Dive-Deb ―Les gens qui plantait des arbres―

音楽と海と食いしん坊好きのメモ帳です。 最近は震災関連の記事も書いてます。 いろいろ教えていただけると幸いです。

宮城レポート2012.4月 第4話:石巻・女川・南三陸(4)

2012年4月21日(土)22(日)の宮城レポート。
第3話に続き、第4話でも南三陸町の様子を掲載いたします。
(注:記事については、同行者の話や実際の現地の状況を見た私見に基づいており、内容の裏付け調査は行っていません)

南三陸町の被災状況のようすを見終え、仮設商店街としてオープンしている「南三陸さんさん商店街」へ行き、昼食をとることにしました。
http://www.sansan-minamisanriku.com/

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■南三陸さんさん商店街入口

仮設商店街には、飲食店や商店の他に、理髪店や整骨院、写真撮影スタジオなどの日常生活に密着した店舗も合わせ、約30店舗が出店していました。

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■商店街マップ

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■理髪店や整骨院

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■フードコート
フードコートには特設ステージがあり、週末には様々な催し物が開催されているそうです。

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■商店が並んでいる仮設店舗

商店では、海産物や食品を扱っている店舗や、南三陸の名産、お土産品などを扱っている店舗を見て回りました。

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■南三陸の地酒(試飲できます)

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■細工かまぼこ

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■南三陸や復興の土産物グッズ
・こういったグッズについては、長く買ってもらうためにはデザインや品質の良さなども、今後求められて行くのだろうと思いました。

商店街を見て回って一番驚いたのが、南三陸名物の志津川たこ。
鮮魚店に入ってすぐに巨大タコの足に遭遇し、ビックリしてしまいました!
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■巨大な志津川たこの足(写真では迫力が十分伝わらなくて残念)

他にもさまざまな鮮魚が発泡スチロールに詰め込まれており、朝漁れたの生きたままの魚も並んでいました。
店の人と話をしていると、
「炊きたての水だこ、食べたことある?」
と言って、なんと巨大なタコの足をその場で切って、試食させていただきました。
そのタコがとても柔らかく、そして海の香りをいっぱいに含んだ旨味が詰まっていて美味いこと美味いこと。。。
「タコがこんなに美味しいものだとは知らなかった!」
と、同行者のH氏とともに興奮してしまいました。
(なお、タコは身が固くなる“真だこ”と柔らかくなる“水だこ”があるそうです)
志津川たこ、恐るべし。。。このタコは、南三陸ブランドとしてかなり行けると思いました。

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■タコを試食させてくれた「志津川生鮮ロイヤルフィッシュ」さん
今度来たときは、ピチピチの鮮魚も買いたい。タコを買ってたこめしを炊いてみたい!
http://www.sansan-minamisanriku.com/お店一覧/小売店/生鮮ロイヤルフィッシュ/

そして、南三陸町名物のタコを生かした、こんな商品も販売していました。
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■タコぷりん
菓房山清さんという洋菓子屋さんがつくる、サンドイッチマン絶賛のタコのキッシュ。これも美味い。
(※冷凍4個入りなので、持ち帰るか地方発送する必要があります)
http://sendai.apshop.jp/products/detail.php?product_id=130

また、以前僕が被災地支援ファンドで一口出資した「山内鮮魚店」さんの店舗もあったので、「焼き魚セット」をいただいたお礼の挨拶をしました。
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■山内鮮魚店さん
以前、おいしんぼでも取り上げられたことがあったそうです。

さて、昼食では、南三陸町としてプッシュしている“キラキラ丼”をいただきました。

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■キラキラ丼
新鮮なお魚たちが美味い!
キラキラ丼とは、南三陸の旬の海産物を使った海鮮丼。
震災前には年間約4万5000食売れたヒット商品なのだそうです。
飲食店同士でお互い競い合うように出展していました。

このキラキラ丼は、どうやら季節毎にメインにする食材が決められるようで、4月末〜8月中旬までは、なんとウニ!
僕が訪れた直後に始まったということもあり、「ちっくちょう〜俺も食いてぇ。。。(涙)」と、ちょっと涙目になりました。
http://www.sansan-minamisanriku.com/news/キラキラうに丼キャンペーン/

