詩人ごんつ~ベトナム行ってきます~

合社会的な思想への対抗戦線として

どーも。ごんつです。

胃腸の強さには自信があったんですが、ベトナムの硬水が合わないのか気分70%の日が続いてます。
コーヒーが旨いんですが、コーヒー飲むと気分悪くなるという。。。

なんとかがんばります。

みなさん、明けましておめでとうございます。
2023年も何卒よろしくお願い申し上げます。

(年末の挨拶を書きそびれました。筆不精が加速してます。すみません)

旧年というか、2021-22年にかけては働いてばっかだったなという感じでした。
今年は諸事情あって諸事情あるので、色々今までと違うことができるかと思います。

何かあればたまにブログを書くかもなので、ぜひ見てやって貰えればと。ではでは。

ごんつ

怖い

あの場所に行くのが怖い

謙遜でなく、自分の力でどうにかできる気はまったくしない

力不足ゆえに迷惑ばかりかけるだろう

これまでの怠惰や軽率な振る舞いに対する報いもまだ残っている
(常日頃からそれを感じている)

「それでも行くしかない」という勇敢さの表明が

実は無謀、粗暴の裏側という可能性が多分にあるのだ

そうなると、もう迷惑にとどまらず
いくつもの罪を作ることになってしまうのではないかと

本当に心から恐れている


 友が皆偉く見える日に

  幾度となく回り道ばかりした


そして、繰り返しになるが

「それでも行くしかない」と

言うしかない、方法が他にないのも明白だ


だから、いつものように

「どうか」と一言残して行くことにする

たったひとつだけ、自信のあるアレが

きっと最後の最後では守ってくれるだろうと

それだけは無闇に信じられるので

虚勢99%の背中とともに

いつもの居場所をあとにする


「何かを書きたい、書くべきだと感じながら何も書けない、書かない」という状態がもう何年か続いている。別にそれでいいかと思い、そうするより他になかったこともあってでこの状態を与えられたものとして受け入れてきたのだが、やはりなんとなくもやもやした感じは残ってしまっているのが、誰に伝えるでもない私の現状だった。


そして、もうすぐ32の年になるのだが、仕事の面で一つの転機を迎えつつあることによって、この状況は少なくともある程度は変化するだろう。具体的に言えば、短くない期間日本を離れて一人で生活することになっている、というか自分でそれを選んだ。このことへの期待と、日本へ残すことになる家族らへの若干の罪悪感などもあり心境として複雑な部分があるのだが、他でもない私が完全に自分の意思で決めたことだ。当然ながら責任はすべて自分にある。そして、やるからには得た期間をフルに使ってやりたいこと、やりのこしたこと、今しなければ一生できないことをすべてやりきる。その決意として書き残したい。


最後には、すべてが実りある結果になるように。がんばります。

小綺麗さも、時代の最先端も、
圧倒的なレベルの高さも
カラフルな色彩もすべていらない
好きじゃないわけじゃないんだ、ただ
それが一番根っこにあるとは、俺には思えないだけなんだ

 力量不足は重々承知している
  気づかせることも、それどころか
   一瞥を獲得することすら地獄の難易度だ

だから、俺にはこれしかなかった
ゴミの希望を込めて、いつもの文字列を
ネットの海に垂れ流す。
それでどうなるか、何とかなるのか
まったくもって掴めないままの数年だったけれど
これからは、そうだな
お前になんと言われようと、思われようと
まったく微動だにせず、そして
それでもすべてを明らかに照らせるような
そんなやつになることをまっすぐに目指すことを
ここに、田園都市線・青葉台駅・幻の3番線
酔っ払いが落ちた線路脇の退避場所に賭けて誓う

いよいよ社会不適合者感が増してきている。
それでいいか?もちろんそれだけでは良くはないけれど、それでもこの決断の裏には自分なりにはささやかながらも問題意識や目的がある。一定程度は公的な。

(どうも自分の価値を過信しすぎているのかもしれない。この年令になってもそうなのだから、もはや治らない気がするな、、まあ仕方がない)

そして、空気が読めないのは相変わらず。日常のコミュニケーションの端々にそれを感じる。自分でため息が出てしまうくらいだ。しかし、というかそして、だからこそ僕は僕をまっとうしようと思う。そのことの覚悟がここ最近でようやく決まった。いや、まだ決まりきってはいないのだが、覚悟を決めることの覚悟が決まった、くらいのステップにある。凡人なので、毎日のようにこころは揺らいでいるが、これ以上は後退しない最低のラインが決まった。それを定めたということ。

色々書けるかどうか、何が生まれてくるかはわからないけれど、楽しみにしていてください。がんばります。

不満が悪意を生んでいる
そして、色が飛び交っている
凡人は、いまや何にも届かなくなってしまったが
それでも、可能性に賭ける以外に道がない

 昔から焦っていたし、今も焦っている
  何かができるとは経験上とても思えないが
   とはいえ、としか言えない

書くべきことは間違いなくある
2022年の空気のひだの細密さを
胸に吸い込んだ世界の色彩を
渋谷の夜の、裏路地の
ゴミと不愉快にまみれた己の分身の生き様を
何の関係もないようでいながら
まったくすべて一つにつながっている、
それでいて「繋がり」などいちいち意識していては遅すぎるような
言語上はどうしても矛盾まみれにならざるを得ない様相を
明らかに、誰の目にもはっきりわかるように
年端も行かぬ女子高生から寝たきりの老人まで
ターゲティングの有効性を理解はしながら
それでも、正式にそれを棄却し
時給0円の条件を喜び受け入れて表す

SNSの繁栄によって明らかになったように、ある種の文字列は承認欲求を満たすか、または収益を稼ぐためだけに生まれ、一方で不満や嫉妬を正当化するために吸収される。そこには実りはない。

資本主義とは他のあらゆる主義のように理想を表す単語ではなく、欲望を原動力とした社会秩序の総称である。
そして資本主義という単語は社会秩序に嫌われた大衆の不満の表明として、反面教師的に使われる文字列である。

市民と大衆の違いは何か。市民は自分の幸福と社会の反映を不可分のものと考えて万事献身的に生活する人のことである。大衆は自我の充足を求めて感情に流され、仏教で言う貪瞋痴に飲まれて生きる人のことである。

命のない文字らを文字列と呼ぶ。
命のある文字らを言葉と呼ぶ

面白いところへ飛んでゆくのが俺の仕事だ
それで野垂れ死ぬなら、それはそれで構わないんだ
こんな所まで来ちまったが、それでもそれでいい
俺が愛したものを世界がほっておくわけはない
あいつはきっと幸せにやってゆく
だから俺は、しゃにむに飛んでゆくのが仕事なんだよ

自分にとって
仕事:現世の栄達・ステータス向上
芸術:人間性、神性への回帰

社会にとって
仕事:便利さ・遺伝子存続のための機能の実装、そのために人間を使う仕組み
芸術:???

