2020年09月
2020年09月30日
藁園神社と可愛いポニー達
滋賀県高島市新旭町藁園にある藁園神社です
正元元年(1259)に地震をともなう大雨が続き洪水となり
社殿が浸水した時に大鯰が現れ神主が退治したところ
たちまち雨がやんで晴れてきたという説
生保三年(1646)、降雨が少なく農作物に害虫が異常発生したため
困って害虫駆除の祈願をしたところ
鯰が現れ害虫を食い尽くしてくれたという説
五穀豊穣祈願を願って
村人は喜んで祭典を行い
神前に能楽を奉したといわれています
神社の境内には、大きな鯰の石造が祀られています
三重にも、なまずで知られる「大村神社」
があり、なまずがたくさん鎮座していましたが
こちら藁園神社にも、大きななまずがいました!!w
藁園神社では、石に願い事を書いて祈願することができるそう
石に願いを書いたものが沢山積み上げられていました
藁園神社では毎年6月に
防災と五穀豊穣を願って
なまず祭りが執り行われます
なまず祭りの始まりは、↑に書いたように
災害で本殿が水に浸かったときなまずが上がってきたので
神職が退治したら洪水がおさまった。
なまずがたくさんの害虫を食べてくれたため
五穀豊穣を祝うことができたのです
この事を願い、毎年開催されるようになりました
(画像はお借りしました)
お祭りの当日は ↑写真のような本物のなまずも用意され
池に放流されるそうです
一度、その光景を見てみたいものです
神社からの帰り道
小さな牧場の横を通ったら
ポニーが放牧されていたので
動物好きな管理人、ちょっと寄らせてもらいました
草を食むポニーたちに
パンパン手を叩いて、「おいで~~」って呼び込むと
ぞろぞろ、こっちに向かって歩いてきてくれました
可愛かったです~
タテガミが素敵なポニーさんでした
ランタナ
アメジストセージ
両方とも放置していたらわさわさ茂って
邪魔になってきた感じ
対峙するオトとグレオ
どちらか強いか?一目瞭然
オトは腹這いになって
グレオに服従します!って言ってるみたいですが
オトはグレオが大好きなんで
どんなに意地悪されても
グレオのそばにくっついていくんです
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2020年09月29日
高塚公園展望台

国道42号を走ってると、高台に白い建物が見えます
いつもこの辺りを走ってると
あれはなんだろ?って気になっていました
先日、こちら方面にやってきたので
ちょっと立ち寄ってみることにしました

ここは三重県紀北町三浦
「豊浦海岸・高塚公園」の看板を目印に岬の先端に向かい
道沿いの駐車場から遊歩道を10分ほど登ると
白亜の展望台が目の前に見えました
ここまでの道のりが、結構な上り坂なので相当きつかったです
円盤のような展望台、 これが高塚公園展望台です
熊野灘に突き出た岬の上にある
標高74mの展望台で 穴場スポットですって

タワーの中の螺旋階段をのぼってみました

ぐるぐる目が回る~w
さっき、上り坂を上ってきたばかりなので
階段はきつかったですが、疲れたなんて弱音を吐くと
相方に馬鹿にされるので頑張りました

展望台に到着
外に出て見ると
眼下に広がる海が素晴らしかったです

キラキラ輝いていました

芝生広場もあり、楽しい公園になっていました

美しいリアス式海岸 です

この景色が「紀伊の松島」とよばれてるそうで
熊野灘の絶景を楽しめるスポットです
ここまで来るのに、結構な疲れがありましたが
この景色を見て元気復活できました
やっぱ私は海が好きだぁ


窓辺でまったりするマールでしたが

ブサ顔で大あくびw
レディがそんな顔しちゃダメじゃん

そんなとこ言ったって
あくび出ちゃうでしゅーー
眠かったのか?
何度も、ブサあくびを繰り返すマールでした


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2020年09月28日
日牟禮八幡宮とグレオザウルス

日牟禮八幡宮
「楼門」
古くからこの神社は八幡商人の信仰を集め
左義長、八幡まつりは全国的に有名です
社宝にはベトナムまでその活躍場を求めた
八幡商人の代表格西村太郎右衛門が奉納した
「安南渡海船額」をはじめ、重要文化財が多数あります
また、例年3月には「左義長まつり」4月に「八幡まつり」が開催されます

