詩人ごんつーDo the best

I'm gonna chase up what I should need

栄達の欲望と、自由・平等への責任

使命は神様より下賜される、
そして責任を全うするものは、その大小に関わらず完璧な美しさをその身に現す

愛に関する議論はいらない
ただ、お前を愛するという覚悟と実行だけが充ちれば事足りる

ターゲットの関心を向けさせたい方向に未確認のテーマを投げ、
その如何で次の行動が決まる。それがウェブ時代のマーケティング

もてなすということ
それは友情の握手をこちらから結びに行くこと

こちらから突き付ける必要はないが
突き付けれることは常に全的に想定するべきである
そして柔らかく、またきっちりと意思を述べる
それが示されることを願っている

ことなかれ主義には与する訳にはいかない
そして、何を愛するのか、それを示す必要がある

私は過去の決定を受け入れる
完全に受け入れることから、ようやく反省と未来への眼差しが生まれる
自分の過去を嫌悪・軽蔑することは、将来にわたっての停滞・消沈しか生まない
だから

あらゆる欲望が裏パラメーターとして世界の原動力となっていることを知れ
そして同時に人の前に堂々と立つことの意義を思え

人生で初めて死ぬことが怖くなったのは、確か中学生あたりだった気がする
あの当時、情けないことに僕は夜の布団の中でぶるぶる震えたものだった

 目を閉じると、瞼の裏に真っ暗闇が現れる。それを
 「死後の世界はこんな感じなんじゃないだろうか、、、」と思ったりした

今、僕は「死ぬことはそれほど怖くないだろう」と思うようになった
いつの時点で考えが変わったのかははっきりは覚えていない
日常生活がある程度人並みに回っているからかもしれない。そして、
死を扱うにあたって、僕はどこかのタイミングでいくつかの取り決めを自分と交わした

 もし、死が何らかの形で目の前に突きつけられたとしたら
 僕は、あの時死を怖がっていた自分へ向けて「そんなに怖くはないぞ」とちゃんと示せるような態度でそれに向かおうと思った

 また、僕がまさに死ぬ時に誰かが僕のその時を看取ることがあったとして、
 その人が、僕のことを「悪くない思い出フォルダ」に入れてもらえるようにしたいと思った

 また、もし天国や地獄、死後の世界があったとして
 そこに生前の記憶や成果を引き継げるのだとしたら、また、
 そちらの世界で今までお別れした人々にもう一度会えるのだとしたら
 「僕の死にざまはこんな感じだったよ」と笑って話せるようなものにしようと思った
 (死後の状態のことなど何にもわからないけれど)

99%はなさけない、恥の多い、いたたまれないような人生だけれども
それでも、その中で忘れがたい思い出がいくつかはある。そして
「忘れがたい思い出」、言い換えれば悪くない人生だったと言いうる何かを得た時点で
僕は、僕の死を「丁重に扱うべきもの、そして真摯に向き合うべきもの」というフォルダに入れたらしい
そして、フォルダに入れて整頓できるようになってしまえば、
以前として重大な問題であるとはいえ、それは生涯で処理するべき仕事の一ジャンルにすぎない

血が流されている、多量の血が
(お金のタカはほとんど血のタカと同義に思える)

昔は確かに愛していたものを
少なくとも、楽しい思い出をくれたものに対して
こういう仕打ちがなされるのだと 
それが現代のしきたりなのだと
改めて思わされた

 誰を恨むことも、憐れむこともない 
  ただ悲しさと虚しさが、どうしようもなくこみ上げる

僕は特別に恩恵を受けた者ではないけれど
それでも、妙に胸がざわつく
今は何を書いても胃がひきつるのを止めがたい


 雪がしづかに舞っている
 1月の、どうしようもない日本の空に舞っている

こう書いておけば、もしかして
いつかお前が寂しい時
降りしきる雪の街の片隅で寒々しい空を見上げながら、ふと
雪の神様の導きでこの文章のことを思い出すのではないかと
そして、なぜかほんの少しだけでも温かい気持ちになれるのではないかと
そんなことを考えてこれを書いている。バカな話

俺の中にまだありありと残っているあの人の感触はいったいどうなるのか
確かにあの人はいなくなった。会うことは当然ながら、姿を見ることも、声を聞くことも
LINEの既読をもらうことすらもできない

それでも確かにあの人が、あいつが心の中にいる
触れることも感じることもできないあの人の、あの人から貰った温もりがそのままある
それはきっと、自分の命脈が尽きるまでここにあるのだろうと、そう思える
脳みその芯までボケ尽くして、目の前の誰が誰だかわからなくなったとしても
それでもこの温もりの根源だけは消えないのではないか
それぐらい根本的な熱源を感じる

そういう時に、人はもう祈るしかない
そういう時のために、祈るという行為があるのだ

ーーーーーーーーー

挑戦が眼差しを常に新しものにする
試練が人に覚悟と跳躍をもたらす

昔もらった愛情がお前に忍耐と器の深さを補償する
過去に受け取った愛が深く、大きいほど
人は人生の辛さや痛み、困難に向かって堂々と向かうことができる

ーーーーーーーーー

後ろ向きで恐縮だけれど
「なんだ、お前全然成長してないじゃないか」
と言われることを想像してちょっとギクッとなった
そんなふうに言われないようにしないとなと
あらためて思わされた次第だ

ーーーーーーーーー

心の底から信頼している人がいる
その人が心にいることで、他のほとんどすべてのことにきちんと向き合うことができる
人の前に堂々と立つ、試験勉強に真剣に取り組む、他者との対立に向き合う
そういったことから逃げずにいるためには、やはり愛と信を持っている必要がある

ーーーーーーーーー

俺は常に君に必要なものを与えるだろう
辛い時には帰ってくる港を、そして
挑戦が必要な時にはきっぱりとした訣別の契機を
そして、最後は一緒のテーブルの上で飲んで笑える団欒を

ーーーーーーーーー

各国の若い女の美と性の要素が市場原理とインターネットに乗って
取引され、売買され、誰かを肥えさせる
加害者と被害者が同一人物の中に生まれているのを
誰も止めようがない

ーーーーーーーーー

承認を求めないところに行くこと
そこからすべてが始まるということ

ーーーーーーーーー

屠るには理由が要る
それは別の生命をうむためにすること
そうでなければ、それは単に無益な殺戮となり
お前の目を一段階暗くするだけになる

ーーーーーーーーー

業の起こりは早い
それに追いつく早さのものでなければならない

ーーーーーーーーー

あまりにも至らなくて惨めさに打ちひしがれるのと
どう考えてもオレが一番だろ、という矜持が
同時に起こっている。俺はそれでいいと思うし、
そういう中から何とかなってくれと、甘いことを考えている

ーーーーーーーーー

雨にも負けず、風にも負けず@2025

雨にも負けず、風にも負けず
炎上にもSNSでの誹謗中傷にも負けず
丈夫な体を持ち
欲は豊かに持ち、同時に礼節をわきまえ
いつも静かに、一方で大胆にも笑っている

一日に米3合と、ファミチキと
腹いっぱいの肉・魚・野菜を食べ
あらゆることを、自分をかんじょうに入れずに
良く見聞きし、わかり、そして忘れず

東京都内のワンルームマンションの
狭苦しい月7万3000円のボロアパートの一室にいて
渋谷に大学サークルの飲み会があれば
行って人の倍以上の酒を飲んで盛り上げ
新宿に疲れた夜女の朝帰りがあれば
行ってたわいない談笑と缶コーヒーを捧げて去り
銀座に金持ちの豪遊があれば
行って最年少者としてきちんと振る舞い
六本木に×××の〇〇〇があれば
行って××××××××××××××××××

地震の時は慌てず、周囲の安全と避難経路を適切に確保し
不運の時は動じず、場をわきまえた言葉と態度で事態の悪化を食い止め
ほめられもせず、を苦もせず
そういう者に、私はなりたい

ーーーーーーーーー

もっと自由に
もっと傲慢に
もっと人々を楽しませ
もっと柔軟で、臨機応変で
それでいて堂々としながら全体に目が行き届いている

失うことを恐れず、同時に常に最善を尽くし
愛の起こりを見逃さず、また出会いの質・量・密度を最大化し
未熟や不行き届きがあれば正当にたしなめ
自分と他人の希望を同等に扱い、将来への想像力を育て
そういうことをこれからやっていきたい

