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(撮影 福田光孝先生)

限られた御指導の時間で、最大のパフォーマンスを発揮するために、準備しておく基礎トレーニングは、一朝一夕にはできない。

 

そのために、毎月の課題がある。

 

〈毎月のお稽古の中で身につけていくこと〉

〈社中展、昇級・昇段試験といった、特別のお稽古の中で身につけていくこと〉

 

織物に、「縦糸」と「横糸」が必要なように、「コツコツと積み重ねるもの」と、「飛躍的に習得するもの」が織りなされて、道が続いているのだと思う。

 

◆外堀を埋める(その3)調整を図る

◆外堀を埋める(その4)「書かないでいい」

◆内堀を埋める 軸の使い方

◆本丸を攻める 光孝先生

 

***


◆外堀を埋める(その3)調整を図る

 

ただ、書けばいい、というわけではない。

二日間のお稽古と締切前の数日で、複数の課題の清書を仕上げるために、パフォーマンスのピークをどこにあわせるか。

 

〈トップアスリート並みの調整力が求められている〉と、思った。

 

そのために、まずは自分を知ること。

持久力はあるのか。ないのか。

追い込まれたほうがいいのか。追い込まれたらダメなのか。

人のことは、気になるのか。ならないのか。

夜型なのか。朝型なのか。

教室で書くほうがいいのか。家で書くほうがいいのか。

書けば書くほどよくなっていくのか。悪くなっていくのか。

睡眠時間は少なくても大丈夫なのか。大丈夫ではないのか。

どんなときに、自分は冴え冴えと覚醒しているのか。

何コマ出席できるのか。

 

二日という限られた期間の中で、最大のパフォーマンスを発揮して、最終作品を完成するための調整は、ひとりひとり違っている。


さらに言えば、11月のお稽古だけでなく、前月のお稽古の開始時から、その調整は始まっている。

添削指導の受け方によって、自宅練習で高められるレベルがちがってくるからだ。

 

前回のブログで書いたように、あまりに早く添削を提出しても、ロイター板が遠すぎて、跳び箱まで届かないように、御指導での伸びが期待できない。

 

といって、添削の提出が遅すぎると、ロイター板が近すぎて、跳び箱にぶつかってしまうように、御指導していただいたことが、お稽古までに反映できず、御指導での伸びが期待できない。

 

〈添削の受け方にも、能力が求められる〉

 

最終段階のお稽古を受ける前に、自宅で書いた作品が、いきなり合格点に達し、合格点をいただいた安心感の中で、余裕をもって先生の御指導を受け、そこからさらにパフォーマンスを発揮して、より進化した作品を完成する生徒がいる。

 

ほとんど徹夜に近いくらい家で書いて、ナチュラルハイ状態で、がんがん書ける生徒もいる。

 

お稽古のときにスタミナが続かなくて、朦朧としてしまい、集中できない生徒もいる。

 

お稽古の場で、ご指導を受け取れないことほど、もったいないことはない。

お稽古の場で、自分のレベルをあげ、さらに上達するための御指導を受けられないことほど、悲しいことはない。

 

トップアスリートが、大会で最大のパフォーマンスを発揮するために、自己調整するように、自分のタイプを知り、課題の締切までに、いかにピークを調整していくかということを、早く修得したい。

 

房仙先生の御指導を最大限に受け取り、受け取ったものを消化・吸収・熟成して、これまでに使ったことのない能力を引き出していただくために。

 

◆外堀を埋める(その4)「書かないでいい」

 

書かないでいいと、先生から言われることがある。

 

「書かないでいい」と言われても、書かずにはいられないので、私は書いてしまい、エネルギーを浪費して、逆にポテンシャルを下げることになって失敗しているのだが、今回、遅まきながら気がついた。

 

「書かないでいい」というのは、お道具にさわらなくていい、ということではない。

 

「書かないでいい」と言われて、二週間近く、まったく、筆と墨と紙にふれていないまま、お稽古に出席し、いきなり、先生に手をとっていただいたとして、それをすぐに半紙に反映できるだろうか?

