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日々のヒビキ


目線や環境からすると
幼く、ハイハイしていたぐらいの頃の記憶

窓から斜めに差し込む光の中を
埃がキラキラと穏やかに動いている光景は(チンダル現象というらしい)
この歳になっても今も目の前に表れる。

キラキラとした埃だけがゆっくりと上下左右に動き
左側に窓枠、斜めに柔らかく差し込む光、畳敷きの床。
静かな無音の世界。

白昼夢、もしくは夢、もしくはデジャビュ、
いやいつの間にか見た映画のワンシーンではないだろうと
思い巡らす時もあるが

それも私の中でのひとつの記憶の光景。
虚実でもどちらでも
人との整合性の話題にならない限り
どうでもいいことではあるけれど。

今まで会ってきた人々の中でも
希少な、、美しい世界観を持つ人から
(その人に会えただけでももはや私はいつ死んでもいいくらい幸せだ)
教えてもらった本を完読。

張り詰めた緊張感、見るもの感じるもの、、、
、、、

。。昔から「言葉はいつも想いに足りない」と言っていますが
(言葉に出来なかったら人に伝わらないよと諭される事も多々あるので
うーむそうですよねと反省もきちんとします)

やはり
言葉にするとどんどん言いたいことから遠ざかっていくので
ここでもなかなか書き表せないけれど

とにかく私にとって久々に美しい情景を頭に描ける文章。
(これさえもそんな簡単な単語では表したくないくらい)
過去でも先でもなく、今、ちょうど響いたのかもしれないけれど

読みながら目前にキラキラした空間が現れ
その中で読んでいるような錯覚さえも起こす。
とてもあたたかくゆったりとした、、無の時間。
それには嘘も本当もない、心の震え。 

世界はキラキラと美しい。 
心地よい風と共に。
それらを感じながら生きている事。
この本に作者に教えてくれた人に
さまざまな人や物事や光景に
ありがとう。







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【個展】

「ミズノナカノカゼ」長澤裕子彫刻展 
 
2019年9月14日(土)〜9月29日(日)
11時〜18時(最終日17時)

ギャラリー門馬&ANNEX
(ANNEXでの展示です)
〒064-0941 北海道札幌市中央区旭ケ丘2丁目3−38
TEL: 011−562−1055

●一般社団法人日本美術家連盟「美術家のための支援事業」国内展示支援助成 
 
●(公財)道銀文化財団「道銀芸術文化助成事業」2019年度助成
      → 事務局だより 掲載中

木彫(ストローブ松・旭川市見本林産)
石彫(花崗岩)
小作品等(大理石、ニレ)
関連写真
 

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地下鉄円山公園駅からJR北海道バスのロープウェイ線、「旭ヶ丘高校前下車」


30回記念展 

2019 宮崎国際現代彫刻・空港展


6月9日(日)〜6月23日(日)

宮崎県・宮崎ブーゲンビリア空港1階オアシス広場


1999年よりほぼ毎年出品しています

宮崎国際現代彫刻・空港展も

今年30回目を迎える事になりました。

私は諸事で宮崎には行かれませんが、

国内各地の作家55名、

海外(8カ国)作家14名の作品が

一堂に並びます。

よろしくお願いします。



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永遠の花(磐長姫) /Eternal Flower:iwanaga



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イワクラ / iwakura 

(特別企画作品 テーマ:神話による宮崎の神様像)



【個展】

「フウミャク−循環」長澤裕子彫刻展 

2019年6月1日(土)〜6月17日(月)
12時〜18時(最終日15時)火曜定休

Gallery Retara(ギャラリーレタラ)
札幌市中央区北1条西28丁目2−35MOMA place3F(アメリカ領事館斜め向え)


昨年、2018年に中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館および和寒町立図書館の個展において
展示致しました石の作品を北海道札幌市・Gallery Retara さまのご厚意により展示させていただく機会を得ました。
札幌では初めての個展となります。よろしくお願いします。


