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房仙会が掲げる【指導者育成】とは、

師範を育てることではなく、

教える気持ちで習う生徒を育てること


◆タメの時期

◆動画を撮る

◆教えるということ

***


◆タメの時期

 

10月と11月は、それぞれ、昇級・昇段・師範試験の課題に取り組む。

昇段試験からは、「半折」という縦長の大きな紙に漢字を書く課題があるので、机の上ではなく、床で書く。

そのため、いつものセミナールームではなく、近隣の公共施設の会議室を借りて、床にブルーシートや押入れシートを敷き詰めて、お稽古を行っている。

 

会場の手配と、気持ちよくお稽古をするための準備が先輩たちの手で進められ、午前9時30分から午後4時30分まで、お昼休憩をはさんで、通常の倍の4コマのお稽古が行われる。

 

昇級試験の受験要綱が発表された8月号の競書誌『白羊』で、私は4級だった。昇段試験は1級から受験なので、ぜんぜん関係がない。

9月号の『白羊』で3級に昇級した。まったく関係がないから、迷わず昇級試験の申込書を書いた。

10月号の「白羊」で2級に昇級していた。なんと!

 

房仙先生が、お稽古の前に


「彼女、今、2級なの。10月20日に届く「白羊」で昇級していたら、昇段試験受験を受験しなければならないという、いちばん、ややこしいパターン。毎年、こういう人が一人くらいいるのよね」


と言って微笑まれた。会場は笑いにつつまれる。みんなはあたたかく。私は、ひきつりつつ。

 

なぜ、ややこしいのか。

 

昇級試験は、毎月の課題と同じ、半紙に行書で漢字を5文字書く。

昇段試験は、半紙が2枚に増え、行書と楷書で漢字を5文字書く。さらに、半折という長い紙に漢字14文字を書く。

 

昇級試験と昇段試験では、課題の量が違うのだ。


1級以上の生徒は、すでに必要なお手本が手元に届いていて、10月のお稽古で練習を開始するのだが、私は、10月20日にならないと受験できるかどうかがわからないので、スタートが遅れ、練習時間も半分しかない。

といって、早くから準備をして、昇級していないのも、バツが悪い。

 

私は、漢字の試験しか受けないが、かなの試験を受ける先輩は、枚数だけでも6枚だ。

2か月間に渡り、通常の2倍のお稽古時間でご指導いただいたとしても、かなり大変な課題。


でも、昨年の昇級・昇段試験のとき、先輩たちはやり切っていた。全員、昇段していた。

 

その中で、半紙1枚、たった5文字を、2か月間ひたすら書いていた1年前。

あんなに練習したことはないのに、1級しか上がらなかった。
あんなに練習したのだから、その後、順調に上がっていくかと思いきや、半年間、まったく昇級できなかった。


なんなのだろう。本当に苦しかった。

で、上がりだすと、毎月のように昇級する。
魔法みたいだ。

 

大阪教室のリーダー、青木美保さんが、「タメ(フラット)」という言葉を教えてくださった。


昇級は常に右肩上がりではなく、タメ(フラット)があって、上昇して、またタメが来て……というような傾向が見られるのだという。


タメの時期に、コツコツお稽古したことが熟成され、一気に開花するのだそうだ。

 

そのことを教えていただき、次に昇級できないタメの時期に入っても、もう悲しくない、と思った。


「今は、タメの時期。熟成中!」と思って、笑顔で続けられる。

 

このタメの時期、私は6ヶ月だったが、1年もタメだった先輩がいると聞いてびっくり。

1年間のタメが終わり、開花の時期に入ると、やはり毎月のように昇級されたそうだ。

 

タメは、熟成の時。

 

房仙先生は、『白羊』の昇級は、気にする必要はないとおっしゃっている。

毎月、御指導を受け、お手本を手元に練習をして、心を澄ませて清書を仕上げる。

生徒が上達しているかどうかは、『白羊』の昇級欄ではなく、房仙先生の中にある。

 

では、なぜ、競書誌に出すのか。

このことを、房仙先生が、2018年1月4日のブログに書いておられたので、引用する。

 

~基礎基本が出来ているか?

