ゆらりぶらり

向こう見ずは天才であり、魔法であり、力です。さあ、今すぐ、始めなさい・・・(ゲーテ)。能登半島へ移住した家族の物語。 よい旅と暮らしを探求します。

英気と叡智

119遂に待ちに待った美しい季節が到来!
樹木の葉が開く時、森中に英気がみなぎります。多分そこにいるだけでものすごくいいはずです。

ここで暮らすと季節がカラダに刻み込まれる感じ。まだコタツやファンヒーターを使っていますが、そろそろ要らなくなってカラダを緩ませてもいい頃かな〜、と思ったらあっという間に暑くなります。
北陸では11月から4月まで寒さに気を抜けない時期、というのが実感。実に半年が寒冷です。だからこれから始まる5月から10月までの半年の温暖な時期になにもかもめまぐるしく一斉に動きます。

これは広葉樹も同じサイクルのようで、葉っぱが出ているのがちょうどこの時期です。5月にすべての葉が芽吹いてから一年分の栄養を作って冬芽を作り、11月になると落葉して生命活動を停止します。自然の緩急のリズムは、走りっぱなしの人間たちへ戒めと叡智を示しているように思えます。

光と影

ゴールデンウィークの能登には人がいっぱい!
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東京から友人が来たり、お客様をご案内したり、ガイドとしての私は忙しくも嬉しい日々です。もしあなたに親戚・知人・友人が能登にいれば、やっぱり素晴らしい時間を体験するでしょう。能登のよさは日々の暮らし、衣食住の質にあるからです。でもそういうツテがなく下調べも準備もしなかったのに、このような能登のよさを実感できる機会に恵まれたのなら、大変な幸運に違いありません。

能登が観光で賑わっていたのは大昔、今は細りつつある地元需要で小さな経済が回っているのが日常です。だからいつもの10倍人が来たら、対応する計画性もノウハウもあるはずがない。結果としてGWとお盆に突如としてあふれる観光客は、自らが招き寄せた行列や渋滞、1時間待ちの食事処、欲しいものが無いお店、GSやコンビニの少なさ、果てはウォシュレット未整備のトイレなど都会的な感覚からするとたいへんな不便を強いられ、能登にはもう来ないと言い残して帰る方も少なからずいます。悪いことは重なるもので、県外車狙いでわざとこの時期にネズミ捕りをする能登の警察に青キップを切られれば、お気の毒という他ありません。

交流人口や入り込み数を増やせばいいと思っている昔ながらの姿勢がありますが、その裏の側面として不満を持って帰る人もそれだけ多くなることをよく検証すべきです。それが現実です。

能登フィールドノート

003広報のと裏表紙のスケッチ。第4回は
「MY森」です。

鉢伏山という能登の地味な低山を訪れ続け、“MY森”といえるまで関わりました。いわゆる定点観測です。
木はたくさんあって覚えるのが大変ですが、同じ山をいつも訪れ続けていると一度覚えた木はいつもそこにあって動かないので(笑)、季節ごとの変化を深く感じることができて、どんどん観察眼が鋭くなります。
いつ頃に何の花が咲き、その順番はどうか。山菜はどこにあるか、キノコはどこに出るか。今年は去年と比べて何がどう違うのか。歩き回った体験と共に忘れられぬ地図情報が脳のデータファイルに書き込まれてく感じです。それは一般的で断片的で専門的な図鑑の知識と違って、具体的で全体的で体感的な生き生きとした理解で、それが自然というものなんだな、と思います。

このアプローチは里に暮らす人々が“ヤマ”を見る目にとても近いと気付きました。外部的に第一印象を評価する対象としての自然から、内なるものとして関わり続ける対象としての自然へ。私も少し、里の人に近づけたかな。

