日蓮正宗の信心をしています
2005年01月01日
2004年12月31日
2004年12月30日
2004年12月29日
きょうの御書
教機時国抄
☆肉食妻帯がどうのこうのと、今の日蓮正宗の御僧侶方をことさらに誹謗する無知な輩が跡を絶ちませんが、そもそも、よその宗派の戒律がどうだろうと、本宗には一切関係のないことです☆法華本門の三大秘法を純真に受持し奉るということこそが、仏法において一番大事な戒の実践なのです。☆末法の世においては、別に「肉食禁止」とか「生涯童貞」などの極端に厳しいな戒律の細目に縛られる必要はありません(末法無戒)☆日蓮正宗の信心をする者は、一切の謗法を捨てて、勤行・唱題・折伏・御供養を毎日の生活の最優先事項に据えていくようになるわけですから、上は御法主上人から下は私のごとき一在家に至るまで、どう転んだって放蕩的な快楽主義には堕ちこみようがありません☆また、禁欲主義に偏ることもないのです。適度にバランスの整った、「中道」の生活習慣が自然と身につくようになります☆自由を享受して大いに人生を謳歌しつつ、一生成仏の叶う仏道修行がさせていただけつ宗派。それは、日蓮正宗しかないのです☆
仏の滅後の次の日より正法一千年は持戒の者は多く破戒の者は少なし。
正法一千年の次の日より像法一千年は破戒の者は多く無戒の者は少なし。
像法一千年の次の日より末法一万年は破戒の者は少なく無戒の者は多なし。
正法には破戒無戒を捨てゝ持戒の者を供養すべし。
像法には無戒を捨てゝ破戒の者を供養すべし。
末法には無戒の者を供養すること仏の如くすべし。
但し法華経を謗ぜん者をば、正像末の三時に亘りて、持戒の者をも無戒の者をも破戒の者をも共に供養すべからず。供養せば必ず国に三災七難起こり必ず無間大城に堕すべきなり。
((『平成新編日蓮大聖人御書』P270))
☆肉食妻帯がどうのこうのと、今の日蓮正宗の御僧侶方をことさらに誹謗する無知な輩が跡を絶ちませんが、そもそも、よその宗派の戒律がどうだろうと、本宗には一切関係のないことです☆法華本門の三大秘法を純真に受持し奉るということこそが、仏法において一番大事な戒の実践なのです。☆末法の世においては、別に「肉食禁止」とか「生涯童貞」などの極端に厳しいな戒律の細目に縛られる必要はありません(末法無戒)☆日蓮正宗の信心をする者は、一切の謗法を捨てて、勤行・唱題・折伏・御供養を毎日の生活の最優先事項に据えていくようになるわけですから、上は御法主上人から下は私のごとき一在家に至るまで、どう転んだって放蕩的な快楽主義には堕ちこみようがありません☆また、禁欲主義に偏ることもないのです。適度にバランスの整った、「中道」の生活習慣が自然と身につくようになります☆自由を享受して大いに人生を謳歌しつつ、一生成仏の叶う仏道修行がさせていただけつ宗派。それは、日蓮正宗しかないのです☆
仏の滅後の次の日より正法一千年は持戒の者は多く破戒の者は少なし。
正法一千年の次の日より像法一千年は破戒の者は多く無戒の者は少なし。
像法一千年の次の日より末法一万年は破戒の者は少なく無戒の者は多なし。
正法には破戒無戒を捨てゝ持戒の者を供養すべし。
像法には無戒を捨てゝ破戒の者を供養すべし。
末法には無戒の者を供養すること仏の如くすべし。
但し法華経を謗ぜん者をば、正像末の三時に亘りて、持戒の者をも無戒の者をも破戒の者をも共に供養すべからず。供養せば必ず国に三災七難起こり必ず無間大城に堕すべきなり。
((『平成新編日蓮大聖人御書』P270))
2004年12月28日
2004年12月27日
きょうの御書
上野殿御返事 弘安三年十二月二十七日
☆仏道修行としての「御供養」で問われるのは量の多い少ないではなく、供養する人の志なのです☆「お金を取られている」「労力としてこき使われている」、そういった不平不満の心で御供養したって功徳になるわけないのですから、するだけ無駄というものです☆どうせ御供養するのならば、御供養は在家にとってきわめて有利な修行法・成仏の因を積ませていただく有難いチャンスと心得ておいたほうが、後々の功徳の実感も遥かに大きくなることでしょう☆
御心ざしの候へば申し候ぞ。よくふかき御房とおぼしめす事なかれ。
仏にやすやすとなる事の候ぞ、をしへまいらせ候はん。人のものををしふると申すは、車のおもけれども油をぬりてまわり、ふねを水にうかべてゆきやすきやうにをしへ候なり。仏になりやすき事は別のやう候はず。旱魃にかわけるものに水をあたへ、寒氷にこゞへたるものに火をあたふるがごとし。又、二つなき物を人にあたへ、命のたゆるに人のせにあふがごとし。
(『平成新編日蓮大聖人御書』P1528)
☆仏道修行としての「御供養」で問われるのは量の多い少ないではなく、供養する人の志なのです☆「お金を取られている」「労力としてこき使われている」、そういった不平不満の心で御供養したって功徳になるわけないのですから、するだけ無駄というものです☆どうせ御供養するのならば、御供養は在家にとってきわめて有利な修行法・成仏の因を積ませていただく有難いチャンスと心得ておいたほうが、後々の功徳の実感も遥かに大きくなることでしょう☆
御心ざしの候へば申し候ぞ。よくふかき御房とおぼしめす事なかれ。
仏にやすやすとなる事の候ぞ、をしへまいらせ候はん。人のものををしふると申すは、車のおもけれども油をぬりてまわり、ふねを水にうかべてゆきやすきやうにをしへ候なり。仏になりやすき事は別のやう候はず。旱魃にかわけるものに水をあたへ、寒氷にこゞへたるものに火をあたふるがごとし。又、二つなき物を人にあたへ、命のたゆるに人のせにあふがごとし。
(『平成新編日蓮大聖人御書』P1528)

