DSCN5576


2015年に起きたネパール大地震の震源地近くにあるラプラック村と、そこに生きる人たちの絆、祈りを見事な映像美で描くドキュメンタリー『世界でいちばん美しい村』が、6月17日(土)より第七藝術劇場他全国順次公開される。

監督は、写真集「海人」「The Days After 東日本大震災の記憶」で知られる写真家、石川梵。初監督作品となる本作では、撮影、プロデュースだけでなく、冒頭のナレーションも担当している。メインのナレーションを担当する倍賞千恵子の導くような声と、被災地キャンプの星降るような夜。現地の民間宗教ボン教と儀式で女たちが踊る「ガトゥの踊り」、絶壁で男たちが協力して行うハニーハンティングなど、ラプラック村に脈々と流れる伝統と自然に触れ、懐かしい風情を感じる。そして苦境にもめげずに学び、働く少年アシュバドルや天真爛漫な妹プナム、4000人もの村人を診る看護師、ヤムクマリなど魅力的な村人たちの日常の姿をいきいきと映し出しているのだ。

震災後、外部の人間としては初めてラプラック村に入り、以来支援活動と並行して本作を作り上げた石川梵監督に、自身のキャリアの中での本作の位置づけや、ラプラック村での支援活動、取材した村でのエピソードについてお話を伺った。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
sekai_main


■戦場取材で現地の人の信仰に触れ、「祈り」をライフワークに

―――まずは、石川監督の今までのキャリアについてお聞かせください。
元々は将棋指しになりたくて、16歳で関根八段の門下生になるため上京し、奨励会に入りました。2年間毎日将棋、寝る時でもアパートの天井が将棋盤に見えるぐらいでした。何かに夢中になるのは大好きなので、将棋漬けの日々も楽しかったけれど、大分ではトップクラスでも東京ではなかなか思うようにいかない。そんな中、リバイバル上映の『2001年宇宙の旅』を見てすごく感激し、今までの自分に疑問を感じたのです。僕は自分で自分の道を決めてしまったが、まだ別の可能性があるのではないか。将棋という狭い世界に18歳までずっといたので、とにかく広い世界に飛び出したい。そして、「僕は映画を撮りたい!」と思ったのです。当時、ベトナム戦争の映画は、今までに作られたベトナム戦争の映画を見て撮ったと言われていました。映画を見て映画を作るのではなく、僕は自分で色々なものを体験し、それを映画に撮りたい。写真家になれば色々な場所に行き、多くの体験ができるのではないかと、写真学校に通って写真家になりました。AFP通信(フランスの通信社)に入り、世界中色々なところに行きました。戦争も取材しました。

―――先に映画監督を目指しておられたとは知りませんでした。ちなみに、どの戦争を取材されたのですか?
アフガニスタン戦争の戦地取材です。反政府グループの人と一緒にパキスタンから戦場に向かっていく時、地雷地帯を進むのですが、戦場ジャーナリストの僕の前を、現地の若い青年たちが歩いてくれ、僕の地雷よけになってくれ、驚きました。なぜこんなことができるのかと聞くと、戦場の今を世界に伝えてほしいという気持ちがあるのに加え、土台には「宗教があるから、祈りがあるから」ということに気づいたのです。彼らのことをきちんと理解するためには、祈りをきちんと勉強しなければいけない。他の国を取材しながらも、「まずは日本のことを学ばなければ」と痛感しました。

―――ライフワークとなる「祈り」の原点となる伊勢神宮の撮影はいつ頃からスタートされたのですか?
20代の頃からスタートしたので、30年以上続けています。伊勢神宮の遷宮儀式も2回撮影しました。日本の祈りを学ぶことで、自分の中に物差しができ、海外の宗教や祭りを見たときに、まずは自分のもの差しで計ることができます。それがないと、位置づけができませんし、それらの持つ意味が分からないのです。AFP通信を辞めて、報道カメラマンではなく、フリーでテーマを持った撮影をするようになってからも、祈りをテーマにした撮影をずっと続け、60か国以上の祭りや祈りを撮影しています。

