2008年03月
2008年03月27日
引越し
3月21日夜のお船で、北海道に別れを告げ
翌22日朝、宮城県に到着いたしました。
少しずつ色々、書き残しておこうと思います。
3月21日は、朝8時半に引越しやさんが到着。
その前に、邪魔になる子供達は母とともに妹宅へ行っていたので
夫と二人、プロの仕事を観察w
何もすることが無いから、ただただ観察www
ハウスクリーニングが入るので掃除もしなくていいから、本当にすること無し(笑)
11時前には作業も終わったので大家さんに来てもらって鍵返却。
6年近く住んだ家と、お別れをしました。
思えばこの家には色んな思い出が詰まっています。
父を亡くし
世名、拓空が生まれました。
そして、本当に引越し直前の2008年3月6日、
そんな私達一家をずっと見つめてくれていた
猫の佐助が亡くなりました。11歳でした。
実は、まだ転勤が決まる少し前の一月半ば、
佐助がひどいめやにだったので病院に連れて行ったところ
目の病気と言うのではなく、内臓疾患から目にも症状が出ているのだろうと言われ
検査の結果、腎不全であることが判明したのです。
入院治療もして少し回復していたように見えたのですが
主治医には、やれるだけの治療をしても年単位での生存は難しいと宣告されてしまいました。
つまり、延命するか否かを決めて欲しいと言うことでした。
同時期、転勤の話が決定。
再度主治医にその話をすると
連れて行けるとしたら飛行機での空輸にするのが一番安全だけれども
佐助は普通の状態ではないので絶対大丈夫とは言い切れない、
そして、春まで佐助がもつかどうかも・・・というお話でした。
夫と話し合って、延命治療はせず
まだ食欲のあるうちに佐助に美味しいもの、好きなものを食べさせて
好きなように過ごさせてあげようと決めました。
それでも2月中は結構元気で
私も夫も、この分なら一緒に引越しできそうだと
そのための準備を進めていたのですが
3月に入ると急激に容態が悪化してしまいました。
あれほど好きだった鰹節も食べられなくなり
一日何回も欲しがって飲んでいた水も飲めなくなり
歩こうにも、下半身がついていかなくてふらふらするようになりました。
そして6日。
佐助を可愛がってくれていたH伯母が、ちょうどお見舞いに来てくれていた日でした。
キッチンの隅のほうにいた佐助が痙攣をしているみたいになって
H伯母が私を呼びました。
抱っこして、何度も声をかけたけれど
呼吸がどんどん弱弱しくなって
そのまま、眠るように旅立ってゆきました。
夫が出張中で最期を看取って上げられなかったのが残念で
泣きながら夫に不幸を知らせましたが
夫は「佐助はきっと、俺には見せたくなかったんだよ・・・」と。
あと二日で、夫が帰宅する日だったのにね・・・
夫の帰宅を待って、3月9日、すごく天気のいい日に
ペット霊園で葬儀を行ってきました。
私達一家と、妹にむー、母、H伯母で
お花を入れて、一番好きだったご飯と鰹節を入れて。
お別れは本当に辛くて・・・
理輝も、もう色々わかるからすごく泣いてました。
でも、きちんと最後に佐助をなでてあげて、えらかったよ。
車では理輝が、骨になった佐助をずっと抱っこしていてくれました。
さあくん、今まで私達をずっと支えてくれてありがとう。
ずっとずっと忘れないよ。
どうか、ゆっくり休んでね。
虎鉄とも、佐助の前にお別れをしていました。
というのも、もともと虎鉄は妹みゆももの猫ちゃんだったのです。
出発の日、ちらっと妹宅に寄ったとき会っていったけど
なんか他人行儀っぽくなってて寂しかったなあw
でも、みゆもものところにはももちゃんもいるし、仲良くするんだよ!^^
そんなこんなで、
三月中旬は荷造りをがんばり
今まで住んでいたところの近くにアパートを借りることになった母の荷物を
少しずつ運んだりしながらなんとか引越し支度が完了。
子供達がこの冬風邪知らずだったのは本当に奇跡的。助かりました。
そして、出発の日を迎えたわけです。
苫小牧港には、母、妹一家、夫の父、H伯母と
6人が見送りに来てくれました。ありがとう!^^
14時間の船旅。
何度も出張でこのお船に乗ったことのある夫が言うには。
「今までで一番ゆれた」
・・・・・・
だよねーーーー!?
