2011年01月01日

謹賀新年&ブログの今後

新年明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

ということで、去年はツイッターを始めてみたたわけですが、ブログを止めることは相変わらず考えてません。雑感とか演奏会の感想などが不定期に現れる緩い場として残しておこうとは思っています。

確かに、自分としてはブログを、社会に向けて一方的に意見を発信していく場と言うよりはコミュニケーションツールの一つとして位置付けていたので、ブログをめぐる環境が変わってしまっているのにこういう形で続けていくことが本当に続けているといえるのか…という思いも若干あります。

ただ、自分にとってツイッターのほうが良い点といえば「あまり気を使わずに何でも書ける」「忙しくてもできる」「みんながやってる」というくらいで、どちらが好きかと言われればやっぱりブログの方が好きです。あっちで言うようなことをこっちで言って悪いことは何もないし、気が向いたらこちらでも書いていこうかと思います。
「気が向く」かどうかというのが自分の意志より環境に左右されるというのが最大の問題なわけですが…。

ともあれ、今年がよい年でありますように!


yusuke_1974 at 10:56|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2010年11月01日

アーノンクールの『天地創造』

ハイドン オラトリオ『天地創造』
 
 ドロテア・レッシュマン
 ミヒャエル・シャーデ
 フローリアン・ベッシュ
 アーノルト・シェーンベルク合唱団
 ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
 指揮:ニコラウス・アーノンクール

 2010年10月30日
 サントリーホール

 アーノンクールの演奏は、右脳と左脳をともにフル回転して臨むことを要求されます。
 特にそれが顕著に表れるのがオペラなど声楽曲で、CDで歌詞よく分からないまま聴いていた段階では「何でこんな大事なところ適当に流すんだろう」「何でこれほど美しい個所を無感動にやるんだろう」等々疑問の嵐だったのに、歌詞やドラマ全体の流れを理解して聴くと、むしろそれまで他の表現で満足できていたのが不思議になってくるくらい途轍もない説得力でねじ伏せられてしまう、ということがよくありました。今回も多かれ少なかれそんな感じ。

 今回アーノンクールの演奏で『天地創造』を聴いて改めて思ったのは、この作品、人間が作られるまでの部分のウェイトがやたらと重いということ。聖書では1ページ半くらいの記述にあたる部分を、延々と時間をかけて歌っていく。特に今回の演奏では標題的、描写的表現がこれでもかというほど強調されていて、嵐、雲、星、鳥や獣など、個々の自然物の物質的な肌触りが克明に感じられました。
 まだ人間のいない世界なので「陸ができた」「雨が生まれた」などと言っても人間にとっては別にいいことでも悪いことでもない、でもそれが大いに喜ばしい。
 ベートーヴェンの「田園」のような人間の心のフィルターを通した自然ではない、人間なしでもただそこにごろんと転がっている自然の生々しさ。聖書的な人間中心主義とも、周りを自分色で塗りつくすロマン主義的とも違う、透明な理性によってとらえられる自然の世界、それが実に瑞々しい。
 時折、「雲雀はまだ悲しみを知らない…」と人間的な情感を仄めかす歌がフルートのオブリガートを伴って実に艶めかしく響いたりもする。
 
 このあたりに既に伏線が張られていたわけですが、プログラムのアンケートにもある通りアーノンクールという人は進歩というものに対して本当に悲観的なのだなと感じたのが第3部。独唱には華々しい個所もあるものの、全体的にアーノンクールの音楽作りは抑制を感じさせるもので、人間が創られても、特にそれが他の自然物の創造に比べて喜ばしいという感覚は前面に出てこない。
 特に最後の合唱は、迫力は凄まじいものの一方で引き摺るような重みも感じました。その直前に天使ウリエルが発する「楽園追放」を示唆する一言の中に、現代までの人間史の全てを重ね合わせたのか。決してカタルシスは残さないけれど深い余韻を与える、そんな終わり方。
 
 会場は大盛り上がり(日本人のブラヴォーはブーと区別が付きにくくて一瞬どきっとしますが、たぶんみんなブラヴォーだったのだろう)。ただあちこちで指摘されているように、空席が多かったのが残念でした。やっぱりチケットが高すぎたんではなかろうか。

yusuke_1974 at 00:24|PermalinkComments(0)TrackBack(2)

2010年10月30日

Happy Halloween!

…まだか。

しかしまた放置してしまった。10月忙しかったし。
いや別に特に書くことはないんですが、トップがあのCDジャケだと何だか不吉な感じがするので、とりあえず空エントリを。

そのうちまた更新します!



yusuke_1974 at 00:45|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2010年08月29日

ダントーネ&アカデミア・ビザンティナのハイドン協奏曲集

dantoneこういうエントリ、久しぶりー。
ついでに新譜(準新譜?)を買うのも久しぶり。といっても既に早々と中古になっていたのを買ったんですが。

なぜかアマゾンにリンクできませんが、曲目は以下の通りです。
 チェンバロ協奏曲ニ長調 Hob.XVIII:11
 ヴァイオリン協奏曲ト長調 Hob.VIIa:4
 ヴァイオリンとチェンバロのための協奏曲ヘ長調 Hob.XVIII:6


