春日源五郎覚書

February 07, 2019

春日源五郎覚書 10

10 春日源五郎に興味がある方におすすめの本、参考書籍


信濃戦雲録 第1部 野望 第2部 覇者 井沢元彦 祥伝社
高坂弾正  近衛龍春 PHP文庫
武田信玄  斉藤吉見  信濃路出版
武田信玄(上・中・下)  津本陽 講談社
武田信玄 全4巻   新田次郎 文春文庫 
風林火山        井上靖 新潮文庫


◎信濃戦雲録 第1部 野望 第2部 覇者井沢元彦 祥伝社

 フィクションの歴史長編小説で春日源五郎(後の高坂昌信)が準主役レベルでたくさん出てきます。
 祥伝社発行でタイトルが「信濃戦雲録」という、いかにも中高年向けのような感じの本なので眼にとまらない様な気もしますが、内容はとても面白いですし長編のわりに読みやすく、特に春日源五郎に興味をお持ちになっている方、歴史や戦国時代が好きな方ならきっと楽しめると思います。
 信玄に裏切られ滅ぼされる諏訪頼重の若い家臣望月誠之助が、信玄を生涯の敵として狙いながら成長していく過程で様々な武将に仕えていきますが、その誠之助の生涯のライバルになるのが同じ年頃の春日源五郎。 源五郎を軍師に鍛えるのが今年の大河ドラマの主役山本勘介、というような話です。

 第1部「野望」 では武田家の軍師山本勘介がメインの話で、信玄の若き近習源五郎が新参の軍師山本勘助に対して「なんてもったいぶったヤナ奴なんだ」 という感想しか持たないところから、やがて勘助を師と仰ぎ、自らも知将として成長していく過程が描かれています。 
 第2部「覇者」 では西へ向かった望月誠之助が新たに仕えた主君織田信長がメインの話に移って行きますが、信玄、謙信を恐れ画策する信長の配下に組み込まれた誠之助も活躍します。 そして侍大将から海津城代にまで出世し、軍師としても大役を負うようになった源五郎も様々な場面に出てきてはその成長ぶりを見せてくれます。
 やがて時が流れ、長い人生の果てに巡り会う誠之助と高坂の再開シーンも感動を誘われます。 どのような展開になるかは読んでのお楽しみということで、本屋さんで見かけたらぜひお手にとって見てください。 後書きに第3部も書く予定ありと書いてあるものの、その後何年も過ぎてしまいました。 井沢さんにはぜひ続きを書いていただくようお願いしたいと思います。

と、ここまでは2007年の文章ですが、その後2017年に祥伝社から文庫本で「驕奢の宴」上下巻2冊が発刊されて「信濃戦雲録」はめでたく完結しました。


 
◎高坂弾正  近衛龍春 PHP文庫


 武田信玄を取り上げた歴史書、評伝、小説などは数え切れないくらいありますが、春日虎綱はその中で家臣団の一人として紹介される程度の取り上げられ方がほとんどで、メインに据えた本はあまりないようです。 その数少ない本が上記の2冊だったのですが、それでも名前がタイトルにまではなっていませんでした。 
 そんな中、2006年12月に小説「高坂弾正・謙信の前に立ちはだかった凛々しき智将」 が発行されました。 
 「謙信の前に立ちはだかった凛々しき智将」 というのは素敵な副題です。


 
◎武田信玄 斉藤吉見 信濃路出版


 以前中古でたまたま手に入れたかなり古い本(1988年発行)で、作者は経済関係の小説なども書いている男性作家です。 そんなことで男性作家の描くところのお堅い時代小説かと思いながら読み始めたら、これが意外にも主人公は信玄ではなく高坂弾正昌信(春日源助)。  しかもこの本の源助はかなりやりたい放題、愛されてる強みでお屋形様を振り回しています。 しかしいざという時の源助は武田家の為、お屋形様のため冷血人間にもなり、苦い感情を抑えクールに事を行う戦国の武将でもあります。 源助は山本勘助とはここでも仲良しさん。  そして後日『甲陽軍鑑』 として世に出ることになる日記を虚実織り交ぜて書いています。 
 例のお手紙の「腹下しの弥七郎」 が出てきてセリフを話す小説は、もしかしたらこの本だけではないでしょうか?!

