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初心というのは、何歳になっても、どれだけ経験を重ねても、自分の力を過信することなく、経験したことのないことに対して、自分の未熟さを受けいれながら、失敗を恐れず、教えを乞い、新しい事態に取りくみ、試練を乗りこえ、学びつづけるチャレンジだと感じた。


そして、慢心に陥らず、進んでいくための道標。

 

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〈初心〉という言葉は、室町時代の猿楽(現代の能)師、世阿弥が、いくつかの秘伝書の中で述べているが、『花鏡』の中に、猿楽師としての成長段階には、三つの〈初心〉があることが書かれている。

 

是非の初心忘るべからず

時々の初心忘るべからず

老後の初心忘るべからず

 

しらべてみると、現代における解釈は、著者の置かれた立場や環境によってさまざまだとわかったが、読んでいるうちに、強く浮かび上がってきた思いがあるので、年頭所感として書きたい。

 

まず、三つの〈初心〉について、書かれたものを幾つか読んだ中でまとめてみると……

 

〈是非の初心〉というのは、新人として初めて舞台に立ったとき、大きな失敗さえなければ、周囲は大きな期待と評価を与えるが、それは、新人としての評価であり、業界人としての評価ではないことを肝に銘じ、勘違いして、自分の未熟さに気づかず、自惚れてはいけない、ということ。

初めて経験することについて、努力して修得したり、失敗しながら苦労して身につけた過程の一つ一つを、忘れてはいけないということ。

 

〈時々の初心〉というのは、新人と呼ばれる時代を過ぎ、熟達者として芸のピークを迎え、やがて老年に至るまで、積み重ねてきた経験の中で、その時々にあった演じ方をし、その場限りで忘れることなく、演じたものを全て身につけておくと、歳月を経て全てに味が出るということ。

 

〈老後の初心〉というのは、老年期には、老いという未知の体験の中で初心に立ち、老年期にあった芸風を身につけるということ。

 

これらのことから、初心というのは、何歳になっても、どれだけ経験を重ねても、自分の力を過信することなく、経験したことのないことに対して、自分の未熟さを受けいれながら、失敗を恐れず、教えを乞い、新しい事態に取りくみ、試練を乗りこえ、学びつづけるチャレンジだと感じた。


そして、慢心に陥らず、進んでいくための道標

 

何かに似ている、と思った。

房仙先生の書いてくださるお手本だ。

 

初めて筆を持つ人でも、二年目の人でも、四年目の人でも、師範でも、毎月、先生が書いてくださった、新しいお手本に向かうときは、是非の初心

 

経験したことのないことに対して、自分の未熟さを受けいれながら、失敗を恐れず、教えを乞い、新しい事態に取りくみ、試練を乗りこえ、学びつづけるチャレンジ。

 

そして、お手本は、いただくたびに、生徒それぞれの力量に応じた〈時々の初心〉でもある。

 

世阿弥は、時々の初心〉について、

 

〈積み重ねてきた経験の中で、その時々にあった演じ方をし、その場限りで忘れることなく、演じたものを全て身につけておくと、歳月を経て全てに味が出る〉

 

と指南している。

房仙会で、毎月いただくお手本と御指導について、同じことがいえると思った。

 

課題の漢字には、何度も出てくるものがあるが、御指導のバリエーションは、さまざまだ。

 

世阿弥の言葉を借りると、

 

〈その時々にあった書き方を教えていただいたら、その場限りで忘れることなく、どのように書いたかを記憶して、全て身に着けておくと、次に新しい経験をするときに応用できる〉

 

ということだ。

 

思い返せば、添削や清書を提出するとき、房仙先生は、いつも


「みんな、どうやって書いたか覚えている? ちゃんと覚えてなきゃ、意味がないんだよ」


と、おっしゃっている。

 

〈老後の初心〉については、同じ漢字を書いていても、ひとりひとり、作風がちがい、書道の経験及び人生におけるさまざまな体験が影響していると感じられることから、書道にも通じるものだとわかる。

 

世阿弥が、新人の頃でも、熟達者としてピークを迎えた頃でも、老年期に入ってからでも、初めてのことに不安や怖れを抱くのではなく、困難を乗り越えて成長するための極意が〈初心〉だと伝えているのだとしたら、房仙会の生徒が成長するための極意は、師匠のお手本〉だとわかる。

 

さらに、初心は、向き合う者の慢心を、戒めるもの。

 

どれだけ経験を積んだとしても、自惚れることなく、己の未熟さを受け入れながら、失敗を恐れず、教えを乞い、新しい事態に取りくみ、学び続けるチャレンジが〈師匠のお手本〉

 

書道という長い道を、踏み外さずに極めていくための、道標が〈師匠のお手本

 

それは、人生の道標でもあると気がつく。

毎月、道標をいただけることの幸福。

 

今年も、精進いたします。

房仙先生 光孝先生 房仙会のみなさま、よろしくお願いいたします。

 

浜田えみな

 

画像は、昨年の9月に、房仙先生と生徒有志で拝んだ仙酔島の日の出です。


日が昇るときに海にできる光の道は、太陽と海が手をつないだ証のようです。

つながりあう手と手は、まっすぐにのびてきて、

 

〈どこから見ても自分につながる〉

 

と、日の出ツアーのガイドをしてくださった、宿の支配人 佐藤彰典氏が教えてくれました。

 

いつでも、向き合えば、そのときの自分に必要なものに、つながることができるのが〈師匠のお手本〉だと感じます。

あと少しで光の道が消えてしまう、最後の瞬間です。

さしのべられた手を、離さないでいるために。