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2010年04月05日

下高井戸に「カティンの森」を観に行く

噂には聞いてましたが、これは…。
先日とある研究会でこの映画についての報告を聞いた時も、会場から「あれを直視できる人はおかしい」という意見が出ていたので覚悟はしていたんですが、実際この目で見てみると、あのラストシーンはやはり重くて耐えがたい(生理的というよりは心理的に)。
「ロシア人の描き方が全くステレオタイプで単なる悪人になっている、これでは対話は生まれないのではないか」、などという意見もその時出ていましたが、確かにその通り。
ただそもそもこの作品は、映画を通して世界を平和にしたいとか、そういう意図よりは、映画という手段を通してあの場面を描きたいというやむにやまれぬ情念に導かれてできたものではないかという気もします(昨今のポーランドで国規模でカティン事件の想起がなされていることもあるでしょうが)。
観た後の人間に重い沈黙を強要する映画ですが、その沈黙の中に、何か平和へ向けたポジティブな機能があるかと言えば、確かによくわかりません。「いくら個人が立ち上がったって、防げないものは防げない」という絶望感とか、あるいはポーランド人ならナショナリズム的な感情の方が深く残ってしまいそうな気もする。じゃあ批判できるかと言えば、あれを観た直後の人間に普通そんなことできるわけないわけで、どうにも袋小路に投げ込まれる感じの映画です。

先日の報告(字幕を担当されていた久山先生)によれば、ワイダを「カメラをもった詩聖」と呼ぶ人もいるとのこと。
19世紀の国民詩人ミツキェヴィチなどが特に「詩聖Wieszcz」と呼ばれたりしますが、単に偉大な詩人というだけではなく、約束の民にとってのメシア的、預言者的人物という、ある種悲壮なニュアンスが付きまとう言葉で、これをワイダに付けるのは確かに大時代的、大仰な感じもするものの、何となくわからないでもないところもあります。
ワイダの映画製作は現在「ポーランド古典文芸もの」「ポーランド現代史・戦争もの」「現代社会もの」の三本立てで行われているそうですが(「カティンの森」の後にも「菖蒲」という文芸ものを撮っている)、こういう題材の立て方も何だか19世紀の「国民詩人」のよう…と言ったら乱暴に過ぎるだろうか。

yusuke_1974 at 20:37│Comments(2)TrackBack(0)

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この記事へのコメント

1. Posted by Bowles   2010年05月04日 11:16
こんにちは。こちらでははじめまして。Twitterのほうでお世話になっているBowlesです。

ワイダの『菖蒲』、EUフィルム・デイズで上映されます。
もうすでに御存知でしたら、ごめんなさい。

http://www.eufilmdays.jp/
2. Posted by yusuke   2010年05月04日 13:22
こちらでははじめまして!

映画祭の情報ありがとうございます。これ、全く知りませんでした。
「菖蒲」は外国受けする作品なのかどうかわかりませんが、ともあれ行かねば。

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