ーーーーーーーーーーー

あけましておめでとうございます。
2025年も、何卒宜しくお願い致します。

詩人ごんつ

輝かしい方へ歩いてゆくぞ
他の全てを置き去りにしても
あなたを、お前を連れて行く
そちらの方へ、溢れる方へ
できる限りを連れて行く

、、、、、、、、、

お前の涙を、美しい涙を
申し訳なく思いながら
唇をあてて、そっと吸い取る
そうすると、君はもっと泣くかもしれない
お前が、君に変わる時に
優しい心が確かに生まれる
それが、何より無上に尊いので
今年もまた、無事に年を越せたと
今は亡い人たちの元で思う

涙の塩気が、舌先に染みて
大晦日の夜がしっぽりと更ける
昔のことを懐かしみながら
それでも先を、夢見て祈る

、、、、、、、、

2024年もお世話になりました。
2025年は更なる飛躍の年となるように
何卒よろしくお願いいたします。

詩人ごんつ





表現とは、言葉・世界の輪郭をくっきり提示するための手段
表現が成立する時、受け手はその存在が示されたことに感動し、
表現に成功した者は言葉・世界からの(神様的な存在からの)恩寵の光に満たされる

ーーーーーーーーー

言葉の怖さ、世界の怖さ
それは宇宙の只中にまったくの一人で立たされること
半径00光年以内に他人のいない空間で
それでも、生と死を前にして不安なく笑いながら
言葉と世界の僕(しもべ)であると全身で証せること

ーーーーーーーーー

最後には誰かに何かを、あるいはすべてをゆだねるとして
ぎりぎりの所までは己で行く必要がある
だから時には、できるだけ何度も冷汗をかかなければならないし
到底出来そうにないことにも余裕のようにチャレンジしなければならない
スリリングでのっぴきならない、そして輝かしい瞬間でもある

ーーーーーーーーー

人が何かに真剣に、無心で取り組んでいる瞬間はとても尊い
その瞬間、その人は明らかに死を超えている
それは永遠の世界に属している状態だと思う

ーーーーーーーーー

もう少しで何とかなる、といつも思っている
そして、蓋を開けてみると全くそんなことはなく
一人前までの道のりははるかに遠く、たどるべき道筋も漠として捉えづらい
どうしようもないけれど、そんな感じだ

ーーーーーーーーー

とことんまで向き合い切ると
いろいろな境目や思惑が見えてくる
まずはそこまで行き切ること、そして
その次には決意や自立が問われる

ーーーーーーーーー

願望と願いの違いは何か
願いは祈りによってしか達成しないもの
願望は動物的な欲が言語化したもの

ーーーーーーーーー

もっと自分のことを誰にもはっきりと、
気恥ずかしさを取り去って確として伝えられるようになりたい

ーーーーーーーーー

吸い込まれそうな夜、というか
実際に吸い込まれて明け渡してしまった夜のことを覚えている
特別、という感じではなくて、たださっぱりとした気持ちがあり
あの日書き残したことの内容が、いつでも思い出せそうな気がする
そんな夜のことを思い出した

ーーーーーーーーー








誰かによって、そこにあるべきものが感じ取られる
それは実現する少し先にわかってしまうこと、そしてわざとらしくないこと
時には試練もある。ただ、試練の存在を感じ取る事自体は荒々しいものではない
そしてそれは結果としては当たり前のようでいて、
実際に当たり前でありながら、同時に突き抜けるほど感動的な邂逅でもある

それはイデアと現実の喜ばしい出会い
理想と現実が輝かしい栄光のもとで一つに重なり合う幸せ

どんな音楽や明滅の中でも
心は本当にはむなしいままだ
だから、酩酊のあとにはそのツケのように
むなしく、停滞した時間がやってくる
(きっとみんなそうなのだと信じる)

だから、俺は頑張ってやろうとする中で
どうしてもそっち側に行けないこと、行き方がわからないことが
本当のところでは少し悔しい

それでも、それが俺の本分でないことは明白だ
俺は、俺の言葉の元でやることをもうずいぶん昔に決めている
どんな結果になろうとも、責任を取ることは決まっている
(それは、俺にとってはすこぶる自然な意思決定だった)

そして、最後には栄光の元に死に切ることができることも
すでに確定しているので、そういう意味では安らかにいられるのだ
もちろん、未熟さによって右往左往は存分にすることになるし
力不足で及ばないことは多々あるけれど
それとはまた別の次元で、色々と決まっていることがある

ーーーーーーーーー

才能のあるヤツは一面では非常に難しい
才能は社会的な人生をあまりにも規定する、とくに豊富な才能があるほど
才能に引っ張られ、才能以外の鍛錬・陶冶の可能性がなくなってしまう
どうすれば才能のくびきから逃れる、という発想になるのか
俺にはよくわからない。才能がまったくないから
でも、だからこそ俺は才能のあるヤツが好きで、
考えや生き方を知りたいと思っている節もある

ーーーーーーーーー

掴んでいるものにまっすぐ向き合え
言い伝えにあるように、まっすぐ進め
弱い心やひきつったような軋んだ笑顔のリアクションからは卒業する
そして、すべてを確かに冷静でそれでいて情熱にも満ちた私自身の言葉で満たす

今日は「全力」という現象・考えについて僕の考えを述べたい。
まず、全力とは言葉通り「すべての力」であり、それを一滴残らず出し切る、ということである。

全力のわかりやすいイメージは短距離走だろう。100mをスタートからゴールまで全力で走り切る。心臓が千切れるくらい両手両足を動かしてゴールテープを切るまで走り抜けるか、それが一番イージーな全力のシーンだ。

そして、全力というのは非常に貴重で価値がある、という点がとても大切だ。自分の話で恐縮だけれど、僕の記憶にあるのは高校2年生のラグビーの最後の試合。あの時は3年生の先輩の卒業がかかった地区予選的な試合で、確か3回戦ぐらいで残念ながら負けてしまったのだけれど、試合終了の合図の後にあまりに辛くてチーム全員でゴールポストの側で泣いていたことを鮮明に覚えている。試合中の事は断片的にしか覚えていないけれど、「まだ負けたくない、もっとこのメンバーで試合を続けたい、どうにかできないか」と必死だったのだろう。全力を出し切ってそれでも勝てなかったことで、自分だけでなくメンバーみんなで泣いていたのではないかと思う(こっぱずかしい話だけれど)。

ありがたいことに、僕はこれまで幸運にもそういう全力の場面にいくつか遭遇してきたけれど、そういう話を人から聞くことは中々できない。前提として、それはあまりに人間の深いところに食い込んでいて、日常生活のムードではとても話せない、ということもある(運が良ければ酒の席でそんな話になるかもしれない)。そして同時に、そもそも人が全力になること自体がかなり難しいというのも理由の一つではないだろうか。たとえば、学生時代は100mを全力で走ることはできても、なかなか大人になってそれを自分としてやってみるのは難しいのではないだろうか?

何となくこういう話をしたとき、「何で今さら100m走なんてしなきゃいけないの?」「面倒だし、怪我をしたらどうするんだ」という考えが浮かんでくる気がする。しかし、そういう想念や考え、批判が浮かんで来たらもうダメだ。全力の地平、全力の領域からその人は出てしまっている。

全力の性質として、「他の一切を振り切ってやりきる」という事がある。100mを走るのに、考えや批判的考察はいらない、というか邪魔だ。ただ持てる力を振り絞って走り切る。そこにはシンプルに、自我の一切を超え切ったという美しさがある。

もうひとつ、ここまで短距離の話をしてきたが、長いスパンでの全力、のことについて話したい。
これはビジネスにおける新人の最初の1-2年や、何らかの数年に渡るプロジェクトのようなものがいい例になるように思う。たとえばあなたが新人の営業マン、あるいはマーケティング担当の下っ端だったとする。最初は右も左もわからない状態から、簡単なところでは挨拶の仕方や名刺の渡し方、マーケティングで言えばウェブサイトの修正やブログの執筆・アップ、Googleアナリティクスの簡単な解析を学ぶところから始まる。

仕事への向き合い方はそれぞれだろうが、もしその人がビジネスに対して「(中長期で)全力で取り組みたい」となった場合、そこに向ける姿勢は一定の期間を通じてとてもひたむきなものになるだろう。彼は実地でのビジネスを上司・先輩について学びながら、色々な失敗や挫折を経験する。営業マンが最初の1件の成約を取るのにどれだけの事をしなければいけないか、どれだけ今までの自分の行いから余分なものを排除しなければいけないか、営業の常道を体現するためにどれだけの体当たりと試行錯誤が必要か、という課題が突きつけられる。課題の程度は人によって、それまでの人生によって様々だろうけれど、こと「全力」という観点で見ればゴールは同じだ。マーケターにしても一人前になるために会社のナレッジはもちろん様々なweb上のコンテンツから自社の施策に必要な情報を吸収し、実際の施策に取り入れながらPDCAを回して数値の成果が出るまでは試し続けなければならない。

