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どんな自分であっても、変わらずそばにいてくれ、話を聴いてくれ、自然体でいられる存在。
安心して何でも話すことができ、何を話しても受けとめてくれ、客観的な意見と、個人としての意見を伝えてくれ、支えてくれ、全面的に応援してくれる存在。

そして自分も相手にとって、同じことができる存在。

 

家族でも、恋人でも、友だちでも、志を同じにする仲間でも、同僚でも、誰か、そういう存在がいてくれること。

素の自分の言葉をはき出せること。たてまえや言い訳のオブラートで包まない、生まれたままの言葉を、伝えられること。

 

◆存在

◆〈行く!〉

◆[réinbòu]〈レェィンボォゥ〉

 

***


◆存在

 

「書道と空間認知の力」について、夫と話したことをブログに書いたが、あの会話には続きがある。
生徒が使っている墨汁についてだ。

 

「墨があかんねん。“洗濯で落ちる墨汁”っていうのが、めっちゃにじむねん。俺が書いても、きれいに書かれへんもん」

「薄めずに、そのまま使ってるのに、にじんでしまうの?」

「そう」

「どうしようもないやん!」

「学校で買ってる半紙は、一番安いやつやから、紙との相性もあるのかもしれんけど」

「きれいに書けなかったら、楽しくないやん。自分では、どうしようもでけへんのに、ひどいなあ」

「昔の、膠が入ってる墨の、ぴしーーっと、半紙にのって、光沢が出る、あの感じが、ないねん。わかる?」

「わかるわかる」

 

〈膠!!〉

 

夫の口から「膠」という言葉を聴くとは思わなかった。

墨に膠が入っていることも、ふだんは意識しないので、すっかり忘れていた。

 

(なんで、そんなこと知ってるの!?)

 

書道を習っている私より、書道を身近に感じているなんて(ちょっと悔しいぞ)。

小学校の教師をしている夫は、雑学も含め、何かと博識なので、話していると楽しい。

 

「ねぇねぇ、ぜんぜん思い出されへんねんけど、私が小学生のときは、硯で墨をすってたような気がするねん! 墨汁なんて、なかったと思うねんなあ……。
でも、生徒が墨をする時間、ある? 墨すってるだけで授業時間、終わりそう。
でも、やってたんかなあ。まったく記憶にない」

「俺も覚えてないなあ。今は墨汁つかってるしなあ。
休み時間からすってたんちゃう? 5分前から始めたらいけると思うねん」

「書道って、本来、墨をするということが、もう儀式というか、静かに同じ動きをする中で、精神を統一していくが大事というか、瞑想の前の呼吸法みたいに、心を落ち着けて気持ちを鎮めていくために、必要なことやと思うよね」

「おお」

「容器から墨汁、ぴゅーっ とか、あかんよね」

「飛び散って、服につけたりするしな」

「私もやってしまう! 横に置いてる半紙の上に、飛んだりする。清書やのに(涙)」

「昔からの作法は、それぞれ意味があるもんな」

「墨の成分って、松の木を燃やしたり、菜種油とか燃やしたりしてできた煤と、膠が入ってるやろ、エレメント的には、植物性のものと、動物性のものと、火のエネルギーが入ってて、さらに水が加わるやん。
このあいだ、フェイスブックを見ていたら〈硯はパワーストーン〉とか書いている人がいて、おおーーーって、びっくりした。たしかに、筆で書いたものには、なにかが宿ってるもんね。
あと、筆は360度使えるから、それを使って書くことで、自分の中にある能力が引き出せるようになる、とか書いてあった。
ほんまかどうかわからへんけど、そうかもしれないという気がするよね。
昔の日本人って、なんかこう、偉大やもんね。筆と墨で和紙、おそるべし。
360度使えるからといって、むちゃくちゃに書いていいということやなくて、基本の技法をふまえた上で、その中で、可能性が無限ということやんね。
使いこなすのに、修練が必要やけど、筆で書くと、気持ちいいもんね。
筆の動きと、心の中は連動しているというか、それは感じるし。
子どもに書道をさせるの、大事やね! 読み書きそろばんって、すごいね」

