十字架の恵みが溢れて 2

「私たちの主であるイエス・キリストを通して、命の領域の中で、 王として支配する」     ローマ5章17節 

ガラテア3章:22節
しかし聖書は
逆に、すべての人を罪の下に閉じ込めました
それは約束が
イエス・キリストに対する信仰によって
信じる人々に与えられるためです

セルフ教神学による誤訳。

>イエス・キリストに対する信仰によって

原典で確認。

επαγγελια εκ πιστεως ιησου χριστου

イエスキリストの信仰から出る(εκ)約束


しかし
律法は閉じ込めた
すべてを
罪の下に
イエスキリストの信仰から出る約束が
信じる者たちに与えられるように

イエスキリストの信仰とは、言い換えるなら、主イエスが人として歩んだ公生涯そのもの。新約聖書のすべてだ。ここに、ワレがどうのこうのと入り込む余地など一寸もない。

上の日本語訳のような解釈では、ガラテア書を捉えることは絶対に不可能。

邦訳に基づいて書かれたガラテア書註解などは絶対に参照してはならない。

大きく口を開けて待っているabyssだ。

  

        以上 みことばざんまいさんより



  「イエス・キリストの信仰とは、主イエスが歩んだ公生涯そのもの、新約聖書のすべて」
 
  >アーメン、アーメン!!

 一方、

  「イエスキリストに対する信仰」 この言葉は

  福音の真理から大きく人を引き離す

 「対する信仰」 あなたとわたしという距離が存在する 

 「対する信仰」はどれほど多くのクリスチャンを惑わし、欺いてきたことだろう。

 どれほどセルフに目を向けさせてきたことだろう。

  対する信仰が肉の思いを増大させ、

 対する信仰が、いのちの抜けた宗教を作り出してきた


 「イエス・キリストに対する信仰」 と 「イエス・キリストの信仰」

  全く別のものであることを知る人は幸いである

 

  イエスキリストの信仰から出る約束が、私を救い、私を癒したのだ

 イエスキリストの信仰から出る約束が、私を全く自由にし、私を解放してくださったのだ

  いのちの歓びをもたらし、深い安息、安心の中に座らせてくださった

  これ以上何を書こうか・・・

  すべてのことは私の何かにはよらないのだ
 
  
   イエスキリストのゆえに、すべてのことは然りとなった

   アーメン  ハレルヤ!!


 

 

 

イエス・キリストにあって

イエスキリストの名の中に、つまり、このお方の中にあるということの

言い尽くしがたいほどの大いなる幸いを ハレルヤ!感謝します!


  「わたしが自分の父におり、あなたがたが私のうちにおり

        私もあなたがたの内にいることを。」 (ヨハネ14:20)

    
 アーメン!!アーメン!!

 このことをあきらかに啓示してくださったのは主です!

 主の言葉が祝福の大雨のように望む

 イエスの中にあって、もはや、彼、すなわち

 サタンは私に対して何もできない(ヨハネ14:30)ことを宣言します!

 ハレルヤ!すでに勝利者であるということが

 イエスキリストにあって然りとされている!


 
 イエスキリストにある霊のいのちの法則は 私を罪と死の法則から

 完全に自由としてくださったこと

 イエスの名と血潮により 

 サタンの業、自責の念や後悔から完全に自由、解放され

 圧倒的な勝利者であることを宣告します!

 
  ゆえに

 「あなたがたの体を、生ける、聖なる、神に喜ばれる供え物として

 捧げ」ることを可能としてくださった方に誉あれ!

 アーメン!イエスの内にあるゆえに、復活のいのちに生かされたこの体、

 キリストの義、聖を着せられてしまったがゆえに

 神に喜ばれる供え物としてささげます!と大胆に主に申し上げることができる

 あぁ、主は受け入れてくださり、喜びに満ち溢れさせてくださった!アーメン!