人生の負い目がどこから生まれるのか
・芸術・憧れているものへ捧げられていないことの反動

負い目とは何か
・本来性から阻害されていることにより発生する脳の状態

目指すこと
・意思決定と捧げる方法、得る方法を知ること(0→プラス)
・負い目、貪瞋痴、その他悪コンディションを察知し、向き合い方を知ること(マイナス→0)

主義に関する雑記

主義への傾倒とは何か
主義の栄光とは何か

日本の多数を占める主義は何か
主義に対して主義を立てる必要があるのか
私は主義への奉仕者なのか

主義が恐れるもの
主義はそれ自体では成り立たず、必ず反対の概念を持つ
主義には理想がある。理想の実現へ向けて持ち続けるものが主義

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日本
・事なかれ主義、無難主義、平和主義
・仕事主義、金稼ぎ主義

日本人の求めるもの
・無条件で平和が与えられること、その実現
(実際にほぼその通りとなっているが、有事の気配がすると文句・不満が噴出する)

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不満は意思決定をしない者の態度
雇用と労働の関係は構造的に労働者側の不満を発生させる
・なぜなら、自分の労働量・目的を自分で設定することができないからである

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美しいもの・目指すべきもの
・自己消失と自由意志、完全なる奉仕

打ち破るべきもの
・不満、注意不足


ここまでもなんやかんや挑戦してきたが、
もう一段挑戦することになりそうだ
いよいよちょっと恐ろしい気がするけれど、頑張りたい

完全にやりたいことをやるだけの挑戦をする
主体的に選択し、管理し、やりきる
そして最後は、すべてが丸く収まるように
全部ぶち壊した上でそれでも笑えるようにやっていこう

必然と偶然の元で影響力が絶え間なく押し引きをしている。
そして一度加速のついた趨勢の変化はそのマイナスの影響がプラスを食いつぶすまで続く。最後にはひとつの希望が残る。

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行動規範がなくなり
個人主義の皮をかぶった無干渉主義に移行し
すべては動物的価値の充足に向かう

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祝祭・宴会・イベントとはなにか
感情、カタルシスを共有する儀式である
祝祭・宴会・イベントが廃れる時、何が起こっているか
人間嫌い、人間関係の不和、協力関係の消滅

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協力ができないので、金の力で強制力を働かせるよりない

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言葉が、文章が、物語が生み出せる根源的価値とは何か

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人間にまつわるあらゆる現象において、根本に何があるのかを見極めたい
細部の表出の差異は彩りに過ぎず、根本にはかなりシンプルな原理が横たわっている
そして根本が整理できていないと、パーパスのない企業の経営のように力は最大化されず全体が苦しむことになる

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あらゆる悪感情はひとつの兆しである
つまり、不満があるということは、やるべきことが決まっていない
自分の人生のケツを持つ覚悟ができていない、腹が座っていないということ

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人間を愛していないのに近親者や恋人を全うに愛することはできない
もしそれが可能そうに思えたら、それはどこかコンプレックスで歪んでいる
結局は人間を愛しているかどうかによる
そして幸福は嫌いなものの数をどれだけ減らせるかによる
(生老病死、貧乏、惨めさ、傷つくこと)

人を愛しているか?と問うことがなぜダメか、なぜ宗教じみているか
それは日常を壊すからだ
愛しき日常
我ら愛しき日常の守り手

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当たり前に従う国民性
みんながやることをやり
みんながやらないことをやらなくなる
方向づけは歴史、世間道徳、メディアが行う

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30→40代に来る辛みにどう立ち向かうか
結論は世代など気にしない、なのだが、
明確にKPIとしては設定したい

いろいろな人がいろいろなことを言っている
そして、大事なものは何一つ残らないような
そんな不安がどうにも拭えない
(もちろん、私もその一人であるかもしれないが)

  風が右から左へ流れ
   雨が滝のように軒先から落ち

自分にできることはないかと
身の丈に合わないことを考えながら
日々の仕事も不備だらけ
ポンコツざかりの都会の夜に
今は無くした栄光を 惨めに探す旅の途中

西洋(アメリカ)は自立が人間の根本にある
東洋(日本)は自己放棄が人間の根本にある(あった)

教育、歴史的な標語(和を持って尊しとなす)、謙遜の文化、ジョーク(飯尾さん「浅井企画はお祭り騒ぎだと思います」)の質などからそのように仮定する。

上記の差異が生まれている原因として、国家・民族・集団がどの程度戦争を経験しているかが大きく影響している。戦争、特に言語の異なる民族との戦争の記憶、憎しみの度合いが次世代への教育方針を分ける。なぜなら、戦争状態においては自立が重要(相手を殺す)だが、平和状態においては自己放棄(協力、力の集結)が重要だから。

余談だが、先の大戦および昨今の経済戦争は自立と自己放棄陣営の戦いとも取れる。(ナチス・ファシズムなどの全体主義はある意味ではヨーロッパの東洋化、日本化へのであったともとれる。だから日本と陣営を組むことになった)。日本は第二次世界大戦に破れたが、結果的に国土を蹂躙されておらず、憎しみを溜めて殺しの感情を宿した(自立した)とは言い難い。中国・韓国も東洋文化圏だが、中国はヨーロッパと接しているのと、モンゴルとの戦争、第一次大戦、第二次大戦に敗れているので、戦争・とくに敗戦の影響が強い。(韓国は最も日本に近い、だから同族嫌悪的ないざこざがある)

(逆に西洋でも、イギリスは地理的に他の地域より日本に近いのでは?北欧の福祉国家も戦争の経験が少ない?)

余談:ファシズムの語源ファスケスは斧の回りにロッド(短杖)を束ねたもの。象徴的意味は「統一による力」で、1本のロッドは簡単に壊れるが、束になると容易に壊せないことに由来する。(wikipediaより)

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そもそも、なぜこんなことを考えているのか。
→自分という人間にとっての自立・自己放棄の意味と明確化し、人生の方針を決めるため。
そして、日本人が今後何を人間の根本として置くべきか、を少なくとも自分の中で見定めるために考えている。

昨今の現状として、日本語を話す日本人が「日本人」という集団を意識してその美しい実現のために戦えるか、それ自体が所々の理由によって怪しいのだが、私は日本・日本人は世界に誇れる文化と歴史を持った価値ある集合体(民族、がしっくりくるが、あまり現代的ではないので集合体、としている)だと思っている。なので、なんとか過去その価値を生み出していた源泉を探って取り戻したい。個人単位でいうと、日本人一人ひとりがそれぞれの自信を取り戻せる状態を作りたい。

日本が凋落している原因として、文化・人間の根本として「自立と自己放棄」のどちらを目指すべきかのコンセンサスがあやふやになっていることが大本にあると思っている。(そのため、自由というより放任主義的な状態になっており、若者は次点として動物的快楽に走る傾向が見て取れる)

日本はもともと自己放棄によって集団としての最大価値を生み出すカルチャーモデルだったが、昨今の状況によってこのモデルは崩壊。ただし(これは明治維新とも共通点があるが)代わりに自立の文化が根づいたわけではないので文化的に迷走し、したがって国力の低下、大衆の自信の喪失、政治や社会的強者への不満を招いて人心が荒廃している。(価値創出を先導していた異能の人を追い落とす(紳助さんなど)ことに大衆が熱狂、動物的快楽への盲目的な逃走)

メモ:明治維新時は西洋文化を取り入れたものの、和魂洋才の言葉もあるように自己放棄を根本とする文化自体に対して国民が自信を失ったわけではなかった。現代日本は日本人・文化を見失っているので、状態としてはかなり悪化している。

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余談:褒めるとけなす
西洋は褒めて延ばす=個人としての自立を奨励
東洋は自分を落とす=反対にある和の尊重(謙遜の美徳)

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根本的に考えなければならないことは、
結局1人の人間にとって自立と自己放棄、どちらが大切か、ということ。
現時点の歴史の結論は自立>自己放棄だが、今後はどうなるだろうか。

前提として、平和が続くと協力が重要になるのはなんとなくわかる。
また、意思決定レイヤー(政治家・経営者・芸術家)にとっては自立が重要だが
大衆レイヤーは戦争の指導者ではないので、協力がより重要になる

結論、人間の根っことしては先に自立が来る。
そして「自立した自己が自己放棄を選択をする」可能性が残される。
何に対して自己放棄するか、が人生の重要な選択となる。というところ。

頭いてぇ。

Kavalanというまだ発売間もない台湾生まれのウイスキーを知った。甘くて旨い。
勢いでボトルを買ってしまった。自宅で飲んでもいいが、やっぱウイスキーはバーで飲むのが一番いい。

しかし、現代にいたってもKavalanのような新しい産品が生まれることを思うと、やはり平和の時代だからといってダラダラ生きていてはいけないと思わされる。今回はAmazonで一番安い7500円ぐらいのボトルを買ったけれど、今度は倍以上するボトルの形もいい上のグレードのものをさらっと買えるように精進しようと思った。