 

その点においても、生徒はアスリートと同じだと思う。

 

いつでもダッシュできる筋力は常に維持しなければいけないし、自分の状態とあわせて、筆と墨と紙の状態も知っておかなければならない。

 

筆と墨と紙と、友だちでいること。

 

何よりも、この友だちにそっぽを向かれてしまっては、どうしようもない。

 

たとえば、墨の濃さ。

行書を書くとき。楷書を書くとき。半切を書くとき。それぞれ、美しく見える色があり、書きやすい濃度がある。

 

濃度を調整しないでいい墨液を使っているときでも、季節や天候、空調の有無によって、気温や湿度が違うので、墨の状態がどんどん変わっていく。

 

特に、収筆で筆の穂を立てて、次の始筆に向けて、穂先を上げたときに、命毛と呼ばれる毛が作用して、紙の上に、とても美しい軌跡が残るのだが、これは、同じように筆を使っていても、そのときに穂先が保有している墨の量や濃度によって、現れ方がまったく違う。

 

墨の量が多いと、ドボドボに、にじんでしまい、命毛の効果など、どこにも見られない。

うまく調整できると、自分でも驚くくらい、芸術的な線が出て、

 

(やったー!)

 

と、嬉しくなるのだが、何枚か書くうちに、いつのまにか墨がねばっていて、まったく尻切れトンボになってしまい、墨が言うことをきかなくなり、書いても書いても、どんどんダメになっていくことがある。

 

書いているうちに、筆の穂がからまってダンゴのようになったまま戻らなくなったり、バサバサに割れたりすることもある。

 

墨が分離してしまって、濃度に差が出てしまうこともある。

紙も、保管状態によって、湿度をふくんでいたり、乾燥していたりすると、墨の吸いつきが変わると思う。

 

書き始める前に、硯の海の中で墨液を練るように混ぜ合わせ、筆の穂に、墨をていねいにふくませ、筆の毛の一本一本にまで自分の氣を送るような気持ちで、ゆっくりとなじませ、墨の量を調整したら、大きく深呼吸をする。

 

どのくらい墨をふくませれば、どのような線が出るのかを、感覚として記憶しておかなければ、思い描く線は出せない。

 

先輩たちは、熟達されていると思うが、私は、そういうことが、まだ、よくわかっていないので、まぐれでしか、清書が書けない。

 

どんなに、自分のパフォーマンスを上げることに成功しても、筆や墨や紙の状態が悪ければ、ガタガタにくずれ、何枚書いても、清書は書けない。

 

房仙先生は、お稽古のあいだ、何度もまわってきて、書いている手をとって導いてくださる。

お手本を書いてくださるときも、それぞれの生徒自身が使っている道具を、必ず使う。


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(撮影 青木美保さん)

このとき、筆や墨や紙の状態を感じてくださっているそうだ。

 

書いている手を止めて、墨、濃すぎと、指示したり、命毛、あるのと、筆の穂先をすかして凝視してくださり、あまりに状態が悪い時は、新しいものと交換する。

 

二日目のお稽古で、ある生徒の半切のお手本を書き始めた先生は、途中で、筆の寿命が尽きてしまったことに気づかれ、すぐに新しい筆を用意させていた。

 

筆を替えたとたん、のびのびと美しい線が紙の上に流れ始めるのを、隣で書いていたので、見ることができた。

 

新しい筆をもった生徒の、感嘆の声。

 

前日のお稽古のときは、その筆に異変は起きていなかったので、筆の寿命というのは、とつぜん、やってくることがわかった。

 

「私が書いても、書けないのよ。うまくできないとき、自分のせいばかりにしないで、筆のせいにすることも考えて(笑)」

 

と、おっしゃった先生の言葉が印象的だった。

 

***

 

本当は、新しい筆は、大事な課題の清書には適していない。

新しい筆は、青くて硬く、こなれた線や枯れた線が出せないからだ。

 

作品展や試験の2~3か月前には、そのときの筆の状態と、作品完成までの期間を考えて、筆を使い続けるか、新しい筆をおろすかを検討しなければならないと、先生は、ことあるごとにおっしゃっている。

 

筆の寿命は、練習量や、筆の使い方、洗い方、保管の仕方に左右される。

今回のように、前日まで書けていたのに、とつぜん、ダメになってしまうこともあることが、わかった。

 

先生がおっしゃる「書かないでいい」というのは、

 

〈添削指導では限界があり、手をとらなければ伝えられない点があるので、今以上に、おかしなくせをつけず、素直な状態でお稽古に臨んでほしい〉

 

という意味だ。

 

私たちは、房仙会のアスリート。

 

筋トレやストレッチは、しなければいけないし、筆と墨と紙の状態は、把握しておかなければならない。

 

先生に手をとっていただいたあと、できる限り素直に、受け取ったままを再現できるくらいには、筆を持つ手の感覚はとぎすまされていなければならない。

 

筆の穂にふくまれた墨と、墨がのっていく紙の状態も、書いた瞬間に把握できるくらいには、お道具と仲良しになっていなければならない。

 