そのために、ある人は就業時間に関わらず自分の人生の時間を(一部でも)それに捧げることもあるだろう。現代の習慣として長時間労働やパワハラは糾弾の対象になるだろうけれど、「全力」においてはゴール以外のすべては捧げるべきものに変化する。「やりがい搾取」みたいな言葉もあるが、それもこれまで話してきた通り全力思想の前では余計な雑音にすぎない。彼はゴール達成のために彼が捧げられるものをすべて捧げる。仕事終わりに一流企業でバリバリやっている友人を飲みに誘ってノウハウを聞くかもしれないし、自費で書籍を買って土日にこっそり勉強するかもしれない。もちろん体力を回復させるための余暇やリフレッシュ、友人・恋愛などの付き合いもするだろうけれど、それすらも「全力」のゴールへ到達するために必要な「満たすべき人生の要素」としての一断片になる。

そうして走り切り、実際に1つの、そしてその後には継続的な成果を上げることが出来るようになったとき、周囲から「あいつだいぶたくましくなったな」「今度もっとチャレンジングな仕事を任せてみよう」という話が出てくるかもしれない。全力を出すと一人前になれる、というと若干飛躍しているかもしれないが、本当に向き合うべき仕事というのはやはり「全力」を必要とするものだと思う。

最後に、「全力」の難しいところについて。
さっき、大人になると全力に挑戦することが難しくなる、と書いたけれど、これは体感的にもそうだろうと大方すべての人が感じるのではないだろうか。試みに、自分も含めて周囲の人で「この人は全力で生きているな」「少なくとも、何か全力になれるものを持っていて、それによって生き生きとしているな」と心から感じられる人、というのはごく少数なのではないだろうか。実際のところ、加齢による諸々の影響によって「全力」へチャレンジすることは加速度的に難しくなっていくだろう。(本当はもう少し詳しく書きたいけれど、一旦はここまで)

僕も出来る限り何事にも「全力」で取り組める人間でありたい。そして、この「出来る限り」の枕詞が完全に排除できるようになった時、はじめて「全力だ」と周囲からも認めてもらえるような人間になれるのでは、と夢想していたりする。

ステータスに関わるものは何でもアクセサリー(装飾)になる
そして、それをアクセサリーとして用いてしまうということは、
本当にはそれを愛していないことの裏返しでもある。

なぜなら、アクセサリーは相手に情感を与えるものであり
相手に与えた情感によって自分がステータスを上げるためのものであり
自己の価値上昇のための利己的な利用ということになるからである
(利己=愛ではないということ)

今日は「挑戦」についての話。

最近の自分にとっての挑戦はというと、とにかくホーチミンで日本人の友人を作る、ということをしている。
これが僕のようなコミュニケーションに難のある者にはめっぽう難しい。

もともと僕は日本人との日本的なコミュニケーションにかなり苦手意識があった。学校や部活で友人を作るのはそれほど苦手ではなかったけれど、何というか、合わない人達とはとことんかみ合わなくてお互い苦しい、みたいなことがあったように感じることが多かった。

昔からの友人は良く知っていると思うけれど、はずかしながら根本的な気質が陰キャに近いのである。基本的に人と会話をするのは好きで、ある意味かなりおしゃべりな方なのだけれど、性質として内省的でかつ口が達者でないとなると、どうしても明るくてコミュニティの中心になるようなタイプの人達と気兼ねなく話すことに苦手意識がある。僕としてはそういう人に憧れている部分が多分にあり、それだけにどうにも悔しい思いもしてきた気がする。

ただ、諸事情あって「このままではいけないから直そう」と改めて最近思い直した。現在33才、異国の地で今さら何ができるのか、と思うだろうけれど(僕だって他人事だとしたらきっとそう思うだろう。でも自分のことだけにそうも言ってられない)、中年の身ではあるが何とか真摯に取り組んでいきたい、と年甲斐もなく考えている。

ーーーーーーーーーーー

このぐらいの年になってくると、「人生のやり残し」みたいなところがすごく気になってくる。若い時にアレをやっておけばよかったとか、あの時あの誘いに乗れば良かったのに何で断ってしまったんだろうとか、そういう後悔が折に触れて頭に浮かんできて結構焦ったりする。少なくとも僕にはよくある。

本当に年齢上難しいことはさすがに諦めるしかないとして、頑張れば出来なくはないようなことも実は身の回りにあると思う。たとえば自分の話で申し訳ないけれど、僕は「海外で働きたい」という思いを今更ながら叶えるためにホーチミンまでやって来た。詳細は書かないけれど結構無理やりな形で周囲に迷惑をかけるのを謝ったりしながら、それでもなんとか問題を起こさずにこっちに来て、次の1月で丸2年になる。

もちろん、挑戦は義務のようなものではない。ただ、人生において挑戦をする・しているのと、しない・していないのとではまったく方向性やワクワク感が変わってくる。ここがすごく重要で、同時に世間的にはあまり言われないことでもある。

あなたの周りに、30才を超えて何かに挑戦している人はどのぐらいいるだろうか?20代ではともかく30にもなってくるとそういう人は実はこっそり徐々に減っていっているのではないか、という感じがする。

やってみれば意外と何とかなるし、少なくとも僕は挑戦する人・挑戦し続ける人と友達になりたい。おススメです。


気付いたらアイツが人知れず幸せになっていた
なんでそんなことが起こったのかよくわからないけれど
いずれにせよ、結果が良ければ本当にそれでいい

心をまっすぐに傾けよう
弱くて惨めな僕らは、表面的な言葉に右往左往してしまうこともよくあるけれど
それでも、根っこの決意と思想は変わらない
変えないと決めたこと、信じたことは死の淵に臨むくらいでは微動だにしない
僕らはそれを知っているし、それを成した先達の背中を見ている。だから、
最後にはきっと裏切ることなくそれに続くことになるだろう

コンプレックスに対する対処法は、コンプレックスの事を忘れること
そしてコンプレックス以外の部分に没頭して取り組み、わずかでも成果を出し、それに邁進すること

ーーーーーーーーーーーー

心の深いところの話をどこかではしないといけない
それは友人との酒の席かもしれない、あるいは夢の中かもしれない
秋口の枕辺にオレンジ色の薄明かりが落ち、そして
惨めな少年は果たされない、果たされていない思いを言い淀みながらも正直に語る
彼の唇は向き合うことの恐ろしさに震えているが、それでも
その震えのゆえにそのまま話を進めなければならないことを知っている

それは、いつかの昔に尊敬する誰かに教わったこと
突然に訪れた真剣の時に驚きながら、ここでは逃げてはいけないと
大げさに言えば死を賭して事を成そうとするような心持ちで前に進む

ーーーーーーーーーーー

まず数字を見てしまう
クセになっているのはいかんともしがたい
デジタル時代の新しい業の形


何もない夜だ
骨身にこたえる
この後何があるか
何もわからない

ーーーーーーーーーーーー

求められている以上のことをやらない
やるべき時まであわてない
これが死ぬほど難しい
ほとんど失敗している

ーーーーーーーーーーーー

出来るだけ今いる場所を正確に、正直に書き残そうとすると
どえらい恥ずかしいものが出来上がる
ほんとに、自分でも「これでいいのか?」と冷汗が出る、、、

ーーーーーーーーーーーー

ステータスだけでやりくりできればどれだけいいだろう
そう思う、でもそれでは俺はダメだ
そういうことをすると、少なくとも俺の人生は果てしなくつまらなくなってしまう
だから、どうかもう少しだけマシな人生をと
馬鹿の一念で願いをかけている


仰ぎ見ることと依存の違いは何か
刺激か、もしくはそれ以外のもの
それだけ

ーーーーーーーーーーーー

結局、上手くいくときは何故そうなったかわからない
再現性も信憑性もない
ただ、お金にはとても代えがたい得難い幸福が
それが実は無償で与えられることを知っている

ーーーーーーーーーーーー

ダサいのは、すべて明け透けにしているから
それ以外にオレにやりようはない
だから、それでいい

ーーーーーーーーーーーー

寂しい歌だ、
声の限りに叫び上げて、そして
最後には自死が待っているのなら
これほど寂しいことはないし
俺は、本当はみんなに生きていてほしかった
(余計なお世話だと知っているが、そんなの当たり前じゃないか?)

