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〜 “長嶺ヤス子”という唯一無二の生き方に触れる〜
『長嶺ヤス子 裸足のフラメンコ』長嶺ヤス子舞台挨拶@第七藝術劇場

(2013年 日本 1時間25分)
監督:大宮浩一
出演:長嶺ヤス子他
2013年5月4日(土)〜第七藝術劇場、6月1日(土)〜神戸アートビレッジセンター他順次公開
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『長嶺ヤス子 裸足のフラメンコ』大宮浩一監督インタビューはコチラ


 作品中でもドキリとする言葉が次々飛び出し、踊りもさることながら「この人が語るのをぜひ生で聞いてみたい」と思わせる存在だったフラメンコ舞踏家、画家の長嶺ヤス子さん。大阪第七藝術劇場での5月4日公開初日に私の念願が叶った。立ち見満席の会場を、舞台袖からではなく、後方入口からまるで花道を歩くように登場した長嶺ヤス子さんは、そのまま舞台上に上がることなく、最前列の前で観客と同じ目線の場所から舞台挨拶をはじめた。舞台挨拶を幾多取材してきたが、このスタイルは初めてかもしれない。長嶺さんらしさをいきなり感じる幕開けだった。

 チェックのガーリーなロングワンピースに、貴婦人のような帽子をまとい、次から次へと言葉が溢れる長嶺さん。かなりしっかりめの最初の挨拶の後、長嶺さんの声掛けで続々と質問の手が上がる。観客のみなさんも、長嶺さんとの生のやりとりを心から楽しんでいる。そして、長嶺さんもズバズバと答えていき、その度にハッとさせられる。長嶺さんの言葉を聞いていると、大宮監督がインタビューで「(長嶺さんの言葉は)誤解を生みやすい」とお話しされていたのを思い出した。最初の一言でまず結論を述べ、そこからなぜそう思うのかを説明していく長嶺流トークは、じっくり聞いてこそ、その真意が分かるのだ。

 それにしてもなんて正直な方なのだろう。世間体だとか、通説のようなものは関係なく、自分が一番大事と明言し、全くブレない姿勢は、映画の中の行動を裏付けるかのようなエピソードでさらに肉付けされた感じだ。“長嶺ヤス子”という唯一無二の生き方に触れる貴重なひとときとなった舞台挨拶&質疑応答の様子をご紹介したい。

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(最初のご挨拶)
みなさん、今日は本当にありがとうございます。今映画をご覧になったと思いますが、何せ1年間、私のことを知らない大宮さんという方が(私を)撮りました。現在77歳なので、こんなに生きている人間を1年間で撮るなんて無理な話です。それも365日ずっと撮影したのではありません。でも彼なりに私をじっと見つめて撮ってくださり、一生懸命だったので、私はとても感謝しています。(私自身が)知らなかった一面があると思いますから。

ただ、映画の冒頭でも言っているように、本当の私ではないと思います。ある部分は少し本当でも、嘘はあると思います。人間は本当に正直に生きられないものですから、映画の中でも嘘をついているのがよく分かりました。これから私は一生懸命ネコちゃんや、皆さんの愛情に包まれて(生活を)築いていこうと思っています。こんなにたくさんの方が見に来てくださって、私は本当に幸せだと思います。

私は自分のことを話したら5時間でも6時間でも足りないのですが、短い時間ですから、みなさんがお聞きになりたいことをお答えしたいと思います。何でもお答えしますので、聞いてください。

Q,ハチは元気ですか?
(ハチは映画中で登場する犬の名前。寝たきりのハチを泊まり込みで看病している長嶺さんの姿が映し出される)
ハチは昨年亡くなりました。私のリサイタルが5月24日だったのですが、それまで待ってくれたかのように、リサイタルの後に亡くなりました。今はそろそろ一年経つので吹っ切れましたが、ハチが亡くなった当初は、人生が変わったようでした。

Q.ハチが亡くなって大きく変わったということですが、どういう風に変わったのでしょうか。
本当に24時間、1年間ハチにつきっきりだったんです。自分が仕事のときは、人を雇って、24時間決してハチをひとりきりにしませんでした。自分の生活がすべてハチ中心だったので、ハチがいなくなってしまったとき、何をしたらいいか分からない、自分が変わってしまった感じでした。ハチに全てをかけていたので、そういう意味では(自分自身は)変わっていないです。立ち直るのに3ヶ月かかりました。

Q.立ち直るきっかけは?
自然に時が解決するもので、亡くなったときは私自身がどうなっていくのかと思いましたが、やはりじっと耐えているうちに時が癒してくれたと思います。

いつまでも(喪失や失望)の中にいるわけにはいきませんから、人間は時に救われていると思います。だから私は悲しいことがあると、ほとんど動かないで、じっと目をつむって寝ているんです。困ったときもじっと動かないで、耐えて解決します。無駄なあがきをしないことにして、全てを受け入れています。

Q,ほとばしるような長嶺さんの踊りが、今後どういう風になっていくと思いますか。またなりたい希望はありますか?
その日その日を生きているので(未来への)希望はないんです。私が生きていく以上、毎日いろいろな思いがありますから、そういうものは自然に踊りに出てくると思います。今はどんなものを踊りたいとか、どんなことを表現したいということは一切思っていないです。私はいい加減ですけれど、幕が開いたら舞台に命を懸けています。だから許されると思います。

Q.フラメンコの中に日本の古典芸能を取り入れていらっしゃいます。振り付けをみると本来のフラメンコより日本舞踊の世界に近いと感じたのですが、長嶺さんご自身が振り付けされたのですか?
振り付けは他の人がしています。私がフラメンコの中に日本舞踊を取り入れているのではなくて、私が日本舞踊を踊ると、基礎がフラメンコで鍛えられているので出てしまうというだけです。何を踊っても、ジャズでもロックでも、お経でも、20何年染み込んだフラメンコはリズムのどこかに出てきます。それはそれでいいと思います。私の一つの特徴ですから。