「拝殿」
伝記によれば、131年
第13代成務天皇が高穴穂の宮に即位の折に
武内宿禰に命じ、現在のこの地に 大嶋大神(地主神)を祀られたのが
社の鎮座の始めとされています

金婚式のお祝いの記念に奉納された金の鳩の番いです
多くの方が撫でられてのか?
金のメッキが剥がれてる部分もありました
管理人もご利益にあやかりたいと
一生懸命撫でてきましたが・・・w

「本殿」 です

本殿から、拝殿越に楼門を見た図です


拝殿の隣には能舞台 もあります
築竣工にあたり、明治32年
「応神天皇が近江八幡の地にてふたつの日輪をみた」という言い伝えから
日觸詣(ひむれもうで)という能が創作され
この能舞台で初演されたそうです

ベットでぐっすり眠ってるグレオに
あるものを被せてみました
(先日100均に行ったとき見つけたんですw)
それは・・・・
↓
↓
↓

恐竜グレオザウルスww

この子は本当にいい子で
少しの時間なら大人しくしててくれ
ちゃんとモデルをしてくれました
可愛いグレオザウルスです


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2020年09月27日
仲良しさんと イングリッシュガーデン

仲良しコンビ、オト&マール
窓辺で仲良く並んでいたので
「こっち向いて」って声を掛けると
マールだけが、こっちを向いてくれましたが
オトは下を向いたままでした


オト、おばたんの方を向かなきゃ
そっと指導をしてくれたマールにオトは
仕方ないでしゅねぇ

みたいな感じでこっちを向いてくれましたが

やっぱ嫌でしゅ

もう~~オトったら
ホント困ったちゃんでしゅね


そんな事言ったって・・・

勇気を出して、見るでしゅよ
おばたんなんて、ちーっとも怖くないでしゅ

(おばたん「なんて」って、どういうこっちゃ


分かった・・・じゃ!見るでしゅよ



っていう事で
マールの説得に、やっとオトもこっちを見てくれました

おまけにオトの尻尾がくるんとなって
可愛い2ショットが撮れました

マールちゃん、感謝

久し振り、松阪ベルファーム
イングリッシュガーデンに行ってきました
今の時期は何が咲いてるかな?

園内に入って目に飛びこんできたのが
黄色の彼岸花

白の彼岸花でした
赤い彼岸花は田んぼの畔に植えられてて群生していたりしますが
白や黄色は、なかなか見ることがないです
嬉しくて写真に撮っていました
どちらもいいなぁ~~
来年は、白や黄色の彼岸花
家の花壇にも植えてみようと思います

カラフルなジニア

班入りニューギニアインパチェス
班入り葉っぱが綺麗でした
涼しげで素敵なインパチェスでした

西洋アオイ(ピンク)

西洋アオイ(赤)
両方とも花が大きくて目立ってました

繊細なコスモス
風の当たらない場所に植えられていました
これからの時期、何処か広い休耕田で
コスモスの群生が見られるといいな

ちょうど季節の変わり目なので
花の種類は少なかったけど
綺麗に咲く花達を見ることができ
満足して帰ってきました


しかし・・・まが蚊が沢山飛んでいたのか?
撮影に夢中になっていたら
足や手に蚊が止まって痒くて痒くて・・・・

油断していました


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2020年09月26日
八幡堀散策

日牟禮八幡宮の参拝を終えて
ぶらり、何度でも訪れたい場所のひとつ
八幡堀を散策してきました
緑に覆われた八幡堀に
ピンクの花が色を添えてました

八幡堀は天正13年(1585年)豊臣秀次(秀吉の甥)が
八幡山に城を築き開町したことに始まります
秀次は、八幡堀と琵琶湖とを繋ぎ湖上を往来する船を
城下内に寄港させることで人、物、情報を集め
さらに楽市楽座制を実施することで城下を活気づけました