だから、俺は死ぬまで走り切るだろう
たとえ最後の一人になってもそうすると
そう決意をする心がある
陽の光が人を明日の方向へ押し出すように
天地の間で惨めな血肉を燃やして歌う

ーーーーーーーーーーーー

耽溺は俺にはとてもできない
それはある種の欠陥かもしれないけれど
それはそれでいこう、と思う

ーーーーーーーーーーーー

思っているうちはダメだ
それが認識の業だとしたら
最後まで取っ組み合っていくしかないし、それで十分
どっちかの根気が尽きるまで
よろしく

ーーーーーーーーーーーー

理解されたいと思ったことは
本当にない、不思議と
ただ、心から・瞳の奥から笑ってくれればどれだけ嬉しいかと
寂しく思ったことはあった

だから、僕は歌ったし
歌を成した人を仰ぎ見ていた
今も、寺山修司のヒスイの中の一節が
ふいに思い出されて、そしてそれが
惨めな心の一番深くのあたりにあるのを感じる

せめて、言葉の宝石で
二人の一日を飾るために
そのために生きるのだと
ほがらかに歌い上げる

ーーーーーーーーーーーー

Title:雨季の終わりのI love you

笑ってほしい、心から
ステータスとは別の地平に
あなたを連れていかせてくれと
念じたことが、幾度もあった

 煙と粘膜の匂いがしている
  それでいい、本当に

(Intro)

雨のふりそぼる彼の地
足元は濡れ、光に満たされ
届かなかった指先の歌を
それでもいまだに夢見ている

いいことがあった、それだけは
はっきり言える。覚えている
ただ、悲しいことに
実力不足は否めない

 勇気を振り絞って、そして
  昔につながるダサい歌を

ああ、愛してる。底の底から
だからこんなに悔しいのを
それでも何とか飲み込んで
明日の場所へ向かっている

止まろうとしたことはあった
日々にそういう時がある
それでも、果てまで走る人が
確かにいると、知っている

腹の底から語らいあって
そして出てくるその事を
今この時の始まりと
して歌い上げる、ベトナムの歌
 





少し確認してみて
まったく向き合い方が足りていないことが改めてわかった
正直なところ無念であり、同時にこれからだとも感じる
ごまかさないでまっすぐ進めるように、祈っている

通過儀礼があることで社会に出るための覚悟が決まる、というものだったのに
通過儀礼を「ひどい」「コンプラ違反」「やめるべき」としてなくしたことで
残酷な社会の現実にいきなり直面して心が折れる、という事態が起きているのではないか

見ようとしない、
圧倒されるものだけにぬかづく

罪はあっという間に生まれる
とても観測はできない

罪を犯すぐらいで傷心していてもしょうがない。
全部俺が悪い、ごめんなさい、
そして寝て起きる。
それだけ、そしてその繰り返し。

ほんのわずかで十分。
それで完璧に伝わっている。

完璧な光のもとでやるか、
もしくは全く気づかずにやるか。
観測はすべて無駄とのこと。

神様を試したらダメ、安易に試してはいけない

気づいたことはすべてやる。
気づいていないことに気づこうとしない。
それは罪に繋がる。

もっと苦しまなければ
実は別段苦しまなくていい、ということがわからないのではないか
そんな風に思われる

求められる覚悟は果てしなく深い
落ち着いて向き合えるか、わかったものではないけれど
ただ、捧げるべきものを捧げてその時を待てるように
そう祈っている

女は男のバカさを知っている
そして男は、女がそのままでは不幸になることを知っている
バカな男と、未だ幸福を知らない女が結ばれるときに、なぜか奇跡が起きる
それがまたとなく美しい、そして実はありふれてもいる

男は、幸福なんて知るかと言う
そして女は、その男の眼差しに明らかな幸福の威光を見る

独断と偏見で申し上げるに
子供をつくることをうけがう女は、明らかに一段上の幸せに守られている
それ以外のことは言えない

男の最初の思い出が愛であったなら
きっとどんな苦難も乗り越えられるだろう

黒歴史と、同時にかけがえのない思い出が
よくも悪くも魂の真ん中に刻まれている
黒歴史にも私は深く感謝したい
それは、自分がいかにバカで惨めで救われがたいかを
いつまでもその時のままの確かさで教えてくれる

笠に着る必要は全くない
最初からすべて守られている
ただ難しいのは、ケチな自分がそれに気づけず、
また気づきがあったとしてもそれに託せていない、ということ

それを信じる、信じられるのは
与えられるものがあまりにも素晴らしいから
素晴らしすぎて、たとえ事実として全くの嘘っぱちであったとしても構わないと心から思えるから
そのために他ならない
それは、極論になるけれど
たとえ全世界の物質、人格、社会が自分の存在を否定しにかかったとしても
「お好きにどうぞ」と気軽に言えるような心持ちである

まっすぐ向き合って恥をさらせ
そしてそれが実は本当に必要で
同時に、実は何日かすれば大した痛手ではなくなることを知ってくれ

あのとき見上げた空の青さ
そして、衆目の前で叱られて大泣きしたこと
その2つが今の俺を作ったことは、全く疑いようがない

男の使命は幸せにしてやること
誰をとは言わないが、それ以外ない

記憶と思い出の違いは何か
記憶は事実の焼き付け、思い出は自己に関する由来・物語
人は思い出を己の来し方として抱えて、そこに信と共に立ち、未来へ向けて明るく歩んでいく

ペニスに尽くした女と
女を守りきった男がいいね


すべてを完璧にやり切ることはとてもできそうにない
なので、せめて
何ができて、何ができない・できなかったのかをきっちり見つめる
それだけはしっかりやり切りたい

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「それで、あなたは〇〇から何を教わったのか」
怖い質問だと思った。胸が震える心地がする。

思い返せば、ちゃんと色々なもの・ことに思い当たったが、
それでも、対面の場で質問されてまともに返答する自信はない。

そういうタイプの質問は結構ある。
「恐縮なのですが、少々時間をください。考えをまとめたいのです」と
恥ずかしながら願い出るのが精いっぱいだと感じる。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

コンテンツをエンジョイすること
物語や話を受け取ることの違い
後者の場合、物語の中の人物は時に人生の師となり、先達となり、友となる
そして、それらの人の存在は往々にして現実で関係する人間の存在感を軽く超えてしまう
「アイツのために、下手な生き方はできない」と、
そう思えてまったく不思議ない経験が起こる

それは、実際には存在しないアイツを裏切る事がどうしてもできないからであり、
物質と全く反対方向にソイツが存在を獲得してしまっているということ
そして、その事実を知った時に人は物語の子であることを再認識する

コンテンツではそういうことは起こらない、というよりも
そういう事象が起こらないものをコンテンツと呼ぶ

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

誰にどんなにひどい誹謗中傷や暴力、非人権的な行いをされても
それでも私は痛みの中で少しの喜びを覚えるのではないかと思う
私にとっては何よりも、同じ空間にいるのに私と関わらないでいられることが
また関わることから無関心でいられることの方が、何よりも寂しく辛い

だから、不遜を承知でいえば、
本当に誰かに殺されてみたいと少しだけ思う
(もちろん死にたくないので必死の抵抗はするだろうけれど)
そして、まさに私が今殺されようとする際、私は私を殺す人をじっくりと検分させてもらうだろう
恨みでも憎しみでもなく、まったく水平で透明な興味関心の眼差しをもって
彼の瞳を、そして瞳の奥にある動機の輝きを拝ませてもらいたく思う
その権利だけはほしい

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ほんとうに私は、同情というものはまったく要らない
そして同時に、まったく同じだけ覚めた賞賛も欲しない
信のひとかけらだけでもあればいいと、それだけは心から思う

同情とは「同情している」ということを第三者や社会に対して示すことだ
なので、人が自分もしくは対象に向き合っている時には同情というものは存在しない
そこには自分および対象とのただ物質的・精神的な関係と相互作用だけがある



言葉の裏にさらに言葉がある
それは自我では隠せない心のままの言葉だ

ーーーーーーーーーーーー

何を信じているのか、そしてなぜ信じられるのか
良いものでも、悪しきものでも
信は来し方と行く末を表す

ーーーーーーーーーーーー

笑わなくていいんだ
形容詞も修飾語もいらない
そのままスッと立って、まっすぐ静かに明日を見つめる

ーーーーーーーーーーーー

陽気な陰キャが世界を拓く


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

真剣に試合に向き合うスポーツ選手が造形を超えて美しいように
また、歌の神様に愛されたアーティストが同様であるように
あなたの眼差しが人のくびきを超えて飛翔しうる事を知っている
それは奇跡のような光景もあり、それでいて日常に目にすることのようでもある
そしてそれはどちらも間違いではないだろう

