和歌山
2021年02月06日
橋杭岩
南紀ドライブ回想編、いよいよ最後です
最後までお付き合い下さり
ありがとうございました
本州最南端の道の駅
くしもと橋杭岩です
建物の目の前は
吉野熊野国立公園「橋杭岩」です
串本から大島に向かって
海中に約850mの列を成して
大小40余りの岩柱がそそり立っています
規則的な岩の並び方が橋の杭に似ていることから
橋杭の名が付いたそうです
海の浸食により岩の硬い部分だけが残り
あたかも橋の杭だけが立っているように見える奇岩です
その昔、弘法大師と天邪鬼が一晩で橋を架ける賭をして
一夜にして立てたという伝説も伝わっているそう
潮が完全に引いていると
巨岩のそばまで歩いて行けますが
この日は完全に引いてなかったので
途中までしか行けませんでした

橋杭岩前の和菓子屋「義平」
こちらのうすかわ饅頭は「あん」の味が違います
菓子に合う甘さ、舌ざわり、粘度の「あん」を使っていて
甘すぎずあっさりして、皮もしっとりしてて美味しい
こちらに来た時は必ず買っている管理人お気に入りのお土産ですが
早々こちらに来ることがないので残念です
(自宅から4時間くらいかかるんです)
あーーーまた食べたくなってきましたw
コロナが収束したらゆっくりと
南紀へのドライブ楽しみたいです

管理人にすがるように寝てるグレオ君
手を置いてる場所・・・そこ、どこだ?

おいおい・・・

ったく!!
何を言っても起きません

なんて言う格好してるんだかw
管理人にすがるように、べったりしながら寝ています
憎めないグレオ君です

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yuno_2020 at 00:00|Permalink│Comments(22)
2021年02月04日
那智の滝
南紀ドライブ回想編
今回は那智の滝です

朝日が地平線の雲の合間から顔を出しました

那智の滝
ここは、管理人何度も来てる場所なんです
相方と初めての旅行で来たのもここでした
思い出の場所です

滝に向かって参道を歩いてると 野生の親子鹿がいました
枯葉と同化しそうでしたが
お尻の白いハートで鹿が居るってわかりましたw

木に巻きついた、蔓を引っ張っる親鹿

木にすりすり~~♪しちゃって
痒い所があったのかな?

こちらは、小鹿ちゃん
ナイスなモデルさんに
滝を見に来た皆さん、シャッターを切っていました
人気NO1でしたw

那智滝(なちのたき)
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の那智川中流にかかる滝

石英斑岩からなる
ほとんど垂直の断崖に沿って落下し
落ち口の幅13メートル、滝壺までの落差は133メートルに達します
その姿は熊野灘からも望見することができます
総合落差では日本12位ですが
一段の滝としては落差日本1位
華厳滝、袋田の滝と共に日本三名瀑に数えられていて
ユネスコの世界遺産にもなっています

マールたん

なんでしゅかぁ?
呼べばすぐ答える!!
素直なマールです

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今回は那智の滝です

朝日が地平線の雲の合間から顔を出しました

那智の滝
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思い出の場所です

滝に向かって参道を歩いてると 野生の親子鹿がいました
枯葉と同化しそうでしたが
お尻の白いハートで鹿が居るってわかりましたw

木に巻きついた、蔓を引っ張っる親鹿

木にすりすり~~♪しちゃって
痒い所があったのかな?