アクセスゼロ遊びのススメ

またバイク(笑)。ちょこっと走ればすぐ誰もいない海のSR400。
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ただ走るだけでも、やっぱりバイクはおもしろい。これから能登半島に都会からたくさんのライダーがやってくる季節です。みんな長大なアクセスを突破して能登までたどり着いて、いざ至福、だと思いますが、私は日常的にその楽しみを享受できることにたいへんなシアワセを感じております。リッター34キロ走ったらしく、それならお財布にも地球にも優しい遊びです。能登に住んでるお父さんたちも、もっとツーリングして遊べばいいのに。

カヤックをするなら、バイクと同じことが言えます。
海釣りが好きなら、これも同じことが言えます。
山菜やキノコが好きなら、裏山ですぐ採取です。
地面から生えてくるものを商売にする気になれば、即実行できます。
自転車や歩きで旅するのも、玄関からすぐスタートです。
アウトドア系の遊びなら、ここは特等地です。

人生は何かを成し遂げるにはあまりにも短く、
暇つぶしにはあまりに長い。

パチンコしてるのはもったいない。本当に浪費だと思う。まあ、他人事だけど・・・。

庄屋という宝

060明治時代の黒川区山林農地合勢図。当時はすべて庄屋・中谷家の所領で、金箔の表紙にその誇りが表れています。薄手の和紙にていねいに彩色された地図が綴られて、まるで辞書のように分厚くなっています。これが歴史というもの、お金では作り出せない価値です。

最近、中谷家のご当主と親しくなって何度も中谷家を訪れています。先代がお亡くなりになってから「天領庄屋・中谷家」は閉館され、金沢に住むご当主が黒川に時々通いながら、県の文化財であり個人の所有物でもある中谷家の活用に腐心されています。ご当主自ら「骨董品の化け物」と表現される家屋は痛みが進み、大きな修繕費がかかることが何をするにもネックです。
そこで私たちはその前にもっとやれることがあるのではないかと話し合いを重ねています。共通しているのは観光バスの観光振興はもうありえないし、する必要もないということ。時代は変わりました。それでは何か。かつての「庄屋」が持っていた地域全体をデザインし運営・経営していた機能を現代のこの地に蘇らせられないか、ということ。地域振興策の中軸に「庄屋」の概念を入れ、結びなおす場として、その象徴として中谷家を活用するという考え。そういう地域リアリティがあってこそ中谷家の修繕や活用が俎上に上る、という順番です。

そう考えると岩井戸地区の天領庄屋はかけがえのない宝に思えてきますね!

鉢伏山からの大眺望

鉢伏山のふところの林道からの眺望。
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久しぶりに鉢伏山へ行ってみたら素晴らしい眺望が開けていました。ブナ林のある支陵線を正面に、奥には能登空港や七尾湾、穴水から能登町の海岸線、珠洲の一部、それにもし晴れていれば北アルプス全景が見えたでしょう。眺望のみならず能登半島そのもののボリュームを実感できる場所です。

それにしてもおかしいな?以前は道沿いの木や潅木が視界を遮っていたはずなのに・・・。と思ってよく見ると、道の真下が大きく削られていました。ここは建設中の北河内からの林道が接合する場所だったのです。ずいぶん作業が進みました。

地面や立木には所有権(私有地)があって、眺望のために少し木を切るといってもふつうは大ごとで不可能に近いのですが、林道工事ならたまたまこういうことも・・・ある、ということか。結果オーライ。

ゆうか庵

私が友人に紹介するお宿のひとつ、
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農家民宿「ゆうか庵」は国道249号の能登町と穴水町の町境付近の能登町側にあります。家の前の大きな桜が満開でした。大きな家の中に漆塗りの調度品があり、やはり大きな仏壇や神棚に格式を感じます。能登は僻地だと思って来た人が腰を抜かす重厚な住空間に身を置くことができます。
でも本当の価値は中田さん(女将)の「おもてなしの心」。まずは食。郷土食をベースに工夫を凝らしたお食事。ある女性は「主婦ならどれだけ手間暇をかけているかが分かる」と言って涙しました。ご主人は野菜と米作りで支え、寡黙に女将さんを支えています。一泊二日の間、適度な間合いとさりげない気遣いの中で過ごすことができ、お客様は帰るころにはすっかりファンになって、宿帳に思いを残していきます。それをよりどころにして、中田さんは次のお客様をお迎えします。こうして「一軒の農家」が豊かな人間関係の基軸となりうるのです。