明日のあなたが美しくあるように
今日も太陽が地表に日をそそいでいる



変な省略をしない、こねくり回さない

書くべきでないことは書かない
それがオレのテーマでないことは後で読めばわかる
偉くありがたいことに

語尾が違う、句読点が違う
その辺の正誤を間違えない

結果として何かを恨んでしまうような努力・頑張りはしない・やめる

ーーーーーーーーーーーー

自分を客観視するということは
自分の行いを他人へのように指摘できるということ
自分が他人の行いを見て思ったり考えたりすることを
自分の行いに対しても私情を挟まずにできるようになること

ーーーーーーーーーーーー

金とステータス、欲望に足を取られて来た事
枚挙にいとまがないそれらを
もう一度振り返り、思い直して
次はきちんと正しい対応ができるようにと、そう考える

ーーーーーーーーーーーー

いまだに、無駄にじたばた頑張っている
頑張らずに、与えられたまま
素直さのまっただ中を屈託なく歩む
そんなことが出来るものだろうか
今の私にはまだとても掴めない
ただ、それでも
すべてが絶望ということでもなさそうだ
そんな感じがしているのである

ーーーーーーーーーーーー

悔しさを捨てきれずに
腐っている部分がまだまだ残っているある
本を読むとか、恋愛や仕事、あるいは自己実現
それらをどうすればいいか
頑張るのではなく、与えられているものを見極めることで
何とかしていきたい

ーーーーーーーーーーーー

今まで脳内に積み上げたすべての評価
他人や他者、あるいは自分への意見
それらがすべて全くのマヤカシだとしたら
あるいは事実無根のものだとしたら
人生の大部分を無駄なことに費やしたことになる
そんな気がして、ふとため息が出た

ーーーーーーーーーーーー

意志はグロテスクな事実に立ち向かうためのもの
それで、お前はどうするんだと
それだけが優しく問われる

ーーーーーーーーーーーー

憧れが船に乗って海を駆けてゆく
それだけで、どんな映画よりも深い感動がある

ーーーーーーーーーーーー

あまりの罪深さに震えが走る
比喩であると同時に、生身の肉体にも具体的に震えが来る
そんな状態で何かを誤魔化そうということはとてもできず、またすべきでもなく、
震えを止める方向に自ら進んで明け渡すべきだと
俺は恥ずかしながらそう思う

ーーーーーーーーーーーー

羨ましいと感じたぶんだけ
それに奉仕する、仕える、捧げる
それだけは忘れずにしていきたい

ーーーーーーーーーーーー

金は何に使われるべきか
まともな生活、チャレンジ
そして憧れへの奉仕

ーーーーーーーーーーーー

人に見られながら
誰かの手とペニスを使ってオナニーをする
大きな金は動くけれど
美しいセックスからは遠ざかる
そしてわびしい生活がやってくる
そうなんじゃないかと、くそみその分際で邪推している

ーーーーーーーーーーーー

これだけ眼前に情報が溢れているにも関わらず
むしろそのせいで、色々難しい部分が多い
結局、最後には覚悟と決意が問われるのだと
そしてそれをもって試されてみるんだと
そういう態度でしか、マトモな奴にはなれない

ーーーーーーーーーーーー

まともな奴はサーブする姿勢を持っている
そして、そこからどれだけ大盤振る舞いするか
そこは器量や才能、天賦のものなす技だ

ーーーーーーーーーーーー

寂しさとむなしさ
どちらを選ぶか
どちらがその胸に叶うか
それが問われている

ーーーーーーーーーーーー

むなしい顔を見るのが
それがそのままになってしまうのがどうしてもイヤだった
そんな言い訳はきっと通じないけれど
ほんとにそうだったんだと
情けなくも懺悔するよりない

ーーーーーーーーーーーー

俺は俺のルールを果たす
あとは野垂れ死ぬとしても
それでもこれで行かせてもらおうと思っている

ーーーーーーーーーーーー

冷や汗が出るなら、それは間違っている
何か隠していることがある、きっと


ごまかしを捉える感覚
自己欺瞞から離れるのは心楽しい

ちゃんとした人になる
 あらゆる身体・感覚への現れが何らかの方向性、自身の課題の根っこ、奉仕の方法を暗示・明示しているのではないか
 思考のゴミは何かのヒントなのだろうか、そうだろうという感じがする
  
頭を下げるとは何か
 それは生命の維持、生存から最も遠い行いである
 それをすることで動物としての命を手放す代わりに、魂の命を得るための形式である
 非常に小さくともそれは生を捧げて命を得る行いである

詩のタイトルと内容・書き出しを一致させること
無駄にずらさないこと

なぜ手足が凍り付いたように動かなくなるのか
そのことが脳裏に予見できるのか
そしてそれを感じて少しの落胆を感じながら、途方もない気持ちを味わうのか
(それにしても情けないばかりだ)

情けない身の上ながら
もっと限界を見つめなければならない
そして行くべきところまで行きつかなければと
不遜でないように注意しながら、それでもそう感じているように思える

失ったものは何だろうか
それはとても大きく、致命的なように思える
ただ、それは確かに大きくてもったいないことではあるが
きっとそのあるなしと我々のなすべき行いは変わらないのだろう
そう思うと、少しは心が落ち着くようなところがある

認め、気づき、信じ、そして明け渡すこと

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

最大の優しさをベースに最大の厳しさを与えること
それが真の教育のなすべきことだろう

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

明るい未来と眼差しを心から余裕で信じられる
そういう状態が一番いいよな

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

意志は人間の性質・本質なのか
それとも人間を超えた存在・概念のそれなのか
生き生きとした意志を保ち続けるのは本当に難しい
それは動物の性質や神経・脳の性質ではないから

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

死ぬまでは走り抜けよう

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

与えることを完全に喜び
かつ、その与えるものが限りなく深いところまで届く
それこそ人生の根の深い悩みを一時でも完全に取り去ってしまうぐらい深くまで届く
そんな奇跡にまみえることに、心から憧れている

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今よりもっと正直になったとこに何が起こるか
それを確認するために色々やっている

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

女の尻のたわみばかりが気にかかる
豊かな胸の谷間が、前へかがんだ時にさす陰影が
そして、ショート動画の奔流の中で揺れる
蠱惑的でいて、そして同時に透明でもある女の肢体が

 幸せになってくれよと
  いらないことを願いながら

100のうち98まではままならないことばかり
それでもまっとうに明るく生きてゆくために
世話になりながら、謝りもしながら
オレの方ではオレにできることがないかとひたすら探している




人工的で、恣意的な朝の過ごし方をした
考えに考えて最善を尽くしたつもりでも
上手くはいかない。そんな日。

たまにそういうことを思うように、その時も小説を書きたいと思った
今の自分の苦悩と、それに対するちょっとした救済を描きたいと思った。
生活の節目というか、何らかの区切りのタイミングでたまにそういうことを思いつくのだけれど
その時はちょうどそういうタイミングだったのかもしれない。

そして、救済を描くとはなんとも自己欺瞞的だなとも思いながら、
同時に、その発想自体に幾分か救われるような心地があった。
そして、だんだんその実感が体に広がってくると
それ自体が非常に素晴らしいことのように感じられた
本当にアホみたいな話。

小説やその他創作、芸術が
人間が神に近づくための行いであると標榜することもできる
そして、それはあながち間違ってはないのではないかと
末端の当事者であることを承知で言うとして
しかし、不遜でないように注意を払いながら言おうとすると
本当にそれは捉え方というか、立脚点によってはあながち不遜ではないのではないかと思われた
人が救済を自作自演するのではなく、
リアルに救済の力を持った立場の存在が人の力を借りてそれを現わす
それを人がフィクションのように演じているのではないかと
そんな風に思われて、何というかその思い付き自体に救われる気がしたのだった。


泣くのが好きだ
時々、惨めだとわかりつつ
自分で無理やり泣こうとしてしまうぐらいに
それは、思いっきりベタベタな涙も含めて
心の真ん中に接続していることの証だと思うからだ

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私は愛に奉ずる者でありたい
一挙手一投足、それから逃げずにありたい
そんなことは到底不可能だと心底理解し、
その理想をはるか遠くに仰ぎ見ながら
己の至らなさに赤面し、そしてなおも実直に歩いてゆきたいと思う

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

オレのやりたいことは何か
正直なところ、今の時点で明確には答えらえないと感じる

やりたいこと・やるべきことと願望の区別がまだついていない
そんな気がする

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

誰とどのような場面でどれだけ唐突に相対したり、
あるいはすれ違ったりしても、
人を心・技・体すべての観点で拒まず、
体の芯で受け入れて優しい挨拶を返し、
相手さえよければその場で友人となれるような人になりたい。