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【2019宮崎現代彫刻・空港展/30回記念展】

2019年6月9日(日)〜6月23日(日)
宮崎ブーゲンビリア空港1階オアシス広場
国内外合わせて69名の出品

1999年よりほぼ毎年出品しています
宮崎現代彫刻・空港展も30回目を迎える事になりました。

展示作品は全て購入可能です。
よろしくお願いします。


 なお、
本年9月14日(土)〜9月29日(日)には
札幌・ギャラリー門馬ANNEXにて個展、

10月中旬から下旬にかけて
士別市・上士別にある古い建物の中で
恵庭市在住・彫刻家の渡部陽平さんと版画家さんと私とで3人展を開催します。

近くなりましたらまたお知らせします。
 



中学3年の時に作った

木彫アルバム。


時たま

なぜ彫刻の道に?

と問われる事があるが


生まれてから今までの間に

様々な要因はあれども

この木彫アルバムは

大きく関わる事の一つであると

話す機会が多い。


中学3年で作ったのち、

参考作品となり中高一貫教育の

母校に預ける事になり

数年後、教育実習で母校に行っていた時も

そこにあった。

そして

そのまま25年以上。

母校も校舎建て替えや

先生の入れ替わりなどもあり

その作品も

もはや廃棄などされたであろうと思いつつ、

昨年末、

思い切って母校に問い合わせをした。


事務局、そして現在の美術の先生経由で

中学高校、教育実習でもお世話になった

美術の先生が預かってくれていた事がわかり

心踊る。


その作品が

この世に存在している事が確認できれば

あとは写真でも頂ければと思っていたが


なんと、

今のお仕事の用事で3月に札幌に来るので

もし会えるならば

持参してきてくださるとの事になり

先生とおよそ25年ぶりにお会いする事に。


当時もはつらつと美しく、

今回お会いしたら

さらに素敵にはつらつと、

変わらぬ大らかな笑顔で

手渡してくださった。

さらにはいま一度の講評も。



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実は先生は私の出身大学、武蔵野美術大学でも

油画と彫刻と科は違えども先輩にあたる方。


大学の校風というのがあるとしたら

武蔵美生はなんだかフワフワとしていて

でも一匹オオカミっぽい、らしいと話すと

そうねーと二人でケラケラと笑った。



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木彫の題材は各自自由。
殆どの同級生は各々の図案を元に
周りを彫り込んで浮き上がらせる高浮彫りにしていたが
私は周りを彫らずにモチーフを彫り込んで
沈み彫にした。

木彫アルバムの中には
中学3年間の美術の時間に制作した
平面の作品が数点、挟み込まれている。

当時の課題内容、
今よりもはるかにゆとりのあった美術の時間
(当時は週に2時間。現在は週に1時間らしい)
生徒の集中力、気の抜け方など
現在の状況と当時の事を合わせながら話をすすめる。

そして今現在の先生のお仕事、、
中学高校の教員や保育士を育てる仕事、
そこから派生したお話しはとても興味深く
話しはいくら聞いても尽きない。

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第9回小平野外彫刻展 (1995.10.25~11.19)

大学院1年の時の参加。
今はどうなっているのかわからないけれども、
当時の小平野外彫刻展は
主に彫刻科の学生が企画、運営をし、
武蔵野美術大学の学生全体に参加を呼びかけ参加者を募り、
小平市の協力を得て設置、モノクロやカラーの全作品掲載のパンフレットも作成していただいていた。
 
展示場所は小平市中央公園の屋外、体育館、
鷹の台駅から駅裏の公園までの地下道壁面を使用していた。
 
参加学科は彫刻科、油絵科、日本画科、建築科、デザイン科と多岐に渡り、
呼びかけ、説明会後の5月頃の初会合から10月終わりの展示開始から3週間ほどの会期終了まで
制作をする傍らで公共の場所に設置するための注意点や、搬入搬出方法、宣伝広報、企画運営等
参加学生同士、市役所の担当者との打ち合わせ等行っていった。
年ごとに企画委員や参加作家が変わる展覧会。
(この展覧会の始まり、、についてはいろいろあるのでここでは省略) 