こんな感じで海の幸を満喫させていただいた、南三陸町の仮設商店街。
「三陸の海は面白いなあ」
と、復興を目指し頑張っている商店街の姿や、魅力溢れる海産物の数々に心を打たれました。
これからも顧客のひとりとして、三陸の美味いものたちを食べていきたいと思います。

宮城レポート2012.4月 第3話:石巻・女川・南三陸(3)

2012年4月21日(土)22(日)の宮城レポート。
第3話および次の第4話では、南三陸町の様子を掲載したいと思います。
(注:記事については、同行者の話や実際の現地の状況を見た私見に基づいており、内容の裏付け調査は行っていません)

石巻で『墨廼江』を買った後に、南三陸町へ向かいました。
仙台市から海岸沿いに北上すると、石巻市→女川町→南三陸町の順となり、南三陸町の先に気仙沼市があります。
石巻からは、三陸自動車道を利用して内陸側を北上し、現在の終点のインターで降りて海側へ向かいました。
なお、三陸自動車道は、将来的には仙台〜八戸を結ぶ高速道路の一部となる予定です。
国としても、「復興道路」として東北の沿岸部を結ぶ高速道路の早急な全線開通を目指しています。
(復興道路:三陸沿岸道路(国土交通省HP)http://www.thr.mlit.go.jp/road/fukkou/sanriku)

石巻→南三陸

■石巻市→南三陸町の移動ルートと高速道路・鉄道の状況

海を目指して進んで行くと、いまだ復旧していないJR気仙沼線の鉄道路線の跡がありました。

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■震災後から復旧していない鉄道路線の跡
JR気仙沼線については、鉄道そのものを復旧させる案に加え、従来の鉄道の路線敷に専用道路をつくり、バスを運行させる「バス高速輸送システム」(Bus Rapid Transit、BRT)により復旧させる代替案もあがっているそうです。

ゆとりーと

■BRTイメージ(名古屋市の事例)
【参考】名古屋ガイドウェイバス(ゆとりーとライン)HP
http://www.guideway.co.jp/

BRTの導入により、鉄道よりも安価で公共交通の輸送ルートをつくることが出来る一方、速度の面では鉄道より劣るため、復旧案の意見が分かれているそうです。

道路についても、一部寸断されたままのものがいくつか見られました。

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■震災で破壊され橋脚だけが残った道路

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■内陸の方まで流された船

南三陸町の沿岸部に出て周囲を見て回ると、まっさらな景色と所々に立つ骨組みだけの建物の跡、高く積み上げられたがれきたちがありました。
この日に回った3市町はどこも震災の爪痕が色濃く残っていましたが、南三陸町は特に強烈な印象を受けました。

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■防災対策庁舎跡
いまもたくさんの献花が供えられています。

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■津波の被害にあった建物たち

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■津波で破壊された船の残骸

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■積み上げられたがれきの山たち
フォークリフトがちっぽけに見えます。

案内人のH氏は、
「俺は地元で慣れ親しんで来たから、いまでも震災前の景色や街並も頭に浮かんでくる。
震災直後の状況も知ってるから、いまの光景の酷さがわかる。
だけど、はじめてここにきた人に、この酷さが伝わるだろうか」
ということを懸念していました。
震災前に街があったことを、この光景をはじめて見た人たちに理解してもらえるだろうかと。

確かに地元民と比べると、受ける印象は異なるかもしれません。
しかし、かつてそこに建物があった痕跡が残っているこの光景を目の当たりにすれば、想像もつかないくらいの大きな被害があったこと、被災地の復興にはものすごく多くの時間とお金が必要であることを実感出来ると思います。

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■建物の痕跡だけが残された南三陸町の景色

もし、被災地に興味を持って宮城の方に足を運んでみたいと思う方がいたら、仙台に寄って帰るだけでなく、出来れば石巻や三陸の沿岸部に足を運んで、いまだ問題が山積みの被災地の現状を実感していただきたいと思います。
ボランティアという形でなくても、冷やかしでも何でもいいと思うので、絶対行くべきだと思います。

