2009年08月15日

「萌え」と規律訓練

『けいおん』についてのだらだらしたメモ:




■女性の語りって、どういった表現がただしいのだろう。女性って、どういやって表現したらいいのだろう。

■僕の予想だと、『けいおん!』のコミュニケーションがところどころ性的な意匠を押し付けあうようなものであり、その「萌え」の定義には、それとは差異のある「かわいさ」の定義ともども、セクシュアリティの非対称性が影を落としていることは間違いないにしても(つまり、萌え記号の定義のなかに男性の視線が入り込んでいたとしても)、このていどの性的な意匠のおしつけあいは、じっさいの女性の共同体においても観測できてしまうのかもしれない。それがいやな気分になる。

もちろん「萌え」と「かわいさ」の差異と部分的な融合はきちんと語られるべきだろう。女性だけで男性の視線をシミュレートしあっているのか、男性の視線なしで女性性を直接に欲望しているのか。しかし、いうほどの違いがあるのか僕には疑問だ。

■『けいおん』の萌え記号は、物語を駆動する要因にもなるし、登場人物間にも共有されている。

たとえば、1話の物語的な難関のひとつとしてツムギが加入するところが挙げられる。ここでツムギが加入することで、不安定だったミオとリツの関係が、なし崩し的に三人の共同体として安定する。ここでツムギが加入する理由は、ミオ−リツの百合的関係に対するツムギの「萌え」の感情だと、あとであかされる。

それから、第1話でユイがリツににらまれて時間差で◎△◎こんな顔になるところがあり、リツもその顔が驚いた顔だということを読み取っている。また、文化祭か新歓か忘れたがステージにあがった回で、観客がユイの萌え記号を読み取ったことが前提の展開もあった気する。

■『けいおん』の非現実的な展開(別荘や、ギターの値切り)は、ツムギが担当している。ツムギの行動のインセンティブは女の子共同体に「萌える」ことなのだから、この物語は表面的なエピソードのつなぎだけでなく、もっと基底的な部分においても「萌え」が機能している。

■『けいおん』の好きなところは、ユイが部活の勧誘を断るときにあいての状況を察して「ぬか喜びさせてごめんなさい」と謝るところであり、ユイがバイト代を三人に返すところであり、ツムギが「ですます」調とタメ口を区別しないところだ。部活の勧誘を断るのに謝ったり、バイト代を返したり、語尾の反復性がそこまで強調されないのは、とてもふつうの感覚で、リアリズムといってもいいかもしれない。ツムギの別荘といった非日常は受け入れられても、コミュニケーションの反リアリズムはうけいれられないのが、萌えアニメの読者なのだと思う。

そのうえで、ユイが泣きだして収集がつかなくなったところで、「演奏きく?」「演奏してくれるの?(顔が萌え記号化)」「くいついた!」といった、ひとつのキャラクターに対する複数の萌え記号が喚起する文脈の切り替えが、その場を救っている。僕はこれをキャラクターの設定を要求せず表層にとどまるかぎりにおいて肯定したいと思う。

■『けいおん』の「萌え」はぎりぎり実際のコミュニケーションのオチにも使えそうな「萌え」だといえるかもしれない。たとえば『化物語』の萌えも登場人物間に共有されているが、それは読者共同体を前提としたメタフィクショナルなものだと思う。それに対して『けいおん』の「萌え」は、とりあえず装いとしては、「萌え」がたとえ男性視点をふくんでいたとしても、それはすでに「萌え」という言葉の文化論的な来歴としてでしかない。それは文字通り「古語」を引用して会話をすることに似ている。

■『けいおん』のギャグはそれほどおもしろくない。第1話でリツの妄想が暴走するところがあるが、僕は横目でちらっとツムギをみた動作でオチが読めてしまった。しかし、オチが読めるのにすべっているかんじがしない。『けいおん』は、ギャグが笑えなくても萌えはすべらせない。萌えが空転しないと、これほど視聴がラクだとは知らなかった(本当は、第1話の次回予告の「わたし、部活を始めました!」とかはけっこうきついのだけど。それでも全体的に環境管理がうまくいっていることは間違いない)

■じつは、たまたまリアルタイムでみた第9話がひかかっていたのだけど、そのときは、「萌えキャラ」をうけいれることと「けいおん部」という共同体を肯定することが重ねられていて、なぜだろうと思った。とおしてみてみると、そのような「萌え」「まったり」「共同体」と、音楽による「規律訓練」は、いっけん反してみえるが、じょじょに重ねられていっていることがわかった。そのような方向性の極限には、1話と13話に登場する、目が星に固定され笑顔をふりまくマックの女性店員がいる。

■やはり萌え四コマを出自としているからか、『けいおん』のコミュニケーションは、話題としては「共同体」と「規律訓練」と「萌え」の三種類にしぼられ意外とノイジーなかんじがしない(好みとしてはもうすこしノイジーだとうれしい。速度はこれくらいか、もっと遅くてもいい)が、会話のオチは、きれいに「萌え」に統一されている。だから安心してみれる。ただし、「オチとしての萌え」とはいっても、その場のキャラクターのふるまいに回収するものと、キャラクターの設定に回収するものの二種類があり、前者もくりかえすと後者に転態することを忘れるべきではない。

■それほど数は多くないが、ツムギがポテトをリツのトレイに空かしたりとか、「シャランラシャランラ」とか、「野鳥の会!?」とか、つっこまれないネタ未満のネタはよかった。もっとこうゆうフラグメントがほしい。

