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〈卒なくこなせたことをほめられるより、考え違いをして、間違えてしまったことを、御指導していただく経験〉のほうが、ずっといい。

大勢の前で、御指導いただけたなら、もっといい。

 

◆ひらめきの授業

◆お得感

◆純米酒トリートメント

 

***


◆ひらめきの授業

 

伝言ゲームの次は、房仙先生恒例〈ひらめきの授業!〉

 

何が起こるかわからないのが、房仙流のお稽古だ。


これまで見たこともない書体、持ったことのない筆、初めて体験する墨と硯、ひとりひとり、書体も題材も紙の大きさも、書くスタイルもちがう作品に臨んだ緊張の三か月が終わり、七月からは再び、白羊誌の課題のご指導が始まる。

心は勝手に、ホームグラウンドに帰ってきたような安心感に包まれていたのだが、

 

「はい、こっちの人とこっちの人で、じゃんけんして」

 

という先生の声が聴こえ、房仙流には予定調和は存在しないこと〉を、思い出した。

さあ、何が始まるか。

 

当初、右側の列には一日目のお稽古に出席した人が、左側の列には二日目から出席する人が、座っていた。

房仙先生の号令で、それぞれの列で隣り合う二人がじゃんけんをした。

 

(何が始まるのだろう?)

 

「負けた人が移動する! 早く!」

 

(え?)(え?)(え?)

(今だけ? 身体だけ?)

 

「道具もぜんぶ持って、移動!」

 

(きゃー)

 

あわただしく移動が終わると、右の列も、左の列も、一日目のお稽古に出席した人と、二日目から出席の人が隣り合っていた。

 

「右と左で、チーム対抗です。一日目に来た人は、二日目に来た人に指導してください」

 

***

 

これまでにも、二日目のお稽古で、前日に先生からご指導を受けた人が、初めてお稽古を受ける人に、書き方を説明する……という演習はあった。

しかし、この日に課せられたハードルは高かった。

 

〈チーム対抗〉

 

チームで競うとは、どういうことなのか。


自分と隣の人だけではない、自分だけができればよいのではない、ということだ。

 

限られた時間の中で、チーム全員が、教えることと、教えてもらって書くことができるためには?

チームで勝つために共有することは? 

共同でやったほうがいいことは?

 

チームの人数も、経験年数も、年齢もちがう。性格もちがう。

 

素早く現状を把握し、最善に導くための解決策を、全員で実行するために必要なことは?

チームが一丸となって、まとまるためには?

 

やっている時は、自分たちのチームのことしか見えていないが、制限時間が終了すると、房仙先生が、それぞれのチームのよかった点、改善すべき点をあげて、解説をしてくださった。

解説の言葉を書くことはしないが、もし、その言葉を文章で読んだとしても、実際にその場にいて、緊張して、おろおろして、とまどって、冷や汗をかいて体験した人にしか、実感できないと思う。

 

このようなお稽古が繰り返されるから、房仙会の子供たちや、大人は、リーダーシップが培われのだと思った。

 

◆お得感

 

房仙書道を学ぶ子どもたちは、先生からほめてもらうより、注意してもらいたいのだと、伺ったことがある。

 

注意してもらえる = 先生にみてもらっている = 先生に愛されている

 

というような図式らしく、先生から注意されなくなると、嫌われていると思って、泣きだす子もいるらしい。

 

大人の感情は、もう少し複雑かもしれないけれど、

 

〈卒なくこなせたことをほめられるより、考え違いをして、間違えてしまったことを、御指導していただく経験〉

 

のほうが、ずっといい。

大勢の前で、御指導いただけたなら、もっといい。

 

そんなことを、感じるようになってきた。

 

房仙会では、優等生でいると損をしているかもしれない〉とさえ、おもう。

子どもたちは、本能的にわかっているのだな。

 

それほど、みんなの前で先生からご指導していただいたことは、深く心に刻まれる。

映像としても、体感としても、魂的にも。

 

(めっちゃ、得したー)

 

そう感じるときの〈お得感〉ときたら、ない。

最近、そのことが、わかるようになった。

 

(練習するぞー)

 

張り切っていたのに、書き始めると大事件。

 

◆純米酒トリートメント 


(書けない!)