ニ長調の協奏曲はモダン、ピリオドともに録音数が多いものの、チェンバロで演奏されたのはこれまでピノック盤しか聴いたことがなかったのですが、少なくともピノックの演奏を聴いたときに、この曲をチェンバロでやることへの違和感は特に感じませんでした(初版ではハイドン自身がチェンバロを使っても可と書いている)。
一方このダントーネ版。少なくともニ長調の協奏曲に関して言えば、「こういうアプローチでやるなら、フォルテピアノを使ってほしかった」というのが正直なところ。
古楽オケ演奏も、チェンバロ演奏も、この20年で見違えるほど変化したものの、特に大編成のオケとチェンバロではかなりその方向性が違うと思うんですが、この演奏はそういう質的な違いを無視したまま、それぞれの最先端をくっつけてしまった、という印象です。特にオケの響きや表現の幅がダイナミックで、細かい仕掛けの一つ一つさえ迫力満点なくらいなので、いくらチェンバロが装飾やアーティキュレーションで色々凝ってみたところで、何だか玩具の鍵盤みたいな音でチャラチャラやっているな、という感じにどうしてもなってしまう。
同じ異質な組み合わせでも「パスタと納豆」とか「パスタとキムチ」なら何か新しい味が産まれる可能性がありそうだけど「パスタとガム」じゃどうしようもないだろう、というのに似て、これはコンセプトのレベルでやや無理があるような気もします。ただ、所々ついていけないところもあるものの、基本的には80年代古楽に望めない面白さ満載な演奏なので、上記の点を頭の中で差し引けばかなり楽しめるものではあります。

最後のヴァイオリン&チェンバロ協奏曲は、オケが弦だけというのもあってか、そう違和感はありません。
確かに同じことやっていてもヴァイオリンの方がはるかに雄弁だというのはあるし(例えば、ヴァイオリンの「キュコキュコキュイ〜ン!」というパッセージをチェンバロがそのまま反復してもチャラララララーン。」としかならない)、例えばコンチェルト・ケルンがやったメンデルスゾーンのヴァイオリン&ピアノ協奏曲みたいな丁丁発止のスリリングなやり取りが両ソリストの間で繰り広げられる、ということはないのですが、まあ曲自体がどっちかというと肩の力抜いた系なので、このくらいの緩さがちょうどいいかもしれません。

で、このCDの白眉は明らかに二曲目のヴァイオリン協奏曲ト長調。この曲もピノック&スタンデイジ盤を持っているのですが、これはもうダントーネ&モンタナーリの圧勝です。
そもそもこれ、そんなに面白い曲だと思ってなかったんですが、この演奏は粋な歌い回しあり、攻撃性あり、超絶技巧あり…と、次から次へと出てくる表現の多様さで息もつかせません。こんなに引き出しの多い曲だったことに改めて驚嘆。時に劇的で時に艶っぽくて、あたかもヴィヴァルディの後裔としてのハイドンという趣き。

yusuke_1974 at 18:28|PermalinkComments(2)TrackBack(1)

2010年08月19日

イポーニヤ@浦潮

vladivostok 141今までロシアというと「=9時間飛行機に乗って行くところ」という感覚だったので、成田から2時間で着いてしまうロシアというのは私にとって神秘でした。
だいたいモスクワに3年間住んでいた間に、ウラジオとか極東のことなんて考えたことがあったかどうか。よく言われるように、モスクワにいると他の都市のことをあんまり考えなくなるし、ロシアがあれだけの領土を持っているということもしばしば忘れてしまいます。ロシア人の知人の間にもこの辺に行ったことがあるという人を聞いたことがないし。

で、そんな偏ったロシア観を抱えつつのテラ・インコグニタ潜入と相成ったわけですが、実際町を歩いてみても、たまに見かけた観光客を除けば、東アジア系の人が多く歩いているということはなく、むしろモスクワより少ないくらい。こういった面では、日本や中国や韓国、北朝鮮との地理的な近さを感じる機会はありませんでした。
コーカサスや中央アジアかな、という人は時折見かけましたが(例えば、モスクワなどでもそうですがオレンジ色の上着を着て道路掃除をしている人などに多い)、何となくの感触としては、モスクワほど人種的多様性が激しくなく、白人の占める割合が大きいように感じました。感覚としてはむしろヨーロッパ地域のロシアの地方都市にいるときに近かったです。

vladivostok 057むしろ日本などとの近さを感じたのは「モノ」の領域。
福山通運や佐川急便や生協などの中古トラック、最初のうちは見るたびに「お!」と思っていたのですが、あまりに日常的過ぎてそのうち気にもとめなくなってしまいました。
下の記事のウラジオストク駅の写真にたまたま写っていますが、ハングルが書かれた車も多かったです。

新鮮だったのは、スーパーとかその辺の食料品店とかで日本の製品を普通にたくさん売っていること。モスクワで日本製品といったら2001年ごろは大使館員御用達の専門店にしかなくて、2004年ごろは街中のスーパーにも出回るようになったものの比較的レアな存在だったので、モスクワにおけるドイツ製品のように、普通のロシア人が日常的に買うものとして日本製品が置かれているというのは何だか不思議な感覚でした。
この辺も、極東通の人にとっては「何を今さら」なんだろうけど。

vladivostok 089あとこの写真にあるような自販機。街中でいくつか見かけました。
中身が全部日本製品というのも面白いですが、そもそもモスクワやペテルブルクって街中に自販機ないんで、私としては街中に日本みたいに普通に自販機があることの方が驚きだったのですが。
CoffeeとかLemonとかGrapeとかならともかく、「復刻堂コーヒー」とか「さらっとしぼったオレンジ」とか書かれても大概のロシア人には唐人の寝言にすら見えないので、さすがにロシア語で中身の説明を書いた札が貼ってあります。値段はルーブルに3をかければ円になるので、135円とか150円とか。日本より若干高め。
гор.は熱い、хол.は冷たい。こんな略し方するのも初めて見た。

yusuke_1974 at 21:56|PermalinkComments(4)TrackBack(0)