お手本と素直に向き合って書いているか?

表現方法が素直だろうか?

自分で書いた字は、どのように判断されるだろうか?

緩急の付け方は果たして良いか、どうか?

墨の色はいいだろうか?

細すぎやしないだろうか?

反対に太くなりすぎてはいないだろうか?


・・・・・・等々、自分が考える時間を与える為に毎月競書に出しています。~

 

お清書を提出する前に、読み返したい言葉だ。

 

◆動画を撮る

 

「ちょっと、ちょっと」

と、房仙先生に呼ばれた。

 

「彼女が書くのを、動画で撮ってやって。二人で、お互いに撮ったらいい」

と言って、また、別の人の指導に行ってしまった。

 

(ええっ)

 

房仙先生は、「動」の指示はなさるが、なぜそれをするのかという説明がないので、頭を使って考えなければならない。

動画を撮れと言われても、手元を撮ればいいのか、全体を撮ればいいのかがわからず、困ったが、先生はすでに、どこかに行ってしまった。


少し前に、別の生徒さんに、先生ご自身が書く様子を動画で撮る旨の指示を出している声が聴こえていたので、きっと、同じ趣旨だろうと思い、私たちも見よう見まねでやってみることにした。

 
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その結果、わかったこと。

 

動画を撮られると、緊張する。

ちょっと、よそいきの自分になる。

その結果、ものすごく、優等生になる。

つまり、ていねいに書ける。

すると、ふだんは、うっかり忘れてしまう筆使いが、きちんとできる。

撮られていることを意識すると、先生の指示が思い出せる。

筆先だけでなく、身体で書くことを意識できる。

緩急のリズムを、意識できる。

 

(いいことばっかりやん!)

 

で、撮ってもらった動画を見ると、

 

(えーーーっ なんか、へん!)

 

できているつもりだったのに、できていない!

 

いちばん、びっくりしたのは、正面で書くということ。

動画を見て、いままで、自分が正面だと思って書いていた位置は、「漢字の正面」ではなく、「半紙の正面」だとわかった。


私の身体の正中線は、書いている行の正中線ではなく、半紙の正中線だったのだ。

だから、右半分を書いているときも、左半分を書いているときも、身体は斜めになってしまう。

それで、まっすぐな線が書けていなかったのだとわかった。

 

このことがわかったので、それ以来、行ごとに半紙をずらして、真ん中をしっかり、おへそに合わせることにした。とても気持ちがいい。

 

次にびっくりしたこと。

名前を書くときは、筆をまっすぐ立てるようにと、房仙先生から教えてもらい、自分では、そのようにしているつもりだった。


ところが、動画を見ると、かなり斜めになっていた。

このことは、とても衝撃だったので、以後、気をつけるようになった。

名前を書くときに、動画の映像がフラッシュバックするからだ。

 

ほかにも、自分のくせなどがよくわかり、つっこみどころ満載だった動画。

目で視てわかる、というのは、かなりインパクトがある。

欠点だらけの自分はイタすぎて、一度観たら、脳裏に焼き付いてしまう。

 

房仙先生の書いている姿と比較すると、さらに、自分のできていないところがわかるのではないかと思う。
いつも撮っている筆先のアップの動画のほかに、筆の持ち方や、身体の動きのわかる先生の動画も、撮らせていただきたいと思った。

書いているときの自分の動画、おすすめです。

◆教えるということ

 

二日目の午後から、半折のお稽古が始まった。漢字のほかに、かなの昇段試験を受ける先輩は、全部で6作品を清書しなければならない。

会場の後ろ半分に敷き詰められたシートの上に、何人もの先輩たちがお手本と紙を広げ、先生に筆をとってもらったり、添削を受けたり、質問したり、それはもう、すごい熱気だった。けっこうな修羅場だ。

その中に、入ってきた人がいた。

 

(まさか)

 

と、思ったが、その日が二度目のお稽古になる、という新しい生徒さんだという。

 

なぜ、この時期に? この時間に? 

