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まるで、セラピーのようだと思う。

お手本は、いつでも、心のひだに、深くふれるもの。

 

お手本は、先生が自分とつながってくださった証だ。

だから、一ミリも、おろそかにできない。

 

◆ゆるし

◆ふるさとの山

◆お手本はセラピー

◆私を盛り上げて

◆君にしか書けない

◆「しすおか」

 

***

 

◆ゆるし

 

今年の夏に、東京銀座にある鳩居堂画廊で開催される社中展に、どんな書を書くかが、期待と気負いが大きすぎて、なかなか決められなかった。

 

インターネットで墨場必携を、毎日のように閲覧したり、禅語集をめくったり、書道の本を立ち読みしたりしていたけれど、これが書きたい! というものに出逢えずにいた。

 

そんな3月のある日、房仙先生から作品について、メールをいただいた。

 

「思いやり赦す心」

 

とあり、「赦す」「許す」「恕す」という三つの「ゆるす」について、それぞれの意味を記した文面が続いていた。

 

それを読んだとき、

 

(セラピーだ)

 

と思った。

 

なぜなら、そのときの私は、人には言えない怒りでいっぱいだったからだ。

 

仕事から帰宅して扉を開けたとたん、認知症の父が起こしているいろいろな行動にも。

そういう父を残して、なに一つ世話をしないまま、死んだ母にも。

パニック症候群を理由に、母のときも、今も、これからも、手伝いに来ない妹にも。

あまりにも急に亡くなった母に、してあげられなかったことの多さに、今頃打ちのめされることにも。

夫や子どもたちと離れて暮らさなければならない理不尽さにも。

 

いったん怒りはじめたら止めることができない怒りで、どろどろだった。

そのことを、先生に見通されている気がした。

 

(赦す)(許す)(恕す)

 

不思議だけれど、それぞれの「ゆるし」が持つ波動のちがいが、はっきりと体感できた。

 

そして、

 

~「恕す」は、思いやりの心で罪や過ちをゆるす~

 

と書かれた、房仙先生のメールを読んだ瞬間、とても細かい粒子が、心のひだに入り込んでくるのがわかった。

繊細で、なめらかで、やさしくて、あたたかい、天空いっぱいに広がる大きな布で、自分と世界が包み込まれている。そんな気がした。

 

「恕し」という波動に、どろどろと抱えていた怒りが鎮まり、引いていくのがわかった。

 

(書きたい)

 

「恕す」という字で、書かせていただきたいと、すぐに返信した。

 

(房仙先生は、この字をどんなふうに表現されるのだろう)

 

過去に観た、先生の揮毫や、先生の書かれた文字を思い出し、想像した。

 

〈思いやり恕す心〉

 

あらためて眺めてみると、「心」という字が三つもあった。

とても難しい字だと思う。

 

(心)

(心が大事)

(何よりも心)

 

そう教えてくださっている気がした。

 

それ以来、私の心は、先生から届くお手本を想像して、「恕す」の波動でいっぱいになった。

 

父を恕す

母を恕す

妹を恕す

自分を恕す

 

(すべての怒りが、感謝の心へと変わっていく)

 

お手本は、まだ手元に届いていないのに、心が鎮まっていった。

「恕す」という言葉を想うだけで、癒され、浄化されていくようだった。

 

頭の中は、さまざまな字体の「思いやり恕す心」でいっぱいだ。

お手本が届くのを、どきどきしながら待っていた。

 

すると、4月のお稽古の一週間前に、房仙先生からメールが届いた。

 

「今日突然、故郷を書いて送りました」

 

(故郷?)

 

「うさぎ追いし……」の故郷だろうか?

「思いやり恕す心」ではなく?

 

驚いたけれど、先生の「突然」に間違いはない。

第7回全国いのちの食育書道展表彰式の舞台で、みんなで歌った「ふるさと」の熱唱がよぎり、そのような大切な歌を書かせていただけることの感謝と重みを感じた。

 

そして、届いたレターパックの封をあけると……

 

〈ふるさとの山に向かひて言うことなし 故郷の山はありがたき哉〉

 

(石川啄木!)

