2時の睡眠欲、4時の怠惰、6時に散歩
コンプレックスとコンプライアンス
日記、書かれていないことのリスト

不思議なふくらはぎの形をした西洋人
なぜ美人は最後不幸になるのではないかと思われるのか
読む前にあいで30分確認する

性質・ステータス・遺伝の違いを行動・チャレンジしない理由にしていては絶対に抜け出せない状態のこと
自分が周囲の他人を自分から見た印象でラベル付けするように、他人から指摘されたあらゆることを少なくともある現実的な視点・パースペクティブから見た一つの事実であり実像への足がかりとしてみなすこと

AIが人間の未熟を覆い隠すことになるだろう
それは社会・世間にとっては良いことで、
一方でこれから大人になる人にとっては難しい時代でもあるということ

大人とは一つのフィクションであるか?

なぜ謝らせたい、という衝動になるのか

その時はきっと来る
そのカバンを手に入れる日はきっと来る
あるいは、そのカバンを手に入れる必要はなかったのだと悟られる日が、誰かから教えられる日がきっと来る
だから、それだけ覚えていてくれればいい

コアの課題以外の壁をorderの整理によって取り去る

努力と忍耐などで超えられる壁とそれ以外を分け、
問題が膨れてブラックボックス化して無用に路頭に迷うような悲劇をなくす
才能の欠拠でもなく、努力と忍耐すべき場所の不明確さでもない本質

世界への手がかりはすでに繋がっている人を見つけること、見つける目が備わるには愛がいる。愛の不在を癒す?

物語、フィクションが迫真の物になるためには、登場人物を友人のように感じる、あるいは心から怒りを覚える、ような体験を実現する必要がある

人における、動物の部分と神の部分
神についての言説も、神のイメージを想起させるための

どれだけ寂しいか、またどれだけ寂しくないかの段階的なレイヤー
自分に求める尊さと、その傲慢さ

アウグスティヌス、國分功一郎

あった方がいいよね、ぐらいを信じるということ、疑わない

見てもらいたい、だから最後まで目で追おうとする。そして見られていないことを寂しく思う

共通性を見出す哲学

可能性への思念

神、社会、人間は良いものか、その証明可能性
僕らは、社会が良いもの・意義のあるものだからそれを構築、開始、維持しているのだ、という前提の確認をすること

自分にフォーカスを当てない、自分が傲慢かどうかは主題ではない
そして最後は信じることの一点に尽きる

作品には畢竟、自我の全貌がガッツリ克明に現れる

時代は時代ごとの愛の真実を求める
それは、人間がメディア、いわゆる下部構造に支配され、その変化に右往左往するということ
そして、愛の真相は普遍で
愛の表現は普遍をベースに時代の業を写して光輝くということ

友人を選ぶ、とは、結局は友人の仮面を被ったビジネスパートナーを選ぶということ
そしてそんなものは本当の友人ではない
その冷たさに気づき、決然と離れる

50年続いた蕎麦屋、その50年というニュアンスが陰ながら愛しい
謙虚さの裏にある悲哀、そして自負
また、その蕎麦の少し硬すぎる弾力が証する店主のこだわりと実直な人柄
時代に適合しないそれをまったく愛する

森山直太朗と、英語版人間失格のタイトル
もっとも俗物で、かつもっとも勇敢だったと証明する
負い目、コンプレックス、過敏、人嫌い
退屈と疑情

動物・遺伝子・ロボット・AI

共感性羞恥について

萎縮させようとするもの

男の性欲が生産するもの
生産の喜び

あらゆる欲は本来的には消費主体ではなく生産主体である
本来の欲とは、消費することで生産する

主流派という教育。守破離について

平凡への回帰・良心の再構築
平凡・清貧・良心・克己・邂逅・栄光

タイトルで共感、自分ごと化させ、内容で裏切る

何に自由を感じるのか、そのレイヤー

あれも違う、これも違うを繰り返す
その後に自由にたどり着けるかどうか

スケール・レイヤー

讃歌
現状として良い、よくなっているということ、
そしてよくなっていることによって行き届かない面に光が当たるということ

感性の快、悟性の快、理性の快

話題の構造とメカニズム

俺は明言する
明言することの意味、意図

俺の青春は、○○の時間は××をして終わった。アレはまともにできなかった

男の生きづらさ
散文詩、小説風

五月の新緑に言葉なく
三重の片田舎から伊勢神宮を目指して
慣れない実家の車のハンドルを握りながら
浮き立つ心、永遠への憧れ、むせ返る夏の兆し
全てがないまぜになった膨張する春の大気の只中にいた

赤すぎるカラーリングのハスラーのアクセルは重たかった
高速道路越しに見える広葉樹の山並みは、もこもことして
静かなままどこまでも盛り上がっていくかのような錯覚を与えてくる

 春がこんなに貴重なものなのだと
  俺は知らなかった、よほどバカだったのだろう
   バカだったこと自体が心から嬉しくなるぐらい
    新緑が夏を目指すその湧き上がりは圧倒的だ

季節と昼夜が巡ることを完全に忘れさせる温みに包まれながら
幸福の体験の中にいる間、人は幸福について思い悩むことはないのだろうと
そんな月並みな思いを抱く
悩みや煩悶は人生において必要・不可避なものだとして
自然の恩恵を全身で浴びるひと時を
愛すべき家族との言葉通りの団欒の時を
ごく平凡で取るに足らない、しかしそれだけに現代では貴重なものとして
得難い人声の静寂、同時に自然の喧騒
それをただありがたく身に受けるひと時があった


呪いについて
血・穢れ・ストレス・思い込み・絶望

身口意
所作・発言・思考

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資産運用、富を貯め込むことの危険について

過去の偉大な書物にいろいろ書かれているように、富を溜め込むことや、自分のためだけに富を蓄えることは、おそらく非常に危険なのである。

今、どちらかというと考え方の主流として、ステータスを高めていこうとか、お金を早いうちに貯めてFIRE(ファイヤー)しようといった風潮がある。株式投資の複利で資産を増やし、それでリッチな生活をしようということが、一つの生活の理想のようになっている気がする。けれど、僕は個人的に、そのようなあり方は精神生活において非常に危ういだろうなという直感を持っている。それこそ古典的な思想に書かれているように、「良い人間になる」という観点では、富を溜め込むことは危険である。

後にどこかで書くつもりだが、所有には責任が伴う。所有と責任は不可分であり、多くを持った者は、それだけ何らかの形で(社会に対してなのか、誰か個人に対してなのかは、その人の個性やバックグラウンドによるが)役立ててる責任が同時に発生する。これは良くも悪くもないフラットな事象で、所有がその原理をベースにして輝くには、所有と同量かそれ以上の責任の全うが必要不可欠になる。

もちろん、何か明確な理由・目的があって資産を作るのであれば良い。例えば1兆円の良い事業を生むために企業として1000億円、個人として100億円を所有し、それを存分に使って事業を実現する、ようなケースがこれに当たる。しかしただ資産を抱えて不労所得で生きる、というのは、ある意味では爆弾を抱えるようなものなので、気をつけた方がいい。

と同時にお金を、例えば若い頃に女の子にモテるためにお金を稼がなきゃいけなかったり、華やかな演出をしなきゃいけなかったり、もしくはその華やかさのために突っ走るという期間は当然必要である。僕みたいな人間はそういうことはあまりできなかったので、ちょっと後悔もある。けれども、やっぱり僕の詩にも書いてあるけれど、若さの時間を走り抜けなければいけない。肉体の「永遠に属さない部分」を完全に消化・昇華して、その役割を果たす必要がある。

確か世阿弥か何かの本に「若さの美」みたいなものについても書いてあったが、若さの美は確かに永遠ではない。けれども、現象としての永遠性はある。やはり華やかであるがゆえに、人から恨まれるようなところもあるから難しい。しかし、「それは関係ない」と割り切ることも必要だ。その美や、そこに惹きつけられるものに対して全力で向き合っていくこと。自分としてそれを得て、また発揮させていくこと。それは若さという時間の、何物にも代えがたい輝かしいものなので、やはりそれはそれでやり遂げなければいけないのである。

なぜ早く死にたいのか、それは将来に絶望しているからだ。
絶望とは、生老病死、現代的にいえば若さ・美貌・金・力・権力などあらゆる自我の欲望を満たすステータスを時とともに基本的に失ってゆく、
その事実から逃れられないことが嫌なのだ。
だが、その事実から逃れられないことがなぜ絶望なのか、
ステータスを所有していることに対する責任を果たしていないからだ
所有の責任が何らかの価値貢献へ昇華される時、人間はステータスのくびきから離れて根源的な美の光を眼差しから発するようになる

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時間がないから、ざっくり結論だけ言ってしまうと、日本には「隠蔽する文化」がある。これは「秘すれば花」という言葉に代表されるように、隠すこと、表さないことによって真理に近づき、真理を保存するという考え方だ。一方で西洋の方は、どちらかというとオープンにすること、明らかにすることが真理の体現であると捉える。その意味で、日本にとって何が重要か、何が損失に値するかといった部分は、時として分かりづらい。言葉にするというよりは、言葉にしないことによって存在を大切にする、という感覚があるから。本来、このような形で書くのは日本的なやり方ではない、という自覚がある。しかし、現代の状況においては情報が多すぎて、何が正しいのか分からなくなるケースがあると考える。だからこそ、僕はあえて言葉にする。僕にとっては言葉にして結晶化させることが非常に重要だ。そういう意味では、根っこでは純東洋的な人間ではないのかもしれない。実際、日本文化に対しても自分的に相容れないと感じることがあるが、それはそれで致し方ないことである。

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神様に関する、できる限り不遜を忌避した上での見解

神様を確信しているわけではない
ましてや実際にお会いしたわけでもない
もし本当にいるとしても、観測できる領域の話ではない
そして、信じるというほどではないが
少なくともいていただいた方が良いと思うし
また、いるかいないかで言えばいる可能性の方が高い
少なくとも、人間が自分で命を作り出せるようになるまでは
創造主、的な存在は、人間が世界を理解するための擬人化という手段として
そう悪くはない方法論だとも思う
そして、私は人のおよびもつかない領域に

敬語を使う、使える、使う気にさせてもらえるということ

敬意があるとは、畏れ多いということ
畏れ多いとは、人の手の届かぬ領域を感じ取っているということ
人の範疇を超えた領域を、神の領域と措定しているということ
それは取り決めの問題だが、その取り決めをするかどうかは
やはり畏れ多いということの直接の体験の有無によって絶対的に左右されるということ

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ハラスメント忌避はきっと福音ではない
なので、そのデメリットをきちんと見通さなければいけないよ

強制されることで自我の誤謬から逃れられるという事象を重んじていた。
そのため、過去には現代の文脈でいうハラスメントが文化装置として存在を許されていたのだ

そもそも人生自体が強制的に発生している。それを100%肯定する状態がなぜがどこかで生まれる

きっちりと主題の言葉を使って批判しなければならない。そうでなければ逃げになり、打ち勝つことから遠ざかる

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神経を慰撫する時に顔に表れる陶酔・甘えの表情
これが他人の目にはどうにも肯定し難い

中途半端な優しさ

平凡な我々は日々変化する、その変化を操れるようになること

神がいると信じること、信じないこと、そして神がいてもいいし、いることを自分が感知しなくても別段問題なく、本当にいるのであれば色々ありがたいな、とシンプルに率直に認めること

世界が無であることと、楽天的であることの関係のなさについて

現実の生活など惨めなものである

詩の作品の達成だけを手掛かりにしようとしている。試みに可能性があるか

誰が生きるのか、という問いの設定がある

認めることと信じること

幸福の義務を己に課すということ
自主的義務、という方策のすすめ

ミスコミュニケーションというものは存在しない。発したものの想定が受け取り手の受け取ったものと違ったり、そもそもメッセージを発信していることに気づかない。それを受け取られていると言うことに対する眼差しがないと言うことである。

話をこころのレイヤーで聞くということは、どこかで相手と合一するような感覚を持つことでもある。

自我レイヤー、利他レイヤー、さらにその上の状態は目や体の挙動に如実に現れるので、誰も言語化しないのに誰へも明らかに伝わる。

自分の生の終わりを自分で決めるのは、俺からすれば傲慢だ。やるべきことをやっていれば自動的にこの世の終わりは来る。だから満たされない自我によって恣意的に決める、あるいは決まることを願望している状態は見るに耐えない

初学者への優しさ、バルバルさんの話に寄せて

わかってもらうことからの卒業

自分との距離感を掴むこと、それが大事で、距離感のつかみ方に対して自分の中に入り込んでいくのか、自分の外側に出て行くのか、あれは自分から離れていくのか、というメソッド・方向性が重要になってくる。自分との距離感が0であるべきなのか、100であるべきなのかは、個性によって変わる。

社会に肯定されるコンプライアンスに適合する発言の実存的な意味は0である

社会は命をつなぐための歯車なので、そこには効率的な意味合いしかない。社会と合一したい・社会の意に沿いたいような感覚のある人は、自分と統一できていないだけ。自分と統一しないという事はあえて露悪的な言い方をすればレベルの低さの現れである。

レイヤーごとの鍛練の様式がある
様式とは、傷の付き方、自身の望む消耗、そして消耗からの回復の仕方、また堕落の形式、昇格の現れなどを指している
そして俺が嫌いな表面のことは一旦ここでは触れないとして
ここに書き残すのは、俺はレイヤーを超えた励ましというのが何なのかを見せる、ということ

優しさの本質と、世間一般からそれがどれだけ遠くにあるかということ
知性と教養を、マウントではなく武器にするということ

歌では超えられないものがある
そういう考えがふと浮かび、とても寂しく
同時に少しホッとするような心地もあった。そして、
どんなことになるとしても、ジタバタはするまい
そして人には迷惑をかけるまいと、そう思った


歌が聞こえる - 
人を、心のレイヤーで慰める歌
傷ついて、一つ階(きざはし)から落ちてしまいそうになる
そんな弱さに、静けさと心臓の熱を持って寄り添い、そして
持ち上げるのではなく、無意識のうちに回復させ
気づいた時にはまた戦いの場・奉仕の場に帰らせる
そして、そんな邂逅があったことなどすっかり忘れさせる、そんな
そんな優しい歌が聞こえる

 春の上野の広場は優しい陽だまりの塊のようだ
  俺は20代を通して、何か大切なものを見落としていたんだと
   そう銘打つのも一つの方策だと思った

言葉は図らずも溢れてくる
それは本当にありがたいことだ
それは、不遜を言えば俺が与えられたものなのだろうし
同時に俺に課されたものでもある
昔はその使い方や消化の仕方
少し雑な言い方をすれば吐き出し方がわからなくて
そのせいも少しはあって惨めな時間が多かったけれど
今はそれも昔のようになりつつある

 若かったあの頃も
  今は、甘い記憶

タワーマンション13階
夜景、音楽、高価なウイスキー・グラス・ロックアイス
分厚いガラスに守られて、それでも気丈に振る舞う
俺にははっきりとは言えない、けれどきっと
そこには最後のピースが要るんだ
だからと、その先にある言葉を
どうにか引っ張り出すために
まだまだやるべきことがある
おやすみ

正義の本質は、教義に背く他を殺すことだ
だから、正義においては教義が上位にあり
教義に反するものを殺す、そのことが行動指針になる

そのため、正義において重要なのは、何を教義としているのかと
教義違反を犯しているものは誰か、ということ
そして、他を排斥しないものは正義ではなく、別の何かだということ

例えば、コンプライアンスを正義としている場合
コンプライアンス自体が教義であり、違反をするものを罰するという行動指針が生まれる
それがいわゆるキャンセルカルチャーの根っこにあるものではないかと、
ふとそう思った

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上記をベースに、
AIに正義の構造的な役割と意義の要約をお願いしてみたら、次のような回答が返ってきた

正義の構造的役割:
この視点における正義は、社会を維持するための道徳ではなく、
「教義(アイデンティティやルール)」を絶対化し、
それ以外の異物を排除することで自己の純粋性を証明するシステムとして機能しています。

価値の序列化: 
普遍的な善悪ではなく「教義」を頂点に置き、すべての行動原理をその従属物とします。

敵の定義: 
教義に照らして「排除すべき対象(違反者・異教徒)」を明確に定める役割を担います。

攻撃の正当化: 
本来は忌避されるはずの「殺害」や「排斥」を、教義を守るための「正しい遂行」へと変換します。

境界の維持: 
「他を排斥しないものは正義ではない」という定義により、内側と外側の境界線を常に鮮明にし続ける装置となります。

要約:
「正義とは、特定の教義を絶対的な基準とし、それに背く者を徹底的に排除・攻撃することで成立する、不寛容を前提とした行動原理である」
つまり、この文脈での正義は「共生」のための道具ではなく、「選別と粛清」のためのロジックであると定義されています。

ーーーーーーーーーーーー

なんとなく、回答を得て落ち着いてしまったけれど、
それはともかくとして、俺は正義をしないだろう
文法を軽視して言えば、おそらくそうなるだろう
ヴィルテールが言った言葉になぞらえると、
俺は、意見やその根っこにある教義の差異を命の抹消の理由にはしない
なぜなら、それはきっと正義や教義の前にある愛が、さらに上位の存在だと感じるからだ

では、例えば試みとして、
その愛を排斥する正義に遭遇した時に、俺はどうするだろうか?
はっきりはわからないけれど、きっと俺は正義を遂行することはできないだろう
正義を遂行するぐらいなら、俺は愛を汚さないように死にたい
本当にそんなことができるのか、全く保証はできないし、すべきではないけれど
俺はそんなふうでありたいと思っている

昔、まだ幼かった頃
衆目の前で話を振られて急に答えなければならない機会があった
学校の授業か、何かの講演の質疑応答のような場面だったと思う
その時、不意に指名を受けて、情けないことに俺の心臓はキュッと引き攣った
名前が呼ばれ、親と先祖と同じ由来を持つ苗字が呼ばれ
俺と周囲の全ての脳にそれが同時に伝わる
視線と関心が俺に向けられ、俺もそれを感じる
空間はそういうふうに、方向性と対象を志向するようにできていて
その空間の求め自体が、未熟な人格にはしんどいものだった

立ち上がる前から、冷や汗と震えの予感がして
それでも周囲とその空間の求めには抗えるものでもなかった
後ろ手に椅子の背を引く手指の動きもぎこちなく
足のつま先を椅子の右前足にぶつけながら、手負いの犬のように背中を丸めて立ち上がった
当時の俺は、何かを言おうとして口を開こうとしたけれど、うまくできなかった
指先と、ふくらはぎと、右の口角あたりが徐々に震え初めて
なんでその3箇所なんだろう、と思いながら
震えの元になっている箇所とは別の部分の脳のポイントで思いながら
役立たずな自分と、空間の求めに違反したことで秒ごとに変な冷め方をしていく空気を
少しずつ歪んでいく視界の片隅に感じながら
それでも、震えていない口の左側と、昔に詰め込んだ記憶の断片から
なんとか辿々しく、回答のように並べた伝わらない文字列を提出した

「自信のなさと、それでも意味は伝わった」という了解が空間にあって
そして周囲の注目はスッと前に移動した
今考えれば、俺が震えるのを、
周囲の人は心配して見ていたのだと思う
(あの時、俺が震えているのはその部屋の中の全員に見えていた)
それが、今更ながら申し訳ないなと
今でもふと思い出すごとに、照れながら頭を掻きたいような気持ちになる
春の東京のどこかの街角を歩きながら、それでも心の根っこはあの頃からそれほど変わらず
同じような震えの予感の中にいる

俺は、元来の負けず嫌いによって
下手くそでもなんでも人の前に立とうと思った
その当時はそういった決意めいたものを持てる状態になかったけれど
今でも、折に触れて思い出されるたびに、都度全く新しい決意をするかのようにそう思い直す
(いくつかの過去の記憶は、なぜか全く古びることなく冷や汗をかかせてくるのがとても不思議だ)
人の前に立つ、誰からも見える場所に立って話す
それができるまで、何度でも震えようと
震えを殺すのではなく、震えを飼い慣らそうと思った

あの時の震えは、俺にとってはいわゆる教えの光だ
今でも折に触れて、同じような震えの体験をすることがある
というか今ではむしろ、震えの方を追いかけているようなところがある
それが正しい、間違っていない
少なくとも、ごく等身大の至らない俺であり
俺の至らなさそのものの実物から生まれる現象なのだと
なけなしの正義の感覚がそう言っている

××について

愛されたあの部分は無限に優しい
それは無限に反復して理想を反映する
本当に今死ぬのが一番幸せなのでは?と
後からそう夢想して憚らない、そういう体験になる

愛とorder
神への愛は世界への愛
そして愛されていることを心で受け止め、それによって魂の存在を知るということ

神からのorderを受ける
それが愛の始まり
そしてorderの以前に神がある
神とは0である
そして0とは無限であり
無限イコール、知覚以前の愛そのものだ

Orderを整えること
それが俺の使命だ
そういう直観と実感がある
そういう体験があった

Ordoの起源は?

印欧祖語(インド・ヨーロッパ祖語)の *"h₂er-" 
バラバラなものを一つに統一する
それが命の始まり?
いや、元々全ては一つだった
お前も、お前の××も
お前の血も、リスカ跡も
お前が誰かを殺したいことも
全ては一つだった

正義とは殺すこと
殺しがなければ正義はない

使命=Mission
言葉から始まる=西洋
言葉以前から始まる=東洋

口を開けるところから始まる
それは、受け入れること
食事も口を開けなければ始まらない
だから人にとって、キスは愛のあらわし

「キス」を表す言葉が k-s や p-s といった音(例:ラテン語系の basium)で構成されるのは、世界中の多くの言語に共通する特徴

供物を用意することは

God
Love
Kiss
Order
Response

Prepare
Sky
Sea
Root
Alcohol
Reason
甘い

HannyはSseet
無限に反復する。その一歩手前

spondere(約束する)

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「空」が「地球」を覆っている:
古い印欧語根レベル(*skeu-)まで遡ると、「空そのものが、地球をドーム状に包み込む最大の覆い(蓋)である」という解釈も含まれます。

なぜ神棚に初穂を捧げるのか、米を捧げるのか
「稲魂(いなだま)」への信仰

「言」の由来: 「言」は、もともと「辛」という文字(刃物で入れ墨をする様子)の下に「口(言葉)」を組み合わせた形に由来し、誠実な言葉、誓いの言葉を意味していました。

「嘘(うそ)」の語源は、とぼけて知らないふりをする、あるいは空を鳴く(口笛を吹く)という意味の古語「嘯く(うそぶく)」が転じたという説が有力

嘯いていてはダメだったのだ
だからその言葉の時期は甘かった

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印欧祖語の「*leubh-」(愛する、望む、世話をする)のルーツは?
印欧祖語の 「leubh-」 は、言語学者が数千年前の共通言語を再構築して導き出した*「語根(ごこん)」**そのものであり、これ以上に遡る特定の「元ネタ」となる言葉は文献としては存在しません。
しかし、この言葉の成り立ちや背景については、いくつかの興味深い学説があります。
1. 概念的なルーツ:欲求から愛情へ
この語根の最も古い意味は、単なる「愛」ではなく、「身体的な欲求」や「強い関心」であったと考えられています。 

「欲する・惹きつけられる」:サンスクリット語の lubhyati(渇望する)やラテン語の libido(性欲・欲望)にその名残が見られます。
「世話をする・大切にする」:自分にとって価値があるものを「喜ばしい」と感じ、それを守ろうとするニュアンスが含まれていました。 

2. 音のルーツ:擬音語の可能性
一部の研究者は、この語根が口を動かす動作に由来する「擬音語」ではないかと推測しています。 

唇の動き:LやB(またはBH)の音は唇を多用するため、「唇をなめる(舌なずり)」「吸う」「味わう」といった、美味しいものを目の前にしたときや満足感を得たときの身体的な反応が音になったという説です。
3. 歴史的な広がり
この言葉は約6,500年以上前、ユーラシア大陸のステップ地帯に住んでいた人々の間で使われていたと推定されています。 

差異を感じる、共通を感じる

新しさへの向き合いと、いにしへへの向き合い
日本の雨、雨までが優しい
コンプライアンスが好きなのか
誰が執行するのか

現代版の独我論
でもそれは結局あなたの欲望でしょ?

