寝てばかりの毎日になって何ヶ月経ったでしょうか。
83歳でガンで亡くなった舅でさえも、最期の1週間を除いては、こんなに寝ていなかったのに…と思うと情けないです。
朝、夫を見送ってからまた寝て、しばらくして起きて朝食を取ってまた寝て、少し家事をしてからまた寝て…というような生活を最近も送っています。
肺炎がなかなか治らないで熱が毎日出ることや、医療用麻薬などのお薬の影響もあるのでしょうけれど、食べることやシャワーを浴びること、洗顔することなどにもエネルギーがかなり要って疲れるのだということを最近発見しました。
ということで、最近は体調が悪くて、今は本を読んだり、長文を書く余裕がありません。
ですから、今日は私の好きな詩をご紹介するだけにさせていただきます。
というのも、毎日熱を出して寝てばかりいて、家事をサボり気味でも、そんな私を慰めてくれる詩があるからです。
20歳代の頃、矢崎節夫さんの本を読んで金子みすゞさんの詩を初めて知りました。
矢崎さんは、金子みすゞさんの詩を再発見し、世の中に改めて紹介した方です。
さて、私が慰められている金子みすゞさんの詩は次の童謡詩です。
わたしと小鳥と鈴と
わたしが両手を広げても、お空はちっとも飛べないが、飛べる小鳥はわたしのように、地面 (じべた) をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、きれいな音は出ないけど、あの鳴る鈴はわたしのように、たくさんうたは知らないよ。
鈴と、小鳥と、それからわたし、みんなちがって、みんないい。
この詩は有名なので多くの方がご存知だと思いますけれど、私の場合、こんな私でもいいのだと自分に言い聞かせるために、この詩を毎日思い出すようにしています。
私の同年代の人たちは、仕事や家庭のこと、趣味やレジャーに勤しんで充実した日々を送っているのに私は…と思うと心が折れそうになります。
でも、俯瞰してみれば、「みんなちがって、みんないい」のかもしれません。
私も病気と共に生きると決めて、ずっとチャレンジしていますし、今が治癒の過程なのかもしれないと考えると、これはこれでいいのだと、この詩を口ずさみながら思うのです。
もう一つ、母との関係を考えるとき、思い浮かぶ金子みすゞさんの詩があります。
こだまでしょうか
「遊ぼう」っていうと「遊ぼう」っていう。
「ばか」っていうとら「ばか」っていう。
「もう遊ばない」っていうと「遊ばない」っていう。
そうして、あとでさみしくなって、
「ごめんね」っていうと「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、いいえ、誰でも。
母と私の関係は、「ごめんね」とどちらも言い出せなくて、「もう遊ばない」で止まっています。
母との関係は、これからの私の課題の一つです。
それはさておき、金子みすゞさんの詩は童謡詩ですが、大人の私にもいろいろな気づきをもたらしてくれます。
彼女の詩の優しい視点や、穏やかで温かい調べに私はいつも癒されます。
コメント
コメント一覧 (2)
お身体お疲れの中、今日もブログをありがとうございます。
そのお姿からは大きな勇気を頂いています。
金子みすゞさん、素敵な詩ですね。確か東日本大震災の際に有名になったんですね。僕もその時に初めて知りました。
日常の出来事の中に大切な気付きがあるんですね。
夢子さんのブログを拝読しコメントさせて頂く事で、僕の中では読書するのと同じように学びとなっています。叶うなら、お会いしてゆっくりとお話できたら、なんて思っています😊本当です。
お強いし、そしてとても優しさを感じる生き方をされていると思っています。
又、拝読させて頂いていますとのご報告としてもコメントさせて頂いてますが、お身体のご負担にならないようにゆっくりとご返信くださいませ。短文で結構です。
強い雨も続き、少し不安を煽るようなお天気模様ですが、どうぞお心が穏やかでありますように…
いつもコメントをありがとうございます☺️
お会いしたいと言っていただいて、とても嬉しいです。
私もコメントをくださる方には是非とも会ってみたくなります。
でも、私は平凡な人間ですから、お褒めいただくと恐縮してしまいますけれど…。
金子みすゞさんは、矢崎節夫さんに再発見されてから日本でも瞬く間に有名になりました (1984年頃だそうです)。
金子みすゞさんの生涯には悲しい部分があり、つらい境遇の中でひっそりと詩を書き続けておられたことにも私は感銘を受けました。
私も今はまたつらい経験をしていますが、彼女のように、優しくて温かい視点を失わない人間でありたいと思っています。
連日の雨模様で気分も塞ぎがちになりますが、雨の日の読書は気持ちが落ち着きますね。
加藤様も何か楽しみを見つけて、この梅雨を乗り切ってくださいませ✨