 マイナーな絶版本で手に入れにくいと思いますので、以下、ネタばれ を書いてみます。 ネタばらしがおいやな方はご覧にならないようご注意ください。

 そもそも、初めての出会いで、膝をついて下を向いている源助のうなじを見ただけでその気になってしまった晴信。 早速、その時源助の主であった細作(スパイ) の頭から源助を譲ってもらい、近習として召抱え、 「衣服を脱ぎ捨てた源助の火影姿に酔いしれ」 たりします。 
 それまでの源助は、幼い頃人さらいにあって売り飛ばされ、一人京からボロボロになって故郷石和に戻り、家の土地争いに負けて武田家の細作八郎太の元で小者をしていたのです。

 晴信の近習として従ううち、ただの美少年ではない才能を見せるようになった源助に晴信の寵愛は深まります。 
 やがて諏訪での戦いも終わり、躑躅ヶ崎の館に戻ったら源助と酒でも飲みかわしながら、疲れた体を彼の肩に伏せて堪能するつもりだった晴信に対し、弥七郎との浮気を疑う源助は冷たく突き放します。 そこで困り果てた晴信が例のゴメンネ誓詞を書いて差し出すとようやく機嫌を直しかける源助ですが、それではいざ、と手を伸ばしてさわろうとすると邪魔が入ってしまったり(なんじゃそりゃ…!)、ちょっと拗ねてる源助には
 「こういう夜はご正室を訪問する方がよいのでは…」 
 なんてイジワルをいわれてしまいます。

 諏訪頼重の娘、諏訪御寮人を側室にしようとする晴信に、板垣、甘利ら重臣は
 「敵の女を側室にするなど好ましからず」 
 とこぞって反対しますが、源助一人は涼しい顔で
 「諏訪姫に武田の血を継ぐ子供が生まれるのはめでたいこと」 
 と諏訪御寮人・側室計画に賛成します。 
 というのもこの源助、近習や美少年の恋敵は許さないけれど、正室だろうが側室だろうが女に関しては全く目じゃない様子。 晴信がどんな女性を側に置こうが何の関心もないのです。 もっと子供を増やせとばかりに晴信を女のところへ通わせようとまでしています。
 「またしても予に女を押し付けるのか」
 「美少年を側に置くとお前が怒るから、近習はブサイクばかりだ」
とこぼす晴信には笑いを誘われます。

 雑兵がわれを忘れてじっと見とれるほどの若く美しい武将昌信(源助)も、やがて使い番、侍大将、そして海津城の城代と出世し信玄の元から離れていきます。 いつの間にか妻を娶り、息子も産まれています。 でもお屋形さまの愛は最後まで変わりません。 
 昌信の息子昌澄と山本勘助が同席しているところで
 「その方の不機嫌な顔を見ていると弥七郎の一件を思い出すじゃないか。あの誓詞はまだ持ってるかい?」 みたいなことをいって昌信をうろたえさせてくれます。
 最晩年の死期が迫った頃に
 「あの誓詞はまだ持ってるか?」
 「宝物でございます」
 ……この期に及んで、という時期にそんな会話もしています。

 BL小説ではないのです。 たしかに武田信玄と高坂昌信の生涯を描いた時代小説に違いないのですが、二人の関係にかなり踏み込んだ話になっております。
 やはり晩年の高坂昌信は孤独で悲しいですが、仲良し・山本勘助が川中島で討ち死にするという設定ではなく、信長の密命を受け信玄の命を狙う仕事人のような、ちょっとひねった人物像になっているのも面白い話でした。  (史実的にはけっこう無理な箇所もありますが…)どこかで見かけたら即ゲットなさることをお勧めします。




武田信玄(上・中・下)  津本陽 講談社
武田信玄 全4巻   新田次郎 文春文庫
風林火山        井上靖 新潮文庫


津本陽の「武田信玄」全3巻
 読み始めは一見まるで注釈付きの年表を読んでいるような味気ないものに感じてしまいましたが、馴れてくるとそっけない表現の中にも味わい深いものがあって面白く読めます。文中に出典が書かれているのも参考になりました。
 武田、上杉の方言の使い方も自然な感じで、そんな風に話していたのだろうと思えるところも楽しめます。
 小説としての盛り上がりはどうなのかわかりませんが、創作で話を作り過ぎない公平な見解を持っているのが私は好感を持てました。 そういえばこの本には軍師としての山本勘助は出てきませんでした。
 
