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感謝とは、ありのままの自分を見て、

受け入れるところから、始まるのだと思う。

 

自分に足りないものに手をさしのべて、

つつんでくれる人のあたたかさを受けとり、

自分にできることで、応えていく。

そのことに、自分をひらいていく。

 

◆感謝を知るために

◆書導

◆先生のお言葉

 

***


◆感謝を知るために

 

感謝を知ると心がひらく。


人として。母として。妻として。

閉じていた世界がほどけ、ゆるみ、動きだす。

光がさしこみ、風が吹き、〈独りではない〉ことが、あふれる。


感謝とは、ありのままの自分を見て、受け入れるところから、始まるのだと思う。

 

房仙書道を始めて、感謝を体験することが増えた。

すると、これまで、感謝とも思っていなかったようなことまでが、さしのべられていた手だったと気づく。

 

目をそらさずに、自分を客観的にみつめることができると、足りないところや、わがままなところ、考え違いをしていたことなどが、くっきりとわかる。

 

感謝とは、まず謝ることなのかと、初めて思った。

 

かさぶたをはがし、傷口をえぐるようにして見に行かなくても、自分が見える。

見せてくれるのが、墨と筆で書いた線だった。

 

最初は、そんなことには気づかない。

 

そうとは気づかず、半紙の上に表れる線を見ることに、慣れていく。

そうとは気づかず、半紙の上に表れる自分を見ることに、慣れていく。

書いたものが、自分のでこぼこを見せてくれることに、慣れていく。

そのうちに、ありのままの自分を見ることに、慣れていく。

 

どんなときでも、書いた線は「ありのまま」だからだ。

 

「書」もまた、「魂の翻訳者」なのだと、房仙先生が気づかせてくれた。

書けば半紙の上に、いつでも、そのときの自分が表れている。

自分の書いたものばかりではなく、教室の生徒全員の書いたものから、光がとどく。

 

〈書いたら見る。手本を見る。ちがいを見る〉

 

と、房仙先生は、いつもおっしゃっている。

 

書によって翻訳された魂の言葉は、生徒にはわからない。

だから、御指導がある。

感情はわがまま、思考は言い訳ばかり。

でも、書いたものは、ありのままだ。

 

隠そうとする気持ちも、打ち破りたい気持ちも、評価されたい気持ちも、愛されたい気持ちも、叫びの全てが表れる。

 

先生には、生徒の魂がお見通しだ。

見えないものが見えているのではない。

見えるものをきちんと見ているのだ。

 

〈書いたら見る。手本を見る。ちがいを見る〉

 

何度も言われている言葉を、わかっているはずなのに、机の上に並べたお手本と、書いたもののちがいを、ひとつひとつ指摘されて、驚く。

 

形がちがう。筆使いがちがう。墨のつけかたがちがう。線質がちがう。

なかでも、形の認証ができていないと、もどきにすらならない。

なぜ、手本とちがう字しか書けないのか?

 

「手本を信じること」

 

ただひとこと、房仙先生が、おっしゃった。

 

***

 

お稽古を受けているうちに、自分に起こる全てのことは、感謝に気付くためだったのだと、思うようになってきた。

 

房仙先生が、


「子どもがいない人は、そうでない人より魂が高い。子どもができなくてもいいように生まれている」


と、お話されているのを聴いたからだ。

 

私は、小学生のころから、誰かと結婚をして家庭を持つというイメージがなく、一生、独身でいることに疑いがなかった。

それなのに、結婚して妻になり、男女の子どもに恵まれ、母親になった。

どうして結婚したのか、母になれたのか、ずっと不思議だった。

 

魂の成長のために必要なことで、そうでなければ、私は、感謝を知ることができなかったのだと、初めて理解した。

 

結婚して、自分をとりまく人たちへの感謝が生まれた。

出産して、両親への感謝が生まれ、職場の人たちへの感謝が生まれた。

両親の介護で、夫や子供たちと離れて実家で暮らすようになり、遅まきながら、夫への感謝が生まれた。

そして、
房仙先生から、書道の御指導を受け、社中展作品を仕上げる中で、師と仲間、両親と家族への圧倒的な感謝の体験ができた。

 

自分に足りないものに手をさしのべて、つつんでくれる人のあたたかさを受けとり、自分にできることで、応えていく。

そのことに、自分をひらいていく。

 

感謝を知ると心がひらく。


人として。母として。妻として。

閉じていた世界がほどけ、ゆるみ、動きだす。

光がさしこみ、風が吹き、〈独りではない〉ことが、あふれる。


感謝とは、ありのままの自分を見て、受け入れるところから、始まるのだと思う。

 

感謝を知ると、世界がひろがる。

感謝を教えてくれた世界に、自分をひらいて、無限に羽ばたいていく。

 

◆書導


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 (撮影 古谷 翠仙さん)


房仙先生が、為されたいことは何なのだろう? と思っていた。

 

書家として、ご自身の書を究め、その道を房仙流として伝えていくのであれば、師範二十年と言われる期間を、たとえ五年に縮めたとしても、初心者の手ほどきではなく、有段者と師範の育成にかけるほうが、より高い場所へ行ける。

書家としての名声も、功績も、後継者への伝授も。

 

教えても、教えても、封を開けたらぶっとぶような、間違いだらけの練習作品を添削で送ってくるような生徒(私のことだが)に、先生の貴重な才能を費やしている場合なのだろうか?