僕らは、自分と似た他人が、自分とは全く切り離されて存在することを確信して、そして信じる

物書きと金
明かさなくて良い金だけを俺は使うだろう

満たされていて、それでも戦争しなければならない
そういう戦争でなければやる甲斐は全くない

ノーベル平和賞と政治
政治への良心的理解のすすめ

正義の定義とは、他人を殺してでも守るものだ
だから、きっと正義が悪いんじゃない
何がお前の正義になっているかということが大問題なのだ

こういうことをやっていては駄目だ
そういうところには居ないこと
そしてそれに気づくこと

世界一貧乏なのに、圧倒的に輝いている
最高の大トロとメザシを同じ熱量で食い尽くす

お前が生まれた理由、それはお前が輝くため
そして輝きの中で死ぬためであり
同時に、死を理解によってではなく、輝きの現れによって超えることだ

金は血だ、そして
涙は最も美しい血の現れだ

未来の社長へ
なぜ社長は金を出すことを渋るのか
そして、心の底では金を出すことを求めるのか
社長が女にばかり金を出す時代は醜い

女の目線で書く
そして女がやらない言語化をする

なぜ恨みだけ言語化するのか

向こうが見ている時にもう相手を見ている
そしてそれでいて全く前に出ない

すました男が守っているものは何か
地理的拡散:この「*leubh-」という音は、人々が移動するにつれて、西はヨーロッパ(love, Liebe)、南はインド(lobha)、東はロシア(ljubit')へと形を変えながら、**「何かを強く求める・大切に想う」**という核となる意味を保ったまま世界中に広がりました。

人を無に返す
そのために死装束は白い
そして黒は無の具現
白と黒は色のない色

すべての価値ある小説は私小説であり
そして私を超えた私小説が本当の体験の開示である
私というフィルターを用いて私を超えたものを体験する
それが創作の、現代的な意味ではないCreationの目的である

安いということ
徹底的に安いということ

Reasonableな客を心から大切にするということ

無意識の直感は心の奥底で完全に繋がる
そして出会いの機微は計り知れない深さに裏打ちされている

すべての出会いを心を開いて求めろ
それが怖いことは、特にステータスのあるものにこそ怖いことは知っている
だから、金持ちが幸せになることはラクダの行より難しい
だからこそやる必要がある
それ以外に生きる意味は全くない

(R-18)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

愛に関する100行:

-
愛は
愛が
愛に
愛を
愛よ

愛こそすべてだ
それを心から信じる

愛する
愛している
愛していた
愛し続ける
愛されていた
愛することにする
愛することにした
愛した

 愛するということ
 また、西洋的に愛するということ
 そして、東洋的に愛するということ

愛よ
愛なんだよ
愛しているよ
愛していたんだ
愛し続ける、きっと
愛されていた、なぜか
愛されていると、今更ながら知らされた

 俺はお前を愛している
 それは言い換えれば、俺がお前を愛している、ということ
 そして、俺がお前を愛していることを、心から願っているということ
 また、アイツがお前を愛しているとうこと
 そして、世界がお前を愛してやまないということ

愛すること
愛していること
愛していたこと
愛し続けること
愛されていたこと
愛することにしたこと
そして、愛されなかったこと
愛されていなかったこと
愛されたかったこと
愛されなかったことが辛かったこと
愛されなかったことが寂しかったこと
愛されなかったことが虚しかったこと
愛されていないことを知ったこと
愛されていないことを知って辛かったこと
愛されていないことを知って寂しかったこと
愛されていないことを知って虚しかったこと
そして、愛されなくて死にたかったこと

 俺がお前を愛すること、それをどうか許してくれ
 そしてまた、俺がお前を愛せなかったことを、どうか最後の最後で許してくれ

心と愛
俺はお前を心から愛する
また、それを受けがってもらえることを信じる

 愛と絶望、そして自死について
 俺は今数式を表す
 愛>絶望>自死
 そして死にたがりのお前が、その逆の不等式に無意識で怯えることを
 心で感じて、そして肉体のレイヤーで殺し
 魂のレイヤーで命を与える

愛と世界
世界には愛がある
天に愛があり
地にまた別の愛があり
人にも、人の間にも愛がある
自然に愛があり
人の作りしものにも愛があり得る

 愛は世界の始まりだ
 だから、愛がなければ世界はない
 そして、俺は途方に暮れている
 愛のないところに世界が始まらないとすれば
 愛されなかったお前を、どう救えばいいのだろう、どう掬えばいいのだろう
 誰か教えてくれ

愛と永遠
愛はお前に永遠を与える
そしてそは、お前に永遠に繋がる眼差しと視力を与える

 俺は懺悔する
 全身の神経と、感情と、激情と、傷つきやすい心と、魂を込めて懺悔する
 それで許してもらえるなら、こんなに安いものはない

最後に
俺はお前が好きだ、そして
俺はお前が好きじゃない、だから
わかってもらうために、俺はお前のために死ぬ
なぜなら、俺はもうお前のために死んでいるからだ

 愛を自覚しないお前に
 愛を知覚しないお前に
 愛の光を知らないお前に
 知ること以前の愛を教える
 そうでなければ、少なくともそれができないのであれば
 俺が詩を書く意味は全くない
 それは俺が俺に課すことだ

 そして、俺はお前のために死ねる
 そしてまた、俺はお前のために死ななければならず
 同時に、お前のために死にたい
 お前のために死なせてほしいと、心から願う
 そして、お前のために死ぬことが、お前のために生きることだと
 それを心から信じる
 だから、お前も
 心から俺を愛してくれ
 それを心から願って、そしてこの詩を終える

ありがとう、生まれてきてくれて
そして、俺をそばに置いてくれてありがとう
本当にありがとうな

ーーーーーーーーーーー

すべての色へ
すべての色へ捧げる愛を表す

一文字にも愛がある
文字なき一字にも愛がある

愛の詩を、すべての言語で
すべての愛される数字のもとで翻訳する

女の指先はどこまで通じているだろう

結局女のレベルで見れていない
だから心腹に至らない
その恥を啜る

本当に気づきづらい愛の声が
わずかなところから少しずつ段階を踏んで

段階を踏め
物事のOrder(順)

なぜ順はOrderなのか
そしてなぜOrderは命令なのか
それを可能なところまで突き止めたい

ーーーーーーーーーーー

愛とおっぱいと××

おっぱいでも××でもだめだ
リスカでもインスタでもアヘ顔でもキメセクでも足りない
もっと美しくて、もっと遥かにお前を救う言葉がある
それを知らしめるために、俺がいて
そして詩人がいて、神様みたいなものがある
そういうことだと、本当にはそういうことなんだと
心の底ではそれを渇望しているお前がいることを
知ってくれ、そしたら
俺はいつ死んでもいい
お前のまさに目の前で、お前のために死ぬ
そしたら俺は、世界一の幸せ者になることになる
そういうことみたいだ

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

よく見るとどちらが受け取っているのか
また、実は受け取っている方が受け取られている、ということを
見抜くことが、さらに次の扉を開けることの手がかりだ
それは、それだけでもそうで
さらにその上・メタが無限にある
それを喝破しなければ、モテることは一生ない

ーーーーーーーーーーー

めちゃくちゃ見られている
そしてめちゃくちゃ見られていることに気づけなかったことを
死ぬその時まで謝りたい
俺はゴミだ、そしてゴミにも劣る無そのものだ



15年来の友人に小説を書いている男がいる。別の友人が企画した同世代を10名程度集めたボードゲーム会の後の飲みの席で文学の話になり、兼ねてから考えていた「文学フリマに出店したい」という願望をポロッと話したところ、まさかの彼の方ですでに直近で出店予定があるとのことだった。あるプロの方が主催するサークル的な団体に所属しているらしく、率直に驚いたのと同時に身近に経験者(これから経験する、という意味で)が偶然の流れで見つかって正直ラッキーだなと思ったのでもある。その勢いでお互いが書いたものをシェアなどしながらLINEで雑多に話していたのだけれど、僕が思いつきでふと「共通の知り合いを含めてサークル的なものでも作るのはどうだろう」と提案してみた。勝手にいいねと言ってもらえる、少なくとも前向きな話の進みゆきしか想像していなかったのだけれど、彼から少し真面目なトーンで以下のような連絡をもらった。

「(もし文学のための)集団を作るなら、誰のためにどこを目指すかという理念は共有しておくべきかなと。どんな人に届けたい、読んで欲しい、とかある?それとも、とりあえず自分の文を読んでくれる同志が欲しい感じ?」

だいぶお恥ずかしい話、これを読んでぎくっとしたのと、正直なところ「無意識に甘い考えがあったな、、、」と今更ながら反省するような心地だった。元来、僕の性分として思いついたことを特に考えずに言ってしまうところが拭えず、今回もいつもの流れで何の気なしにメッセージを送ったのだけれど、よくよく考えれば事はそんなに単純でもない、という面もある。僕自身、書くということに関して当然ながら甘く考えているわけではないのだけれど、いざそれを誰かと共有する、あるいは何かの外部向けの活動を共同で行うとなった時にはそれはそれで大変なのだ、ということを改めて思い知る形で、バツの悪さに思わず反省することになったのだった。この年でこんなことをしているのは本音ベースでなくても恥ずかしいったらない。

、、、というわけで、若干懺悔的な意味合いもこめてこの文章を書いている。実際のところ、10年ぐらい詩を筆頭にメモやら文章やらをブログにアップし続けているけれど、特定の明確な読者をイメージしたり明瞭な目的を言語化して書く、というケースはほとんどなかった。単に書くだけで満足していたということもあるし、自分限りの感覚として、と予防線を張らせてもらうと「そんなことするのは軟弱だ」という思いがどうしてもあった。とはいえ試みとして面白さや有効性はあると今は思っているので真剣にやってみたい。一応、自分として幾つか目指すことのイメージがないわけではに。例えば以下のようなところだ。

・昔の自分が知りたかったことを書くため
・世界一の詩人になるため
・現代文化のマイナスの側面に対して文学・芸術の形で対抗・批判をするため

実際のところ明確な読者をイメージすることが詩作にとって必要なのか、やるべきことなのかはよく掴めていないというのが偽らざる気持ちの一部ではあると感じつつ、とはいえチャレンジとして一度ガッチリ設定をしてみるのは、自分向けの新しい方法論として結構ありだなと思っている、書きながら順を追って考えてみたい。

まず、そもそもなぜ詩を書いているのかというところの端緒は非常にシンプルで、これまでの人生、特に大学時代を皮切りにいくつかの詩に深く感動するという体験があったからだ。そりゃそうだろという感じだけれど、順を追わないと間違えそうなのでご勘弁願いたい。一つひとつ説明するとキリがないので列挙するだけにとどめるが、宮沢賢治の「永訣の朝」、寺山修司の「ヒスイ」「さらばテンポイント」などが僕の詩に関する原体験としてある。また上述の友人とは大学の合唱サークルの同期だったのだけれど、合唱曲の歌詞に当時ビリビリ来ていた、というのも同じくらい重要な個人的経験だった。先に挙げた「ヒスイ」のほか、男声合唱ではお馴染みの多田武彦の「雨」(作曲は八木重吉)、あとは少し後年になってからだが有名な「水のいのち」なども歌詞という意味で好きになった。詩も合唱も現代では芸術ジャンルとして影響力が貧弱すぎるけれど、それでも感動という現象が起こってしまったらもうどうしようもないというのが率直なところで、自分としても「なんでこれやねん」という思いは常に頭の片隅にはあるのでもある。もっと派手なものが良かったな、、、と。

他にも島崎藤村とか萩原朔太郎とかアメリカのホイットマンとかなんやかんやあるけれど一旦置くとして、次は「なぜ詩を【書いて】いるのか」について。これもとても単純で、いいものが書けるなという実感があるからというバカみたいな理由だ。最初はそれこそ大学の友人とほんの遊び半分で何個か作ってみたのだけれど、そんなしょうもないワンシーンの中で創作の面白みのほんの端っこに触れた手応えがあったのだ。多分何かの錯覚程度のものだろうけど「あれ、これ面白いんじゃない?」というくらいの感想をベースにスタートしたのがきっかけだった。その後、僕のブログを見てもらえればわかるけれど最初は寺山修司をイメージしながらシコシコ書き溜めていって、本当に自分の勝手な感覚としてだが、年々良いものが書けている、単純な言葉で言えば成長している実感があるもので、正直誰にも見られていないのに何故か辞めずにここまで来ている。自分で書いていて自分をバカにしたくなる感じなのだが、やっていてこんなに楽しい・ワクワクする・新しい発見をすることがない。誰かにこの体感をわかってほしいものだなぁと常々思っている。

詩の良し悪しに関してだけれど、こうやって書きながらその「良し悪し」「出来不出来」や、不遜な言い方をすれば「世界にとっての必要性」のようなところを判断してもらうために公開している、というのが一つ「詩を読んでもらう理由」なのだと改めて確認した。上の方に尊大にも「世界一の詩人になるため」なんて風呂敷を広げすぎ&判定基準の曖昧な目標を掲げたけれど、これに関しては確か5−6年前に当時住んでいた横浜の根岸駅前で「それで行こう」と実に安直に自己決定した記憶がある。本当になれるかどうかは別にして、また実際に誰から見ても「こいつは世界一の、少なくとも当代一の詩人だ」と言ってもらうのは急にとんでもない難事業になるけれど、少なくともその道の上に居座ろうと考えたのは紛れもない事実で、実際にそういう内容の詩も臆面もなく書いている。書いているから許されるというものでもないかもしれないが。

この辺りを踏まえて、自分以外の誰かに判定してもらうというのは当然ながら大事なことだし、そのために読者を探している、というのは作品を書いて世に出す理由としては真っ当だろう。特に、随分前から「最初の1人目の読者」が欲しいと常々思っていて、僕自身が宮沢賢治・寺山修司・萩原朔太郎などの詩を恥ずかしながら心の中の大事な物入れに保管しているように、他の誰かにそういうことがあれば、それが証明というか、一つのベンチマークにはなるのでは、と思っている。

一応、なんとなく断っておきたい、個人的に否定しておきたいのは、文学を通じて自己実現をしたい、みたいな感覚はあまりない、ということである。もともと自己実現という言葉自体がそれほど好きではない、好きな人には悪いけれどどちらかというとみみっちい言葉だと思っている節があるのと、土台自分自身を大した人間じゃないと思ってもいるので、自分がどうというよりは世界に偉大な詩があって欲しい、そのために粉骨砕身できれば嬉しい、という思いなのだ。この辺り、うまく説明ができなくて申し訳ないけれど、少なくとも自分としては「自分の欲求を満たす」のとは別軸の動機・評価軸・目標が遠くの方に存在しているということだけ、今は書いておきたい。

翻って、誰が僕の詩を「大切な物入れ」に入れてくれるだろうか、とイメージしてみる。まさにこういうことを詩を始めてこの方やってきておらず、先に書いたことに近いがどちらかというと「その手のことは軟弱だから俺はしない」という半ば偏った矜持があったのだけれど、試み向き合ってみるとやはりベタに過去の自分が一つのペルソナにはなるように思う。特に、ありが地ながら世間的な意味で勝ち組から遠かった惨めな男子としての側面は小さくないだろうなというのが、偽らざるところだ。低身長・パッとしない見た目・下手な喋りとコミュニケーション能力の欠如、といった定番のコンプレックス要素と、それに反して無駄に大きな自尊心。そういった厄介な、でも本当は捨てたい・でも捨てられない精神のゴミを抱えた高学歴寄りの15−20歳の童貞の男子、というのが、書いてて情けなくもなるけれど想定ターゲットになる、だろうなぁ。

明確な結論は出ないけれど、自分として届けたい・届くとしたらこういうヤツだろう、という読者のイメージをまとめてみたが、事前に想定していた通り小っ恥ずかしいものである。

恥ずかしいついでに書いてしまう&自作の宣伝をすると、例えばわかりやすいところでポジディブなテーマには「勇気」とか「誇り」、ネガティブとの対峙・克服みたいな観点では「寂しさ」「虚しさ」あたりはよく出てくる単語で、そのへんが頻出してしまうのはきっとこれらの観念に関する有効な向き合い方を当時欲していて、正直言って今でも必要性を感じている、というところだろう。

誇りの詩
http://blog.livedoor.jp/yutakaamy-yutakaamy/archives/54148679.html

雨季の終わりのI love you
http://blog.livedoor.jp/yutakaamy-yutakaamy/?p=2#:~:text=Title%EF%BC%9A%E9%9B%A8%E5%AD%A3%E3%81%AE%E7%B5%82%E3%82%8F%E3%82%8A%E3%81%AEI%20love%20you

寂しさを捨てられなかったことについて
http://blog.livedoor.jp/yutakaamy-yutakaamy/archives/55338411.html

もし明日死ぬのなら
http://blog.livedoor.jp/yutakaamy-yutakaamy/#:~:text=%E3%81%8D%E3%81%AB%E3%82%86%E3%81%8F-,%3E%E3%82%82%E3%81%97%E6%98%8E%E6%97%A5%E6%AD%BB%E3%81%AC%E3%81%AE%E3%81%AA%E3%82%89,-%E9%A8%92%E3%81%8C%E3%81%97%E3%81%84%E6%8E%8C%E3%81%AE

一旦一通りまとめたのでこんなところで。定期的にこういう見直しをするのはいいかもしれないなと思った。同時に「3年ぐらいはやらなくてもいいかも、、、」とも思ったり。

ラジオのことを考えている。何か喋りたい、誰ともない誰かに向けてペラペラと喋ることをしたいという欲望がどうしてもあって、なんらかの形で発散できないかと考えている。

前提として、僕は喋りや会話コミュニケーションが正直苦手だ。これは昔からのことで、これまで生きてきて自分なりに試行錯誤はしたつもりだけれど完全は克服できていないというのが現状である。それでも、そんな実情とは関係のないところで、あるいはそんな実情がある意味で影響しているのかもしれないけれど、僕は喋りたい欲が人並み以上にあるのでもある。これが本当にどうしようもないという感じだ。下手の横好きじゃないけれど、喋りたがりの話下手なんて字面からもう分かる通り傍迷惑なもので、と自分でも思う。辿々しくて容量をえない下手くそな話なんて誰も聞きたくない、それは他ならぬ僕だって同じことだ。そういう意味で、できるだけの努力をしているという点でギリギリのところで赤点を免れているようなところはありつつ、自己認識としても話が下手くそなのは如何ともし難い。

「なぜ話が下手なのだろう」と以前に考えてみたことがあるのだけれど、どうも話の上手い人から聞くとその手の達者な人は話をしながらその後の展開を頭の中で構築して、先をイメージしながら今の話を考えるような思考をするらしい。確かに、例えば慣れ親しんだトピックや20回ぐらい話したエピソードトークであればそういったこともできるような気がするけれど、今まさに思いついて話し始めたトピックや事前に準備していない話題ではなかなかそんな芸当はできない。特に、これは本当に自分でも良くないと思うのだけれど、パッと頭に浮かんで「これを話したい!」と思いついてしまったテーマ、というか発想については、文脈をかなりの程度無視して乱暴に話してしまっているような気がする。情けない話だけれど、そういう感じなのでなんというか全体として統一感に欠け、文字に起こすと前後の脈絡のないような語りになっているんじゃないかと思う。ただ、こうして書きながら思うのはそういった傾向が話しながら自分で感じられるとして、本格的に他人からフィードバックを受けながら分析・改善を行ったことは正直なところほとんどない。そもそもそういう態度がダメだったなと今更反省するところである。

話が下手くそなのは置いておくとして、ラジオ企画の話。そもそもこの件を思いついたきっかけは「バキ童ちゃんねる」というある芸人さんがやっている有名なYoutubeチャンネルの中で「うろ覚えで好きな文学を語ろう」という動画があり、それが非常に面白かったために自分でもやってみたいなと思ったのがきっかけだった。なんとなく文学みたいなハイソなテーマに関しては知識・博識=正義みたいな勝手なイメージがあるのと、僕自身全くもって読書家というレベルではないという負い目があり、自ら語るような機会を持たなかったのだけれど、前述の喋りたがりの性向がいよいよこの歳になって実行に移してみたくなりつつもあり、Youtube動画を見た影響もありで、形にするならラジオあるいはポッドキャスト的なものだろう、という、まあかなり安直な理由でそんなことを考えている。

また、ラジオ限定ではないけれど、とにかく心から好きなもの・惚れ込んでいるもの・これだと確信していることを余すことなく語る、ということにかなりの憧れを抱いていて、特に最近はそこの苦手を克服しないと、何というでもないけれどもう一つ上のステップに行けないんじゃないか?みたいな気持ちがしている。ちょうど昨日、住んでいるシェアハウスの近くのあるシーシャバーにちょっとした仕事を片付けるために深夜に足を運んだところ、店員に案内された席のちょうど右前に20代後半ぐらいの男の二人連れが座っていた。私が席に着く前からかなり大声で周りも気にせずガハガハと喋っていて、鬱陶しいとは言わないまでも面倒臭い席になったなと正直少し思っていたのだった。トピックも「外国人を追い出して鎖国しろ、それでダメなら日本は滅べばいいよ」みたいなかなり雑で顔を顰めたくなるようなものだったし、右側の声のでかい茶髪パーマの男は愛想笑いの勢いがきつく、自分が言ったことのリアクションが相手から来る前に遮るような勢いで「ハハハハハ!」と笑いを入れる無作法で、これで会話になってるのか?と正直なところ思っていたのである。

相手の男、仮に先の大声の男をAとすればこちらはBとして、Bはというと相槌も小さく本当に聞いているのか疑いたくなるような無反応だったのだが、途中から話の雲行きが変わって、Bが今付き合っている彼女(たまおきちゃん、という素敵な名前だった)と結婚するか別れるか、というテーマに移った。話の急展開にえらいギャップだなと思いながら、それでもすでに仕事をある程度終えたのとなんだかんだ彼らの話に顔は向けないまま聞き入っていたのだけれど、どうもたまおきちゃんはあまり女ウケが良くなく、周囲の友人からも「あいつはやめとけ」と諭されるようなタイプらしい。それでもBは周囲の意見は聞きつつも受け流すといった感じで彼女にプロポーズすることを考えているとのことなのだ。

「先輩、たまおきちゃんのことそんなに好きなんですね」
「ああ、まあな」
「どこがそんなに好きなんですか?」

Aが聞くと、
「あんまわからないけど、全体的に。あと顔が可愛いんだよな、フツーに顔が好きだわ」

と、全然深くも納得感もない答えが返ってきた。あっっせえ、、、と思いながら、それでもBは「俺、アイツと一生いてもいいと思ってるから」と、ぶっきらぼうな感じだがすでに心は決まっているという口調で、Aもなんでそうなるんですかね〜、みたいなことを言いながら少し気圧されたような雰囲気だった。

最終的に、話の続きは次回に持ち越すことにしたらしく、その後すぐに店を出て行ったのだけれど、結果残された僕は「なかなかいい会話だったな」とかなり羨ましい気持ちがしていたのだった。他の客からすれば音量としてかなりうるさく、おまけにテーマも幼稚なところがあり耳障りでなかったといえば嘘になるのだけれど、それでも2人の間には内容やレベルとは別の部分で信頼のようなものがあって、どちらもそれぞれ思うところを余さず語っているか?という観点ではYesと言わざるを得ない印象が残った。周囲の人間からは聞くに耐えないようなグチも、本人が心から語りたいとなればなんらかの場所を得て発されるべきなのだと、改めて思ったのだった。

翻って自分のことを考えてみるのだけれど、僕は実に語りで自分の思っていることを思う存分ぶちまけるのが苦手だ。正直なところやり方がわからないというか「どうやればその単語・そのセンテンス・その罵倒がその屈託のなさで出てくるんだろう」と他人の話を横耳で聞きながら思わされることが日常生活の中でも割と頻繁にある。これは性格の違いもある程度はあると思うけれど、タイプの問題よりもなんらかの心理的なバリアというか、コンプレックス的なことが潜在的に働いているのでは、、、?という気がしているのである。

