房仙地元ブログ
(画像 房仙先生のブログより)
 

イベントは、誰のためでもない、生徒の成長と輝き、地域の絆のために、房仙先生が示してくれる道。

拓いていくのは、生徒だ。

 

◆雪上揮毫秘話

◆二つの雪上揮毫

◆誰のための

 

***


◆雪上揮毫秘話

 

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2月のお稽古は、房仙先生から米沢での雪上揮毫のお話が、聴けるにちがいないと期待していた。

その期待を裏切ることなく、房仙先生みずからが爆笑しながら実況中継してくださる裏話に、あっというまに引き込まれた。

 

画像や動画からでは、想像もつかないようなことが、現地では起きている。

お話が、いよいよ雪上揮毫の舞台にさしかかると、雪と墨、凍てつく大自然と精神力の世界に、私たちを連れていってくれた。

 

生徒だけの特権、生徒ならではの醍醐味。

 

(こんなこと、公開してもいいんですか?)

 

と思うこともたくさんあるように感じたので、ブログに書くことについて先生に伺うと、

 

「いいのいいの、書いちゃって」

 

とのことなので、書きます。

 

まず、今回の揮毫の画像を見たときに、先生が白いスノーブーツを履いていらしたことに驚いた。昨年は黒だったし、今年も、当然、黒だと思っていたからだ。

ところが。

 

「米沢の雪上揮毫に向けて、スノーブーツを買いに行くと、これしかない! と、即決で白と黒を買って、当日、どちらにするか決めようと思って、2足とも持っていったの。

で、直感で白だ! と思って、白を履いたんだけど、揮毫を始めたとたん、すぐに後悔。どうしてだと思う?」

 

「墨がつくの! せっかくの素敵な、買ったばかりの白いブーツに! もう、びっくり。あーーーーって思ったけど、もう遅い(笑)」

 

房仙飛沫ブログ

(画像 房仙先生のブログより)

画像でも動画でも、振り下ろした筆から、ものすごい墨の飛沫が上がっていた。でも、まさか、妖精のような出で立ちで登場し、渾身の揮毫をされていた先生が、そんなことを思っていらしたとは。

 

また、揮毫が始まる前の出来事については、

 

「外の様子がぜんぜん、わからないの。“先生はここにいてください”、とか言われて、部屋の中に、ひとりぼっちで置き去りにされるし、連絡役の嘉美はどこかに行ってしまって戻ってこないし」

 

「なんという字を書くかも、まったく決まっていなかったの。一度だけ、主人が来てくれて、書く場所の形が「縦長」だと、ぼそっと教えてくれて。

すぐに行ってしまったんだけど、その情報が、ほんとうに助かった」

 

「アスリートは、試合の前に慣らしをするのに、まったく慣らしなし!」

 

「さあ、先生! と言われて、外に出た瞬間、“さむ!”」

 

「部屋の中は、暖かかったから、外の寒さがわからなかったの。出た瞬間、寒いのなんの!!」

 

「でも、みんなが注目しているのに、ぐるぐる腕をまわしてウォーミングアップすることもできないし、どうしようもなく寒くて、身体が動かなくて、泣きそうなのに、笑うしかない! 

ばかみたいに笑っているのは、笑うしかなかったの。私が笑っているときは、困っていると思って間違いない(笑)」

 

房仙笑顔ブログ

 (画像 房仙先生のブログより)


(えーーーーーっ 先生、あの笑顔、泣きそうに困っていたんですか???)

 

「筆がまた、冷たいの。冷たいなんてもんじゃなく、氷みたい。筆を持った瞬間、自分の手が氷にくっついて、一体になった感じ!! わかる? 寒くて泣きたいのに、笑うしかないっ」

 

「益見には、あの場で“輝と書く”と伝えました」

 

「筆だけだと、まだ、そんなに重くないんだけど、墨をふくませたら、急にずっしりと重くなって、えーーーっ どうしよう、もう、えいや! って持ち上げるしかない、と思って」

 

「最初に筆を揮ったとき、自分では、声を出したこと、覚えてないの。」

 

「“これが本物の揮毫だ!”と見せたいと思い、ワ冠の最後のところで回転して、スピードを出すところも、自分の中ではきちんとイメージしていたのに、地面が下がっていることがわからなくて」

 
房仙転倒ブログ
(画像 房仙先生のブログより)

「あっ 転んだんだ! と思った瞬間、。浮かんだのは、スケートの浅田真央ちゃんが、四回転ジャンプを失敗し、瞬時に起き上がって、スケートを続けたときの映像」

 

「で、同じようにできたの。起きるの、早かったでしょう?」

 

