小学2年生だった私は、当時一人っ子だった 
母のお腹には双子が宿っていて、春には弟か妹かもしくはその両方が生まれる予定だった 
父は出張で留守にしていて、家には私と母だけだった 
明け方、突き上げるような衝撃が来て続いて激しい揺れが来た 

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寝室の窓が割れて、本棚が倒れ、机の上においていたランドセルが壁まで飛んで落ちた 
ベットから降りることも身を起こすことも出来ず、揺れがおさまるまでベットの支柱にしがみついていた 





遠くでズズズズッと低い地響きがしていた 
数分後揺れがおさまり、母のもとへ行こうと自室を出ようとしたが、ドアが歪んでいるのかノブが回らなかった 
割れた窓からガラスに気をつけながら外に出て、玄関に回って鍵を使って家に入り直した 
親の寝室に入ると、母はベットの上でうずくまっていた 
母に駆け寄ると、尋常じゃない汗をかいて苦しそうに顔を歪めていた 
母の手を掴んで立たせようとしたが、ゆるく首を振るだけで動けないようだった 
ふと見ると布団が濡れていた 
恐怖で失禁したのかと思ったが、僅かに血が混じっているのが見えて悲鳴をあげた 
母は言葉も出ない様子だったが、子供心に赤ちゃん達に何か起きているんだと思った 
それ迄、怖くて母のそばに行きたい一心だった私だったが 
思えばその瞬間「姉」という生き物になったんだと思う 


赤ちゃん達を助けなきゃ!私が守らなきゃ!とはっきり思い 
電話に走った、電話の前の壁には「もしもの為に」とかかっている産婦人科の電話番号が貼ってあった 
父から、何かあったらここに電話するように言われていた 
頭の中で自宅の住所と母の名前を暗唱しながら電話をかけたが、数回のコールの後無音になった 
驚いてもう一度電話したが、電話は繋がらなかった 
母の寝室に戻って、寝室の子機を使ってみると今度は繋がった 
夢中で母の名前と住所を伝え、母が出血していること、受け答えが出来ない状況であることを伝えた
その後は、指示どうり母の体温が下がらないように布団でくるみ 
手を握って母に呼びかけ続けた 
うっすら日が差してきた頃、やっと救急車が到着した 
担架に乗せられた母と外に出て、見慣れた景色が一変していることに絶句した





夢中で窓から玄関に回ったときは、周りが真っ暗で何も見えなかったが 
向かいのマンションが半分ほどの高さになっており、遠くで火が上がっているのが見えた 
普通だったらショックで動けなくなっていたかも知れないけど 
その時の私は、赤ちゃん達と母を助けることに第一に意識が向かっていた 
救急車はなかなか走り出さなくて、私はイライラして叫びだしそうだった 
やっと走り出しても、すぐに止まったりのろのろ運転でなかなか病院に着かなかった 
今思えば、車両がまともに走れる道路状況じゃなかったんだと分かる 
母はそのまま帝王切開で赤ちゃんを産んだ 
元々双子で小さかった上に、7ヶ月の未熟児で1000gあるかないかという小ささだった 

その後、近所の人の伝言で父が病院に来るまで、どこで寝て何を食べていたのか記憶にない 
父は地震を知り、大阪まで電車で戻り、大阪から徒歩で家まで駆け戻ったが 
自宅に着いたら、地震後の火災で自宅は全焼していて母と私が死んだと思い絶望したという 

その時生まれた弟たちは、弱視や病気を患いながらも無事に高校を卒業して、今は大学生と新社会人になった 
あの時の、妙に頭がすっきりしてやるべきことを冷静にこなせた自分に感謝している