DSCN5582


―――石川監督は東日本大震災でも、すぐに現地入りされたそうですね。
東日本大震災が起こった時、ニュースは追わないなどと言っている場合ではないと、翌日に飛行機をチャーターして現地まで飛んで行きました。空から東日本を撮ったフリーのカメラマンは、あのとき僕だけ。その後、2ヶ月間ずっと地上をまわって撮影し、写真集「The Days After 東日本大震災の記憶」を出版しました。大自然が人間を裏切ったかのように見える大震災ですが、ナイル川の反乱のように豊穣と反乱は裏表です。人間は自然の恵みによって生かされている一方、あらぶる神はずっとその背後にある。人間と自然界を結ぶのは何か?世界を理解するのは科学ではなく、祈りではないかと撮影しながら考えていたのですが、その震災の時、ネパールのみなさんが毛布を送ってくれたり、被災地のために祈ってくれたのです。そのことが記憶に残っていたので、ネパールで大震災があったと知ったとき、これは放っておくことはできない。できることを何かしようと、地震発生の2日後に現地へ向かい、3日後に国際現地救援隊と共に現地に入りました。カトマンズから報道していたのですが、世界遺産は倒壊していたものの、民家の被害はあまりなかった。9000人以上の方が亡くなったこの震災で一番被害が大きかったのは震源地の山間部でした。この震源地へは誰も行っていなかったのです。

sekai_sub2


■孤立した村に初めて入り、「現状を伝えるだけでいいのか?」と自問
 SNSによる支援の拡大とアシュバドル君との出会いから息の長い支援=映画化へ


―――海外の取材陣も震源地へは行っていなかったのですか?
そうです。CNNだけ、僕が行った場所より手前の村まで取材に入っています。危険であることと、カトマンズを離れると電波の受発信ができなくなるのでメディアは入らないのです。僕はフォトジャーナリストとして、映画の中にもあるように、現地まで2日間かけて行き、全てが潰れてしまった村の様子を撮影しました。その時は、映画を撮ろうとは全く思っていなかったです。

―――初めて外部の人間である石川監督が現地を訪れた時の様子はどうでしたか?
僕が現地を訪れたときは、メディアも誰も入っていなければ、政府の救援すらなく、村は本当に孤立した状態でした。フォトジャーナリストとして現状を伝えなくてはならない。でも、伝えるだけでいいのかと考えたのです。アシュバドルという少年と仲良くなり、彼からもなんとかして欲しいという気持ちがヒシヒシと伝わってくるものですから。できることをやってみようと自分のSNSに救援活動の様子を投稿すると、皆で支援してくれ、そのおかげで、ふもとから村にお米を運ぶことができました。この調子ならもっと充実した支援ができるかもしれないと、帰国してから3か所で報告会を開催して支援金を集め、2週間でトンボ帰りしたのです。

―――物質的な援助からスタートしたラプラック村での活動から、映画化を考えるようになったきっかけは?
一度報道したら、もうできなくなってしまいますし、支援といっても、このままの形でさらに募るのは難しいかもしれない。これからどうすればいいのかと考えたとき、ふと僕の中で映画が撮りたいという思いが甦ってきました。アシュバドルという魅力的な少年に出会い、その妹のプラムも天使のようなかわいい子です。この子たちの目線で映画を撮れば、素晴らしい作品になるかもしれない。そして映画を作れば、息の長い支援につながるかもしれない。僕は映画を撮るために写真を始めたのに、いつの間にか写真だけになっていた。今、その時がきたのかなと思ったのです。

sekai_sub4


■「真っ暗闇の中で、人間が輝いて見える」。
命の輝きを捉える30年間近く写真を撮ってきた集大成的作品に。


―――映画を作る運命がようやく巡ってきた感じですね。
「映画を作れ!作れ!」と言われているような気がしました。難民キャンプではありますが、こんなにきれいな場所です。アシュバドルとキャンプを見ながら、「ここは世界で一番美しい難民キャンプだよ」という話をしたことがあるのですが、この会話から映画のタイトル『世界でいちばん美しい村』が生まれました。素敵な言葉ですよね。こんなにたくさんの星が見えるのは、全ての灯りが消えたからなんです。室内の照明も天井に反射して白く映るので、それもない本当の真っ暗の状態になったからなのですが、それは映画の統一したテーマにもなっています。つまり、「真っ暗闇の中で、人間が輝いて見える」。命の輝きみたいなものが捉えられたらと、撮影していきました。30年近く写真を撮ってきた集大成が、この作品になったと思っています。