「俺は、小学校では、それだけやればいいと思ってるねん」

 

***

 

房仙先生と光孝先生は、信頼しあい、リスペクトしあい、理解しあい、必要として、必要とされて、深く結びついている。


そのお姿を見せていただいているうちに、志を実現するために必要なのは、そのような存在に恵まれることだと思うようになった。

 

どんな自分であっても、変わらずそばにいてくれ、話を聴いてくれ、自然体でいられる存在。
安心して何でも話すことができ、何を話しても受けとめてくれ、客観的な意見と、個人としての意見を伝えてくれ、支えてくれ、全面的に応援してくれる存在。

そして自分も相手にとって、同じことができる存在。

 

家族でも、恋人でも、友だちでも、志を同じにする仲間でも、同僚でも、誰か、そういう存在がいてくれること。

素の自分の言葉をはき出せること。たてまえや言い訳のオブラートで包まない、生まれたままの言葉を、伝えられること。

 

志を実現するために必要なのは、そのような存在だと思った。

 

◆〈行く!〉

 

夫から聞く生徒のエピソードから、エネルギーをもらうことがたくさんある。


房仙会に入会したころの夫は、特別支援学級の低学年の子たちを担当していたので、からだも小さく、保育園児みたいだから、毎日のように、その子たちのことを、かわいいかわいいと、話していた。

私も、顔も知らないその子たちが、どんなびっくり発言や行動をするのかが、楽しみだった。

 

その中で、私を支えてくれる会話がある。今もぜんぶ覚えている。


それは、当時二年生のななちゃん(仮名)のことだ。

ななちゃんは、どちらかといえば自閉症的傾向があり、発達にでこぼこがあるが、会話はでき、ご両親に、とてもかわいがられて育っている。

 

その、ななちゃんが、日曜日にいなくなり、心あたりを探したが見つからないので、警察に捜索願を出そうとしているところに、「ただいまー」と、汗びっしょりになって、自転車で帰ってきたので、みんながびっくりしたというのだ。

 

どこに行っていたのかと尋ねると、「おばあちゃんにクッキーをあげてきた」というのだが、おばあちゃんの家は、ななちゃんの家から6キロほど離れたところにあり、ななちゃんは、お父さんの運転する車でしか行ったことがなかった。

そこに、子ども用自転車に乗って、ひとりで行って、帰ってきたというのだ。

 

お母さんがおばあちゃんに電話をすると、たしかに、ななちゃんがクッキーを一人で持ってきてくれたが、家族で来て、近くに車をとめて、ななちゃんだけが降りて届けてくれたのだと思ったということだった。
まさか、ななちゃんがひとりで自転車に乗ってくるとは、おばあちゃんは思いもしなかったのだ。

 

おとうさんの車でしか行ったことのないおばあちゃんの家に、ひとりで、片道6キロの距離を、自転車で行って帰ってきた、小学2年生!

 

途中で迷子になることなく、途中で力つきることなく、事故に巻き込まれることなく、戻ってこれたのは、奇跡に近い。本当に、無事でよかった。

 

ななちゃんには、自分が、おばあちゃんの家までの道順を覚えているかどうかや、自転車で行って戻ってくる体力があるかどうかを、想像して、見通しを立てて、大丈夫だと判断する力があったのだろうか。

 

「ななちゃんは、どうして行ったの?」

「クッキー食べてておいしかったから、おばあちゃんにあげようって思ったんちゃう?」

「おばあちゃんのところ、遠いのに? 車でしか行ったことないのに?」

「そうちゃう」

「〈行けるかな~?〉って思って、行っちゃったの?」

「〈行けるかな~?〉なんて、思ってへんよ。〈行く!〉って思ったんや」

 

〈行く!〉

 

〈ロックオン〉することだと思った。

〈ロックオン〉してしまえば、目標まで、まっしぐら。しかも、最短距離になる。

 

自分にそれができるかどうかや、どんな困難があるかということは、ロックオンしてしまえば、なんとかなる。


〈なりたい未来に、ロックオンする勇気〉

それを、ななちゃんから、もらった。

 

