
15代将軍慶喜の父である斉昭は、その頃肺を病んでいた。

その日の夕刻、御殿医が診察したところ
身体の具合、良好ということで心おきなく酒宴に臨んだ。




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2006年01月13日

大老の仇を討った男 No1

このお話は、伝え聞いたものです。

T.Sさんの奥様の父は、第一回帝国議会から死ぬまでS県の代議士でした。
日本最初の政党内閣であった、板隈内閣の司法大臣を勤めておられました。

彦根市に住んでいた足軽 ○○貞徹の家に次男として生まれたそうです。

彼には兄と弟がいました。
貞義と則経です。

足軽は身分は低いものではあったが、貞徹は我が子を
彦根藩中どこの士の子にも劣らぬように厳しく鍛え、殊に毎日
幼い頃から川や山に連れて行き、そこで剣道をたたき込んだ。

足軽は、士分の者の通う道場へは行けなかった為であろうか。

そんな訳で兄の貞義は、同僚の中で抜群の腕前を持つようになった。

幕末、萬延元年3月3日 1861年
江戸城の桜田門外で、彦根の殿様 井伊大老が水戸の浪士に殺害された時
貞義兄弟の両親はすでに亡くなっていた。

兄弟は、殿様が殺されたことを悔しく思い
水戸の殿様を殺して自分たちの殿様の仇を討ということになった。

   続く



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2005年12月23日

春浅き頃に

S駅に捨てられていた犬のお話です。

3月18日、用事で金沢へ行ってきました。
当日、駅で切符を買っていると、入り口に
犬が座っています。
どうしたの?と声をかけると、しっぽをちぎれんばかりに
振ってきました。
豆芝くらいのおとなしい子です。

そのときは、電車に乗る時間になっていました。
私は、後ろ髪をひかれる思いで、出発しました。
20日の夜帰って来ると、以前猫の避妊のことで
お世話したことのある、Kさんから電話がありました。
犬を保護していますとのことです。

なんと、あの子でした。とてもおとなしい女の子です
1度見かけて、今度は2時間ほど捜しても見つける
ことができず、あきらめて帰ってくると、なんと、
Kさんの家の前にいたそうです。
嘘のようなホントのお話です。

日曜日にKさんと一緒にO市までいきました。
里親捜しです。
雑種ですが、小さいし、とてもおとなしい子でしたので
すぐ見つかりました。 6ヶ月くらいでした。

首輪には、この犬をお願いします....と書いてあった
そうです。

3月の転勤時期..毎年のことですが、飼っていた
動物を捨てていく人がいます。

悔しいけれど、悲しい事実です。




yukarin0513 at 17:50|PermalinkComments(5)TrackBack(0)

2005年12月22日

くうちゃん

空(くう)ちゃんのお話


動物実験が済んで
内臓を摘出されたけれども
生きていける程度のものだったそうです。
そう書かれていた犬のお話

その大学の学生であった人が
実験が済んだ犬と
瞳と瞳との会話で
家へ連れて帰ることになったのでした。

車から降りて
家へ着くと
犬は、空を見上げて
くい〜んと鳴きました...

僕は生きていたんだ
まるでそういうように...

学生のお母さんは
思わず、涙がこぼれて
犬を抱きしめました。

今日から
うちの子だよ

空(くう) ちゃんと呼ぼうね〜
可愛いね〜

やがて年月は流れ
空ちゃんは、天寿を全うし天へ召されていきました。


儚さの命紡いで星となり
  愛しき日々の思ひ出尽きぬ




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2005年12月21日

別れ


「あのう、この子猫もらえますか?」

「失礼ですが、ご家族で飼ってもらえますか?
完全室内飼いが希望なんですが」

「僕ひとりで暮らしていますが、無理でしょうか
実は、オス猫を一匹飼っています。去勢しています。」

「5ヶ月になる寸前に避妊手術をしてもらうことが希望です。
失礼ですが、夏の暑い日はどうされてます?」

「あまりに暑い日はエアコンつけて行きます
大事に育てます。今いる子の友達がほしくて」

「わかりました。では、こちらにお名前と住所、電話番号を教えてくださいね」

もう一度避妊手術をしてもらうことを確認して

キジトラの可愛い子猫を手渡した

先日、私の車の下に押しこまれていた子だった。
ノミとダニでいっぱいの子
目やにで見えないほどの瞳

それが綺麗になって、可愛いと貰われて行く。

我が家に連れてくれば
なんとかしてもらえる
そんな気持ちが見えるような
置き去り

哀しみと怒りがこみあげてくる

子猫達が捕まえられて
殺処分されることの悲惨なことを知らない

避妊手術のほうが
可哀想と思っている

罪もない子猫を抹消することのほうが
ずっと罪深い

「可愛がってくださいね。 ミケちゃん  バイバイ 可愛い名前つけてもらってね」

いつものことなのに
もう会うことのない別れが寂しい...



yukarin0513 at 17:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2005年12月19日

寒空に

もうずいぶん前に聞いたことです。

いつも里親探しをしているFさんから
電話がありました。

山中にね
たくさんの子たちが捨てられていると
電話を貰って、行ってみると
すべて、ブランド犬で、しかも高齢の子だと
一目でわかったの。

すべての子たちが、餓死していてね
たった一匹だけ、ヨ−キ−だけ
助けることが出来たの。
すべて、女の子でね。。
きっと、生ませるだけ生ませて。。
いらなくなったのね

帰りに怒りの涙と、哀しみとで
車が運転できなくてね。。

助けることが出来た子だけ

何があっても
きっと、幸せにしてあげるって。。

抱きしめたのよ。。

寒空の下で逝ってしまった子達は

みんな綺麗な星になったのね。。。

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2005年12月12日

ガル君、その後

fead5dba.gif10月31日にここで書いた、クロちゃんの里親さんから
昨日、お電話をもらいました。

ガル君という名前を付けてもらって
室内犬として、とても可愛がって頂いています。

保護した当時、こちらの先生から、推定6歳といわれていましたが
埼玉の獣医さんから、7歳くらいでしょうか
そう言われたそうです。

羽田で別れてから、もう7年が過ぎました。
大型犬は、寿命が小型犬よりは短いのです

心の中では、、、もうあの子はと思っていました。

里親さんのお話では
脾臓が腫れていて、手術をしました。
摘出しましたら、ピンポン玉くらいに腫れていました。

とても元気な瞳をしています。
まだまだ長生きしてくれそうです。

そう話してくれる声を聞きながら泣いていた私でした。。。

こんなに良い子はしりません
皆さん、そう言って下さるそうです。

入院したりすると、ストレスから
体にフケがたくさん出ます
明日、早めに連れて帰ろうと思っています。

そう言って下さる里親さんの声が
慈しみ、育ててくれていることを実感しました。

このことを綴りながら

心、熱く。。 涙が瞳にいっぱいです。。

フィラリア感染と、脱臼
肺に水がたまり、もう助からないと思ったあの子が
こんなにも愛されて、精一杯生きている

命の大切さ

かみ締めています。。。

yukarin0513 at 20:08|PermalinkComments(6)TrackBack(0)