農家民宿とはいっても宿泊業です。従来型のサービス業とは違う何かを求めて人はやって来ます。だれが来てもうちのやり方はこうだといつまでも素人同然の対応では、はじめの物珍しさが過ぎれば人は来なくなります。続けるためにはお客様の声を聞き、迎合したり対立するのではなく、それを活かし続けて変化していくことです。それが分かるかどうかは、おもてなしの心の“センス”が分岐点でしょう。誰でもできるものではありません。

バイクが足

鵜川の山田川の土手は桜が満開でした。
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近々バイクが足になる予定です。今日は3ヶ所でミーティングがあったので予行演習で1日走ってみました。
いろいろと気を遣う感じ。まず、アレコレ積めないから出発前に荷物を厳選。国道やバイパスは車のプレッシャーを感じるので、なるべくひとりきりで走れる旧道や脇道を選んでゆっくり行きました。車より移動時間も余計にかかるし、肉体的疲労も蓄積します。今日は寒くて体が冷えたからなおさら。

それでも移動自体がちょっと楽しくなります。いつもより少し高い目線で視界の流れとエンジンの音色を合わせるように手足を使ってギアを操作します。結局バイク乗りは機械操作が楽しいのかも。SRのエンジン始動はキックだし、ウィンカーは全部手作業なので、おっと消し忘れ、なんてことも。機械任せの安楽にすっかりなまってしまっていたことに気付きながら、適度な緊張感に身を置くことを思い出します。

立ち止まって写真を撮ったりするのも車よりは億劫になりません。ということで感性覚醒装置作動中です。

寺の桜

輪島市三井町興徳寺にある「佛照寺」のしだれ桜。
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県内最大級のしだれ桜で高さ9メートル、樹齢300年。

寺には桜の他、いろいろな花が咲きます。人の目を楽しませるためです。なぜか。寺はかつて近在の人々が集う場、憩いの場であり、心癒す祈りの場だったから、と藤平朝雄さんは指摘します。集いが公民館や交流施設に移っても、祈りの場としての寺の役割は不変であり、桜はその象徴として存在し続けます。

人が集う場に桜は植えられ、桜は常に華やいだ喜びと共にありました。だから学校の校庭はたいてい桜の名所です。しかし、今となってはもうだれもいない廃校の校庭に見事な桜が満開となる姿は・・・それゆえにさびしい。

桜に込められた人の思いに、時に心痛む過疎の春です。

サクラサク

いつも渡る橋の横の桜がやっと満開に。
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海沿いと山間部では5〜7日ぐらいの差があるようですが、だいたいいつもこの時期です。やっぱり春の訪れは首都圏に比べれば遅いですね。

中学時代を柳田で過ごした写真家の中乃波木さんの印象です。

“春が来たという期待に何度も裏切られ、やっと正真正銘の春がやってきたと信じられるのは、『水戸黄門』の紋所のように、桜という紋所が見えた時だというのが、柳田村に来て知った冬であり、春でした。”(季刊能登2012年春号 エッセイ大波小波より)

フネノデンキヤ

010輪島の電気屋さん、日東電機。港町らしく漁船用の明かりを扱っています。その正真正銘の船舶用ライトを電気スタンドにしました。雰囲気満点のマリンランプです。

奥様は“山”の出身で、マリンランプの持つ味わいに心奪われ電気スタンドにすることを思い立ちました。“海”の地で生まれ育った旦那さんには意外な視点でしたが技術面で応援して商品化、ついでに能登のデザイナー萩野さんが一枚噛んで見せ方にひと工夫。“210dk”の出来上がりです。

お店が位置する場所は輪島の海士(あま)が住んでいるところ。狭い路地には子供からおばあちゃんまで全世代がひしめいて能登ではないかのような人口密度!昔懐かしい昭和の横丁がそのままです。マリンランプが持つレトロな味わいは、ここの空気が封印されているから、のようにも思えます。

