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東日本大震災によって津波による原爆事故のため住む場所を追われた福島第一原子力発電所から20キロ圏内の南相馬市原町区下江井地区とその地区の住民のそのとき、それからを切り取るドキュメンタリー『相馬看花-第一部 奪われた土地の記憶-』。大飯原発再稼働直前の6月末に大阪で行われたインタビューは、そのときの空気が映り込むかのような熱気を帯びたものとなった。その内容をご紹介したい。

━━━ドキュメンタリー映画『311』の撮影時に感じたことや、本作を撮るきっかけになったことは?

一週間で東北3県まわるというのは、どこかで人間関係を作るような取材の類にはならないと思って、どうにか関係を作って取材をしたいと思いました。中でも、福島の現場に行ったときに、やはり福島だけ別次元だと思ったんですね。消化不良というか、このまま終われないと思って、本作を撮りに行きました。
『311を撮る』という本にも書きましたが、あの作品はあまり好きではなかったです。森さんばかり目立ってるなと思いましたが、時間が経つとああいう映画もあっていいとは思いますね。

━━━『相馬看花』では、今の日本の高度経済成長期から今に至るまでの矛盾が読みとれます。

経済が回復しないと考えるのではなく、あれが異常だったわけで、もっと別の成長の仕方を考えないと。社会の利権のある人たちが得をするなんてどういう時代なんだ。もう一度高度経済成長期を捉え直すことが必要なのではないかと思います。

━━━監督は79年生まれでロストジェネレーション世代ですが、高度経済成長に対する怒りを感じているのでしょうか。

今は豊かさをモノに置き換えて考えるけれど、1960〜70年代に生産的でないという理由で捨てたものの中に、人間が生きるヒントがあるのではと思っています。 例えば馬と人間の関係を見ると、とても面白いことがあって、1970年代までこの地域では農耕馬や馬車馬やものを生産するときのために飼っているのがほとんどだったんです。南相馬に行くと分かるのですが、家の前にどこでも馬を飼っているところがあって、そういうのを見ると「すごいな」と思うんですよね。高度経済成長期を経て、今は競争馬みたいな馬に替わって野馬追という祭りのために飼っているだけです。世の中が変化したから仕方がないけれど、そこをもう一度ちゃんと捉え直せないのかという思いがあります。かつては稲や藁など農作物のもみがらを馬に食べさせていたけれど、今、餌は買うもので、お金が介在する関係になってしまったのが、すごく高度成長期というものを考えるきっかけなんじゃないかと。そうなる前の方が豊かだったのではないかと問い返したい。ナレーションで説明するのも違うなとずっと考えていて、映画で撮るならどうするか頭の中で考えています。なかなか難しいですけれども。だから第二部というのは、もう少し具体的に馬を観る試みで、今それを撮影しているところです。

━━━監督が南相馬市を見た時の率直な感想を聞かせてください。

怖いですよね。人がいないし、20km圏内に入るとゴーストタウンってはっきり分かるじゃないですか。犯罪もやってるし、こういうことをやる人が本当にいるんだというのもショックでした。 銀行が荒らされていたり、病院の前にベッドが放り出されていたり、ショックですよね。 どこかに、人間を見たような気になったことがありましたよね。311以前と以降で友達が増えた、減ったという話もよく聞きますよね。
           
(原発問題は)今までは他人の問題だったんですよ。爆発したときに、自分の問題に引き寄せたかったんです。自分のこととして捉えたい。当事者の意識を持たないと、こういうのはどうしようもない。加害者と被害者というくくりでいえば、福島の電気を使っている自分たちは限りなく黒に近い加害者です。「すいません、知りませんでした。」ではすまないですよ。関西でも、(デモに)足を動かしてもらうきっかけですよ、この映画は。福島の人たちも元々は、どこにでもある、土地の地縁が深くて、親戚関係がある小さな社会の構造があって、今の福井もそうだと思うんですよね。もし大飯原発が爆発したらこの辺(大阪)もどうなるか分からないじゃないですか。「知らなかった。分からなかった。」と起きてから言っても手遅れなんです。安心です、安全ですと言っている人たちの論理が破綻している限り、一回止めてでも考えなければいけないということだと思います。でも今日本では圧倒的に無関心が支えているから、原発一つ再稼働させてしまう状況になっています。そういうことに、あらがいたいという気持ちは映画を作る動機の一つではあります。でもそれを声高に訴えるものでもないですけど。

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━━━20km圏内で動けないからとそのまま住み続けた久米さん夫婦が印象的でしたが、どうやって出会ったのですか?

