2017年02月15日
大治郎が旅立ちました
2017年2月12日
ダディーの看板犬だった「大治郎」が旅立ちました。
店長は、静かに送ってあげて、
敢えて公表はしないつもりでした。
しかし店長にとって、とても大切だった相棒。
副支店長としても、残しておきたいと許しを得て、
弔辞代わりに、書き記します。
一昨年頃、足に腫瘍が出来て、走ることができなくなり、
昨年春からは中型犬エリアで過ごしておりました。
この頃からは、ゲストのお迎えにも出さないようにしており、
大治郎の姿を見かけないことを心配して、
お声かけを下さった方もいらっしゃいました。
夏になると歩くことも困難になり、
介護ブースで静かに余生を送っておりました。
昨年、副支店長が訪問した際も、
不自由な脚で、立ち上がってくれて、
尻尾を振って出迎えてくれました。
年を越して、少しづつ食が細くなったなと思っていましたが、
体力は衰えたもの、気力は有って元気でした。
2月に入ると、寝ている時間が多くなり、
12日の朝、眠るように息を引き取りました。
14歳でした。
副支店長が訪問すると、
涎まみれにしてくれるほどの歓待をしてくれて、
いつも陽気で、遊ぶことが大好きなナイスガイでした。
ゲストワンコとすぐに仲良くなり、
たくさんの友達を作って、
現場で、店長のサポートしているようでした。
大治郎との出会いが、今、こうして店長が、
たくさんのワンコをお迎えして、お預かりし面倒をみて、
また、老犬介護に取り組むきっかけとなったのは、
言うまでもありません。
大治郎は子犬の頃からずっと、
店長の傍で、店長と一緒に、
ドッグハウス・ダディーを見てきました。
店長の活躍ぶり、ダディーの賑わいをみて、
もう大丈夫だと、安心して旅立ったのかもしれません。
大治郎、またね。
スタッフ犬 大治郎のこと (2012年07月22日)







老犬ホーム 生涯・長期預かりドッグハウス・ダディーダディーの看板犬だった「大治郎」が旅立ちました。
店長は、静かに送ってあげて、
敢えて公表はしないつもりでした。
しかし店長にとって、とても大切だった相棒。
副支店長としても、残しておきたいと許しを得て、
弔辞代わりに、書き記します。
一昨年頃、足に腫瘍が出来て、走ることができなくなり、
昨年春からは中型犬エリアで過ごしておりました。
この頃からは、ゲストのお迎えにも出さないようにしており、
大治郎の姿を見かけないことを心配して、
お声かけを下さった方もいらっしゃいました。
夏になると歩くことも困難になり、
介護ブースで静かに余生を送っておりました。
昨年、副支店長が訪問した際も、
不自由な脚で、立ち上がってくれて、
尻尾を振って出迎えてくれました。
年を越して、少しづつ食が細くなったなと思っていましたが、
体力は衰えたもの、気力は有って元気でした。
2月に入ると、寝ている時間が多くなり、
12日の朝、眠るように息を引き取りました。
14歳でした。
副支店長が訪問すると、
涎まみれにしてくれるほどの歓待をしてくれて、
いつも陽気で、遊ぶことが大好きなナイスガイでした。
ゲストワンコとすぐに仲良くなり、
たくさんの友達を作って、
現場で、店長のサポートしているようでした。
大治郎との出会いが、今、こうして店長が、
たくさんのワンコをお迎えして、お預かりし面倒をみて、
また、老犬介護に取り組むきっかけとなったのは、
言うまでもありません。
大治郎は子犬の頃からずっと、
店長の傍で、店長と一緒に、
ドッグハウス・ダディーを見てきました。
店長の活躍ぶり、ダディーの賑わいをみて、
もう大丈夫だと、安心して旅立ったのかもしれません。
大治郎、またね。
スタッフ犬 大治郎のこと (2012年07月22日)







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