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『毎日がアルツハイマー』関口祐加監督にインタビューさせていただくのを楽しみにしていました。
実は、私の祖母もアルツハイマーを患っていて、その介護が母を追い詰めたこともあったし、
私自身も介護する側だけでなく、いつかは自分がなるのではないかと一番恐れている病気でも
あるからです。

いざお会いして、そんな”アルツハイマー”への恐怖心やマイナスイメージを払拭し、人生観をも
変えてくれそうなポジティブシンキング、ポジティブ介護のことをたくさんお聞かせいただき、
目から鱗なこともたくさん。

介護をしんどくするのも、楽しくするのも自分次第。これは人生にもつながること。
そして、笑う力が介護を、人生を豊かにするというシンプルかつ大事なメッセージもいただきました。

ぜひご覧ください!

━━━お母様を撮ろうと思ったきっかけは?
一番始めに言いたいのが、母がアルツハイマーだから撮りたいと言うより、アルツハイマーになった母が好きなのです。ドキュメンタリーの監督はいつも魅力的な被写体を探しています。アルツハイマーになる前はいつも世間体を気にして、母のことがちょっと苦手だったんです。ものすごくまじめで、良妻賢母で、小学校の時はすごく汚されるという理由で友達を呼べないぐらい厳格だったんです。アルツハイマーになって、そういうのが全部落ちて、母という人となりを見せてくれている。それがとてもいいなと思ったので、母を撮りたいと思ったんですね。

━━━お母様の病状に気付かれたのはいつ頃ですか?
まだオーストラリアで息子と住んでいるときに、息子に同じ物が何回も届くんです。あれっと思っているうちに、国際電話でいつもかけてあげると言ってかけてくれていたのが、できなくなった。5年ぐらい前12月31日は年越しそばを家族で食べに行ったら「うどんを食べたい」と。お店の人が今日は年越しそばしかやってないと言うと「でもメニューに書いてあるじゃない!」とすごく爆発して。いつも自分にも家族にも他人にも厳しい人だったので、そんな爆発する姿なんて見たことなかったですよね。びっくりして、なんか変だよねと思っていたら、映画の中でもあるようにチェーンをかけてしまって誰も入れない。妹も家の中に入れないので、全く何が起こっているかわからなかったんです。2009年12月25日に「先人くんがカレンダーにクリスマスケーキって書いていたのに忘れちゃった」と。忘れることは驚かなかったんですけれど、母は自分で自分に何か起こっているか自覚している恐怖の目を見たときに「一人では無理だから、帰ってこよう」と。2012年1月半ばにシドニーに戻って、別れた夫に息子を預けて、2週間で家を畳んでかえってきました。

━━━お母様がアルツハイマーを患われたことを知り、どう感じましたか?
2009年の9月からずっと母を撮っていますが、自分が不安に思っていることを絶対に出さない人だったので、私にとってはそういう信号を送ってくれるのは、決して悪いことではない。危険信号が分かれば、一緒にいてあげようとか対応策が出てきます。そういう意味では、映画監督の人生はバンと決断することが多いので、ここは帰ろうと決意しました。その気持ちになれたのも、29年間好きなことをしてきたからだと思います。もし、自分が好きなことを出来ていなければ、よく介護で見られるように、「自分が犠牲になっている」という気持ちがすごく強くなりますが、私は全くないです。母がアルツハイマーになったことで、自分を日本に向かわせた。いろんなことが変わりました。

━━━介護をしていて、しんどいと感じることはありますか?
あまりそういう風に考えないです。先生もおっしゃるように、母の残っている能力、そこが魅力的なのでさばけていく母が面白いと思って撮っていました。しんどいと思う裏には、自分たちの思うように動いてほしいと介護する側が思っているんですよね。介護の問題で、介護される側は全く問題がないと思うんです。どんどん機能が衰えてくるわけだから、それを理解できない介護する側に問題があるんです。母はアルツハイマーの患者であり、被写体なので、その母が何を感じているか、何を思っているかを常に感じていたかったんです。一番苦しいのは誰なんだと。果たして介護をしている我々なのかと。大変だと皆言うんだけど、大変にしているのは私たちと感じます。