テレビ局に取材提供していたのですが、局の人たちに「20km圏内にいる人を探してくれ」と言われて、自分も探していたので、実際に会ってみたら久米さんはあんな感じじゃないですか。テレビで伝えちゃうと「動きたくないんだ」みたいな感じになってしまうので、テレビに出すのはイヤだと思って、自分で責任をもって編集しました。「酒がなくて困ってるんだ」と言い続けてましたけど、久米さんはキャラクターがたってていいですね。 本人はあのまま(自宅に)残りたかったでしょうけれどね。

━━━今も続けて取材に行かれていますが、何か変化を感じますか。

最初みたいに取材が簡単じゃないですよね。1年ぐらい経つと警戒されているところもありますし、関係が深くなって逆に見えてこなくなる部分もあるし、取材が難しくなっています。 はじめは吐き出したいと思っていらっしゃっても、今は福島の人同士でも原発の話は全くしないんです。補償の話だとねたみや衝突にもなるし、なかなか話をしないですよね。冗談っぽく原発をネタにすることはあっても、原発のことを努めて話そうとはしないです。僕が見れていないだけかもしれませんが。

それは無関心になれってことなんですよね。ここで関心が戻らないと日本人はもう一度原発の再稼働をするよと。福島で南相馬に行けば行くほど、今だに東電さんのおこぼれに預かろうという人たちもいますしね。こんな目にあってもやはり仕事は必要だと。なんかちょっと残念だなと思うときはありますよね。

━━━最初は、田中さんをはじめみなさん積極的に取材に協力してくれたのですか。

逆に取材してくださいといった感じでした。田中さんが末永さんに「支援物資をもってきてくれた人なんです。」と紹介してくださり、ドキュメンタリー映画を作ろうとしているので撮影させてもらうことを伝えたんです。すると末永さんは「千年に一度の災害だから、誰もまだ来ていないし、是非撮ってくれ。」と逆に励まされました。今こそ手探りで見えなくなってきています。初めは突破していく感じでしたが、今が一番手探りで分からないです。

━━━撮影時間はどれぐらいですか。

今回は50時間撮影したものをまとめました。今回はあっと言う間に編集できました。昨年の今ぐらいから現場に入って、撮影してまとめてを何回も繰り返したんです。田中さんたちの夫婦喧嘩が撮れたときに、「あ、これでなんとかなるな。」と思いました。

━━━香港国際映画祭でも上映されましたが、そのときの反響はいかがでしたか。

すごくよかったですよ。若い人が多くてびっくりしました。近く(中国の深圳)に原発があるらしくて、最後まで一人も帰らなくて、すごく関心深いことを聞いてきました。「代替エネルギーに日本は代わっていくのか。」といった質問が多かったですね。あとは、自衛隊がアメリカの要請がないと動けないというのは、日本はアメリカの植民地みたいなものなのかということをイメージさせるために映像を入れたのかとか。「そう思ってもらうとうれしいですね。」とは答えましたが(笑)。

今歴史の大きな変わり目に自分たちは立っている。そういうことを考えさせられる映画です、と書いてください!
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震災から一年が経った今、逆に取材の難しさを感じているという松林監督の言葉は、ある意味衝撃的だった。無関心ではなく、関心を寄せ、目を光らせていくこと。日本の進む方向を今こそ見誤ってはいけない。そして、無関心にならざるをえない状況にしないように。福島のこと、原発のこと、これからの日本のことを考えるきっかけになる作品を観て、そして真実を感じてほしい。