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さて、なんの脈絡もないが、以下は教育についての考察(仮説まみれ)
教育は難しい
誰かが誰かに教える、という現象の成立が不可能になっている。

何かを学ぶにあたって、人間には2通りのやり方しかない。
自分を中心として、周囲の物事を取り入れて自分のものにする、自分が使えるようにすること
世界を上位として、自分という客体を世界の下に置き「学自体」を下賜されること
主に西洋は上の、東洋(感覚的には日本)は下のやり方を教育文化・精神としてあらゆる情報の伝達、個人における学習の姿勢としてきた。
だが、(仮初ではあるが)平和世界の実現による平等主義の広がりにより、東洋的なやり方は各方面から弾圧されているため、下のやり方に慣れ親しんだ日本人はその変化についていけずに国力および各個人の気力を衰退させてきているように思う。

参考:体育会系(wikipediaより)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%93%E8%82%B2%E4%BC%9A%E7%B3%BB

大きな問題は、人間は自分ひとりでは学べない(可能性がどうしても残る)ということである。
私としては世界・他者の中、あるいは下に客体としての自らを置くことでしか得られない学びがあるのではと思っている。そのため、全体の傾向としては下火であるそういった古来日本的な思想とその実践について、私個人としてはこっそり継続していこうと思っている。ただし、すべては自立のためであるので、根本は西洋に魂を売ってしまった部分が否定できないようなところもある

(流行に合わないのは知りながら)
どこかに死に憧れる心がある
どこかで「死ななければならない」とささやく声を聞く
そして、まっとうに死ぬべきだ、とも

 生きながらえることの醜さと
  死の潔さと、美しさと

言うまでもなく、犬死にではなく
まっとうに生きることとまっとうに死ぬことは
ほとんどではなく、完全に同義に違いない
その人は生きるために死ぬのであり
死ぬことによって完璧な生を顕現する
そのために、生も死もあるのだと、、

 明言も煽動も、その他一切のことをしない
  ただ、言葉として現すだけが仕事だ

影響力が求める1/100にも充たない夏の晩
あくまで親しい闇の中、枕元には
ようやくわずかながら落ち着くことを覚えた肉体に相応しい大きさの夢と希望が置かれた

最近マイブームの永井荷風翁にならって毎日何かしらは書いてみる。例によっていつまで続くかは不明。

今日は夕飯に何を作っていいかわからず、悩んだ結果冷蔵庫の野菜と冷凍庫の肉・魚を冬の間使いきれずに残っていたキムチ鍋の元と一緒に煮込んだごった煮ですませた。玉ねぎ筆頭に野菜の価格が高騰しているせいか、なんとなく他の野菜らの味も全体に悪い気がしており、とりあえず全部ぶち込んでしまうのが正解と思ったのだが、夏の暑い盛りでもあり微妙だった。あと季節外れを承知で買って2~3日置いていた白菜がさすが季節外れだけあって非常に味気なく、しっかり火を通したにもかかわらず味がしみていない根っこのところのざく切りを食べるのに閉口していた。

仕事のことを振り返ると、今日はひとつちょっとしたミスをやらかしたが(詳細は情けないので書かない)、それ以外は概ね問題なし。相変わらず説明や人の話の要点を掴むのが苦手だが、さすがに1年半前よりましになっているのは自分にしては随分な成長だろう(と、自分で褒めないと現在地がわからなくなるので無理やり褒める)。明日は今持っている20件強の案件の中でも一番込み入ってややこしいクライアントとの定例mtgだが、今までよりは準備が上手く行ったので何とかなると信じる。

英語の勉強について。これまで割と毎日海外Youtuberの動画を耳慣らしに聞いていたのだが、最近あんまり聞く気がなくなって遠のいており、これはまずいということで別の英語に触れる機会を作ることにした。思いついたのが、社内外の会議中に発生したやり取りの中で込み入ったものをメモしておき、それをDeepLというAI翻訳機で訳してメモにストックしておくというもの。やってみるとこれは意外と楽しく、ルーティーンになりがちな仕事の全体を活性化させるアクセントとして機能してくれそうな気がする。目標は3年後までにアメリカか東南アジアで海外駐在すること。子供ができたばかりだが、そこはなんとかするしかない。

あなたの今この時をください
他のものには脇目も振らずに
ただ一心に傾けるためのひとつの永遠を
スマートホンにもキャピタルゲインにも
惑わされない密室を

 夏休みの風、アスファルトの匂い
  土臭い水が空気に滲んでゆく

知っている
どこにも素晴らしい場所なんてなかったことを
直方体に溢れる極色彩の中にも
両耳を埋める広告と嬌声の中にも
安住の地がなかったことは、誰もが知っている

ただ、あなたが素晴らしくあれたら
そこがどこでも好い場所になるんだ。 だから
あなたがあなたのすべての時間と場所を愛するために
時計に換算してほんの僅かの、それでも
いつまでも忘れがたい永遠を
☓☓の床へ添えたい数枚足らずの物語を
薄汚れたふりをしてまったく未熟なままの青春をください

相変わらずつらつらと書いてゆく。
何かを書き始めようとすると、とてもネガティブな気持ちが起こる。
じゃあ書かなければいいじゃん、という話だが、なんとなくそうも言っていられない気持ちもあり、無駄に複雑な気持ちで書くという良くない状態になっている。あかんなぁとは自分でも思っているのだが。

僕はだいたいにしていつも「〜しなれけば」と発想してしまうのだが、それはつまり「〜ができていない自分」にかなり強烈に注目してしまっていることだろうと思っている。
他人との差異、願望との差異、求めて得られないことの苦しみが「なければ」発想を自分に強制している。そう考えると、「ああ、この発想をやめなければ」とまた同じことの繰り返してしまい、さらに自己嫌悪におちいる。骨身に染みるバカだ。役にも立たないし。

しかし、できることより出来ないことの多い僕のような平凡人にとって、「なければ」発想でものに取り組むのは半ば仕方ないような気もする。とにかく、結論はでない。

今日は「影響力」に関する考察。

「インフルエンサー」という言葉に象徴的なように、現代においては他者に対する影響力、という概念が強く社会の前面に出るようになった。(詳細な調査などはしないのであしからず)

影響力というとものすごく広範囲な概念のように感じるが、それはそのとおりで、例えば高校生の肉体の魅力からスポーツに置ける感動の名場面、どっかの町工場のインスタ映えする工作技術まで含め、最終的にはプラットフォーム上のビュー数・いいね数・コメント数に還元されるのが現代の特徴で、そのへんから派生する付加的な効果まで含めた諸々をまとめて影響力と呼ぶのだろう。
(ちなみに「影響力」という言葉で検索しても、あまり学術的な書類などは出てこない。)

おそらく以前は「影響力」というと一定の業界内・組織内・集団内でのみ発言権や意思決定権、他人の印象に与える力の強い者を現すのに使われた言葉なのではないか思っている。「社長の〜〜さんはベトナムの建設業界に対して影響力がある」「政治家B氏は関東一円のヤクザ組織に対しても一定の影響力を持っている」とかいうと、ちょっと前の言い回しっぽいがしっくりくる。一方で現代における影響力はインターネットの影響でもっと広大な範囲に及ぼす力の総称だ。日本お得意のエロ動画がブラジルの若者を興奮させること、どこかの国の戦争における作戦失敗のずさんな映像に揶揄を含んだコメントが付くことなど、これまで関係も関心もなかった情報・人(とくに大衆)の間に橋が渡されたことで、様々な形でコンテンツが人に与える影響が「影響力」という抽象度の高い言葉となって文化の前面に出くるようになった。

とくに、新聞やテレビなど既存のメディアと違って「ほんの素人だったはずの人」がアップしたコンテンツを世界のあらゆる国・地域まで一瞬で届けられる(もちろん設備は必要だが、物理的に設備を設置できない地域には人間は住んでいないだろう)ことが明らかに時代を画す一点になる。だからこそ本来の使い方から派生してあらたに時代を象徴する言葉になっているのだろう。

