透明な瓶に手紙をつめてインターネットの海へ

きれぎれの落書きと私信 by 雪虫の伝説

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幼いときから私が使った「ときの流れの速さ」なんてかっこうをつけていただけだ。言葉を使ってはいても実感したことはなかった。「とき」はそれほど速く流れ去っていくわけではないけれど。手のひらから、ぽたぽたぽたぽたとしたたり落ちていく「とき」をとどめようもない。
今日はいい天気だった。11月はこんなだったっけ・・と誰にともなく口に出す。ひとり芝居だ。このくらいの季節の服がない。服装を決められない。センスがないのだ。決断力もないのだ。あまり考えたくないのだ。出不精にますます拍車がかかる。

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一昨日はフトンを干した。昨日は冬瓜を炊いた。幼い頃、冬瓜は苦手だった。つい先日まで食わず嫌いだった。弟がいただいた大きな冬瓜を持ってきてくれたのだ。仕方なくネットのレシピで料理したのだった。それがとても美味しく、母にも受けたので八百屋でみかけた冬瓜を買ったのだ。炊いたのだ。今日は朝から雨。冷たい雨だ。

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おはら祭りが終わると秋の歩幅が長くなる。服を何度も着替える。外出しないからできることだ。ほんの少しの室温の変化を我慢できない。外の気温が皮膚にいたい。要するにマガママなのだ。こらえ性がないのだ。「しもつき」という音より「かんなづき」という音の響きの方が好きだ。


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富士山ナンバーのナンバープレートがあることを知らなかった。視界の中に入ったことがあったのかも知れないけれど、気付かなかった。意識したことがなかったのだ。
富士山ナンバーの車が目の前にいた。走っていた。私の思考回路は故障しているのかも知れない。少なくともその可能性があると判断されているのだろうな・・と思った。もともとまともではない、おかしいのだとは解ってはいるけれど。少しショックだなあ・・そんなことを考えながら走っていたときだ。
またまた台風がやってくる。庭のノボタンが異常に元気になると台風クラスの雨や風がやってくる、我が家の、私の地元天気予報だ。


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例年なら妙円寺参りで騒ぐ日。台風接近や雨のせいではなく、今年は断念せざるを得ない・・・そんな一日。来年までには体調を戻したい。
雨はふっていたけれど・・・選挙にはでかけた。さまざまな意味で興味深い選挙ではある。おもしろい選挙ではある。私に言えることなどないけれど。彼らに言いたいことなど何もないけれど。

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かなり有名な人らしいのだけれど。私はノーベル賞の発表まで知らなかったのだ。名前すら知らなかった。みなさん読書好きなのだなあと感心してしまう。恥ずかしい話だ。けれど、知らないことは知らない。読まなかったものは読まなかったのだ。それだけだ。
こうなってからと、村上春樹をけなすヤツは許せない。カズオ・イシグロをたたえる人々は・・それはそれですばらしい。

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この「もののけ姫」の下敷きは試写会のときに頂いたものだ。むかしむかしのことだ。私にとってジブリの作品は今もいきているけれど。宮崎駿は今の作家だけれども・・・けれど、すでに彼らは過去の人々になってしまっているらしい。たしかに古い昔のアニメなのだ。ノーベル賞にかこつけて、自称文芸評論家が村上春樹を過去の作家であると語るのは哀しい。腹がたつ。吉田拓郎や中島みゆきは今もさびついてはいない。私の偏った思い込みの世界での話だけれど。かれらの歌はさびついていないのだ。もちろん村上春樹の作品の中にもさびついていないものだってちゃんとあるのだ。長い文章を打つとボロが出る。もちろん私自身のはなしだ。

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書きこむ予定もそれほどないのに日付のついた手帳から卒業ができない。埋まらないスケジュール帳ほど淋しいものはない。スケジュール帳なんて私には必要ないのだ、本当は。とかなんとか哀しいことを考えたくなくて深く考えもせず手帳を手配してしまうのだ。
神無月。「かんなづき」という音が好きだ。退屈しない今年も、もう百日を切った。いろいろあったけれどやっぱり退屈しない楽しい年ではあったのだ。来年もいい年でありますように。きれいな月が今夜も空にある。


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野口雨情はいい。十五夜の歌ではないけれど今夜の月にはぴったりだった。おつきさんはほんの少し雲の陰から顔を出していた。ススキを飾ってお団子も作った。母には満月を見せてあげられなかった。母のベッドからではタイミングが大切なのだ。
使ってはいない私の車いすの定期点検日だった。こいつは誰かに押してもらわなくてはならないタイプ・・だから私は使っていない。使えない。母には頼めないし、第一に私はそれほどの重病人ではないのだ。ひとりでからかさはさせるけれども、馬には乗れない。馬にさわったことすらないのだから。まったく脈絡のないことだけれど。
今年の十五夜はちょっと退屈だった。

倉本聰のドラマが終わる。もっとずっと長生きして、またドラマやって欲しいと思う。次のドラマもあればいいと思う。彼も歳をとった。昔から年寄りではあるけれど・・・それでも、ずいぶん若かったわけで。とても若かったわけで。倉本聰の次のドラマも観たい・・と思う。

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金曜日は検査の日だから,お日様の昇る前の碧い空を背景にした桜島に会えることがある。ホリより碧い桜島だ。最近の桜島はコチラに灰を送ってよこすけれど,車を掃除してあげる力がない。ご近所さんはみんなもう開き直っている。週末にはS君が来る。

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2週間に一度の検査・・車検みたいなもの・・身体の調子は悪くない。と思う。ただ病院に行くと、たくさんの検査を受けると、先生にお会いすると、ちょっと複雑な気持ちになる。言葉にできない気分になる。週の終わりは少し憂鬱だ。私は憂鬱という漢字を読むことはできるけれど、書くことはできない。魑魅魍魎という字や薔薇という字も同様だ。私の言葉ではないのだ。言葉にはできないのだ。
台風がやってくる。ちょっと勢いのある風が小走りで駆け抜けていく。もうこれは夏の風ではない。けれど秋の風というわけでもない。

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久々のホール文化センター。久々の歌劇。久々の緞帳前の、舞台が始まる前の空気・・楽しみました。
最後に、緞帳の内側にいたのは、幕が上がるのを待っていたのは、あれはいつだったろう。ずっとずっとむかしのはなしだ。

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