挑戦と撤退の機会が同時に目の前に与えられた時に
迷わず挑戦を選べるようでいたい、そのための心技体を備えたい

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

偏屈な問答から答えを誘導して認識を操作しようとすることを私は好まない

もっと色々な角度、やり方で試さないと得たいものが本当に得られないまま終わりそうだ



想像力は欺瞞を捉える
そして事実・現実を否定して人を解放する

やるべきことは基本的には与えられるものだということ
何をやるかどうかは95%ぐらいは事前に決まっているということ
やることを直覚するときに選択の余地はほんどないということ
(選択の余地がある時は本当は「やる」の状態にはない。難しいけれど)
何かをやっている、やってきたという確信を持つ時は
他人の醜聞に心がざわつくことはないということ

オレはそれから逃れられるとはもう思わないし
逃れることが正しいとも感じない
その結果、もし俺が不幸になるとしたら、
それはもうオレの器だろう
きっとそれでいい

オレのような凡人には
何かを諦めないで最後までやり抜く、ということがとても難しい
それは例えばすごく日常的で、非常に小さいことでもそう、大小関わらず
だから、諦めた分だけはせめて正直に語ろうと思う
そうでもしないといらないものが積もっていってしまう

毎日足を取られて、疲れて
それでも何とか回復しながら生きている
楽しい生活はしたい、もちろん続けたい
そして誰もがうらやむような美味しい目にもあいたい
そして、それ以上にもっと
溢れる栄光があることを知っていて
そのために奉仕する喜びの事も
わかっているつもりだと、そんな強がりをひとりでつぶやく

 美しいことも、誇り高いことも
  こっぱずかしくなってしまったけれど
   心の一番奥にはそれがある
    アイツにとってもそうであってほしいと願いながら

海外の水、氷を飲んで腹を下した
色々な迷惑をかけて、痛い目を見て、金を使って
それで、裏返しの傲慢にも陥らないように
迷いながら、ふらつきながら、そして夢見ながら
一日一日を無駄に、同時に大切に感じながら
すべてを忘れて今日の話を聞きにゆく

騒がしい掌の中
スマートホンを時々放り出したくなって
それでもどうしても手放せなくて
画面に縫い付けられるようにして時間が過ぎていった

 何かの拍子にひび割れたディスプレイのギザギザした手触りが
  今でも心に残っている

何者かになる、ってのはどういうことだろう
あまりピンと来ていない、それでも
俺たちは、それぞれの虚しさに震えて
あるいは震えることに耐えらなくて
それでしっかり向き合うこともなくここまで来たと
それを白状しなければならない

 明日死ぬのならば、それはそれでスッキリするような気がするんだ
  それがあと何日続くかわからないところが
   なんとも言えないな

日差しの強さは場所によってまちまちだ
格差も差別もステータスの差もすべてある
それでも、となけなしの強情を張る時の
その時の力強いこぶしだけを信じて
また明日もゆく

返ってこない金を貸して冷汗をかいた日のことを思い出して
それでも笑っていられる奴が強いんだと強がりを言って無理やり笑っている

オレが誰より優しくなれるのかと
それだけが、いつでも問われる

誰かから手渡された歌
それが今の俺を作った
たったそれだけの話

3分ごとにメッセージボックスを開けて
それがいったい何になるのだと思いながら、わかりながら
それでもそれはなかなか辞められない

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今思いついたグルメ格言
新じゃが・春キャベツ・新玉ねぎが好きな人間に悪い奴はいない
それは生命の息吹、季節の恩恵を感じられることの一つの証左である

優しさはきっとある、とは
俺にはちょっと言えそうにない
だから、死に物狂いで優しさの
残りかすを、探して、集めて
それで何とか形にしようとバカみたいなことをしている

結果になるとかならないとか
そんなことより
ただやりきることができたなら
それは結果がどうとか以前の達成になるだろう
ただそんな気がしているのと
直感に従うことのまっとうさ
それだけ信じてやってゆく

汚されたと感じるのは
きっと弱いからだろう、きっと
汚らしく思えるのは
きっと昔にすがっているから
変わってしまったように見えるのは
元からそうだった場合のことに発想が至らないからだ、きっと

 寂しさは変わらない
  変わるのは、〇〇だけだ

はっきり言葉にできない
明日の処方箋もない
インフラ設備の行き届かない街の中で
ふらつきながら朝と夜を過ごしている

自分の内側だけで抱え込んでいると思い込むから苦しい
実は非常に疲れているのに気付いていないから苦しい
直近で何らの貢献、奉仕も成せていないから苦しい
惨めで弱い、情けない、みっともない存在である自覚がないから苦しい

すべては見透かされ、現れ、尋ねられているのだとすれば
それに向き合う以外にすることはない
とくに、隠し立てする意味はまったくない

必死こいて生きる
するとギリギリのところで光明が見えてくる
ような気がする、そしてそんな気分になれない時もあって
そういう時間帯を乗り越える方法もすでにある程度手にしており
浮かんだり沈んだりしながら、それでも
平均としてはなんとかやれている
ような気がしている

バカみたいにレベルが低くて
それでいてバカみたいに正直であり、そして
にも関わらずあっけらかんとはできていない、と
それが現状の実態である

成功者の姿と失敗者の姿は殆ど裏表だ
内心に浮かぶ傲岸と卑屈の対比もそう
だから、それはそれとして捉える
卑屈になるのは未熟のせいで、それはそれとしていい
そんなふうに嘯いている

周りに活発なビジネスの渦が巻き起こっているように
そしてそれに出来る限り加勢できるように動いていく

血の濁りが浄化され
よどんだ意識がさえわたり
疲労がどこかに消え
前に踏み出す力が今まで知らなかった場所から湧いてくる
そういう仕組みがある

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

完璧な意志と、それとの距離
手持ちのステータスは全部使い切る、ということ

自分があるとは何か
ステータスとそれが引き起こすあらゆる嵐の中でも動じず
それでいて手持ちのものはすべて使い尽くして夜ごと朝ごとに新しくなるということ

楽しいだけでは満ち足りない、というのは
せつなくて良い話だと思う。
誰にも平等に来るものを、それとして嗜んでいこう
夜明けの太陽光が歌舞伎町の路上に別なく降り注ぐ

身近なところに優しさが出る

今の自分ではどうにもならないことを
どうにかしてやる、それが一番楽しいし
そういうことをしなければ、生きている甲斐がない

貰って喜ぶフェーズから、与えて輝くフェーズへ
そしてわけがわからずうろたえて停滞する煩悶の季節を
できるだけ早く超えてしまうこと

意志は生死を超える
というか、生死を超えなければ意志ではない
それは単なる感想となる

華やかさが最上位にある時
それは死に敗れた絶望の時代ということになってしまう
すべてにおいて悲しいけれど

幸せな笑顔を取り戻すために
すべてのことを死ぬ気でやっている
そのためにあらゆる習慣や怠惰さといった障害を
必死こいて取り除こうともがいている
情けないけれどそんなところである

金が死ぬほどほしい
そして、金より大事なものがさらに死ぬほどほしい
金がすべてじゃないとは、俺の口からは言えないけれど
そのために書き言葉があるんだろう?

悲しみは見えないところで進む
そして人生を台無しにしてしまう
そうでないと願いながら、それでも
いつかのためにやれることをやっている

神様はいつも見てくれている、というより
常に見守ってくれているものの存在を仮定して神様と名付けた
そういうところがあるのではないかと、不遜に恐縮しながら思う
神様が救わないわけがないし、救わないものは神様ではない
そして、神様がいないと思い絶望するならば
それは神様を裏側で信じているのと同じこと
そんな気がしているのである

生き死にを超えたところに意志がある
生き死にを超えたところに愛がある。そして、
生き死にを超えるために勇気がある

勇気を持ってくれ
それはお前を生き死にの軛(くびき)から解放するもの
そしてお前の惨たらしい生から毒を抜いてくれる特効薬

若いお前が
若さゆえにぎりぎりのところで辛うじて失っていないそれを
オレは意志によって全力で完全に信じ切っている
意志は生死を超える、だとすれば
永遠とは意志によって得られるもの
不老不死の技術など不要な屁理屈