ここから、影響力の性質・懸念点についてじっくり書いていければいいのだが、情けないことに体力がないのでここまで。

重要なことは、①インターネット・SNSの出現によって影響力の所持者が変わった=権力構造が変わったこと、②影響力は広告その他直接的な換金が可能なこと、など。

権力と金が変わると、政治が変わる。政治が変わると時代が変わる。
その変化の方向は新たな権力者の性質によって変わるだろう。

50年後の世界がどうなっているか全くわからないが、とにかくやれることをしっかりやろうと思う。
ほいじゃ。

久々に日記的なものを書いてみる。

最近、というかまあずっとだが、ブログに書きづらいことばかりやっているような気がする。
別に犯罪を犯しているわけではないのだけど、そのまま書くのはどうもはばかられるというか、そのまま書いてもしょうがないという感じ。

適宜かいつまんで話そうと思うが、なんというか日々苦しいことが多い。
仕事は課題ばかり、家庭も育児が大変だったり、そんな当たり前のようなことだ。

昔と比べて現代は色々とやりづらくなっているのだということは、一定以上の年齢の大人なら多分誰でも納得するところかと思うが、その分これまで不遇だった誰かがいい目を見てそれによって世の中が明るくなれば、トータルとしてそれはそれでいい。
少なくとも僕は、自分のできる範囲のことをやろうと思う。

下は、最近「時代」という現象についてつらつら考えたこと。
(散文でも詩でもないなぐり書き)

■時代について

時代には時代の原則がある
それは、流行の原理・根本のようなものだ。
クラブミュージックが広告に良く使われるようになった背景とか、
日本において芸能人の恋愛沙汰が苛烈に叩かれだしたとか、
昔は主流ではなく、昔と今の間のどこかで傾向が生まれ、そして主流となっていったこと。

私は今の時代の様相が好きではないのだが、
個人としてその影響は少なからず受けつつ
それでも、できる限り抗いながら生きている。

個人として、そういった時代的な要素を採用するか、
部分的には楽しみつつ原理には冷静な眼差しを向け、抗うか
そういった人間としての態度が問われる

そして、時代・流行の根本には
心の奥底で人を脅かすものがある。
いわゆる四苦八苦とか、あるいは時代が移り変わる中で生まれた表面的には新種の恐怖・不安とか

表題の件に戻って、時代とは何か。
単なる一般市民の暴論だが、時代とは権力者の変遷、および権力者の行動を支配する原理の変遷である。
時の為政者に与えられた権力は大衆から承認される。その承認が揺らぐときに革命が起こって時代が変わる
これまでは生の苦しみ、死の恐怖の程度が時代を変える原動力だった
現代は不満、嫉妬による苦しみを原動力に時代が動いている。動かそうとしている勢力がある。
では、現代の権力者は誰か?
、、、、、、、、

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では、今日はそんなところで。
頑張って生きていきます。

時代の変わり目には言葉の構造・グルーピング・階層が変わる
影響力とは何か。人の感覚を刺激して惹きつけるあらゆる要素の総体である。

・影響力を高めること=現実社会の力の獲得
・解明心に従うこと=仕組みを理解した上で正しい状態を捉えること

おはようございます。
書き出しが決まらず迷っているのですが、取り急ぎ言うべきことは、以下の二文にまとめます。

本当にありがとうございました。
よけいなお世話ですが、どうか安らかに。

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ここからは私自身の整理について簡単に書きます。

私は個人として政治に強い関心があるわけではないし、自民党をとくに支持しているわけでもない。国の行く末を案じる心は人並みにあるけれど、というくらいの平凡な人間である。

だが、昨日twitter経由で安倍さん(あえてこの言い方にする)が凶弾に倒れられたことを仄聞し、自分でも不思議なくらい動揺してしまった。

そして同時に、その感覚について「そうだよな」と納得の感もあった。

これは昔からなのだが、私は人を顔で判断する人間である。
「顔」という語弊のある言葉をあえて使ったが、顔の造形・美醜というより顔つきや表情からにじみ出る人間性に惹かれるし、誰かを個人的に信頼するかしないかの分水嶺は、ほぼその1点によると言ってもいい。

だから、あまり行かない選挙においても大概は顔つきで投票先を選んでいたりするのだが、
(政策で選べよ、と言われるかもしれないが、政策って基本実行されないしね)
安倍さんは麻生さんと並んで顔つきの好きな政治家だった。
好きというか、敬愛しているという言葉のほうが正しいだろう。

メディアやSNSで色々言われるが、政治家なんてめちゃくちゃ大変な仕事だということぐらいはなんとなくわかる。巨額で有象無象の欲望が絡む世界だし、数多のステークホルダーをまとめて意思決定するなんてとても私にはできない(そりゃそうだ)。
そんな中で、あの穏やかな顔つきのまま、長く政治的に主導的な立場を取られるというのは当然ながら並大抵のことではない。

もちろん政治上の成果においては色々あるのだろうが、
それはともかくとして素晴らしい顔つきのまま陣頭に立っていた安倍さんに私はいつもすごいなと思っていた。とくに、ちょっと政治家っぽくないくらい情熱的で、あまり欲望を感じさせないピュアな推進力で動いているのではないかと、外野ながら感じていたのだ。

今回の事件の際も、いつもの左手を掲げるやり方で精力的に演説されていたのを動画で見た。どうしてこんなことになってしまったのかと、部外者であることを承知でやるせない思いがする。

部外者といったが、政治家が国民に対して働きかけ、国民をまとめる存在なのだとすれば、
そしてそれを実際に阿部さんが憲政史上最長の間取り組まれ続けたのだとすれば、本当は私だって部外者ではないのだろう。だからこんな気持ちになるのだろうと、柄にもなく神妙な気持ちになる。

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「日本、やばくないか」と感じはじめてから随分経つが、今回の事件はそれを最も端的な形で表しているのだろう。詳細は報道を待って、というところだが、詳細云々はともかく「なんとかしないとな」と場違いな思いを改めて思い出させられた。

先立たれた安倍さんのためにも、というのはめちゃくちゃ大げさなのだけれど
私は尊敬していた祖母をはじめ、敬愛するすべての人々に恥じない働きをしたいと実は思っているので、方向性はともかく必死に頑張っていきたい。

では、そんなところで。
(村上春樹ではないけれど)今日この後からはいつもどおり犬の漫才師に戻ります。

何もかも難しくなってしまった
☓☓のために◯◯を歌うことも
お前の幸せが▲▲にあるのだと
バカの仮説が伝わることも

 それをそのまま言えたなら
  どれだけ救われることだろう

それはあなたが、そして
俺と全員が選んだことだ
たとえ無意識だったとしても
同じところには戻らない

 土の匂いが、アスファルトの熱が
  無為に満ちた日々の奥深くまで届く

だから、
俺は歌おう
選んだことをそのまま歌おう
一皮向けば、なんてことはない
あの時と同んなじままのお前がいるのが見える
だから、きっと
もう一回だけ会わせてくれ
俺の、残りの人生のすべての采配を賭けてでも
それだけはやらせてもらうと決まっている


人の足を引っ張る時間ほど無駄なものはないだろ

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落ち着いて、言葉にして
 心に問い合わせれば、全てがわかる

難しいのはわかってるよ、そりゃな
人生全部賭けたって、なんにもならない可能性のほうが断然大きい
でもな、難しいことに挑戦しないなら
一体なんのために100年も時間をもらっているんだ
才能とか、そういうことじゃなくて
俺たちが何に魂を捧げるかってことじゃないのか

いいんだ、別に誰がどっちが偉いとかじゃない
それはフラットにそう思っている
だけど、それじゃ面白くないんだ
たとえギリギリ死ぬ間際だって、腹を抱えて笑ってやるために
俺は走っていきたい。だから
どうか少しの時間とリソースをくれないか
俺のためとかじゃなく、
俺が気に入っているお前の一番おもしろいところのために

魂の危機に歪んだ形で対処するために、コンテンツが刺激化・卑猥化・幻惑化してゆく

あらゆる生の衝動は金銭欲を媒体に社会実装される

一行詩のプロローグ

一行詩、およびそれに準ずる短かい詩とは何か
とくに現代においてそれが何を現すか
それを定義するためにこれを以下に記している

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やるべきことは、至るところにある

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30文字足らずの言葉の中に
意志の起こりを表したい、それだけだ

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言葉は静かに、そして果てまで響いている

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僕は怠惰極まりない
(おそらくは誰かと同様に)
それゆえに、可能な限り短くしなければならなかったし、
そうすることで、もっと自由を広げられるのではと思っている

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100年たって時代がすっかり変わった時
一体すべてはどうなっているだろう?