私は大学3年生の時に木彫の作品で初参加。
その後、大学4年、大学院1年、2年と4年連続して出品しているが
今回の作品写真は大学院1年のときのもの。
 

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空のゆくえ
A memory goes somewhere

大理石、ブロンズ、鉄板
155x85x75(cm)

第9回小平野外彫刻展
(室内の部)
小平市中央体育館内



この時は運営サイドでもあったのと、他の展覧会に大きな作品を出品するために
室内展示のみの参加とした。


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作品の写真などを撮っていた時
作品を見た初老の男性が
美術作品というのはよくわからない。
と言うので
見て感じたそのままで良いんです
と答えると

…俺は戦争の時に頭の上を沢山の戦闘機が飛んで行ったのを思い出したよ

と話してくれた。
話しを聞きながら
私は映画やテレビでしか見たことはなく
また母や父に戦争の時の記憶を尋ねた時の事を思い出しながら
その初老の記憶の光景を見ていた。

ある人は
日本昔ばなしを思い出したと話し
またある人は
ラッパが鳴ってる音を思い出したと話し
またある人は

見てくれた人の記憶が作品を通して
甦るのは本当に興味深いと感じた
作品のひとつ。


【忘れえぬひとびと1】

横沢英一さん

1997年
このブログ内でも数回登場した
今は亡き石工、イサク・ボラオ(内藤文男)さんとの出会いは
茨城県笠間での40日間機械を使ってはならない石彫シンポジウム。
私はシンポジウムに参加していて
内藤さんは愛知から遊びに来ただけだったけれども。
強烈な出会い。→ 過去記事


そのシンポジウム後。
内藤さんが長野県諏訪のある画廊で
展覧会をするということで
東京から車を走らせお会いしに。

展覧会場で内藤さんや一緒にいた
数名とおしゃべり。。
そのうちに
石彫家、横沢栄一さん(2018年2月没)の
霧ヶ峰のアトリエに一緒に行こう、
笠間のシンポジウムで知り合った作家も
(当時)アシスタントしてるし、ということで

わけも分からず、ま、いっかということで
山奥のアトリエに真っ暗闇のなか向かい、
アシスタントとしてそのアトリエに常駐していた作家と再会、
皆で焼き肉を食べ、歌を歌い。。。

そして(いつものごとく記憶はさだかでないけれど、翌朝な気がする)
そのアトリエの主である、横沢栄一さんに初めてお会いする。

とはいえ、お会いできたものの、間もなく東京の自宅に戻るということであったので
当時はどこに行くにも持参していたポートフォリオ(作品帳)を見ていただく時間をとにかく頂いた。

大した量のない私のポートフォリオを
丁寧にご覧くださったのち

ひとこと。

「君の作品は海外だ。」

え、どういう意味ですか、、という問いには

「海外に行きなさい。」

というくらいの答えしか覚えてないくらい

その言葉は強烈であった。

海外旅行はすでにその前からしていたものの
制作で、というのは難しい、遠い世界のような気持ちがしていたのが
横沢さんのそのひとことで現実的になりえる気がした。

その後、本当に海外での制作の機会を得ることが続き、、

「とりあえず、海外に行ってきました」
と、報告方々、作品帳をまた見せられる機会はないだろうか、
とほとんど忘れる事の方が多い日々のなか、それでも機会を
模索してもはや10年以上、、
結果、1年前の2018年2月にお亡くなりになってしまった。

亡くなった事がわかったのも、北海道に来て知り合った彫刻家のご夫婦のSNS投稿記事から…
(正確に言うと、旦那さんとは学生時代に遊びに行った
笠間の公開制作で呑んで話した事はあったのだけど)