「“輝”の字の最後のまっすぐな線を書いているとき、どうして、こんなに重いんだろう? と思ったら、上り坂になっているの。

ものすごく重たかったけど、そのおかげで転ばずにすんだのかも。下り坂だったら、転んでいたかもしれないわね」

 

平に見えた雪の大地に、高低があったなど、想像もしていなかった。

 

「昨年は、田んぼだったから、もともと、高低がなかった。今年は、すみれの庭なので、どうしても、土地の起伏があるけれど、見た目はまっすぐに見えたから、その場所に行くまで、わからなかったのね」

 

すると、大阪校でただ一人、米沢の雪上揮毫に参加してくれた青木美保さんが、

 

「整地のときに、まっすぐになるよう、みなさんで確認しながらやってくださって、高いところは、かなり削って、平になるようにしていたのですが……。来年は、先生にお怪我のないよう、もっと気をつけて、整地します」

 

とお話された。

 

整地するとは、ただ、雪を押し固めるだけでなく、危なくないよう、土地の起伏を整える作業も含まれていることを知った。

それが、どれだけたいへんな作業なのかも、想像できた。

 

さらに、整地した舞台に上がるための階段まで、雪を固めて造られていたことを知った。

 

揮毫の舞台は、まさに聖地。

多くの人の手によって、場が造られていく。

 

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(撮影 青木美保さん)
 

ボランティアで集まってくれた人たちには、それぞれ、知識や智慧がある。

だけど、雪上揮毫は未体験で、どのようにすればよいのかがわからないことばかりだと思う。

 

事前の打ち合わせも、予行演習もない、当日、どのような天候で、どのような雪が積もっているかもわからない。

ぶっつけ本番で、そのときの雪の様子をみながら、短時間で集中して舞台を造っていかなければならない。

 

初めて米沢に降り立つ人。初めて顔を合わせる人。

年齢も個性もばらばらな人を束ね、人を動かし、能力を引出し、輝かせ、達成の喜びと、最高の場を造り上げるために、必要とされるものはなんだろう?


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(撮影 青木美保さん)
 

それぞれの適材適所を見抜き、現場を統括できるリーダーシップとは、どういうものだろう?

 

人は何のために、誰のために動き、誰についていきたいと思うのか。


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(撮影 青木美保さん)
 

◆二つの雪上揮毫

 

どこに光を当てるかで、その後の残像の見え方が、まったく違う。

 

一度目の雪上揮毫と、二度目の雪上揮毫では、光の当たる場所が違っている。


2月のお稽古での先生のお話を聞いて、そのことに気がついた。

 

一度目の雪上揮毫が実施されるに至った経緯を、私はよく知らない。

その当時は、米沢校も開校されておらず、主催となる山形の人たちとつながりがなかったため、フェイスブックのタイムラインに流れてくる情報が少なく、よくわからないままだった。

 

雪上揮毫がどのようなものだったのかを知ったのは、その2か月後に開催された「第7回全国いのちの食育書道展」の表彰式において、三島市大ホールの舞台いっぱいのスクリーンで披露された、「雪の揮毫」の映像作品を観たからだ。制作は吉村和彦さんだ。

 

いちめんの雪におおわれた白い大地。ひとすじの赤い毛氈。まなざしの先の天空。墨の黒。

 

圧倒的な集中力と気迫で、雪の上を駆け抜け、大きな筆を揮う姿に、いつしか、観る者の意識は、雪原に振り下ろされる筆の穂先になり、飛び散る墨の飛沫になり、限界まで研ぎ澄まされた世界のダイナミズムにひきこまれていく。

 

揮毫とは、書家が魂を、墨と筆を介して、この次元に放つ一つの道筋だとわかった。

魂と現実がつながりあう、リアルな瞬間。


墨の軌跡は、その記憶を留め、どれだけ時を経ても、人の心を打つ。

 

〈書道とは。書家とは。福田房仙とは〉

 

その答が、雪上揮毫を介して、表現されていると感じた。

これ以上の表現は、もうないだろうと感じた。

 

だから、二度目の雪上揮毫をされると知り、房仙先生が、次に伝えたいことは何なのだろう? と気になった。

 

一度きりなら伝説

二度目を行えば、道となる。

 

どのような道なのか?

