人生で初めて、野球バットを買いました

少年用。500グラム。

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草野球に目覚めたわけではありません

ゴルフのスイング練習用です

最近、またゴルフをしっかりやりたいと思い始め、レッスンに通っております。

先生からは、「重症」というお墨付きをいただき、

今までやっていた事はゴルフじゃないと思ってください、と言われる始末

ガラガラと今までの思い込みをことごとく否定され、基本的なスイング練習から。

よなよな、ベランダで振りまくっております

膝の靭帯を痛めて、ラウンドにもなかなか行けないので、

おうちでパター練習も。

仕事で頭をかかえると、気分転換にパター&素振り

何を目指しているのですか?というご質問にはノーコメントでございます 
判例時報とは、主要な最高裁判例や重要な下級審の裁判例が掲載されている雑誌です。

これまで判断されていなかった点について、裁判所が見解を示した時や、

裁判所がこれまでの解釈を変更した時などに、

今後の実務の参考になるだろうと雑誌が判断をすると掲載されるようです。

法律に携わる方は、皆さん知っている雑誌です。

いつかこういう雑誌に載るような事件を担当したいなと

ロースクールの図書館で思ったものです。


そして、そして。初めて載りました。

判例時報2260号37ページ~です。

2015-08-20-14-50-39
2015-08-20-14-50-21

私が入所する前からかかっていた裁判で、私は途中参加でしたが。

それでも嬉しいものです。

かなり長文の判決文(50ページ弱!)ですが、また読み直してしまいました。






 
今年は終戦から70年。

安部総理の70年談話が発表され、例年以上に注目を集めた一日だったのではないでしょうか。

今年も正午に、NHKの番組を見ながら黙とうをしました。

小さいころから、当たり前に続いている我が家のルールです。

毎年この時期はセミの鳴き声が聞こえるんですよね。

黙とうをしながら、玉音放送を聞いた人も、こんな風にセミの鳴き声も聞いたのだろうか、

どんなに暑い日だったんだろうか、どんな気持ちで聞いたのだろうか、いろいろなことを考えます。


アメリカの大手民間調査機関ピュー・リサーチ・センターの世論調査で、

アメリカ人の56%が今も日本への原爆投下を「正当」と回答したとの記事を読みました。

とても悲しい気持ちになりました。

「それが決定打になって戦争が終わったのだから、よかったではないか。」

ということがその立場の人の意見でしょうか。

そう考える前に、何の罪もないたくさんの一般市民が犠牲になったこと、

70年経った今も、いまだにその傷跡が残っていることに想いをいたすことはないのでしょうか。


私は小さいころ、アメリカという国が大嫌いでした。理由は日本に原爆を落とした国だからです。

祖父は戦争体験者ですし、父からは疎開の様子などを聞いて、育ちました。

「ひろしまのピカ」「かわいそうなぞう」「ちいちゃんのかげおくり」等の絵本を読んで育ちました。

なので、中学校に上がって、英語の授業も嫌で嫌で。

アメリカの言葉なんて学びたくない!とアメリカ人の先生にも嫌悪感を持っていました。

私が中学生のころは、「ベストヒットUSA」という音楽番組が流行っていて、

みんな洋楽に傾倒していたのに、やっぱりアメリカが嫌い、という理由で興味を持ちませんでした。

私の周りで、そういう理由でアメリカが嫌い!なんて言っている友人は一人もいませんでしたから、

相当変わっていたと思います。


何がどう変わったのか、わかりません。

ただ、大人になって、少しずつ戦争について学び、

日本がアジアの植民地で行ってきたこと等を知るにつれ、

「許す」ということを学んでいった気がします。

自分たちが許されてきたように、自分も許さなければいけないと。

もちろん、いま生きている人たちが原爆を落としたわけでもないしな、とも思いました。


それでもやっぱり、いまだに、先のようなアンケート結果に触れると、

とても嫌な気分になるのです。




戦争は誰かが一方的な加害者で、誰かが一方的な被害者ということではないと思います。

日本だって、加害者の面もあれば被害者の面も持ち合わせている。

日本を加害者だと思っている国々の方からしたら、

日本人が「私達が戦争したわけじゃないし、もう反省とかお詫びとかは、いいんじゃない?」

という言葉を発しているのを聞いたら、

先の民間調査で私が感じたような不快感を持つのではないかなと思います。

自分がされて嫌なことは、相手にもしてはいけない。

そう思うのです。


ただ「お詫び」をするということではありません。

歴史を学び、過去の過ちを繰り返さぬように反省をする

戦争を語り継いでいくということが大事なのだと思います。まだわずか70年前の出来事です。


そして、「許す」ということが、何よりも大切なこと。

日常生活においても、たくさんの人に許して頂いて、今の自分がある。

だからこそ、自分自身も人に対して常に寛容な人間でありたいと思います。

「許す」とは、「相手をあるがまま受け入れる」ということです。

そんな風に、みんなが生きられたらなぁと思う今宵でございます。