なぜ、どこが、どのあたりを見て、「海外だ」という言葉だったのか、
そして、海外に行ってきたという事をどう受け止めてくださったのか、
もう一生不明のままになってしまった。

でもやはり、海外に行った事、住んだ事、制作も出来た事は今の私にとってかけがえのない経験であり、また、自分にとってとても必要な事だったと感じる。
性質的にも日本よりも海外の方がラクではあったし、そのまま海外で…という選択肢もあったけれども、
作るという空間は現実的な環境をミニマム単位でクリアしていければ、どこに行っても変わらずという認識も出来、とりあえずは日本で会得しなければならない宿題を抱えつつ
今に至る。


このような様々な事柄。
ヒトヒトヒト、と
場所と機会と流れとが
つながって行って、そして今に。




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縁あって北海道の石彫家から頂いた、横沢栄一さんの本。

20年前横澤さんの言葉を聞いてからのち、20年間自分は何をしてきたかについて
改めて問いただす機会を頂いたような気がする。 

その北海道の石彫家の方(ご夫妻)との縁もまた
不思議なつながりの中での出会い。
そのうちにブログのエピソードとして出るかと思います。 
 

「1970の会」というのは
かつて東京、代々木にあった(現在は原宿に移転)
代々木ゼミナール造形学校(以下代ゼミ)の彫刻科に
高校三年生の時(現役時代)に通っていた同級生同士が中心となり、
その造形学校に併設されていた代々木アートギャラリーにおいて開催したグループ展。

1969年以前の人と1970年以降の人ってなんとなく違うよねって話しもしながら
皆同じ年齢、1970年生まれということから
「1970の会」というネーミングにした。

現役あるいは浪人を経てそれぞれ美術大学、或いはその他の道へと進んでからも、
なんとなく連絡を取るあいだに、今やっている事をどこかで展示しようかという話しに。

代ゼミ造形学校内にあった代々木アートギャラリーでは常時さまざまな展覧会が開催されており、
概ねその学校を出て美術、工芸、建築、デザイン等に進んだ代ゼミ卒業生や
創作家でもある代ゼミの教師達の作品が展示してあった。

当時も(そして今も)作家として活躍している作家とも直接会ったり、作品も多く見ることが出来、
そこに通っていた私達にとって、多くの刺激や励み、将来の自分の姿を思い浮かべつつ、
見る側と作る側の審美眼のようなものもそこから学び始めていたように思う。

…余談だが、木彫家の舟越桂さんの作品の中で代ゼミの事務員をモデルにしたものがあるのは有名で、
30年近くも前の事なのでかなり曖昧ではあるが、桂さんの作品も代ゼミのギャラリーで見た記憶があるような。。


やはりやるならここだよね、と母校に連絡。
卒業生がやる展覧会という事で展示場は安価で、簡易リーフレットは無料で提供してくれる事になり、嬉々として参加できる同級生を集め、飲食しながら企画、広報、展示、搬入搬出セッティングと取り決めながら準備を進めた。


1996年11月12日〜25日
1970の会(vol1)
旧代々木アートギャラリー
(旧代々木ゼミナール造形学校本校)

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断片、或いは忘れもの
A forgotten thing,or fragment

みかげ石(濃青灰色)、ブロンズ11枚
4x4(m)スペース
1996
一部店鋪蔵/日本


大学院2年時の作品。
ブロンズは板型にみずから鋳造。
雲形が地上に向けて降り立つ様子、ヒト型が空に向かい立つ様子、
或いは呼吸、或いは記憶と忘却、といったような事象を思い描き、空間作りできないかと試みた。
当時の記録は捜索中だが、確か、、8名ほどの出品だったように思う。。 


1998年11月10日〜24日
1970の会(vol2)
旧代々木アートギャラリー
(旧代々木ゼミナール造形学校本校)