バイク復活

2年半ぶりにバイクが動くようになりました。
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車検切れと走行不可能な冬季とリスク管理と贅沢は敵だなど諸々の事情が入り混じって長らく御蔵入りしていましたが、通勤の車代わりにSR400を復活することにしました。修理に出した七尾のレッドバロンの敷地内で久しぶりにバイクを操作して極度に緊張しましたが、公道を50メートル走ったらすぐに思い出しました。そこから自宅までの70キロは忘れていた宝物を見つけたような高揚感を味わいました。

車ならうんざりするような狭くて細い道もバイクなら楽しく走れます。お気に入りの甲コースを流しながら、キーを回せばすぐリゾート地という能登暮らしの特権を満喫しました。SR400は50km/h位でのんびり走るとトコトコしたエンジン音がたまらなく気持ち良くって、本当に日本のカントリー・ロードを走るためのバイクです。

新調した革のグローブ。手を通すときの儀式にも似た静粛さが日常のシーンに加わります。

ゲート撤去中

能登有料道路の今浜インターのゲートが撤去中です。
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2013年3月31日正午より、能登有料道路が無料化されました。終点まで1,180円かかっていた通行料金がタダです。全線83キロ、もう小銭の心配もゲートで停車することもなくなりました。5つあるゲートを壊している期間限定の風景です。
ところで無料化で「能登有料」の通称が不適格になり新しい名称が決まりました。

『能登里山海道(のとさとやまかいどう)』

ん〜、当て字が面倒くさいがギリギリ許容範囲か。私ならズバリ「能登道路」にします。まず分かりやすくて短いこと。そして能登の海浜と脊梁を結び能登全域への最速最短アクセス道なのだから、そのまんまの、包括的な名称がふさわしいと思うのですが・・・。

まあ、公共施設に驚愕のダジャレネームがあふれる中では“さとやまかいどう”は軽傷の方です(笑)。

トンネル蔵

トンネルが蔵になりました。
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ここは能登町と珠洲市の境にある元のと鉄道のトンネル跡ですが、宗玄酒造が日本酒の低温貯蔵庫に仕立てました。社屋のすぐ裏にあるトンネルの内部に木製の境を作っていくつかのセルに区切り、中央部が年間を通して14度になるようにしてあります。地下だから自然にそうなります。敷地内にある古い蔵では貯蔵のために冷房しその温度を保っているそうですから、トンネル蔵はエネルギーコスト・ゼロということになります。自然の理と過去の遺産を活用するよい方法です。

冬に仕込んだ酒をちょうどこれから、長期貯蔵にしていきます。

Malfunction

去年7月のメーターの写真。今は214000km。
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愛車の右窓が落ちました。つまり窓が上がりません。これはクルマ仲間内ではよく知られていたゴルフ靴療儀薪症例で、ついに私の番が来たか、という諦念の感覚です。「故障」にすっかり慣れ親しんでいます。

問題は全開のままで悪天候を迎えること。駐車している時はシートで覆い、そのへんのいろいろなものを重りに使って急場をしのぎます。でも走ってしまったらどうしようもなく、まだ寒い外気温と侵入する雨粒や屋根から垂れてくる雫をものともせず、悟り澄まして小事に惑わされず、なにもかも吹き飛ばすようにアクセルを踏み込むのみ。

こうなったらレインウェアと防寒着を着込んでステアリングを握るしかないぜ。ワイルドだろぅ?次に120キロ先の金沢へ行く日まで・・・。

入学式

image2長女が柳田中学校に入学しました。
まだ背負った学生カバンと制服が大きめです。
これまで6年間の小学校時代に比べると、これから高校までの6年間はきっと早いことでしょう。

