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「だめですと言ってあきらめてどうするの。だめのままにしない。

だめをだめのままにするのは、普通の人。房仙会はちがう」

 

〈あきらめない〉はアクセルなのだと思った。

〈がんばらない〉はブレーキ。

 

最強のブレーキと最強のアクセルがあれば、ぶっちぎりで無敵じゃないか。

 

◆がんばらない?

◆幸せホルモン

◆残念です

◆だめをだめのままにしない

***




◆がんばらない?

 

少しさかのぼるが、新年が明けたばかりの1月4日、房仙先生がフェイスブックに投稿された文章を読んで、頭がまっしろになった。

 

房仙会のみなさまへ。
○○さんは今病院に入院中です。
骨折しての入院なので驚かないでください。
左手が折れ、大腿部が折れ
自由に出来ていませんが、元氣です。
うまく行くと、9日には退院の予定です。
みんな、励ましてください。
宜しくお願いいたします。
エネルギーは伝わります。
返事はないですが。見るだけでもまた出来ていませんが。
きっと伝わります。

 

驚かないでくださいと言われても、驚く。

左手と大腿部が折れて入院中だなんて、いったい何が起こったのだろうと心配になる。

とにかく祈る。

祈ることしかできない。

 

大阪校のお稽古は、1月9日~10日だった。

○○さんは、お稽古に〈出席〉だという。

 

ええっ、退院の翌日に?

 

まさか、信じられないと思った。

心配でたまらなかった。

 

〈がんばらない〉

 

房仙先生がおっしゃっているがんばらない あきらめない〉をあてはめるなら、ここはがんばらない〉時ではないだろうか?

 

入院生活で筋力も弱っているだろうし、立っていても、座っていても、姿勢を保持するだけで疲れると思う。

無理をして、道中で転倒する危険もある。

 

年の初めという節目のお稽古とはいえ、大きな怪我をしているのだから、退院の翌日に書かなくても、きっと大丈夫だと、私のほうが泣きたい気持ちだった。

 

◆幸せホルモン

 

ところが、大阪校2日目の日曜日のお稽古に現れた○○さん(以下、K子さんとする)は、松葉づえもついておらず、白い三角巾で腕を吊ることもなく、痛々しいところなど、どこにも感じられず、顔色もよく、表情も明るく、退院したばかりとは思えない姿だった。

 

(いつもと同じ? いつもより元気?)

 

教室にいる誰よりも、元気に見えた。

しかも、お稽古をするうちに、どんどん元気になっていく。


集中力が研ぎ澄まされているのか、半紙に書かれた文字は、ふだんのK子さんの文字とは違う、美しい風格と、凛とした清々しさがあった。

 

前日の土曜日のお稽古で、房仙先生が、

 

「書道をすると幸せホルモンが出るのよ」

 

とおっしゃっていたが、骨折して退院したばかりのK子さんが、どんどん元気になっていく姿を目の当りにして、

 

(書道で幸せホルモンが出るというのは、ほんまなんやわ!)

 

と、心の底から思った。

 

房仙先生に促され、みんなの前で、想いを話してくれたK子さん。

自宅で転倒し、骨折しているかもしれない、と思ったとき、K子さんの頭に浮かんだのは、房仙先生だったそうだ。

 

昨年の六月、骨折した身体で、米沢校から東京校、東京校から三島校、三島校から米子校、そして、大阪校に御指導に来てくださり、お稽古を終えて帰路に着かれたとき、新大阪駅構内を、車いすで駆け抜け、とても間に合わないと思われた新幹線に間に合った時の房仙先生の勇壮な姿。
目の色。表情。エネルギー。

 

その光景が、床に転倒したままのK子さんの頭に浮かんで、とても頑張れない状況の中で、不思議と力が湧いてきたのだそうだ。

 

骨折しているかもしれない怖さと、動けるかどうかわからない不安と、どうしたらよいのかわからない心細さの中で、勇気を奮い立たせ、動くことができたのは、全力で邁進する房仙先生の姿のおかげだと、切々と話してくれた。

 

右手は動くから筆が持てる! 房仙先生に会いたい! 大阪校でお稽古したい! と思い、退院してすぐお稽古をすることに、迷いはなかったことも。

 