八幡堀(全長4,750m)は
交通路や生活の場として長らくその役目を果たしてきましたが
生活形態が変わりだした昭和30年代もなると
八幡堀は市民にとって忘れ去られた存在となり
やがて無用の長物から公害源となりだしたそうです
当時は高度成長時代であり時代の波に
近江八幡市としても乗り遅れることのないようにと
区画整理や工場誘致等の都市基盤整備に躍起になっていました
加えて、琵琶湖総合開発による琵琶湖の水位低下や
生活排水の質的変化により荒廃は進む一方でした
昭和40年になると、八幡堀に堆積したヘドロは1.8メートル 総量50,000立方メートル
蚊やハエの発生源や市民による不法投棄の場所と成り果て
地元自治会は衛生的観点から署名を添え
駐車場や公園等への改修要望を市に陳情しました

昭和47年に近江八幡青年会議所が
「堀は埋めた瞬間から後悔が始まる」を合い言葉に
全市民へ浚渫と復元を呼びかけました
しかし、埋め立ての予算は既に国によって計上されており
市民も1日も早い改修を望んでいるような状況の中では
保存運動はいわば孤立状態を招きました
このような中で、青年会議所は昭和50年に
「死に甲斐のあるまち」をまちづくりのコンセプトにした
新たな運動を展開します
働き甲斐のある場所や生き甲斐のある場所は数カ所あっても
どんな人間でも死ぬ場所はひとつしかなく
人が死を迎えるに当たり、この町で生涯を終えることに後悔しないような町
青年会議所は県土木事務所等との折衝を続ける中
毎週日曜日に会員自らが八幡堀へ入り自主清掃を始めます
当初は、清掃作業を横目にヤジを飛ばす人やゴミを捨てていく人も存在する中
めげることなく活動を続ける彼らに、やがて市民の目も変化してきました
パンや牛乳を差し入れてくれる人、清掃作業を手伝う老人会の人
自社のダンプやユンボを貸出してくれる建設業者等々
しだいに堀端は賑わうようになりました
また、常々意見対立を繰り返してきた行政職員も
市民の1人として参加する人が現れるなど
この活動はいつの日か近江八幡市の誇りを取り戻す事業として 共感の輪が広がり始めました
昭和50年9月になり、ついに滋賀県は進みかけけていた改修工事を中止
国にその予算を返上することになりました

市民と行政による協力や連携により 今日の姿まで回復を遂げた八幡堀
今現在も、八幡堀を守る会、地元自治会 観光物産協会、観光ボランティアガイド協会等
各種団体が清掃活動を続けています
まさに「八幡堀」は近江八幡のまちづくりのシンボル
観光客の訪ねたい場所として風情ある風景を取り戻しました

保存運動の取り組みが始まってから今日までには
下水道化も進み、市民の環境に関する考え方も変わってきました
市民と行政による協力や連携により 、今日の姿まで回復を遂げた八幡堀 です
今現在も、八幡堀を守る会、地元自治会 、観光物産協会、観光ボランティアガイド協会等
各種団体が清掃活動を続けているそうです
素晴らしいことですよね
趣のある八幡堀の風景は 時代劇の格好の撮影の場となっています
年間を通じて多くのロケが行われています
テレビを見てると、よくこちら八幡堀の風景が出てきたりして
あ・・・ここ!ここ!八幡堀だ!ってテレビの前でしゃべっていますw
自分の好きな場所が、テレビで映ったりすると嬉しいですよね

こちらは、八幡堀に隣接する
瓦ミュージアムへの通り道です
瓦を埋め込まれた道が何とも言えず素敵だったのでパチリ

こちらは鬼瓦のオブジェです

机の上に、乗っちゃいけないと言うと
それに反して、わざと乗るマール
頭がいい子で、叱られないとわかってるから
平然としています
(可愛いので叱れないです・・・)

気持ちのいい青空と、白い雲が綺麗だったのでパチリ
たまに空を見上げてみるのもいいですよね

ヒマラヤユキノシタ
花の開花、2~4月頃なのに
暑かった猛暑に狂い咲きしたのか?
今頃咲いていました

夏の名残のノウゼンカズラ
花数は、ぐっと少なくなりましたが
まだ美しく咲いています

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