全国の書道経験者が、房仙先生から教えを受けたいと願っているのに。

 

***

 

房仙会を、「松下村塾」のようにしたいとおっしゃっているという話は、以前から耳にしていた。

 

8月のお稽古で、


「生徒が入会した段階で〈こんなふうになって輝く〉という設定をして、そのように指導するから、十人十色」


と先生が話されるのを聴いて、(そうだったのか!)と、目覚めた。

と同時に、私に設定されたことが〈書道ではなかった〉ということも判明した。

 

わかってはいても、少しの寂しさはあり(笑)、書道でお役に立てないことに対する申し訳なさもあり(涙)、しかし、その反面、荷物を背負い直して、スタートラインに立つような、清々しさがある。

 

自分の魂が喜ぶことで、先生のお志に応えたいと、覚悟ができる。

 

吉田松陰の言葉に、「学は人たる所以を学ぶなり」というものがある。

「学」を「書道」に変えれば、房仙先生がご指導の志とされていることだ。

〈房仙書道は人たる所以を学ぶなり〉

 

房仙書道が、「書動」であり、「書導」である所以だと感じる。

 

経験者も初心者も分けへだてなく、書道を通じて、生徒が本来の輝きを取りもどし、感謝や、敬いや、利他の心など、人として必要なことを学んで成長し、日本、世界の未来を変えていくような人材が成長し、切磋琢磨する場所が、房仙会。

 

生徒ひとりひとりが、先生が設定してくださったご自身の輝きに気づき、目覚め、導いてくださる目標に向かって、今できることを、すさまじく、そして清々しく。

 

浜田えみな

 

大阪教室のお稽古の様子を、いつも迅速に、お写真を添えて、フェイスブックでシェアしてくださっている、チャーミングな魅力あふれるリーダー、青木 美保さんと、房仙流書道認定師範として、京都で書道教室をされており、房仙会書道展では、房仙先生との揮毫パフォーマンスを披露してくださった古谷 翠仙さんの投稿に、寄せてくださった房仙先生のコメントを転載します。

 

◆先生のお言葉


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みんなに伝えたいことだらけです。

この場を借りて書かせていただかないと、また次に進むと忘れますので書かせていただきました。

書道だけど 書道でない
書動だけど書導になっている
どんな同にも対応できる書道。
オンリーワン書道がみんなのお陰で確立してきました。

深い書道。
何十年、私が教えてだして40数年かかりました。

大阪校は熱いです。

やはり満席だと閃きも冴えています。
面白い物ですね。

みんなで熱くやれるので、本当に楽しく
元氣です。

今日も自分がなにを言うのか、どうなるか?非常にたのしみです。

美保ちゃん、場所お借りしました。

(平成30年9月8日 美保さんのフェイスブック投稿
 ★9月の書道教室 1日目★ へのコメントより)

 
***

ありがとうございます。おはようございます。
こうしてみんなで本音トーク。
いつかこうなったら良いなと思っていた通りになっています。

こんなすごい事やっているよ!の自慢投稿でなく
こんな失敗もしたし、ミスだらけ。
だけど良いじゃん。
こんな投稿も素晴らしいと思っています。

失敗しながらまた次へのステップへと繋がり、
自分では愚かな投稿だと思っても、その投稿が
誰かの為になっているとすると、すごいよね、みたいな空間。

それって落ち込んでいたら元氣がでない?

元氣をもらい 元氣が出来てきて、自分の愚かさを知ったら、
一人で悩んでいて、時間をかけて悩んで抜き出る事が出来ないよりずっと早く気がつき、元氣になり仕事もはかどるでしょ?

それって素敵なことだと思いませんか?

ある人は思慮深く
ある人はエッセイストで
ある人は浅ーく あぁっかるく
ある時は暗く
ある時はセラピストのように
ある時はコメンテーターで
ある時は指導者となり
ある時は勇気をあたえ
元氣をあたえ
やる気を発見し

まず、自分の今がどうなのか?
見つめ
気がつき
良いところは伸ばそうとし
悪いところは直そうとし

毎日の行動を変え

そのためには何を変化するかを考え

繰り返し 悩み 苦しみ ・・・・・

そのことを継続することで 自分の毎日の行動がすこし変わり

行動が変わると
言動も変わり

相手にも変わったと言ってもらえるし
褒めてくれる人も現れて・・・

それって嬉しいはずですよね。

誰かに認めてもらえると
嬉しさを覚え
また嬉しくなりたいと続けることで

人を褒める事も大事なことだと知り

褒め方にも色々あることを知り

相手にあった話しかた
相手にあった伝え方

それが気がつくことを

私は ここ フェイスブックでやれたらいいなと思っている次第です。

だったら友達だけでやればいいや、ではなく

ある緊張感も大事なので 公開することで
節度を守り、あれもよし、これもよしではない
大人としての自覚を備えたコミュニティ連絡ツールになるといいな。
と考えています。

この文章も添削もなく思うまま書いているので
雰囲気で読んでください。

 

(平成30年9月9日 古谷 翠仙さんのフェイスブック投稿
 ☆房仙会書道教室 in 9月☆ へのコメントより)