2006年06月28日

【靖難の変の由来】

【靖難の変の由来】

洪武帝に成り上がった乞食坊主が温厚な息子・幼い孫を心配
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「功臣を殺せ」 「殺せば安心して子や孫に位を譲ることができるんですね」などの
自問を経て大粛清に。
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平気で数万人を殺し、「ヤバい皇帝だなぁ」などと後世罵られる
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洪武帝の死去で「アッー アッー!」と家臣は喜びに悶える
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建文帝は側近方孝孺らに相談をしながら各地の皇族の力を弱める。「気持ちいい!」と悶えながら
皇帝権力を増強させる。このあと、皇族の一人燕王が”難を靖んず”と称し、建文帝に北方から
反乱。「アッ、アッ、アッ、アッ!」と建文帝は兵を集めながら声をあげる。
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大粛清のせいで建文帝軍は将軍に大したのがいない。モンゴルと戦ってばかりだった燕王が一転、攻勢に出て、
建文帝を下にして犯し始める。小刻みに敗走を繰り返しながら、「アッー、アッー、イク!」
と叫んで、建文帝も南京陥落のドサクサに勢い良く行方不明。
あと燕王は方孝孺に即位の詔を書かせ「燕賊簒位」と書かれて激怒、一族皆殺しにしたらしい。


yurai183 at 23:23│その他の歴史(世界史)