廊下とか歩いていたらふつーに転びそうになるし
っていうか拓空なんか何度も転んでいたし
とにかく。。。
立ってても座ってても、気持ち悪いんだよーっっ(泣)
夫は乗り物酔いをまったくしない人間だし
ほかは子供だけだから、苦しむのは私だけか・・・
と思いきや本を出して読んでいた理輝が
「ゲボでそう。。。」
吐きはしなかったものの少し酔ってました。
そらそうだ!だから本はやめろと言ったのにw
でもね、私も理輝も横になりさえすれば
ぴたっ
と、面白いほど気持ち悪いのが止まる。
だから子供達の歯磨きとかも寝転がってやってました。
何だかだらしないけど(笑)
更に、就寝してしまえばまったく平気。
みんなぐっすり眠れました。
ただ・・・
部屋がなぜかすごく暑くて私は寝起きに鼻血を出しました(爆)
大人になってからの鼻血って、いや。。。w
でも、揺れはかなり落ち着いていて
まだくらくらしていたものの朝食バイキングはしっかり食べられました。
そしてついに下船。
着いたぞ、宮城県!!^^
続きはまた今度。
翌22日朝、宮城県に到着いたしました。
少しずつ色々、書き残しておこうと思います。
3月21日は、朝8時半に引越しやさんが到着。
その前に、邪魔になる子供達は母とともに妹宅へ行っていたので
夫と二人、プロの仕事を観察w
何もすることが無いから、ただただ観察www
ハウスクリーニングが入るので掃除もしなくていいから、本当にすること無し(笑)
11時前には作業も終わったので大家さんに来てもらって鍵返却。
6年近く住んだ家と、お別れをしました。
思えばこの家には色んな思い出が詰まっています。
父を亡くし
世名、拓空が生まれました。
そして、本当に引越し直前の2008年3月6日、
そんな私達一家をずっと見つめてくれていた
猫の佐助が亡くなりました。11歳でした。
実は、まだ転勤が決まる少し前の一月半ば、
佐助がひどいめやにだったので病院に連れて行ったところ
目の病気と言うのではなく、内臓疾患から目にも症状が出ているのだろうと言われ
検査の結果、腎不全であることが判明したのです。
入院治療もして少し回復していたように見えたのですが
主治医には、やれるだけの治療をしても年単位での生存は難しいと宣告されてしまいました。
つまり、延命するか否かを決めて欲しいと言うことでした。
同時期、転勤の話が決定。
再度主治医にその話をすると
連れて行けるとしたら飛行機での空輸にするのが一番安全だけれども
佐助は普通の状態ではないので絶対大丈夫とは言い切れない、
そして、春まで佐助がもつかどうかも・・・というお話でした。
夫と話し合って、延命治療はせず
まだ食欲のあるうちに佐助に美味しいもの、好きなものを食べさせて
好きなように過ごさせてあげようと決めました。
それでも2月中は結構元気で
私も夫も、この分なら一緒に引越しできそうだと
そのための準備を進めていたのですが
3月に入ると急激に容態が悪化してしまいました。
あれほど好きだった鰹節も食べられなくなり
一日何回も欲しがって飲んでいた水も飲めなくなり
歩こうにも、下半身がついていかなくてふらふらするようになりました。
そして6日。
佐助を可愛がってくれていたH伯母が、ちょうどお見舞いに来てくれていた日でした。
キッチンの隅のほうにいた佐助が痙攣をしているみたいになって
H伯母が私を呼びました。
抱っこして、何度も声をかけたけれど
呼吸がどんどん弱弱しくなって
そのまま、眠るように旅立ってゆきました。
夫が出張中で最期を看取って上げられなかったのが残念で
泣きながら夫に不幸を知らせましたが
夫は「佐助はきっと、俺には見せたくなかったんだよ・・・」と。
あと二日で、夫が帰宅する日だったのにね・・・
夫の帰宅を待って、3月9日、すごく天気のいい日に
ペット霊園で葬儀を行ってきました。
私達一家と、妹にむー、母、H伯母で
お花を入れて、一番好きだったご飯と鰹節を入れて。
お別れは本当に辛くて・・・
理輝も、もう色々わかるからすごく泣いてました。
でも、きちんと最後に佐助をなでてあげて、えらかったよ。
車では理輝が、骨になった佐助をずっと抱っこしていてくれました。
さあくん、今まで私達をずっと支えてくれてありがとう。
ずっとずっと忘れないよ。
どうか、ゆっくり休んでね。
虎鉄とも、佐助の前にお別れをしていました。
というのも、もともと虎鉄は妹みゆももの猫ちゃんだったのです。
出発の日、ちらっと妹宅に寄ったとき会っていったけど
なんか他人行儀っぽくなってて寂しかったなあw
でも、みゆもものところにはももちゃんもいるし、仲良くするんだよ!^^
そんなこんなで、
三月中旬は荷造りをがんばり
今まで住んでいたところの近くにアパートを借りることになった母の荷物を
少しずつ運んだりしながらなんとか引越し支度が完了。
子供達がこの冬風邪知らずだったのは本当に奇跡的。助かりました。
そして、出発の日を迎えたわけです。
苫小牧港には、母、妹一家、夫の父、H伯母と
6人が見送りに来てくれました。ありがとう!^^
14時間の船旅。
何度も出張でこのお船に乗ったことのある夫が言うには。
「今までで一番ゆれた」
・・・・・・
だよねーーーー!?
廊下とか歩いていたらふつーに転びそうになるし
っていうか拓空なんか何度も転んでいたし
とにかく。。。
立ってても座ってても、気持ち悪いんだよーっっ(泣)
夫は乗り物酔いをまったくしない人間だし
ほかは子供だけだから、苦しむのは私だけか・・・
と思いきや本を出して読んでいた理輝が
「ゲボでそう。。。」
吐きはしなかったものの少し酔ってました。
そらそうだ!だから本はやめろと言ったのにw
でもね、私も理輝も横になりさえすれば
ぴたっ
と、面白いほど気持ち悪いのが止まる。
だから子供達の歯磨きとかも寝転がってやってました。
何だかだらしないけど(笑)
更に、就寝してしまえばまったく平気。
みんなぐっすり眠れました。
ただ・・・
部屋がなぜかすごく暑くて私は寝起きに鼻血を出しました(爆)
大人になってからの鼻血って、いや。。。w
でも、揺れはかなり落ち着いていて
まだくらくらしていたものの朝食バイキングはしっかり食べられました。
そしてついに下船。
着いたぞ、宮城県!!^^
続きはまた今度。