 それに比べると新田次郎の「武田信玄−全4巻」は、小説としては面白いのですが作者の創作で三条夫人の描写が傲慢で嫉妬深く醜い、などとてもひどいものになっています。 諏訪御寮人(この本では湖衣姫)をよく描こうとするあまりか、三条夫人を必要以上に貶め、罵るような表現を多用しているところなどは作者の性格まで疑ってしまいます。
 ただ、この小説の前半では駒井高白斎の存在が大きく取り上げられているのは珍しいので一読の価値はあるかもしれません。

 井上靖の「風林火山」は大河ドラマの原作ということで読んでみました。 一年間のドラマの原作としてはとても薄い本です。
 この本では軍師山本勘助が諏訪御寮人(由布姫という名前)に忠誠を尽くすというようなとてもドラマチックな物語になっていました。 
 この小説の高坂弾正は驚くほど合戦上手だけれど「小柄で、すこぶる風采があがらず…」 「無口でめったに口を開かず」 「合戦さえあてがっておけば充分満足している」 という一見は冴えない武将です。 井上靖も当然高坂弾正の様々なエピソードは承知の上で、あえてその辺りを全てカットしたのでしょう。 高坂ファンとしてはちょっと複雑ですがこういう設定も話としてはありかもしれないと思いました。



参考にした書籍と高坂弾正が登場する小説など

戦国逸話事典  新人物往来社
武田信玄  笹本正治 ミネルヴァ書房
武田信玄のすべて 磯貝正義 新人物往来社
別冊歴史読本 戦国史シリーズ5 新人物往来社
山本勘助  上野春朗  新人物往来社
甲陽軍鑑 上・中・下 腰原 哲朗訳 教育社新書
上杉謙信 ハ尋舜右 成美堂出版
武田信玄(上・中・下)  津本陽 講談社
武神の階 津本陽 角川文庫
山本勘助  石川能弘 PHP文庫
武田信玄(全4巻) 新田次郎 文春文庫
武田信玄 斉藤吉見 信濃路出版
信濃戦雲録、野望・覇者 井沢元彦 祥伝社
風林火山 井上靖 新潮文庫 
密謀 上・下 藤沢周平 新潮文庫
北の王国 童門冬二 学陽書房
武田信玄 童門冬二 学陽書房
 高坂弾正  近衛龍春 PHP文庫
武田家臣団 近衛龍春 学研M文庫
夜叉王 金子ユキ 講談社
天地人 火坂 雅志 日本放送出版協会
この他、戦国関係書籍、小説、マンガなど色々…

 ここまでお読みいただきましてありがとうございます。
 春日源五郎は本当に美形だったかというと、それをはっきりと示す直接的な表現は史料に見当たらないようです。
 ただ春日源五郎が訪れると邸内の女たちが見惚れて浮き足立つという話があったり、美人好きな武田信玄からの情熱的な『愛のお手紙!』 があったり、まあ間違いなく美しい人だったでしょう。 
 拙いサイトではありますが、皆様に少しでも楽しんでいただければ幸いです。
 素敵な挿絵を付けてくださいました「座・乱読 ランドック」 のF様に感謝申し上げます。

  2007年3月7日   管理人ユメリア


2019年2月7日 転載

座乱読無駄話日記
座乱読後乱駄夢人名事典




 1 春日源五郎の人生を1分で読む!
 2 春日源五郎奉公故立身之事
 3 信玄・浮気の釈明をする
 4 武田信玄の女たち
 5『甲陽軍鑑』 の記述の信憑性?
 6 春日・香坂・高坂…
 7 この人はダレ?
 8 牡丹と芍薬
 9 武田二十四将図の中の高坂弾正
 10 春日源五郎関連・おすすめの本、参考書籍

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February 06, 2019

春日源五郎覚書 9

9 武田二十四将図の中の高坂弾正


 
kousaka1

24syo_s1

鎖帷子を着て座る 。 他の武将に比べて行儀が良い座り方!




kousaka2

24syo_s2

        
こ これは…。
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が変なおじさん…にしか見えないという噂も…



