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やらないですむ理由を、脳がたくさん考えだすときは、その後ろに、大きなギフトが隠れていることが多いと聞いたことがある。そのとおりだと実感した。

あやうく、ギフトをもらいそこねるところだった。

 

◆解けた封印

◆書けない!

◆ワナに気をつけろ

◆脳の癖

◆だから今

◆筆記テスト

◆ヒント

 

***


◆解けた封印

 

過去何回か開講され、その後〈封印していた〉と、房仙先生自らが明かす「房仙流ひらがな46文字講座」が、平成31年1月14日() 大阪校で開講された。

 

1月12日(土)~13日(日)は、通常のお稽古だったので、私を含め、何人かの生徒にとっては、3日間の〈房仙三昧 房仙尽くし〉

 

〈なぜ、今、「ひらがな講座」なのか〉

〈なぜ、封印が解かれたのか〉

 

二日目のお稽古の前に、房仙先生が出席する生徒にメッセンジャーで配信されたのは、〈書道をするときの脳のはたらき〉について書かれていると感じる文章だったが、それが答えではないかと、思った。

 

キーワードは、脳〉

 

〈脳の癖を取り去る〉

〈素直になること〉

 

それを受けて、私は、お手本を見て書くためには、まっしろ まっさら〉になることが必要だというイメージを持った。前回のブログ記事に、そう書いたのは、今回の記事の伏線だ。


目を閉じて、静かな気持ちで腹式呼吸を繰りかえすと、そんな気持ちで、お手本に向き合えそうな気がしたのだ。二日目のお稽古の夜までは。

 

それが、言葉の持つイメージが成せる〈妄想〉だったことに、「ひらがな講座」は、気づかせてくれた。

最初の一字を書いたとき、〈まっしろ まっさら〉なんて、簡単になれないことが、わかった。

 

そんな、「房仙流46文字ひらがな講座

どんな講座だったのか。

 

房仙流認定講師 古谷翠仙さんが、講座のことをフェイスブックに投稿された文章が、とてもよく表していると感じるので、ここにお借りして転載する。

 

~ひらがな講座 & 認定試験の新しいコンセプトを聞かせて頂き、斬新かつ独創的、しかもその高い実用性に驚かされました!

さすが房仙流!!

 

房仙先生独自の経験と知識に基づき、どの書道文献や書道史にも載っていない内容から始まりました。

 

平安時代に発展したかな文字の歴史的背景や学校で習い聞き覚えはあるが説明できない用語。

現代の書道界の流れや現状。

 

さらにより効率良く学ぶための古筆は何を選べば良いのか。その人物像を含めたその理由について。

なぜ書道をすると落ち着くのか(どんなホルモンが分泌するのか)等も。

 

ありきたりな基本的一般知識ではなく、ストーリー性があり踏み込んだ内容で分かり易く、夢中で聞かせて頂きました。

 

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(撮影 福田 光孝先生)

 

続いて、実際、講師として教える際に必要な「書写」についての基本的な事からひらがな46文字の画期的な書き方のポイントや説明の仕方など実用的な内容。

 

3度目の受講となりますが、

”何の文字から教えると導入しやすいのか”など実際に指導導入の順序なども含めたプラスαの内容などが加わり、更に説明し易くなりました。

 

また、実際に書き、添削いただきご指導いただくことで筆使いなどの自分の癖が明確になり、手本を書く時、どう書けば生徒に伝わり易くなるか等、とても勉強になりました~

 

◆書けない!

 

受講前から、とても楽しみにしていた。

筆ではなく、4Bの鉛筆で行われると聞き、墨と筆よりは、ずっと楽にできるだろうと思ったので、なんの心配もしていなかった。

ところが、

 

〈書けない!〉


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(撮影 福田 光孝先生)
 

最初の字は、「の」だった。
一筆だ。

なのに、書けない。お手本どおりに書けない。

マス目には、十字の点線も入っているのに。

書き方のコツも説明してもらったのに。

 

二番目に教えていただいた字は「こ」

二筆だが、単純な線だ。

なのに、書けない。

二本の線の角度が違う。長さが違う。

お手本どおりに書けない。

 

三番めは、「た」

四番目は、「に」

五番目は、「さ」

六番目は、「き」

 

指導しやすいよう、学びやすいよう、似ている字のグループで教えてくださる。

 

なのに、書けない。

しかも、「き」の字からは、4Bの鉛筆ではなく、筆ペンを使って書くことになった(!)

 

筆ペン!!

 

(どうやって書いたらいいのかわからない!)