柳田小卒業生がほぼそのままスライドして新入生となりました。全校生徒81名。少いなと思いました。なんかさびしい感じ。私が中学校に進学した時は周辺の小学校からの卒業生が混じり合って人数が増えて10クラス以上になり、メンバーも入れ替わってドキドキしたものです。まあ、小中9年間同じ仲間というのも、それはそれでいいかもしないけどね。

しかし勉強やスポーツ技能に抜きん出た生徒は、早い時期から決断を迫られます。そのまま進学してもそれを磨く体制が整っていない場合は少し遠い学校へ転校せねばなりません。地方では選択肢が少なく子供の進学先について悩むことが多いと聞いていましたが、この先の高校進学ともなればいよいよ私たちも他人事ではありません。

ちなみに柳田小学校の新一年生は16名でした。これまで各学年1クラスで30人弱を保っていましたが、ついに大きく減少してしまいました。こうなってくると近くに学校があるだけまだいいのかも。

能登フィールドノート

016広報のと裏表紙のスケッチ。第4回は
のとキリシマツツジ」です。

能登の人は桜よりもキリシマツツジの開花を楽しみにしています。
縁あって「のとキリシマツツジ」の素晴らしさを当事者の方々から聞き、その活動にも関わらせて頂いています。そこで知った真価を私だけに留めておいてはもったいない。
だからみなさんにフィードバック。
たとえば花そのものにもいろいろな種類があるのをご存知ですか?その見分け点は?見た人を虜にする山のような深紅だけではない鑑賞ポイントを伝授。

あと1ヶ月後、能登半島全体がキリシマツツジの美術館となります。
開花が楽しみですね。

My New Opportunity

私事ではありますが、4月1日より新しい体制に移ります。

『螢爛薀咼函Ε咼献腑鵝戮鮴瀘し独立しました。これまで培ってきた交流事業や振興策を引き継ぎ、主体的に発展させるためです。柳田(笹川)が拠点です。「蠅屬覆凌后廚麓し、緊密なパートナーとして業務連携を続けます。
同時に「ISICO(石川県産業創出支援機構)」で能登における地域資源を活用した企業支援をお手伝いするために月の半分は能登空港にある石川県奥能登総合事務所におります。

これは現在の私にとって理想的なフォーメーションです。
これまでの「都市農村交流」や「地域コミュニティの気運醸成」には確かな手応えを感じており、さらに発展させるために私自身が自立して動く時期にあったからです。また「生業や地場産業」という大切な分野に直接アプローチするポジションを、今回得たことになります。この三象限がはまれば地域振興の全体が回るという仮説を抱き、この機会を迎えます。

この地域総合ファシリテーターともいうべき新たな挑戦に、みなさんの応援やご協力をぜひお願い致します!

道程

527僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る

ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄(きはく)を僕に充たせよ

この遠い道程のため

この遠い道程のため

(高村光太郎)


米は八十八と書く

013八十八の工程があるといわれる田んぼの仕事。今はその始まりです。

まず目覚ましがわりに稲の種(籾)をどっぷりと水に浸けます。その横では苗箱づくり。土を均等に敷いてならした箱が何十段何列も積み上がります。後でこの箱に種をまいてから保温して、発芽したらビニールハウスの中にびっしりと並べていきます。こうして5月の田植えまでに苗を育てます。稲作農家は4月になると家を空けられません。
先日じんのび歩きでお世話になった水野さんのおばあちゃんが苗箱づくりに勤しんでいました。

東京では桜が満開だそうですが、こちらはまだまだ咲く気配がありません。おだやかな春がやってきたかと思えば、真冬の気温に下がったりもする三寒四温。心のコートを脱ぐのはもう少し先かな。

「のと遍路」小冊子

「のと遍路」の記録をまとめました。
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『のと遍路 〜能登半島 風土巡礼の歩き旅〜』

 なぜ、能登半島を一周したのか
   風の人(ヨソ者)はいかにして“能登人”になれるのか?
   あるいは人生を問い直すにふさわしい場として、能登を
   旅する可能性。   ・・・・・・そうか、歩けばいいんだ。

