2009年06月13日

生と死

東洋思想の真髄は理解しがたい。

いや、理解しようとする心の構えが余計に分からなくしているのかもしれません。

「あるがままを体感する」

その体感の中から、ある種の言語化できない感覚が生じてくるような気がします。
だから、言葉で語ろうとすると何か違ったものなってしまいます。

しかし、言語化しない限り多くの人に伝わらないこの矛盾…

東洋的な思索の中に「陰陽一体」という考え方があります。

「相対の中の絶対」なんて言われてもなかなかピンとこないものです。

「陰極まって陽となる」「陽極まって陰となる」

なかなか絶妙なる表現である、陰から陽へ、陽から陰へのダイナミックな動き、そのプロセスの中答えがあるように思われます。

そのプロセスが「道(みち)」なのだろうか。「道(みち)」を歩きながら、そこから「道(どう)」が観えてくるのかもしれません。

坦々と人生という「道(みち)」を歩いていく中で、観えてくる「どう」の世界は理屈で語ることのできない深遠なる世界なのでしょう。

70歳を前にして今尚、暗中模索している自分が愛おしく感じられる昨今です。

「生」の究極は「死」である。

究極の「死」から「生」を浮き彫りにさせたとき、そこに真の生き方が生まれてくるのでしょうね。 

若輩者が生と死を語るのには重過ぎます。しかし、あえて、ここで取り上げたのには理由があります。

 どんな死生観を持っているかで、人生の重みや生き方が違ってしまうからです。
 自然の摂理によって、人間、いつかは死をむかえるのは反論のしようのない明白な事実です。

 しかし、「どのように生きるか?」という問いかけには、100人100通りの答えが返ってくるものです。
 人はともかく自分にとって、生死の問題は避けては通れない人生の一大問題なのです。

 生死に関する思索は、古今東西、あらゆる先人たちが提唱しているので、あえてここで議論するつもりは毛頭ありません。

 生死を自然の摂理だと割り切る人も、万物の霊長として深く洞察する人も、重く観る人も、軽く観る人も、それはそれで、自由でいいと思います。

 ただ、「自分の人生の夢を実現する」ということは、自分にとって、どんな深い意味を持っているのだろうかと、自問自答して頂きたい為に、投げかけたわけです。

 たぶん明快な答えは出てこないはずです。また、答えを求めているわけでもありません。問いかけて考えることが大切なのです。

 考えることによって、そこから質のいい「夢や生き方」が生まれてくるからです。
 自分自身を洞察することによって、一日一日を大切に生きようと思う心構えが養われるためです。

 人生は有限です。今日を大切に生きる人は、人生を大切に生きる人です。

ホロンネット
http://holonnet.jp/
   

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