このブログをはじめてから半年が経ちました。

偶然、真由子さんのブログに出会ったことで、長年漠然とおかしいと思い続けてきたことが確信に変わり、このままではいけないと思ってブログを立ち上げました。

それから、半年間、真由子さんのブログの記事や、それに寄せられるたくさんのコメントを読んだり、議論に参加したりして、様々な考え方や情報を得ることを続けてきました。


インターネット検索で部活動に関わる記事を探しては読み漁り、ツイッターでも部活動に関わる発言を読み漁り、そして現実の世界にかえって一歩離れた立場からは学校教育と部活動の全体を見渡してみる。

そうすると、今まで当たり前だと思っていた学校の活動が、今までとはまったく違ったものに見えてくる。
違和感だらけのおかしな世界。

もしかして、自分が偏った考えに陥ってしまっているのではと、自分を疑っていろんな立場にたってから改めて学校の活動と部活動を見渡してみる。


もしも、自分が・・・

保護者だったら

生徒だったら

地域の一般の人だったら、

部活動の実態についてどう思うだろうか。


さらに、その立場ごとに、部活動が大好きな人と、否定的な人と、どちらでもない人だったら、

どう思うだろうか、どうしたいだろうか、どうしてほしいだろうか。


時に、管理職の立場だったら、教育委員会の立場だったら、文科省の立場だったら。


もう、あらゆる立場になったつもりでいろいろと考えてきました。


すると、面白いように部活動に対するそれぞれの立場の思惑や言い分が見えてきます。想像できます。

と、同時にわかることは、どの立場にも、良かれと思っていて、それぞれの活動を推し進めているということ。

こんなに問題だらけの実態なのに、誰も自分が悪いなんて思ってないんですよね。

どうしてそれなのに、こんなに問題が起こってしまうのかって考えてみると、

やっぱり、部活動は何をよしとするのかが決まってないことが一番いけないことだと思うんです。



部活動の位置づけや目的やねらいが国としての方針がないということ。判断する基準がないということ。

だから、みんながみんな、良かれと思って自分が信じた道を好き勝手に突き進んでいるわけで。

たまたま、権力のある人たちが自分たちの価値観に周りを巻き込んで、勝手に組織や勝手なルールをつくってきた。

中体連や高体連なんかができて、いつの間にかその団体が何なのかも知らないのに、「部活は教育的な意義がある」ということでどの先生も巻き込まれ、いつの間にかあって当たり前の存在になってしまった。

確たるルールもきまりもない上に既成事実だけを積み上げ続けて、その積み上がった部活動という巨大な既成事実の塊が、今度は正規の方針のもとで作り上げてきた学校教育にまで食いつぶそうという有様。

矛盾とか、本末転倒とか、逆転現象とか、そんな状況。


さすがにこうなると、おかしいと思う人はたくさんいるはずです。

でも、誰もそれを批判することができない。なぜならば、部活動には確たるルールも決まりもないから、何が正しいかなんて根拠もない。判断できない。

そこにある暗黙のルールは「生徒のために」という絶対のようで曖昧な価値観だけ。



日本は昔から「恥の文化」というものがあります。

和を尊ぶ一方で、他人の目を強く意識するのが日本人の特徴です。

他人に笑われたくない、恥をかきたくない、白い目で見られたくない。

こうした文化が根強く働く日本において、ましてや日本全国の公教育をつかさどる学校においては、この傾向の強さは民間企業の比ではありません。

自分たちで作ってきた文化(既成事実)を否定したり、廃止したりすることは最も不得意とするところです。

新しく始めることはあっても、一度始めたことはやめることができない体質。管理職であっても同じ。



だからこそ、今の学校には、部活動に対する明確な位置づけやルール、決まりが必要だと思います。ガイドライン類では全くダメです。

部活動が正式な教育課程になろうと、地域に移譲する形になろうと、もしくは部活動が廃止になろうと、どんな形であれ、いち早く必要なのは確たるルールです。多くが納得できる判断基準です。

ルールがないとお互いに良かれと思ってやっている者同士が潰しあうだけです。



クラスで担任の先生がルールを明確に打ち出さなかったらクラスは荒れるように、

文科省がルールを明確に打ち出さなかったら日本の教育も荒れていくのは至極当然です。



今後も世論を動かすべく訴えていきたいです。どうか、ご協力ください。