という導入から始まり106枚の写真で構成したA4版変形サイズ20ページ。photobackのjournalで編集しました。割高ですが1冊から作れる方法です。でも残念ながら公開できる仕組みになっていなくてネット上で見られません。

とにもかくにも記録に残したので田沼政巳以来195年ぶりの快挙が達成されました(笑)。とはいってもこれはまだまだイントロダクション。これからは紀行文としての記録を随時加えながら、能登の魅力を発信する中心軸にするつもりです。
まだ2冊しかこの世にありません(泣)。近いうちにまとまった部数を作ってお世話になった方や希望者に配布したいと思っています。

黒川じんのび歩き

みなさんに”秘密の地図”を見せて大切なことをお伝えしているところです。
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金沢市民40人が能登の田んぼの用水を見て歩くために集まりました(?!)
そんなことでは集客できないと観光会社の人はいいそうですが、はい、この通りです。それともこのプログラムに協力してくれた中谷家の限定公開と手打ちそばのせいかな?(笑)

どこにもある集落なんてありません。観光地ではなくても全てが独自の存在であり、生存するための英知が蓄積しているのです。それは地元では当たり前ですが通りすがりの人には分かりません。それを地元の人からつむぎだし、縁あった訪問者にお伝えするのがメディアとしての私の役割=ガイドです。

「きれいな風景ね」だけではすまさない、眼前の風景の意味をひも解いていく視座にエンターテイメント性を加えたプログラムは理解されたか・・・?「本当に楽しい一日をありがとう。」というお客様の一言に報われます。

雨の宮古墳

能登にも古墳があります。
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中能登に能登部(のとべ)という場所があります。能登の中心という意味だそうで、この周辺には古墳が分布しています。中でも眉丈山エリアには山の頂上を改造して墳墓にした「雨の宮古墳群」があります。標高200メートル弱の頂上からは邑知潟地溝帯の能登最大の穀倉地帯が七尾から羽咋まで一望です。

金沢大の宇野先生が「学生を能登に連れて行く時に、雨の宮古墳群をまず見せるんです」とおっしゃっていたのでいつか見てみようと思っていました。70メートル位の前方後円墳からは死してもなお治めたクニを見渡す権力者の気概が感じられ、また平野部のどこからでも見える墳墓は山の神のごとく民の心に宿ったことでしょう。

能登は古墳時代を想像させるに足る風景のままです。

カンダイコ

夢を語る会ではじめて食べました。
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カンダイコ=寒大根。寒風にさらして凍結乾燥した吊し干し大根。そのまま、または輪切りにして”寒”の間に干します。干し大根の一種ですが、聞くと食べるのでは大違い。そのシャリシャリシャキシャキした歯ごたえが独特で病みつきになりそう。味にヘンなクセもなくて、これは美味しい。

自然のままがいい、と言われるように機械乾燥ではこうなりません。寒くない時期に干しても違ってしまうようです。また能登でも特に寒い岩井戸のような所が適しているともいいます。地元学調査でお話を聞いていた時に「そういえばカンダイコがあった。あれはなかなか美味いもんやったが、だれも作っとらんなあ。なつかしいわ」という声が上がり、ぜひ作って食べてみようというところから今回の試食につながったのです。

これから地域に呼びかけて今度の冬に向けて大根の作付けから準備していくことになりそうです。冬が来るのが楽しみだなあ(笑)。

卒業式

今日、祥奈が小学校を卒業しました。
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小学三年生で柳田小学校に転校し、緊張しながら最初のあいさつをしていた姿を思い出します。今ではもうすっかり馴染んで、29名1クラスしかいませんが友達に囲まれ楽しそうです。
卒業式は、よい緊張感に包まれていました。親として参列し我が子の証書授与を見ながら、自分が卒業した小学校の校歌を思い出していました。