このことを、痛感した。

私がやったのは、書かなくていいのに書いてしまって、むだに疲労したことだったからだ。

 

限られた御指導の時間で、最大のパフォーマンスを発揮するために、準備しておく基礎トレーニングは、一朝一夕にはできない。

そのために、毎月の課題がある。

 

〈毎月のお稽古の中で身につけていくこと〉

〈社中展、昇級・昇段試験といった、特別のお稽古の中で身につけていくこと〉

 

織物に、「縦糸」と「横糸」が必要なように、「コツコツと積み重ねるもの」と、「飛躍的に習得するもの」が織りなされて、道が続いているのだと思う。

 

◆内堀を埋める 軸の使い方

 

生徒の心が、昇級・昇段試験の課題に向けられている中、一日目のお稽古の始まりは、前月の「9月の課題」を書くことだった。

 

既に、それぞれの生徒が練習を積んで、書き上げている清書作品に対して、毎月の課題よりも、かなり高いレベルで、口頭による添削指導をしてくださり、全員に、あらためてお手本に向き合う時間をとってくださった。

 

お手本を見る視点が変わる。

お手本から見えるものが違う。

線に心がゆきとどく。

 

その体験を、させてくださった。

 

二日目のお稽古の始まりは、〈書写と書道、行書と楷書のちがいについてのレクチャー〉だった。


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(撮影 青木美保さん)

誰もが、自宅で書いてきた作品の添削指導を受けたのち、書いて、書いて、書きまくるのだと予想していたと思う。

そのために、自宅で一心に書いてきた生徒が、ほとんどだと思う。

 

しかし、その予想を大きく裏切って、基本だが、多くの生徒にとって、これまでのお稽古では、聴いたことのない「書体による筆の使い方」を、実際に筆を動かしながら、ていねいに解説してくださった。

 

大きなポイントは、「筆の軸」だった。

 

軸を動かさない。

軸を動かす。

 

筆の軸をどう使いこなすかによって、線の質が変わる。

 

〈軸を動かすためには、手首が柔軟であること〉

 

手首が内側に折れた持ち方では、必要なときに軸を動かすことができない。

 

これまで、房仙先生に、何度も手首のことを指摘されていたが、直せなかった。

気がつくと、手の甲が伸びて、前におじぎをするような持ち方になっていた。

そのような持ち方では、軸を動かすことができない。

ということは、軸を使っていなかったということに、気がついた。

 

手首を直そうとするのではなく、軸を使うことを意識しはじめると、手首の向きは変わっていく。

 

レクチャーが終わって、房仙先生は、おっしゃった。

 

「さあ、みんな、一枚、書いて、それを見せて。家で一生懸命書いてきたものを、見てほしいと思っていると思うけど、昨日、書いたものとは、もう、ぜんぜん変わっているはずだから」

 

(がーん)

 

〈ぜんぜん変わっているということがわかるだけに、

 

(しまった)

 

という後悔が隠せない。

 

このような展開になるなら、家で書かずに、さっさと寝て、睡眠をしっかりとって、お稽古の時間にスパートをかけられるように、体力を温存したほうがよかったかもしれない、ペース配分を間違えたかもしれないと、動揺しかけた。

 

でも、大丈夫。

〈受け取り力〉というアンテナの感度は、最大だ。

 

課題の文字には、少しもふれていないのに、生徒全員の課題の文字の線質を、いっせいにあげてしまう、房仙先生の御指導。

 

どんな状態であっても、気づきや学びの歓びは、覚醒を呼ぶ。

 

◆本丸を攻める 光孝先生

 

少ないコマ数しかお稽古に出席できない中、お稽古の場でしか受けられないことは何か〉を見極め、吸収し、自宅で自主練習するために必要な教え〉を受け、お清書を完成する見通し〉をつけて、焦りや余裕のなさをふりまくことなく、すっきりと学んでいる生徒の姿があった。

 

さっそく、房仙先生は目をとめて、その生徒に、

 

「どうして、そんなに効率よく学べるのか、秘訣をみんなに発表してください」

 

と声をかけた。

 

そのかたの秘訣は、〈光孝先生〉だった。

 

言葉はうろ覚えなのだが、タイミングをはかって、光孝先生に声をかけ、

 

〈意図的に、集中的に、効率的に、教えを受ける〉

 

というようなことをおっしゃったように思う。

 

房仙先生が、以前、

 

〈房仙書道の極意は波動を伝えること。だから、手をとる〉

 

