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今年の夏にシネ・ヌーヴォで開催された「浪速の映画大特集」。阪本順治監督の新世界三部作『どついたるねん』、『王手』、『ビリケン』も上映され、監督来場もあって通路の補助席まで埋まる超満員となりました。

折しも、前月に原田芳雄さんの訃報が伝えられたばかり。初めて一緒に仕事をすることになった『どついたるねん』や、遺作となった『大鹿村騒動記』のエピソードなど、阪本監督から語られる原田芳雄さんのエピソードに、じんわり胸が熱くなりました。映画界に大きな足跡を残した原田さんを偲ぶ意味も込めて、ご紹介したいと思います。
━━━新世界三部作について

『どついたるねん』は劇場第1作で、30〜32歳のときの作品で、あの頃は怖いもの知らずでした。30歳をメドにデビューしたい、何かしら暴力と闘うことを題材にしたいと思っていて、ボクシングというジャンルの中で暴れたい、充電したものを放出したかったんです。

脚本を書く前に赤井さん、原田さんに会いに行って出演の了解をもらいました。いざ脚本を書くと、当初はアジア色が濃いものになっていたのですが、赤井さんに脚本を見せると、結局自分の出てないシーンはいらないみたいだったので、こちらも腹をくくって赤井三昧の映画にしようと決めたんです。

赤井さんはああいう人なので、減量しなかったらカメラを回さないという手紙を書いてみたり、クランクイン後に「明日までに悪いけれど5kg太ってくれる?」といった無茶ぶりもしながら撮りました。
作品中にもありますが、赤井さんにとって、自分より年上でネクタイをしめている人が社長、しめていない人が先生。だから僕は先生と呼ばれていました(笑)。

━━━赤井さんは『王手』の主役にも抜擢されたが。

『どついたるねん』のときは、大阪から公開したけれど「赤井が地でやっているだけ」と評判が悪かった(東京で大ヒットの後、凱旋で大阪でも大ヒットしたが・・・)ので、豊田さんが書いた脚本で赤井を将棋盤の前にしばりつけて、演技の悪評を払拭しようと思ったんです。
自分は将棋はしませんが、本で読むと結構な勝負事で、「負けました」と頭を下げるスリリングさがあります。映画としてどうやって緊張感を持たせるかに苦労しました。

━━━阪本監督と原田さんとの出会いは?

小さい頃に『野良猫ロック』を見て、何だこの野蛮な感じはと思ったんです。潔白よりも原田さんが出す荒っぽさや茶目っ気が好きで、助監督時代から自作に出てほしいという想いがありました。

『どついたるねん』では芳雄さんも15〜17kgぐらい減量してくれました。庭にサンドバックを置くぐらいボクシングが好きで、赤井さんとの共演を喜んでくれたんです。撮影中は、赤井さんが40回ぐらいNGを出す中、原田さんはさすがプロで何度でも同じ事ができ、つたない演技をうけとめて返していました。

当時原田さんは「赤井は三船敏郎になる。」と褒めていました。やせた赤井さんの姿はかっこいいし、役者には出せない色気があるので、25kgぐらい減量してもらったら(笑)、また一緒にやりたいです。

━━━3作目の『ビリケン』について

そこらじゅう撮ったなと思ったときに、撮っていないのはビリケンだけだったんです。いつも撮影のときは、ビリケンが邪魔で倉庫に入れてもらっていたものだから、逆にビリケンを擬人化してみました。

初日のワンカット目に通天閣の外で撮りました。その時杉本哲太に言ったのは「てった、たって」(笑)ビリケンがこの世に現れるときはここだろうと、神の意志に任せてみたんです。撮影時のヘリコプター代30万円のため、東京へ移動するのも新幹線を使わず車で移動して浮かせたりしましたね。

━━━新世界三部作以降、新世界ものは撮っていないのか?

実は、原田さん主演の短編『新世界』という作品を2001年撮っています。原田さんが新世界を歩き、街の人たちにインタビューするようなフィクションとノンフィクションの要素が混じったものになりました。

━━━原田さんの遺作となった『大鹿村騒動記』について

おまえとは一本もやったことがないと原田さんに言われて、そうかなと。アクション、ギャグがいっぱいの作品となりました。現場に入ると、主役と監督の関係というのはこれほど厳しいものかと思い知りました。原田さんは「その台詞、言わない。」と平気で言うので、こちらも背伸びをして監督を演じてたんですね。原田さんはよく、「映画の演技はどれぐらいはみだすかだ。」と言っていたけれど、本作で古典的な型のある歌舞伎をやってみて、決められたことをやることが楽しかったそうでした。

2週間で撮った映画とは思えないぐらい、登場人物のおかしみが出ている作品。芳雄さんはいい年をしても真剣に遊びたい人でした。いい大人が真剣に遊ぶおかしみを感じてほしいです。