━━━キャメラを廻し始めた当初から映画化を念頭に置いていたのですか?
最初から映画にするつもりでした。ホームビデオの先には家族ぐらいしかいないです。映画にしようとすると、キャメラの先の母は被写体であり、その先にはお客さんがいるんです。最初からお客さんに見せる。母は絶対映画になると思っていたので、DAY1から映画にするぞという気持ちで撮りましたね。
日本みたいに手弁当でオーストラリアは誰も作ってくれないんですよ。プロの世界なので、撮るとなると映画にするという覚悟が要ります。撮りたいものをどいういう風に撮るか、なぜ撮るのかをいつも自分に問いかけるわけです。それは全く撮れているものが違います。

━━━撮影しながらの介護で、キャメラを通して客観的になる部分もありましたか?
カメラの力は大きかったと思いますね。なぜ『毎日がアルツハイマー』かというと、母だけでなく家族も『毎日がアルツハイマー』で、家族のあり方も撮りたいと思うようになってきたからなんです。

もう一つはオープンにすることですよね。いまだに共同生活している感じなんです。母が残っている能力で洗い物だったらお任せするとか、掃除当番と書いておくと一生懸命やってくれたりとか、残っている能力で素敵なところをフルに活用する。そういうところが一緒に暮らしていて楽しいですし。介護される側を追いつめない。

デヴィッド・リンチの言葉なんですけど「(年をとると)教養や人生の体験で良くなっていると思われがちだけど、老化とはイマジネーションが狭まれることだ」と。我々介護する側も中年になって、想像力がなくなってきている。カメラで客体視できますが、それができなくなっている。だからぶつかるんですね。

━━━お母様との暮らしで心がけていることは?
出来なくなっても親なので、人間の自尊心を尊重してあげることですね。30年間私はオーストラリアでマイノリティーで生きてきて、日本人ではなく、アジア人であるとしか見られなかったんです。それは私を奮闘させ、よりよい面白い映画を作ることで勝負できたのですが、そのレッテルは剥がれないし、レッテルを貼られる人間の気持ちがよく分かります。「アルツハイマーだからできなくなっていく人間」とレッテルを貼るのが許せないし、やってはいけない。

━━━映画を通じて描きたかったことは?
私の考え方、やり方で(介護は)180度変わるので、それができるかどうか。作品中で先生も仰っていますが「60点でいいんです。無理しちゃいけない。認知症は95%はまともなんです」というメッセージをこの映画を通じて送りたいです。いかに「認知症になったら大変だ」という間違ったメッセ―ジをマスコミが日々我々に送っているかですよね。新井先生(順天堂大学教授)の言葉の力は「ああそうだ」とすごく腑に落ちたし、取材されてもすごくマイナスのイメージを持たれがっかりしていたので、この映画に出会って私たちお互いにガチッときたんですよね。

人生のたそがれの時を、アルツハイマーの力を借りて母がやっと楽しくなれた。それまでの母は逆に嘘だったと思うんです。ごっそり仮面をかぶって、ずっと主席の優等生だったけど、「あんなのなんの意味もなかった」と今はじめて言うんです。「あんなのは本当に辛いだけだった」と。それを抱えて「人生変だったな」と思って終わるよりは、やっぱり言えるという、やっとそこにきたかという部分を受け入れてあげたいです。

━━━今お母様はどんな状態ですか?
今母が一番怖がっているのは、母から見て愛してくれている家族の顔が分からなくなることなんですね。「どなたさん?」って聞かれるけれど、私はそれでいいんです。「隣のおばさんです〜」とか、姪っ子は「レディー・ガガです〜」とかいろんな人になるんです。私たちのことを忘れてもいいんだよというメッセージを母に送るんです。

━━━これから関西で映画をご覧になるみなさんにメッセージをお願いします。
関東ではアルツハイマーで笑うのは不謹慎だと言われるんですけど、笑いの発祥の地大阪でどの辺で笑ってくれるのか、すごく知りたいです。だから大阪で上映していただけるのはすごくうれしいです。 介護は辛くなくならない方法があります。それは、正しい認知症やアルツハイマーの知識と、みんながオープンにすること。助けてほしいとカミングアウトすることです。もう一つは、“一日一笑”笑う力ですね。関西の人が持っている笑う力が人生においても介護でも一番大事なことです。だから、それを是非生かしていただければと思います。

<一部シネルフレ掲載>