ただ、そういう自覚があるからこそのラジオ・ポッドキャストの発想になったのでもあるだろう。テーマ・話し相手の問題はあるけれど、兎にも角にも言いたいことを完璧に余すことなく言い切る。もしかしたら聞いている人を不快にするかもしれず、普通に嫌われるのではという懸念もあるけれど、いよいよとなったところでは人間は自分のやるべきことをやらなければならない。もちろん基本の礼儀は守るとして、ただ肝心のところでは正直な胸の内を、これまで言わずに飲み込んできたことを話し切る、そういう機会に心から憧れているのだった。

ちなみに、こういう文章やあるいは詩の中でははっきりいって書きたいことを書けているのではという感じが、まあある。そういう意味でこれまでは書き言葉・文章作品で溜飲を下げていたのかもしれないのだけれど、それだけではダメなんだなというのがまさに今思うところで、35歳を過ぎた今頃になってこれまでやれていない、それだけにやるべきことをこなしていかなければと、今更ながら冷や汗をかいてでも苦手に取り組もうとしているというわけである。

年収が1億円でも1000万円でも300万円でも1円でも全く構わない
そのぐらいのことで魂はへこたれない、意気をくじかれることはない
そして、できるだけ必死こいて1円でも多く稼げ
もうこれ以上稼げない、というところまで汗をかけ
そこまで行くこと
少なくとも、若くて華やかなうちはそこまで走り切ること

俺はただ、現実的でぬくもりのある、穏やかな握手がしたかった
色々な要素を抽象すれば、本当にそれだけだったとも言いうる
相手の年齢・性別・ステータス、その他現在地や目的などを基本的には問わず
人が人に対してシンプルに出会うこと、その自然な喜びを違和感なく形に表すこと
本当は難しく考える必要のないそういうことをしたかっただけだ

ただ、それにつけても俺にとっては作品の創出、そして悪あがきが必要だった
なぜそういう繋がりになるのか、根っこには深い事情があるような気がしている
確証はないけれど、それはきっとそうだ
僕らは生きている中で、作品、とまで言わなくとも何らかの魂レイヤーでの実績を出さなければならない
それはテーマとしては誰にも共通で、現れ方はそれぞれの遺伝や境遇によって異なる
その一々の説明は省くけれど、それが俺にとっては作品だった、ということになりそうである

だからきっと、類似した煩悶を抱える人には多少の参考にはなるのではと、少しだけでも思う
こんな時代なのでステータス不足の若者の煩悶なんてものは何ら注目要素にはならないけれど
俺のように、ミジンコみたいにでもどうにかまともに生きなければならない奴にとっては
時給980円を必死こいて稼ぐのと同じように大事な人生のテーマであったし、
今もって完成はしない。それでもやっていくというような引き続いてのトピックなのだ

迂闊、疑り症

遺伝子にとっては私が最強

どうしても不遜なことを考えている
不遜と名あてする以外には不遜になりすぎる

詩を書いて捨てる、ゴミ箱に入れるための会
迷いが多い、選択肢にあたふたする
現在の地点から矢印が均等にバラバラに8本ほど出ているのが本当に厄介だ

対人に関するあらゆる過敏さ
言葉から受け取られるもの

リーズナブルなものが好きだ

ヤバいことを書かなければ意味がない

脳みそに息をさせろ

なぜかアイツは年々貧乏になりゆくのに日に日に元気を増してゆく

空の青さ、そのあまりにも物質、空間、物理としてそのままである様を
己の心理とは完全に置き去りにしたところで体験する
それが美の直観であり、生の軛から離れて物自体を見るということでもある

寂しさは実に真っ当だ
寂しさを噛み締めなければ、きっと心から色や形、物理現象をまっさらな目で見ることはできないのだろう
寂しさが不安に変わり、衝動、絶望を生むのが泥みの始まりになる

正義と愛の違いは、他の排斥を含むかどうか

意志の影響スコープ
意志が物事を動かしてステータスを与える可能性は決して高くない

最終節の反転
ありのままから始まり、そして意志の現れへ抜ける

アグレッシブな思想
エグゼキューションの力を持つ思想

良い会話においては、互いの語りたい量と聞きたい量が均衡する
適切な距離を取れる奴はモテる、それは期待と人嫌いを同時に納得させる技術でもある

使命は力とその所有に宿る
そして、生を受けた以上誰にでも力はある
力を最大に輝かせること、そして何かの・誰かのために使うこと
それが使命の達成であり、奉仕の実態である

○○は並以下
××に至っては目も当てられない有様
誇れるものはほとんどない
そんな中でずっと生きてきた

趣味の話がずっとできない
話し方がわからない

あの人の100万分の1でも
という思いは常にある
実態はどうかとして
身口意の少なくとも意において、わずかでも、というcriteria(基準)がある

その寂しさでお前は音を作るのだ、と宮沢賢治は書いている
そんなみみっちことでいいのか、とも思いながら
それでも、実は寂しさと心からの爆発的な喜びは、どうにも不可分にも思える
それは、本当の意味で切ないことで、同時に圧倒的に喜ばしいことでもある

どうしても世間は慰めの文化になりがちだ
それは守破離で言うところの守であり
段階としては子供・新弟子の領域だと思う

あなたに、希望と現実と絶望を直視させて、その上でやり直しの決意を持たせるにはどうすればいいだろう
あなたに、狂乱と酩酊以外の救済の機会があることを、真っ当な心の元で気づかせるにはどうすればいいだろう
あなたに、誰かから見られることから全く離れ、それでいて誰から見られても完璧に優しく美しいという状態があることを、わかってもらった上で、その上でさらに最上の目標としてそっと掲げてもらうにはどうすればいいだろう

俺は、恥ずかしながら本気で悩んでいる
そして、俺がそんなふうに真剣に悩んでいることを
どうか一生のうちのたった1秒だけでも
高架下の薄汚れた浮浪者に与えるほんのわずかな一瞥だけでも
知ってくれたら心から嬉しい
そんな無理な願いを、本当は優しいあなたの心根にお願いする

俺は寂しさを抱えすぎた
寂しさを捨ててぐずぐずにすることはどうしてもできなかった
やり方がわからなかった、本当にシンプルにそうだ

どうしてやり方がわからなかったのだろう
簡単なことのようにも思える、いっそドロっととろけてしまえば楽なようなものに

ぐずぐずになろうとしたことはあった
時々それをやることもあるけれど
それでも、恒常的な状態としてそれを薬のように処方することはできなかった
いっときの安らぎ。それは薬のようでもあり
同時に劇薬的な依存性もある。だから
俺はそれをある種の解放という意味以外では使えなかった
そちらが心の比重の大部分になってしまったら
結局は詩を書くことができなくなってしまう
それは、どうしてもダメなことだろうと、そっち派が6:4で優勢だった

 誓って言うが、惨めさをアピールしたいわけじゃない
  どう思われるか、わかったものではないけれど
   俺はただ、自分のどうしようもなさを
    それでも俺の強みとして、表す意味のあることとして
     それを俺の意思の元にやり通したい、と
      そう確信しているだけだ

春の風は優しい
春の風はどうしようもなく優しい
そんなどうしようもない優しさの風に、その柔らかい香りに癒されて
そして、その少し後にはまるで全てを忘れたかのように仕事に戻る
やるべきことをやる時には、慰めはいらない
もらったものは身になり、疲れを回復し、そして最後は無用になる
また戻ってくるのと、きっぱり別れを告げるのを、日常のように繰り返して
いっときの寂しさも抱えて噛み締めながら、どうしようもなく意味のある命を生きる

日々に、毎時・毎分・毎秒ごとに失っている
それが、才能だとは言えないけれど
少なくとも、それは書き続ける動機にはなっているのではないか
そんな気が少しだけした。難儀だとは思うけれど

これまでに罪を犯したことがあった
大小様々だが、決して少なくはなかった
むしろアベレージに比べればかなり多かったかもしれない

そして、さらに悪いことにそれを隠蔽したり
見て見ぬフリをして逃げ出したりした
だから、俺の顔には罪の証が現れているし
それによってできないことが本当に多い
今日もそれを感じたことは10や20ではない
はっきりとカウントはできないけれど、本当にそう感じている

 恥ずかしい告白を許してもらうとすると 
  1日に何度も鏡に目をやり、己の顔を確認するのが習慣になっている
   それはナルシシストなのかも知れないが、自分としては
    罪の現れが嫌なので点検したいのと
     同時に相貌からこわばりが抜けていくことを願って
      それを一つのKPIにしている、その確認だということ

通例通りの謝罪ではどうにもならない
また、どうにかする、という発想自体がダメで
発想の先に解決策がきっとあるはずで、そうなるとまともな方法はない
そして、まともな方法はないと気づいたことが、まだマシになっていることの証明でもあるので
悪くはない、そして良くもないというぐらいの地点をうろついている

ただ、俺はこのことに一生向き合い続けることになる
そして、数々の失策をこれからも犯すことはひたすら反省しながら
それでも根本としては道を違えないと
それだけは祈りこむような心地で願っていて
その願いがどうにか通じているので、なんとか露命を繋いでいる
そんなような状態である

愛も勇気も希望も
手にしたと思ったらすぐに失われてしまう
それは俺の至らなさで、そして日常茶飯事なこと
行き帰りの通勤電車でも、オフィスのデスクでも
そして暗い独房のような一人部屋で寝起きする時ですら
身口意全てのレイヤーでそれが失われていることを止め難い

 知らないわけではない、そして、しっかりしたものを得たことはある
  それは俺の自負ではなく、事実としてある
   ただ、その繋ぎ止め方の履修がまだで、修行が至らない
    それぐらい状態だということ

だからこそ、俺は何かを書く必要がある
俺には可能性がある、どちらの方向へ行く可能性も
そこに俺はワクワクしているし、同時に恐ろしくも感じる
マイナスの方向は決して派手ではない
それに関しては、伝達が誤っていたら申し訳ないけれど
派手なのは苦手で、俺には無理だ
だから、確たるものを打ち立てるか、もしくはネットのゴミとして消えるか
そのどちらかということ

 どちらにせよやることは変わらない
  成果の保証もない、そして
   今この時大事なことは、絶望しないこと。それだけだ
    それだけ、冷や汗をかきながらでも踏ん張る

今日も、勇気のために何ができるか、と考えていた
愛と勇気と希望と、全てが同じぐらい大切だとして
今俺に一番必要なのは勇気だと思う。そして
きっとそれは俺だけじゃない。それは本当に信じているし
そのために、俺に何ができるか
それだけが試され続け、試されることをうけがい
試されることに喜びを感じ、その全ての中間を胸に進んでゆく


魂における学問、それは本当の意味での道徳や倫理、宗教のことだ
学問であるということは、ざっくり言えばそれが自然科学の側面を持つということ
それは、つまり数学にとって1+1=0を出発点として全てが組み上げられることと同じように
物理的事実以外に魂という現象がある、つまり「魂=1」を是とすることを出発点としているということ
そして、「魂=1」を自明とする、あるいは「神は存在する」といった命題のような
類似する自明化・内面化が個人の中で発生していること
それが何かを信じている、という状態の辞書的説明になる

信は物理的事実の外側のお話

信の前には疑問・不可思議への興味関心・探究心のフェーズがある

物理的事実以外に存在を感じ取る
特に精神の領域に何かが存在している、という感覚を持つ

魂のレイヤーにおいて肩代わりすること

物理的利益
神経的利益
精神的利益
魂の真善美
それぞれのレイヤーにおいて人は求め、粉骨砕身する
そういう原理で色々な物事が動いている

所有の責任、それは知識にも及ぶ
知るべきでないことがあるのではなく
知ったからにはその知識を思想レベルで咀嚼して自分のものする責任が発生する
それをやり切らないと、人は知識の罪深さに蝕まれて堕落してしまう

深淵には全てが銘記されている
それはつまり、過去・現在・未来の全ての事実が書き表されている場所である
あなたが犯した大小様々な罪も、恥も、そして人類の巨大な過ちとその仔細まで
「これこれこの通りとして、あの世の門番に提出します」というものの膨大なリストそのもの
そして、その深淵を内包する形で、さらに美しい真善美の世界が確かに存在する
だから、空論でない知識・知見は全てを見通してそれでも空の青さのように快活に笑う

僕らは知識として多くを知っているし、現時点では知らずともポテンシャルとして多くを知ることができる状態にある
AI時代において、あなたは地球の反対側の地点の緯度経度・現在の天候や植生・付近のSNSユーザーのスマホ内で何がバズっているかまで
その気になればたちどころに知ることができる
そして、それは魂のレイヤーにおいては非常な危険と隣り合わせ、ということでもある

抽象レイヤーからの理解促進と、具体・物理レイヤーにおける奉仕
その2つを両輪としてクリアするように生きてゆく

奉仕が足りている、なんてヤツはほとんどいない
美しく、適切に食事がなされている、ということも同様
まともに生きるのは難しい、手がかりも乏しい
気を抜くと習慣化され・合時代化された粗雑な行為に罪業を深くするばかり
そして、唆され・おだてられ・ほめそやされる中で
真善美への道はあっという間に閉ざされる。それで終わりだ

速度・スピードの重要性について
魂レイヤーにおいて、罪業が発生するスピードという現象が存在する
仮説としては、それは神経刺激が感覚器官から脳へ伝達し、魂へ干渉するまでの速度と想定される
そして、罪業の現れる速度より速く真善美という現象の速度があり
それらは罪業より位が高いため、その現象に打ち勝ち、焼き切る

ーーーーーーーーーー

俺が全てに打ち勝てるわけではない、はっきり言ってそんな力はない
ただ、俺が削り出そうとしている思想・真善美への道は頭抜けて力強いものだ
貧乏による社会の荒廃も、エロ動画の氾濫も、SNSの唆しも、メディアの偏り、政治・成金の下品さも
全て焼き尽くし、最後にはとんでもなく高い青空の下にあなたを遣る
それだけの力のあるものをくっきりとした形で提示する、それが俺のというか詩人の使命だと
そう宣言をする

また、この宣言自体がある意味で思想の根本であり、本体であり、同時に体現でもある
それは、宣言・つまり決意の表明自体が思想を下敷きに成立するものであるからであり
宣言によって、他で語っている内容が机上の空論でないことをある意味で物理現象的に証明する
そういう意味合いのあるものだからだ

俺の思想はイコール俺の言葉だ、シンプルに考えていいようにしている


















何をしたら愛してくれるだろうか
全財産、あるいは命を捨てたらどうだろう
それでよければいつでもあげられる
そういうものに、俺はなりたい

もう最初からお前は俺を愛している
ただそれが顕在していないのと、自覚なく混乱しているだけ
そして生(せい)のなまなましさに振り回されている

起こりを捕まえる

優しい人にも、なぜ殺しの実績が必要なのか
それは、まさに優しさが最上位であることを証明するため
そのためには、優しさ以外の力を言い張るものを殺さなければならない
そのために、真の優しさは殺しのライセンスを与えられる

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

恨むか苦しむかの二択がある
俺は悲しいかな、必然的に後者を選ぶことになる
そして、選ばなければならず、また
喜んで選びたいのでもあるのだ
そう奥底で同時に感じている

必然と義務と意志が完全に合一する

行いについて深く向き合うとわかる
事実と義務と使命、そして希望は全て合一する
そういうことなのだと、呻吟する中で悟られる

これでいいのかどうか、まだはっきりはわからない
そして、わからないのと同時に、もう明確に掴めていることが悟られる
そういう矛盾しているような状態がある
それは単にレイヤーの問題でもある

憧れるのをやめるとはどういうことか
それは怠惰な願望ときっぱり別れるということ
同じ道の上に立つには、憧れの1000倍の向き合いが要る
それをやろうと誘われているのだ

つもりを打ち消すのは至難の業だ
誰も頑張っている、正確には我慢しながら頑張っている。そして
頑張り方自体を見直すことは難しく
そしてさらに、10年の頑張りが全くの無駄、むしろ魂の観点ではマイナスだった、ということを受け入れるのは難しすぎる
だから、最後には全てうまくいってくれという祈りが
唯一ひとつの希望のかけらになる
なるよりない

言葉を根っこの意味でちゃんと使うと、言葉はそれ自体の真実性を表す。
そこにはぬくもりと、際立ちと、迫真と、【全くのただの普通】が混在する状態が現れる。
それは本当になんてことなく普通に見え、だからこそ私のような凡人を混乱させる元でもある

心と体は似ている
心が死んでゆくのと体が死んでゆくのも、かなり似ている
違うのは華やかさと、原動力、源泉、そして現れ

もらって癒されるから、与えて癒される、へ
そしてさらにその奥がまだまだ続く

自我は便利さ、生の有用性へ向けて
心は切なさ、魂の根源性へ向けて

本当はもっとぶちまけるべきことがある
ぶちまけた上で、最後に心で全力で謝る
そうしてボコスコ殴られて、血を吐いて
そうして命がようやく救われる
そういう仕組みが、殺されてしまった

極まった切なさを抱えることで、人は誰かに心から優しくなれる

許されるのだという確信の度合い
それが眼差しの優しさと深さを決める

思想は繋ぎ止める

それはより上や別の世界を求める意志がないだけ

最後には俺が、アイツが勝ち切る
その証のために、生ぬるいことは殺される

もっと見る、目と心で同時に見る
見てそして、向こうの切ないところを受け取るまで受け身でいる

視界の外からでも寂しさ、切なさを感じ取れるようになる

そして最後は俺が全て受け切る
彼がなぜ罪を背負って死んだのか、その原理を分かりやすく語れるくらいには受け止める

もっと傷つけられ続けることだ
それでいても最後は救われる
そして、ほんの少しのおこぼれをもらう
そういうところに行こう

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

去り際、呼吸
センスの美しさは確かにある、俺もそれを愛する
センスは

留保の使い方

劣等感を引きずり出されている時

誰が・今・どれだけ話したいか・どれだけ話を聞きたいか
視覚および空気を通じた振動による伝達、その感じ取りがベースの一方にあり
逆側の自分の状態との関係性、そして起こりなどを心・体両方でコントロールしながら会話は成立する
その感覚を身につけること

6分後には神田駅に着く
そんな時間を生きながら、山手線の上で
時代の息遣いと、その疲弊を何の気なしに思う

地に足つけて根をはる
言葉少なく
腹から声を出す
顔が見えるように話す。双方に
注目を吸い込む
間違えた時に冷静になる

視野の狭さや個人のくびき、肉体の至らなさそれを笑って卑屈をせず、完璧なフォーカスの元で使い尽くすそれが根っこの意味で私らしいということそしてそれは、私にこだわる狭量を越えている

罪および恥と罰、それらと責任の関係

ある人が何らかの罪を犯した、あるいは恥をかいた時
その時は、その状況下においてその人が何らか果たすべき責任への違反が起こっている
意識・無意識を問わず、その場にある自然の法をベースにした責任が不履行にされる時に
その人に罪・恥が起こり・罰が下される


俺は昔、死ぬのが怖かった
死ぬということをまざまざと体験したわけではなく
死ぬということがどういうことなのか、と深く考えた時に恐ろしくなった
死ぬ時にどれだけ痛いのか、生を失うというのはどういう感覚なのか
感覚を失った後に人はどうなるのか、何もかもがなくなるというのはどういうことなのか
宇宙の黒色に吸い込まれて消滅するようなチャチな妄想をしたりした記憶がある
そうして自分の死を考えると同時に、身近な大切な人の死についても考えた
それは単純に恐ろしいことであり、悲しく辛いことであり
またあってほしくないことは当然として、あるべきでないことのように感じた

また同時に、それだけ理不尽で無慈悲な事象であるだけに
それにどう対処すればいいのか、という現実的な思想への落とし込みにも発想は向かった
死にまつわる現実を変えることは基本的にはできないとして
死をどう扱うか、どう意味づけるか、どう共有するか
あるいは過去や世界の慣習の中でそれに良く対処しているものはないかと、
積極的に調べたわけではないがアンテナは張っていたように思う

その中で、いろいろ考えた結果、いくつかの結論を得たけれど
一番重要なのは死ぬ時に笑えるように面白いことを求め続けようということと
そのために全力・真剣・誠心誠意に生き抜こうということだ
何に対してそれをするのか、ということもまた思想の範疇だけれど
対象は別として、やるべきことをやっていれば、
全てを失うときに、まあなんとかやり切ったなと思えるような気がしたのだ

この浅薄な思想が身を結ぶのかどうかはわからないけれど
今のところはいい感じに進んでいるので、まあ大丈夫なんじゃないかと楽天的に思っている
今後に期待が掛かるところである


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

俺には常に書き続ける、ということはできなかった
昔小説を書いてみた時にそう感じた
それで俺は詩を書くことにしたのだけれど
常に詩に向き合っている、という状態にするために
人生の丸ごと全部が詩になるようにする、という考えは常に頭にあった
つまり、人生の中に詩の時間があるのではなく
詩作・詩の魂の成就?に供するために人生の時間が使われる、というイメージだ
人生のあらゆる選択、時間の使い方、卑近なところも全て含めて
全ての基準が「詩という観点で良い方向に進んでいるか」に集中してきた
これが、何事においても長時間同じことを続けられない俺の場当たり的な方法論だった
うまく行ったのか・うまく行っているのか・今後もこれでいいのか定かではないが、
まあなんやかんや続いているので良いかなと今は思っている。

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10年やり続けた、ということはシンプルにとても大きな自信になった
そして、それは見方を変えると「一人立つ」という感覚を内面化した、ということでもある
俺は一人で死ねるし、それと同時に全てのために歌うことができる
そういう感覚を日常のものとして、どんな時でも行動の原理とすることができる
そのためには、俺にとっては5年ではダメで、10年が必要だった
それが、俺の書き残したものにほとんどそのまま残っている
いつでも振り返れるというのは、記憶力が悪く何にせよ迷いがちな俺にとってはありがたいことだ

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

語尾を変えて、リズムを変えた
一行の長さを変えて、行間の呼吸に耳を澄ませた
そして、聞こえてくるものはおそらく自身の変化に伴って変わってきた
その過程を後から追いかけるのも楽しい

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

人は皆、一度は深淵に触れる
あるひとは意思的に、ある人は無自覚に
そして深淵を深淵と認知しないものは恐怖の底に沈む

深淵は一切を銘記するもの
見て見ぬふりをしたことも、戦うべき場所で逃げたことも
何もかもがそこに記され、
お前がお前であることを忘れて失う時まで、深く刻まれて残り続ける

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

時代道徳と世界道徳
自然の理
時代道徳の形成原理
時代道徳と大衆感情の関係

大衆的内面化、大衆の内面的規範への浸透過程
芸能人へのバッシングが大衆に規範をすり込んで反復的に固着化させる

サラエボ事件のように、偶然と必然を混ぜ込んで時代は動く

ーーーーーーーーーー

ダラダラと生きるということ
載せられるがままのレールの上で生きるということ
時代道徳の教義を浴び、無意識に染められてゆく
ニュースやウェブ情報、SNSを日常利用する中で時代道徳の情報に脳が浸され
気づいたら、それをある種の規範として内面化している
規範を守り、違反への懲罰を担当する側にまわる

 いつ採択したのか、時代の雰囲気に迎合したのか
  敗色濃厚なオセロの盤面のように割合を失っていく

時代道徳に対する受け身を解除できず、優しい眼差しを失うとどうなるか
ハックルベリーの勇気を思い出す時に、僕らには少なくとも一度立ち止まって考えるべきことがある

ーーーーーーーーーー

俺が助ける、俺がなんとかする
法律でも、コンプライアンスでも、募金活動でもなく
他でもない俺が俺の手でお前に手を伸ばす
それが、一番やるべきことだと、時代を超えているアクションだと確信している

人として生きることの辛さ、厳しさ、苦しさ
そしてそれらを軽く圧倒する素晴らしさ
誰かが残し、多くの人が引き継いだ神話を
改めて自らの身口意で体現していく過程
惨めな肉と骨は、細胞と遺伝子の混合物は
意思と観測不能の力の元で改めて人となる