■コミュニティを支えているのは儀式、その中心に祈りがある。

―――アシュバドルくんの一家をはじめ、村の皆さんの表情が豊かで、被災者であることを忘れてしまうほどです。
アシュバドル一家、一人一人のキャラクターが個性的で、誰がキャスティングしたのかと思うぐらい(笑)。ヤムクマリさんという本当に素敵な方も現れ、内面の豊かさがにじみでています。震災でご主人を亡くされても、健気にがんばっていらっしゃる。インタビューするときも、大女優みたいなオーラが溢れていて、彼女に出会うことで映画の重み、深みが増しました。ベタベタしないけれど、支え合って生きているアシュバドル家の絆は素晴らしいし、一方、ヤムクマリさんの場合はコミュニティが彼女を支えています。彼女の喜びも悲しみも共有しています。東北では震災後、仮設住宅で孤独に陥ってしまうことが問題となっていますが、ラプラック村の人たちは、呼ばれなくても家に入って、支えているような孤独とは無縁な場所です。そして、そのコミュニティを支えているのは儀式やお祭りで、その中心には祈りがあり、そこでコミュニティの結束が生まれる。ネパール・チベット圏は非常に信仰が深い場所で、信仰の核は神々がいる山々なのです。

―――作品中でも何度か村の周りを覆う山々を俯瞰的に捉える映像が挿入されていますね。
この映画では象徴的なシーンで、聖なる山が出てきます。例えばガトゥダンスを踊った後、長老が「これで村も安泰じゃ」と言った後に、山のシーンが長く出てきますし、ラストも山のシーンです。この山はブッダヒマラヤと呼ばれるブッタの山で、現地では人々から信仰されていますし、6700mぐらいの大きな山ですが未登頂の“登ってはいけない山”です。山がたくさんある中で、このブッダヒマラヤが聖なる山であることを、いかに言葉を使わず表現するかで悩みました。ブッダヒマラヤのカットを何度も使いながら、なんとなくでもいいので感じてほしい。分かる人には分かってもらえればうれしいという気持ちで作りました。

■神や信仰に対して揺れている村人たちの内面も映画として描きたかった。

―――冒頭で村の伝統的なハニーハンティングも映し出されますが、あえてこのシーンを取り入れた意図は?
崖下でのハニーハンティングのシーンは、自然と共に生きているということと、信仰がハニーハンティングしている彼らを支えている(マントラを唱えているハンターは刺されない)ことを象徴しています。ただ、先ほどのヤムクマリさんが震災で夫を失い「神も仏もあったもんじゃない」と呟くように、村の人たちが必ずしも盲目的に神を信じている訳ではない。神や信仰に対して揺れている内面も映画として描きたかったのです。

―――信仰の強さが人によって違うというのは、危険地域からほとんどの村人たちが避難する中で「あの木の下に神様がいるから動くわけにはいかない」と退去を拒否する人の語りからも痛感させられます。
この作品は、第一部が家族の絆、第二部はコミュニティーの力、その中心には祈りや儀式やお祭りがあります。第三部では矛盾や生きていくことの難しさ、色々な意味が含まれています。最初はヤムクマリさんと出会い、取材できたところで撮影は終わっていたのですが、ブッダの生誕祭に合わせてガトゥダンスを踊るというので再度取材に行くと、村人たちのカタルシスや秘めたる気持ちが一気に現れ、日頃僕たちのお世話をしてくれたような人たちも踊り狂っているのを目の当たりにしたのです。その姿は定義できない。でもそれが故に、深みを与えてくれました。

<インタビュー後編〜ウッドストックのような現地上映会と、日本での公開、そしてこれから〜はコチラ