十字架の恵みが溢れて 2

「私たちの主であるイエス・キリストを通して、命の領域の中で、 王として支配する」     ローマ5章17節 

御名とお方は一つ

主を思う

ただ頭の中で思い巡らすということではない

主の霊がふれてくださるので

呼応するように内側にいのちが響きわたる

こみ上げてくる主への思いは

御霊溢れる血潮によって

主の中に包まれていることを見る

イエスという名は単なる文字でも
名前だけが一人歩きするような名刺でもない

イエスという名 その名と実体、実質は絶えず一つであるということだ

わかりやすくぶっちゃけて例えるなら
「ステーキ」という言葉とステーキそのものが同時にそこにすでに在るということだ

この世にあっては人の名前と実体は別々であることが当たり前のようになっている
名前だけが一人歩きし、犯罪にだって利用されてしまったりする

しかし
主の名は違う

名とお方は一つなのだ

「言葉は神であった」と聖書に書かれてある通りなのだ

十字架の上で流された血潮....

死から復活し まことの聖所に入り

とこしえの御霊によって

尊い血潮がただ一度捧げられたゆえに

イエスという名は

全ての名にまさる名

その名とお方はひとつであり

流されたイエスの血潮はイエスそのもの

この血の中にイエスご自身のいのちが満ち満ちている

永遠の御霊が内住する血

ゆえにこの血こそが 

イエスがそうであられたように

死に至るまで忠実な 神の霊によって仕える者とする力の全てなのだ

イエスの血潮こそが信そのもの、 

永遠の保証  

求めるすべての一切の根拠  

真理そのもの    揺るぐことのない堅固なる岩 

このお方の名を呼ぶということが

どれほどの特権であり

祝福そのものを得ているということ

内にいますキリスト

あぁ主よ 尊い聖い血潮

とこしえの御霊溢るる血

両車輪のごとく一つ であり

共に働くパワー

もはや私ではなくキリストと

証する源泉なのだ

その力が内に与えられてしまった

我が霊はイエスの名 を賛美し

あなたがあなたであられることのゆえに

礼拝を捧げます











キリストの香り

今日は歯医者  4ヶ月ごとのメンテの日

歯医者に向かう時も

診察室にいる間も

主の血潮を思い巡らし

想いの中で主を賛美していた

歯のお掃除最中も

なんとも心地よかった

処置終了後、

「とてもいい香りがしてきて癒されました」

と医師に言われた

何も香水もつけていない

どんな香りがしたのだろう?

ただ主を賛美していただけ

主だ

主の香り

ワーシップは天から流れて来る














イエスキリストの信仰から出る約束

ガラテア3章:22節
しかし聖書は
逆に、すべての人を罪の下に閉じ込めました
それは約束が
イエス・キリストに対する信仰によって
信じる人々に与えられるためです

セルフ教神学による誤訳。

>イエス・キリストに対する信仰によって

原典で確認。

επαγγελια εκ πιστεως ιησου χριστου

イエスキリストの信仰から出る(εκ)約束


しかし
律法は閉じ込めた
すべてを
罪の下に
イエスキリストの信仰から出る約束が
信じる者たちに与えられるように

イエスキリストの信仰とは、言い換えるなら、主イエスが人として歩んだ公生涯そのもの。新約聖書のすべてだ。ここに、ワレがどうのこうのと入り込む余地など一寸もない。

上の日本語訳のような解釈では、ガラテア書を捉えることは絶対に不可能。

邦訳に基づいて書かれたガラテア書註解などは絶対に参照してはならない。

大きく口を開けて待っているabyssだ。

  

        以上 みことばざんまいさんより



  「イエス・キリストの信仰とは、主イエスが歩んだ公生涯そのもの、新約聖書のすべて」
 
  >アーメン、アーメン!!