南三陸町の仮設市場のようすについては、載せたい写真がたくさんあるので次回掲載いたします。
三陸の海の底力、海産物を中心としたこの地域の魅力・面白さも伝えられたらと思います。

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宮城レポート2012.4月 第2話:石巻・女川・南三陸(2)

2012年4月21日(土)22(日)の宮城レポート。
第2話では、石巻市の様子をまとめました。
(注:記事については、同行者の話や実際の現地の状況を見た私見に基づいており、内容の裏付け調査は行っていません)

女川町を後にして、来た道を一旦引き返す形で石巻市へ向かいました。
案内人のH氏は石巻の高校に通ってたので、この街が彼にとっての第二の故郷。
そのため、この日の案内ではカーナビを見ることもなく、各被災地へスムーズに案内していただきました。
右も左も分からない僕にとっては、本当にありがたいことです。

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■石巻水産の鯨大和煮の巨大オブジェ
とんでもなく大きな缶詰が横たわってました。
ちなみにこの大和煮は、結構美味いそうです(H氏談)
営業再開してるようで、仙台駅のおみやげコーナーなどでも売っています。

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■門脇小学校
津波被害と合わせて、重油が流れて発生した火災による焼け跡が残っています。
長渕剛さんが昨年末の紅白歌合戦で歌った場所が、この小学校の校庭だそうです。

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■大量に積み上げられた自動車たち
H氏いわく、これでもだいぶ片付けられた方なのだそうです。

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■集められたがれき

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■水に浸かったままの道路
震災後の地盤沈下で、道路が水に浸かってしまったのだそうです。
この道路は使われず、信号や標識なども設置されたままです。
新しく敷かれた道路を、我々は通行しました。

また、石巻市街地周辺の高台となる、日和山神社に案内していただきました。
馬力の弱い車では登りきれなそうな急な坂を登って行きます。

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■日和山神社から見た景色

津波が発生したとき、日和山より海側にいた人の多くが、急な階段を必死になって駆け上がったそうです。

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日和山

■日和山神社の階段

今回、宮城を訪れる前に気になっていたことは、女川町、南三陸町、気仙沼市には仮設市場があるのに、石巻市には調べても見つからなかったこと。
そのことをH氏に聞いてみると、石巻市は街の規模が周りの市町と比べて大きいこともあり、開けられる店は自分のところで開けて商売をしているのだそうです。

例えば、美味しい日本酒をつくる酒蔵として年々注目度があがっている、石巻の墨廼江酒造さん。
http://www.nipponnosake.com/kuramoto/suminoe/index.html
H氏もお気に入りの『墨廼江』は、とても飲みやすくて美味しいので、どなたにでもオススメできる日本酒です。
特に『600k』というガンダムのモビルスーツみたいな名前の大吟醸原酒は、モーレツに美味いです!
見つけたら是非飲んでみて下さい。
(そもそも600kをいまもつくっているか分かりませんが。。。。)
なお、石巻では、宮城を代表する銘酒の一つ『日高見』もつくられています。
http://www.kagimoto.com/site_sake/xhp_nihonsyu/p_list_hidakami.html

土曜日で墨廼江酒造さんはお休みだったので、近くの酒屋さんで限定純米の4合瓶を買って帰りました。
P-suminoe-tokujyun-hiire1_8


次回は南三陸町のようすを掲載いたします。
南三陸では、いろいろ美味しい食べ物に遭遇したので、食いしん坊の僕としては記事を書くのが楽しみです(笑)

宮城レポート2012.4月 第1話:石巻・女川・南三陸(1)

2012年4月21日(土)22(日)の宮城レポート。
まずは、1日目に行った石巻市・女川町・南三陸町の様子を掲載いたします。
第1話では、女川町の様子をまとめました。
(注:記事については、同行者の話や実際の現地の状況を見た私見に基づいており、内容の裏付け調査は行っていません)

