2025.12.01 判官びいきは今なお衰えず、2286
判官びいきは今も昔も変わらない。気の毒なこと事の善し悪しの区別がつかない周りの方々が寄ってたかって声を荒げると、決まって渦中の方に同情が集まり、声を荒げた方々をあしざまに悪く言う。ここでいくつか例を見てみよう。
今年のある市町村の首長選挙でも、行政がコンサルの言いなりになって多大な資金を投入し(借金)して事業を進めることについて、現役側はひたすら批判に反論せず、投票日をことさら待ち続け、一方の候補者は禍根を後世に残すとして猛チャージであった。周りの一般の方はどう見ていたかと言えば、判官びいきがあった。結果は言わずと知れたもがな、じっと耐えていた現職の圧勝に終わった。
また良くある話。某町内会での町内会長の施策立案や施策遂行が町民にためになってないと、猛チャージ。周りの方の一部では、町内会長がかわいそうと。そうではなく会長がもっと町民サイドで事業を進めればいいだけなのに。会長は会長をやめると言って啖呵を切ったが、判官びいきをいいことにやめるはずもなくどうどうと居直っている。
最近は、総理の発言が大国を刺激して大事件となっているとき、判官びいきで、総理の肩をもたないのは非国民と声も上がっている始末である。
しかしながら、なぜしっかりと事の本質に立ち返って論考しないのか。そこにあるのは判官びいきの浪花節だけか、と思えるくらいである。最近は、SNSがまさに判官びいきをあおっているかのようである。なんと住みにくい世の中、なんと思考停止なのか。ちょっくら、考えて欲しいものである。