2019年08月19日
74回目の敗戦の日…、そして夏休みの宿題
74回目の敗戦の日…、そして夏休みの宿題
昨日で地元の夏祭りもひと段落し、今日は東京日程となりました。
さて、今年の74回目の「敗戦の日(終戦だと緩いので敢えて敗戦といいます」は、平和憲法9条のもとで迎える意味合いを深く考えたかったため、様々な文献や報道に触れながら、思い巡らせた時となりました。
昨晩、夏祭り回りから帰宅して、ひろしまという前日NHKで放映された映画(録画)を観ました。
私は、15年前に初当選させて頂いた時に、まず広島(もしくは長崎)と沖縄を国会で仕事をする立場になって、きちんと訪ねておくべきだ、との思いから各々訪問しました。
昨晩真夜中に独り観た映画は自身が国会で何をすべきかを改めて深く心に刻印する機会となりました。
また、添付した元特攻兵のインタビュー記事のように(少年のころ読んだ「きけ、わだつみの声」を思い出しました)、10代の若者の発狂しそうな無念の境地を読み込むにつけ、非戦のために、あるいは世界平和のために、自身に何ができるのか、考え続けたお盆となりました。
現在の、日韓問題や、表現の不自由展などに共通する 人権(表現の自由含む)軽視の風潮は、忘れた頃に歴史は繰り返す、との懸念を感じざるをえません。
自分に与えられた立場の中で、身を挺してでも守るべき平和を、今年から来年は、望まれない平和憲法9条の無理矢理の改憲を防ぐことも含めて、本当に正念場だと覚悟しています。
そうした中で、5年前の今日のフェイスブックを見て、思わず和ませてもらいました。
このお盆も全く家族サービスできず、父親失格の私ですが、5年前の頃に比べて、子供たちは確実にたくましく成長してくれています。もう父の手を離れる日もそう遠くなく訪れることを予期させる子供たちの成長ぶりに時の流れの早さに感じ入るお盆ともなりました。
娘の夏休みの宿題も、これから佳境に入りますが、私自身も大きな宿題を背負ったお盆となりました。
さあ、皆さん、お盆明けの明日からも、にちにちがさら(日々が新)、日々是好日、一日一生の思いで向き合って参りましょう。
昨日で地元の夏祭りもひと段落し、今日は東京日程となりました。
さて、今年の74回目の「敗戦の日(終戦だと緩いので敢えて敗戦といいます」は、平和憲法9条のもとで迎える意味合いを深く考えたかったため、様々な文献や報道に触れながら、思い巡らせた時となりました。
昨晩、夏祭り回りから帰宅して、ひろしまという前日NHKで放映された映画(録画)を観ました。
私は、15年前に初当選させて頂いた時に、まず広島(もしくは長崎)と沖縄を国会で仕事をする立場になって、きちんと訪ねておくべきだ、との思いから各々訪問しました。
昨晩真夜中に独り観た映画は自身が国会で何をすべきかを改めて深く心に刻印する機会となりました。
また、添付した元特攻兵のインタビュー記事のように(少年のころ読んだ「きけ、わだつみの声」を思い出しました)、10代の若者の発狂しそうな無念の境地を読み込むにつけ、非戦のために、あるいは世界平和のために、自身に何ができるのか、考え続けたお盆となりました。
現在の、日韓問題や、表現の不自由展などに共通する 人権(表現の自由含む)軽視の風潮は、忘れた頃に歴史は繰り返す、との懸念を感じざるをえません。
自分に与えられた立場の中で、身を挺してでも守るべき平和を、今年から来年は、望まれない平和憲法9条の無理矢理の改憲を防ぐことも含めて、本当に正念場だと覚悟しています。
そうした中で、5年前の今日のフェイスブックを見て、思わず和ませてもらいました。
このお盆も全く家族サービスできず、父親失格の私ですが、5年前の頃に比べて、子供たちは確実にたくましく成長してくれています。もう父の手を離れる日もそう遠くなく訪れることを予期させる子供たちの成長ぶりに時の流れの早さに感じ入るお盆ともなりました。
娘の夏休みの宿題も、これから佳境に入りますが、私自身も大きな宿題を背負ったお盆となりました。
さあ、皆さん、お盆明けの明日からも、にちにちがさら(日々が新)、日々是好日、一日一生の思いで向き合って参りましょう。