前日深夜バスに乗り遅れたため、新幹線の始発(6:10上野発)に乗って8:00ちょうどに仙台駅へ到着。
「遅刻したら粛正するぞ」
と、1日目の被災地を案内してくれる友人H氏に脅されていたので、無事到着してホッとしました(笑)
仙台駅東口で友人の車に拾ってもらい、まずは女川町に向かうことにしました。
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■写真:仙台駅東口のようす

仙台駅から東に進み、仙台東インターから三陸自動車道を利用して女川へ向かいました。
多賀城市 ⇒ 塩竃市 ⇒ 松島町 ⇒ 東松島町 ⇒ 石巻市(内陸側)を高速道路で通過して、女川町役場付近へ到着。
(所要時間:約1時間半)
これらの地域では、湾で囲まれたり島が防波堤代わりになっている地域(塩竃市、松島町、女川町だと万石浦 など)は、比較的津波被害が小さく、地形的に守られるものがない沿岸部はもろに津波を受けるため、被害が大きい傾向にあるそうです。

仙台__女川地図

■図:仙台〜女川町のルートとおおまかな津波被害イメージ
(クリックすると見やすくなるかも)

そのため、女川町でも万石浦を抜けたあたりから、日常とはかけ離れた光景へと一変しました。
女川町役場周辺地域は、がれきの多くは一旦移動され、まっさらな景色となっていました。

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■女川町:津波被災地のようす

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■津波で横倒しにされたビル(奥のビルは銀行跡)
銀行の社員は4名が亡くなり、8名がいまも行方不明のままだそうです。

女川町を襲った津波の高さは20mを超えたとも、沖にある島では40mを超えたとも言われています。
推定20m超の津波がどれくらいの高さかというと、町役場近くの高台にある病院(女川町地域医療センター)の1階まで津波が到達したそうです。

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■女川町地域医療センター
この建物の1階まで津波が来ました。まったく想像ができない状況です。

津波の被害の有無は高さがすべてとよく聞きますが、実際に沿岸部の低地と高台地域では、まったく異なる景色となっていました。
リアス式海岸という地形上、被害の違いがよりはっきりと現れているかと思います。

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■女川町のようす
まっさらな低地と比較して、奥に見える高地には建物が見えます。

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■女川町役場

女川町役場を通過したあと、高台にある女川運動公園(陸上競技場)に移動しました。
かつて僕もここで競技したこともあるので、懐かしの場所です。
僕が参加した大会の開会・閉会の挨拶をつとめていた当時の女川町長:須田善二郎氏(故人)が、
「大学を卒業した暁には、是非女川町役場へ就職して下さい!!」
と、猛アピールしていたのが笑えました(笑)
面白いおっちゃんだったなあ、須田善二郎。

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■女川運動公園(陸上競技場)
最近まで仮設住宅が建てられていたそうですが、いまはなくなっていました。
写真ではわかりにくいのですが、トラックが地震の影響でゆがんでいました。

女川町を見学し終えて、僕らは次に石巻市へ向かうことにしました。
石巻へ向かう途中、万石浦にある女川の仮設市場に寄ってみました。

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■マリンパル女川お魚市場(仮設店舗)
仮設店舗では、新鮮なお魚・めずらしいお魚や海産物がたくさん売られていて、
「買いたい!でも遠いから買えない(泣)!!」
と、悔しさのあまり地団駄を踏んでしまいました。
やっぱり包丁と調理器具を持ってくれば良かったと、自分の準備不足を後悔しました。
http://www.chuokai-miyagi.or.jp/~marinepal/

女川町をはじめ石巻や三陸地域では、漁業やそれをとりまく水産業を中心に、頑張って街を立て直そうという気運が感じられます。
そして、実際に美味そうなお魚たちを見て、三陸地域の漁業文化のポテンシャルや面白さを実感することが出来ました。
(この話に関する私見は、南三陸の話やレポートの最後でも触れたいと思います)