子どもが大きくなるのも、自分が年をとるのも、あっという間の人生です・・・ね。

春よ来い

当目の田んぼの今。
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雪深いここにも春の気配。

岩井戸 今昔物語

特色ある公民館行事の一環で、地域のアルバムを制作しました。
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題して 「岩井戸 今昔物語 〜温故知新の宝さがし〜
とある能登の山村の今と昔を比べる写真集です。ぜひご覧下さい。
(ちなみに全体構成画面の各ページをクリックするとそれぞれのページに移行し、その画面上をクリックすると丸く拡大表示されて文章が読めるようになります。)

これは元はといえば島内英佑さんの『セピア色の吉野川』にヒントを得ました。
時を隔てて同じ場所から写した写真を並べることで、言葉に依らないメッセージが人それぞれに湧き上がってきます。

まず委員の方が中心になって昔の写真を集めることから始まりましたが、その選定段階から既に昔と今のエピソードが交錯し、能登に暮らす誇りを再確認する場となりました。楽しくも意義深いこのアルバムにその成果を感じて頂けるでしょう。他の地域でもこのやり方はオススメです。きっとその地ならではのたくさんの宝が見つかるはずです。

ひとにぎりの塩

ちょうど一週間前に七尾で上映された映画です。
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ひとにぎりの塩
珠洲の塩田のドキュメンタリー。とてもいい映画でした。どうしても地域主体の映画というと安直な切り口に期待を裏切られてばかりいたので、これはうれしい驚きでした。エンドロールの歌で泣きそうになったくらい(笑)。これはひとえに監督の石井さんの誠実さと知性によります。

石井さんはかなり長い間、塩作りの現場に入っていたようで対象との距離の近さが伝わります。またいろいろな立場や方法についても等しくアプローチして距離感を保っていて好感を持ちました。
おそらく石井さんはありのままの能登の暮らしと生業に新鮮な驚きと好奇心を持ったのだと思います。その感性が軸になってフィルムにまとめ上げられています。だからウソやわざとらしさがない。いつの間にか一緒に素直に「塩士」の姿にだんだん引き込まれてしまいます。

これは私が地元学で地域と接した時と同じような感覚や感動が刻まれています。石井さんは塩作りを切り口として、能登人と地域コミュニティーのありのままを見事に切り取った。こういうことが我々ヨソ者の大切な役割です。

石井さんは今、能登杜氏を題材にドキュメンタリーを制作中だそうです。私は大いに期待しています。

能登フィールドノート

155広報のと裏表紙のスケッチ
第3回は「能登の海藻」です。

海があるからこその海藻食文化。
来たばかりの頃は春先の海でとぐろを巻くように繁茂する海藻に驚いたものです。それもそのはず能登沿岸は藻場の面積が広く、ガラモ場(ホンダワラ科主体)は日本一の規模だそうです。中には長さが10メートルにもなるアカモクもあって、まるで海の中の森です。能登は山も海も森だらけ。

のと海洋ふれあいセンターの池森さんは海藻のスペシャリスト。教えて頂いたことをまとめました。いわのり、はば、あおさ、ぎばさ、じんばそう、かじめ、岩もずく、絹もずく、とよく食べられる海藻について標準和名も併記しました。

はじめて知ることをまとめるのは骨が折れました。このページは疲れた。

天領庄屋の掃除

とんでもなく大きい家を掃除しました。
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能登・岩井戸地区の黒川は天領だったところで、庄屋の「中谷家」が代々治めていました。40年ほどの間、ご当主が直々に案内してくれた観光拠点でしたが、2011年にお亡くなりになってからは閉鎖されました。久しぶりに3月20日のツアーで特別に公開されることになり・・・その前にお掃除です。

折しも真冬が戻ってきたかのような天候。雪にすっぽりと囲まれた家の中は冷蔵庫、いや冷凍庫のよう。久しぶりに中へ入りましたが長きの不在のためか眠っているようでした。金沢にお住まいの新しいご当主の中谷直之さんとご家族、地元の人、関係者で有名な漆蔵に至る廊下をモップ&雑巾がけして少しだけきれいにしました。小学校時代の掃除を思い出しました。

けれども予定していた雪囲い用の戸板を外すのはまだまだ先になりそうです。
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