こちらは、小鹿ちゃん
ナイスなモデルさんに
滝を見に来た皆さん、シャッターを切っていました
人気NO1でしたw

那智滝(なちのたき)
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の那智川中流にかかる滝

石英斑岩からなる
ほとんど垂直の断崖に沿って落下し
落ち口の幅13メートル、滝壺までの落差は133メートルに達します
その姿は熊野灘からも望見することができます
総合落差では日本12位ですが
一段の滝としては落差日本1位
華厳滝、袋田の滝と共に日本三名瀑に数えられていて
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yuno_2020 at 00:00|Permalink│Comments(18)
2021年02月02日
補陀洛山寺(ふだらくさんじ)
南紀ドライブ回想編です
南紀那智駅から歩く事数分の場所に

世界遺産 補陀洛山寺(ふだらくさんじ)があります
こちらの事は、偶然ネットで見つけ
行ってみたいと思ってた場所なんです

この補陀洛山寺は
「補陀落渡海(ふだらくとかい)」の
出発点だったことで知られています
「補陀落」とはサンスクリット語の「ポタラカ」の音訳で
南方の彼方にある観音菩薩の住まう浄土のことをいいます
『華厳経』にはインドの南端にあると説かれているそうで
観音信仰の流布とともに、チベットや中国にも補陀落は想定されました
チベットではラサ北西に建つ観音の化身ダライラマの宮殿をポタラ(補陀落)宮と呼び
中国では舟山諸島の2つの島を補陀落としました

日本においては、南の海の果てに補陀落浄土はあるとされ
その南海の彼方の補陀落を目指して
船出することを「補陀落渡海」といいました
日本国内の補陀落の霊場としては
那智の他に高知の足摺岬、栃木の日光、山形の月山などがありましたが
記録に残された40件ほどの補陀落渡海のうち
半数以上が熊野那智で行われていたそうで
熊野は補陀落渡海の根本道場といってもよい場所だったそうです

ここ那智からは、25人の観音の信者が
補陀落を目指して船出したと伝えられています
境内にある石碑に、それらの人々の名が刻まれていました

↑ こちらが、補陀落渡海船の復元されたもので渡海僧が乗りこんだ船です
補陀落渡海の多くは11月、北風が吹く日の夕刻に行われたそうです
渡海僧は当日、本尊の千手観音の前で読経などの修法を行い
続いて隣の三所権現を拝し、それから船に乗りみました
奇妙な形をした小さな船で、船の上には屋形が作られています
それからその屋形の前後左右を4つの鳥居が囲んでいます
この渡海船の上に立つ4つの鳥居は
「発心門」「修行門」「菩薩門」「涅槃門」の四門を表わしています
修験道の葬送作法によると死者はこの4つの門をくぐっ
て浄土往生すると考えられています

渡海船に立てられた4つの鳥居
渡海船がそのまま葬送の場であることを表わしていました
展示されている船には帆は掛けられてはいません
船出の折には白帆があげられました
渡海僧は、30日分の食料と灯火のための油を載せ
この小さな屋形船に乗りこみました
渡海僧が船の屋形のなかに入りこむと
出て来られないように扉には外から釘が打ちつけられたそうです
渡海船は、白綱で繋がれた伴船とともに沖の綱切島あたりまで行くと
綱を切られ、あとは波間を漂い、風に流され、いずれ沈んでいったものと思われます
船のしつらえや渡海の方法などは時代により異なりますが
補陀落渡海とは、いわば生きながらの水葬であり
自らの心身を南海にて観音に捧げる捨身行だったのでした
戦国時代のこと。金光坊という僧が船出したものの
途中で命が惜しくなり、屋形を破り、船から逃げだして、小島に上がってしまった
役人はこれを認めることができず、金光坊を海に突き落として殺してしまったそうです
そういう凄惨な話が伝えられています
現在、那智浦沖には金光坊(こんこぶ)島と呼ばれてる小島があるそう

平安から鎌倉までは本気で補陀落往生を求めて渡海していたようですが
室町時代以降、儀式化したようで補陀洛山寺の住職は60歳くらいになると
渡海する慣わしになっていたようです
その年を過ぎても渡海しない場合は信者に後ろ指を指されたといいます
南紀那智駅から歩く事数分の場所に