次回は石巻市のようすをまとめたいと思います。

宮城レポート2012.4月 序:旅の概要

東日本大震災から約1年後。
4月21日(土)新月、22日(日)にかけて宮城県を訪問したので、そのときの模様を順次まとめてみたいと思います。

〜宮城レポート2012.4月 序:旅の概要〜

1.旅程

(1)1日目
8:00:仙台駅着
10:00:女川着→女川・石巻・南三陸を視察
15:00:南三陸→仙台へ移動
午後5:30:仙台の繁華街:国分町で会食
深夜1:30:就寝

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(2)2日目
9:00:仙台市街地を散策(仙台駅→定善寺通り→広瀬川→西公園→仙台駅)
11:30仙台→名取地区へ移動
12:30スリランカセンター着→昼食・オーナーと談話
14:30仙台空港→閖上等を視察
16:00仙台着
17:30仙台駅付近で会食
23:00仙台発→翌朝東京着

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2.移動方法

(1)東京〜仙台
高速バスのWILLER EXPRESSを予約しました。
http://travel.willer.co.jp/
往復ともに、23時〜24時頃発→翌5時〜6時頃着
料金は、3列シートで5,250円、4列シートで3,850円。
ただし、行きは乗り遅れたので、新幹線の始発で行きました(涙)。
上野6:10→仙台8:00 約10,000円

(2)仙台〜女川・石巻・南三陸
こちらへは、仙台在住の友人の車で案内してもらいました(移動時間:約2時間)
電車で移動する場合、仙石線の一部区間は震災で分断されているため、迂回ルートとなります。
(例:仙台−石巻の場合、東北本線で小牛田まで行って石巻線に乗り換える)
また、南三陸町の線路も破壊されたままで、復旧の目処が立っていないようです。

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なお、仙台〜石巻方面へのバスが出ているようです。
http://www.miyakou.co.jp/cms/express/desc/34/

(3)仙台〜名取方面
こちらも同様に、仙台在住の友人の車で案内してもらいました(移動時間:約1時間)
電車で移動する場合は、JR東北本線や仙台空港アクセス線である程度のところまで行けます。

石巻〜三陸方面にせよ、名取方面にせよ、いろいろなところに行くには車が必要かと思います。

3.宿泊
当日に仙台駅付近や繁華街の国分町で宿を探したのですが、土曜日の宿が全て満室でとれませんでした。
ゴールデンウィークでもないし、こんなことは、これまでの仙台では考えられなかったことです。
(現在仙台に在住している方々も驚いていました)
建設業の方など、復興に携わる方が仙台に長期滞在していることが理由という噂もあるそうですが、真相は不明。
いずれにしても、宿は事前におさえておいた方が良いです。

次回から、旅程の内容を具体的に記載したいと思います。
5月末くらいまでに、全部書ききれればよいのですが、出来なかったらゴメンナサイ。

ボランティア団体『ふんばろう東日本支援プロジェクト』のイベント

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3月11日の日曜日は、恵比寿で開催していたボランティア団体『ふんばろう東日本支援プロジェクト』のイベントを覗いてきました。
このプロジェクトについては、様々なメディアで取り上げられていたようなので、ご存じの方も多いかと思います。
代表の西條剛央さん(早稲田大学大学院MBA専任講師)の「構造構成主義」という物の考え方と、ツイッターやフェイスブックをもとに支援者を拡大していく手法で、震災支援の新しい仕組みを次々と生み出して実践しているボランティア団体です。

会場にはこれまでの活動実績のパネル展示がありましたので、いくつか写真を撮ってみました。

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■漁業支援プロジェクト
三陸の主産業となる漁業に対する支援金を募ったり、しているようです。
販売していた煮タコが旨味ぎっしりでめちゃくちゃ美味しかったです。
「西の明石、東の志津川」と言われるくらい、南三陸町の志津川タコは美味しくて有名なようです。

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■家電プロジェクト
僕もホットカーペットを一口支援させていただいたプロジェクトです。
冬物家電を受け取った被災者からの、お礼の手紙が展示されていて、読んでいると目からしょっぱい汗が滲んできました。