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こんな卑近なところにも、戦いの場所があったなんてな

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金が大好きであってもまったく構わない
金より大切なものが1つでもあればいいだけだ

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愛することのために歌う
そのためだけに生まれてきた

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混乱したときは、ベランダに出てどこかから来た風を胸に通す

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迂闊なことは言い難い
だから、いつだって真剣でなければと思っている

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働いて、働き詰めて
これ以上は厳しい、というところでようやく寝る
僕の場合はそうしながら、やるべきことを見定めてきた

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いつだって誰も見捨てられてはいない
そして、それとまったく同時に
すべてが滅んだって極論は構わない、という状態が両立している

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言葉狩りを激しくしても、事実を消し去ることはできない
なので、どこかで歪(ひずみ)が起こってしまう

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事実を受け入れられない、ということは
フィクションを信じられない、とほとんど同義なのではないか

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不満とは、事実の拒絶から起こる




「影響力」という言葉に付いて考えている。
現代においてこの言葉が文化の全面に現れた意味はものすごく示唆的だなと感じる。

「影響力」「インフルエンサー」という言葉はかなり深い意味で現代を象徴しているように思う。
それはすべてがデジタルを通じて市場化し金銭に換算される現代に置いて、
物理的な力、地位的な力、情報伝達の力、性的誘引力など
あらゆる動物的・人間的な力を総括した言葉として現れたものであり、
私を含めた一般的な人々の憧れの対象として存在している。

そして、影響力を求めるということは、ひとつの動物的な状態であり
社会においてひとは影響力を奪い合い、同意に影響力のなさをコンプレックスとして
「打倒影響力」の旗印の元に集って影響力打破のための影響力を集約したりする。

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「人間的」という言葉の定義がかなり厄介だ。
「人間=神に近いもの」と理解するのと「人間=動物に近いもの」と理解するのとでは真逆になる。
人間は時に神にも近くなるし、一方で動物に近くなることもある。
普通に生きていれば大体わかることだけれど。

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それはきっと「逃げ」に当たる。
だから、他の誰かはいざ知らず、オイラはきっと選ばない。

世界の中の自分を捉える
世界の中の自分はどう動いているか、どう動くべきか

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■明らかに有益でない自分の思考について
他人の発言、行動、つぶやき、作品に対して「こんなことは無駄だ(もっと人生にはやるべきことがあるじゃないか)」とお門違いな批判の考えが浮かぶこと。
頭の中で相手を侮辱している、尊重の念が後退している

他人の作品を貶められるほど自分に価値があるわけがない
サローヤンが確か言っていたように、ひとりの男の価値は他のすべての男と比べてわずかも上というわけではない

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道徳と神話に対する基礎研究を怠ることによる弊害




意志とはなにか
天才でない凡人に必要な迷いの中における道しるべ
不明の闇を照らすひとつの光
世界の無い者に世界を見させる数少ない可能性

ゆえに、今の時代においては
「わたし本位で生きる」を澄んだ目で徹底することが常に正しい

俺は馬鹿笑いがしたいんだ
根っからのゴミみたいな人間が酒をあおって
芸能人がやったら一発アウトみたいな☓☓を
いいツマミを持ってきてやったぞみたいな顔で話したそうにニヤニヤしてる奴がいる

世間体では話せない面白い話があったかどうか
そしてこれからは、これまでのことが全部みみっちくなるぐらい面白い話ができるかどうか
それだけがすべてだったらどれだけ良いか

 世界中のみそっかすどもが滅んでも
  やはり同じことをするだろう

いまだにもって猿真似ばかりの俺だが
「それでもいい」と「構わない」を振りかざしながら
梅雨の嫌になるくらい湿気を含んだ空気をバカスカ吸いながらあらぬものを夢見て夜を越える

外部環境のことは捨て置け
どうせ死ぬまで走りきるんだろ?

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言葉が思想を形にしてゆく
そのためにこそ、掲げなければならない

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憧れていたすべてのものを
まるごと引き受けて、明日へ向かう

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騙されたとは、死んでも言わない
「すべてオイラが悪いのだ」と
言った側から、治りはじめる

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時々、体(てい)の良いことも言わなきゃならない
それでも最後の一節さえ曲げなければ構わない

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影響力がないことを
嘆いた日もあった。だがもう忘れる
一番欲しいもの、それだけのためにすべてがある

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たとえ誰に対して何の影響力もなかったとしても
それでも歌い切るだけの理由がある

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それでも歌う
一番気持ちよくてかっこよくて美しいことのために
力いっぱいに歌い続ける

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そこに「何かある」と少しでも思ったら
まず1時間、1日、1週間、1ヶ月とそのために捧げる
そうすれば、自然とゆくべきところに行き着く

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たとえ、世界にオイラ一人になったとしても、だ

希望の理由はたったひとつ
「俺がいるぞ」と掲げるだけ

ヌルヌルに仕上がった体
眼差し、露出、夜と朝
流した汗が何処に行ったか
誰が覚えているだろう

 詳しいことはとても書けない
  それでも十分伝わるさ

羨ましくて、媚を売り
それでも得られないでいた
不満と嫉妬が溜まったところで
きっちり決まったところへ落ちる

 何が良いとか悪いとか、そんなことを言いたいわけじゃないんだ
  ただ、オイラに力がないことを
   それだけを少し嘆いている

ああ、愛してる。☓☓へ
2度ほど死んだ後で言う
生まれ変わって、もう一度
やり直せたらいいのになぁ

言葉がまともに言えなくなって
断片だけになってしまった
それでもいいと、いつものように
性懲りもなくオイラは言う

いつも新しい空と風
遠くの方で鳴る音を
親しい友と、抱えながら
胸膨らます アイラブユー

監視付きの言葉
細切れ動画の連続
いつの時代でも
唆す者は別の誰かに最も唆された被害者だったろう
(そして、被害者にも結局のところやるべきことはある)

誰が一番最初に唆す者か、については
古い神話の中に書いてあることが参考になる
私は詳しくないので書けないけれど

 詩は言葉足らずの仮説にすぎない、が
  最良の詩は極めて真実に近い仮説だと
   昔から今まで決めつけて来た

美とは何か? それは疑問を必要としないこと
信とは何か? 生も死も欲望もすべて託すること
愛とは何か? それ以外何もなかったと笑って言えること

言葉は無責任の塊だが、私はそれを喜んで選ぶ

オイラは意志を持つことを決める
何を決めるにも、まず意志を持つことを決めなければならない
なぜなら、私は言葉を必要とする面倒くさい人間であると同時に
哲学の深みにハマるほど複雑な人間ではないから

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存在としての言葉
事実の代替としての言葉

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それが時代というのなら
オイラはまっぴらごめんだよ

オイラは☓☓を守る
それについては、命に代えても譲らない
命などそれほど価値のないものだと
少なくとも、オイラの現世の命に大した価値なんてないと
流石にこれまで生きてきてひどく身にしみているからだ