心が温かいもので満たされるなら
それを信じて進めばいい
狂乱の終わりに、心が寒々しくなるならば
そこには美しいものは何一つなかったということ

「自分のため」と「誰かのため」は
実はほとんど違いがない、端から見ているほどには
そこで問われるのは「何をやるべきか」のただ1点である

格式張って入門などする必要もない
朝目が覚めた時すでに道場にいるのだ


論というのが好きだ
それは理を超えて意思の表れだから

論理とは、論の理である
理とは法則である、だとすれば論とは
理と理でないものの混合であろう

論の美は意思の美
意思は生と死の境目で問われるもの
感想が論に生まれ変わる時に
人は理を超えた存在として現れる

生死より大切なものを
論として掲げて死んでゆく

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

媒体の歴史は距離、頻度、量、強度の歴史
際限なく近づき、明滅し、表面的には移り変わってゆく
いずれ今あるものも媒体としては廃れて
根本の問題は2000年前と何ら変わらない

新聞、テレビ、ビデオ、パソコン、スマートホン
媒体は発明され、更新され、そして人を試しながら移り変わる

媒体の変化は個への影響力の変化
そして個への影響力がその他の全体のバランスへ与える影響の変化

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

愛とは何かがあるということ
時間でも空間でもないものがあると
そういうことなのではないか

物理学と文学が交差する場所

物質と時間の関係
時間と空間の関係
空間に記憶はあるか
時間に思い出はあるか
物質は空間と時間を持つ
愛には測定可能なものはない
それでも、そしてだからこそ確かにあるもの

巨大な愛がビッグバンによって生まれたとしたら
全て綺麗に収まるなぁ

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

タフになるとは
コントロールすること

代替手段が溢れる中で
それでもコミットする理由は何なのか

煽てられた事実も
煽てたことの罪も
現世で消えることはないだろう
それでもいい

結論から入ればいい
それが1番強い

言葉と行動と運
3つが揃って初めて消化される

屈託なく褒められるのは
無念がないということ

こんな時代だから
未消化の願望が蓄積しているのは当然だろう
それをどうにかするためのことを
他でもない自分のためにしていきたい

流行の言葉は誰かの内情を捉えている

意地悪を止められない感じ
戒めるよりない、そして今の100倍の挑戦を

イライラしたり、幻滅したり
見下している状態を当然と思ったりする
正気な状態では自分の心の狭さを恥じるような心持ちもあるけれど
現場ではまた別のものに支配されている

省みる、沈思黙考する
そんなことは無くなってしまった

肌のぬくもりや眼差しのぬくもり
それから遠ざかり、より孤独になる

言葉が掲げられる理由は
言葉と反対をしでかす恐れがあるため
そして、それを戒め
言葉そのものを我が身とするため

憧れが言葉を導き
そして言葉は誠実な心に裏打ちされ
言葉そのままの形で人に現れる
美しい瞳がその証となる

前向きに本を読めるようになるだろうか

欲に囚われ、疑いを拭えず
2秒前の行いすら後悔、反省してきた
そうならないように、これからは
ただ前を向いて走り抜ける

溺れるほどの欲の力はない
ただ囚われだけがあった
今は自室にて1人静かに
思い出すだに恥ずかしい昔を懐かしむ

話しかけたいのも、話したくないのも
いずれも血の騒ぎの現れ
そして人は自ずから求めるところがあり
それを為すための体勢を取れる必要がある

前頭葉がすべて邪魔している
それをどれだけ置き去りにできるか
その速さとともにあれるか

人を認めるとは何か
欲望を認めること、成果を認めること
そして位階を理解すること

求められていないのがわかる
それが大事だ

叶わない願望の扱い方
無念を引き受けることなんて出来るのだろうか

求められていないことが少しわかるようになった
大して空気が読めているわけではない
それでも、今までは全くわからなかったのだから
ある程度マシにはなったかなと
そんなふうに独りごちている

物語と会話
日本には会話はない、物語だけがある

母であるか、女であるか
その2つしか俺は知らない
俺の無知は俺の責任だ

良い男は見切っている
性欲と愛を区別して
そして最後は死にながら笑う

完璧なセックス・完璧な射精をした時
完全に力が抜け落ちた数時間を過ごすことになる
そしてその後には力がみなぎる
そんな仕組みがある

責任転嫁を自覚できるか
それが時代に課せられている

詩人は誰にも何をも強制しない

絶望的なエロさ
エロ単体は最後は絶望に行きつくしかない

眼前に100年前の何万倍の量、頻度、色彩で展開する女の嬌態
変わり切った生活態度の行く末はまだ見えない

意味を探した
目的を探した
そして、関連性を探して
あるいは見えない制約を、そして罪の出どころを探した
明け方の生白い壁の色は
それでも優しかったアイツのことを思い出させる

 まさに死ぬ、その少し前までは
  きっと今日のことを考えるだろう
   そして、その後はわからない

少しの、そして致命的な嘘の中で
それでも願った確かな輝きを
汚れた右手に受け取って
またいつもの所へゆく

いつかはすべて〇になる
だから安心していい、そして
大事なことはいつそうなるか
だから、出来るだけ早くしてくれな

お前はすべてを失う
そしてその後ですべてを得るだろう
だから、

受け入れた瞳の優しさを
知ってもらうために、何でもする

先に捧げるのはオレだ
後からついてきてくれればいい

宝物を失うことがあった
失策だと思った、上手くやれなかったと
だけど、その地点は既に間違いだった
失って困るものなどホントはなかった
失って困るのは、それに依存しているからだと
初めて知った、知らされた

美しかった日々を思い出して
最後に笑えるように、こうやって書き残している

あなたは美しい
だけれど、実はあなたに捧げる花束がない
悲しいことだけれど
オレは人生の時間すべてをどぶに捨ててもそう言うだろう
なぜなら、時間なんてものは存在しないからだ
時間があるということは、そんなものはちゃちなマヤカシだということ

時間でも空間でも物質でもない
そんなものがあるのだと、教えられる心地がした
だから、時間と空間と物質によって作られたものは
すべて何かへの捧げものになる

存在しないものはいくらでも捨てる
捨てるとは一つは捧げるということ
そして捨てることで憑き物が取れるということ

捨てるべきものは美しく、欲にまみれたもの
それを使い果たして捨てることがひとつの道になる

捨てることで下賜される
そして存分に遊びつくせる
そのために、まずは捨てること
そして見返りはそのことによって既に与えられている

手放さなければ本当には美しくなれない
美しくなるということは、こだわらないということ
そして、その境地は永遠のレイヤーに属する

今やるべきことは今やる
どんなみみっちくて破廉恥で意地汚くても
何をやればいいかを注意深く感じ取って
そしてへとへとになって眠る
そして、翌日には少しの思い出とともに
すべてを忘れ去ってまた日が昇る

徹底的に笑いものにされる
恥ずかしさではらわたが千切れそうになる

「俺みたいなのは死んでもいいんだ」と
苦し紛れに笑いでもしてないともたない、、、

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

試されている
色々な新しい人・こと・機会
変動の激しい流行のなかで
正気を保つのは骨が折れる
間抜けの身には当然だとして
生き残れる自信は、まったくない、、、

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

大丈夫だろうか
色々気が気でない、、、
嬉しいこととおっかないことが同時に起こると内臓に悪い

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

危ないところだった
思慮も配慮も足りなかった
まだまだ冷汗の時を抜け出せないらしい

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

罠というか、
落とし穴は二重にも三重にもある
できるだけ注意深く歩いてゆくよりない
自信はまったくない、、

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

真心とはどういうたぐいのものか
どのような状態で、どのような美しさを備え
凡百の者がそれを本当に得ようと思えばどのような試練があるか
言葉に書かれるのは一見簡単で、実行・実現は容易ではない
そして、実はそれを本当に言葉として記すのは、自体がすでに難事業である
なぜならそれは辞書的な意味の説明ではなく
言葉を用いた真心の体現が求められているからである

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

いつでも落ち着いて
そして思い切りコケに行け
落ち着いていれば、コケる体験を得にゆく価値は十分にある

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

寂しさが人をステータスに走らせる
寂しくなければ本当にやるべきことがわかる

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

弱きものは助けられるべきものである
だからこそ、弱きものは助けられればならず
弱きものを助けない時にはそれ相応のことが起こる

そして、強いものについて
己は強いと自負するものは、死ぬまで戦う
というよりは、死ぬために戦う
そう宿命される

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

価値があるのはわかっているし、自覚と自負がある
そして、誰に頼まれたわけでもない使命の所在も感じている
そうでなくて続くわけがない。この飽きっぽいオイラが

いつか言ったように
世界一の詩人になる
それだけだ




もう一度自分を信じる
改めて、そして以前よりもっと確かに
先の見えない暗闇にも動じず、目と目以外のすべての感覚を開ききって
それでいて正解のなさにも笑いながら無闇に立ち向かってゆく
そのように自分を信じる