とおっしゃっているのを聴いて、(ええっ そうだったのか)と、びっくりし、同時に納得もしたのだが、房仙先生が伝えてくださる〈波動〉を感じ、自分の筆ですぐに再現できる能力がひらいている人は、まだまだ少ないように感じる。

私は、どちらも、まだ十分にできていない。

 

そこで、その橋渡しとして、存在してくださっているのが光孝先生だ。

 

たとえば、イチ、ゴー、ズン」という表現がある。

今回の昇級試験の課題になっている「松」の字の「ハ」の右側や、「ム」の最後の短い線を書くときに、房仙先生が、おっしゃっているのだが、そばで見ていても、一瞬で終わってしまうので、最初は「イチ」と「ゴー」と「ズン」の違いがわからなかった。

 

よくよく聞いていると、「イチ」は数字の「1」で、「ゴー」は英語の「GO」ではなく、数字の「5」で、筆の先をおろす割合を表現しているということや、「ズン」というのは、「ゴー」で筆をおろした状態のまま、そのまま筆を下に引く動きのことだということが、わかった。

 

でも、再現できないでいた。

どうやって「イチ」を決めればいいかがわからないからだ。

 

そこをすかさず、光孝先生は「45度」と教えてくださるので、迷わず書けるようになる。

一度聴いたら、忘れない。

 

45度で「イチ」の始点が決まったら、そのまま、穂先を「ゴー」の段階までおろし、そのまま下に引いて、筆を立てる。

 

しかし、この短い線の形が難しい。

上と下の角度が違うのだ。どうやれば、この形になるのだろう?

たまに、まぐれで書ける。

 

その加減が「ズン」でしか表せないのではないかと想像するのだが、このような疑問も、光孝先生なら、誰でもが再現可能な言葉で教えてくださると思う。(今度、訊ねてみます)

 

「主人が教えると、みんな書けるようになる」

 

と、房仙先生がおっしゃっていたので、私の体験から思うことを書いてみる。

 

書道作品は、深い奥行があるが、見た目には二次元だ。

房仙先生のご指導は〈波動〉だから、四次元、五次元、六次元レベル。

 

しかし、生徒は、〈波動〉以前の〈かたち〉が、そもそも書けない段階にいる。

それを、光孝先生は、まずは房仙先生がどのように書かれたのかを解読して、三次元で再現可能なレベルにして、教えてくださるので、書けるようになるのだと感じる。

 

二次元で表現されたものを、三次元に構築してくださるということは、紙と筆と自分の関係が立体的になり、どう筆を動かせばいいのかが、空間として把握できる。

 

あとは、光孝先生がお使いになる言葉のセンスが絶妙なので、しっくりくる。

行書の太細や、墨の濃淡、渇筆については、特によく御指導してくださり、

「ちょっと、ここは色気を出してね」などと、おっしゃるときもある。

 

「少しからめてね」

「寄せるように」

「大きく上に張りだすように」

 

手を取ってくださりながら、立体的な映像が脳内に浮かびやすい言葉〉を添えてくださるので、筆の動きと言葉を、自分の中でマッチングさせる〉ことができ、いつでも、その感覚を取りだせる〉ようになる。

それが、書ける〉ということだ、と思う。

 

そのようにして、〈かたち〉が書けるようになってから、房仙先生に手をとっていただくと、最初はまったくわからなかったものが、筆を通して自分のからだに入ってくる感じが、なんとなくだが、強まってくるのだ。

 

〈かたち〉に、命が吹き込まれるように。

 

〈房仙先生からしか受け取れないもの光孝先生からしか受け取れないもの、それを、最短で最高に効率よく受け取ることが、お稽古のときの最大ミッション〉だと、そのかたは教えてくださったのだと思う。

 

〈一度で全ての不明点を確認できるように、練習をしながら、質問事項を整理しておくこと〉や、動き回っている先生が自分の近くを通るタイミングに合わせて、自分の書いた作品を指導を受けられる状態にしておくこと〉が、その最大ミッションをコンプリートするために、求められる能力だと感じた。

 

なんと、私のおろかな点は、そのかたの向かい側で書いていて、光孝先生からご指導を受けていらっしゃる時も、そばにいたのに、自分が書くことに夢中になってしまい、内容を聴いていなかったことだ。

 

〈お稽古の場は、棚からぼたもち〉

 

誰かが光孝先生の御指導を受けているときは、身を乗り出し、ダンボ耳になって、しっかりとポイントを学ばなければ、もったいない!

 

浜田えみな

 

最後のまとめにつづきます。