栄光から遠い
はっと驚くような新しいことが起きない
そんな素敵なことがあるのかと、心打たれることがない
そんな状態からはいち早く逃げなければダメだ

はち切れるほどの肯定が内側から皮膚へ
そして相貌を構成する全ての要素へ行き渡る

我が逃走
生産と奉仕の喜びについて
大衆は革命を求める、そして

栄光を、栄光への挑戦をやり切る
書きながら少し震える心地がする、そんなことに挑めるのはきっと幸せなことだ

ーーーーーーーーーー

令和の群像ー子供ら

令和の子供らの目と脳は電脳に汚れ
動画の反復とマーケティングメッセージの刷り込みに浸され
肉体の若さからは信じられないほど重たく沈んでいる

 5歳からでも老人になれてしまうものかと
  驚き恐る心地がした

大地や自然とのつながりをもがれ
苛立ち疲れた母親のもとで、優しい愛撫を知らず
孤立した家庭の中で、ストレスにさらされ続ける
そして、そのストレスを上書きするためのウェブコンテンツが
視神経から脳を時代の傾向に染め上げることになる

令和の群像ー女ら

令和の女らは何かを求めて、そして貪る
それは非常に無自覚で、悪気から遠く
同時に下世話で下品な相貌が刻印されている

(他の選択肢は、田舎に引っ込むぐらいしかない)

性別の自覚を世間的に廃止した時代背景の中で
欲望は適切な輝きと昇華の機会を得られず、暴れる
それは、若さの時を殺されるのに等しい

そして、女の不幸は男の不幸でもある

ーーーーーーーーー

やり残し

俺の手は震えている
やり残しの抱えきれない膨大さに、内側から
拒絶と逃走の衝動が震えとなって沸き起こっている
大人として、男として、人として
30年前は当たり前で、現代ではゴミ箱に捨てられてしまった規範が
意義のあるものだったのか、不要の長物だったのか
その答え合わせが、令和の日々に遠近さまざまなところで発症している

30年かかって捨て尽くしたものを、取り戻すのには
さらに100年の歳月がかかるだろう
そんな気がして、途方に暮れる心地もしている

ーーーーーーーー

公共の場で声を荒げたことがあった
俺は悪くない、ルールに則っている、悪いのは向こう側だと
社会的には言われているし、SNSにもそう書いてある
だからきっと最後はそれを実行したのだろうけれど
でも、本当はそうしたいわけではなかった

電話対応の女性にキツく当たったことがあった
購入した電化製品に付属しているべきパーツが1つ欠けていたのだ
女性の反応は申し訳なさそうでもあり、同時に面倒臭いなと、内心で思っているところが透けるようでもあった
それは本当にそうだったのか、もしくは電話をかけたお前自身が勝手に思ったのか
どちらかわからない。そして、思ったかどうかはある意味問題ではないのかもしれない

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

読み取るスキル・再現するスキル
再現のために八方手を尽くすスキル
そして最後に、他人を読み取るように自分の作品を認めるスキル

必死こいて働け
1時間でも3時間でもいい
8時間、10時間、時には徹夜、2徹になるかもしれないが
必死に働くことができれば時間のタカは関係がなくなる
15分、10分、小さく見れば1クリック・1アクション
やり切れるかどうか、これでいいという汗が流れるか
それだけが後から体験の質を教えてくれるし
質のいい仕事は量を問題にしない体力があることを知らせる

世間と世界のルールは変わらない
ただ見え方と、勢力図と、戦い方が変わるだけ
それは見えている奴からは簡単に見える
戦略は同じ、戦術が全く違う。そういうレイヤーの理解がある

「なければならない」の義務形を止めること

地獄と虐待

俺に何ができなかったのか、何ができなかったのか
何に抵抗を感じていたのか
そこに少しヒントの予感がある
心の底から褒めきることの難しさ
そしてその場面に出会うことの得難さは
それもひとつ、俺に詩を書かせる理由、原動力のように思われる

だから言葉の中を体当たりして探していた
生活にまつわる全体も、些末な部分やワンシーンも、全て詩のための素材集めみたいなところがあった
そして、今はひとつの回答を得た
それは、言葉のなかで何かを完全に褒めたたえるということ
完全な感動を経て、手放しでの称賛、またそのための言葉を添えること
そんなシンプルなことにこだわって、見えないままで探していたのかと改めて思わされた
そしてそれは、きっと成功したのだ
それはきっと俺の詩の有り様が明かしているだろう

思想の提示がなければ優しい人の出現が完全にランダムな出会いと血縁・家族の運になってしまう。


詩人はある確信の元に生きている
その確信とは、詩作について、これで良いと直感して死ぬまでやり切ることができる
だからたとえボロ雑巾のようなったとしても際立った問題はなく、
逆に世界一の大金持ちになったとしてもそれほどやることが変わらない
そういう類の確信である




傷つくのはきっと悪いことばかりではない
人の傷が回復する時には、うまくすれば同時に優しさが生まれる
修繕工事の途中、あるいは事後に生まれるいびつな皮膚の表面には
その後撫でるたびに当時を優しく思い出させるような思い出と温もりが宿る

ダメなのは傷んで弱り尽くしてしまうことと
傷ついていないフリをして代わりに内心で荒み切ってしまうこと
そして、優しさが本当はどんな手応えのものだったのか完全に忘れてしまい
失ったことにすら気づかない有様になることだ

俺はきっと真剣に生きる
俺は、きっと最後まで真剣に生き抜く
それだけ、今は本当にそれだけを書き残す
そのぐらいのことしかできないのは内心歯がゆいところもあるけれど
これだけはなんとかギリギリ守り切ってやり抜く、そういう誓いを今まさに立てる

 ほとんど全てのことがふわふわしておぼつかない
  何も信じがたい、信じるべきものが内側から何も出てこない
   そして色々なものごとがぐずぐずになっていく

雑多で耳障りな言葉の断片が、昔から脳裏に現れては消え
そしてそのまた百倍も現れては消えてきた
しょうもないことだと思いながら
俺として、そういうどうしようもない性情と格闘してきた
そしてSNSにも同じように流れては消えてゆく思念の断片が渦を巻いていて
それでいてそれは本当には何でもない、全く無価値な戯言でもある、そのことが
俺にはやはり放っては置けない、そんな風にも感じる
少なくとも、言葉の起こりである以上は俺にも関係のないことではありえない

 うまく言えないが、一つ言えるのは
  俺が何とかする、という、その7文字だけ

今日一日だけでも一体いくつの失敗・間違いを犯しただろう
そしてまたそういった事象について、何度それらを失敗・間違いとカウントしたことだろう
そしてさらに、カウントすること自体がそもそも間違いだったとしたら
またこうして間違いとカウントの追いかけっこが無限に増えていく
本当に、単純に頭が悪いとしか言いようがないので
流石に笑えてしまうのでもある

 こうして書き残しながら、適切さの確認と探索を根っこのところで繰り返していると
  本当に俺の人生はこのことだけでいいのだということがわかる
   それは、情けない部分もありながら、実際本当にやるべきことに触れているのだと
    明確な手応えとして捉えられるようになった

終電間近の山手線、神田駅、ホーム上
白いペンキ塗りの煤けた鉄筋で組まれた上屋を広く見つめながら
こういうところで書くべきで、書かなければならず、そして書きたいと思った
ない椅子を探して書いた手記に惨めな男の魂の残滓が張り付いているのを何の根拠もなしに確信しながら
見すぼらしい幸福の実感に包まれてよろよろと家路につく


また一つ、まともに死んでゆけるようになった

昔何が見えなかったのかに真剣に向き合う
昔も今も同じは同じだ

本当に少しずつマシになってきてはいる
目標には99.9999%足りないけれど
それでも0よりはなんぼかマシだ

いつか山手線で
いつか駅のコンコースで

見られることを求めて
心から見つめられることを望んで

もう春が近い
東京の空気が春を連れてくる

思念と言葉は何だったか

適切さのために

適切でありたかった
心の底から適切でありたいと願った
いつからか、まともであること・行いが状況にそぐっていること
人として適切であることが人生の重要な基準になった
そのような方針が生まれたのは、きっと挫折を経験したからで
同時に様々な面で周りからはるかに遅れていることに直面したからだろう


善の研究

もっと適切な言いようがきっとある
そのために詩人になったと言ってもきっと過言じゃないはずだ

真剣さを目指す場合
真剣さの体現を目指す中で、己の真剣度合いを問われた時に微塵も動揺してはならない
度合いや自他の別が気にかかる時点で、真剣の本質から離れる
言葉は真剣さ、本気、誠実を完全に反映する

なぜ芸術が必要なのかはっきりわかった
人が心から向き合うもの、それが神と人と芸術に対してであるからだ
そして、人生や生活もそれに次ぐものである

なぜ確信が必要なのかわかった

俺はもう誰も裏切るまい



余裕がないと人は自己保身があらゆる生活の選択におけるメインの要因になってしまう
自己保身が悪いわけではない
少なくとも、自己保身をしないでいられる凡人はいない。誰だってそう
ただ、とにかく経済状況が悪くなると自己保身の度が強くなり
ギスギスした世間・社会になってしまう。どうしようもないことではある

金持ちは顧客・大衆からできるだけ多く利益を掠めようとし
消費者はできるだけリーズナブルに甘い蜜を吸おうとする
マネジメント層はできるだけ安く多く働かせようとし
労働者層はできるだけ働く量を少なく、あるいはリターンを最大化するような機会を求める
それは、表面上は当たり前のことではあるけれど、根本的にはせこいと言えばせこい状態なのだと感じる

【令和の群像】

東京平野が疲弊している
それはもう、誰の目にも明らかで
明らかすぎて誰も問題にしない、というのが大衆の態度になってしまった
満員の山手線、オフィス執務室内、地方郊外のイオンモール
全てに共通しているムードに気づいていない人はいるまい

 己の、2人の、家族の5年後10年後に
  純粋な希望を持って日々を生きる人々がいったいどれぐらいいるだろう

男が役割をもがれて萎れ
女が責任より権利に執心することを、まるで当たり前であるかのように思わされ
子供の業の発露に対して適切な教育がどうあるべきだったのかが忘却され
年寄りは、これも役割から遠ざけられて老残を晒すばかり
そんな有様で、バラバラにされた国・民族・大地に希望の歌は響くだろうか

 愛国も、民族も、男女も、神話も、すべて死語にした世間に何が待っているか
  それを向こう10年・20年で全身で味わうことになる
   その覚悟だけは、すでに準備が済んでいる

俺は何もしない
何もできない、それは俺の至らなさだ
無力と非才を恥じながら、
それでも、コンプライアンスまみれの泥をすすって生きる
そういうことになるし、そうしたいと思うし
そうであるべきだと確信している



【腐臭について】

ストレスを飲み込んだ人間の腋から饐えた匂いがするように
老いて目標を喪失した国の世間にいるのはキツいことだ
街角の喫茶店、スーパー銭湯、高級焼肉店
どこに足を運んでも逃れがたいそれらの腐臭は
逆の意味で時代や国土・言語という枠組みの影響力・偏在性を思わせる

 諦めない、というのではなく
  生きて死ぬまでの道程に、書き表すことが組み込まれている
   だから現状がどうなろうが、どこまで悪くなろうがやることは変わらない

自己啓発本と各種媒体のマーケティングメッセージが思想の代わりのようになっているのは虚しいことだ
資産の多寡を問わず小我を優先して一体感を失い、小さな自己保身にギスギスし
コンプライアンスの標語のもとになけなしの優しさをすり減らすことで
大きな栄光も、生活の些細な幸せも、中間の共同体も全て失い尽くし
後にはイオンモールとデイケアセンターと、誰も世話をしなくなった虚しい墓石が残る
歌のなさ、良い知らせのなさ、そして
何より昭和→平成→令和にかけて人の目から光が失われていったことが
100の言葉より明示的な証拠として裁判所に提出されることになる
 
 なぜこんなにしんどいのか
  なぜこんな世間を生きなければならないのか
   誰がこんなふうにしたのか、何が悪かったのか
    そういう思考のゴミが生まれるうちは、ずっと同じだ

この後どうなっていくか、ということに俺はそれほど興味がない
どうせ悪くなっていくことは基本的には確定している、そして
俺には書き残すことしかできない
そして、それはそれでいいのだ。きっと
今戦うべきところへ出向き、今やるべきことを細々とでもやる
それだけだ

細い雪がひらひらと舞い落ちる
冬の寒さに耐えかねるような有様で
切ない音を立てて、令和のアスファルトにするりと消える

 希望はほとんどない、そして
  それでも世界はある、というのが何よりいいのだ

水道の蛇口を捻ると、彼の国ではあり得ない噛むほど冷たい水が飛び出た
透明で嚥下可能な澄んだそれに手を浸していると
これを身に受けるために帰ってきたのだと
改めて思い知る心地がしたのでもある
 
 迷いの中に一人でいる
  寂しい気持ちも少しはあるけれど
   それに関して、何か対処や手当てをしようという気はない

俺は、氷点下の世界で
カーテンの隙間から足元に忍び込む冷気を感じ取りながら
日本の現状に対して態度と方向性を決めかねながら、それでも立とうとしている
きっと良いことが起こると、その確信だけを深めながら
それでも寂しい帰途に着く

>だから僕たちはサンタクロースの真似をする

思い出が分配される
赤と緑の電飾に乗って
御伽話の形を借りて届けられてゆく
色どりのカケラもなかった人生に
全力で走る意味が与えられる
そんな大切な日が、誰にとっても喜ばしい特別な日だったことは
きっと10年に1回ぐらいの幸運に違いない

 何でもない歌だと思っていたポップソング
  それが、26日の新しい朝、妙に心を揺すぶるのは
   きっと聞いている側がたったの1日ですっかり変わってしまったからだ

いつかまた、何かの時に
今年のクリスマスソングを思い出す
そんな瞬間が来るかもしれない、こんな
ありふれた感慨を、自分でそう思ったのか、
あるいは何かに思わされたのか
はっきりとはわからないけれど
少なくとも、きっと年が経つにつれて
この歌を、毎年生み出されては消えていくはずのこの歌を
もっと良い歌として聴けるようになる

 サンタクロースが本当にいるのかいないのか
  誰もはっきり言わなけれど
   どうか彼がいてほしいと、世界中の誰もが思った
    だから僕たちはサンタクロースの真似をする

イメージ通りの雪の街にも
南国に待つ貧乏な人らの間にも
等しく届く、メリークリスマス


>優しさの実践について

優しくありたいと思った
せめて、優しさだけは完備していたいと思った
大したステータスもない、魅力も金も身長もない
普段から冴えない上に、時々とんでもない失敗もやらかす
だったらせめて、神様に許されるぐらい優しいヤツであろうと
ギリギリ足切りを突破するだけの分量でいいから、合格点がほしいと
それが一つの目指すべきことではないかと、ずいぶん前から意識してきた

ふと見渡すと
周囲の人には優しさが足りないように思えた
特定の誰かというより、街全体・状況の平均がそうであるように感じた
家の外で困っている人がいても、誰も助けていないように思えた、特に東京は
荷物をぶちまけた若い女性、酩酊の域を超えて酔い潰れているサラリーマン
あるいは、道端に倒れてずっと放置されている古びた自転車
そういうものを、助ける人がいない、あるいは助けの手が出てくるまでの時間が遅い
そういうことが少し嫌だった

みんな見知らぬ誰かへの接触方法を知らないように見えたし
厄介ごとに巻き込まれることから無意識に遠ざかろうとしているのではと思えたし
あるいは、善意でかけた声に対して冷たい反応が返ってきた時の寂しさみたいなものを忌避しているのかもしれなかった

でも、あらゆる気掛かりを優しさより大切にしているようでは、
そんなものは本当の優しさじゃないだろうと、当然考えつくところだ
俺は、俺の直感に従って
少しでも優しくあろうとし、優しさを実現するだけのコミュニケーションの作法を体得して
優しさが仮に届かない、あるいは不徳の致すところで迷惑に受け取られたとしても
それをその人や誰かのせいにはしない、そうしないぐらいにタフになろうと
そう思って生きてきた

一方で、優しさを標榜して何かを惹きつけようとするのは卑怯だ
そういうことは優しさの商品化で、本当の優しさではないのでやらないこと
現世的な見返りを求めるなら、それは別次元でやるべきだと
教えてもらったし、俺としてもそう信じている

こういった自分限りの姿勢が何をもたらしたかはっきりは言えないし
何かを実現して到達したなんて嘘でも口にするのは憚られるが
結果的に、俺はそれによってとても得難いものを得た
だから、最終的には実利上も非常に役に立つんだと
それだけはここに言い残しておきたい


>若さについて(3篇)

【若さの時間について】

最高の時間を心ゆくまで走り切れ
腐った大人の説教は聞いてるフリで聞き流せ
生の力と命の輝きが、掛け算されて最大値を更新する瞬間
そして、その二つの相克に引き裂かれながら
それでも美しく力強いものに焦がれて誤魔化さない若さの時を
 
 デバイスや下部構造に脅かされる青春なんて、本物の青春じゃないだろ
  誰からの言葉も受け止めて、それでも最後は自分で決める
   そんな迫真の一瞬を、掴んで走り抜けろ

年寄り臭いようだけれど
いつかそうやって全力で汗だくになった時間に支えられる季節が来る
間違いなく絶対にやってくる
あの時死ぬほど大変だったけれど、一生分の冷や汗もかいたけれど
それでも結局完璧にはできなかったけれど
あれで良かった、本当に良かったと、心から思える

だから、完成度とは別の単位
いかに極限まで燃焼したか、燃やし尽くしたか
それだけにひたすら本気になれ
空気も読みながら、それでも裏では隠れて猛烈に腕を振れ
それだけやれれば、後はなんでもいい
きっと、より一層笑って死ねる

ーーーーーーーーー

【若さの浪費について】

搾取されないようにしようなんて思うな
こき使われないようにしようなんて思うな
年寄りは時々苛烈な労働を求めるけれど
それはリターンを得たいから、というシンプルな理由
そしてそれは、ある意味では貧しさの証でもある

与えるよりも得ることにフォーカスし始めた奴は汚い人間になってしまう、それは歴史が証明していて
今後の人生の中でも似た事例をごまんと見ることになるだろう

だから、欲しがられたものは喜んでくれてやれ
搾取したければすればいい、と心の奥のどこかでは思っていてくれ
逃げることが必要な時もある。それは頭に入れておくとして
それでも、表面上のこととは別にして、やるべきことから目をそらすように逃げることは絶対するな

極論を言えば、お前が日々の仕事で擦り切れそうになることよりも、
与えられたエネルギーをフルで燃焼しきれない日々に甘んじることを俺は何より恐れる

ーーーーーーーーー

【心を開くことについて】

ここでは心を全開にはできない
完全に解放することはとてもできない
そんな風に思われて辛い時がちょくちょくある
周りに対して申し訳なくもあるし、同時に解消しがたいストレスでもある
でもどうしようもない

そんな中、音楽は一つの救いだった
そこには心のままに歌い上げて、それでいて突き抜けるように力強く、時には美しい声とメロディがあった
それを実現しているヤツがいた。それは明らかに僕の惨めな人生を底の方から勇気づけるものだった

僕には音楽の才能はないけれど、
苦しくなったらいつでもそこに帰っていける。そういう仕組みの中にいる
変わらない苦しみを、こんなもんは大したことじゃない、よくあることだと和らげることができる
しかも永久にそれができる
そういう拠り所があるのは、何よりありがたいことの一つだ


>ハックルベリーに寄せて

よし、じゃあ俺は地獄へ行く
友達を捨ててでも地獄へ行く
なぜそうなるのか、その心がわかったら
お前もきっと地獄に来ることができる
俺はそう信じている
だから、俺がまず地獄へ行ってくるよ


>飲み会の哀愁

寂しさは大声のなかにも滲んでいる
明るい人らの目線が、ここでないどこかに沈む瞬間
酩酊の最中、一番空気を読める奴
そいつがどうしても一番寂しくなる

それは、どうにも切ない、そしてどうしようもな瞬間であり
それは俺に書き続けようと思わせてくれる一つののっぴきならない理由でもある


>明日への問い

もし明日、全財産を失うとしても、面白おかしく生きられるか
もし明日、世界中のすべての富を担うことになっても、使命を全うできるか
もし明日、地球上の全員が敵になっても、孤独の中で一人歩めるか
もし明日、地球上の全員が味方になっても、安住せず一人歩めるか


>伏せ字の愛の詩(うた)

俺はお前の〇〇を××したい
こころゆくまで××してやりたい
それがお前のためと俺のための、ちょうど中間の部分を完璧に癒す
傷を癒して、回復させて、更にプラスアルファの美しさまで上乗せする
全きやすらぎと、恍惚と、生を完走するための万能の方法論
そんなものはないと、お前は信じないかもしれないが
言葉には信じたものに存在と力を与える不思議な作用がある
詩人はそれを知っている

 巨大で精密な夏の入道雲、秋の夕暮れ
  遠い空の美しさと由来を同じくする成分にお前が満たされる
   そうなったら、どれだけ素晴らしい事になるだろう

今日のお前も、明日の俺も
いつもの惨めな一本の葦に違いない
それはそれで俺が保証する
それでも、それは救いのある惨めさだ
だから、どうか
音楽、風景、優しいまなざし
あらゆる喜ばしいものに触れるように
それだけ毎日願っている


>サイゴン川の橋の上

ベトナムの月夜
浮島の様なホーチミン1区
今日も、4区から中心地へ向かう大きな橋を
サイゴン川に沿うようにしながら、Grabバイクの背に乗って渡ってゆく

 悩みはこじれている、夜風を受けながら
  脳髄は勝手に懐疑を生み出すけれど
   それはもういつものこと

悪者探しをするのはいつでも逃げているヤツだ
そして、原因や機能、要素は誰にでも備わっているもの
それをどうするか、焼き払うのか、あるいはそういうものだとするのか
それを決めるのはきっと意志のレイヤーだと
信じて、そして数瞬後にはそんなことも忘れて
また平凡以下の悩みを抱えた日常の風に溶けゆく

 努力も、必死さも、頑張りも
  俺は、すべてビジネスだとは思わない、見返りなんて言葉はクソだ
   ただ与えられたエネルギーの源を消費して、価値のある泡にしてゆく
    そうなってくれれば、俺はその泡に溺れて死のうと思う

ホーチミンの夜空は澄んでいる
排気ガスをたっぷり含んだ空がそれでも圧倒的に澄んでいることを
実は知らない人が多いかもしれない
それをまざまざと体験するためだけにでも、この街に来た意味があったと思う


>やり残しについて

あの日、あの時、あの場所で
チャレンジしなかったこと、目をそむけたこと、見ないふりをしたこと
知識不足、あらゆる運の欠落、己の卑屈さでクリアし損ねたやり残しを
今この時からやり直さなければ、そこから一歩も先には進めない
眉間の重苦しさはいつまでも開かず、心ここにあらずの目線から脱却することもない
他人や群衆の前で堂々とすることもできないし
まともな恋愛の成就など遠い空想になり果てる。そして、
最後には甘ったるい蛍光色の幻惑を摂取・消費するだけの無意味な一生になってしまうだろう

 この一節を口に出して読んでみればいい
  きっと、それをやらなければならないことを、誰よりもお前がよく痛感する

良くも悪くも、もう誰も強制も強要もしなくなった
戦争も体罰もなくなり、身体・生活においてかなりの安全が蔓延した世の中で
それでも精神上の危機はなくならない。どころか相対的に重みを増しているのだとすれば
君は自分の意志でそれに向けて一歩踏み出す必要がある
 
 厳しいことを言っているかどうか、俺にはもうわからなくなってしまった
  だけれど、難しいことを言っているのはわかる。そして
   それ以外にお前が取り組む価値のあることはほとんどない

ぬるくて退屈な現実を時には捨てて
危険で不安定な方へ踏み出せ
社会・家族・学校・友人、時にはもう一人の自分からの眼差しなど
あらゆる監視や足の引っ張りあいがあるけれど
それを価値あるものだと思わないことは俺も君も同じだ
俺はまともな友情の笑顔でお前にまみえたいと心から思う、だから
腐りかけた性根を焼き払って勇気ある方へまっすぐ進んでくれ
俺も、それに値するように必死こいて頑張るからな