 

◆ふるさとの山

 

石川啄木の短歌は、圧倒的な威力で心に飛びこんできた。

 

あらためて、石川啄木について調べ、その歌が詠まれた境地に思いを馳せていると、ある体験がフラッシュバックした。

 

書道のお稽古をしているときに、まっしろな半紙をとりだして前にしたとき、まさに、

 

「言うことなし」

 

の境地を体験した記憶だ。

(『道の上にいる』というタイトルでブログに書いている)

 

啄木にとっての「ふるさとの山」は、私にとっての「書道の半紙」。

 

そう思ったとき、房仙先生が、私のために用意してくださったこの歌を、

 

(書かせていただきたい!)

 

と、強く感じた。

 

また、この歌のお手本で、気づかせていただいたことがある。

書道作品における墨の濃淡や、線の太細による表現についてだ。

 

今年の3月から、かなのお稽古を始めることになり、課題を一度だけ書いた。

お手本のままに線を真似て、墨継ぎをしていると思われる位置で墨継ぎをしたものの、どうして、その位置なのかがわからなかった。

変体仮名の形は難しく、どこが切れ目なのかもわからず、読めないものもあったから、なおさらだ。

 

ところが、石川啄木の短歌はちがう。

文字が読める。

短歌の意味がわかる。

石川啄木の生涯と、その歌が詠まれた背景を知っている。

 

どこにいても、何をしていても、心の中にそびえる、ふるさとの山の威光。

その山の姿が、石川啄木に語りかける境地を想像したとき、房仙先生の書かれた筆文字が、突然、立体的なうねりを帯びて躍動し、読み手の心情を表現するような奏でとなって、響いてきた。

墨の濃淡。線の太細。緩急のリズム。書は奏でだ。

 

(そういうことだったのか)

 

古典的な和歌では、古語も情景も現実味がなく、感じられずにいたことが、近代短歌を表現してくださったことで、私にも、表現されたものが体感できた。

 

◆お手本はセラピー

 

キャプチャ

〈最初に渡す手本は、まだ、最終形ではないよ〉

〈どんどん変わっていくからね〉

 

房仙先生は、そうおっしゃっていた。

これまでの社中展でも、生徒の状況によって、お手本の書体は変わっていったし、進化していくお手本をいただけることが、励みであり、誇らしくあった。

次に、どのようなお手本をいただけるかどうかに、期待が高まっていく。

 

「ふるさとの山に向かひて言うことなし……」の添削を提出し、次のお手本が、どのような作品になって同封されているかが、待ち遠しくてたまらなかった。

 

返送されてきた封筒を、どきどきしながら開封すると、入っていた新しいお手本は、

 

「うさぎ追いしかの山 小鮒つりしかの川 夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷

 いかにいます父母 恙なしや友がき 雨に風につけても思いいずる故郷 高野辰之詩」

 

題材そのものが変わるなんて、思いもしなかった!

しかも二番まで。

紙は円形。

先生がお手本を書くためにおろしてくださった筆が同封されていて、「兎の毛の細筆で書きましょう」と、メモが入っていた。これまで書いたことのない、細い筆だ。

 

でも、不思議なことに、混乱も動揺もなかった。

先生が書いてくださった筆文字に、ただ、心打たれた。

 

そして、二番の歌詞の

 

〈いかにいます父母〉

 

という文字をみたとき、心に、さまざまな思いが浮かんできた。

 

母はもういない。

 

昨年の社中展作品「七つの子」を書き始めたとき、生きていた母。

作品の完成を待たずに急逝した母。

作品の中には、母の生と死と、そのあわいの日々がある。

 

現在、父は、すこぶる元気なので、「ふるさと」の中には父の生が息づく。

でも、いつか、父が亡くなったあと、その作品を見る自分がいる。

 

