April 01, 2019

ラクシュミー・バーイー

世界史を彩る美男美女
ラクシュミー・バーイー  1835?−1858

1857年5月10日、英国支配下のインドで、東インド会社のインド人傭兵シパーヒー(セポイ) による反乱が起きました。
このインド大反乱(1857年 シパーヒーの反乱・セポイの乱) は1858年には英国軍に鎮圧され、東インド会社は解散。インドは英国の直轄領となりヴィクトリア英国女王(在位1837−1901)がインド皇帝を称すことになりました。
この反乱に荷担した罪により、ムガル帝国の17代皇帝バハードゥル・シャー2世はビルマへ流刑となり、中世から続いてきたインドのムスリム国家ムガル帝国は滅亡しました。

この動乱の中に、今もインドの英雄と慕われている美女戦士ラクシュミー・バーイーがいました。 ラクシュミー・バーイーはインドの小国の一つジャーンシー国の王と結婚し子供が生まれています。しかしその後国王は亡くなり、彼女がジャーンシー国の女王となりますが、英国のインド総督ダルフージーによる藩王国取り潰しなどの強圧的な政策により、国は英国の干渉下におかれてしまいます。
そして、ラクシュミー・バーイーはその頃に起きたインド大反乱1857年(セポイの乱)に呼応して国軍を率いて蜂起したのです。 彼女は男装して数十騎の騎馬隊の先頭にたち、自ら銃を取り勇敢に戦いましたが、1858年、英国との戦いの中で戦死しました。
知的で魅力的なものごしと、卵形の顔に整った美しい目鼻立ちの女性でした。


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