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栄光の彼方
Far from the glory

真壁産みかげ石、銀泊
250x80x50(cm)
1998
一部店鋪蔵/日本

大学院修了後、研究室で働いていた頃の作品。
石の表面に切り込みを入れ、その中、あるいは表面に銀箔を貼り込めている。
こちらも同じく8名ほどの出品。
 

1970年の会は2年おきにやってみようと決めていたが
3回目の2000年は私は出身大学(武蔵野美術大学)の研究滞在助成で
パリに滞在することになったので
どのような展示になったのか、そしてそれからどうなることにしたのか、、
。。。関係者の方、これ見たら連絡ください。
齢も重ねたのでそろそろまたなにかやりましょう。
もちろん代ゼミ卒業生の方でもどなたでも、、


*私は高2の後半に田園調布美術学院(現在田園調布美術アトリエ?)
高3になる春休みから 代ゼミ、
1浪時は代ゼミ代々木校に夏前まで行き、夏から代ゼミ横浜アトリエ、
2浪時はかつて菊名にあった、横浜YMCA芸大美大受験科に在籍していました。
現役、1浪と、他の大学は受けずに芸大しか受けませんでしたが、その間に学んだ事はたくさんあり今こうしているのもソコがあってからかもしれないけれど、、今も昔も親泣かせですね。

2016年10月1日〜10月30日
帯広コンテンポラリーアート2016
(帯広100年の森)


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帯広100年の森内の展示スペースに指定された区域のすぐ横には
自衛隊基地が隣接されていた。
展示会場を下見に行った時も
そしてまたもう一度、そして展示作業中と
上空では偵察をしているかのごとく
自衛隊のヘリコプターが旋回しつづけていた。

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ヒトがヒトとして生まれてから…
他者との共生を穏やかに緩やかに敬愛込めあい、慈愛し、子供を産み育て、生涯生きてそして死んでいくだけでも良かったものが
激しく、争うこと、憎み合うこと、妬むこと、蔑むこと、反目しあうこと、殺しあう事
も同時に兼ね備えてしまった。

愛する者のために闘う、は
聞けば美しい響きも伴うかもしれないが
闘ったあとに残るものは?

その唯一の愛する者さえも失うこともあるのではないか。

神が織物の赤い絨毯を歩くならば
ヒトは仮物の安い敷物ではどうなのかと

その地で刈り取った草を編み込み
赤く染め、安物の絨毯と変化させた。

血の滑走路。
ヒトがヒトを、地を、血で染めてきてしまった
ヒトの歴史。
旋回する世界中の戦闘機やヘリコプターもここに降りれば良いのにと
空を飛ぶヒトにも捧げたこの作品。


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Red carpet' 

1.6×12(m)

Grass, hemp rope, wood, paint

〈Hominidae,homo genus,human〉

Obihiro Contemporary art Exhibition2016


「赤絨毯」

1.6×12(m)

オオアワダチソウ、麻縄、ヤマナラシ、塗料

ヒト科ヒト属ヒト展

帯広コンテンポラリーアート2016

 



ーカタログ記載

「レッドカーペットの例として文字として一番古く残っているものは紀元前458年にアイスキュロスによって書かれた古代ギリシャの悲劇三部作『オレステイア』の一つ『アガメムノン』である。


トロイア戦争から凱旋したアガメムノーン王は、夫への憎悪を募らせる妻クリュタイムネーストラーに「赤い道」を通るよう勧められるが、王は「そのような道を歩けるのは神々のみだ」と言い妻の勧めを断ろうとする。(Wikipediaより)」


2018 「フウミャクー循環」長澤裕子石彫展
2018年12月4日(火)〜12月23日(日)
和寒町立図書館ロビー及び閲覧室
開館時間:午前10時〜午後6時
休館日:月曜
主催:和寒町芸術文化公演会実行委員会

12月16日(日)午後1時〜2時間程度
滑石という柔らかい石を使って思い思いの形に作るワークショップを開催します。
会場:図書館視聴覚室
参加費:無料
定員:30名
誰でも参加出来ます。

申込:和寒町教育委員会 0165-32-2477

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