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Q.踊りが祈りであるとおっしゃっていましたが、いつ頃からそういう気持ちを抱きはじめたのですか?
裸足で踊るようになってからです。生活や自分自身の生き方が苦しくなって、それでも踊っていかなければならなかったので、そういうときに祈りを感じるようになりました。踊りは大昔から皆裸足で、輪になって、神様に祈ったものが踊りの発祥なので、確かに祈りだと思います。私はリサイタルする時には、チケットを1万円とか1万5千円とお願いして、そのおかげで踊っていますが、来る人も我慢して買ってくださっているわけです。
そうではなくて、踊りというのは本当に無料で踊るわけですけれど、お客様のくださるお金は500円とか1000円とかその人の血と涙のものなのです。そういうときに私は踊れてよかったと思うし、祈りだと本当に感じます。

Q.絵がとても優しくて明るい絵ですが、いつ頃から始められたのですか?これから踊りだけではなく、絵の方も広がりが出てくるのではないかと思います。
私は絵を描くつもりはなくて、中学のときまでは学校の授業で描いていましたが、その後はずっと描いたことがないんです。そうしたら、今から20数年前に昔アパートの管理人で、画商に転職した方にバッタリお会いして「長嶺さん、絵を描きなさい」と言われました。描いてもお金にならないからやらないと言ったら「1枚10万円上げるから描いてください」と提案されて。お金がないから1週間で5枚も描いたんです。描くことがないので、猫を描いたら皆がかわいいといって、1枚20万円で買ってくれました。その年に「長嶺ヤス子の世界」という個展を銀座でやりました。23年前のことです。そこから生活のために描いています。

踊りは生活のために踊っていません。踊っているときは体中の自分の思いですが、絵は売れることを考えて描いています。自分の心の中を描くにはテクニックがないので、きれいな絵を描いているだけです。本当に描きたいのは、もっと暗くてドロドロした情念です。

Q.踊りは幾つから習い始めたのですか?
3歳からです。親が健康のために児童舞踊を習わせたのですが、私は小さいときから歩いていても「ヤス子ちゃん、踊っているみたい」と言われていました。自分でも天性の踊り子だと思っています。ただ踊り子になるつもりはなく、本当は親の跡を継いで事業家になるはずでした。でもスペイン行きの飛行機に乗ったとたん、体から全部のしがらみが外れて、「全てを捨てて踊り子になろう」と思ったんです。

Q.なぜスペインのフラメンコの踊り子になろうと思ったのですか?
私は戦時中の育ちなので、小さいときから「男の子と遊んではいけない」とか、「赤いものを付けてはいけない」とか全てを禁止されて育ってきました。灰色の世の中で、私は赤に憧れたんです。当時は赤いものを着ていると「国賊だ」と言われましたし、何かといえば兵隊さんが取り押さえにやってくるような暗い時代でした。そういう時代に昔話の「娘道成寺」という女が男を焼き殺すお話があって、5歳ぐらいから「男を焼き殺したい」と思っているうちに、ある時(赤のイメージがある)フラメンコと出会って、赤に憧れていたのでそちらに結びついていきました。

Q.スペインにいらっしゃったころのドキュメンタリーをテレビで見た記憶があるのですが、そのとき「踊っているときの私は神様」みたいなことをおっしゃっていました。そのときのお気持ちは?
踊っていなくても私は神様で、神様に選ばれた子だと思っていますし、踊っているときはすごい征服力で踊っています。全てを支配する訳ですから、やはり神様だという気持ちです。みなさまも神様の子で、神様だと思うんです。みんながそう思っていないだけで、一つ一つの命はすごく大事なもので、本当に神様だと思います。<質問者に>ですからあなたが気づかないだけで、あなたも神様です。

Q.社会や政治のことはどう思われますか?
全然興味がなくて、テレビも見ないし、新聞も読まないので本当に総理大臣が誰かわからないです。世の中の人の恵みで私は生きている訳ですけれど、何も知らないで生きているから、平気な顔をしてみなさまから物をもらって、付けているかもしれません。だから世の中何が起こっても関係ないんです。長い間一人で生きていて、そういう考え方になってしまいました。人って本当に親切だし、一方で親切じゃないです。親切じゃなくて当たり前です。自分自身のことで一生懸命なのですから。でもそう割り切れるまでに時間がかかりました。「なぜもっと親切にしてくれないのか」と他人を恨んだりもしましたが、でもそれが本当の(人間の)姿だと思うんです。他人のことを構ったとしても、それは自分のためだと思います。

Q.なぜ猫だったら100匹以上も面倒をみたりするのですか?
人間は社会が守ってくれますが、ワンちゃんやネコちゃんは捨てられたら殺されるところに連れていかれてしまいます。誰も守ってくれないんですね。

Q.情熱的でいつも恋をしていらっしゃるみたいですが。
違うんです。私は一つ二つ(恋について)正直に言ったから、ものすごく恋をしているように思われていますけれど、大したことはありません。その恋も100%の恋はしたことがないです。いつも自分が大事で、自分を捨てたことはないし、男の人といるのは自分のためで、自分が気持ちいいからいるのであり、その人を愛したことはないのです。だから、その人のためにご飯を作ったりしても、自分のお料理がどんなに上手か知らせるためにやっているだけで、作るものがなくなったらその人と別れるんです。恋多き女性ではありません。

Q.恋には狂わないんですね?
恋に狂ったことはないです。男が欲しいと思ったことがないから、そう思える人がうらやましいです。

(江口由美)