 「☓☓」には好きな言葉を入れてくれ
  禁止された言葉、口にしづらい言葉
   現代でモテるために殺した言葉を叩き込め

オイラの周りにはいつもいい風が吹く
大気圏のどこかで生まれ
雨土の残りカスをまとった季節の風
地球上が外面・内面問わずどこまで汚れようと
風の吹き方をわずかも穢すことはない
だから、☓☓のために
オイラは今日も、マイナス100の道を行く
すべて祝福に彩られたドブ川の深みを歩く

正直であろうとすれば
何とはなくとも詩が浮かぶ
だから、僕は言葉に救われているのだろう
自覚はあまりないが、とてもありがたいことなのだ

 誰にも語れないことを
  体よく書き落としてゆくだけ

そして、明日には
また惨めで居たたまれない気持ちになる
見直して、恥ずかしさに押されて
投稿を下書きに戻してしまうだろう
嫌になるといえばそれまでで
何の薬にもならない話

 徐々に力が湧いてくる
  マイナス100が似合っているさ

傷んだ脳の隙間から
少しずつ、5月の風が吹き込む
外に出ると、マンションの5階
エレベーターのないオンボロの
折り重なった階段の中ほどで
わずかばかりのご褒美をもらう

生まれてこの方
何一つわかった試しがない
人並みかそれ以上の願望があり
それに引きづられてここまで来たことに
自覚はなかった。哀れな男

 どこかでささくれだった傷が
  夜の無音の中で癒やされる

自分の時間を持たなければならない
誰にも邪魔されない時間を
捧げることによって得られたのだと
震える指先で、かすかに思っている

 答えのないのが怖すぎて
  一歩たりとも動けない

対話があって、なんとかここまでやってきた
それでも、明日の行方はわからないが
わからないなりに進まなければ
本当に無意味な人生になってしまうと
ノートPCを叩きながら思う

【twitterワンシーン小説①】

ゆうじは目線を落としていた。緊張感が部屋に一本の糸を張った。
問題が起こったのはなんてことない正午前のオフィスだった。
普段は至っておとなしい人の良い課長が急にデスクから立ち上がったかと思うと、怒気を隠そうともせず電話口に怒鳴った。
(怒気を隠す余裕がなかったわけではなく、怒気をこの場で顕にすることの必要性を十分に理解し、そのことによる現場社員への今後のマイナスの影響も加味した上で、メリデメを正確に測った結果満を持して立ち上がった、という瞬間の頭の中の判断をゆうじは彼の横顔から感じ取った)

「お前、、、本気で言ってんのか!!??」
「、、、、」

受話器の中の人物が誰かゆうじにはわからなかったが、おおよその予測は付いた。A子だ。彼女しかいない。
A子と思しき沈黙を感じながら、ゆうじは必要なポーズとして自分のPCに目線を落としていた。
このような事態が社会空間上で発生した際に誰もが感じる例のいたたまれない心情をゆうじは感じていたが、同時に課長のやり方は素晴らしいな、と場違いなことも別の頭で考えていた。こういう会社にとって必要な対処、個人としてはやりたくもないような一般社員への叱責を会社全体への中長期の影響を考えて義によって行える課長の姿勢は、皮肉でなく心から見習わなければならないと、ゆうじは緊張の余波で極端に狭まっている視界の中で思った。

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【twitterワンシーン小説】
ゆうじは個性について悩んでいた。個性って何だ?
個性に悩むってことは個性が掴めていないってことだろう。
個性がつかめていないってことは、自分の個性がわかっていないってことになる。
個性がわかっていないってことは、、、それはそのままだ。だから個性をわからなければならない。

どうすれば個性がわかる? 個性は個人の得意とは違うのか? 得意なこと個性と自身で選択する必要があるのか?

「個性ってのは、それを使って捧げ切り・走り切る、それを達成するために掴むべき内的感覚のことだろうか」

仮にそう考えてみると、辻褄が合うなと思った。
その場合、個性に思い当たらなければならないと思った。色々試さなければならないと感じた。

抽象的な観念の定義はゆうじのような凡人には常に難しい。
訓練されていない思考は心理状態に左右されるし、確たる自己を練り上げているわけでもない。
だから、ゆうじは継続性と自己放棄性が重要だと思った。ありのままとか、自分らしさよりも。
ゆうじはこれまでの人生で自我の求めるところのどこにも行けなさにほとほと呆れていた。これでは何の意味もない人生になってしまう。
だから、とにかく彼は走り切ることにした。走りきった先に何があるか、それを見ることが彼の楽しみの一つになった。

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【twitterワンシーン小説②】
「日本っていうか、日本人なんか暗いよな」
急にA太からLINEが来た。ゆうじはシンプルにびっくりした。
普段バカなやり取りと酒を飲み交わすだけの腐れ縁なので、急に神妙なことを言い出すなと驚いたからだ。
まあいいかと、ゆうじは気持ちを切り替えてとりあえず返信した。
「いきなりなんだよ」
「いや、前から思ってたんだけど、ちょっと今思いついたから送ってみた」
「はあ」
「なんていうか、あんまいいニュースないよな」
「それは確かに」
「不倫とか、炎上とか、政治がどうとか」
「まったく」
「たまにスポーツで大谷がすげえ、みたいな話があって、それは確かにいいニュースだけど、それぐらいでさ」
「そうな。」
ゆうじは納得半分、適当半分くらいで受け答えしていた。休日だが、仕事のことも考えなければならない。
「ちょっとこれも、前から思ってたことなんだけど」A太はまた語調を変えて言った。
「ほい」
「昔はこうじゃなかったと思うんだよな」
「その心は」
「俺、親父がキャンディーズって昔のアイドル好きで、よく聞いてたんだけど」
「?」
「Youtubeに上がってるから聞いてほしいんだけど、声とか表情が違うんだよな。明らかに。なんというか幸せ感というか、眼差しの明るさというか」
「好みじゃねーの?」
「まあ、それはそうかもしれん。」A太はすんなり認めた。
「俺、今の音楽とかテレビより昭和のが好きなんだけど、あんまり共感得られないのよね、同世代に」
「そりゃそうだろ、時代が違うし」
「時代か」
「そりゃな」
「時代ってのも好きじゃないな」A太は強めの言葉を送ってよこした。
「はあ」
「なんというか、普遍性ってそういうことじゃないと思うんだよ」
「急に難しいな」
「ん、まあな。」

これまでより長い間隙があった。
「まあいいや、いいから、ちょっとキャンディーズ見てみてよ。春一番とかいいよ」
「へいへい」
URL付きで送られてきたが、多分見ないだろうなとゆうじは思った。
まだ月曜までに片付けなければならない仕事が結構残っているのだ。

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【twitterワンシーン小説③】
雑踏の中に一人の女性を見た。そのわずか1/10秒だけで、もうたまらない気持ちが裕太の胸を浸した。
渋谷の駅前、改札からハチ公広場までの世界屈指の猥雑なスペース、Youtuber・若者・世界各国の人々が行き交う混雑の中で、
その人は別世界にいるように一人立ちすくみ、先程まで重要なやり取りを交わしていたであろうiPhone12を右手に垂らしながら、
意志によって気持ちを沈めるために小さく肩で呼吸を整えようとしていた。
30m離れた距離から見ても、間に何百人もの人が流れていく渋谷の街の中でも、
その人が必死で何かと戦っている、何かを制そうとしている感触がほとんど痛みになって伝わってきた。
裕太は女性のことを思いながら、同時に人間の機能にも驚いていた。
こんなに距離が離れている、おまけに全くの見ず知らず、さらに一瞬見かけただけの彼女の存在が、
すでに彼のこころの中にくっきり刻まれていた。おそらくいつまでも思い出せるようにと。

一瞬思考がよそに行っている間に、彼女の顔つきは同じ場所にいながらからっと変わっていた。内面の戦争は終わりに近づいていた。
彼女の赤みばしった目頭には誰へ向けているかわからない、しかし確かな質感のある熱情がまだ滲んでいたが、
それでも裕太には彼女の内の闘争が頂点を越えたことが見て取れた。あとはなだらかな懐柔を経て、
普段の日常に帰っていくのだろうなと、裕太は安心とともに少しの寂しさも感じながら思った。

