2013年10月17日
六帖会とか
極道さん
思いつき次第追記してく
とりあえずうちの奴
御巫一家
江戸時代から続く古い任侠一家。
元をたどれば先祖は香具師で、神職崩れとも武家崩れとも伝わっている。江戸中期頃から博徒や的屋、その他職にあぶれ落ちぶれた武士や被差別階級までさまざまなゴロツキ・無頼漢を束ね始めたのが一家の大本の始まり。
拠点は関西方面だが、全国に系列組織がある。
その筋の人を「御巫」という名前を出すだけである程度黙らせることが出来る位にはその筋では格式高い家。
昔気質の任侠精神が根付いているので、性質的には割りと鳩。時折ボランティア等にも参加する程だが、一度怒らせると情けや容赦は一切しない事で有名。御巫一家の怒り恨みを買って消された家は数知れず。各界にも多少のコネがあるのでもみ消された事件事故も多々ある。
現在は不動産や風俗・賭場関係が主な収入源。他にも色々と手を出している。それなりに人員も多く、資金は割りと充実安定している。一般向けの企業名称は御巫商事。
なお、先祖と伝わる出自からの慣例で、地元の祭りには必ず屋台を出している。
先代・御巫金蔵(みかなぎ きんぞう)/80歳
御巫一家の先代頭。現在は引退しているが発言力はまだ強い。
組長・御巫銀壱(みかなぎ ぎんいち)/58歳
御巫一家の頭。仕事の腕は確かだが身内(特に妻)に弱い。
若頭・御巫鎮一郎(みかなぎ しんいちろう)/35歳
御巫一家若頭。銀壱の長男。物腰柔らかな一見優男。
補佐・御巫鉄二郎(みかなぎ てつじろう)/32歳
銀壱の次男、鎮一郎の実弟。不動産系列の社長も兼任してる。女癖悪い童顔ヘビースモーカー。
この二人の下に三人の弟が居るが、この三人はどちらかといえばカタギ寄り。
三男の鋼三郎(こうざぶろう)と四男の銑司郎(せんしろう)は25歳。鋼三郎は研修医。銑司郎は居酒屋店主。五男の鈴吾郎(りんごろう)は23歳。大学院生。
鎮一郎、鉄二郎、鋼三郎は本妻である御巫紗江子の子だが、銑司郎、鈴吾郎は愛人である小早川愛の子。銑司郎は鋼三郎と数ヶ月違いなので紗江子の養子として、鈴吾郎は裏で手回しして紗江子の実子と戸籍上はなっている。
本妻である紗江子と愛人である愛との関係は良好。養子やら戸籍いじりの件も双方了承済み。寧ろ普通の夫婦より旦那も含めて三人で仲良くやってる。
男子の名前には金編が付く漢字を入れるのが通例。頭を継いだら銀の字を入れ、ご隠居になったら金の字を入れる。ので、銀壱が隠居したら金壱に、鎮一郎が頭になったら銀一郎となる。現代は昔の様にコロコロ名前を変えられないので、一家での通り名のようなもの。戸籍の名前は変わらない。
六帖会に絡むとしたら、鉄二郎かな……土地の売買的な意味で。
関東の方の支社的なのに主に居るのは鉄二郎。
関東の何処か海沿いの町には銑司郎が経営している飲食店『夏眠』があり、小さな密談等がよくされている。店名は、店主の愛読書である本のタイトルから。
千歳時任(ちとせ ときとう)/39歳
鷹居家の組員。若頭・六之介(@狗也さん)の側近()。寡黙であまり自分の事を話さない。
何も言わずに頭に付いていく執事タイプのイメージ。
仕事や上にはとても忠実、且つ誠実。
有能すぎるほど有能だが、その有能さのせいで六帖会に来る前に所属していた組(御巫の末端組織系列)ではやっかまれていた。トカゲの尻尾切りとして数年獄中に居た経験もある。
組を抜けるにあたり、左手の薬指と小指を失っている。
鎮一郎とは面識は無いが、鉄二郎とは面識があり、それなりにウマは合っていた様子。鉄二郎は自分の傍に置きたかったらしいが、当時の時任の直属の上司から邪魔をされ断念している。
日永犬彦(ひのつね いぬひこ)/外見20~30代?
日永家の組員。苗字は答える必要があるときにそう答えてるだけなので、日永の人間ではない。苗字を名乗る必要性が無いときは、犬彦だけで通す。
日永の家の人に犬のような忠誠を誓っており、それ以外にはほとんど興味を示さない。
興味は示さないまでも、外面は気のいいあんちゃん。感情表現も豊か。
正体は、犀犬。数十年前、日永家の何某かが掘り出した際につがいの片割れが行方不明になり、その片割れを探すために日永の家に厄介になっている。犬彦はその当時掘り出した人がつけた名前で、本来の名前は多分別にある。
片割れは、ガチで行方不明でも実は日永さんちが…でも美味しいと思う。
とりあえず、片割れが居ないので完全ではないまでも、家にそれなりの幸運を運んでいる。
普段は白く大きな犬の姿でもいいかなぁ、とか。
アウトな設定ならまた考え直す。
メモ
犀犬(シーチュエン)[中国の妖怪]
犀犬〔xī-quăn〕(シー・チュエン)【中国語】
地狼〔dì-láng〕(ディー・ラン) 賈(贾)〔gŭ〕(グー)
中国の「捜神記」に登場する、地中に棲むつがいの巨大な犬の妖怪。日本では「犀犬(さいけん)」と呼ばれる。これを捕まえて飼うことができるとその家は繁栄するという。
犬を掘り出し、捕らえそこなった場合は幸せにも不幸にもならないが、飼って死なせてしまった場合は不幸になるとも。