照明、田中信隆において

2008年11月24日

私が主宰の旦那さんと飲んでいたときである。
主宰の旦那からこんなことを聞いた。

「あまからの照明のノブくんが家の安奈をねらっているようだ」

事の発端は、主宰の旦那さんと照明がサシで飲んでいるとき、照明がボソッと

「今度、安奈さんと二人で映画でもいこかなー」っとつぶやいたそうなのである。

一瞬、旦那の方は何を言っているのかが分からなかったそうなのだ。
そして、冷静になって結論付けたようなのだ。

あまからの照明は、あまからの主宰をねらっていると。
つまり照明のつぶやきは宣戦布告だった訳だ。

そういえば、昔からだ。
照明は人の物を昔からほしがっていた。

しばらくすると、仕事場から主宰が帰ってきてうふふと笑っていた。

その笑顔が照明の物になる日は来るのか?
見物である。

(19:21)

2008年04月01日

第32回あまから会議・議事録『たなカットの定義についての諸問題』の話はこの日記の中で一度述べたことがある。(見ていない人間はコチラへ)

しかしながらあまからは大事なことをみおとしていたのである。それはそもそものぶたかとはなんぞやと言う話である。この議論は第47回あまから会議・議事録『のぶたかの定義についての諸問題』にて議論された。

松下安奈・二之腕丸説(外観説)
信隆を信隆と認識するのにはその見た目、外観が備わっていれば事足りると言う説。この説によると信隆を知っている大多数の人間がこれは信隆だと言い切ればそれはすでに信隆であるとされる。しかしながら、この説をとるとたなカットをやめてしまった信隆を信隆として認識しがたく、たなカットでない信隆を信隆として認識しているあまからの現状には当てはまらないという欠点がある。

武田愛理説(コギト・エルゴ・スム)
つまり、デカルトが語った我思う故に我ありであると言う説。この説によると信隆がいかなる様相となろうと信隆の精神が自分が信隆だと疑わなければ真となる。ところが、例えば信隆でない第三者が阿呆で自分を信隆だと信じて疑わないときはその人間は信隆になりうるのか?と言う反論がある。やはり哲学の考え方ではこの議論に合わないのではないかと言われた。

結局、この第47回あまから会議内では結論に至らなかったため、この命題は次回以降に持ち越しとなってしまった。

最後に信隆本人の説を伝えておく。

田中信隆説
「ぼくは、ぼくよ!」


(00:12)

2008年02月01日

ふとしたことで、私と照明の共通の知人が上京してきていることを知ったのである。
懐かしい限りだと二人で話していた。
彼は(知人は)今何をしているのかと照明に訪ねると聞いてないと言うのである。

私は激怒した。

「何で聞いて来ないのか!もしかしたら仕事の一つでも振ってくれるかもしれんだろう!」

と言うと、照明は

「そ、そうやね。利用できるかもしれんね」

私はこの照明の言葉を聞いてあきれ果てた。私はそう言うことを言っているのではなく、お互いに仕事でつながりがもてるかもしれないだろうと仕えたかったのである。そんな事も知らず、照明は

「今度あったらもっとうまくやっとくわ」

などと言っている。照明・信隆 26歳になる誕生日の前日の話だ。

(23:34)

2007年09月15日

実は、晴れてあまからの照明の担当も、田舎から出てきてコチラで一人暮らしを始めたのである。もちろん照明の仕事をしに。

ところがうちの照明と来たら、目先の金欲しさに日雇いバイトとパチンコをするだけの日々を過ごしていたのである。照明の仕事を探したらどうだときりだすと、

「まっておるんよ、まっておるんよ」

それを繰り返すばかりだ。見かねて演出を呼び出して説得を続けたのである。

「貴様は照明の仕事をするためにここへ来たのだろう。なぜ毎日日雇いの仕事ばかりしているのだ!稼ぐなら照明の仕事をして稼げばよいし、第一、照明の勉強をしているのかね!」
「ぼ、ぼかぁ、何も遊ぶために日雇いの仕事をしているわけではないのです。照明の機材を運ぶその力をつけるために、照明の為に日雇いの仕事をしているのです。ば、ばかぁ、何も金ほしさに日雇いの仕事をしておるわけじゃないんです。」

さすがに、演出もあきれてしまった。

さてあまからの照明だが、演出のツテもあり何とか照明の仕事にありつけたのだが、その現場から帰ってきて言うのには、

「照明機材、軽かった・・・・」

(20:01)