(どのような心で、私はこの歌を書くのか)

 

「思いやり恕す心」

 

「ふるさとの山に向かひて言うことなし 故郷の山はありがたき哉」

 

「うさぎ追いしかの山 小鮒つりしかの川 夢は今もめぐりて 忘れがたき故里 

いかにいます父母 恙なしや友がき 雨に風につけても 思いいずる故郷 高野辰之詩


心の準備。

癒され、包まれ、浄化され、平安な心でいるために。

父と母、自分、家族、人生を、感謝の心で受けいれるために。

 

先生が順番に用意してくださったお手本だと、わかった。

 

まるで、セラピーのようだと思う。


お手本は、いつでも、心のひだに、深くふれるもの。

 

生徒が置かれている状況や、心のありようは、さまざまだ。

私の場合は、作品を書くために、まずは心の問題を解決することが大事だと、房仙先生は、感じとってくださったのだと思う。

 

そうして、巡ってきた「ふるさと」のお手本を手にとると、一文字一文字に、先生の真心が、波のように幾度も打ちよせてきて、動くことができなかった。

 

それだけの思いをこめたお手本を、すべての生徒のために書いていらっしゃることがわかるからだ。

 

そんなこと、できるのだろうか? と思う。

でも、できてしまう、房仙先生。

 

お手本は、先生が自分とつながってくださった証だ。

だから、一ミリも、おろそかにできない。

 

◆私を盛り上げて

 

キャプチャ3

「みんな、私を盛り上げて! 私を燃えさせて! やる気のない言動で盛り下げない!」

 

5月のお稽古で、房仙先生が、そうおっしゃっていた。

 

「筆一本あれば、私はどこででもやっていける。今、米子・大阪・東京・米沢に教室があるからといって、やる気がなく、ぬるま湯にひたっているような態度では、この先どうなるかわからない」

 

ということも。

 

今後は、三島校だけに絞ってお稽古をすると、いつ宣言されても、おかしくない。

または、もっとやる気のあるコミュニティから、お声がかかったら、既存の教室を閉じ、そちらで開校するかもしれない。

 

教室を継続させ、お稽古の質を引き上げていくのも、生徒のやる気と、創意工夫だと思った。

 

先生がお持ちの、たくさんの引出しを、どこまで開けて御指導していただけるか。

 

人は、接するようにしか、接してもらえない。

もっている器のぶんしか、受けとることができない。

 

いつまでも、甘えてばかりの赤ちゃんのままでは、赤ちゃんのようにしか指導していただけないことに、気づき、目覚めよ。

 

先生が伝えたくなり、指導したくなる意気込み、努力、誠意と感謝を、みせていくしかない。

 

◆君にしか書けない

 

キャプチャ4
(撮影 向井美貴さん)

鳩居堂画廊での房仙会書道展に向けて、書道展の既成概念をくつがえす、画期的な構想が、先生の頭の中で、全方向にスパークしているようすが、伝わってくる。

出展数を絞ったことで、大きな作品を配置できるようになると、構成に動きが生まれる。

 

作品が完成し、額装され、会場に並んだとき、いったいどのような世界が産声をあげるのだろう。

私たちには、まだ全貌は想像もできない。

会期は六日間。搬入の日を入れると七日間だ。


きっと、毎日、ちがう顔をみせる。

画廊に住みたいくらいだ。

 

伝統的な技法に基づき、高い精神性と芸術性が織りなす、豊かな世界は、会場に足を踏み入れたら、最後まで、もう目を離すことができないほど、来場者を引きこんでいくと思う。

 

房仙先生のお手本の素晴らしさ。

私たちが書かずに、いっそ先生の個展として鑑賞しても、どんなに素晴らしいことだろう。

 

でも、生徒自身の輝きと、秘められた可能性を引き出すことを目的に、ひとりひとりに書いてくださるお手本は、趣旨がちがうのだ。

 

