先週の3月11日(金)にお陰様をもちまして
「山口裕子日本画展−いとおしきせかい−」が無事終了いたしました。
出身地東京での開催、会期が母校の卒業制作東京展と重なったということもあり、会期中多くの方にご来場いただきました。
デビュー時から作品をご覧いただいているお客様、新たにお目にかかれたお客様。
中学から大学までの恩師やそのご家族、友人、先輩、後輩、美術業界関係者のみなさま。
お忙しい中足を運んでいただき誠にありがとうございました。厚く御礼申し上げます。
「数年前のものより、明らかに進化していて感動しました。」
と、会期終了後にお客様からメッセージも頂戴しました。とても嬉しかったです。
今回年度末で多忙な時期ということもあり、ご来場いただけなくてもお気に留めてくださった方もいらっしゃったと存じます。ご丁寧にご連絡くださった方もいらっしゃいます。
作品発表は今回が最後ではありません。
またご覧いただける機会を得られるよう、作家として人として成長した姿をお見せできるよう、こつこつと地道に日々精進してまいりたいと思います。
また、開催にあたりご尽力賜りました
新生堂スタッフのみなさま
仙台 青葉画荘のみなさま
リーフレット・DMデザインをしてくださった若生友見さま
梱包のお手伝いや駅まで送迎してくれた同じアトリエのメンバー
友人、家族に心より感謝いたします。
絵を描くという行為は孤独な闘いと思われがちですが、
作家活動は多くの方に支えられて成り立ちます。
そして、心身ともに健康に笑顔で制作活動を続けられるのは周りのみなさまのおかげです。
これからも感謝の気持ちを忘れずに。
さて、少し話が変わりますが、会期最終日の3月11日は、東北で暮らすものとして大きな意味を持つ日でありました。
作家としてもこの日から、目指す将来像が大きく変わったように思います。
個展の会期が終わり山形に戻ってから数日後、
とあるドキュメンタリー 映画のアンコール上映会に参加するために仙台へ行ってまいりました。
本上映時には個展の準備や他の仕事が重なり行けず。。。。
映画の舞台となっている地域は悠々貫々展での義援先「南三陸町きりこプロジェクト」が行われているところと近い地理・環境にあり、きりこに込めるふるさとへの想いを知るために拝見しなければならないと思っていた作品です。
「波伝谷に生きる人々」 我妻和樹 監督作品
映画は宮城県の海沿い南三陸町の波伝谷(はでんや)という集落に暮らす人々を震災の3年前から丁寧に撮影したものです。
震災によって失われてしまった暮らしがいったいどういうものであったのか。
復興ということの本当の意味を深く深く考えさせられる内容でした。
この日は監督さんと出演していらした方のご遺族とのトークイベントもありました。
ご家族を亡くされたご心情は計り知れないものでございますが、「津波で写真など全て流されてしまって、映画の中の大切な父に会いたくて上映会に足を運ぶ」とおっしゃった娘さんの言葉が印象的でした。
また、ものづくりをする者として、「震災によって波伝谷との関わり方がわからなくなってしまった時期がある」とおっしゃった監督の言葉に胸が詰まります。
私も震災直後に、絵筆を握ることへの罪悪感にさいなまれたときのことを思い出しました。
芸術にはできないこと。芸術だからこそできること。芸術の在り方。たくさん考えました。
5年という歳月は長くもなく、短くもなく、区切るものでもなく、ひたすら営みを積み重ねて、そこに暮らす方々の土地への思いをつなげていく過程の一点にすぎないと思っています。
話を戻しまして、今回の個展は日々の暮らしの中で出会った「いとおしいものたち」を題材に、
強く優しく生きるために日々の暮らしを飾ることを意識した作品達でした。
いま目に映る″ いとおしいせかい″を
いまを生きている私たちが大切にできますように。
そんな願いを込めながら、これからも制作を続けてまいりたいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
「山口裕子日本画展−いとおしきせかい−」が無事終了いたしました。
出身地東京での開催、会期が母校の卒業制作東京展と重なったということもあり、会期中多くの方にご来場いただきました。
デビュー時から作品をご覧いただいているお客様、新たにお目にかかれたお客様。
中学から大学までの恩師やそのご家族、友人、先輩、後輩、美術業界関係者のみなさま。
お忙しい中足を運んでいただき誠にありがとうございました。厚く御礼申し上げます。
「数年前のものより、明らかに進化していて感動しました。」
と、会期終了後にお客様からメッセージも頂戴しました。とても嬉しかったです。
今回年度末で多忙な時期ということもあり、ご来場いただけなくてもお気に留めてくださった方もいらっしゃったと存じます。ご丁寧にご連絡くださった方もいらっしゃいます。
作品発表は今回が最後ではありません。
またご覧いただける機会を得られるよう、作家として人として成長した姿をお見せできるよう、こつこつと地道に日々精進してまいりたいと思います。
また、開催にあたりご尽力賜りました
新生堂スタッフのみなさま
仙台 青葉画荘のみなさま
リーフレット・DMデザインをしてくださった若生友見さま
梱包のお手伝いや駅まで送迎してくれた同じアトリエのメンバー
友人、家族に心より感謝いたします。
絵を描くという行為は孤独な闘いと思われがちですが、
作家活動は多くの方に支えられて成り立ちます。
そして、心身ともに健康に笑顔で制作活動を続けられるのは周りのみなさまのおかげです。
これからも感謝の気持ちを忘れずに。
さて、少し話が変わりますが、会期最終日の3月11日は、東北で暮らすものとして大きな意味を持つ日でありました。
作家としてもこの日から、目指す将来像が大きく変わったように思います。
個展の会期が終わり山形に戻ってから数日後、
とあるドキュメンタリー 映画のアンコール上映会に参加するために仙台へ行ってまいりました。
本上映時には個展の準備や他の仕事が重なり行けず。。。。
映画の舞台となっている地域は悠々貫々展での義援先「南三陸町きりこプロジェクト」が行われているところと近い地理・環境にあり、きりこに込めるふるさとへの想いを知るために拝見しなければならないと思っていた作品です。
「波伝谷に生きる人々」 我妻和樹 監督作品
映画は宮城県の海沿い南三陸町の波伝谷(はでんや)という集落に暮らす人々を震災の3年前から丁寧に撮影したものです。
震災によって失われてしまった暮らしがいったいどういうものであったのか。
復興ということの本当の意味を深く深く考えさせられる内容でした。
この日は監督さんと出演していらした方のご遺族とのトークイベントもありました。
ご家族を亡くされたご心情は計り知れないものでございますが、「津波で写真など全て流されてしまって、映画の中の大切な父に会いたくて上映会に足を運ぶ」とおっしゃった娘さんの言葉が印象的でした。
また、ものづくりをする者として、「震災によって波伝谷との関わり方がわからなくなってしまった時期がある」とおっしゃった監督の言葉に胸が詰まります。
私も震災直後に、絵筆を握ることへの罪悪感にさいなまれたときのことを思い出しました。
芸術にはできないこと。芸術だからこそできること。芸術の在り方。たくさん考えました。
5年という歳月は長くもなく、短くもなく、区切るものでもなく、ひたすら営みを積み重ねて、そこに暮らす方々の土地への思いをつなげていく過程の一点にすぎないと思っています。
話を戻しまして、今回の個展は日々の暮らしの中で出会った「いとおしいものたち」を題材に、
強く優しく生きるために日々の暮らしを飾ることを意識した作品達でした。
いま目に映る″ いとおしいせかい″を
いまを生きている私たちが大切にできますように。
そんな願いを込めながら、これからも制作を続けてまいりたいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
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