欲に足を取られたことがあった
そして、足を取られたことを欲のせいにしたことがあった
すべて己が悪いのにな
今更ながらそんな反省をしていた

 今日もまごころの歌が聞こえている
  青い空から、そして肚の内側から

現代の、とくに日本人は
「真心」という言葉を使うだろうか
そして、それが絶対に必要なもので
それを得るために頑張ろうという心持ちになるものだろうか
どうだろうなと言いながら、同時に
お前はどうなんだと聞かれてちょっとした震えを覚える

 温もりはご褒美のように与えられ
  そして、本当に訳もなく幸せがやってくる
   未熟のゆえに取りこぼすこともあるけれど
    それを差し引いても十分すぎる

ああ、愛してる。今日も明日も。
バカ丸出しでも仕方がない
かっこいいことはアイツに任せて
俺は堂々と行くことにする

死ねとは言ってくれるなよ
そして、思うのもやめてくれ
そんな不可能が可能なものか
今の俺にはわからない

それでも、とばかり言ってきて
また「それでも」と言うだろう
胸に灯った光を信じて
間抜けが奏でる、まごころの歌

金のために、が上位に来てしまうことの虚しさを
どう処理すればいいか、誰にも問われる

結局金でもステータスでもない
それ以外に言いようがない

主題のなさが端からは透けて見えてしまうということ
そしてそれがステータスによってあらゆる形で穴埋めされるということ
その充足・欠如を問わず全身からくまなく滲みだすということ

変換しえぬもの、それが影響力とは無縁の宝物にほかならない
それは物語であり、思い出であり、屈託なく人に話せることであるということ
そしてそういった宝物のあるなしは、誰にでもはっきりと伝わるということ

あらゆる現世的価値がインターネットを通じて換金できるからこそ
ステータス化の上位にあるものが重要になる
それはステータス換算できないわけではなく
換算された価値の如何をまったく度外視できるということ
小さい頃の思い出のように
書き換えの利かない物語のこと

金やステータスは上位に捧げられ
そしてすべてを〇にして美しく輝くということ

昔、仏前に果物やよそ様からの贈り物が捧げられていたことを不思議に思った
そして、ある時その意味がわかってはっとしたことがあった
その行いは習慣的に続けられていたが、習慣の裏には確かな原理があって
敬虔で優しい人はその行いが何のためにありどのような良い効用をもたらすかを知っている

まだ無念ではない
ふつふつと湧いてくるならばそれはきっと無念ではない
まだやるべきことがあるということ、そして
その方法は見つかっていない、だから落ち着いて探さなければならないということ

血迷っていた日々があった、まだそうかもしれない
そして、お世話になった人らの笑顔

心は震えている
そして同時に顔面でない場所から笑みがこぼれるような感覚がある

今の俺を作ったもの、そしてそれを忘れるために必要な言葉

アホの子になって、それに近いゆるんだ顔になって
それでようやく入ってくるものはなんだろう

ーーーーーーーーーーー

例えば、国家の礎となる忠臣の背中のように
万人をひきつけてやまない名俳優のように
優しい笑顔が溢れていた時代のように
決死の覚悟で戦った人々が後に残したことのように
生きることができたら、こんなに嬉しいことはないだろう

ーーーーーーーーーーー

屈託のない笑顔が好きだ
そして、それを成立させている背景に焦がれている
努力とか、才能とか、環境とか、その他言訳や説明に使われるすべてを超えて
わずかな1点に凝縮・特定される大切なことがある

ーーーーーーーーーーー

言葉について
今まで並んだことのない言葉の連なりは意図的に・かつ自然に作られる
時には無意識でもある、そして必然でもあり
最後には美しければ何でもよい

ーーーーーーーーーーー

それっぽい雰囲気、から離れる
確かなそれを見逃さないために
明確でないものはその都度ゴミ箱に捨て、念入りに燃やす

ーーーーーーーーーーー

クソみたいなことからは離れてよかったのか、
ようやくわかった。ちょっとおっかないけれど

笑顔なようでいて割れそうな表情も
振りまきながら一方で何も届かないということも
優しさの本質を忘れた硬い目力も
すべて捨てしまおう。少なくとも俺は

どんな力も優しさが根っこになければ無意味

ーーーーーーーーーーー

俺が俺たる状態
熱のあるものしか食わない、すくなくともほとんどは
そんな状態を作ってゆく

半笑いはいらない。というか有害
両肩から熱い冷気が湧きたっているような状態を

ーーーーーーーーーーー

全力であるということ
体力・能力のそれではなく
潜在的な可能性の泉から直接エネルギーを引っ張り出し続ける
そして出がらしになるまで絞り出す

適切な身体は刺激を透過する
そしてきっと、優しさの試験にかなったことをするだろう

ーーーーーーーーーーー

常に死はそこにある
試さなくてもわかる


適切な転職を厭わないことかもしれない
年収を下げてでも相性のいい仕事を選ぶことかもしれない
あるいは、ゴリゴリに難しい仕事にチャレンジすることかもしれない

詩・言葉の掘り起こしに充てる時間を増やす必要があるのでは、という感覚がある
同時に、仕事への余計な願望を捨てて必要なだけのことをすることも

十分な調査をして、人と会って
最後には確信とともに決定を下すだろう
そう準備して臨みたい

ーーーーーーーーーーー

必要なことをやるために
落ち着いて考える、そして常識は心に留めながら
本当にやるべきことが何か、心に叶うように突き止める

微動だにしない、力みのない心臓を準備する

肚に落ちたことだけをする
言葉を使うのもそう、人と話をする時も同じ
ある程度常識に外れていても、礼節は保ちながら自分を信じる

自分を信じてゆく。たとえステータスを下げる結果になっても
手を離すことを恐れてはいけない。そういうフェーズが来ている
そして、もし上手くやりおおせたなら
一回り大きくなった何かを発見することになるだろう
そんな予感が体の内側に微かな熱を持ってある

信じて手を打ってゆく。事前確認はしない。

今までやってきたどんな細かいことにも意味が、そして良し悪しの影響があった
だから一挙手一投足、視線のやり方から無意識に手足に入ってしまう力まで
観察や洞察、そして必要があればコントロールすべきであり
同時に適切なタイミングで手を離す必要もある

小鳥の鳴くように歌ったひとがいた
いつもの日には朗らかに
陽の光や切り株、草原を埋める生き物らと戯れ
悲しい日には静かに、心を込めて歌った

ある時、社会は流行で満ちていた
注目を集めることに懸賞金がかけられ、そして
人々はあらん限りの才と労力を持ってそれに応えた
そして、提出した成果に応じて分け前が与えられ
ある者は栄達し、ある者は擦り切れ
またある者は破滅し、そうして時が流れた

その人は死の淵に触れた
そしてなんてことないというように戻ってきて
いつものように朗らかな笑みを満面に現わした
しかし、それは凡人には至りえない心境で
表情から溢れる輝きは深みと喜びを湛えていた
そしてその人はさらに歌い、
歌うことを通して歌の神髄に日々目覚めていった
それはその人が死の淵から返ってきた時に
誰かから何かを授かったのかもしれなかった

一部の人が、そのすべてが徒労だったと知るころ
社会はあらたな流行にフォーカスしていた
ある人がお金持ちになり、ある人は平均年収の半分以下の暮らし
またある人は生きるのもやっとというところから、インターネットの力で一発逆転を果たした
そんな中で、その人ははた目には大きな変化もなく歌った
色と刺激の時代にはなかなか衆目の目に留まることはなかったが
それはその人にはあまり関係がないようだった
そして、輝かしい歌の遍歴が
その人の魂を日々高いものにするのを
全体から見ればごく少数の目撃者が、驚きと確信と共に優しく見守っていた

人の声を聞いた
その人は苦しんでいるようだった
はた目にはそうとは見えないが
それでも、実はと思わせるものがあった

性別その他はわからなかった
ステータスの多寡も知りえなかった
ただその顔には、本当はあどけなく美しかった魂の表面に張り付いた膜が
長年の習慣となって浮かんでいた

本人の自覚がどうだったのか、
それは、外野からは知りようがないようでいて
その実、その顔の膜にはありありと何かが記されているようでもあった
そして、声のかけ様はなかった
耳まで覆ったその膜を揺らすのは、その人を支配する自我から通行許可を得た神経物質だけだった

宴の終わりの頃
大きく焚かれた祭りの火の消えかかる時
その苦しみは実態となった
最後には悲しい歌が流れ
いくつかの寂しい話が残るだけとなった

↑このページのトップヘ