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こちらは二十四将図の山本勘助




 1 春日源五郎の人生を1分で読む!
 2 春日源五郎奉公故立身之事
 3 信玄・浮気の釈明をする
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 5『甲陽軍鑑』 の記述の信憑性?
 6 春日・香坂・高坂…
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春日源五郎覚書 8

8 牡丹と芍薬

 上記「春日源五郎奉公故立身之事」の章にも書きましたが、『甲陽軍鑑』 品第五の中で源五郎は出仕したばかりの若い頃を振り返り、周りの人からバカにされたり悪口を言われながらも、とにかくお屋形様のことだけをひたすら大事に思いご奉公をしたと語っています。
 そして、ある大鼓(おおつづみ)の名人猿楽師の修行話にからめて、奉公人(つまり自分)を牡丹や芍薬の花にたとえ、主君信玄を花を育てる名手と讃えているのです。

 《 たとえば庭に牡丹や芍薬を植えるとしよう。 寒い冬に放っておくと小さくて色つやの悪い花しか咲かないものだ。 かといって肥料が多すぎれば倒れやすい。 冬には大事に保護をし、春に心して育てていると、花の季節になれば大輪の見事な花が咲き誇る。
 人は主君の愛情と注目で拙い者でも才能を発揮できるのだ。 私のように何の取りえもない者がかような出世をしえたのも、ひとえに主君のご威光と寵愛のたまものである 》

 それにしても、たとえるのが牡丹と芍薬……!
 美女のたとえに「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」 という言葉があります。 これは江戸時代にできた歌だそうですから戦国時代に生きた源五郎は知らなかったとしても、牡丹は中国では古くから美人をたとえる花で、それを知らない源五郎ではなかったでしょう。 …と思いますが…どうなんだろう? 自分を牡丹になぞらえる男というのも……面白すぎる。

     

 武田信玄と春日源五郎が碁の対局をした碁譜(記録)、といわれるものが残っています。 この対局は永禄9年(1566)ということなので、信玄は44歳、源五郎は39歳のころになります。
 二人共に歳を経て中年になり、仲良く向かい合って碁を打っている光景を想像するとなにかほのぼのしたものを感じてしまいます。

碁の対局

(信玄vs源五郎の対局棋譜 166で終局)


 しかしこの翌年(1567)には廃嫡された信玄の長男太郎義信が幽閉されていた東光寺内で自刃し、さらにその6年後には信玄が上洛途中で没しています。 
 死期が迫った時、覚悟をした信玄は周りに家臣を集め遺言を残していますが、その話の中で、駿河出陣の前(およそ6年前)に膈(かく)という病に冒されたと話したということです。 
 信玄自身はわりと若い頃から病身だったそうですが、その昔追放した父親の信虎が長寿で相変わらずの横暴ぶりを発揮していたこともあって、自分がそれほど早く亡くなるとはあまり考えていなかった可能性もあります。

singen_tiger

武田信玄
(C) 座乱読後乱駄夢人名事典 F様


 もし、わずか6年後に自分自身が亡くなると知っていたら義信を追い詰めて殺すようなことをしただろうか、次代の武田家のことを考えて義信を生かし、もっと違う布石をしたのではないだろうか、それとも義信が亡くなるときにはすでに己の死期も悟っていたのだろうか? などなど、考えると様々なケースが頭をよぎります。
 武田信玄は天正元年(1573)に、春日弾正忠虎綱は天正6年(1578) に、同じ52歳で亡くなりました。




 1 春日源五郎の人生を1分で読む!
 2 春日源五郎奉公故立身之事
 3 信玄・浮気の釈明をする
 4 武田信玄の女たち
 5『甲陽軍鑑』 の記述の信憑性?
 6 春日・香坂・高坂…
 7 この人はダレ?
 8 牡丹と芍薬
 9 武田二十四将図の中の高坂弾正
 10 春日源五郎関連・おすすめの本、参考書籍

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春日源五郎覚書 7

7 この人はダレ?