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■冬物家電プロジェクトのお礼の手紙

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■物資支援プロジェクト
このボランティア団体の活動の中で最も印象的な支援が、物資支援プロジェクトです。
行政や赤十字の支援が行き届かない被災者を中心に、困っている人たちに直に救援物資を送る輸送体系をつくったプロジェクトです。
今後の災害時の緊急輸送にも応用出来そうな、興味深い輸送システムをつくっています。
また、アマゾンを通じてお買い物をするような感覚で支援できるのも、面倒くさがり屋の僕には画期的なシステムです。



■有事の災害に備えるための提言(↑クリックして大きくして下さい)
上手く写真がとれなかったので、書き直してみました(一部誤記があるかもしれません)。
プロジェクトを通じて、時間の経過とともにどのような支援に重点を置いているかということを示されていて、僕が一番興味を持ったパネルでした。
この団体の認識としては、物資支援については一区切りついたと捉えており、今後は雇用や生活再建等の自立支援に力点を置いていくそうです。
雇用に関するプロジェクトでは、被災者が重機免許を無料で取得できるプロジェクトやミシンを使って布小物等のグッズを作って販売するプロジェクトが行われている他、最近ではパソナなどと連携した雇用支援を進めているようです。

ただ、グッズ類に関しては、今後売れるのかといった不安もあるとスタッフの方も話しており、雇用支援には今後いろいろ考えていく部分があるようです。
また、これまでの物資支援などと比べると、具体的な使途や実施結果が支援者に伝わりにくくなる部分もあるかと思います。
そういった点についても、ボランティア団体として信頼を得ていくために、今後いろいろ考えて行くんだろうなあと思いました。

最後にこの団体のホームページと、関連書籍を紹介しておきます。

【『ふんばろう東日本支援プロジェクト』ホームページ】
http://fumbaro.org/

【関連書籍】
『人を助けるすんごい仕組み』
http://astore.amazon.co.jp/fumbaro01-22/detail/4478017972
『〜被災地からの手紙 被災地への手紙〜 忘れない。』
http://astore.amazon.co.jp/fumbaro01-22/detail/4479392262
(印税のすべてと売り上げの一部は支援活動に使用するそうです)

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七十七銀行で聞いてみた。

「震災義捐金等を振込に行くのが面倒くさい。いっそのこと毎月引き落としてもらいたい」
ということで、東北最大手の七十七銀行へ行ったついでに、義援金や寄附金が自動的に引き落とし出来るか聞いてみました。

七十七銀行は、東京ではたしか茅場町と東銀座の2件だった気がします。
今日寄ったのは、東銀座にある東京支店。
有楽町駅からずんずん進むと、途中で岩手銀河プラザという物産展が見えてきました。

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その先を少し進むと、七十七銀行に到着です。

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「ななじゅうななぎんこう〜?」
違いますよ、お姉さん。
「しちじゅうしちぎんこう」と読むのですよ。
と、こころの中で教えてあげました。

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ATMや振込用紙が置いてあるそばには、義援金のご案内の貼り紙がありました。

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振込手数料が無料です。他の銀行もきっとそういうことはやっているのではないでしょうか。
募集期限が3月で終わってしまうところが多いのが、少々気になります。

店内の様子。

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何年も前ですが、ここの窓口で友人が働いていたときには、ときどき顔を出して小話をしていました。
さりげなく、愛妻弁当を自慢されたことも、あったような気がします(笑)

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銀行では、宮城の様子をまとめたフリーペーパーが配布されています。
宮城ももうすぐ春ですね。
各地域の名産品も、しっかりアピールしていました。

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さて、自動的に引き落とし出来るかという本題ですが、結果的には「手数料がかかるよ」とのことでした。
多分これは、支援の話ではなくて普通の銀行の仕組みの話ですね。
いろいろと無知で、ゴメンナサイ(汗)
今月で終わってしまう(延期になる気もするけど)振込先もあるので、その辺でも難色を示している様子でした。

一応、どれくらい手数料がかかるかメモしたので、自分用の覚え書きとして載せておきます。

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七十七銀行:3万円未満は105円、3万円以上は315円
その他銀行:3万円未満は420円、3万円以上は630円

