2010年03月30日
2010年03月20日
2010年03月02日
鹿野城
鹿野城は亀井氏が津和野に移封となるまで、多くの武将の区に取り舞台となったところである。
戦国時代に入ったころまでは国侍志加氏代々の城であったようだ。
しかし、戦国時代半ばに入ると、軍事上の重要拠点として山名氏毛利氏の抗争の最前線として、幾度となく激しい攻防が展開された。
天正8年茲矩は秀吉の因幡攻めに従い、防乙尾城、鹿野城を攻めた。翌9年には、秀吉は鳥取城を攻略する。
こうして秀吉による因幡平定後茲矩が入城した。
その後も、周辺の狗屍那城、金剛城など討伐し領地を固めていった。
茲矩は関が原の合戦でも東軍に属してその功あり、加増された。
家臣が増え、改築の必要に迫られており、又、増築ばやりの時であった。城の主要部分を山上から山麓に移して本丸とした。
山城部も改修して天主台、唐木の御殿など整備し、又オランダ櫓・朝鮮櫓などを立てている。
慶長14年には隠居し、2代目政矩が跡を継ぐ。
その時に久米・河村郡5000石を加増され、亀井氏は43000石に領地をもつ大名となった。
鹿野町はこの茲矩・政矩の2代36年間の治政によって大発展を遂げ、城下町として、町並みが整えられた。
が、突然にも、津和野移封の幕命が下り、池田家の所領となった後、生垣等も破却され廃墟となった。
今では満々と水をたたえる内濠・外濠に老松が影を落とし、鯉がなごやかに遊んでいる。この内濠・外濠に囲まれた鹿野城跡一帯は、桜の名所として多くの人でにぎわう。
「しかの」ふるさとガイドより