ちなみに、ななちゃんのおかあさんは、それからしばらく、ななちゃんが勝手に自転車に乗っていかないように、自転車を隠していたそうだ。

 

〈行く!〉という強い声は、房仙会に入ってから、どんどん響いた。

 

入会してすぐ、キャンセルが出たので、仙酔島に行かないかという連絡をいただいたときも、仙酔島までの道のりとか、家事をどうするかとか、プロセスは一切考えず、

〈行く!〉

と決めた。

 

社中展も、

〈書く!〉

と決めた。

 

房仙先生の個展も、

〈行く!〉

と決めた。

 

そのとき、6キロの道を、子ども用自転車で、おばあちゃんにクッキーを届けるために、迷いなく自転車をこぐ、会ったこともないななちゃんの姿が、いつも浮かんでくる。

 

〈行く!〉〈書く!〉〈やる!〉と、決めると、〈どうすれば?〉〈どのように?〉は、勝手についてくる。

 

だから、1月5日に、房仙会東京校で開催される「第1回房仙会まつり」も、何をやるかも具体的に決まっていなくて、開催することだけが決まった時に、

〈行く!〉

と決めた。

 

◆[réinbòu]〈レェィンボォゥ〉

 

ななちゃんのエピソードで好きなものが、もうひとつある。

 

ななちゃんは、こだわりが強いので、気にいると、そればかりをやっているらしい。

ななちゃんは、ご両親に大切にされていて、週末は、おかあさんがよく関わってあげているので、月曜日は、夢中になってやっている新しいことが多いそうだ。

 

そのときの、ななちゃんのマイブームは、絵を虹色に塗ること。


いろんな指導に使えるように、イラストが印刷してある紙があり、色を塗ったり、文字を書いたりするのだが、このときのななちゃんは、元のかたちは無視して、なんでも虹色に塗り、できあがると、

 

「おかくらせんせい!」

 

と、呼ばれるので、そばにいくと、絵を指さして

 

「[réinbòu](レェィンボォゥ)」

 

と教えてくれるという、それだけのことだが、その発音が、半端なくネイティブなのだそうだ。

夫は口真似をしてくれたが、ななちゃんのほうが上手いと笑っていた。

 

「あの子ら、耳がすごくいいんやろな。たぶん、英語教材か何かで遊んでるうちに、虹の色と発音に、ハマったんやと思う。めっちゃおもしろいで」

 

で、自由時間のあいだじゅう、虹色に塗っては、

 

「おかくらせんせい!」

 

と呼ばれ、そばにいくと、得意そうに

 

「[réinbòu](レェィンボォゥ)」

 

と教えてくれるというのが、しばらく続いたそうだ。

 

実際に聞いたわけではないのに、この会話が耳に残ってしまって、それ以来、自分で虹を描いたり、頭に思い描いたりして、真剣に「[réinbòu](レェィンボォゥ)」とつぶやいてしまう。

かなり、どや顔で(笑)

 

すると、心に虹がかかったように、明るい気持ちになる。


発音は、ネイティブに近いほど、よいので、初めての人は、音声を確認してください。

私のように、クセになっても責任は持てませんが、おすすめです。

 

浜田えみな


(画像は、大阪の阿倍野区にある「あべのハルカス」という日本で一番高いビルのキャラクターで、「あべのべあ」という名前です。地上300メートルの空に住んでいる、空もようのくまです。虹の上を歩くことができるそうです。


ハルカスは、人の心を晴れ晴れさせるという古語、「晴るかす」に由来しているそうです)

 

過去の経験や概念で、見通しを立てようとして、あれこれ悩んで決断できないでいるとしたら、房仙会では、とてももったいない時間です。だって、

 

〈決めた人から変わっていく〉

〈決めた瞬間から変わっていく〉

 

房仙先生、光孝先生、房仙会のみなさま、今年一年、たくさんのことを体験させてくださり、大切なことに気づかせてくださり、ありがとうございます。

来年も、どうぞよろしくお願いいたします。