 

筆が、ごわごわ。パサパサ。

筆の先が、もしゃもしゃのばらばら。

どれだけ墨をつけて整えても、すぐに割れてしまって、戻らない。

 

たとえば、

 

(私って、天才ちゃう??)

 

って思ってしまうような、自分ではとても出せない線が、筆のおかげで出たりすると、ぐんぐんテンションがあがるけれど、その真逆だ。

気持ちはあっても筆がついてきてくれなくて、終筆の始末をしようとすると、きれいに決めたいところほど、寸止めみたいにブツ切りになり、一本一本の美しい線が表現できない。

 

(筆のせいだろうか?)

(私のせいだろうか?)

 

穂先を見る。

ていねいに洗い直してみる。

 

(筆だ。ぜったいに筆だ)


そう思うには、理由があった。
 

***

 

7月のお稽古で、筆の扱い方について教えていただいた。

お稽古に持参していた筆は、すでに命毛がなくなっていたことがわかったが、もう一本、筆を持っていた。

 

この筆は、房仙会では「五千円の筆」と言われているもので、最初に使う「三千円の筆」より、ずっとやわらかい。

やわらかいということは、よりていねいに取り扱わなければならないということなのに、そのことを忘れていた。

初めて使い終わって洗うときに、うっかり、「三千円の筆」と同じように、ゴシゴシ洗って、ひどい扱いをしてしまったのだ。

 

洗い終わった筆にふれたとき、

 

(あ)

 

と思った。


筆の気配が、死んでいる。

 

おろしたてのときのような、筆が歓んでいる! という感じがない。

まとっていた繊細な気配、高貴な気配が消えて、がらくたみたいになってしまった。

 

一瞬で。

 

そのことが、あまりにもショックで、それ以来、使うことができなかった。

 

でも、命毛がない三千円の筆よりは書けるかもしれないと思い、書き始めたものの、書けば書くほど痛々しくて、清書用紙に書き始めたら、ますます、ダメなことがわかって、焦りが表われて、ちっともお手本どおりに書けない。

もうこの筆で書くのは無理だと判断し、新しい筆を送っていただき、それで清書を書こうと決めた。

 

すると……

 

思い出したのだ。

米子校の原田幸代さんが、純米酒で筆が蘇ったと書いていらしたことを!! → ブログ記事★

 

(純米酒で蘇る?)

 

深夜で、墨をする時間がなかったので、〈純米酒トリートメント〉を思いつき、容器に酒を入れて、その中に筆を浸し、しばらく泳がせて引き上げたあと、洗い流さずに一晩置いてみた。

翌朝、筆にふれてみると、

 

(しっとり!!)

 

傷んでパサパサになった髪の毛にトリートメントをしたように、穂先が落ち着いているように感じる。

墨をつけて書いてみると、

 

(なんだか、いい感じ!)

 

ということで、これを繰り返していると、筆が蘇ってくれるかもしれないと、期待している。

もう少し早く、幸代さんの投稿を思い出し、実践できていれば、添削の提出期限までに、筆の状態を改善することができたかもしれないと思うと、残念だ。 

 

でも、このように、房仙会のみなさんが、書道に向き合う中で、気づいたことや想いを、ブログに書いてくださるようになり、いつでも思い出したときに読みに行けて、何度でも読み返すことができる。


それが、どれほどかけがえのないことか。

 

そんな場所が、劇的に増えた。

数えきれないほどだ。

 

房仙先生のご指導と、共に学ぶ房仙会の皆様に心からの感謝をこめて。

 

浜田えみな

 

読んでくださって、ありがとうございます。


房仙会書展は、東京銀座の鳩居堂画廊で、8月6日~11日まで開催します。

ぜひ、観にいらしてください。

 

20回 房仙会書展 福田房仙古希記念 鳩居堂
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