■11話は、評価が分かれるだろう。リツの性格がウザくかんじられるのは、リツがミオを困らせるといったおなじ構造のエピソードが短い時間で連続するからだと思う。主軸に萌えエピソードを付加してゆく『けいおん!』的ではない印象を一瞬うけたが、よくかんがえたら『けいおん』は以外とリニアな構造をしている。エピソード自体はけっこう好きで、こういった恋愛に頼らない鬱は、『けいおん』をベーシックにもっと開発してほしいと思う(MADでいえばこれとかこれ)。

注目に値するのは、本来萌えアニメ読者がたえられないはずのリツのウザさが、リツが風邪をひいていたことで回収されること点だと思う。ここで「納得」するのがアニメの共同体なのだといっていいかもしれない。「場の空気」は最終的にキャラクターに帰属され、それも「風邪」という、一時的にキャラクターの設定を改変してしまうものに帰属される。

■13話はユイのキャラに回収されるまではおもしろい。

■しかし、ユイはあんなに演奏がうまくなる必要があったのだろうか。「萌え」を顕在化させる一方で、その対立軸として「規律訓練」をも強調している。だから規律訓練を抑圧しても過剰に適応してもどちらでも違和感がない。僕としては、どちらにせよ、なぜそれほど規律訓練を強調するのだろう、と思った。「萌え」は物語を解体するのではなく、物語を浮かび上がらせ、潤滑し、維持し、落とし前をつけるのに貢献している。もっと徹底した反物語も可能なのではないか。

たとえば反物語ということでいえば『らき☆すた』のほうが徹底して日常をみせていて、実際僕は好みだった。ただ、こちらも女の子のおしゃべりそのままだとは思わなくて、キャラクターの知識というべつの非現実性がある。そう考えれば、「萌え」「規律訓練」「共同体」しか話題がない『けいおん』も、それはそれでリアルなのかもしれない。どちらももっと散文的にアプローチしてほしいと思う。

そもそも僕は京アニがよく提示する「部活をつくる」という物語にまったくノレない。物語が強すぎる。『ハルヒ』は負の部分が多いから納得したけど、『CLANNAD』はそれでつまずいた。

規律訓練の部分だけとりだせば、ジャンプ的だともいえるし、意外と中学生日記のセンスにも親和性をかんじる。中学生日記には萌えはないから除外するとして、ジャンプとの差異は、萌えの位相にある。ジャンプの萌えは読者をむいている(『化物語』と共通の構造)が、『けいおん』の萌えはタテマエとしては登場人物のあいだにある。こういったタテマエが共有されつつあるのは重要だ。そのうち本物もでてくるかもしれない。

というのも、斎藤理論によれば、ある記号を同一化の対象とみなす同性(彼女はその記号が登場人物の共同体においてどうあつかわれているか、が読者共同体においてどのようにあつかわれるか、を重要視するだろう)と、ある記号を所有の対象とみなす異性(彼は、その記号が読者共同体においてどのようにあつかわれるかを重要視するだろう)は異なる(たとえば佐和子先生は女子共同体における「ウケ」、をみる読者共同体の「ウケ」を先取りして行動している)が、宮台理論によれば、ひとつの記号に対して組織されたふたつの読者共同体は、つねに年齢的な差異をふくんでいる。この差異が消失したとき、わたしたちは萌えアニメによって異性とコミュニケーションしあえるだろう。








■キャラ談義

見た目はたしかにミオがかわいいが、性格的にはリツがいちばんよくできている。リツは大成功だと思う。前髪というギミックもよかった。ツムギとは違い、リツの悩みはあくまで表層にとどまっている。リツの前髪は、第1話の「ギャラは七三ワケね!」のときのように瞬時に切り替えのきく萌え記号としてあつかわれることもあるし、第13話のようにエピソードを構成したりする。深層のトラウマではなく、表層の記号の運用のうちにトラウマの萌芽を検出すること。それこそが、トラウマの治癒そのものよりも重要だと思う。

ミオは矛盾してるかんじがぬぐえなかった。「しっかりもの」と「怖がり」って矛盾しないのだろうか。どちらかというと「怖がり」はユイのほうが似合いそうだ。ミオは普段から「しっかりもの」と「怖がり」が同居しているのではなく、極限状態だと「怖がり」になる、というツンヘタレなキャラのほうが似合っていたかもしれない。しかし、「しっかりもの」と「怖がり」は矛盾しているかんじはしたが、「甘々なものが好き」という設定は、ちゃんと同居しててよかったと思う。

ツムギみたいな子は、設定はともかく性格的にはたしかにいそうだ。いそうだけれども、僕はこうゆう後景に退いてしまうキャラは肯定できない。

ユイはかわいいことは認める。この子はけっこうほかの子との共通点がみいだされやすい。リツとは反規律訓練なところが、ミオとは甘々なセンスが、ツムギとは女の子好きなところが、それぞれあとから抽出される。

さて、ミオとリツは幼馴染なのだから、そこにツムギとユイが入ってくれば、自然とミオ−リツペアと、ツムギ−ユイペアに分化するはずだ。しかし実際にはツムギとユイのスロービートなところは共通点として強調されず、ユイとリツが共同戦線をはることが多かった。僕はノドカのことよりも、ミオ−リツ−ユイの三角関係のほうが争いの萌芽を孕んでいると思う。こちらをフューチャーしてほしかった。

どちらにしても初期四人組みがもっともクオリティが高いと思う。アズサ始め第二世代はあまりいいとは思わなかった。





















yukiyukio_kun at 00:35│Comments(0)clip!

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