>帰省にて(2篇)

【帰省にて_1】

優しさを濾し取られた人たち
すれ違い、人に遭遇するそのたびごとに恐れの文字が顔・体に現れる
神経をこわばらせて無意識の防御体勢を取らざるを得ない
そんな寂しい街に、一体誰がしたのか

 心温まることは当分ないだろう
  業にまみれた人たちが、他人の罪業への挑戦を妬み・嫉み
   そして同じ穴の狢に落ちていくという
    いつもの繰り返しが今日もメディアとSNSに踊っている

誰が悪いかと言われれば
俺が悪いと俺は言う
俺は全くの無責任だとは思わないし
俺が何とかしたいと、惨めな膂力の上でも思う
背負って立つ立派な背中になれるとは思わないけれど
それでも、他にやることもないしな、とも同時に思っている

 日本の素晴らしい青空が頭上に広がっている
  初夏の緑は恩寵のごとく目に眩しい
  
太陽の息吹のような夏の風を360度の全身に浴びながら
田舎に帰省するいつもの旅路の中で、Wifiから見捨てられた箱の中で
すれた時代の片隅で、言葉の恩恵に打たれながらひとり下ってゆく

ーーーーーーーーー

【帰省にて_2】

みはるかす遠海の美しさに打たれ
一文字書き込むごとに心を洗われ
そうして、惨めにも生きていることを
そしてこれからもまだやるべきこと、戦いに赴く必要が十二分にあることを
手入れ不足のラップトップのテンキーを叩きながら感じている

世間から人並みに恩恵を受けてここまで来て
十分な恩返しができているかは怪しいけれど
地図の上、頭の中に描かれた海岸線
あれが、ただ所与のものとしてあるのではなく
昔の誰かが完全にゼロの状態からここまで仕上げたのだと
最初にはその魂だけがあって、それが受け継がれ続けてここまで来ているのだと
そんなやくたいもないことを思いながら、それでも確かにそうだろうとも感じながら
そんな風に何でもない一日が成立している

収穫を待つばかりの稲穂が風に揺れるように
来るべきものに備えながら、仕事の現場へ向けてまっすぐに向かおう
地球の体力は全人口のつぶやき力を足したエネルギーの100兆倍は堅いので
SNSから栄養を摂取するよりは100倍の出力が期待できると、そう信じている


>希望の詩

力がみなぎる
拡大の予感に四肢がはちきれそうになる
こんな誰もいないオフィスの片隅で、そんなことでいいのかと思いながら
それでいいという声も聞こえている。だからそれでいい

(誰に打ち明けるでもないことを
書き残すために詩という形式がある)

俺は常々から業にこだわっているし
欲に溺れることも頻繁にある
でもそれでもいいのだと
そんなものは神様やその他不可知領域からしたら大したことではないのだと
そんな気が少し前からしているんだ

 お前の笑顔の生まれるところを
  その源泉を掘り当てるために命の時間を使い切ることができたなら
   それはどんなに素敵なことだろう

笑うことも、泣くことも
心の底から全力でできるようになる
時代も世間も相対化して、
同時に自分の人生を100%走り切る
心地よい汗がTシャツの内側、背骨の近くを静かに伝う、その感触が
お前が生きていることをそのまま脳に教えてくれる


>世界について

世界は与えられる
最初は偶然に
そして歯噛みと試行錯誤を道半ばに繰り返しながら、
最後には確実に世界を取り出すことができるようになる
その逆転が起こる

 このために生まれたのだと、
  わたしが生まれたことに本当の意味での価値があったのだと
   そう心から思える
    それが世界との出会いだと、知っておいてくれ

赤子は完全に世界の中にいる
だから、その眼差しは深く澄んで美しく
そして同時に飛び出してくるようにはつらつとしている

そして、人は赤子から成長して大人になる時に、少なくとも一度は世界から追い出される
死の恐怖、欲の求めなど、あらゆる辛い体験を経て世界から切り離される
それがほとんどの人にとっての定めだ

そして、世界から切り離されて一人ぼっちになったあと
世界へのまなざしの獲得のための時間を経て
しかるのちに人は大人になる
世界を獲得するか、惜しくも取り逃がすかはわからないが
いずれにせよ人は大人になる
できることならすべての、できるだけ多くの人に世界がもたらされてほしいと
そう心から思っている


>愛の詩・恋の詩(2篇)

【愛の詩(うた)】

お前、愛しきものよ
今はただ、ひとつ残らず聞いてくれ

俺はお前を愛するために生まれてきた
だから、きっとどんなことがあってもお前を守る
お前がその小さな体で経験してきた十数年・数十年の
すべてを包んで完全な安らぎに満ちる日
一ミリの不安も焦燥もなく朝から晩まで満ち足りる日
それだけが俺の望みだ

 今だけは回り道も否定の否定もいらない
  満ちるということは、きっとそういうことだ

俺の言葉はきっとお前をほころばせるだろう
こわばったものはどこかへとけて流れ、春の小川の豊かな水音が聞こえる
あらゆる不幸せについて、完全に忘れてしまえる瞬間の
その生み出し方を俺は知っている
そういうものだと、愛の詩とはそういうものなのだと
理解を超えた部分でそう思ってくれ
それだけあれば、他には何もいらない
それだけを、すべてをかけて願っている

ーーーーーーーーー

【恋の詩(うた)】

僕ら恋をするために生まれ
すれ違い、引きつり、歯噛みしながら
それでも甘く切ないものに焦がれる

二度とは戻らない時だと
見聞きの上で知るかもしれないが
世界はそれとは別にあって
昨日も今日も、明日も忘れて
ただ二人だけの時が流れる

 憧れを、お金に換算したことも
  今は昔と思えるように、そのために詩がある

恋においては誰も、何をもせめることはない
ただ、僕ら自身がいたらない存在なのだと
そんな風に後から思えればいい
渦中には、ただ引きちぎれるばかりの心臓と
恋しい匂いと粘膜の求めがあるだけ
そして後には何も残らないことを
それでも愛しく抱きしめる
それだけでいい


>不安と絶望について

不安と絶望に打ち勝て
簡単ではないけれど、内実はとてもシンプルだ
生よりも意志を、思念よりも姿勢を上に取る
そして、最後には笑って果てまで行くことが
最初から決まっているのだと知ること
きっとたったそれだけのこと
それだけを表すために、惨めで美しい命の時間があるのだ


>雪

 雪がしづかに舞っている
 1月の、どうしようもない日本の空に舞っている

こう書いておけば、もしかして
いつかお前が寂しい時
降りしきる雪の街の片隅で寒々しい空を見上げながら、ふと
冬の神様の導きでこの文章のことを思い出すのではないかと
そして、なぜかほんの少しだけでも温かい気持ちになれるのではないかと
そんなことを考えてこれを書いている。バカな話


>雨にも負けず@2025

雨にも負けず、風にも負けず
炎上にもSNSでの誹謗中傷にも負けず
丈夫な体を持ち
欲は豊かに持ち、同時に礼節をわきまえ
いつも静かに、一方で大胆にも笑っている

一日に米3合と、ファミチキと
腹いっぱいの肉・魚・野菜を食べ
あらゆることを、自分をかんじょうに入れずに
良く見聞きし、わかり、そして忘れず

東京都内のワンルームマンションの
狭苦しい月7万3000円のボロアパートの一室にいて
渋谷に大学サークルの飲み会があれば
行って人の倍以上の酒を飲んで盛り上げ
新宿に疲れた夜女の朝帰りがあれば
行ってたわいない談笑と缶コーヒーを捧げて去り
銀座に金持ちの豪遊があれば
行って最年少者としてきちんと振る舞い
六本木に×××の〇〇〇があれば
行って××××××××××××××××××

地震の時は慌てず、周囲の安全と避難経路を適切に確保し
不運の時は動じず、場をわきまえた言葉と態度で事態の悪化を食い止め
ほめられもせず、を苦もせず
そういう者に、私はなりたい


>自死に寄せて

寂しい歌だ、
声の限りに叫び上げて、そして
最後には自死が待っているのなら
これほど寂しいことはないし
俺は、本当はみんなに生きていてほしかった
(余計なお世話だと知っているが、そんなの当たり前じゃないか?)

だから、俺は死ぬまで走り切るだろう
たとえ最後の一人になってもそうすると
そう決意をする心がある
陽の光が人を明日の方向へ押し出すように
天地の間で惨めな血肉を燃やして歌う


>雨季の終わりのI love you

笑ってほしい、心から
ステータスとは別の地平に
あなたを連れていかせてくれと
念じたことが、幾度もあった

 煙と粘膜の匂いがしている
  それでいい、本当に

(Intro)

雨のふりそぼる彼の地
足元は濡れ、光に満たされ
届かなかった指先の歌を
それでもいまだに夢見ている

いいことがあった、それだけは
はっきり言える。覚えている
ただ、悲しいことに
実力不足は否めない

 勇気を振り絞って、そして
  昔につながるダサい歌を

ああ、愛してる。底の底から
だからこんなに悔しいのを
それでも何とか飲み込んで
明日の場所へ向かおうとする

止まろうとしたことはあった
日々にそういう時がある
それでも、果てまで走る人が
確かにいると、知っている

腹の底から語らいあって
そして出てくるその事を
今この時の始まりと
して歌い上げる、ベトナムの歌


>何かをやるということ

やるべきことは基本的には与えられるものだということ
何をやるかどうかは95%ぐらいは事前に決まっているということ
やることを直覚するときに選択の余地はほんどないということ
(選択の余地がある時は本当は「やる」の状態にはない。難しいけれど)
何かをやっている、やってきたという確信を持つ時は
他人の醜聞に心がざわつくことはないということ


>日常

毎日足を取られて、疲れて
それでも何とか回復しながら生きている
楽しい生活はしたい、もちろん続けたい
そして誰もがうらやむような美味しい目にもあいたい
そして、それ以上にもっと
溢れる栄光があることを知っていて
そのために奉仕する喜びの事も
わかっているつもりだと、そんな強がりをひとりでつぶやく

 美しいことも、誇り高いことも
  こっぱずかしくなってしまったけれど
   心の一番奥にはそれがある
    アイツにとってもそうであってほしいと願いながら

海外の水、氷を飲んで腹を下した
色々な迷惑をかけて、痛い目を見て、金を使って
それで、裏返しの傲慢にも陥らないように
迷いながら、ふらつきながら、そして夢見ながら
一日一日を無駄に、同時に大切に感じながら
すべてを忘れて今日の話を聞きにゆく


>もし明日死ぬのなら

騒がしい掌の中
スマートホンを時々放り出したくなって
それでもどうしても手放せなくて
画面に縫い付けられるようにして時間が過ぎていった

 何かの拍子にひび割れたディスプレイのギザギザした手触りが
  今でも心に残っている

何者かになる、ってのはどういうことだろうか
あまりピンと来ていない、それでも
俺たちは、それぞれの虚しさに震えて
あるいは震えることに耐えらなくて
それでしっかり向き合うこともなくここまで来たと
時にはそれを白状しなければならない

 もし明日死ぬのなら、
  それはそれで、結構スッキリするような気がしているんだ
   それがあと何日続くかわからないところが
    なんとも言えないな

日差しの強さは場所によってまちまちだ
格差も差別もステータスの差もすべてある
それでも、となけなしの強情を張る時の
その時の力強いこぶしだけを信じて
また明日もゆく

返ってこない金を貸して冷汗をかいた日のことを思い出して
それでも笑っていられる奴が強いんだと強がりを言って無理やり笑っている


>それだけ信じて

優しさはきっとある、とは
俺にはちょっと言えそうにない
だから、死に物狂いで優しさの
残りかすを、探して、集めて
それで何とか形にしようとバカみたいなことをしている

結果になるとかならないとか
そんなことより
ただ最後までやり切ることができたなら
それは、結果がどうという以前の達成になるだろう
ただそんな気がしているのと
直感に従うことのまっとうさ
それだけ信じてやってゆく


>寂しさは変わらない

汚されたと感じるのは
きっと弱いからだろう
汚らしく思えるのは
きっと昔にすがっているから
変わってしまったように見えるのは
元からそうだった場合のことに発想が至らないからだ、きっと

 寂しさは変わらない
  変わるのは、〇〇だけだ

はっきり言葉にできない
明日の処方箋もない
インフラ設備の行き届かない街の中で
ふらつきながら朝と夜を過ごしている


>貰うことと与えること

貰って喜ぶフェーズから、与えて輝くフェーズへ
そしてわけがわからずうろたえて停滞する煩悶の季節を
できるだけ早く超えてしまうこと


>memo_意志について

意志は生死を超える
というか、生死を超えなければ意志ではない
それは、巷で言われるように単なる感想である

生き死にを超えたところに意志がある
生き死にを超えたところに愛がある。そして、
生き死にを超えるために勇気がある

勇気を持ってくれ
それはお前を生き死にの軛(くびき)から解放するもの
そしてお前の惨たらしい生から毒を抜いてくれる特効薬

若いお前が
若さゆえにぎりぎりのところで辛うじて失っていないそれを
オレは意志によって全力で完全に信じ切っている
意志は生死を超える、だとすれば
永遠とは意志によって得られるもの

「自分のため」と「誰かのため」は
実はほとんど違いがない、端から見ているほどには
そこで問われるのは「何をやるべきか」のただ1点である


>真心の歌

意味を探した
目的を探した
そして、関連性を探して
あるいは見えない制約を、そして罪の出どころを探した
明け方の生白い壁の色は
それでも優しかったアイツのことを思い出させる

 まさに死ぬ、その少し前までは
  きっと今日のことを考えるだろう
   そして、その後はわからない

少しの、そして致命的な嘘の中で
それでも願った確かな輝きを
汚れた右手に受け取って
またいつもの所へゆく


>まごころの歌

欲に足を取られたことがあった
そして、足を取られたことを欲のせいにしたことがあった
すべて己が悪いのにな
今更ながらそんな反省をしていた

 今日もまごころの歌が聞こえている
  青い空から、そして肚の内側から

現代の、とくに日本人は
「真心」という言葉を使うだろうか
そして、それが絶対に必要なもので
それを得るために頑張ろうという心持ちになるものだろうか
どうだろうなと言いながら、同時に
お前はどうなんだと聞かれてちょっとした震えを覚える

 温もりはご褒美のように与えられ
  そして、本当に訳もなく幸せがやってくる
   未熟のゆえに取りこぼすこともあるけれど
    それを差し引いても十分すぎる

ああ、愛してる。今日も明日も。
バカ丸出しでも仕方がない
かっこいいことはアイツに任せて
俺は堂々と行くことにする

死ねとは言ってくれるなよ
そして、思うのもやめてくれ
そんな不可能が可能なものか
今の俺にはわからない

それでも、とばかり言ってきて
また「それでも」と言うだろう
胸に灯った光を信じて
間抜けが奏でる、まごころの歌


>あの人に寄せて

小鳥のさえずるように歌ったひとがいた
いつもの日には朗らかに
陽の光や朽ちた切り株、草原を埋める生き物らと戯れ
悲しい日には静かに、心を込めて歌った

ある時、社会は流行で満ちていた
注目を集めることに懸賞金がかけられ、そして
人々はあらん限りの才と労力を持ってそれに応えた
そして、提出した成果に応じて分け前が与えられ
ある者は栄達し、ある者は擦り切れ
またある者は静かに破滅し、そうして時が流れた

 悲しみは心の奥底で蓄積する
  誰も無意識にそれに触れることを避け、
   そしてその両目は果てしなく泥んでゆく

ある日、その人は死の淵に触れた
そしてなんてことない、というように戻ってきて
いつものように朗らかな笑みを満面に現わした
しかし、それは凡人には至りえない心境で
表情から溢れる輝きは深みと喜びを湛えていた
そしてその人はさらに歌い、
歌うことを通して歌の神髄に日々目覚めていった
それはその人が死の淵から返ってきた時に
誰かから何かを授かったのかもしれなかった

一部の人が、そのすべてが徒労だったと知る頃
社会はあらたな流行にフォーカスしていた
ある人がお金持ちになり、ある人は平均年収の半分以下の暮らし
またある人は生きるのもやっとというところから、インターネットの力で一発逆転を果たした

そんな中で、その人ははた目には大きな変化もなく歌った
色と刺激の時代にはなかなか衆目の目に留まることはなかったが
それはその人にはあまり関係がないようだった
そして、輝かしい歌の遍歴が
その人の魂を日々高いものにするのを
全体から見ればごく少数の目撃者が、驚きと確信と共に優しく見守っていた


>悲しい歌

ある人の声を聞いた
匿名的な声で、無色透明の音だったが
その人は苦しんでいるように思えた
はた目にはそうとは見えないが
それでも、実はと思わせるものがあった

性別その他はわからなかった
ステータスの多寡も知りえなかった
ただその顔には、本来はあどけなく美しかった魂の表面に張り付いた膜が
長年の習慣となってラップのように全体をくるんでいた

本人の自覚がどうだったのか、
それは、外野からは知りようがないようでいて
その実、その隠された苦しみは誰からも明らかに見えるものでもあった
そして、声のかけ様はなかった
つま先まで覆ったその膜に干渉できるのは、その人を支配する自我から通行許可を得た神経物質だけだった

 

宴の終わりの頃
大きく焚かれた祭りの火の消えかかる時
その苦しみは実態となった
最後には悲しい歌が流れ
いくつかの寂しい話が残るだけとなった


>歌は歌われ

歌は歌われる
それを必要とする人へ
そして、それを必要としないように見える人へも
別なく歌は歌われ、どこかから流れ、そして美しく消えゆく

 人の姿ははっきりと見える、そして
  私を始め多くを無駄にした人は
   人未満の時間が多かったことを笑って消化させよう、高らかに

街の雑踏、色と刺激
スマートホンをめぐる攻防
悔しい気持ちが四季を持つ国一帯を包んでいる
それは、ある意味では当然のことで
そこからどうするか、あるいはそれをどう扱うか
そんなことばかり考えている
無駄だとは不思議に思わない
社会で言われる生産性の指標とは別に
魂のレイヤーに起こる変化へ資することが
本当は大切なのではないかと、そう信じている


>やるしかねぇ

挑戦をしないと脳がサボってしまう
悪あがきをしないと退屈なままで人生が終わる
焦っていることを自白するのは正直格好悪いとも思うけれど
焦らないでまっすぐ歩めるほど先をきれいに見通せるヤツじゃない、俺は

だから、今日も冴えない直観を頼りにしながら
それでも何とか命が洗われるように、まっとうに更新されるように
赦しを与えられるようにがむしゃらにやるしかない。やるしかねぇ


>奉仕・報恩
奉仕したことはまったく無駄にはならない
無心に仕えたことは表面上はともかく完全に己に返ってくる
なので、やはりやるべきことはこれまで貰ったものに報いることと
そして、より肝心なことはすでに貰っていることにさっさと気付いてしまうことでもある


>最後に見送る歌

美しい雪が降り
寂れた都会の夜に降り
喜びも悲しみも
どこか遠いもののように
手袋を忘れ、かじかんだ手の
冷たさが心よりも痛く染みる

 人を愛するということを
  そして、愛していない状態のことを
   いつ知ったのか、忘れてしまった

まっすぐ見つめたことは無駄にはならないと
わかっていても、完璧にはできない
それでもいい

 とんでもない嘘とともに
  最大級のやさしさを送る
   いつまでだってそれができる

ああ、愛してる。いつの日も
くだらないことをやってきた
あの日あなたが流した涙を
一生抱えてゆくだろう

地獄に落ちるかもしれないと
思わぬでもない。本当だ
それでも、きっとそうはならない
そうならないよう、覚悟はしている

あなたが何をどう思うか
それさえ構わず手を振って
集客力の欠如した身で
大きく送る最後の歌


>0128のアイラブユー

振り返れば色々なことがあった
情けない述懐を許してもらえるなら
折に触れて自分の中では反芻していたように
やはり辛くてやりきれなことが溜まっていたのだ

 凡人が日本で生きるのは本当に大変だ
  すべてを否定する気も資格も何もないけれど
   少なくとも××には無理だった

どう思う?オレは情けないから
どうしても聞きたくなってしまう
そして、どんな答えが返ってきても
実は何も聞く耳を持たないという
とんでもない自己完結がやり口で
ほんとうに申し訳なく思いながら

ああ 愛してる。震えながら
埒外の空を噛みしめている
明日には戻るいつもの日々の
扱い方が、少しは分かった

説明文はひとつもいらない
すべてAIが埋めるだろう
だから、そうではないことを
昔のように積み上げよう

オレは変わったか、わからないが
変わらないものもあるのだと
それだけ知ってひとりごち
笑顔で手を振る アイラブユー



>金(かね)にまつわること

金を求めること
金を持っている状態を求めること
金を持つことで金で解決できる問題を全て解決可能な状態にすることを求めること
金を持っていることが周囲に知れ渡っている状態を求めること
金を生む力のある状態を求めること
金を生む力を周囲が羨望とともに欲する状態を求めること
金を生む力に対して周囲が期待し、投資される状態を求めること
金を生む力に対して周囲が期待し、周囲が自分をあらゆる方法で楽しませようとする状態を求めること
もっとあるかもしれないが、金にまつわる願望は

 そして、金は市場に存在するあらゆるものを変換し
  市場に存在しないものには一切変換できない
   対市場においては最強、対市場以外においては価値ゼロだということを
    常に頭に置いておきたい

私は金が好きだ
愛しているとは言わないけれど、結構好きな方だと思う
金のために自分がかなり汚いことを、人に言えないことをした過去も知っている
それは拭い難いというか、明瞭な事実として私の中に保持されている
そして同時に、私はそのことをそれほど恥じない
おそらく、自分が大した人間・存在でないことをある程度自覚しているので
その程度の汚い行いをやるぐらいはやるだろうとある意味タカをくくっている

そして、私は金以外にも好きなものがあって
どちらか一方を取れと誰かに言われれば
煩悶しながらも後者を選ぶだろう
それぐらいの情けない人間だろう


ーーーーーーーーーーーーーーー

私は金が好きだ
愛しているとは言わないけれど、結構好きな方だと思う
金のために自分がかなり汚いことを、人に言えないことをした過去も知っている
それは拭い難いというか、明瞭な事実として私の中に保持されている
そして同時に、私はそのことをそれほど恥じない
おそらく、自分が大した人間・存在でないことをある程度自覚しているので
その程度の汚い行いをやるぐらいはやるだろうとある意味タカをくくっている

そして、私は金以外にも好きなものがあって
どちらか一方を取れと誰かに言われれば
煩悶しながらも後者を選ぶだろう
それぐらいの情けない人間だろう


>すべてに降りかかる

固定観念を強化するタイトル群
現代文化の担い手は誰だろうか
それは書く人であり、読む人であり
それに認可を与えたすべての人々

だから、誰も手を挙げて責任を負うことはできないのに
すべての罪がすべての身に降りかかる
惨めな身の上のすべてに余さず降りかかる


>戦いにゆく者の歌
きっと死ににゆく
 ちゃんと死ねるようにする
  それまで待っていてくれ、少しだけ


>そのために生まれて

知らないうちに誰かを殺していた
そして、実は自分も何度か死んでいて
無言のうちに恨みつらみを募らせていた
そんなことがよくあった

 ××されたい、〇〇してほしい
  口にするのはとても憚られるようなことが
   そんなことばかりが重なる

今日もまた、寝るよりない日だ
誰にも話せないのとほとんど同じ虚しさ
そして、事実ただの一人にも話せないでいる

 頭が痛い
  すべてそれのせいだということにしよう、きっと

求めが醜い内はきっと何をやっても上手くはいかないだろう
書きながらそうとわかった、バカみたいだ
何が自分に管理できるのか、その全体をすべて把握するには
おそらく器が小さすぎる
だから、だからこそと言ってもいいけれど
なけなしのリソースをすべてそこに注ごうと思う
そのために生まれて、そのために生きているのだと、改めて思ったのでもある


>奇跡について

奇跡と言われて、はっとした
俺の人生に奇跡はあっただろうかと
はっきり思い出せるものが3-5ほど
そして、きっとそれ以外にもいくつかあったように思う
(書きながらいくつかのことを思い出した)