てことで、とりあえず尻尾を巻いて帰ってきてしまいました(涙)
チキンな私を、どうかお許し下さい。

震災支援:2つの意識とその動機(2)黒田博樹投手のコメント

【前回の続き】
震災支援について、震災直後から漠然と意識していたことは、ありきたりですが次の2つのことです。

(1)長期に渡った継続的な支援が必要だ。なんとなく10年くらい。
(2)1年過ぎたあたりから支援を忘れがちになる気がするから、周りの人くらいには支援の話を発信しておこう。

そして、これらを意識するヒントとなってる、もう一つのお話です。
といっても、直接震災と関係がある話ではありません。
「忘れる」「熱が冷める」という話です。

黒田博樹投手は、僕が愛する広島東洋カープのエースとして活躍した後にメジャーリーグへ羽ばたき、今年は名門:NYヤンキースで活躍することが決まっている投手です。
2006年に彼がFA権を取得したときの最終登板試合、満員のファンが黒田の背番号15の赤いプラカードを掲げ球場を赤色に染め上げ、さらに巨大横断幕にメッセージを書き込み、彼の移籍を引き留めました。
しかし、その1年後はどうだったでしょう。

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■黒田投手のコメント(ホームページより)

2007年の成績は12勝8敗だった。
欲を言えばもっと勝たないといけないという気持ちは強かったが、何とか2ケタ勝利したことで最低限の仕事は果たしたと思う。
それよりも、優勝を目指して心新たに臨んだシーズンでチーム成績が5位に終わったことが残念だった。
結果的に9月27日が広島カープでの最終登板になったが、お客さんが7千人しか入らなかった。
前年の最終登板日は満員だったので、今思えばちょっと寂しい感がある。
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そして、この日の完封勝利を置きみやげに、黒田投手はガラガラの広島市民球場を去って海を渡っていきました。

こういったことから、人は「忘れる」あるいは「熱が冷める」という部分をどうしても持っているのだと思います。
それは自分も例外でなく、というかどちらかというと酷い方だと思います(汗)。
例えば、3月11日の1週間前に当たる3月5日は友人の1周忌だったのですが、徹夜仕事でうっかり忘れてしまいました。(ヒロシくん、ゴメン(涙))
ということで、なんとなく1年という数字があって、それを過ぎたら頑張らないとなあと思った次第です。
これからは、震災支援に対する熱をなるべく冷まさないように、お友達通しで教え合っていくようなことが出来ればいいなあと思います。

東北の秋の風物詩として、屋外で行う芋煮会という鍋パーティがありますが、芋煮には鍋を温めるための薪が必要です。
みんなで大きな大きな芋煮を作るような感じで、少しずつ薪をくべ続けて行けたらいいなあと思います。
そして、支援の大小に関わらず、特に意識的に続けていただき他の人にも伝えてってほしいのが、我々東北に縁のある人たちだと思っています。

震災支援:2つの意識とその動機(1)友人、魂の叫び

震災支援について、震災直後から漠然と意識していたことは、ありきたりですが次の2つのことです。

(1)長期に渡った継続的な支援が必要だ。なんとなく10年くらい。
(2)1年過ぎたあたりから支援を忘れがちになる気がするから、周りの人くらいには支援の話を発信しておこう。

そして、これらを意識するヒントとなってるのは、以下の2つです。

(1)仙台在住の友人のメール
(2)黒田博樹投手(現NYヤンキース)の広島市民球場最後の登板

まずは、(1)の友人のメールを紹介します。
以下、引用。

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地震から2週間が過ぎ、沿岸部の悲惨な状況が日に日に明らかになってきています。
幸い、自分の親族は皆無事で家もありますが、全てをうしなった人達のことを思う
と、本当に心が痛みます。

同僚にも行方不明の方がいます。
見慣れた風景も一瞬でなくなってしまいました。
そういった方々が、最低限の生活を取り戻すのにどれくらいかかるのか、大好きな宮城県が、石巻が、気仙沼が、もとの活気を取り戻すのにどれくらいかかるか、全く検討もつきません。