 

生徒が輝く。

房仙会に関わる人たちが輝く。

 

書道と、房仙会の活動を通じて、才能が目覚め、引き出され、花開き、輝いていく。

その軌跡。

 
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(撮影 ハナシネマ)

今年の雪上揮毫の映像作品は、その道を表しているのではないかと、感じた。

ひとつひとつは目立たない、ちっぽけな欠片が手をつなぎあい、息を呑むほどの美しい世界が、無限に生まれつづける万華鏡のように。

 

一年目の雪上揮毫の映像の主役は、書家 福田房仙。

 

二年目の雪上揮毫の映像の主役は、その土地に生きる人々。

 

心を一つにし、揮毫に調和する、米沢の人たちの鼓動が響きあう世界。

 

◆誰のための

 

先生は、「時の宿すみれ」の庭に立ったとき、「ここだ!」とひらめいたと、おっしゃっていた。

この庭で雪上揮毫をすることにと決めたと、フェイスブックの投稿で書いていらした。

だから、先生が、雪上揮毫をやりたいのだと思っていた。

 

やりたいと願えば、距離も時間も経費も、ものともせず、先生のもとに駆けつけて、自分にできることを惜しみなくそそぐ人が、何十人もいる。

そのような、徳の高い生き方を、先生は、なさってきたのだと思い、深い感銘を受けた。

 

先生が、雪上揮毫をやりたいのだと思っていた。

2月のお稽古の冒頭で、雪上秘話を伺うまでは。

 

小雪舞い散る米沢で、いちめんの積雪の上にあっても、先生は寒くないのだと思っていた。


房仙揮毫ブログ
(画像 房仙先生のブログより)
 

泣きたいほど寒かったなんて思いもしなかったし、墨をふくんだ大きな筆の重さが尋常ではなかったなんて、感じもしなかったし、雪上の起伏に、実は泣かされていたこともわからなかった。

 

泣きそうになりながら、転んでもすぐに起き上がりながら、泣きたいときほど笑顔で、氣をみなぎらせて、先生は、誰のために、なんのために、極寒の雪上で揮毫をされたのか

 

かねてより、イベントがあると、それに向かって、みんなの心が一つになり、絆が深まると、房仙先生はおっしゃっていた。

 

三島校では、毎年の社中展や、7回に及んだ全国いのちの食育書道展の開催を通して。

米子校では、米子社中展の開催を通して。

東京校では、房仙会まつりを通して。

 

これまでイベントの機会のなかった大阪校でも、来年の房仙会まつりに向けて、準備が始まっている。

 

イベントは、誰のためでもない、それぞれの生徒の成長と輝き、地域の絆のために、房仙先生が示してくれる道。

拓くのは、生徒だ。

 

房仙地元ブログ
(画像 房仙先生のブログより)

雪上揮毫は、米沢の人々のために示された道。

そのことを伝えてくれた、米沢の人々の清々しい笑顔。

 

昨年、はじめての雪上揮毫が開催された数か月後、米沢校が開校した。

今年の雪上揮毫は、米沢の地にどんな風を起こすのか。

 

ありがとうございます。大阪も、続きます。

 

浜田えみな

 

〈二つの雪上揮毫〉 

吉村和彦さん(2018.1.28) → 

ハナシネマ(2019.1.27) → ★★

 

福田房仙先生のブログ → ★★★

***


〈補記〉

 

ブログを投稿したあと、現地で雪上揮毫を体験した青木美保さんが、そのときの様子を、フェイスブックのコメント欄で伝えてくれました!

 

読む人を、雪上に運んでくれる臨場感は、現地にいた人にしか表現できないものです。

フェイスブックで流れてしまうのは、あまりにもったいなく、私自身が、何度でも読みたいので、ここに転載します。

 

来年は、その場にいたい! 雪上での墨と筆による交響楽を全身に感じたい!と、読む人に感じさせてくれる文章です。

 

H31.3.9 青木美保さんのお宝コメントより

 

雪上揮毫は、ほんの数分間の出来事なのですが、先生がその場に出てこられた時は(寒っ!と内心は思われていても(笑))空間が柔らかくなり、そして太鼓が鳴りいよいよ登壇されると空気は引き締まり、先生が一画目の筆を振るわれた時は、オーケストラが交響楽のクライマックスの盛り上がる演奏をしている時のような感動に一瞬で我々を包んでしまいます。

 

最初の一筆で、みんなを魅了します。

 

それからは、何を書かれるのだろう、この後はどうなるのだろうと全員が集中し、どんどん房仙先生に同化するような気持ちで揮毫を拝見しています。


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揮毫は、数分間の出来事だったのだと後で気がつくのですが、そうは思えない、日常では経験できない時空にいたような感覚になります。

 

「夢中」というのは、まさにこのことなのだと思います。


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そして、房仙先生の揮毫は、広さに関係なく、どこでも先生のエネルギーが満ちる場になるということもよく分かりました。


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(原文コメントより、一文ずつ、改行しています。画像はすべて、房仙先生のブログより)

 

青木美保さん ありがとうございます。