 気色悪いことを言いたいわけではないけれど
  やはり、生かされているということは常々感じるところだ

俺に何ができる、何をやればいい
本当にこのままでいいのか?
すべてを振り捨ててサイのようにまっすぐ進むことはとてもできない
書くことが多少の禊になるのではとお願いしながら
その邪念自体が罰当たりにも感じる。もういい

 このあとは眠りにつく
  その前に、やるべきことをこなそう

草葉の乾いた音が聞こえる
風に揺れる木の幹からその音が来るのか、それとも落ち葉が鳴らしたものか
そんなこともこの目で見なければわからない
そして、簡単なこともできない重い体を厄介に思いながら
それでいて何をする気も起きない時が結構ある
せっかくの有限の時間なのにな

今日は改めて、命のことを思い出した
月並みな感想ですまないが、本当にいつお別れになるかわからない
そう思って生きようと思う


>抱きしめる

ぼろきれになった××をアイツが抱きしめている
それだけの価値があるのか、どうなのか
自信がない、まったく自信がない
それでも、そこには福音のような響きがあって
わずかばかり心地よい眠りに就くことができる
そんなことがあったことを、ふと思い出した

 ひどいことをした時には
  当然その影響がひたすら身に現れる

許し合えるかどうか、答えはないだろう
それでも何でもやるしかない、そうじゃないか?
神様やそこにつながる畏れ多い諸々に
ほんの少しでも追従することができたなら
1万キロ後ろでも、果てしなく続く同じ道の上にいられたら
それで十分だと、少なくとも俺は言う


>心から願う

突然に胸に来る寂しさに
どう対処していいかわからず、途方に暮れて
時間以外の解決策などないということが
ゆっくりとわかってくる

 せめて、できるだけのことはしようと
  どの口がと感じながらも思う

今の時代、勇気の現れはきっと
誰か・あるいは誰からも批判を受けるだろう
擁護するとかそういうことではないんだ
ただ、勇気とか、誠実とか、真心とか
そういうことを静かなまなざしで口にする時
近くで聞いているだけの人らだとしても
キャラの状態でいることはきっとできないだろう

 ××のしすぎだ
  汚いという感じがするのだ

自己嫌悪が無駄と醜さの掛け算だと知りながら
止められないことはゆっくりと消化していこうと
そう思うぐらいには時間を経たのかもしれない
つねに、自分なりに注意深く
言葉の橋を渡ろうとして、いつもそうして
気付いた時には色んな物事が
東西南北すべての行く末で発生した事象が
万事うまく行くことを心から願っている


>夜によせて

僕らが愛した夜を
みんなが忘れて、それでもいいと
それでもいいと思って引き続き続けて
何かが変わったのかどうか
僕にような凡人にはわからない
常にわかったような気になっていて
それでいて大した儲けがないのだから
きっと何も変わっていないんだ

 言葉にはしがたい
  そして、それで十分言葉になっているからいいのだ

歌が聞こえる、音は鳴っている
ふつふつとエネルギーが皮膚の下から湧いているのがわかる
そして明日のことも今日のことも、もちろん昨日のことも
すべて忘れてしまって、それでいてすべては肉体と脳の溝に刻み込まれて
忘れるわけがない諸々を、すべて〇〇に服従したそれらが覚えている

 手元にないタバコをくゆらすように
  今は気分がいい

日本では味わえない熱帯夜のクリスマスソング
エアコンのきいた部屋に流れる
そして、ショート動画にぶつ切りにされた日常を
自分のものとして、自身が受け入れたものとして
捉え、振り返り、そして忘れて
すべてを美しいものへ再構築する夜



>どろどろの中で

与えてもらってばかりで何もできていないのではないか?
考えると怖くなる気がするし、焦りもある
確証を欲しているし、癒しを欲している、そういう感じがある
××とタバコとアルコールで脳がどろどろに溶けている中

 正解を欲しているわけではないんだ、ただ
  どうしても自分が惨めすぎていたたまれなくなる
   そんな時が週に3,4回はある

どうすればいいだろう?
どうすれば全部丸く収まるだろう?
自信を得て、自他に向けて堂々として、やるべきをなして、
それでいてさらに先を見据えながら、新たなことの獲得のために厳しい陶冶を続ける
そんなことに憧れている、そして一ミリも達成できていない
達成したと思ったら、翌日実は何もわかっていなかったことがスルッと明るみに出る体たらく

 疑問が浮かんでくる時点でいる場所が違っている
  それだけは書きながらわかった、それだけを胸に
   また明日もできないことをやることになる

気楽に生きられないことは先刻承知
自己陶酔および自己卑下のクセがなかなか直らないことも
それでも、といつもの言葉をつぶやく時
すこしだけやる気の火が灯る
胸の内に空気が入ると同時に周りの風景が良く見えるようになるんだ

>求めるということ

未知や獲得を求める意志を持つこと
それが自分以外・自分以上に出会う最も有効な方法になる

「あ、これをしなければならなかったのか」に出会う回数を増やす
そのためには、自分のできることだけやっていてはダメだ
できないこともできるフリをしてやったり
できないことを「やらせてください」と言って引き受ける
「求めよさすれば与えられん」とはそういう意味だと思っている

 一度でも心から何かを求めると
  その人は道の上に立つことになる
   その道は「求めた何かを手中に収める」ところまで続く道である

そして、一度道の上に立つと
その道の上を進むことが人生のすべてになる
そして、一度でも道の上に立つことができれば
仮に中長期の停滞があったとしても、道の上から外れることはない
「俺はこの道を全然進めなかった」と笑える人になっている
それはとても素敵なことだと私は思う


>欲について

欲がとても重要な道しるべになる
欲とどう向き合うのか、どう満たしてゆくのか
完全に満たされた欲がいったい何に変わるのか

 何も知らなかったことを
  そして、すべて知った気になったようなことを
   改めて恥じたい

ちょっと普通ではないことが起こる
日常から遊離して
危険な領域に足を踏み入れることになるとしても
それでも構わないと、すがしい眼差しは無言で応える

 まだまだやれる、やれることしかない
  そしてすべてやり切ったと
   事実と嘘と行き来しながら

欲を果たした人の肉体は
きっと栄光の風を纏うだろう
道徳とも倫理ともつかない
厳かとも思えること

 ゆがんだ禁欲主義が何を残すのか
  それが今後、世間を通じて確認されるとして
   その波に飲まれるかどうかは
    誰かが心で決めるに違いない

良い風の吹くところへ行ってくれ
すべての解決がそこから始まる


>(無題)

体液がにじみ出てしまう夜
シーツは汚れ、そして枕辺が
怪しい色で濡れることを
誰も止められないと、悲しく笑う

 ゴミクズから最上位まで
  すべてに届く歌を歌うにはどうすればいいだろう

そして肉体の終わりは来るだろう
明日には自分の身に降りかかるだろう
それでいい。それはそれでいいと
誰かの代わりを標榜して言う
不遜であることにも、何かの価値があるのではないかと
そんなことを思うぐらいの不遜を振り回している

 言葉が全てを癒すと
  それだけ信じて、正直に書き残そうとしている
   それだけわかってくれ

そして最後に、幸せは満ちる
屈託のない笑顔が生まれる
ふとした言葉が、なぜだか心に刻まれて
誰にも記憶されないところで何かを決定づける
そういうことがやれるようにと
心からそう思っている


>そして死語になる

男も寂しい
女も寂しい
そして、誰も彼も
明かしきれない心を抱えて
言葉を失った日々を過ごしている

 「男と女」なんて定義は令和では死語になってしまった
  それでも、詩人はずっと間違い続けることだろう

優しいまなざしだけを求めている
そして、できることならと
いつもお祈りしているみたいなものだ
わかりやすいことはやらないけれど、それでも
起きてほしいことはいつもひとつだけ


>○シてくれて構わない

アイツで遊ぶ
複数遊ぶ
そして、何より
自分自身を痛めつける
それで最高

 見えているのかは知らないが
  苦しいのだけは実は知っているんだ
   すまないな

ひとつ今、言うことがあるとすれば
○シてくれてかまわない
それでお前が晴れるのなら
それだけでいい、そう心から思う

 何度もメッセージを送ったし
  送ろうとしてやめたことは、その倍以上はあった
   言い訳したいわけではないと信じてほしいのだけれど

そして、ごめんよ
本当は俺は嘘つきだ
誰よりも逃げたい、しっぽを巻いて
だから、本当は知っている
お前がそんなことはしないということ
俺が裸のままで全身を捧げても
爪楊枝ひとつ立てられないだろうと
だから、本当に○シてくれてかまわない
俺は笑って死ににゆく


>心臓を伝う

雨粒が心に染みる
曇り空、街路樹の葉先から
しずくが落ち、心臓の壁を流れる感触が伝わる

 ままならぬことがあることを
  知って、そして息を吸う

内臓が健康を保っていることを瑞々しく思いながら
異国の療養施設の傍をサンダルで歩く
地面から跳ね返った汚水が足裏にまとわりつき
生きていること、スマートホンの外側で立っていることを
思い出して、また忘れる時のために
いつでも戻れるようにリンクを張る作業をしている


>"かわいい"とは何か
現代における"かわいい(可愛さ)"とは、
死(あるいは苦)を知らぬことの偽りの表示である
死の恐怖をなかったことにしている態度である
あるいは、死を無視した態度の決め込みといっても良い
だから、"かわいい"の周りに深みがない

一方で、
深みとは死を受け入れてなお微笑む淵である
だから、後者はより人間の真相に肉薄している
だからもし、僕がどちらを求めるかと問われれば
少し悩んだふりをして後者を選ぶだろう

もう一つ、今しがた気づいたこと
かわいいは「赤子」のイメージの偽装である
赤子は真に死を知らぬものであり、大人はそれを無意識に羨望する
それが行き過ぎることで"かわいい"の土壌が生まれる

赤子が死を知らぬ一方で
"かわいい"を求めて捏造するものは死を知っている
知った上でそれをなかったことにしようとする
それは、死を恐れると同時に、死に向き合い得ないという弱さの現象である
だから彼は死に関する言葉を持たない、そして
言葉がないところは闇である

そして、死を知らぬ赤子に媚び、それを偽装する
だからなのか、"かわいい"の裏には拭えない死の影がある
だからこそ、可愛さに魂を捧げることはできない


>どうか
どうか、
死ぬまで生き抜く力をください
それ以外は、本当に何も要りません
そしてそのためなら、いつでも全力を捧げます


>夜の苦しみ
スマホに張り付かれている感覚
手を離し難い事情を
どうにもできない日ばかりが、積み上がって
何が残るのかと不安に苛まれている

 そのまま語るということを
  ただ繰り返すしかない。くそったれい

こんなところまで来てこんなことをしてるのかと
俺もそう思うんだ、俺なりに
それでも、半端なことでは状況は動かない
道も標識もない、ほとんど不毛な焼却炉

 正確な言葉を探り当てるためには
  実は相当に微妙な感覚を駆使しなければならない

不適切な文字列はきっと世界から浮いてしまうだろう
バイブレーションが世の果てまで鳴っているような空想に
なんの価値もない。自生するそれは適宜焼いてしまう
そしていつか
真っ暗闇の中で手前わずか20cmを目を凝らして確認する
そんな日常の先に栄光を夢見て
いつものベッド、いつもの室内履き
いつものエアコンから吐き出される湿った空気の中で眠る


>わかりあう

 - わかりあう日はきっと来ない
 - 言葉にしてみると、それが正しいことがよく分かる
 - だから、そういう無駄なことはもう辞める
 - 本当に辞めると、まずは口にすることから始める

女の辛さ
求めて得られない苦しみを
求めていないものばかり降りかかることを
誰も癒やしてやれない

 冷たい雨の降るごとく
  細い肩から精気が抜けてゆく

俺は時おり噛み締めている
どうにもできないことについて
手の届かないところで、軋みが
幼い体が傷んでゆくのを

 雨は優しく土に染み込む
  そしていずれは、と

幸せな日々
何にも代えがたいことが
絶え間なく溢れるようにと
俺は俺にできる限りのことを
絞りカスになるまで続けるだろう

そんなわがままに行き当たるまで
そこまでにもそれなりの苦労があった
そして、今
はるか離れたところから
やっぱりこれだと、ひとりごちている
永久無料の太陽の光が降り注ぐ場所で
全身に地熱を行き渡らせながら
届かないあなたのために
世にも泥臭いブルースを歌っている


>告解

許されることはない
そのことについて
日本にはない懺悔室を思う
そして、太陽の下に出ると
少し笑みがこぼれてくる
本籍地から遠く離れた南
のべつ幕なしに降り注ぐ太陽の光に
オレみたいなのを生かしてくれる誰かが
そこかしこにいるようなのだ
そのことに、ふと思い当たる時がある
それだけで、恥ずかしながら泣きそうになってくる

 たまに自覚する
  正直なところ、結構辛いのだ。色々が
   だから、時々無性に寂しくなったりする
    どうしようもない

きっと、
少なくない数の人が考えたように
「何でオレばかり」と幾度となく思った
そして、あまりにもそんなわけがなさすぎるので
そういう考えが浮かぶたびに自嘲するのがひとつのパターンだった
バカみたいな話だ、いつも通り

 以前より正直になれている、そして
  キーボードを叩いていると、少し
   バカの成分が浄化されていく
    ありがたい

時々、
タイムラインから生々しい匂いがする
人肉の燃える色、未熟な良心が焼き切れた音
争いに身を投じた側、投じ切れない側、など
それでもいい、と言うことしかできないけれど
ここに書き残しがたいことにまみえるために、やっていきたい
「オレが何とかする」の意気込みと
「誰か慰めてくれ」のみじめな叫びの間を行き来しながら
みんなが通った道を、あらためて自分の足で踏み抜く

>やりたいこと

考え方じゃない
常識でも道徳でも倫理でもない
輝きの根っこがどこにあるのか
何を集めれば、わずかでも背中を押せるのか
そればかり考えてきた
そればかり考えてきたといっても、きっと過言ではない

 ほとんど何も上手く行かないままここまで来た
  もう三十路を越え、今後を考えると
   そう大したもんにはならないだろう
    それでもいい、問題ない

美しい言葉があるのだと
それだけは変わらず信じている
そして、それが今の時代の中で
どのように現れるべきかということを
なんとか、ひねり出そうとしているんだ
だから、まともな会話にならないのは、すこしだけ許して欲しい
もともと会話も上手くない。空気を読むのも下手くそだ
ただ、なんとかしたいんだという気持ちだけ
100万分の1円分だけ買ってくれ

 ホーチミンの街を見下ろしていた
  あの時、オレは結局何を見ていただろう?

いい風が吹いている
何の拘泥もないただの風
海の方から来て、陸の方へゆく
こだわりのない風を浴びて
また俗世のことへ戻っていく
それでも、その薄っぺらい胸板の中ほどには
日本では見つからなかったひとつの熱い塊がある
それをひとつの手がかりに
前後不覚の人生をゆく


>無理強いについて

時々、無理を言う
それをやめてくれとか
それは直して欲しいとか
もっとこうしてくれ、とか。割とふつうの事を
それを伝えて、直してもらったことはあまりないけれど
もし不快な思いをさせたのだとしたら、
それについては心から謝りたい

 最後にはオレはオレのやりたいようにするけれど
  それでも、さすがにということもあったのだ。ごめんよ。

結局、
最後はあの空にお願いするしかない
オレは大抵間違っていて、
それでいて、自分のことしか信じていないようなところがある
だから、お前のようなヤツには特に
時代錯誤の無理強いをしてしまう
本当にすまない

 心臓が共鳴しあっていると
  とてもいい時間が流れるんだ

信じて呆れて笑ってくれる人には
オレは最大限のことをしてやれるだろう
そうでない大多数に向けても
オレは何か面白いことができないかと画策している
だから、お前も
どうか一時の強情を捨てて、わずかだけでもオレのわがままに付き合ってくれ


>呆れる
本当に
事実だけ並べたらなんて間抜けな人生なんだ
美しいものなんて一つもない
ほとんど丸ごとゴミみたいなもの

それで、どうして
どうしてこんな詩を書かなければならないのだろうか?
わからない、そしてしょうがない
俺にはどうしようもないことはわかった
今日はもういい
明日が少し、恐ろしい


>受け取る人に

あらゆる出来事・モノに
ひそかな予兆、予感が含まれている
師匠の言う通り、存在には霊性が備わっているのだとすれば
本当は何もおろそかにできない

 言葉は極小の可能性
  存在を構成する原子なのだろう 

自分の話になるけれど
オレは本当にアホだから
人から言われたことをほとんど丸ごと信じてしまう
絶対に、何の気なしに言われた言葉を
一生続く原動力として受け取っているケースがいくつかあった
そのくらいバカだ。
それはつまり、通じ合っているわけではない。ということ
でも、それでも別にいいんじゃないかと思っているんだ

 あの時、あの人に、あのように言われたこと
  それが、どうしてか今の自分を作った

か細い糸の上をなんとか生きてこれた
これから先どうなるかはまだまだわからない
負債は巨大で、才能もない、いつでも後戻りする穀つぶし
基本的にがけっぷちから抜けられていない
それでも、こんなオレでも
受け取るべきものをしかるべきタイミングで確かに受け取ってきた
だから、ここまでなんとか生きてこれた

だからというわけではないけれど、
ひとつだけお願いがある
どうか、なんでもいいから
受け取ることができる人になってくれ
感覚でなく、陶酔でもなく、恐怖でもない
すべての〇〇に当てはまらない××を
言葉にしがたい直観を
それだけが、本当の願いだ


>信じてくれ

 救うのはオレだよ
 だから、お前は楽しんでいてくれ
 ほんの少し、1ナノミリの信があればいい
 それでも十分すぎる

事実でも、
才能でも、
感性でもなく
確信だけが未来を温める
メタ的な信の連環を
どこまで作れるだろうか、と
そんな不遜でやくたいもないことを本気で考えている

 ずいぶんひどいことをしてきた
  それは、バカで間抜けでどうしようもなかったからだ
   これからも、許されることはない

その分、というわけではないけれど
オレは、オレの役目を120%全うしようと思う
いくつかの確信に基づいて、すべての状況で同じ法則の実現を目指す
下手くそは重々承知しつつ、それでも
最後にはすべてそれが役に立つと、やはり信じている
だから、最初に言った通り
1兆分の1の信の欠片を分けてくれ


>歌は鳴っているか

 たまに怖くなることはある
  いや、それは嘘だ
   そんなことは本当にしょっちゅうある

アレが怖いのは誰も同じ
そこに国籍の違いはないと
ベトナムに来て、見ることができた
それは一つの収穫だった

 もちろん、オレに何かができるわけじゃない
  そんな大層なもんじゃないんだ
   ただ、ひとつの確認として

歌は鳴っているか、
内側から湧き上がっているか、
高らかに通っているか、
問いかける言葉を持たない俺だけれど
ここには良いものがあると、
それだけは声を大にして言いたい

 疑問が湧いたら
  あとは厳しい方に、前を見て進む
   それだけでいい

俺みたいなのに何ができるか
その、いつも湧いてくるゴミの一文が
これだけ軽く書き落とせるのは
きっと、何もかも周りの出来事のおかげだ
だから、そのもらったものを
これからは10倍にして返すと
適当なことをほざいてキーを叩いている


>ほしかったもの

穏やかだ
いつまでもこれが続くわけではないけれど
今は心からの幸せに浸っている

 ほしかったものはすべて手に入った
  あとは、未だない⚪︎⚪︎を実現するために
   一層しんどい場所へゆくだろう
    もちろん、誰よりも喜んで

深夜のカフェの窓の中に
女の素足が写りこんで
外は、いつものアジアの夜風が吹く
砂埃がそこらじゅうに舞い
並んだバイクの座席に落ちる
それが、とてもザラリとしている

 都会で何かをなくしたと
  歌われたことがあったのを
   まだみんな覚えているだろうか、そして
    あの時と同じように受け止められるのだろうか

胸のうちに籠もる熱い力
どこまでも行ける、そして
どこにも行く必要のない心持ち
それが、間抜けのがほしかったもの
その中の一つだったのだと
今まさに、ふと思った


>メコンデルタの日差しに誓う

正解はもう目の前にある
あとは、やるか、やらないか
本当にそれだけになってしまっている

 厳しい話だ
  やらないとすれば、それは臆病
   やるとすれば、それも殆どは無謀になる

それでも
いつも同じことを言う通り
何が何でもやらなければならない
そのことを、もっと上手くやるために
色々と迷惑をかけてきた
相変わらず、性根に自信はないけれど
それでも、なんとか生きていけるようにしてもらえたと
少なくとも今のオレは思っているんだ

 どうせまた間違える
  この供述も、いつものこと

充満する途上国の熱
一帯を平等に焼く太陽のじめっとした日差し
こいつを頭から浴びるためにわざわざやってきた
そして、想像の7000倍のものをもらって
いつか、必ず帰って頑張ると誓う


>また起き上がるアイラブユー

相変わらず、
クソみたいなことをしている
少しは成長したと思ったけれど、結局
時間が解決したこと以外は
特に変わってなかったな

 根っこの部分が変わらないことと
  どう向き合えば良いか

金曜夜の水辺、ホーチミン市内の公園
地元の人々が口々に談笑しているのを
横目に見遣り、笑いながら
まったく別のことを考えていた
それは、集中力のない脳みそにとって
しゃーないことだったと言い訳させてもらう

 ようやく胃の腑が落ち着いた
  朝から恥を掻いたからだな

ああ、愛してる。昔から
わがままばかり。こんななりで
嬉しいことがあったから
もっとほしいと、その時思った

「やめとけ」という声もあった、でも
それじゃダメだと、そうも聞こえた
だから今日も、いつの日かと
未だないアレを夢に見る

一つでいいから許してくれ
暗く沈んだ奥の辺に
美しいものがあることを
誰よりオレが知っている
そう嘯いて○に果てて
また起き上がる、アイラブユー


>眠れない夜

眠れない夜
午前2時半から3時の間
白く光るスマートホンの画面
寂しくはない、そして同時に
たまらない寂しさが裏側にのぞいている
そうじゃないか?