世界中から支援の手が続々と差し延べられ、本当に自分ごとのように感謝の気持ち
で一杯ですが、それでも被災者の方がもとの生活を取り戻すのには足りないでしょう。
家がないのです、将来の生活の見通しがたてられないのです。
このような状況の中で、果たして彼等は何に希望を見出だせばいいのでしょうか。

そこで皆さんにお願いです。
是非被災地に募金をして頂けないでしょうか。
そして回りにいる沢山の方々に呼びかけていただけないでしょうか。
これから同じ時代を生きていく人間として、是非手を差し延べてあげてください。

宮城の悲惨な状況を考えると、自分の仕事もどうなってしまうかわかりませんが、地銀マンとして、生まれながらの宮城県人として、今後の人生を宮城の復興に捧げる覚悟です。

こんな惨事、二度とあってはいけない。
自分の近辺におこったときばかりこんなこと言って後ろめたい気持ちもありますが、どうか宮城を、被災者を助けてください。

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このメールから、復興にはものすごく巨大なお金と、ものすごく長い時間がかかるということを直感的に理解できました。
また、時間がかかるということは、何度でも支援する必要があり、それは逆にうっかり支援をサボってしまっても、いつでも支援する側に戻れるんだと思いました。
仕事が忙しいとか、家庭で困ったことが起きたとか、気になるあのコが振り向いてくれないとか、ぶっちゃけ振り込みに行くのが面倒臭いとか(これは僕のことですが(^_^;))、おのおのがいろんな生活の事情があると思うので、また支援に興味を持ったところでシレっと戻って来てもらえるといいなあと思います。
(ほぼ自分に言ってます)

この1年で僕自身支援をさぼりがちになってますが(汗)、仲間が助けを求めるこのメールをもらったことは、忘れられません。
そして、このメールの内容はいまでも、そしておそらく来年も再来年も有効だと思います。
「僕の出来る範囲で協力する」
と彼に返事をしてバラまいたこの文を、今年も引用させていただきたいと思います。

次回は何故か、震災と全然関係ない、メジャーリーガーの黒田投手のコメントを紹介します。

仙台集会:準備

昨日から、来月の仙台集会の計画を参加者と相談しはじめました。
仙台の友人たちには、正月の時点で「4月に仙台に行く」と伝えていたので、ようやくその計画を立てはじめたところです。

僕がザックリとしたスケジュール案をメールしたら、
「被災地みるなら石巻か南三陸は絶対見ておくべき。まだ傷跡深いからね」
「石巻方面に行くなら、時間に余裕があればですが、女川も見てください。筆舌に尽くしがたい光景です」
というアドバイスをいただきました。

やはり、現地の人のアドバイスは聞いてみるものです。
もっと早くから、いろんなことを聞いてみた方がよかったのかもしれませんね。
今朝のテレビでも言ってましたが、宮城ではガレキ処理や地盤沈下などの問題が酷く、それは実際に現地を見てもらわないと伝わらないとのことでした。

「特にボランティアをするわけでもなく、救援物資を持って行くわけでもなく、ただ物見遊山的に現地に行ってしまってよいものだろうか」
という気持ちを震災直後からいままで思っていました。
でもやはり、一度現地の状況を実感しておかないと、僕の場合は重い腰を上げることが出来ないような気がしています。
そしてどうやら、1年経ったいまでもまだまだ復興の道は遠く、それを現地で確認してきた方が良いようです。

仙台が第二の故郷である僕が、これから考えていきたいことは、
「東北に縁もゆかりもないない人たちに、いかにして今後復興支援に関心を持ち続けてもらうか」
ということです。
自分が出来ることはとても小さく、多分趣味のレベルを超えることは出来ないと思いますが、せめてお友達くらいには支援に関する情報を共有したり、教えていただいたり出来たら良いなあと思います。
僕自身、普段の生活がありますから、これまで通り月並みな支援しかしないと思いますが、細く長くやっていきたいと思います。
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」といった感じで、僕もすぐ忘れがちなので、気づいた人はときどき叱って下さい(笑)
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