自分で書くより、生徒を指導して書かせるほうが、くらべものにならないくらい、時間とエネルギーを要すると感じる。


房仙先生の師匠としての力量が、生徒の作品で問われ、評価されるのだとしたら、先生の価値を下げるような作品を出展することは、絶対にできないと強く思う。

 

思えば思うほど、目の前のお手本と、自分の書道の技術との、どうやっても埋めることのできないギャップに、愕然としている。

埋まるわけがない、と思う。

どんなに練習をしても、先生の線に近づくなど、できるわけがない。

 

それでも、お稽古を始めて1年に満たない生徒も、やる気があれば、社中展に作品を出展させていただける。

 

どういうことなのか。

 

「君しか書ける人がいない、君しか書けないんだよ!」

 

ある生徒に、房仙先生が伝えていた言葉が、強く耳に残っている。

すべての生徒に対する言葉だと思った。

 

さまざまな書体、さまざまな題材。

一つとして同じものはない。

一人として同じ人はいない。

ほかの誰も書くことができない、その人だけのお手本だ。

その人なら書けると、先生が見抜いて、書いてくださったお手本なのだ。


私にいただいたお手本の作品は、私にしか書けない。 

応えたい。

 

自分の中から、その力を引き出すには、どうしたらいいのだろう?

 

書くしかない。

悔いのないよう、書くしかない。

 

◆「しすおか」

 

房仙先生のブログに、オリンピックコースの子供たちへ期待することとして、先生がお話した四つの言葉が、子どもたちの作文として掲載されている。

 

それぞれの頭文字をとって、「しすおか」と覚えることにしたと書かれていた。

 

・正直に生きる

・素直に生きる

・思いやりの心を持つ

・感謝の心を持つ

 

オリンピックコースの子どもたちだけでなく、大人の私たちも、常に思い出して実践したい言葉だと感じ、すぐに覚えた。

覚えたつもりだったが、不思議なことに、私はいつも「し」が、別の言葉になる。

まっさきに、

 

「しんじる」

 

という言葉が、浮かんでしまうのだ。

すぐに、「しょうじき」だと思いだせるのだが、やはり、最初に「しんじる」という言葉が飛びだしてくる。

 

師匠を信じる。

自分を信じる。

手本を信じる。

完成を信じる。

達成を信じる。

歓びを信じる。

未来を信じる。

 

えみな版「しすおか」には、「し」が二つ。

信じる力は、あきらめない力。

 
キャプチャ8
(撮影 青木美保さん)

浜田えみな


「しすおか」のことが書かれた房仙先生のブログ記事 → ★★ 


◆第20回 房仙会書道展

 

日時:令和元年8月6(火)〜11(日) 11:00〜19:00

(8/10(土)は18時まで、最終日は17時まで)

会場:鳩居堂画廊 → )11() 11:0019:00
(8/10(
)18時まで、最終日は17時まで)
会場:東京鳩居堂 銀座本店

  

◆青木美保さんのブログがスタート!

 

大阪校のリーダー、青木美保さんが、5月から房仙会のお稽古のようすをブログに綴ってくださることになりました!

ブログタイトルは

 

「書道家・福田房仙先生の書道教室で学ぶ日々~房仙会大阪校~」

 

お稽古の様子を、端的に大切なポイントを押さえ、過不足なく、ときにユーモアとウィットにあふれる文体で、綴ってくださるブログは必見です。お写真もすごくいいのです!


お稽古が終わるとすぐに、フェイスブックに投稿してくださっていた過去の報告も、まとめてブログで読ませていただきたいほど、美保さんの文章のファンの浜田です。


美保さんが、お稽古の記録をきちんと残してくださるので、私は安心して、思うぞんぶん脱線できると、喜んでいます(^^) 青木美保さん、ブログを始めてくださって、ありがとうございます。


こちらのブログでも、あわせて紹介させていただこうと思います。

 

1日目 → ★★★

2日目 → ★★★★