 いいんだ、別に
  なんと言っても
   他でもないコイツが一番寂しいんだ

底なしに優しいということを
時間というリソースを120%費やして証明することを
ほとんど国是としてきた
その結果がどうだったか、
確認はいらない

 退屈を持て余して
  無駄にしたのは誰も同じ

優しい歌が夜の街に響いているのを
知っている、以前はそうだったんだ
完全に失った時代背景の中で
根っこの原理は全く変わっていないと
友人さえいれば極論なんとかなると
教えてくれた人がいる

だから、170%の安心の中で
とんでもない虚勢を張ることも辞さない
惨めは全部コイツが引き受けるから
安心して眠ってくれよ


>浪費
まったく何のステータスもない一人のゴミクズが
まっとうに生きるために、今の時代に
できることはいったい何だろうか? そして
そんなことは本当にあるのか、存在しうるのか
そのことを検証・把握するために
ほとんどすべてのリソースが費やされてきた
貴重な時間の大半は、そのために
好むと好まざるとに関わらず
否応なくあてがわれたように思う

下手くそで、センスも何もなかったので
収穫なんて微々たるものだったかもしれないが、
それでも十分ありがたかったと、そのことが
間抜けの胸の奥にもしっかりと刻まれている

 ベトナム、ホーチミン、1区と4区の境目
  若者がたむろする24時間営業の
   気だるい時間の漂う喫茶店にて 

永遠を言い張ることは
なおさらにおこがましいと思いつつ
これを永遠と言わなければ、おそらくそう呼べるものは
他にまったくありえないだろうなと
そんな宝物がそこにはあった


>間違いだらけ

俺は間違ってきた
俺は、これまでずっと間違ってきた
これまで、ほとんどすべてを間違えてきた
100あるうちの99まで
1000あるうちの999までを
完璧なまでに間違えてきたと堂々と言える
(堂々と言うことに、情けないけれど意味がある)

そして、これからも
残念なことに俺は間違い続けるだろう
これは可能性の話ではなく、確実なこととして
性懲りもなく、幾度となく間違い続けるだろう
簡単な2択を誤り、90%の当たり判定を外して
いたたまれない失敗を繰り返すに違いない
それをやめようと、起こさないようにしようと
思ったことも以前はあったが
それも全部無駄だった

 無駄をした回数だけは
  そこらのヤツに負けない自信がある

だから、「もう間違えないようにしよう」とは思わない
間違えたいとも思わない、ただ
間違い続けるその中でも
確かな光に触れる機会はあった
そのおかげで、ここまでやってこれたと思っている

だから次は
間違いを恐れたり、逆に敬ったり
感情の玩具(おもちゃ)にすることなく
存在の確認手段として使って行きたい
そして、いずれは
これが永遠かと、そう思わされるような言葉の高鳴りが聞こえてくることを
間違いだらけの人生が、その間違いへの向き合いの徹底によって許されることを
惨めな命の足跡として残させてくれ


>今のこと

震えるなよ
「本当にこれでいいのか」と
思うことすら、やめるタイミングが来ている

書きすぎてしまえば、まるごと全部無駄になってしまう
だから、できる限り短い言葉で
今のことを表したい


>夜風に歩く

心にしみる寂しさを
持て余し、異国の地に
何かを夢見て自ら来た
とりあえずの下水道
誰かが集める大量のゴミ
そして、ホーチミンの空に
小さな光の残骸がポツリと浮かんでいるのが見える

 辛いのはいつも変わらない
  それだけは、毎日のように
   不肖の胸に訪れている

前に出ろ、と
それでも前に出続けろと
いつも言われているので、胸を作り
見よう見まねで生きようとした
片隅では、見知った顔の不安が渦巻いて
いつでも逃げだしたいような気持ちに駆られる

 いつも頭の中の音楽は
  決まったものが流れている
   昔流行って、そしてそのままいつまでも
    カスのところまで届く歌たち

どうなるかなどわからないのは
先のことじゃない、日常のこと
だから、常に戦えるように
見逃さないように注意している
そして、俺一人だけが間違っているのか
それとも、多少は芯を食っているのか
確かめるために、時には酒を
煽りながらに夜風に歩く


>課題まみれ

課題は雨のように降り注いでくる
朝の挨拶のシーンにも、昼の談笑の中にも、夜の街角にも
平凡な顔をしたいつもの情景の中で
常に、全くできていないことの実態が突きつけられる
 
 そこに言葉があるのと同様に
  そこかしこに不可能が提示されている

どこに行っても逃げられるものではないそれらを
どうすべきか、未熟さの中で決めあぐね、また
そもそも問題を完全には捉えられないまま
中途半端な年齢にまで来てしまった
(手遅れだと諦めたくはないけれど
 手遅れだったとしても不思議ではない
 その時は、笑って酒でもあおるしかない)

だから、
私は逃げるという発想は捨ててしまおうと思った
休むことはあっても、逃げること
あるいは逃げると意思決定することはしないと
どこかで決めて、ここまで来た
少しも体裁の良い決定ではないし
結果はまったくもって芳しくないけれど
まあいいかと、半ば呆れながら自分自身を突き放している

きっと、いつか良いことがあるだろうと
楽観的に構えながら、課題まみれの中を歩いている


大切なものがあるのだ
失ってはいけないものもある
そして、もし努力虚しく失い尽くしたとしたら
次の章では、生爪を剥いででも取り返さなければならない
そういう貴重で根本的なものがある

人生の原因・過程・結果を全て己の責任とする
そこに人生の使命と所有の実質が生まれる
そうであるならば、自己への責任を自覚しないところに本当の人生は発生しない
そういうことになる

エゴが醜いヤツは社会にいる資格がない
エゴのないヤツは生きている意味がない
エゴを乗りこなした上での到達・貢献は数段上の輝きを放つ 

他有化と自由
他有化、他人視点で自分を判断する自由は常にある
それはそうだろ

寂しいから入り浸るのと
寂しいから入り浸れない、
1人でいるのが寂しいか
他人といるのが寂しいか、
そういう違いがタイプとしてある
それでも根っこは変わらないなと、今日思った

愛には飢えていないが魅力に飢える
そういう状態もある

相手の自己肯定感が高く見えるのは
こちらが求めて得られない欲しいものを、向こうがふんだんに持っていて
さらにそのことを少しもありがたがっていないから
それは、おそらく反対側も同じこと
魅力だろうが、才能だろうが
あるいは偉大な結果だろうが
求めて得られぬ状態は狂おしいということ

俺はもっと叫べる
誰よりも、アイツよりも
不遜を承知で、それでももっと叫べると言う

醜い生と、美しい死
どちらが良いか、それは時として反転する
そして、美しい命がもっとも難しく、そして尊い

あの時死んでおくべきだったんじゃないかと
そう思う時もあるかもしれない
でもそれは○○なんだ、俺からしたら
お前はお前の生を自分の物差しで考えているけれど
それが、根本的には間違っている
それを、少なくともそう信じているヤツがいることを
いつか何かの時に認めてくれればいい
そしてその前段階としてこの話を頭の隅に置いておく
それだけで免疫的な効果があるからそれも良い
そして、俺はお前が生きていることを
はちきれるほどの生の燃焼の余地がまだ残されていることに何より期待している
それが、本当は少し申し訳なくもあるんだ
それだけは許してくれ

自分なんてどう転んでも楽しい
だからそこにフォーカスを当てる必要がない
相手が楽しんだかどうかだけが一大事だ
才能も経験もないけれど、それだけは確信している
そしてそのように行動している

ーーーーーーーーーー

事実の如何から100%離れて
げんなりさせる、悲しませることはしない
そして、喜びや驚きを導くものを、あらゆる形態を超えて目指し続ける
それは実にスリリングでのっぴきならない作業だ

俺はもう全部手に入れてるんだ
だから最大の嘘がつける
それが俺の一番の強みだ

俺は尊敬すべき先人たちの真似して
あの人、と呼びうる人らの残したものに追従して
それで何とか生きてこれた

あの方達ですら祈る
あの人ですら疑うこともある、極限のところで
それが本当なら、凡人のあらゆる過失など何てこともない
意味意義未満の事象に過ぎない

何度でも負けてきた、そして
何度負けても一向に構わない

信じるのも、願うのも、祈るのも
もうすぐ卒業することになるだろう
少なくとも、言葉の使い方・あり様という意味において

ーーーーーーーーーー

段階的・継続的に美しくなる方法を知って実行している女は賢い
良い人と継続的に会い続けるのにそれ以上の方法はない
だから、相手を探すことにフォーカスし始めるとダメなんだろう
相手を変えるより自分を変えなければならない。当然男も同じ

美のキャリアを積み上げられるようになってくれ
時には泣き笑いもあって、それでも全体は輝いている
そんな風であれば素晴らしいな

美しい女がその美質を全うできますように
そして多少不細工に生まれたヤツも、笑顔と誠実さと健康な身体によって幸福な人生となりますように


[Words of gratitude & Aspiration of this new year(Original version)]

From the beginning, I feel bit awkward when I start to write down this Blog in English, because this is nothing but almost first pretty long sentense by myself in my whole 34 years life. In the view of blog article in Japanese, I made pretty much amount of text on my blog, though almost all of these are poetry, not essay and column, but lack of English skill made me far from take a pen to create a kind of work for the long time. 

As the base I like writing something about myself, my thought toward surrounding me, literature and at first I love reading and get some kind of energy from book like novel, phyrosophy, essay and so on. My some friend know that I love Haruki murakami for more than 15 years and I have one master related to literatual field as I mentioned on the last blog. So, to be interested in writing my thought in English is pretty natural feeling and I already get some foreigner firend thanking to change of my life as living in Vietnam last 3 years. That is one of the big reason I determined to write some kind of aspiration for new year.

(By the way, there are only one friend he gave me Feedback about my last blog.This is what a British person who take the trouble to translate my Japanese blog by himself. Of course I felt very grateful but at the same I couldn't stop to embarassed coz I never thought the reading person who is non- Japanese. That is one of the actual reason for me to write one English column on beharlf of last one.)

To be honest I had little time to note something expecting for the future at last blog so to differenciate the content from that, I will try to list up something for the next year. Just now I grasp a curious feeling about this plan as I expect to get new and ambitious idea that I couldn't get in Japanese ever before. From the beginning, as I mentioned before there are one reason to leave Japan, which economy is stagnant due to various reasons. So for me, take some distance from Japan and Japanese is one of the interesting way to get good inspiration to live well and win the game. Of course there are nothing to guarantee anymore.

By the way I got more than 10 Europian friends through last 3 years but some people said that the social and economic situation is more or less similar to Japan regardless of the East or the West world. For sure there is no reliable amount of sampling but I understand the common sense by myself from their saying.

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Then,let's get down to the main part.

As the simplest objective, I’m gonna improve my English skill both in business and life situation. As the next step I will work at IT Start-Up company which wanna go to APAC market as Customer Success manager. And I guess I have to make small presentation for foreigner, non-Japanese speaker. After deciding to join I've prepared for that so even last 2 months my English speaking skill got better than before but,to my shame, it supporsed not to be enough to achieve proper work in my assumption though I lived at foreign country and fortunately work with many English original speakers. While I reflected on my lazy attitude but I will make best use of last 20 days left as long as I could.

Additionally, make new foreigner friends in Japan is one of my expecting point for the life living in Japan. Not decided but for now I will rent Share house in Tokyo for next 1 year so if could I wanna get in the apartment that some foreigner live together to communicate with them in English day by day. Of course it would be depending on my fortune so even excepting for that I'm eger to make a chance to get to know foreign people by myself.

And if I dare to set challenging goal related to English and global communication, I wanna make a business by connecting between Japan and other country by my own. Of course it is not the meaning related to my parmanent job. To be honest sometimes I tried to make money by business matching between Japan and Vietnam in It field but it was impossible due to lack of my power. I regretted it a bit but I got a sign to realize it for last 3 months. As a premise my main work is priority but if I have a enough space to engage it, I try to do my best about it. 

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At the end, I wanna mention one of the most impressive moment for last 3 years in Vietnam. May in 2025 I got one honorable award from my company, that was given by the person who showed the best performance in the company charity event. My previous company is eager to do that kind and at that timing I was nominated as one of 6 performer and I did singing "The Greatest Show" is famous as the main theme song of Greatest Showman. At first I decided on a whim because my actual name is SHO that has same pronounciation, but more I practiced the lap part, Harder I felt to complete that song in total. Like that I was very worried how it would going or not, finnaly I managed to do it in the actual event. I don't wanna brag by myself too much but the red jacket and hat I prepared to mimic Hugh Jackman's costume also served as great accents for livenning up the event. Tottaly that was great experience in the true sense. Because, I guess I think, there are not many business person who do that kind of performance in front of all non-Japanese people. Of course it was all thanks to other co-workers help so including that fact I was very honored to realize that.

I couldn't write down whole things happend in 3 years and I might did many failure and rude thing for bothering you guys, though, I enjoyed all life in Vietnam with my friends and coworkers together. Couldn't stop to thank you for your great help to support me. I hope your all time this year get great success and live well. I will leave from Vietnam in the last part of January but welcome you if coming to Japan forever.

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Though this may be unnecessary, I'll leave my English poem here as a personal experiment. I wrote it around September last year, and since the timing seemed right, I tried translating it into English myself with some help from AI. I have no idea how it will be received for native-English person and Apac people, but if you happen to have some free time over the New Year holidays, I'd be delighted if you'd take a look.


Title:
From a Bridge over the Saigon River
(Japanese title:サイゴン川の橋より)

A moonlit night in Vietnam—
District One of Ho Chi Minh City,
a floating isle of smooth yellow.
Tonight again, from District Four toward the city’s core,
I ride the back seat of a Grab bike as usual,

  My worries have knotted tight as twine;
    the wind against my face,
      my brain spins doubt on its own—
        but that’s nothing new. It’s the usual state.

The one who hunts for a culprit
is always the one who’s running away.
Cause and function, parts and poisons—
everyone has them, originally anyway.
What to do with them?  burn them down,or let them out.
To choose — that must be the layer of will,
I tell myself, like a tiny prayer.

And then, a few heartbeats later, I forget all that,
and melt back into the everyday wind—
carrying worries that aren’t even ordinary,
worries somehow less than dailylife.

  Effort, desperation, grit—
    I don’t believe it’s all “business.”
      “Payback” is a bullshit word.
        I just spend the energy I’ve been given,
          turn it into foam that’s worth something—
            and if it becomes that,
              I think I could drown in it, gladly and welcome to die.

The night sky over Ho Chi Minh is clear.
So clear it overwhelms—
even with exhaust held thick inside the air.
Maybe a lot of people don’t even know.
But to see it—vivid, undeniable—
for that alone, I think,
coming to this city meant something.

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Sincerely,

Sho.T



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【AI revised version】
[Words of Gratitude / New Year’s Aspirations]

To be honest, I still feel a little awkward writing this blog in English. This is almost the first time in my 34 years that I’ve written a fairly long piece on my own in English. In Japanese, I’ve written quite a lot on my blog, but most of it has been poetry rather than essays or columns. My lack of English skills kept me from trying to write this kind of longer work for a long time.

At heart, I’ve always liked writing about myself, my thoughts about the world around me, and literature. Above all, I love reading and I get energy from books—novels, philosophy, essays, and more. Some of my friends know that I’ve loved Haruki Murakami for more than 15 years, and as I mentioned in my last post, I also have a mentor in a literary field. So it feels natural that I want to express my thoughts in English. Also, thanks to living in Vietnam for the past three years, I’ve made friends from other countries. That’s one of the main reasons I decided to write down my aspirations for the new year.

(By the way, only one person gave me feedback on my last blog post. He is British, and I guessed he kindly translated my Japanese post by himself. I was very grateful, but at the same time I felt embarrassed—because I had never imagined that a non-Japanese reader would read it. That was another real reason I decided to write an English column as a follow-up.)

In my last post, I didn’t have much time to write about my expectations for the future. So, to make this post different, I’ll list a few goals for the coming year. Right now I feel curious about this plan, because I might find new and ambitious ideas that I couldn’t express in Japanese before. As I mentioned earlier, one reason I left Japan was that the economy has been stagnant for various reasons and that makes mood in Japan unreasonably tight. For me, taking some distance from Japan—and from the Japanese language—is an interesting way to gain fresh perspective and inspiration to live better and move forward. Of course, nothing is guaranteed.

Over the past three years, I’ve made more than ten European friends, and some of them say the social and economic situation in their countries is, in some ways, similar to Japan—whether in the East or the West. This isn’t a scientific sample, of course, but I understand what they mean based on what I’ve heard.

[Main Goals for the New Year]

1) Improve my English for both work and daily life.
As a next step in my career, I will work at an IT start-up that wants to expand into the APAC market, as a Customer Success Manager. I expect I’ll need to give short presentations to non-Japanese speakers. Since deciding to join, I’ve been preparing, and over the past two months my speaking has improved. But honestly, I’m not sure it’s enough yet, even though I’ve lived abroad and have been lucky to work with many native English speakers. I regret being lazy at times, but I will make the best use of the remaining 20 days as much as I can.

2) Make new international friends after I return to Japan.
One thing I’m looking forward to is making new foreign friends in Japan. It’s not fully decided yet, but for now I plan to rent a share house in Tokyo for the next year. If possible, I’d like to live in a place where international residents also live, so I can communicate in English day by day. Of course, it depends on luck and timing, but even if that doesn’t happen, I’m eager to create opportunities to meet people from different countries.

3) Take on a bigger challenge: build something that connects Japan and other countries.
If I set a more ambitious goal related to English and global communication, I’d like to start a small business that connects Japan with other countries. This is not meant to replace my full-time job. To be honest, I once tried to earn money through business matching between Japan and Vietnam in the IT field, but I couldn’t make it work due to my lack of ability and resources at the time. I regretted it a little, but over the past three months I’ve felt a sign that I might be ready to try again. My main job will always be the priority, but if I have enough time and space to work on it, I’ll do my best.

[A Memory I’ll Never Forget from My Three Years in Vietnam]
Finally, I want to share one of the most impressive moments from my time in Vietnam. In May 2025, I received an honorable award from my company for strong performance in a company charity event. My previous company was enthusiastic about that kind of activity, and at that time I was nominated as one of six performers.

I sang “The Greatest Show,” the famous theme song from The Greatest Showman, world-wide popular movie. At first I chose it on a whim because my name is Sho, which sounds like “show.” But the more I practiced the rap part, the more difficult the whole song felt. I was really worried about whether it would go well, but in the end I managed to perform it at the event. I don’t want to brag too much, but the red jacket and hat I prepared to imitate Hugh Jackman’s costume helped add excitement to the event. It was truly a great experience. I don’t think there are many businesspeople who perform like that in front of a large audience of non-Japanese colleagues. And of course, it was only possible because of my coworkers’ support, so I feel sincerely honored and grateful.

I can’t write everything that happened during these three years. I’m sure I made many mistakes, and I may have said or done rude things that bothered some of you. Still, I truly enjoyed my life in Vietnam with my friends and coworkers. Thank you so much for supporting me.

I hope this year brings you great success and a wonderful life. I will leave Vietnam in late January, but if you ever come to Japan, you will always be welcome.

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Sincerely,
Sho T.

年末年始のめでたいタイミングでこんな事を言うのは少しはばかられるのだけれど、正直に白状してしまうとここ数日で頭がくらくらする思いをすることが何度かあった。言えることだけ話すと、昔読んだあるコラムを見直していて夜中の3時から6時ぐらいまでずっとギクリとしっぱなしの状態になっていた。それは僕が私淑しているある先生のWebサイトにあるコラム集で、それこそ高校生の時から今も変わらず読んでいるある意味父親のような存在の方のものなのだけれど、この歳になって改めてそれを引っ張り出してきて読んでいるうちにだんだん冷や汗と吐き気に近い感じがダラダラとではありながら止まらなくなっていた。寝不足もあったので体調を崩したというほどではなかったけれど。

朝8時ごろに一旦寝付いてから改めて近所のカフェでそのコラム集を読み直していてたが、気持ち悪いというほどではなかったにせよやっぱり後ろめたい気持ちは消えなかった。ざっくり言うと「自分はこの3年間何をやっていたんだろう、、、」と愕然とするような心持ちであった。その先生はまあそれはものすごい人で、有名な方ではないが不肖の身からするとあらゆる観点で当代随一という化け物なのだけれど、その先生が今の自分と同じ35歳前後の時期に書かれていたコラムが凄すぎて、本当にこの3年間が完全に無意味なものだったと思わされた。もちろん冷静になって、いやいやそんなことはないぞ、と思うところはあるし、もともと人並み以上に自負は強いと自認している。でも、そんな自負が意味をなさないというか、大型台風の前のアリンコみたいなもので、先生に「お前全く成長してないやんけ」と眼前で言われた心地だった。本当に恐ろしい(その方とは実際に飲み会やら何やらで何度か直接お目見えしたことがある)。

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年末のささやかな総括と報告、この習慣自体がその先生の恒例行事を模しているもの、ということもここでは言わなければいけないのだけれど、今年に限っては特に内容として上の件に触れないわけにはいかない心地がしている。クリスマス直後から今日の今までの間に断続的に何度も落胆し、冷や汗をかき、それでもこのベトナムでの3年間で非才の身になんとか会得したものを記憶を踏まえて数え上げようとした。半分思いつきみたいな感じで取り急ぎ書き溜めてブログにアップしていた詩やら文章の断片やらをざっとチェックし(本当にざっと。一つづつ点検しているわけではない)、読むに耐えうるものを70ほどをピックアップして発表可能な形に調整したりしていた。また文章関係以外でも当時起こったことを思い出しながら、「あれができるようになった・これはイマイチでやめてしまった・そういえばこういう出会いがあった」、みたいなことを数え上げて、それでもやっぱり脳内の先生からの「お前全く成長してないやんけ」に対して「そんなことないっすよ!」と元気に返すレベルでは全くなかったことを確かめざるを得なかったのでもある。

もちろん、その先生は超人なので今さら差分を引き合いに出して直接比較するような不遜をやりたいわけではない。ほんとにほんとです。わかりやすく言えば大谷翔平と県大会3回戦止まりの高校野球の選手で3球勝負させるみたいなもので、そんなところになけなしの自負を持ち込む僕が間違っている。ただ、くらくらきてしまったということは情けなくも無意識にもそれをしてしまったということでもあり、それも含めて大反省なのであった。誰に迷惑をかけるわけでもないけれど本当にみっともないものだ。

とはいえ、一旦比較やら反省やらを全く無視すると、この3年間のホーチミンでの生活は僕にとってはめちゃくちゃ実りの大きいものだった。それだけは改めて確信を持って言える。もちろんエネルギー不足や怠惰による逃げ、未熟のせいで周囲に迷惑をかけたことも多かったし、実際の現実的な数字として何かが為せているわけでは全くないのはやはり情けないところだけれど、こと自認について言えばよくやった、と思えることもぼちぼちある。少なくとも、日本で同じように3年間過ごしているのとはわけがちがう、ということだけは言えると思っている。

とは言え、以前それこそブログに書いた気がするけれど、本当にこの3年間が悪くない代物だったのかどうかを判定するポイントがあるとすれば、それは絶対に日本に帰ってから僕が何をできるか、ということにかかっている。これは間違いないし、そのことを思うとまた別の種類の冷や汗が出てくる。でもこれはこれでいい。こんなにステータスも実績もないやつが何かに挑戦するときに冷や汗をかかずにできることは1つもない。

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先に書くべきだったけれど、僕はこれまで勤めていたベトナムの企業を退社して改めて日系のスタートアップへ舞い戻ることになった。前職と近いジャンルではあるけれど、一つ違うのは海外進出事業に関わることと、今まで以上に英語を使って業務を行うようになること。詳細は省くけれど、そもそも海外で働くことにした理由の大きな部分がこれだったので、そこを次の仕事でさらに深くやれることになることになって非常にほっとしている。これに関してはささやかながら自分に「よくやった」と言いたい。

現在ベトナム時間で夜9時、日本では11時でもうすぐ年越しだ。こちらで過ごす年末年始は2度目だけれど、2年前(去年だったっけ?)も自分としては日本にいるような心持ちが強かった。ベトナムは中華圏の文化色が強くて旧正月がメインになるので、年末年始にガッツリ休むみたいなことはない。というか年末年始に長期休暇を取るのはほぼ日本だけかもしれない。それにほぼ赤道直下のため気温も常に30°以上なので体感として日本の冬とは全然違うのだけれど、それでも気持ちとしては日本で年を越しているつもりで色々と整理や心の準備をしている。

来年に関して、まだ色々決まっていないこともあるけれど、おそらく2月ごろからは東京の五反田あたりで少なくとも1年ほどは過ごすことになる。詳細は書けないが、さっきの先生に関連するやり残しみたいなところでいうと、もう少し僕には猶予があるということでもある。「全く成長してない」から「ほんのちょっとマシになったか?」ぐらいのレベルアップはなんとしてもしたイノで、改めて日本移住までの間に振り返りや反省、およびどう解決していくかの方向性の目処を立てたいと思っている。といっても合理的に考えて直るようなタイプの課題ではないので、先生がどこかで書いていたように「四六時中、脳みそをバンバン叩きながらシビレて生きる」ことに改めて突入しなければならない。ほぼ無理な気がしているけれど、それでもやらないよりやった方がマシになるのは明確なのと、これは先生には怒られそうだけれど個人的には先生にとって微々たるものでも僕のような凡百からすれば望外の成果、のようなこともある。それを信じて虫の努力を必死こいてやっていきたい。

それではみなさん、良いお年をお迎えください。2026年もよろしくお願いいたします。

思う・思わされることの意味
文化の根源、希求、人間に必要な営みの再定義
人の賦活に必要なことと、社会や時代の相剋
時代がコンプレックスを刺激し、制度やモラルにコンプライアンスとして取り込みながら、同時に無自覚に人間の本来性から外れてゆく

