強迫神経症・対人恐怖症の本態

私はかつて胃腸神経症に始まり放屁恐怖、表情恐怖、嚥下恐怖、さらには視線恐怖症まで発症し、そこではじめて「これが対人恐怖症か」と気がついた。そして同時に、なぜ僕なんだろう、と。。。しかし、今の私は気がつけば神経症の外側にいて、人とのコミュニケーションに不自由を感じないだけでなく、人生を人並み以上に楽しんでいる。では、以前の私は果たしてどこを間違えていたのか?そして対人恐怖症の本態とは何か?そこを明らかにしていきたい。 試しに久しぶりにコメント欄を設けてみました。確認後に表示します。表示するか否かは私の一存です。なお、私は基本的にコメントに返信することはしません。ご了承ください。

報酬系3

正しい報酬系の刺激とは、自己中心的でないもの。

自分一人の快楽ではダメだ。自分だけが快感に浸るようなものは、清原しかり、私しかり、間違っている。同様の例はあまた存在している。続きを読む

報酬系2

さて、私の反省。

私の場合は、通常の対人恐怖症者とは違う過程を通っている。通常の対人恐怖症者は、先に書いたように報酬系が正しく刺激された経験がない。私も高校2年まではそうだった。だが、高校3年で、あるスポーツに目覚め、全力を尽くすことを覚えた。続きを読む

報酬系

脳の中には報酬系という回路があるという。すなわち、快楽を与える神経系だ。人生はこの報酬系で大きく左右される。

典型的な例は、若い頃にスポーツやマスメディアで華々しい活躍をし、そこで注目を浴びることによる報酬系が強化されてしまうと、その後も同様の快楽を求め見苦しい行動を取り続けてしまう。

近年では野球の清原がその典型だろう。続きを読む

恐れていたんだな

久しぶりに市川海老蔵のブログを見ると、以前と変わらず勧玄くんのことが書かれている。

自分の子供が小さかった頃のことを思い出す。

私は、我が子を恐れていたんだな。それは、私の自信のなさの裏返し。続きを読む

それで十分

この私が対人恐怖症だったか。。。

もちろん、私は今でも「すごく勢いのある」人間じゃない。
だが、必要なことではどんどん人の中に入っていくし、仕事であれ趣味であれ、様々なグループに属し、皆とコミュニケーションを取っている。続きを読む

厄介なもの

私は、自分が対人恐怖症であったことを忘れている。昨夜も仲間と気持ちよく飲み、大いに楽しんだ。

この私が、言葉も出なかった、どう感じていいのか、どう反応していいのかもわからなかったなど。。。続きを読む

呪い 2

「呪い」という言葉が適切かどうかはさておき、人を一生縛り付けてしまう何かは存在しうる。願わくば、少しでも多くの人がそのようなものから自由であらんことを。



さて、先日家族で仕事がてら旅行してきた。続きを読む

呪い

対人恐怖症とは自分にかかった呪いのようなもの。先祖数代前まで遡る呪いだ。我々はそれを解かねばならない。そして対人恐怖症の呪いが解けたとしても、決してそれで終わりではない。続きを読む

育てる

なぜ対人恐怖症になったのか?

ひと言、未熟だから。何かを間違えているから。

あなたはこれからそれを越えていかなければならない。

続きを読む

理想の人間

先日のyumuさんからのコメントを読んで欲しい。

対人恐怖症は、結局は根本的な人としてのあり方の問題。何か都合のいい病気があって、そのために自分はこうなってしまっているわけじゃない。ましてや、それを「治す」都合のいいやり方など、決して存在しない。

続きを読む

まともになるために

自分こそが優れているとの心は、自分が優れていると言って欲しいという心。自分を認めて欲しい。自分を構って欲しい。自分を褒めて欲しい。自分に優しくして欲しい。。。

そのような人を認めるわけにはいかない。

だが、残念ながら対人恐怖症者はそのような人間。続きを読む

自分は決して正しくない

久しぶりの投稿。

私が書くしかない。私でなければ書けないことがある。

対人恐怖症が治ったと称する者、我こそは悟りを開いたと称する者は、残念ながら多くの場合「自分こそが正しい」から離れられない。続きを読む

一生を通じて3

社会人になる時も、変に張り切らない方がいい。

ゆっくり仕事に慣れる。

今与えられる仕事など、本当にどうでもいい、まさに雑用のようなこと。

会社の仕組み、社会の仕組みが徐々に見えてくるなど、どうしても3年はかかる。続きを読む

一生を通じて2

先日も「一生を通じて」という記事を書いた。

今がどうかではなく、生涯をどう生きるかこそが大事。

対人恐怖症者は、すぐに結果を求める。今どうだったか?言葉が出たかどうか、目つきがどうだったか。。。

そして、「今」「今日」どう評価されたかだけに囚われている。続きを読む

人をけなす

前回の記事でも書いたが、結局、人の心理的な問題は実際とは違う過剰な何かを求めるところにほとんど原因があるのだろう。

だが、人は幼い頃からの刷り込みでそれが刷り込まれてしまっているために、自分が過剰なものを求めてしまっているということがわからない。続きを読む

社会の最底辺

さて、私がいつも絶賛している龍たまこさんのブログ

https://ameblo.jp/ryu-tamako2/entry-12322703787.html

これもいい。

ここで私が強調したいのは
「うつが来ても何とかなる」
というセリフ。これは対人恐怖症者にも当てはまる。続きを読む

自分のクセ

劣っている。

まずはそれでいい。そこで、本当は違うなどと言っていてもまったく仕方がない。

仮にあなたの視線がこわばるのならば、それがあなたという人間。

そうそう、最近、ある対人恐怖症者のブログを見たが、その方も視線恐怖で未だに症状があるが、長い人生の間でそれはあくまでも自分のクセのようなものに過ぎたいということに気づいたと書かれていた。

まさにそういうこと。続きを読む

劣っている

結局、私は社会人になった後も、人を見下し続けてきた。

そのようなシーンが、走馬灯のようにいくらでも思い浮かぶ。まさに、私は人間じゃなかった。人との心の交流というものをまったく知らなかった。

見下すと同時に、自分は優れているはず、何とか皆に認めて欲しい。それを強烈に思っていた。

私は優れているはず。私は神経症だから今はこうかもしれないが、本当はもっともっと凄い。皆とは全然違う。未来を見据え、まっすぐ歩き、言葉も自由に出て女性にもモテる。人から凄く信頼される。。。。続きを読む

一生を通じて

自分は、どうしても人を見下したい。人がやることにいちいちケチをつけたい。

私は、それを高2の時に友人から厳しく指摘され、それこそ目の前が真っ暗になった。それからは、自分のやることすべてが間違っていると思えた。

その後、高3で「これでいい」と思えるようになってからどんどん世界が開けたのだが、上京して再び暗闇の中へ。続きを読む

ダメな自分

あなたは必ず心の中で人を小馬鹿にしている。でなければ、そのような表情恐怖、視線恐怖、表情恐怖、嚥下恐怖、放屁恐怖などでるはずがない。

あなたがただ気弱で引っ込み思案だというだけなら、「本物の」対人恐怖症になどなるはずがない。続きを読む
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