  

 そして、 

 「あなたがたが私の名において父に願うことがあれば、父は

 あなたがたに与えるであろう。

 これまであなたがたは私の名において何も願ったことがない。

 願いなさい。そうすれば、あなたがたは受け、その結果

 あなたがたの喜びが満ち溢れたものとなるであろう」(ヨハネ14:23)

   
    なんでも願え!と主は言われる 

 「私の名において何も願ったことはない・・」
 
 不思議な言葉だと思われないだろうか。
 
 「私の名において」と言われる言葉が鍵である。
 

主は、ご自分の血を介して、一度で聖所に入られ

 永遠の贖いを勝ち得られた

 今まで旧約の聖徒たちすら内に得ることができなかった

 永遠の命を内に宿すという大いなる恵みの扉が開かれたのだ!

 
  私の名において、とは

 十字架と復活の血潮において永遠の契約がなされたがゆえに

 この方のいのち、栄光の望みであるキリストを内に

 そして、私もこの方の内にいる、という 

 人の思いをはるかに超えた恵みの中で

 求めることができるようにしてくださったのだ

 
  イエスというお方を内に得てしまった!
 


 このキリストと共にすべてのものは与えられているので

 はばかることなく御言葉を宣言し その実を食べて喜び

 感謝をささげることができるようにしてくださった!

  ハレルヤ!!

  
  今日の一日も、御言葉が泉のように湧き上がり

 このくちびるを通して宣告し

 言い送った言葉をすべて成し遂げてくださった主に

 賛美と感謝を捧げます!

 
  
   

 

  

 
 
 

 

 


台所に立つ

主の深い迫り

オクラを刻みながら

主よ・・主よ 

イエシュア・・と幾度も呼び求める

主のまなざしの中にある幸い

イエシュアが私の中におられ

私もこのお方の中にいる

そのことを明らかにしてくださった主に栄光あれ!









「み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。」

  詩編119:130 口語訳


  静まった夜、 御言葉に触れる

  御言葉は「イエシュア」そのもの

  御言葉の戸が開き 光が差し込み

  どうしようもないほど迫ってくる

 「無学な者(わきまえのない、愚かな者)に知恵を与え・・」 

  知恵とは イエシュアご自身、お方である

   このお方が内に与えられている、住まわれていることの

   大いなる恵みに圧倒されながら

 
  マタイ16章に触れる

 「私はあなたに天の王国の鍵を与えよう。

 そしてあなたが地上で結ぶものは天上でも結ばれたものとなるであろう。

  また、あなたが地上で解くものは天上でも解かれたものとなるであろう。」

  なんという権威であろうか!



  「ただ一度、ご自身の血により、完全な幕屋に入り、永遠の贖いを成し遂げられ」 たゆえに

  罪赦され、義の衣を羽織り 王族として

  復活のイエスと共に神の右に座す者の口から発せられる宣告によって

 神のデュナミスが発動する、その権威(御国の鍵)がゆだねられているのだ


 「神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が

 どのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。」


 とパウロが祈っている通りである

  これは決して特別な人にだけ与えられたものではなく、王族の子として新しく生まれた

 神のson 、息子とされた者すべてに与えてくださったのだ

 
あぁ   「人間が何者だというので、

   これをみこころに留められるのでしょう。

  人の子が何者だというので、
 
    これを顧みられるのでしょう。」
 
   へブル2:6
  
 

         イエシュアを礼拝いたします ハレルヤ!

 

  

 

ローマ6章3節
それとも
あなたがたは知らないのですか
キリスト・イエスにつく
バプテスマを受けた私たちはみな
その死にあずかる
バプテスマを受けたのではありませんか

何とも中途半端な訳出、いい加減だ。

1.キリスト・イエスにつく

とは、どういうことか。「つく」の意味が分からない。

2.その死にあずかる

この言い回しも納得が行かない。

原典を見る。

1.εις χριστον ιησουν

2.εις τον θανατον αυτου

見た瞬間に分かる。

ειςの意味がまるで分かっていないのだ。

ειςの原義は、「~の中へ(入っていく)」

従って、これらの箇所は、それぞれ

1.キリストイエスの中へ

2.彼の死の中へ

と訳出する必要がある。


あなたがたは知らないのか
キリストイエスの中へと
バプテスマされた我々はみな
彼の死の中へと
バプテスマされたということ


 「みことばざんまい」さんより
 


   真理はあなた方を自由にする、との言葉通りですね

   ハレルヤ! 

 

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