2010年03月30日

岩屋堂

岩屋堂岩屋堂 狛犬 阿岩屋堂説明














昨日、鳥取自動車道が開通したので、初走りしてきました。

今回、開通した鳥取インターから河原インターの区間を走っ

たのですが、当日は河原・船岡間も開通し

ていたので、船岡の友人を尋ね、若桜町の

岩屋堂に案内してもらいました。 

岩屋堂は、間口7メートル・奥行き10メートル・高さ約13

メートルの岩窟内にある、投げ入れ堂方式の建造物で、国の

重要文化財の指定も受けています。



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2010年03月20日

白いかの一夜干し

一夜干しのイカ

今日は、私の大好きな浦富海岸の、遊覧船の乗船場に、
来てみました。

浦富海岸は日本海の荒波に削り取られた入江や洞窟が、
見事な造形美を織りなし、海の水はあくまで澄み渡り、
遊覧船の下を回遊する小魚達や海草類を、じっくり
鑑賞出来ます。

写真は乗船場の前で潮風を受けながら、くるくる回して
白いかを干しているところです。

一夜干しって言っても夜干す訳じゃーありません。 
今日のように、天気がよく、なおかつ風の冷たい日に
干した「いか」は 最高の味がするでしょう。


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2010年03月02日

鹿野城

P1020609-鹿野城は亀井氏が津和野に移封となるまで、多くの武将の区に取り舞台となったところである。
戦国時代に入ったころまでは国侍志加氏代々の城であったようだ。
しかし、戦国時代半ばに入ると、軍事上の重要拠点として山名氏毛利氏の抗争の最前線として、幾度となく激しい攻防が展開された。
天正8年茲矩は秀吉の因幡攻めに従い、防乙尾城、鹿野城を攻めた。翌9年には、秀吉は鳥取城を攻略する。
こうして秀吉による因幡平定後茲矩が入城した。
その後も、周辺の狗屍那城、金剛城など討伐し領地を固めていった。
茲矩は関が原の合戦でも東軍に属してその功あり、加増された。P1020608-
家臣が増え、改築の必要に迫られており、又、増築ばやりの時であった。城の主要部分を山上から山麓に移して本丸とした。
山城部も改修して天主台、唐木の御殿など整備し、又オランダ櫓・朝鮮櫓などを立てている。
慶長14年には隠居し、2代目政矩が跡を継ぐ。
その時に久米・河村郡5000石を加増され、亀井氏は43000石に領地をもつ大名となった。

鹿野町はこの茲矩・政矩の2代36年間の治政によって大発展を遂げ、城下町として、町並みが整えられた。
が、突然にも、津和野移封の幕命が下り、池田家の所領となった後、生垣等も破却され廃墟となった。
今では満々と水をたたえる内濠・外濠に老松が影を落とし、鯉がなごやかに遊んでいる。この内濠・外濠に囲まれた鹿野城跡一帯は、桜の名所として多くの人でにぎわう。

「しかの」ふるさとガイドより



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