2005年01月05日

'96年の1月に10日ほど旅したときに携帯したガイドブックを開いてみると、南西海岸の別名が『黄金海岸(ゴールデン・ビーチ)』と書いてある。灼熱の太陽光を反射する砂浜の色から名付けられたとか。

インド洋に浮かぶ涙型の国スリランカは北海道を一回り小さくしたくらいの島だ。
首都コロンボでは、南西海岸に建つ、この国で最も歴史のある『ゴールフェースホテル』に泊まった。ランチを食べに入って気に入り、飛び込みで2泊か3泊したのだ。
英国植民地時代にコロニアル様式で建てられた、波打ち際に建つシックな洋館。泊まり客となって探検すると、手動式の鉄の蛇腹扉のエレベーターや、舞踏会が開かれる天井の高い広間など、ヨーロッパのモノクロ映画に見たような情景があった。
部屋の扉は重く、鈍く光ったドアノブを回して部屋に入ると、目の前にインド洋。時間が積み上げられて生まれる落ち着きと温かさに本当にくつろいだ。
海岸に続くレストランはオープンで、背もたれに体を預けてサンセットを眺めていた。ライオンのラベルが付いたビールは、瓶にたくさん水滴がついて冷たく冷えておいしかった。

あのホテルはどうなったろう? とても素敵な場所だった。

コロンボから南西海岸を列車で下った。
仕事帰りの人々でギュウギュウ詰めに混んだ車内の照明は裸電球。むき出しの線は垂れ下がり、電車の揺れに合わせて電球は大きく左右に振れている。その明かりが停電して時折消える。それはいつものことらしく、顔見知り同士が乗り合わせるのか、気にも留めずにみんなにぎやかにしゃべっている。ボックス席では賭トランプを楽しむグループもいて活気がある。疲れ顔で家路を行く仕事帰りの日本の電車車内とはずいぶん違う。
コロンボから数十キロも離れると車内は閑散として、ガールの手前にあるビーチリゾートの町、ヒッカドゥワの駅に着いたのは夜9時ごろだったと思う。目星をつけていた宿まで歩く間、街灯のない夜道にふーっふーっと蛍が光って飛んでいた。

350年以上も前に築かれた砦があることで知られるガールは、その砦が津波から市民を守ったと報道されていたけれど、報道初期のころからひどい被害状況が連日新聞に掲載されていた。
あの旅ではヒッカドゥワからオフロードバイクをレンタルして、海岸沿いの道を30km、ガールまで行ったっけ。砦近くの海岸で休んでいると、近所の子供たちが集まってきて大勢で写真を撮った。その中の比較的身なりのいい子に宛てて日本から写真を送ったらお礼の手紙が届いた。

あの子らはどうなったろう?

ガールの先のウナワトゥナでも遊んだ。白い砂浜、青く透明な海にヤシの木がせり出した、まるで絵に描いたような南の国の極楽ビーチ。ただ寝ころんでまどろんで、目を開ければ、3頭の牛が波打ち際を歩いていく。その手前では、寄せては返す波が洗う砂に足をうずめた犬がじっと立っている。なんだか哲人のようなたたずまい。

時間はゆらゆら過ぎていった。

夕暮れ時のヒッカドゥワの海岸では、子供らが暗くなるまでクリケットをやっていた。それをただ眺めているのもやすらぎの時間だった。サーモンピンクに染まる空、砂を飛ばして走って走って転ぶ子供、笑い声……。

バイクで通り過ぎる暑い沿道で、露天の台に並べて売られている魚、小川を引き込んだ共同の洗濯場の横で水浴びする子供、大人。暗くなると、椰子の実のカラを燃やして灯り代わりにしている人々。昔ながらの暮らしが見えた。

南西海岸の暮らしがもと通りになる日はいつだろう。
決して豊かではない人々の大きな痛手を思うと、どうしても気持ちが沈んでしまう。
このひどい災害をきっかけに、楽しかった旅のことをこうして思い出して書いてみると、気持ちよく旅させてくれたスリランカに何か行動しなくては! と改めて思うのだ。


タビノカミサマyuki8055 at 16:21│コメント(0)タビノカミサマ旅 │

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