 

まっすぐ引きたい線は、ふにゃりと斜めになるし、止めたい位置で止まらない。

まあるいカーブが書きたいのに、思いどおりにふくらまない。

そもそも、鉛筆でだって書けないものが、筆ペンで書けるはずがない。

 

曲がったり、はみだしたり、ゆがんだりしているのは、「筆ペンのせいです!」と言い訳したくなる。

 

ちっとも思い通りにならない上、これまで書いたことのないような下手くそなひらがなが、練習用紙の上に増え続けていくのは、情けなく耐えがたい気持ちだった。

 

だが、先生が添削してくださり、新しいマス目に、赤い筆ペンで書いてくださるひらがなは、うっとりするくらいきれいだ。

 

なんとかして同じように書きたいと思い、角度や長さ、余白、バランスなどを確認していると、いつまでたっても書き始めることができず、ふだんなら、一瞬で書いているひらがな一文字に、信じられないくらい時間がかかっている。


それだけ時間をかけても、どれ一つお手本どおりには書けないまま、次の説明が始まる。

 

次といっても、五十音の順番ではなく、房仙先生が、指導しやすく学びやすいとお考えになった順番なので、どのひらがななのかは、わからない。

教壇のホワイトボードに、お手本のプリントが貼られてから、テキストの該当ページをあわてて探すので、見つけられないまま説明が始まり、メモがとれないときもある。

 

脳は、たちまちパニックだ。

 

お手本のとおりに書けない。

筆ペンが、うまく使えない。

追い付けない。

ひらがななのに! と思う。

 

さらにパニックになる。

パニックになった脳が、どういう反応を示すのか。

 

◆ワナに気をつけろ

 

房仙流書道に出逢い、房仙先生の御指導は、今の自分の脳に必要な革命だと感じている。

自分とは、まったくちがう発想をなさる房仙先生によって、自分が拓いてこなかった部分が目覚めるはずだと、期待している。

新しい扉を開けるためには、房仙流書道による脳の開発が必須だと感じている。

 

そんな私でさえ、脳は、伝達してきた。

 

(なんで、書けないの? 簡単だと思ったのに、ぜんぜん、できない。できるようになるまで、ものすごく時間がかかるにちがいない。どうするの?)

 

(今さら、ひらがなの練習をしたって、いったいどんな意味があるの?)

 

(ものすごい時間をかけても、お手本どおりに書ける気がしない。そこまでして、お手本そっくりのひらがなを覚える意味なんてあるの?)

 

(行書のお稽古だけで、いいんじゃないの? 時間をかけて、ひらがなのお稽古をするより、ほかにやることがあるんじゃないの?)

 

もう、呪詛のごとく、脳は、ひらがな講座をやらないでいい理由を創りだしてくる。

 

お稽古が佳境に入ってきた午後からは、まったくついていくことができず、筆ペンは動かしているけれど、頭の中をまわる言葉は、ネガティブワードばかり。

 

ふと、気がついた。

受講者のほとんどは、二度目、三度目の再受講者だということに。

しかも、初めて受講する三人のうちの二人は、「かな」のお稽古をしていることに。

 

(まったくの初心者って、私だけ???)

 

もう、ほとんど心が折れている。

その空気を、房仙先生が察知しないはずがない。

 

書いた字を添削していただくために、教壇に持って行ったときに、

 

「初めてなのに、かなもやってないのに、ついてきて、偉い偉い」

 

と優しくおっしゃってくださった。

 

(先生、ついていけてません!!)

 

だけど、先生がねぎらってくれた言葉で、パンパンになっていた心がゆるんだ。

そして、気がついた。


なぜ、こんなにできないかということに。

 

◆脳の癖

 

単純な直線と曲線で、筆数も少ない、ひらがな。

癖を直すくらい、簡単にできるはずの、ひらがな。

 

それができないということは、どういうことだろう?

 

前日に房仙先生がレクチャーしてくださった言葉が浮かびあがってきた。

 

〈過去のイメージがあるから、お手本どおり書けない〉

〈知らない間につけた癖は、個性や魅力かもしれないが、そのイメージがあると、お手本どおりに書く邪魔になる〉

〈素直に、脳の癖を取り去ることから始める〉

 

ひらがなを書いてみて、実感した。

単純な線だから目に視えてわかる。

 

お手本どおりに書けない線のズレが、自分の脳の癖だと感じた。

脳にあるイメージと、描いたお手本のイメージとのズレ。

 

これほど書けないのは、脳の癖が強いからだと思った。

脳にある、ひらがなのイメージを削除しないと、お手本どおりには、書けない気がする。


それが、〈まっしろに まっさらに〉の、意味するところではないのか?

どうやったらできるのかわからないくらい、たいへんなことだと思った。

 

五十年近く、自己流で書いてきたひらがな。

 

小学1年生のときに習う。

最初は大きな方眼のノートに練習をする。

だんだん、方眼が小さくなる。

次に、罫線に書くようになる。

中学、高校になると、早く書かなければいけなくなる。

年齢を重ねるにつれ、早く書け、美しく見えるバランスを、自分なりに模索する。

それが、筆跡であり、簡単には変えることができない癖となる。

 

すると、勝手に脳が働く。

 

目で見て、耳で聴いて、心に感じた文字を書こうとするとき、脳が右手に指令を出し、筋肉を動かし、ほとんど無意識に書いてしまう。

 

この無意識の癖を、削除しなければならないというのだ。

 

(できるのだろうか?)

