色々ありまして現在入院しております。(ちなみに前回の尿管結石は誤診でした)

入院している病院に中庭がありまして、やっと体調が良くなって来たので散歩がてら中庭に行ってみました。


中庭には植物がたくさん植えられていて、ついついスマホで写真をパシャパシャ。





やっぱり陽の光はいいなぁ。自然はいいなぁ。好奇心ってすごく健全な心なんだなぁ。と思いながら写真を撮り、「いいな」「このお花珍しいな」と思いながら写真を撮るにつれて、自分の中の好奇心とかワクワクを取り戻したんです。

景色を見た瞬間というより、写真を撮り始めた瞬間に健全な心の復旧を感じたんですよね。

そこでふと思いました。

写真は意識無意識関わらず、その人のもつ「世界をどう見たいか」「目に見える景色の"何"を捉えたいか」が鮮明に現れるものなんだ、と。


同じ景色を見ても、その景色の捉え方は人それぞれで、「どう撮りたいか」も人によって全然違うと思うんですね。

わたしはセソコマサユキさんの写真がすごく好きです。特にInstagramが好きで、よく見るのですが、 セソコさんの写真はどれも落ち着きがあり、自然体で、そしてどんなに暗いスポットの写真にも少しの光を感じるものが多いんです。


モノトーンの写真にもどこか暖かさがあって、「真実」「現実」の中に、「希望」「明るさ」が必ずどこかに潜んでいるんです。

やたら明るいわけでも、やたら暗いわけでもない。ただただ目の前の被写体の現実を着色なく捉え、その被写体のもつ「ひかり」の部分を写真の一部に少し残す。そんな印象の写真が多い。

それって、セソコさんがとても丁寧に生きているからなのだと感じるんです。

物事の光を捉えるのがうまいというか、物事のありのままを捉えつつ、その被写体が持つ光の部分に目を向けて生きているように思うのです。素直に、そして丁寧に生きている人じゃないと、そんな風に日常の光を捉えることはできないのではと。


些細な幸せを見つけ続けるのは難しい。けど人生に感謝の気持ちを持ちながら丁寧に生きている人だけが、見つけることのできる幸せ、私はそんな小さな幸せに対する感度を失わずに生きていきたいし、そういう写真を撮りたいと思いました。


ちなみにInstagramの好きなハッシュタグは「#ファインダー越しの私の世界」です。