近くに住むお稽古仲間が、車で送迎してくれることも大きなサポートだった。

K子さんには、入院中の病室に書道の道具を持ってきてくれる仲間も、大阪まで、車に乗せて、一緒にお稽古に行ってくれる仲間もいる。

 

そのことが、うらやましいと思った。

 

房仙先生の教えから、房仙会の生徒は、人のために行動できる人が多い。

でも、実際に、こういうときに動いてもらえるのは、K子さんの日ごろからの仁徳にほかならないと思う。

 

「退院したばかりで、椅子に座って机に向かって、何時間もお稽古ができるかどうか、心配していたけれど、お稽古をしているうちに、どんどん力が湧いてくるのがわかって、元気になってきて、本当に来てよかった!」

 

と、泣き笑いの笑顔で伝えてくれるK子さんの姿は、神々しいほどに輝いていた。

 

がんばらない時ではないのか? と思ってしまったことを反省した。

まったく杞憂だった。

書道のパワーって、すごい。

K子さんって、すごい。

こんなことを実感させてもらえる房仙会って、すごい。

ピンチのときほど、書道なんだ。

書けば、元気があふれてくるんだ。

 

(K子さん、ありがとう!)

 

このことを忘れずにいようと思った1月のお稽古。

2月のお稽古が近づき、K子さんに会えるのをを楽しみにしていた。

 

書けば書くほど元気になる書道のミラクル。

このひと月間、どんなことがあったか、K子さんにしか語れない体験を、あの素敵な表情で、伝えてほしいと思った。

 

◆残念です

 

ところが、2月のお稽古2日目、日曜日の朝。

お稽古が始まっても、K子さんの姿はなかった。

 

退院翌日にお稽古に来るほど、房仙先生とお稽古が大好きなK子さんだから、お休みするということは、何かよほど外せない用事があったのだと思った。

お稽古が受けられなくて、きっと、とても寂しい思いをされているだろうと感じた。

 

2コマ目に入ったくらいの時間だろうか。

突然、教室のドアが開き、「すみません、遅くなりました」と、誰かが入ってきた。

誰だろう? と思ったら、K子さんだった。

 

(どういうこと??)

 

しかし、その姿は、満身創痍という感じで、立っているのがやっとのように見える。

 

「来たーーーーっ」

 

房仙先生が笑顔で迎え、何が起こっているのかわからない私たちに、事情を説明してくださった。

 

K子さんは、いつもは、ご自身の車でお稽古に来ているのだが、まだ、運転はできない。

先月は、近隣に住む生徒さんに送迎してもらった。

今月は、都合が合わず、車で行くことはできなくなったが、K子さんは、交通機関を使って、お稽古に行くつもりでいた。

 

ところが、書道の道具を用意し、持ってみると、大きい上に、重い。

 

室内での歩行なら松葉づえなしでも歩けるが、駅までの道や駅からの道のことを思うと、まだ、松葉づえは必要だった。

松葉づえを使いながら、重くて大きな荷物を持ち、長い距離を進むことができるだろうか?

K子さんは、少し不安になった。

 

そこへ、「そんな荷物で行くのは無理だろう」という御主人の声。

揺れていたK子さんの気持ちが、一気にだめ〉に傾いた。

 

そこで、房仙先生に、「お稽古に行くつもりでいましたが、書道の道具が重く、松葉づえをつきながら移動することが難しいので、お休みをしたい」という旨のメールを送ったそうだ

 

〈それを見た房仙先生が思ったこと。そして、とった行動とは〉

 

足と腕の骨折で入院するほどの怪我をして、治療中の生徒が、お稽古を休みたいと伝えてきたら、通常は「お大事に」で終わるだろう。

房仙先生も、はじめは、そのようにするつもりだったという。

だが、〈ストップ〉がかかったそうだ。

 

Kさんは、1月のお稽古の日、退院の翌日であるにもかかわらず、休まず出席した。


あきらめずに信じて進む房仙先生の姿に、身体の中心から力が湧いてきたと話していた。


書道のお稽古をしていると、どんどん力が湧いてきて、元気が出てきて、本当に来てよかった! と笑顔で話していた。

 

そのK子さんが、そのときよりは状態が快復しているはずの1か月後、2月のお稽古を休みたいという気持ちになっている。

 