takeda_singen

 長谷川信春筆 高野山成慶院蔵

 この人はダレって…? 
 武田信玄でしょう。 と殆どの方は答えるでしょう。
 私も信玄といえばこの顔がまず思い浮かびます。 ところが近年、この肖像画は信玄ではないかもしれないという説の方に傾いてきたといいます。 
 伝頼朝像に続いてこれもかい! といったところです。じゃ、誰なんだ?となると、どうやら能登畠山氏の誰か、らしいとか。
 肖像画から受ける印象もその人物を考える時の大きな要因になっていますから、信玄といったらこの丸顔のでっぷりおじさんで、この人が「人は石垣、人は堀」 「喧嘩両成敗じゃ!」 なんて言っているイメージなわけです。 一度染みこんだ固定観念はなかなか払拭できないものですね。
 でも私はこの丸いおじさんがけっこう好きなのです。座り方も膝がくっついていてなんだか可愛らしいではないですか。 武田信玄の肖像画で一番信憑性が高いのは下の高野山持明院の武田晴信像だそうです。 こちらは凛々しいです。

takeda_singen2

 作者不明 高野山持明院蔵


 ついでに春日虎綱の肖像画も。
 (ついでって…、ここは春日虎綱のページでは?)
 厳密に言えば信憑性がある春日虎綱の肖像画は存在しません。 高坂弾正が描かれた武田二十四将図という絵は何枚もありますが、時代が下がってから描かれた想像画なので、本人に顔が似ているということはありえないでしょう。でもこの絵はなかなかかっこいい。

kasuga_gengorou1

 松本楓湖筆 信玄公宝物館





 1 春日源五郎の人生を1分で読む!
 2 春日源五郎奉公故立身之事
 3 信玄・浮気の釈明をする
 4 武田信玄の女たち
 5『甲陽軍鑑』 の記述の信憑性?
 6 春日・香坂・高坂…
 7 この人はダレ?
 8 牡丹と芍薬
 9 武田二十四将図の中の高坂弾正
 10 春日源五郎関連・おすすめの本、参考書籍

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February 04, 2019

春日源五郎覚書 6

6 春日・香坂・高坂…

 春日虎綱の名乗りについては、春日源助、源五郎、元服して春日虎綱となり、最後まで殆どこの名前で通しているようです。
 川中島の攻略時に海津城の城代となった頃も春日弾正虎綱と名乗っています。 知られている一番有名な名前は『甲陽軍鑑』の影響で高坂弾正忠昌信かもしれませんが、これは断絶した信濃の香坂家の姓を信玄から貰ったものといわれています。

 もともと高坂昌信という名前は『甲陽軍鑑』 にだけ見られる名前で、実際に春日弾正虎綱が香坂弾正または高坂弾正と名乗ったことはなかったのではないかといわれていました。 しかしその後いくつかの書状の中に「高坂」「香坂」の名が見られたことから、一時期ではあっても「高坂」を名乗っていたことは間違いないと見られているようです。
 昌信という名乗りは『甲陽軍鑑』 以外には見当たりませんが、「信玄」と同じように、出家して付けた号ではないかという説を見ました。 その説では、読みは「まさのぶ」ではなく「しょうしん」ではないかと提唱しています。 春日虎綱が出家したのは信玄の没後3年経ってからで、それから2年しか虎綱は生きていませんから、なるほどそういうことも考えられるかもしれないとは(チラッと)思いました。

 春日虎綱の亡くなる年のこと。 信玄は亡くなってすでに5年経ち、謙信もこの年の3月に亡くなり、武田勝頼の没落が見え始めた天正6年5月に、胸の病の為死期が近づいてきた虎綱が最後に出した書状の署名では再び「香坂」姓を使っていると最近読んだ近衛龍春の「武田二十四将」に書いてありました。
 これが本当なら、懐かしくもあり苦しくもあっただろう若き日の、華々しい川中島の対上杉戦の時代にお屋形様から頂いた名前を思い出し使ったのかもしれません。



 1 春日源五郎の人生を1分で読む!
 2 春日源五郎奉公故立身之事
 3 信玄・浮気の釈明をする
 4 武田信玄の女たち
 5『甲陽軍鑑』 の記述の信憑性?
 6 春日・香坂・高坂…
 7 この人はダレ?
 8 牡丹と芍薬
 9 武田二十四将図の中の高坂弾正
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管理人・ユメリアです。
竜涎香

竜涎香・1880
ジョン・S・サージェント

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