2019年10月11日

救いようのない無力感から立ち上がる責任

救いようのない無力感から立ち上がる責任

先日、娘の通う小学校運動会に応援に行きましたが、そこで先生同士のいじめが児童も巻き込んで行われていると考える親御さんは、私も含めていなかったと思います。

この度の神戸市内の小学校における教員同士のいじめ、またそこに児童を巻き込んでの陰湿さや深刻さに救いようのない無力感や絶望を感じざるをえません。

自身の子が通う学校で起こっていたら、と全ての親御さんは想像したでしょうし、とは言え、当該教員や校長を責めるだけでは、本質的な問題解決にもつながらないからこその無力感や絶望感なのだと思います。

もちろん、責任の所在を明確にせずして、原因究明も再発防止も図れません。それはきちんと究明し、責任も問われるべきです。

同時に、過半数が過労死ライン超えの業務を強いられている現場の先生方の働き方改革(現場の教職員増員や、業務見直しなど)なくしては、いくら当該者を責めても、病根の根治にはつながりません。大多数の先生が一生懸命に子どもたちに向き合ってくれています。同時に、業務過多は、他へのひずみに現れるのも多くのエビデンス(根拠)が示されています。

学校全体のモラル崩壊してしまう前に、抜本的な現場の改善が急務だと思います。

この国会でも、他人事でなく、我が事として取り組みます。
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yunokimi at 08:56│clip!コメント | 国会活動