世界遺産 補陀洛山寺(ふだらくさんじ)があります
こちらの事は、偶然ネットで見つけ
行ってみたいと思ってた場所なんです

この補陀洛山寺は
「補陀落渡海(ふだらくとかい)」の
出発点だったことで知られています
「補陀落」とはサンスクリット語の「ポタラカ」の音訳で
南方の彼方にある観音菩薩の住まう浄土のことをいいます
『華厳経』にはインドの南端にあると説かれているそうで
観音信仰の流布とともに、チベットや中国にも補陀落は想定されました
チベットではラサ北西に建つ観音の化身ダライラマの宮殿をポタラ(補陀落)宮と呼び
中国では舟山諸島の2つの島を補陀落としました

日本においては、南の海の果てに補陀落浄土はあるとされ
その南海の彼方の補陀落を目指して
船出することを「補陀落渡海」といいました
日本国内の補陀落の霊場としては
那智の他に高知の足摺岬、栃木の日光、山形の月山などがありましたが
記録に残された40件ほどの補陀落渡海のうち
半数以上が熊野那智で行われていたそうで
熊野は補陀落渡海の根本道場といってもよい場所だったそうです

ここ那智からは、25人の観音の信者が
補陀落を目指して船出したと伝えられています
境内にある石碑に、それらの人々の名が刻まれていました

↑ こちらが、補陀落渡海船の復元されたもので渡海僧が乗りこんだ船です
補陀落渡海の多くは11月、北風が吹く日の夕刻に行われたそうです
渡海僧は当日、本尊の千手観音の前で読経などの修法を行い
続いて隣の三所権現を拝し、それから船に乗りみました
奇妙な形をした小さな船で、船の上には屋形が作られています
それからその屋形の前後左右を4つの鳥居が囲んでいます
この渡海船の上に立つ4つの鳥居は
「発心門」「修行門」「菩薩門」「涅槃門」の四門を表わしています
修験道の葬送作法によると死者はこの4つの門をくぐっ
て浄土往生すると考えられています

渡海船に立てられた4つの鳥居
渡海船がそのまま葬送の場であることを表わしていました
展示されている船には帆は掛けられてはいません
船出の折には白帆があげられました
渡海僧は、30日分の食料と灯火のための油を載せ
この小さな屋形船に乗りこみました
渡海僧が船の屋形のなかに入りこむと
出て来られないように扉には外から釘が打ちつけられたそうです
渡海船は、白綱で繋がれた伴船とともに沖の綱切島あたりまで行くと
綱を切られ、あとは波間を漂い、風に流され、いずれ沈んでいったものと思われます
船のしつらえや渡海の方法などは時代により異なりますが
補陀落渡海とは、いわば生きながらの水葬であり
自らの心身を南海にて観音に捧げる捨身行だったのでした
戦国時代のこと。金光坊という僧が船出したものの
途中で命が惜しくなり、屋形を破り、船から逃げだして、小島に上がってしまった
役人はこれを認めることができず、金光坊を海に突き落として殺してしまったそうです
そういう凄惨な話が伝えられています
現在、那智浦沖には金光坊(こんこぶ)島と呼ばれてる小島があるそう

平安から鎌倉までは本気で補陀落往生を求めて渡海していたようですが
室町時代以降、儀式化したようで補陀洛山寺の住職は60歳くらいになると
渡海する慣わしになっていたようです
その年を過ぎても渡海しない場合は信者に後ろ指を指されたといいます
しかし江戸時代には生者の渡海は行われなくなりました
代わって、補陀洛山寺の住職が死亡した場合は
あたかも生きているかのように扱って
かつての補陀落渡海の方法で水葬を行うようになったそうです
恐ろしいしきたりですよね
こんな事が、実際に行われていたなんて
今の時代では考えられないですね
抱っこしろよ!
(男らしく言い切るグレオ君)
はいはい、どうぞ
膝の上で毛づくろいしていましたが
満足したのか寝ちゃいました
きゅっと体を折って、アンヨがピーンと
力が入ってましたが
すぐに力が抜けていき
だらーーーん状態に
すごい恰好で寝ていますww
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yuno_2020 at 00:00|Permalink│Comments(21)