声をかけようかとわずかだけ考えたが、やめにした。
大体、向こうは顔立ちも身なりも素晴らしく整っていて、
裕太のようなぼさっとした魅力のない男に声を掛けられても迷惑だろうと、若干卑屈な気持ちもありつつ客観的に判断し、
まだ若干逡巡の色を残す彼女を置いて当初の予定通りスクランブル交差点から向かいのビルのスタバを目指した。

5月の爽やかな空気を胸一杯に吸いながら、裕太は誰にともなく願っていた。せめて最後まで、誰もあの人の静かな戦いを邪魔しないでいてくれと。
場違い・見当違い・お門違いをすべて承知しつつ、くまなく澄み渡った春の渋谷の青空へ向けて頼んでいた。

混乱したら手を止める、休む。そして有用な人間になれるようにと願って目を閉じる
何事も力づくでは始めの一歩にすら立てない。最大のパワーは最も脱力した状態から生み出される
影響力を持ちたいと私を含めて多くの人が望んでいる。だが、ここに引っ張られすぎないように自分を御さなければ危うい
玄関を開けて外に出るといい風が吹いている
地球という舞台の上で、卑小な人間はもがきながらも逞しく踊る
私という観念を明確に意識し、時に完全に手放し、適切に出し入れする

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必要なものの最低限はひとつの言葉。そして魂を照らすひとつの微笑み

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バカ笑いしながら最後まで走り切るために、そこにいつでも戻れるためにこれまですべてやってきた
これからも同じ道の上で、そしてさらに精度を上げて進んでゆく

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完全に自分のことだけ考えて生きていればいい
そしてゆくゆくは自分が同心円状に広がり、すべての魂は包摂される

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人間は、少なくとも自分は相当アタマが悪いので、絶えず注意深く対処しなければならない
そして、時には「注意深く対処する」という意識を意図的に捨てる方策が必要なこともある

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政治には思想と流行と実務が絡んでいるが、実務を軽視する人は信用すべきでない。

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オナニーとSNSにくすんだ現実の中でも、新しいもののためにやるのだ

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ポリコレによる性差認識の上書きは内的な自己の性意識・性の自己実現に相当影響している(誰でもそういう肌感覚があるだろう)。功罪の如何は100年経たなければわからないが、せめて一個人としては抑圧に抗いたい。

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時代なんか信じない

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読み替える力があれば、人生などどうとでもなる
 

First of all, I write what I want to do.
My ultimate goal is to establish ”The idea of the world common people” in the Internet age.

I am aware that I have suddenly spoken in a grandiose manner. I feel ashamed of my brazenness, but I hope you will forgive me for being an ordinary person's joke.
What is the "idea of the world's common people"? There are several points in explaining this term, but I would like to begin with the main one.

First of all, what is "ideology" as a basic premise?
This is my understanding (I will not use this preface from now on, but basically, in this blog, I will write what I believe to be correct, beautiful, and good based on my own prejudice and my own understanding),Ideology can be broadly classified into two categories: "the direction of humanity as a whole" and "the direction that I, as an individual, should head in.
Ideology is a set of systematic ideas and criteria for decision-making that enables an individual to have insight into these two directions and not get lost in them when something happens.
For example, from a macro perspective, the main focus is "what should we as human beings strive for in order to sustain our society and civilization," and from a micro perspective, the scope is basically "how we should live as a small individual and under what guidelines we should make decisions until we die.

Therefore, when asked the question, "What is the idea of the world's common people?",the answer is below.

On the micro level, it is to think about "how one should live one's life and how one should make decisions as a common citizen of the world until one's death"; and
On the macro level, it is to think about "how I, as one of the common people of the world, should look at the direction of the world and humanity as a whole, and how I should be proactively involved in it.

The term "common people" is a bit vague, so I would like to add some background.
First of all, the definition of "common people" refers to ordinary people everywhere. However, it is somewhat difficult to distinguish who is not a common person in the world.
For example, when considering heads of state, the Emperor of Japan is clearly not a commoner, but I feel that the President of the United States can basically be considered a commoner as long as he has resigned his title.
Well, there is no point in defining it too strictly, so we can just take it to mean individuals who do not have a great deal of power in decision making at the global level.

And when the word "world" is put in front of "common people",this can mean "not being overly bound by national borders" and "confronting the culture and customs of the country where one's family register is held with a certain degree of objectivity.
I am a Japanese, born and raised in Japan, but when thinking about the world's common people, I try to maintain a certain distance from my identity as a Japanese person.In other words, there is a possibility of comparing and examining the good and bad points of Japanese culture.
While fully respecting the culture of the country, I will discuss the issues and characteristics that lie within it as necessary.

With the above definitions in mind, I will now briefly explain why I am pursuing an idea that no one has told me to pursue: the "idea of the world's common people.

To begin with, the basis of the idea is a sense of crisis about the cultural situation in my home country, Japan.
As most Japanese will understand, I believe that people living in Japan today feel very suffocated on a daily basis.
There are probably few people in Japan who do not feel that their relationships are strained, they do not enjoy their time at school or work, and there is a lack of good news in Japan.
When I think about the causes of this feeling of suffocation, I do not have a clear answer, but I have a hypothesis that there are several points/opportunities that are important.
At the same time, I have a sense of crisis that Japan is already in a very critical and impoverished situation (although I am not sure how people outside of Japan see it).

Therefore, as a lover of Japan, I would like to do my small part to address the national crisis. But at the same time, when I try to think about these issues, I am not sure how I would feel if I had to take measures only for Japanese people in Japan.
One reason for this is that culturally, Japanese people tend not to have the practice of "thinking and making decisions on their own".
On the other hand, there is also a concern that the cause of the suffocation in Japan for itself is damaging the Japanese people's ability to think and make decisions on their own.

In other words, people and cultures that have lost the ability to think are, as it is, unable to "cleanse themselves by critically discussing and examining their own culture and customs.
Therefore, it is difficult to think about something only within the framework of the current Japan.
Therefore, although I am writing this blog from the viewpoint of a sense of crisis toward Japan, I dare to write it in English, as I do in this blog, to raise the hierarchy of thought and to see the world as a whole.
I would like to raise the hierarchy of my thinking and look at the world as a whole to grasp the current situation of Japan from the viewpoint of within the world.

At the same time, of course, the "ideas of the world's common people" are not limited to Japan alone.
It is a prerequisite that each country has its own culture and customs, but in this day and age when we can easily communicate with people from various countries, regions, ages, and genders
It is a very boring way of life to spend one's life immersed only in the culture of one's own country.
Not only is it boring, but it also has the detrimental effect of making us uncritical of the unfavorable direction of culture.
On the other hand, it is an interesting and proactive process to learn about cultures and customs from around the world, to cultivate one's own thoughts as an individual, and to determine one's own path to take.I think it is very important to be aware of such issues as an individual.

This is all I have to say today.
From now on, I would like to talk about what I have in mind for each of the above themes.
I have not yet decided what I will write about from here, but I hope you will bear with me.