個人はいつまでも原始に戻れる

生きることの素晴らしさを
性懲りも無く噛み締めて
薄寒い社会にこっそり唾を吐いて生きてゆけ

思い出が分配される
赤と緑の電飾に乗って
御伽話の形を借りて届けられてゆく
色どりのカケラもなかった人生に
全力で走る意味が与えられる
そんな大切な日が、誰にとっても喜ばしい特別な日だったことは
きっと10年に1回ぐらいの幸運に違いない

 何でもない歌だと思っていたポップソング
  それが、26日の新しい朝、妙に心を揺すぶるのは
   きっと聞いている側がたったの1日ですっかり変わってしまったからだ

いつかまた、何かの時に
今年のクリスマスソングを思い出す
そんな瞬間が来るかもしれない、こんな
ありふれた感慨を、自分でそう思ったのか、
あるいは何かに思わされたのか
はっきりとはわからないけれど
少なくとも、きっと年が経つにつれて
この歌を、毎年生み出されては消えていくはずのこの歌を
もっと良い歌として聴けるようになる

 サンタクロースが本当にいるのかいないのか
  誰もはっきり言わなけれど
   どうか彼がいてほしいと、世界中の誰もが思った
    だから僕たちはサンタクロースの真似をする

イメージ通りの雪の街にも
南国に待つ貧乏な人ら間にも
等しく届く、メリークリスマス

アイドル=偶像という翻訳はすでに皮肉が込められた事実として周知だけれど
「表情管理」という言葉も現代の世相をよく表しているように思う
感情労働という言葉もあるけれど、それにかなり近くて
僕らは表情を管理しなければならないケースがよくある

仕事中、写真撮影、人前に立ってスピーチする時などは特にそう
そして目が心の窓と言われるように、両の目を中心として顔全体も心に密接に繋がっている
その心を管理することが、時には多大なストレスでもあり
本来的な心のあり方から大きく離れるように思う
何より、仕事の場面はある程度仕方ないとして
僕は心と接続せず、期待される効果を演出するよう管理された表情を見るのが苦手だ

人はそう自在に心を開け閉めできる物ではなく
管理できていると思っていたら実は内側の心が疲れ切って歪んでいる、なんて例は枚挙にいとまがない
銭ゲバの中小企業の社長やゴリゴリの営業マン、夜のホステスさんなど
そういう人は何かと引き換えに大切なものを失っているように見える

優しくありたいと思った
せめて、優しさだけは完備していたいと思った
大したステータスもない、魅力も金も身長もない
普段から冴えない上に、時々とんでもない失敗もやらかす
だったらせめて、神様に許されるぐらい優しいヤツであろうと
ギリギリ足切りを突破するだけの分量でいいから、合格点がほしいと
それが一つの目指すべきことではないかと、ずいぶん前から意識してきた

ふと見渡すと
周囲の人には優しさが足りないように思えた
特定の誰かというより、街全体・状況の平均がそうであるように感じた
家の外で困っている人がいても、誰も助けていないように思えた、特に東京は
荷物をぶちまけた若い女性、酩酊の域を超えて酔い潰れているサラリーマン
あるいは、道端に倒れてずっと放置されている古びた自転車
そういうものを、助ける人がいない、あるいは助けの手が出てくるまでの時間が遅い
そういうことが少し嫌だった

みんな見知らぬ誰かへの接触方法を知らないように見えたし
厄介ごとに巻き込まれることから無意識に遠ざかろうとしているのではと思えたし
あるいは、善意でかけた声に対して冷たい反応が返ってきた時の寂しさみたいなものを忌避しているのかもしれなかった

でも、あらゆる気掛かりを優しさより大切にしているようでは、
そんなものは本当の優しさじゃないだろうと、当然考えつくところだ
俺は、俺の直感に従って
少しでも優しくあろうとし、優しさを実現するだけのコミュニケーションの作法を体得して
優しさが仮に届かない、あるいは不徳の致すところで迷惑に受け取られたとしても
それをその人や誰かのせいにはしない、そうしないぐらいにタフになろうと
そう思って生きてきた

一方で、優しさを標榜して何かを惹きつけようとするのは卑怯だ
そういうことは優しさの商品化で、本当の優しさではないのでやらないこと
現世的な見返りを求めるなら、それは別次元でやるべきだと
教えてもらったし、俺としてもそう信じている

こういった自分限りの姿勢が何をもたらしたかはっきりは言えないし
何かを実現して到達したなんて嘘でも口にするのは憚られるが
結果的に、俺はそれによってとても得難いものを得た
だから、最終的には実利上も非常に役に立つんだと
それだけはここに言い残しておきたい


【若さの時間について】

最高の時間を心ゆくまで走り切れ
腐った大人の説教は聞いてるフリで聞き流せ
生の力と命の輝きが、掛け算されて最大値を更新する瞬間
そして、その二つの相克に引き裂かれながら
それでも美しく力強いものに焦がれて誤魔化さない若さの時を
 
 デバイスや下部構造に脅かされる青春なんて、本物の青春じゃないだろ
  誰からの言葉も受け止めて、それでも最後は自分で決める
   そんな迫真の一瞬を、掴んで走り抜けろ

年寄り臭いようだけれど
いつかそうやって全力で汗だくになった時間に支えられる季節が来る
間違いなく絶対にやってくる
あの時死ぬほど大変だったけれど、一生分の冷や汗もかいたけれど
それでも結局完璧にはできなかったけれど
あれで良かった、本当に良かったと、心から思える

だから、完成度とは別の単位
いかに極限まで燃焼したか、燃やし尽くしたか
それだけにひたすら本気になれ
空気も読みながら、それでも裏では隠れて猛烈に腕を振れ
それだけやれれば、後はなんでもいい
きっと、より一層笑って死ねる

ーーーーーーーーー

【若さの浪費について】

搾取されないようにしようなんて思うな
こき使われないようにしようなんて思うな
年寄りは時々苛烈な労働を求めるけれど
それはリターンを得たいから、というシンプルな理由
そしてそれは、ある意味では貧しさの証でもある

与えるよりも得ることにフォーカスし始めた奴は汚い人間になってしまう、それは歴史が証明していて
今後の人生の中でも似た事例をごまんと見ることになるだろう

だから、欲しがられたものは喜んでくれてやれ
搾取したければすればいい、と心の奥のどこかでは思っていてくれ
逃げることが必要な時もある。それは頭に入れておくとして
それでも、表面上のこととは別にして、やるべきことから目をそらすように逃げることは絶対するな

極論を言えば、お前が日々の仕事で擦り切れそうになることよりも、
与えられたエネルギーをフルで燃焼しきれない日々に甘んじることを俺は何より恐れる

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【心を開くことについて】

ここでは心を全開にはできない
完全に解放することはとてもできない
そんな風に思われて辛い時がちょくちょくある
周りに対して申し訳なくもあるし、同時に解消しがたいストレスでもある
でもどうしようもない

そんな中、音楽は一つの救いだった
そこには心のままに歌い上げて、それでいて突き抜けるように力強く、時には美しい声とメロディがあった
それを実現しているヤツがいた。それは明らかに僕の惨めな人生を底の方から勇気づけるものだった

僕には音楽の才能はないけれど、
苦しくなったらいつでもそこに帰っていける。そういう仕組みの中にいる
変わらない苦しみを、こんなもんは大したことじゃない、よくあることだと和らげることができる
しかも永久にそれができる
そういう拠り所があるのは、何よりありがたいことの一つだ

俺が幻滅されるのは一向に構わないとして、
誰かが幻滅している、その原因になることの申し訳なさはある
そこはやはりなんとかしたいと思う、これでも心から思っている

最先端、最上級であることよりも
喜びに打たれ続ける人生であること
それは誰でも目指せる、そして真っ当に難しい良い目標ではないか

ーーーーーーーーーー

ステータスと愛の関係はどうなっているだろう
等価交換か、それとも全くの無関係なのか
どちらかが一方を包含するのか、一部重複しているのか

ひとつ言いたいのは、身の丈以上・器以上にステータスを追いかけるのは悪手だということ
それは不幸への、良くて修羅の道への一本道になってしまうように思う

ーーーーーーーーーー

完璧に愛されている、見守られているという確信、安心感がなければ心を開き切ることはできない
それは本当に何より難しい。少なくとも今の僕にとっては

そんなものは幻想かもしれない
甘えの満たされなさをかこつより、与えることの方がやるべきことなのではないか
そんな気がふとして、同時にまだ気づけていないことが山ほどあるのだと思わされた

やり残した若さを、力業で消化する。そんな3年間がもうすぐ終わる

ーーーーーーーーーー

自分を見てもらっている、という感じを得られなくて
それがどうにも寂しかった、ということがあるかもしれない

嫌われるのが本当には怖い、というところがあるんだろう
嫌われるなんて気にする奴はぬるいと、心に刻んできたけれど
それでもどこかでは、というところもある。恥ずかしながら

開き直りたいわけではないです、ただ
開き直る以外にないのではないか、と思われて、途方にくれてしまっているのではないかと、そんな気がしています

ーーーーーーーーーー

魂は帰属先を求めて迷っている
他人は自分と比べてなんて落ち着いているんだろうと、どうしても見える
ただ、そんなものは気の迷いだ、情けない未熟さの露呈に違いない
根拠はどこにもない。それでもそう思う
だから、俺は俺の迷うべきように迷えばいい
迷いに直面して、迷いとの対峙を時に躊躇しながら
それでも最後には力強い方を選び取ることができる
そういうふうに訓練してきているのだから、きっとそうなってくれるだろう

俺にだけ見えていない事象がある
同時に、俺しか見ることができない事象がある
そんな風に思われて、引き裂かれながらやってきた
それがポンコツの錯覚なのか、あるいは事実に近いのか
その配分、割合の程はわからないけれど
ある種のことを諦めながら、同時に何もかもを諦めずにやっていこうと思う

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飲み会の哀愁
寂しさは大声のなかにも滲んでいる
明るい人らの目線が、ここでないどこかに沈む瞬間がある
酩酊の最中、一番空気を読める奴
そいつがどうしても一番寂しくなる

それは、どうにも切ない、そしてどうしようもな瞬間であり
それは俺に書き続けようと思わせてくれる一つののっぴきならない理由でもある

ーーーーーーーーーーーー

よし、じゃあ俺は地獄へ行く
友達を捨ててでも地獄へ行く
なぜそうなるか、それがわかったら
お前もきっと地獄に来ることができる
俺はそう信じている
だから、俺がまず地獄へ行く

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言葉は磨耗する、世間ずれする
言葉を本質として扱うことは、特に愛や希望などの核心に近いあたりにおいて難しい
詩人は言葉を愛の実態に返す
時には手を変え品を変え、時には字面はそのままに文脈を変えて、言葉を本来の形に還元してゆく



令和00年、あるタイル職人が新しいタイルのデザインを考えている
デザインのベースにはクライアントの要望がある
そして同時に、彼の根っこには言葉にしがたい、そして評価されることもない情熱がある

、、、、、、、

彼は20歳の歳から15年ほどもタイル作りをやっていた
最初は特に自ら希望して選んだ仕事ではなかった
高校を卒業したが大学には行く気がしなかったし
そもそも勉学への意欲や適性も他の同窓生に比べて不足しているとなんとなく感じていた
最後の半年にみっちりやったバイトの給料を使って東南アジア数カ国とオーストラリアを観光程度に放浪し
その旅の中で「とりあえず何らか仕事をしよう」と思い、帰国後に何種類かの求人を漁る中で建築関係の仕事を見つけた

最初はルート営業的な仕事をやらされたが、まさにやらされるという感じで全く身にならず
その次は事務を、その次は経理をやったが、どれも性に合わなかった。単に堪え性がなかっただけかも知れない
ただ、建築デザインも手がけるその事務所には何人かのデザイナーがおり、彼・彼女らの仕事を横目で見る中で建材のデザインに関心が惹かれた
特に深く考えたわけではないが、ふと「自分にもできそうだ」「やれるならやってみたい」と思いついたのだ

ある飲み会の席、ちょっとした心持ちでデザイン仕事のことを上司に相談してみると、思ったより快い返事がきた
「お客さんの仕事は無理だけど、社内のマーケティング用のチラシとか、バナーとかはちょちょっと作ってもらえると助かるな」という話なのだ
大した仕事ではないのは当然承知していたが、彼の心はこっそり踊っていた。面白くなってきたと思った

Photoshopのアカウントを先輩社員から共有してもらい、彼は自社サービスの告知用に幾つかの用途で使われるチラシのデザインを始めた
最初はお世辞にも上手いとは言えない出来だったが、その時点からすでに彼は仕事にのめり込み始めていた
過去のチラシのデザインをベースにしながら色・構図・要素を調整し、Google検索や生成AIのアドバイスを参考に、というか丸パクリしながら地道に数をこなしていった
良い出来のものもそれほどでもないものもあったが、徐々に精度と確率が上がっていき、社内でも「アイツ結構デザインできるな」という話題が出るようになった

そうして自然に彼の社内での評価が上がっていく中、別部署から建材デザインのスタッフを新たに募集する話が出た
当然の成り行きで彼は自ら手を挙げてその募集へ社内応募した。別部署の上司や社長などと数回面談し、「彼で行こうか」という話になった
彼はウェブベースのデザインをやりながら、こっそりプライベートの時間を使って建材デザインの勉強もしていた
それを苦労と思わない程度には、彼はもう自分の仕事の方向性を確定していたようだった

、、、、、、、

ある令和00年の郊外の建築事務所で、
一人のタイル職人が新しいタイルのデザインを考えている
彼の仕事は決して目立たない。特別な才能があるわけでも、特異な出自も、注目を浴びる要因もない
それでも彼は、彼のデザインは喜びに満ちる
デザイン用のパッドにペン先が落ち、電気信号を介してディスプレイ上に彼のアイデアをベースにしたデザインが映し出される
単なる地方都市の郊外の、商業施設内のトイレの壁に貼られるなんてことないタイルのデザイン
クライアント側にも特別な思い入れも期待もない、そんな仕事を彼は彼の誠実さをもって愛している


傷ついたことにも意味があった
付いた傷のその深さの分だけ、同じ深さの傷を受けたアイツに優しくできるのだから
そのためにこうやってなんとか生きてきたのだと
そう思えるくらいには意味があった

俺は俺を組成する成分を愛している、そしてその歴史を愛している
俺の作品が、もし過大な幸運に見舞われて永遠の領域に到達するとしたら
それは、俺を形作った全てがその元になったということ
だから、俺はそれを目指して生きればいい、そう思う

たとえどんなに劣勢でも白旗を上げるわけにはいかない
アイツはともかく、お前にだけは負けるわけにはいかないんだ

愛がなければ、気遣いも全てむなしい

幸せを生む男には全てが許される
だから男は、根本的にはあらゆるルールよりも幸せを徹底的に求め続けることになるだろう

空気を読む力はひとつのセンスで、才能だ
そして、センスにあぐらをかく者は汚れる、というのが常なので
そういうケースでは空気を読むことでのし上がった汚いヤツが生まれる

自分のためにつく嘘は人を永遠の相貌から遠ざける
見えづらいストレスを与え、あらゆる動きを重たくしてしまう
だからアイツはああいう顔になっているのだろう、というサンプルがよくある

嘘をつけない、というのは俺の落ち度で、時に迷惑なことだと思う
それはそれとして当然申し訳ないと思う
ただ、それによって保たれている何かもある、ということ

反社会的思念について

全力で生きようとすると
それを周囲にも求める資格、というより瞬間が生まれる

女の幸せと事実と、どちらが大切か
その二択の答えはあまりにも明らかだ

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掻き鳴らされた弦の音に優しさが滲んでいるのがすぐにわかる、そしてハッとさせられる
それが何より嬉しい

どうして優しさを口にするとお前は傷つくのか
それは、厳しいことを言うようだけれど、お前が本当の優しさに至っていないからに他ならない
心の底から本当に優しい奴は、口にした優しさの言葉に似合った相貌になってゆく
そしてそうでない、形骸の優しさを標榜した奴が自分で自分の言葉に無意識にでも傷つく
そういう仕組みがあるみたいだ

愛していたことを確かめる必要は本当に全くない
それだけが、アイツに分からなかったこと
愛していたことを意識させることも、自覚させる必要も全くない
ただ、明らかな愛の証がそれぞれの間に現れることがあってくれればいい
他には何もいらない

男の性欲が女にとって気持ち悪い、ただそれが反転する

事実は変わらない、変わるのは真実だけ

永遠の相貌について
力みなく、同時に充満している
優しくそして力強い

何でもかんでもあるがままで良い
俺が真実を求めて、それでいて現実に振り回されて惨めな姿を晒すのも、それでいい
あるがままをコントロールすることはできない
それが、厳しい部分も含むれっきとした事実だと思う

1重、2重、時には3重以上の疑念に囚われるし、自己欺瞞の誘惑を止められない時もある
そんな至らなさもある種のあるがままの状態だとして
俺は苦笑しながら自認し、引き受け、担ってゆく
それが、良いところも悪いところもひっくるめた自分を生きる、ということだと信じる

もし明日、全財産を失うとしても、面白おかしく生きられるか
もし明日、世界中のすべての富を担うことになっても、使命を全うできるか
もし明日、地球上の全員が敵になっても、孤独の中で一人歩めるか
もし明日、地球上の全員が味方になっても、安住せず一人歩めるか

車窓から寂しく見送った日のことを
今でも鮮明に思い出せる

芸術が死んだのではなく、芸術を受け止める心が死んだのだということ

鏡と窓

人は自分を見る物差しで人を見る
それによって認識の齟齬や誤解が生まれるし
何か当然と思い、何かを非常識と感じる状態もその物差しが基準になる

覚悟が人をどこかへ連れてゆく
結果は前もっては分からない、そんな不確実性を許容する若さが
人を以前あった状態から新しい存在へ作り変えてゆく

ステータスのなさに苦しむことも、
逆に有り余る冨に溺れることからも
完全に縁を切れるポイントがある
それを必死こいて探している

やりたいこと:
ものすごく好きなことについて、自由に正直に好きな分量だけ語る・書く
「好き」で収めず、愛するというレベルのトピックだとなお良い
最初は無難なものから、徐々にセンシティブなところも含める。伏字を使っても良い

書き方:
出来るだけシンプルに書き始める。最初はリスト的な感じになっても良い。
構成も誤字脱字も気にしない。書きながら気持ちが軽くなるように、心を洗濯する感覚を重視する
誰より好きとか、どのぐらい知っているか、は意識的に気にしない。社会的な物差しは無視する

方針:
宗教の勧誘者がドン引きするぐらいの勢い、熱量、あるいは深さと自由さを目指す
本当は人は語りたいもの、楽しく語らうために生まれている。そのためのトレーニング
(カジュアルな写経、という感じ)

書き出しのルール:
私は〇〇が好きだ(好きです)。

例:
私はコーヒーが好きだ。愛していると言ってもいい。
まず、シンプルに味が素敵だ。苦くて香ばしい、古い言い回しだけれど大人の味、という感じがする。
味をベースに、匂い・色などシンプルなところ、そこから派生してフィジカルに与える影響も他の飲み物よりも大きく、インパクトがある。詳しくは知らないけれど大きくはカフェインの効果によるところなんだろう。化学物質の名前は知識としては知っていていいけれど、個人的にはあまり興味はなく、ただ単にコーヒーを愛好している。

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メモ:
「好き」に関してコンプレックス、劣等感、フラストレーションが絡まっていると素直な文章が書けなくなる。これを認識していくことは苦痛が伴うが、それはナルシシズムからの脱却において必要な真っ当な苦痛だろう。


エネルギーを使い切れ
金、権力、華やかさへ向かう季節
金に向かう、まっすぐ向かう

他者の発見、他人の発見
赤信号の前提には、青信号がある

自分も一人の他者である。操作の効く他者としての自分

頭がくらくらする時、何かを見落としている
それも単なる見落としではなく、幼児性やコンプレックス、潜在意識に絡むこじれた見落とし
自意識の盲点に入った見落とし

くらくらする時、それに引きずられずに落ち着いてから改めて考える

行くべきでないところには行かない。基本のマナーとして
呼ばれてから新しいところに行けばよい

挑戦するということは、
くらくらしに行くのではなく、くらくらしに行かないということ
そして然るべき準備をしてた上で新しい世界への扉を叩くこと

くらくらについて
場と自意識(潜在意識も含む)の間に発生する精神状態。そぐわないことと、その不受容によって発生する

世界は昔より良い具合に回っている
それでも自己の危機はなくならない、そんな時にどうすればいいか

他者の発見、他者が見える自分の発見
ジョハリの窓

卑屈にならない、謝らない、ゲロしない、恥をかかせない
恥ずかしいことをしない=まともで通り一遍の振る舞いをこなす
ビビらない、使えるものは使わせてもらう
いっそ突き抜けてしまう。3段飛びで生きる

誰とでもしたいから、誰にも向ける必要がない 
俺の○○は求められるがままにあればいい
他人がそれを発見する、俺は邪魔をしないことに努める
飲みに行くだけでいい、会いたいやつに会いに行って話せば、それ以上は神様が導く
思想がステータスに追い付きつつあればいいな。ウサギと亀みたいに。
順序を踏むことの重要性

過去は全て素材

殴られに行け、あたふたしてすごすご退散しろ
本気は唯一許される道
本気、死ぬ気、破壊と再生

性欲と魅力の関係
性欲はあっても魅力はない、という状態

神経刺激の化け物にならないように

これははっきり言えることだと思うが、自分のステータスや社会的立場に基づく主張というのは、思想という観点では非常にくだらない。
それはただのポジショントークで、生存者バイアスもしくは弱者バイアスのかかった狭量な意見に過ぎない。
以前どこかで言ったように、明日皇帝になるとしても、また逆に浮浪者になるとしても同じように身口意を全うしたいと思う。

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人生のベースは幼児期に読んだ絵本と美味しんぼとブラックジャックでできている
優しいまなざしは祖母を筆頭に家族から、社会への使命は三国志から、
そして恍惚と孤独と美、努力、決意は尾崎豊や寺山修司から、
知性や思想、人生の厳しさへの対峙についてはある私淑する先生から、
その他あらゆるものからすべてを学んでここまで来ている

俺はお前の〇〇を××したい
こころゆくまで××してやりたい
それがお前のためと俺のための、ちょうど中間の部分を完璧に癒す
傷を癒して、回復させて、更にプラスアルファの美しさまで上乗せする
全きやすらぎと、恍惚と、生を完走するための万能の方法論
そんなものはないと、お前は信じないかもしれないが
言葉には信じたものに存在と力を与える不思議な作用がある
詩人はそれを知っている

 巨大で精密な夏の入道雲、秋の夕暮れ
  遠い空の美しさと由来を同じくする成分にお前が満たされる
   そうなったら、どれだけ素晴らしい事になるだろう

今日のお前も、明日の俺も
いつもの惨めな一本の葦に違いない
それはそれで俺が保証する
それでも、それは救いのある惨めさだ
だから、どうか
音楽、風景、優しいまなざし
あらゆる喜ばしいものに触れるように
それだけ毎日願っている

ベトナムの月の夜
浮島の様なホーチミンの1区
今日も、4区から中心地へ向かう大きな橋を
サイゴン川に沿うようにしながら、Grabバイクの背に乗って渡ってゆく

 悩みはこじれている、夜風を受けながら
  脳髄は勝手に懐疑を生み出すけれど
   それはもういつものこと

悪者探しをするのはいつでも逃げているヤツだ
そして、原因や機能、要素は誰にでも備わっているもの
それをどうするか、焼き払うのか、あるいはそういうものだとするのか
それを決めるのはきっと意志のレイヤーだと
信じて、そして数瞬後にはそんなことも忘れて
また平凡以下の悩みを抱えた日常の風に溶けゆく

 努力も、必死さも、頑張りも
  俺は、すべてビジネスだとは思わない、見返りなんて言葉はクソだ
   ただ与えられたエネルギーの源を消費して、価値のある泡にしてゆく
    そうなってくれれば、俺はその泡に溺れて死のうと思う

ホーチミンの夜空は澄んでいる
排気ガスをたっぷり含んだ空がそれでも圧倒的に澄んでいることを
実は知らない人が多いかもしれない
それをまざまざと体験するためだけにでも、この街に来た意味があったと思う

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