これは、どういう状況なのだろうか。


どちらを選ぶかで、明暗が大きく分かれる分岐点がある。

ぜったいに、下がってはいけない、踏みとどまって、持ちこたえなくてはいけない瀬戸際がある。

K子さんにとっては、この2月のお稽古がそうだと、房仙先生はお考えになった。

 

しかし自分で選択しなければ意味がない〉と、房仙先生は、おっしゃった。

人に言われたからではなく、自分で考え、自己責任のもとに道を選択しなければならないのだと。

 

まして、K子さんは初心者ではなく、房仙書道を始めて数年になり、級ではなく、段位を取得している生徒だった。

 

房仙先生は、お稽古を休んでよいとも、休むなとも書かず、荷物が持てないなら、書道道具はなくてもよい、学びたいという気持ちがあれば、書かなくても、見て記憶して学ぶことができると伝え、最後に

 

「残念です」

 

とだけ書いたメッセージを、電話ではなく、フェイスブックのメッセンジャーで送ったそうだ。

 

そのメッセージを読み、どう行動するかは、K子さんにゆだねられた。

 

日曜日のお稽古は、9時30分から始まり、12時30分に終了する。

K子さんが、朝起きてすぐにフェイスブックを閲覧する習慣がなければ、家を出たとしても、お稽古の終了時間に間に合わないことも想定された。


そういった〈運〉の要素も含めて、房仙先生は、K子さんにゆだねたのだ。

 

K子さんが、習い始めて間もない生徒だったら、誤解のないよう、真意を丁寧にお電話でお伝えになったかもしれない。

K子さんが、師範級であったなら、ご自身で判断するべきこととして、メッセージすら送信されなかったかもしれない。


お手本がひとりひとり違うように、御指導も生徒ひとりひとりの状況に応じて、違っている。

 

K子さんとの間に培われてきた信頼関係の上に、K子さんの素直さと強さを尊重し、弱さを置き去りにしない、このたびの御指導がある。


決して、大怪我をしても、お稽古は休んではいけないという御指導をなさったのではない。

 

◆だめをだめのままにしない

 

K子さんは、メッセージを見るやいなや、文字どお〈すっ飛んできた〉

書道道具も持たず、身一つで。

 

入院中も、書道のことばかり気にかかり、病室でお稽古するほどの気持ちがあり、退院の翌日、何よりもまず、お稽古に来たK子さんが、1月のお稽古の場で体験したことは、その場にいた私にとっても、大きな気づきをいただいた。

 

だけど、この2月のお稽古に来るまでのご自身の心の動きと、それを克服したK子さんの体験は、それにも増して、かけがえのない、大きな気づきと学びだと感じる。

K子さんが今後、何かを超えたいとき、今いるステージを変えたいとき、必ず指針となり、支えとなり、前に進む力となると思う。

 

1月のお稽古に来たK子さんだから、実現した御指導だと感じる。

 

なぜなら、入院生活も、お稽古の場も、いわば〈非日常〉な世界だ。

そこから〈日常〉の生活に戻ったときに、陥りやすいトラップがたくさんあるのだと思う。

 

不自由なこと、思い通りにならないこと、あたりまえにできていたのにできなくなったことが、少しずつ積み重なり、いらだちや、情けなさや、ふがいなさや、悔しさに、身体も心も疲れて気弱になるのが、1か月という時期だと思う。


そのときの、心の持ちよう。
 

非日常ではなく、日常の中で、下降していく気持ちを切り替え、上昇させることができるか、そのまま下降してしまうか。

そのポイントが、2月のお稽古だったと思う。

 

身一つで飛んできたK子さんと、教室の私たちに、房仙先生はおっしゃった。

 

「だめですと言ってあきらめてどうするの。だめのままにしない。

だめをだめのままにするのは、普通の人。房仙会はちがう」

 

〈あきらめない〉はアクセルなのだと思った。

〈がんばらない〉はブレーキ。

 

ひとつ間違えば、想いが通じ合うことなく、離れてしまうかもしれなかった、K子さんと房仙先生の、ギリギリの御指導。

 

〈がんばらない あきらめない〉

 

私たちは、房仙先生から、その使い方を学ぶ。


いつ踏むのか。どう踏むのか。

どちらも必要。
その使い方が明暗を分ける。


最強のブレーキと最強のアクセルがあれば、ぶっちぎりで無敵じゃないか。

 

浜田えみな

 

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(撮影 ハナシネマ)