Sincerely

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雑文_私のやりたいこと

はじめにやりたいことを書く。
私の最終的な目標はインターネット時代における世界庶民の思想を確立することである。

いきなり大仰な話をしてしまっている自覚はある。厚顔無恥な気がしていたたまれないが、凡人の戯れということで一旦ご容赦いただきたい。
そもそも「世界庶民の思想」とは何か?この言葉を説明するにあたっていくつかのポイントがあるが、まずは主だった所から前置きを話したい。

まず大前提として「思想」とはなんだろうか?
これは私の理解だが、(今後はこの前置きは使わないが、基本的にこのブログでは私の理解を踏まえた私が正しい・美しい・良いと信じる独断と偏見を書き殴る)思想とは大きくわけて「人類全体の方向性」と「一個人としての自分の向かうべき方向性」の2つに大別される。そして、この2つに対して一個人として見識を持ち、何かあった時に迷わないための一定の体系的な考えと意思決定の基準のことを、ざっくり思想と呼んでいるのだ。たとえば、マクロ的には「人類として何を目指して社会・文明を存続していくべきか」が主眼となり、ミクロ的な観点では「矮小な一個人としていかに生きるべきか、死ぬまでの意思決定をどのような指針の元で下すべきか」が基本的に扱う範囲(スコープ)となる。

そのため「世界庶民の思想とは何か」と問われた時、以下のような答えとなる。

ミクロ的には「世界に存在する一人の庶民として、人生をどう生きるべきか・どう意思決定をして死ぬまでを過ごすべきか」を考えることであり、マクロ的には「世界に存在する一人の庶民として、世界の方向性・人類全体の方向性を看取し、どう主体的に関わっていくべきか」を考えることである。

世界庶民(common people)、という言い方が少しわかりづらいので、このような書き方をした背景を補足する。

まず庶民の定義についてだが、これはどこにでもいる一般的な人を指す。ただし、「だれが世界庶民でないか、という棲み分けは若干難しい。例えば国家元首を考えると、日本においては天皇陛下は明らかに庶民ではないが、アメリカ大統領は職さえ辞してしまえば基本的には庶民と考えてもいい気がしている。
まああまり厳密に定義する意味もないので、世界レベルの意思決定に大きな力を持っているわけではない個人、くらいの意味合いで捉えれば良い。

そして庶民の前に「世界」の文字がついて「世界庶民」とついた時、これには「国境に過度に縛られない」「戸籍を持つ国の文化や慣習に対して一定の客観性を持って対峙する」といった意味が込められる。
私は生まれも育ちも日本という生粋の日本人だが、世界庶民を考える上で日本人としてのアイデンティティに対して一定の距離を取って考えようと思っている。つまり、日本の文化の良いところ・イマイチなところに対して比較・検討をする可能性があるということであり、国の文化というものは十分に尊重しつつも、それらが内側にはらむ課題や特性を必要に応じて論ずることになる。

上記のような定義を持っているのだが、次にはなぜ私が「世界庶民の思想」という誰に言われたわけでもない着想を進めているかを簡単に書く。

そもそも発想の根底には、私の母国である日本の文化的状況に対する危機感がある。
日本人の大半にはわかってもらえると思うが、現代の日本に生きる人は日々非常な息苦しさを感じているのではないかと私は思っている。人間関係がギスギスしている、学校・会社にいる時間が楽しくない、世間にいいニュースがない、といったところに思い当たらない人はおそらく殆どいないのではないだろうか。こういった息苦しさの原因を考えた時、明確な答えが私の中に出ているわけではないが、いくつかのポイント・契機が重要な意味を持っていることが今のところ仮説としてあり、同時に、日本という国はすでにかなり危機的な状況に貧しているのではないか、という危機意識を持っているのだ(日本の外側からどう見られているかはわからないけれど)。

そのため、日本を愛する私として国の危機には微力ながら取り組んで行きたいのだが、同時にこれらの問題を考えようとした時に、日本国内で日本人だけを対象として対策を考えようとしてもなかなかうまく行かない、という手応えがあるのも事実である。それがなぜかというと、日本人は文化的に「自ら考えて意思決定する」という慣習を持たない傾向が強いから、というのが一つ。また一方で、日本に息苦しさを与えている原因が日本人の「自ら考えて意思決定する」機能自体を損傷させている懸念もある。つまり、考える機能を失った人・文化はそのままの通り「自らの文化・慣習に対して批判的に議論・検討して自浄する」という作用が働かないため、現状日本という枠組みだけで何かを考える、ということ自体が難しいと思っているのだ。
そのため、日本に対する危機感、という視点から発しているが、あえてこのブログのように英語での発信と併記し、一旦思考の階層を上げて世界全体を見渡すことで、「世界の中での」という視点であらためて日本の現状を掴み直したい、と考えている。

そして同時に、当然ながら「世界庶民の思想」は日本だけにとどまるものではない。
各国それぞれ文化・慣習が異なるのは大前提として、さまざまな国・地域・年齢・性別の人々と気軽にコミュニケートすることが可能になった現代において、各国の文化だけに浸りきったまま人生を送るのは非常につまらない生き方である。そして、つまらないだけでなく、文化が持つ良くない方向性に対して無批判になってしまうという有害性も持っている。逆に、世界中の文化・慣習を学びながら、個人として思想を陶冶し、進むべき道を決めていくのはとても主体的で面白い作業であり、一個人としてそういった課題意識を持つことは非常に大切だと思っているのだ。

とりとめもないことを書いたが、今日はこんなところで終わる。
今後は上記のテーマ設定を踏まえ、各論としてどういった構想があるかを追々話したい。
ここから何を書くか決まっているわけではないが、お付き合いいただければ幸いである。



言葉の壁が取り払われ
あらゆる壁が取り払われ
コンプレックスが破却され
業の炎が振り払われ
老若男女が力を合わせ
許しと讃えに満ち溢れ
未来への意志に導かれ

 夢物語に身を捧げ
  上から下まで貫かれる

俺はバカだ、何もできない
戦に寄与する力もない
それでも見通すべきものが
あると信じて構わずゆく
特別なものを持たないことで
誰かれ構わず、語らう身の上

Language barriers are broken down
All barriers are broken down
Inferiorities are broken down
The flames of karma are shaken off
Men and women, young and old, join forces
Filled with forgiveness and praise
Guided by the will to the future

 Dedicate yourselves to the stories of dream
  We're pierced from top to bottom

I'm a fool, I can do nothing
I have no power to contribute to the war
But I'll go on believing that there is something to see
So just go on believing that there is something to see
By not having anything special
I am the one who talks to everyone, no matter who they are

「戦争っていいよな」
いきなり隣の友人が言うので内心ぎくりとした。なんでそんなことこんな普通の電車の中でさらっと言えるんだよ。
「え、いや 何が?」
「ちょっと言ってみたんだ」
友人はそっけなかった。
「なんていうか、その」
「?」
「普通に友達とだべってて「戦争いい」なんて言うやついないじゃん?」
「そりゃな、こんな状況だし」
「だから、逆にちょっと言ってみたくなったんだ」
「逆に?」
「逆に、そう逆に」
「なんで」
「言えない言葉って、不思議っていうか。。周りの「いわゆる空気的なもの」のおかげでなんかしらんけど言えなくなるもんな感じがするじゃん」
「そうだな、たぶん」
「でも、空気って、まあ頑張ろうとすれば従わないこともできるわけで」
「まあ頑張れば。 とくに意味があるかはわからんけど」
「正直、意味とかではないな。ちょっとした度胸試しというか」
「たしかに、こっちはドキッとした」
「あと」
まだ続くのかと、もう一度びっくりした。
「多分だけど」
「なに」
「口に出してみて、戦争好きってやつも世界のどっかにはいるんだろうなとふと思ったんだ」
「好き?」
「いや、好きっていうとちょっと違うな」友人は言葉を選んでいた。
「好きじゃなくて、使命を感じているというか、必要だと思ってやってるやつもいるんだよな、きっと」
「なんで?」
「だって、実際に起ってるわけだし」
「まあそれは確かに」
「別に俺はそんなやつの気持ちはわからんし、人殺したいとも思わんし、あれだけど」
「だけど?」
「まあ、理由があるなら戦うしかないってことなんだろうなぁ」
話し始めと同じく投げやりな締め方だった。それ以上友人は先を続けなかったが、言い出す前より一層不思議そうな面持ちで電車のドアに持たれながら多摩川の上に堂々と赤く輝く夕焼けを見ていた。

これだ、きっと
これしかない
もうこのチャンスを逃せば
一生未来はないだろう
今までは、いつも間違いだらけで来たけれど
きっとこの感覚だけは、正しいような気がする
だから、決して見逃さないように
息を飲みながら進んでゆく

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