2007年03月31日

 信隆は不意に爆弾発言を行うのである。その様相は北朝鮮が突然、テポドンを日本海に打ち込むに似たり。突如として行われるのであり、フォローとごまかしの天才、演出武田愛理でさえもかばいきれないすさまじく恐ろしい威力を発揮する。

 例えば、最近分かれたばかりでぎくしゃくしている男女の前で言った言葉。

「君ら、まだ続いているのでしょう?」

・・・テポドン発射である。

 例えば、髪の毛の少ない演出に言った言葉。

「私は、体中が毛深くて・・・」

・・・テポドン二号の発射である。

爆弾発言後の周りの空気はこれまで味わったことの無いような異様な空気になってしまう。そして誰も怒れない。なぜなら彼のその言葉に悪意を感じられないからである(確信犯という説もある)。信隆の爆弾発言にはあまから一同常に冷や冷やさせられっぱなしであるのだ。

なお、主宰の家庭でも、信隆の一言によって家庭崩壊の危機が二度、三度あったことはもはや言うまでもない。

 彼のテポドンは生まれながらに核弾頭が搭載されている。

(02:26)

2007年03月26日

 あまからにおいて、たなカットの定義については争いがあり、常日頃から熱い議論が重ねられている。そのなかで様々な議論が多くの学説が存在する。

 二之腕丸説(主観説)
信隆の髪型がたなカットであるかどうかについては、本人の主観によってのみ判断されるべきであって、第三者によって議論されるべき問題ではないという説。この学説によると信隆がいかなる髪型をしていようとも信隆本人がたなカットであると信じて疑わない限りそれはたなカットであり、ほかの髪型になり得ない。しかし、この説をとると、信隆が例えばモヒカンにし、明らかにたなカットでないにも関わらず本人はたなカットの一種であると疑わない場合は、たなカットとなってしまうので不都合である。

 松下安奈説(客観説)
信隆の現在の髪型がたなカットであるかどうかは、第三者からみて明らかにたなカットと認められるものでなくてはならず、信隆が現在たなカットであるかどうかはその時点においての信隆の髪型をその都度判断していこうという説。信隆の髪型を個別具体的に判断していくということであるが、客観的なたなカットとはいったいどういうものであるかという点においては争いがある。

 武田愛理説(法定基準説)
たなカットの定義を条文で明確に規定してしまおうという説。例えば前髪何センチなどと具体的に定義を設定しておけばそれですむという説。この説ではたなカットの定義は明確になるが、手続きに問題が生じる。現在の信隆が前髪を何センチ、何度の角度で立たせているかを、信隆が素直にはからせてくれるとは考えがたく、現実に行うのが困難である。

以上、裁判の前例は依然として出ていないが、たなカットは第三者が信隆をいじることのみを目的としているため、たなカットの認定は第三者が勝手判断してよいものと考えられるため、近時では松下安奈説(客観説)が有力とされている。

 ※第32回あまから会議・議事録『たなカットの定義についての諸問題』より抜き出し。

(01:38)

2007年03月19日

 あまからの照明の田中信隆には数々の伝説がある。まずその一つあげるとするならば、第一に、伝説的髪型『たなカット』をあげなければならないであろう。

 それがいかにして形成されどのようなものであるか、事実関係はこうである。信隆が散髪に出かけていく。小中学校と野球部であった信隆はスポーツ刈りを注文する。床屋さんは注文通りスポーツ刈りをするのであるが、信隆の如何せん剛毛で毛深い髪の毛では前髪が絶壁のように立ち上がってしまうのだ。このリーゼントに勝るとも劣らない絶壁を指し人々はたなカットと呼ぶのでる。そして信隆はたなカットが世界一似合う男であることに異論を唱えるものはいないだ。

 しかし大学に入ってからは信隆はこのたなカットをやめてしまい、髪の毛を伸ばすという愚行でてしまった。きわめて遺憾であると同時に、あまからはそこに現代日本の危うさを感じているのである。

 信隆はたなカットをもってして信隆としてのアイデンティティを具備するのあり、たなカットでない信隆はもはや信隆ではなく、ただのおっさんに成り下がってしまうと言うことはもはや疑いのない事実である。

 つまりあまからでは始終以下のように帰結するのである。

 信隆が『たなカット』ならしめることこそ現世の肯定であり、個性の尊重、感性の解放である。それは単に文学・芸術にかぎらず広く文化の諸領域に清新な機運を引き起こし肉体と精神を分かつ現代社会への転換端緒になう。つまりルネッサンスであると言えるのだ!


 

(00:33)