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フランス映画祭に参戦して2年目、今年は有楽町朝日ホールでのトーク取材やゲスト取材だけでなく、他会場で行われたマスタークラスに参加することができた。まず最初に参加したのは、アテネ・フランセ文化センターで開催されたマスター・クラス「現代映画における演技と演出」。ゲストにイザベル・ユペール、ギョーム・二クルー監督を迎え、『淵に立つ』の深田晃司監督が司会として二人に様々な質問を投げかけ、またそれを展開させ、非常に深い内容の話が次々に飛び出した。

今年のフランス映画祭団長でもあるイザベル・ユペールは、100を超える作品に出演するキャリアの持ち主ながら、本当に自然体でいわゆるスター気取りなところが全くなく、質問にも積極的に答えてくださる。きっと今回の来日でさらにファンを増やしたことだろう。監督の信頼が厚いのも良く分かる。一方、フランス映画祭で上映された『愛と死の谷』(イザベル・ユペール、ジェラール・ドバルデュー主演)のギョーム・二クルー監督は、どちらかといえば寡黙な感じ…と思いきや、後半深田監督と2人でのトークになると、熱く語りはじめ、最後はトイレも我慢して熱弁を振るったことを披露。監督することを止める演出法や、自分が変わるのではなく眠っている自分が現れることに気付いたというくだりなど、なかなか興味深いことを話してくださる方だった。ここに、その内容を残しておきたい。

―――ユペールさんは、『愛と死の谷』ギョーム・二クルー監督との仕事は初めてですか?また脚本を読んだ時の感想は?
ユペール:以前『修道女』に出演しており、今回で2本目です。二クルー監督の仕事の仕方はとても素敵です。テイク数も少ないし、飾り気がありません。撮影中に二クルーから脚本を渡されましたが、旅行鞄を引きずる後ろ姿で、まず最初に人物紹介をするのが気に入りました。
とても大きな背景の中、登場人物は外界から切り離された存在となり、会話は日常的でありながらもオリジナリティーに富んだ脚本でした。

―――俳優を演出する際、作品の世界観はどのように演出するのですか?
二クルー監督:沈黙の方が、説明を加えるより多くを語ることがあります。事前にあまり考えず、俳優と一緒に作り上げていきます。真摯に嘘をつく作業をすることで、それが成功したら、何らかの真実が現れるのです。不確実性を共有しながら、女優としてではなくユペールという人間を感じたいのです。そこから一種の錬金術が出てきます。自発的に独自のものを探求し、一緒に作るという作業が重要なのです。

―――『愛と死の谷』でユペールさんが演じる息子を自殺で亡くした母親というキャラクターは難しいと思いますが、監督との話し合いでキャラクターが作られた部分はあるのですか?
ユペール:変わったことは何もありません。シナリオは情報を与えるもので、演者が知らないこともあります。シナリオ自体がすばらしければ、作っているうちに何かがやってきます。不思議な偶然がミラクルを作ってくれることを祈って、俳優は出演しているのです。感覚、リズム、イメージ、映像が重要で、それに重きを置いて演じるしかありません。俳優は、海に浮かんだ船に乗るように、波にまかせて進むしかないのです。
二クルー監督:良い演出とは、二人の人物がそこで背景を感じ取り、彼らを取り巻く世界の間に調和が生まれること。それができれば、成功だと思います。

―――家族の物語でありながら、男女の物語でもあり、複雑な要素を抱えた登場人物でした。
二クルー監督:シナリオから関わっていたので、ドラマチックですが、センチメンタルにはなっていません。息子が再び現れることを信じるのか、信じないのかという選択もあります。日常的にいかに軽やかに演じてもらうかに重きを置きました。

―――現実のつらさを反映していますが、力強く、どこか映画自体が飛躍する精神性が見えます。
二クルー監督:私がデスバレーに行ったとき、何かが起こり、必然的にこれでなければならないシナリオが沸き上がってきました。自分の中をカラにしたら、色々なものが入ってきたのです。シナリオはアドリブの余地を残しており、(ユペールとジェラール・ドバルデューの)二人が演じることで、中味が入り、シナリオが消えてなくなる。彼らを通してシナリオが体現され、そこに真実が出てきます。彼らが生きている様を疑うことはない訳で、現場では私は何もしないでただ見ている、一番最初の観客のようなものでした。仕事をしている感覚はありませんでした。

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―――ユペールさんは既に『淵に立つ』をご覧いただいているそうですが、感想は?
ユペール:とても不安にさせられる作品です。常に次、何が起こるか分からない。善悪や哲学など豊かなものを含んだ作品で、緊張感が途切れません。映画が我々に与えてくれるものを全て含んでいます。最後は解決がなく、観客に委ねていますね。

―――(ユペールさんより質問)スクリーンから見た現実しか分かりません。映画のなかで、その先にも続くことに対し、なぜこのようなラストにしたのですか?
深田:映画が何かの答えを出すのは、好きにはなれません。映画の歴史はプロパガンダの歴史と重なります。私は観た人が、その人たち分の結末を想像してくれることを祈っています。
ユペール:最後はミステリアスで、とても素晴らしいシーンでした。(舞台挨拶のため退場する前に)映画というのは、一つの家です。最後に”映画、バンザイ!”という言葉で終わりたいと思います。今日はありがとうございました。

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―――二クルー監督は演劇からキャリアをスタートさせていますが、映画と演劇の関係性は?
二クルー監督:国立文化センターの補助金をもらい、最初は戯曲を書きながら舞台上の演出を覚え、そこから映画俳優の演出を学んだのです。演劇は映画までの橋渡しでした。自分のものでない言葉を語り、感情を表現する演技も一つのステップです。
最初の5,6本はなるべく学ばないようにし、技術的なことであったり、監督という立場を外して自由度を確保していました。私は作り上げている物の中で、真摯であればいいと思っています。なるべく自由を確保し、間違ってもいいから何かを探求しています。

―――そのような考えに至ったきっかけは?
二クルー監督:少しずつ私の人生の中で色々なものに出会い、変わっていきました。それをシナリオに書くのが仕事で、自分の生活全体を占めています。変化が自分に訪れるのではなく、自分の中に色々な自分がいたり、消える自分がいることを発見したのです。映画を作ることで、複数の意識の可能性を発見しました。アングルが違うだけで、同じ自分の人生を語るというように、人生とフィクションの間を行き来するのが面白いのです。

―――俳優との接し方も変化してきましたか?
二クルー監督:俳優をより信頼するようになりましたし、自分に対してよりリスクを負うようになりました。それは、自分に自信ができたからで、その気持ちが俳優に伝わり、彼らが真摯に演技をするようになったのです。周辺的なことを語り、本質に近づけていきます。監督や演出家は先生のように皆を支配するイメージがありますが、Directorを拒否することが一つの演出です。細かいこと、必要のないことを支配するのは止めました。

―――最後に、若い俳優へアドバイスをお願いします。
二クルー監督:無声映画から有声映画時代にかけて活躍したジェームス・カブニーという俳優が言った言葉を送ります。どうしてそんなに上手に演技ができるのかと聞かれ「良い演技をするためには、まずは二本足でしっかり立ち、相手の目をしっかり見なさい」。