せめて、前日なら。せめて午前中なら。

 

とにかく、机に座って書いている人より、床で書いている人のほうが多く、先生は飛び回っているし、みんな一心に書いているし、この状態の部屋に途中入室するなんて、私だったら無理だと思った。


おそらく、ひととおりは、手をとって指導をしていただいているはずだと思うが、それだけではできるはずもなく、

 

(だいじょうぶかなあ。まわりは知らない人ばっかりで。こんなにすごい状況で。私だったら、不安で、心細い)

 

と思いつつ、トイレから戻ったら、房仙先生と目が合い、

 

「あなた、みてあげて」

 

(えーーーーーーーーーーーっ)

 

と思ったが、よく考えてみると、昇級試験を受験する生徒のうち、一年以上の経験者は二人で、漢字の試験しか受けないのは、私だけなのだった。


つまり、先輩たちが複数の課題に奮闘している中、半紙一枚に何時間もかけ、まわりを見て状況を判断をすることをせず、先生から指示されるまで動けなかったというのは、たいへん恥ずかしいことだった。

 

なので、席を立って、その生徒さんのそばに行ったものの……

 

(困った)

 

せめて、昨日から言われていれば、予習をしてくる。

今まで教えていただいたことを、まちがえないよう、わかりやすく伝えられるよう、原稿を考えて覚えてくる。

でも、突然だったので、頭がまっしろだ。

しかも、私は、書道があまりできない(汗)

 

そんなときに頭に浮かぶのは、筆使いがわからなくて、房仙先生に、てのひらを使って教えていただいたことや、折にふれて先輩たちが教えてくれたこと、いつも自分が、心がけていることだ。

 

説明しようと思うと、明確なことと、不明確なことがはっきりする。

説明することで、自分の中で、くっきりと腑に落ちていく感覚がわかる。

言葉にして説明したことは、忘れない、と思った。

 

てのひらを使って筆づかいを説明することで、自分ひとりで半紙に向かって書く何倍も、筆の流れが身体にしみこむことを実感した。


不十分にしか説明できず、記憶が曖昧になっているところが、申し訳なく、悔しかった。

常に、人に伝えることを前提に記憶しなければ、と反省した。

 

この時間は、私への御指導だとわかった。

 

帰宅後、生徒さんの状況と自分が伝えたことを先生に報告し、間違っているところは訂正していただくようお願いした。

 

その後、別件で先生のブログを読み返していたとき、1月4日の房仙先生のブログに、こう記してあるのを見つけた。

 

~【教えることは学び続けないといけない】のです。

 

だから房仙会では

【教える気持ちで習うこと】を大切な理念の一つに掲げています。

教えなくてもいいのです。気持ちが大切なのですから。

そうすれば、必ず上達していきます。

 

【指導者育成】を開塾当時から訴えているのはこうした理由からなのです~

 

房仙会が掲げる【指導者育成】とは、師範を育てることではなく、教える気持ちで習う生徒を育てるということだったのだ。

 

過去に、房仙先生は、そろばん塾の先生に、書道を教えたことがあったそうだ。

その先生は、「一」を教えたら、帰ってすぐに自分の生徒に「一」を教えていたという。

 

私も、教えられるように、習ったことを記憶したいと思った。

いつ、「みてあげて」と、声がかかってもいいように。

 

ちなみに、あの日のお稽古は、本当にすごい状態で、房仙先生は、ほとんどワープしていた。

 

浜田えみな


引用した2018年1月4日の福田房仙先生のブログ記事 → ★★★
 

〈追記〉

 

10月19日の夕方、房仙先生から電話がかかってきた。

 

「おめでとう! 1級!」

 

初・昇段試験です♪