 一方、

  「イエスキリストに対する信仰」 この言葉は

  福音の真理から大きく人を引き離す

 「対する信仰」 あなたとわたしという距離が存在する 

 「対する信仰」はどれほど多くのクリスチャンを惑わし、欺いてきたことだろう。

 どれほどセルフに目を向けさせてきたことだろう。

  対する信仰が肉の思いを増大させ、

 対する信仰が、いのちの抜けた宗教を作り出してきた


 「イエス・キリストに対する信仰」 と 「イエス・キリストの信仰」

  全く別のものであることを知る人は幸いである

 

  イエスキリストの信仰から出る約束が、私を救い、私を癒したのだ

 イエスキリストの信仰から出る約束が、私を全く自由にし、私を解放してくださったのだ

  いのちの歓びをもたらし、深い安息、安心の中に座らせてくださった

  これ以上何を書こうか・・・

  すべてのことは私の何かにはよらないのだ
 
  
   イエスキリストのゆえに、すべてのことは然りとなった

   アーメン  ハレルヤ!!


 

 

 

イエス・キリストにあって

イエス・キリストにあって

イエスキリストの名の中に、つまり、このお方の中にあるということの

言い尽くしがたいほどの大いなる幸いを ハレルヤ!感謝します!


  「わたしが自分の父におり、あなたがたが私のうちにおり

        私もあなたがたの内にいることを。」 (ヨハネ14:20)

    
 アーメン!!アーメン!!

 このことをあきらかに啓示してくださったのは主です!

 主の言葉が祝福の大雨のように望む

 イエスの中にあって、もはや、彼、すなわち

 サタンは私に対して何もできない(ヨハネ14:30)ことを宣言します!

 ハレルヤ!すでに勝利者であるということが

 イエスキリストにあって然りとされている!


 
 イエスキリストにある霊のいのちの法則は 私を罪と死の法則から

 完全に自由としてくださったこと

 イエスの名と血潮により 

 サタンの業、自責の念や後悔から完全に自由、解放され

 圧倒的な勝利者であることを宣告します!

 
  ゆえに

 「あなたがたの体を、生ける、聖なる、神に喜ばれる供え物として

 捧げ」ることを可能としてくださった方に誉あれ!

 アーメン!イエスの内にあるゆえに、復活のいのちに生かされたこの体、

 キリストの義、聖を着せられてしまったがゆえに

 神に喜ばれる供え物としてささげます!と大胆に主に申し上げることができる

 あぁ、主は受け入れてくださり、喜びに満ち溢れさせてくださった!アーメン!

  

 そして、 

 「あなたがたが私の名において父に願うことがあれば、父は

 あなたがたに与えるであろう。

 これまであなたがたは私の名において何も願ったことがない。

 願いなさい。そうすれば、あなたがたは受け、その結果

 あなたがたの喜びが満ち溢れたものとなるであろう」(ヨハネ14:23)

   
    なんでも願え!と主は言われる 

 「私の名において何も願ったことはない・・」
 
 不思議な言葉だと思われないだろうか。
 
 「私の名において」と言われる言葉が鍵である。
 

主は、ご自分の血を介して、一度で聖所に入られ

 永遠の贖いを勝ち得られた

 今まで旧約の聖徒たちすら内に得ることができなかった

 永遠の命を内に宿すという大いなる恵みの扉が開かれたのだ!

 
  私の名において、とは

 十字架と復活の血潮において永遠の契約がなされたがゆえに

 この方のいのち、栄光の望みであるキリストを内に

 そして、私もこの方の内にいる、という 

 人の思いをはるかに超えた恵みの中で

 求めることができるようにしてくださったのだ

 
  イエスというお方を内に得てしまった!
 


 このキリストと共にすべてのものは与えられているので

 はばかることなく御言葉を宣言し その実を食べて喜び

 感謝をささげることができるようにしてくださった!

  ハレルヤ!!

  
  今日の一日も、御言葉が泉のように湧き上がり

 このくちびるを通して宣告し

 言い送った言葉をすべて成し遂げてくださった主に

 賛美と感謝を捧げます!

 
  
   

 

  

 
 
 

 

 


台所

台所に立つ

主の深い迫り

オクラを刻みながら

主よ・・主よ 

イエシュア・・と幾度も呼び求める

主のまなざしの中にある幸い

イエシュアが私の中におられ

私もこのお方の中にいる

そのことを明らかにしてくださった主に栄光あれ!









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