 

二日目のお稽古の時には、それが、どれほど大変なことなのか、あまりわかっていなかった。

ひらがなのお手本をいただいたから、実感できた。

 

ひらがなほど、脳の癖がしみついている文字は、ないと思うからだ。

 

◆だから今

 

(だから、今、「ひらがな講座」なんだ)

 

ひらがな46文字について、脳の癖を取り、お手本どおりに書くことができたら、漢字の行書のお手本を見て書く技術が、ずっと向上するのではないか?

 

(だから、今、「ひらがな」をやるんだ)

 

房仙先生のお言葉かけによって、やる気を取り戻した。

 

頭の中を、ぐるぐるとまわっていた問い、

 

(なんで、書けないの? 簡単だと思ったのに、ぜんぜん、できない。できるようになるまで、ものすごく時間がかかるにちがいない。どうするの?)

 

(今さら、ひらがなの練習をしたって、いったいどんな意味があるの?)

 

(ものすごい時間をかけても、お手本どおりに書ける気がしない。そこまでして、お手本そっくりのひらがなを覚える意味なんてあるの?)

 

(行書のお稽古だけで、いいんじゃないの? 時間をかけて、ひらがなのお稽古をするより、ほかにやることがあるんじゃないの?)

 

に、すべて答えが出たと、思うからだ。

 

書けないのは、脳の癖があるから。

ひらがなの練習をするのは、脳の癖がわかりやすいから。

脳の癖をとらなければ、書道の上達はありえないから。

 

この明確な答えが見えないまま、心が折れてしまうところだった。

 

〈ワナに落ちてはならない〉

 

やらないですむ理由を、脳がたくさん考えだすときは、その後ろに、大きなギフトが隠れていることが多いと聞いたことがある。そのとおりだと実感した。

あやうく、ギフトをもらいそこねるところだった。

 

(必ず「ひらがな」を習得しよう!)

 

と喜んだのもつかのま、筆記テストがあるという。

 

◆筆記テスト

 

(ええーーーーっ)

 

テストがあるとは聞いていたが、もっと後になってからだと思っていた。

まさか、講座終了後に実施されるとは(汗)

 

そもそも、家で復習しようという気持ちで臨んでいるので、メモを取って、テキストに記載されていることを確認したら安心して、その場で覚えることをしなかった。

 

〈あとで記憶しよう〉と、スルーしたところが出題され、合格できなかった。

 

ものすごく悔しかった。


筆記テストの合格者だけが、実技テストに臨むことができる。

全員合格するように、とてもやさしく作られたテストだったのに。

 

先生の想いに応えられなかったことも、自分のぬるい気持ちを見せつけられたことも、情けなくて、悔しくてたまらなかった。


人生には、たった一問が明暗を分け、たった一度しかないチャンスというものが、ある。

それをつかむか、つかめないか。

 

本気が足りない、と思った。

 

では、実績を積むしかない。このくやしさを、バネにするしかない。

 

そう思って、その日の夜から、さっそく、お手本を見て、ひらがなの練習を始めたのだが、脳の癖を取るべく、

 

〈まっしろに まっさらに〉

 

を意識しても、お手本どおりに書くことは、困難に思えた。

 

(できるのだろうか?)

 

◆ヒント

 

どうやれば、いつでもどこでも、間違いなく自分が書け、人が書けるように教えることができるように、線の角度や交わりの位置と全体のバランスを覚えられるのだろう?

 

テキストのお手本の文字に定規をあて、平行線を引いたり、文字を外枠で囲んでかたちのイメージを把握したり、縦線と横線の交わる場所の比率を確認したりして、法則を見つけようとした。


時間はたっぷりある。じっくり考え、何枚でも書ける。

 

でも……〈できない!〉

 

(このやりかたは違うのではないか?)と、漠然と思い始めていたとき、三島校の菊地香奈子さんのフェイスブックの投稿が目に飛び込んできた。

 

【りんしょ、りんしょ】というタイトルだ。


三島校のお稽古で、房仙先生が、「半切もいいけれど、古典臨書もやりましょう~」

とおっしゃったのだそうだ。


その投稿の中の一文。

 

~先生曰く 「写真を撮るみたいにページを記憶するの!」

 

この言葉で、どうすれば、ひらがながお手本のように書けるのか、ヒントをいただいたような気がした。

なぜダメだったのかもわかった。

 

浜田えみな

(2)へつづく

 

このまま一気に最後まで書くつもりだったのですが、長くなったので、つづきは明日。

早く読みたい!って思っていただけたら、うれしいです。